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徒花の夢  作者: 九頭原
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一陣の風

 自動ドア、エレベーター、廊下を抜け帰宅する。鍵を差して回して音がして、取っ手を回して扉が開く。

 何だか煙草臭かった。僕はもちろん、伯父さんだって煙草は吸わない。そもそも伯父さんが帰ってくるなら事前に連絡が入る。

 甘くて臭い。甘い煙草なんてあるんだ、と呑気に靴を揃えて脱いで廊下を歩いた。

 どことなく、騒がしい。初めは隣や外かと思ったけれどどうも違うみたいだ。僕の部屋から声がしている。叫ぶような声と走る音と、何かガラスが叩かれる音だ。──ガラス? ガラスと言えば、音納ちゃんは──


「帰るぞって!」

「嫌です!! 私ここに住みます!!」

「お前なあ!」

「音納ちゃん、飴あるから。帰ろう?」

「は……嫌です!」


 こっそり扉を開け、十センチほど開いた隙間から覗き込む。すると中を見る暇もなく隙間に手が突っ込まれ、こじ開けられた。


「……お前の家だったのか……」


 そう言ってあからさまに顔を歪めたのは五限目の講師の一人、浅葱さんだった。初めてちゃんと声を聞いた。煙草を咥えている。あの甘い煙草のにおいは彼から来るものだったのか。


「君、この人形拾ってくれてありがとうね? 俺たちのなんだ」


 そして笑顔でひらひらと手を振ったのがもう一人の講師、木賊さんだ。印象としてはきっちりした人という風だったけど、きっと公私混同は絶対にしない人なんだろう。


「あ、いえ」


 木賊さんが『人形』と言い切ったので、恐らく音納ちゃんが喋ったことを言えば……。考えるだけで恐ろしい。確実に人外絡みだ。


「神無木だったか。君、こいつが喋ったの聞いた?」


 浅葱さんが僕にそう尋ねる。この質問やだ。正直に言ってもどうにかなるし、正直に言わなくてもどうにかなる。多分。裁量が難しい。


「……驟」

「うん?」

「こいつの式、人外のだ。それと彼の記憶によれば音納は可愛い声で喋ってるね」

「そうだね。俺に確証はなかったけれど、君がそう言うならそうなんだろう」

「馬鹿にしてる?」

「まさか」


 二人はそんな会話をすると、僕に向けて意地の悪い笑顔を向けた。怖いくらいの満面の笑み。浅葱さんに至っては悪魔の域だった。

 音納ちゃんが瓶の中から僕を見て、声を出さず口唇だけで「頑張ってください」と言う。嬉しいが逆効果だ。


「そんな訳で神無木少年、僕はお前の記憶が見える。正直に言い給え。出来るだけ他人の記憶を覗きたくはないからね。この瓶の人形は喋ったか?」


 底冷えするような視線だった。部屋の温度が数度下がるような、大袈裟かもしれないがそんな風に感じるほどの、冷たい目。人を殺すのに何も感じない殺人鬼みたいだった。彼は、浅葱さんは一体何者なんだろう。


「……しゃ、喋りました。可愛い声で」


 浅葱さんがぷっと吹き出し、続いて木賊さんも笑い出す。


「ははは、可愛い声で喋ったか。良かったね、音納?」

「変わった子だね、変わってて、面白い。久しぶりにこんな子見たよ」


 褒められているのか貶されているのか。とにかく何かがツボに入ったらしい二人は数分笑い続け、音納ちゃんと僕を呆れさせたのだった。

 音納ちゃんを抱えたまま笑った浅葱さんは、腹を抱えたまま木賊さんを振り返り尋ねる。


「ああ、うん。笑った。それで? 何だっけ驟」


 木賊さんは手帳を取り出し、ページを捲って読み上げた。


「《第二項 人類にホムンクルスが露見した場合、その人類の記憶を改竄する権限を与える》だね。けどこの子は違うから」

「そうなると壁外追放か、うちに入れるしかなくなるな」

「救える子を救うのが俺らの仕事だ。でもちゃんと許可取らないと駄目だよ」

「い、いや僕は」


 まだリュケイオンに入る気は、ないのだ。


「君、自分の立場解ってる?」


 木賊さんだった。冷たい目で、冷たい声で、冷たい動きで伝えてくる。──逆らえば殺す。

 ひ、と声が漏れた。


「解って……ます。すいません……」


 彼から目を逸らせば、浅葱さんと音納ちゃんは、向けられた木賊さんの視線にびくともせず、じっと見つめ合っていた。かなり険悪に。


「さあ、じゃあ帰ろうか。零」


 まだ睨み合っている。本気で、というわけではなさそうだ。


「れーい」


 後ろ姿に木賊さんがそう声をかけ、浅葱さんが大きく舌打ちをしたことでその場は丸く――舌打ちをしている時点で丸くと言えるのかは不明だ。少なくとも僕は言えないと思っているが――収まった。

 僕には少し疑問に思うことがある。それはこの二人が、どこから、どうやって入ってきたかということだ。鍵はかかっていたままだったし、第一カードキーが無ければロビーから奥に入れない。それにここは三階だ、窓から侵入するにしたって式者じゃなければ不可能である。


「……あ、そう言えば驟。バイク二人乗り」

「え、あー……そうか。そうだったね、うん」

「お前が歩くか?」


 なんでそうなるのさ、と零した木賊さんは僕を見た。


「君、能力なに?」


 浅葱さんが値踏みするようにじっくりと視線を向けてくる。

 ここで変に事を荒立てれば、僕はどうなってしまうのだろう?


「わかんないです」


 これは嘘である。と同時に事実でもある。僕に式者としての能力があると分かっていても、自分自身にもそれが何の能力かは分からないのだった。進んでどこまでやれるのか、なんて少年漫画じみたことをした覚えもない。

 そもそも僕は事勿れ主義者だ。平和なら平和な方がいいし、わざわざ争わなくていい人と争うような真似はしたくない。

 だから僕は正直でいようと決めた。少なくともこの二人の前では。


「……よし、じゃあ驟お前歩け」

「えぇー、結構遠いじゃない、嫌だよ。君が歩きなよ」

「俺は運転しなきゃだろうが」

「俺だって運転くらい出来るんだよ? 知ってた?」

「嘘はいいから」


 僕のことで揉めている。論点はバイクに誰が乗るか、でいいんだろうか。運転免許を持っているのは浅葱さんらしく、必然的に僕か木賊さんが何らかの手段でどこかへ向かうことになるらしい。


「こいつはどこ行きゃいいか分からんだろ。お前あれだ、バス乗れバス」

「えー、バスー?」

「経費で落ちるだろ」

「解った解った。乗るよ」


 ひと段落ついたらしい二人はおもむろに部屋の窓を開け、木賊さんが窓枠に足をかけたのをきっかけに、浅葱さんが僕を担ぎ上げた。いわゆる俵担ぎだ。布団を干す時のように腰から二つに、胸と背中側に曲げられる。不思議と苦しくはない。

 いやこれ誘拐なのでは?

 木賊さんが窓枠から跳んだ。そう言えば二人は靴を履いていない、靴下のままで部屋にいたのだった。浅葱さんが窓枠から跳び立った時、誰も触っていないのに、窓がひとりでに閉じた。鍵もかかったようだった。


「うわ、っ!」


 当然、風圧が僕にかかる。とても、とてもゆっくりに感じたが、確実に落ちている。三階だから落ちても骨折くらいで済むか……って馬鹿!

 ぶつかる、と思ってぎゅっと目を瞑ったが、いつまで経っても衝撃は訪れない。どころか心地良い風が僕の頬を撫でた。

 恐る恐る瞼を開けると、筆舌に尽くしがたいものが僕らの周りを舞っていた。赤、青、緑、黄。そして白。色とりどりの文字記号が列を成してくるくると回転しながら、天へ昇っていく。これはきっと構成式だ。しかし誰も式に手を加えている様子はない。今にも舞踏曲が流れ出しそうな、豪華なダンスホールにいるような、不思議な感覚を覚えた。

 まさに構成式というプログラムを識る者──そして構成式という、舞踏曲を指揮する者。

 嗚呼。

 僕が式術を使うより、ずっと優雅で、無駄がなくて。


「大丈夫だったか? 朔真」


 ああ天才とはこの人のことだ、と。薄く笑む目の前のひとを見て、そう思った。

 ふわりと風に持ち上げられ、優しく地面に降り立つ。木賊さんは「先に行ってるよ」と手を振って行ってしまった。僕の靴も気が付けば足元にあって、浅葱さんの顔を一瞥すると、僕はそれに足を納めた。


「さてと。行こうか」


 浅葱さんはマンションの敷地外、植え込みの近くに停めてあったGSX-R1000というバイクに手をかけた。

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