帰還
僕と同じくやっと動けるようになったのだろう、木賊さんが答えてくれる。
「……咬喰真理。〈暴食〉の呪われだよ。まさか、こんな小さな拠点にいる、なんて」
「訂正。あいつは部下が泣きついてきたからここにいたんだ。なんだかんだで面倒見いいからな、無駄に」
浅葱さんが溜め息を吐き、手袋を白から黒に変えながら言う。何故そんなに奥まった、深いところまで知っているのだろうか。僕はそれを含む、もう三つの疑問のうち一つを口に出した。
「呪われって何ですか?」
「呪いをかけられた側の奴のことだよ。咬喰真理は〈暴食〉の呪われだから、何でも喰う呪いがかかってるんだ」
「俺がかけたんだけどな」
また原因は浅葱さんらしい。トラブルメーカーというか、なんというか。わざわざ敵を強化してどうしようというんだろう。
崩れた廃墟を見て深く溜め息を吐いたのは木賊さんだ。崩れてしまって証拠もどこかにいってしまったら、溜め息も吐きたくなる。法を犯した人外をあと少しで捕まえられたのに、と思うと僕も悔しい。
浅葱さんでさえ悔しそうにがしがしと頭を掻いている。諦めムードの中、浅葱さんの携帯が鳴った。
「……浅葱です」
嫌そうに電話に出たものの、相づちの打ち方から見て、目上の人らしい。敬語を丁寧に使っていた。了解ですと電話を切れば、僕を見て事務的な口調で、歩き出しながら言う。僕も後を歩きながら聞く。木賊さんは手袋を白から黒に変えていた。
「局からメディカルチェックの通達だ。帰ったら採血と適性検査、健診な。俺らも定期検診とバロンのメンテ」
「適性検査って、なんの適性ですか?」
「バロンの。あと身分証の写真撮って、隊服のサイズ測って。顔合わせだろー、入局式が二週間後くらいか。あ、それと。研修で本部行くから、パスポートとっとけよ」
浅葱さんは指折り数えながら、忙しくなるからな、と付け足した。思ったよりやることはたくさんあるらしい。
路地から通りに戻り、歓楽街を抜ける。居酒屋や屋台が多く立ち並んだりする場所だ。すごいところでは遊郭のような赤い格子の中に女性がいる。二人が眉一つ動かさないで通り抜け、後から僕も俯きがてらについていって、壁の麓に着いた。
来た時と同じように浅葱さんが警備係と少し会話し、最後に何かを見せて、門を開けさせた。行きに見たのと同じタイプのオートマタが僕に手を振っている。銀色のツインテールをした女の子の造型だった。可愛い。
最後尾の僕が門を通りすぎると、門は閉まった。
「歩いて帰るの、めんどっちいな」
「今だけは同感。魔術式使えば?」うへえ、と舌を出しながら木賊さんが答える。
「たとえば?」
「たとえば、転移式とか」
「それより空間式の方が負担が軽いんだけど」
「うるさいなあ。俺の戦術にケチつける気?」
「今は戦闘中じゃありませ~~~ん」
二人とも辟易した様子で、ああでもないこうでもないと議論を交わしている。……いや、正直に言えば喧嘩や悪口、だが。こんな大人にはなりたくない。木賊さんの【消去】ではどうやったって局まで一瞬でたどり着けない。……そういえば、浅葱さんの固有魔術って何だろう?
わかった、と先に膝を打ったのは浅葱さんだった。
「じゃあ転移式書く。俺は局に戻ったらなんか食って寝る。トクは後でケーキ奢れよ」
彼は羽織の下、腰裏辺りに手を突っ込み、一冊の本を引っ張り出してきた。黒と青のその本を、僕はどこかで見たような気がする。あくまで気がする、だ。どうせ気のせいだろう。
その本を開き、口の中で何かを唱え始める。詠唱だ。僕を家から連れ出す時も、咬喰真理に攻撃を仕掛けた時も、一度も詠唱しなかった彼が。
「集合ー」
両手を広げてそう呼ぶので、僕は素直に近づいた。式が渦巻いて光る手で手を握られる。書き換えられた式は馴染むまで、普段通り宙を舞ったまま、光るのだ。火は赤に、水は青に、風は緑に、土は黄色に、そして命の源泉は白に。
「何?一人だけ歩いて帰る?これ俺が情けかけてやってんすけど?」
「あーもーわかったよ!触ればいいんでしょ触れば!」
木賊さんが汚いものに触るように人差し指で羽織を摘まむ。
「それカバネなんですけど馬鹿なの?俺に触らないと意味ないんですけど馬鹿なの?」
「うるっさい!」
嫌そうに、ひどく嫌そうに、見ているこっちが可哀想に思えるくらい嫌そうに浅葱さんの手を握った。互いに顔を歪めている。ゴキブリにでも会いました?
「まだ!?」
「待てって、こっからなんだよ!文句言うなら歩いて帰れ!」
目を閉じて念じるように式を書き換える浅葱さんの速度は、普段より少し早いように思えた。あまりに木賊さんと手を繋いでいたくなくて、ということだろうか。
最後に一言叫ぶ──僕が聞いたことのない言語、発音だった──と、視界が構成式の色に包まれる。白、赤、青、緑、黄だ。
次に目を開けると、僕たちはリュケイオンのロビーにいた。
「疲れた」
ぼそりと呟いて三人掛けのベンチに寝転がる。
「大丈夫ですか?」
「真理と戦うよりしんどいかもしれない……朔真、ラウンジでなんか貰ってきて、飲みもん」
「了解です、けど、ラウンジってどこです?」
「廊下ぐるっとしてみろ……」
うー、と呻く様子は二日酔いでもしたかのようだった。早く貰ってきてあげよう。
僕はわかりましたと返事をして、早足で廊下を進んだ。何人かの職員とすれ違い、学生服だからだろうか、疑わしげな視線で見られる。気にせず円形の廊下を進んでいくと、丁度ロビーの裏側辺りに入り口があった。扉の横のプレートにラウンジ、と書いてあることを確認する。
他の部屋と違い観音開きになっている扉を開き、そっと中に入った。
内装はラウンジというより、パーティー会場に近い気がした。通路に赤い絨毯が敷かれ、中央には大理石のような机が点在している。入り口から見て右側に関係者以外立ち入り禁止の部屋があった。恐らく調理場だろう。その反対、左側には何故かビリヤード台がある。誰も使っていないらしく、埃を被っていた。
「誰だ?」
ふと聞き慣れない声がした。窓に添ったカウンターからだ。そちらを見ると、褐色の肌をした黒髪の男性が座っている。僕を見据えるその双眸は、僕と似た金色で、けれどどこか違う──砂漠、を閉じ込めていた。
外国の人だろう、服装もアラビアのような布のものだった。裾の膨らんだ膝丈のズボンとサンダル、金の装飾具を着け、上半身には何も身に纏っていなかった。もう十月だが、寒くないのだろうか。
「……おい?」
珈琲のカップを片手に僕の目の前まで来て、ひらひらと手を振る。それで我に帰った僕は慌てて名乗った。
「か、神無木朔真です。今日から戦闘班に入りました」
「戦闘班か。何隊?」
「えっと……木賊さんや浅葱さんがいて」
「有原隊! へー、あの万年人手不足隊にねえ」
「そうなんですか?」
「まあ、人数が足りないだけなんだけどな。そのおかげで、ちょっとしたことで最高戦力が駆り出されるけど」
彼は珈琲を一口飲むと、カウンターに僕を誘った。言われるがままついていく。
浅葱さんに何を持っていけばいいか、ついでに聞いてみよう。
「俺はアリババ。警備班の班長だ。よろしくな」
にっと笑う彼は、まだ少年らしかった。太陽みたいで、きらきらと輝いて。
僕は眩しさと温かさに頬を緩ませながら、よろしくお願いしますと返した。
◇
「持ってきましたよ。大丈夫ですか?」
スポーツドリンクを紙コップに注いで戻ってくると、浅葱さんは咥え煙草で座っていた。確か禁煙だったはずだが。
「おー、ごくろー……」
ひらひらと手を振る。携帯灰皿にちびた煙草を押し付ければ、コップを受け取り一気に飲み干した。
「木賊さんは?」
「多分……部屋、じゃねえの」
大きく欠伸をした彼は、少し離れたゴミ箱にスリーポイントシュートを決め、自分で自分に「ナイッシュー」と気だるげに言った。派手な音を立てて紙コップが沈む。子供だなあ、と思った。
「浅葱さんと……朔真くん、やっけ、第二医務室空いたで検診しよか」
黒髪眼鏡、耳にピアスをした白衣の男性がカルテを片手に現れた。笑顔だ。どことなくヤンキーに見えるのはピアスのせいだろうか。
「げ、静咲真白」
「げ、とは失礼やな」
「お前の検診痛いんだよ!」
「せやかてなぁ、俺も精一杯やっててんで?」と静咲さんは息を吐きながら、やれやれと首を振る。
「卿の都合なんぞ知るか!」
絶対行かないからな!と叫ぶ浅葱さんを引きずるのは僕の役目だった。




