prologue
それは確かに小瓶だった。
透明なガラスの中には小さな人形が入っており、コルクで蓋がされている。人形は綿が詰められている風でもなく、むしろ人間のように生き生きとしていた。大きな黒目と艶やかな黒髪が印象的で中性的な人形は、身動ぎ一つせず瓶の中に横たわっていた。
僕は小瓶を手に取り、暫く眺めてみる。服は上下ともに部屋着向きのもので、ありふれた量産品らしい。こんなに出来のいい人形ならば嗜好品だろう。落とし主が困っているに違いない。大人しく交番へ届けることにした。届けなかったことを後悔したくなかったし、この小瓶を心配する羽目になるのも嫌だった。
瓶をズボンのポケットに滑り込ませる。そのまま家へ向かった。僕の通う高校からそう遠くない場所にあるマンションの三階が自宅で両親は不在、金銭面は全て叔父さんが賄ってくれている。その代わり彼は勤め先の要職にあるため、家に帰って来ることは滅多にない。つまるところ、一人暮らしというわけだ。
いつもと変わらない通学路を帰り、カードでオートロックを解除して、開いた自動ドアをくぐる。エレベーターの軽快な音が耳に残った。
◇
小鳥の囀りで目が覚める。昨夜机の上に置いたはずの瓶を見ると、綺麗に無くなってしまっていた。
泥棒だろうか、風で倒れたのだろうか。泥棒であればもっと部屋が荒らされていてもいいはずだし、風で倒れたのなら窓が開いていてしかるべきだ。なのでどちらも違う。
寝ぼけ眼で体を起こし、ベッドを降りた。ついこの間整頓した机の上を探しても、引き出しを漁っても、ベッドの下を覗いてみても、瓶は見つからない。どうしたものか。交番に届けようと思って持って来てしまったが、見つかれば警察に突き出されるのではないか。法律に疎い高校生なりにそんなことを考えてみる。
ふとコンコン、とガラスをノックするような音が聞こえた。僕が音のした方へ首を向けると、そこには、昨日拾ったものと同じ小瓶が転がっていた。いや、転がっていたと言うと語弊がある。立っていたのだ。昨日と変わらぬ姿勢で、別の場所──窓のサッシ──に。机からサッシまでは数メートルあり、とても転がって移動できる距離ではない。というかそもそも瓶は自分で動いたりしない。
「ここですよ!」
瓶の中から幼女のような声がし、再び瓶のガラスがノックされる。
(人形が喋った!)
昨日拾った黒髪黒目の人形が口をきいた。よく出来た人形だなあと思っていたが、喋れたのか。
「え……っと、その。誰……?」
「音納と言います!」
音納ちゃんは笑顔で敬礼をして、僕をキラキラとした瞳で見つめてきた。
が、生憎とそんな時間ではない。もう直ぐ学校が始まるし、確か五限目には特別授業があったはずだ。僕は彼女に苦笑いを返し、学校に向かうべく準備を始めた。パジャマを脱ぎ、シャツに袖を通し、上から学ランを羽織る。時計を見れば登校時刻まで幾ばくも無い。朝ご飯は抜いていいか。
あ、そうだ。
「君はご飯どうするの?」
ぱあっと音納ちゃんの目が輝き、「ほしいです!」と言う。人形は何を食べるんだろうか。
「チョコレートとか溶けるものじゃなくて、飴だとか、お菓子だとか、そういうものがいいですね! ご飯らしいご飯はお断りします!」
「飴しかないけど、いいかな」
「もちろんです!」
僕は引き出しから飴の小袋を取り出し、封を開けて瓶のコルク栓を抜いた。何故引き出しに飴があるかと言うと、単に僕の好物で、勉強の合間に口に入れるからだ。赤いそれを小さな口から押し込めば、彼女は抱き枕か何かのように飴を抱き抱え、鋭い犬歯で噛み砕き出す。
「夜ご飯もお願いしますね!」
「うん、分かった。行って来ます」
「行ってらっしゃいですー!」
壁に手をつきながらスニーカーを履き、僕は家を出た。