② 黒の世界と赤の世界
二話目です。
昼でも凍る黒の森、ウッズワールド。
縦横300km以上に渡り広がるそこは、数えることも嫌になる無数の木々が重なる鬱蒼とした巨木の森。場所によっては、一寸先も見えぬほど、柔らかな肉ならば傷だらけにされるだろうギザ葉の群れが、鋭利な切っ先をあちこちに向けたまま上も横も梢の先までどこまでも続いている。
全高70尋を超えるアフレアの巨木たち。その半分程の高さだが、木漏れ日を拾う為に葉を広く大きく広げるように進化した、幹も枝も先に行くほど板の様に細くなり傘の様に体積を増やして繁るオルダミス。その下には、陽光が届かなくても生き残る為に、他の木の幹や生物の死骸に根を刺し巻き付いて栄養を取得することに特化した青い花、コーカノーシス。
それらが唐草模様のごとく空中の一定部分まで隙間なく空間を覆いつくし、太陽を一日中見ることすらできない闇の世界を創り出す。
そのせいで森の中心部にもなると、夏でも冬でも洞窟の奥深くの様に年中温度が十度前後で一定で、夜目が利かないと生きていけない闇の場所となっている、らしい。
【黒の世界】と呼ばれる所以だ。
この辺りの周辺部ではそこまでではないが、それでも空はまるで見えない。温度は20度~マイナス五度くらいの間で変化はするが、湿度は低く一定で比較的過ごしやすい感じだろうか。だが、場所によっては沼地となり、底なし沼で死地となる。毒を持つ生き物であふれた地域も存在するし、湿度も跳ね上がり霧に覆われ過ごしにくい箇所もたくさん存在する。森で生まれた存在以外には生きにくい場所だと思う。
しかし、この森のおかしな処は、それだけでは無い。
(生き物の数が、尋常じゃない、よねえ。他に比べて、やっぱりこの森)
地面にも、落ち葉や朽ちた木々の中にも、陽の差さない場所専門の、普通なら洞窟などに棲むはずの植物や虫やそれ以外の無数の生き物たちが蠢いている。数多に生える蔦と根と苔に覆われた土の上で、生命の音を奏でている。
長年の巨木の重みで地面や岩盤が潰されているからか、森内の高低差はあまりない。進みやすくはある。が、そのせいで川も地下に潜ってしまっていて、
方向感覚が狂いがちとなっている。
さらにこの森の恐ろしさを強くしているのが、中心部のどこかの穴から漏れ出している【瘴気】と呼ばれる毒の気体だ。それが人里まで来ることは滅多にないが、それのせいで生き物の大半に根幹で狂いが生じてしまっている。
それを吸い込んだ状態で長く過ごした生命は、変質していく。生殖能力は低いが遺伝もするし、凶暴で、その上それぞれが数個ずつの特殊能力を持つ変異体、【マモノ】。そのあまりに世界と相いれず、世界の調和に対して唾を吐いているかのような存在がかなりの数生まれ、蔓延っている。
ゆえに、有用な薬草や資源が、総量で大陸全体の数千~数万年分以上豊富に埋蔵されていると云われているにも関わらず、この森は【黒の世界】として太古の昔から放置され続けてきた。
ここは誰も踏み込まない世界最大の禁域。ただ時折、死んだ僕みたいな無謀な馬鹿が必要に駆られて命懸けで挑み、大半が命を落とす。そんな場所。人の世にありながら、人の世界では生きられない隔絶された生物たちの聖域だ。
最後に振り返り、自分の遺体を瞳の奥に焼き付ける。目印が無い以上、この場所に戻ることは難しいだろう。回収される見込みも望みも全くない。
すぐに他の何かの餌になり肉は消え、骨もこのまま朽ちてゆくのだろう。
家族はとうに無く、変人として村人からも留学した【辺境の賢者塔】の同期からも扱われ遠巻きに避けられた。気にしてくれたのは最早、幼馴染みだったナーシャ・ユイエルただ一人な状態だった。
そんな自分だ。森が巨大な墓と思えば悪くはない。
ただ、唯一気にかけてくれた彼女だけは、救ってからでないと死ぬわけにはいかない、死ぬに死ねないと心に決めた。
もう、人の世界には戻れないだろう。【マモノ】のネズミの寿命がどれくらいなのかは分からないが、この先10年生きることはないだろうし、生肉食で病気にならない訳もないだろう。今は大丈夫だが、そのうち精神が【マモノ】に負けて人を襲いだすかもしれない。
つまりはもう、人間の世界では生きられないのだ。関わることすらできないだろう。
ならばこれが、人に関わる最後の行動だ。
この身体には悪いが、命を含めたすべてを懸けて、達成させてもらおうか。
インナー使用のミニバックの中身、先ほど選別して入れ直したわずかな荷物から、方位球を取り出した。僕お手製の品で、石英ガラスの球体内に針磁石を封印し吊るしたもの。ガラスは割れないように毛皮で覆って包んでいる。球体内の中心に吊るすことで三次元方角が分かり、二つあれば刻んだ目盛りで三角測量もできる優れもの。【大陸都ミースクメイヤ】とやらの【大賢者の学院】にすら無いはずの、僕だけの発明品の一つだ。
その台座を両手で抱え、地面にゆっくりと置く。体が小さいと一苦労だ。
ここが森のどこかかは分からないが、村は森の北西側だ。
揺れていた針が止まって北を差す。静かに鞄に方位球をしまうと、ヒモを首にかけ鞄を背負う。僕は差された北を頭に描き、北西の方向へ全力で走り出す。
直後。頭上を大きな尻尾の一撃が切り裂くように走り抜けた。
ゴウッと風の音を残したそれに肝を冷やす。走り出そうと姿勢を下げた状態でなければ四つ足の背骨辺りをごっそりと削られていた気がする一撃だった。
横の茂みが音を立てて左右に開いてゆく。すぐ傍まで気配を消して近寄っていたイタチ型の【マモノ】が、尖った鎌のような尻尾を立てて赤い瞳でこちらを向いた。見下ろされた視線が絡む。闇夜にそれが光を発し、急激に膨らんだ殺気と共に、獲物を逃がしてたまるかと雄叫び挙げて牙を剥く。
獣道すら殆どない鬱蒼とした茂みの全てが振動する。ビリビリとした波動が四方に広がり波紋を生んだ。
刹那、無意識に捻った体と尻尾の横を鋭い爪が通り過ぎ茂みを削った。
赤い瞳がこちらを睨む。本来なら、あの叫びには獲物を硬直させる効果があるのだろう。だが、体が【マモノ】に変わったからか、人の知識があるからか、僕は何とか動く体を叱咤して再度全速で走り出す。
奴は怒りの声を張り、すぐ後ろを追ってくる。
葉や枝や根などの障害物を駆使し、ジグザグに翻弄しながら機会を探す。折れた大枝が横倒しになっているのを見つけた僕は、その下を潜り抜けた直後、直角に曲がり折れ間の隙間に潜り込む。急いで、走りながら尻尾を駆使して鞄から取り出し口に咥えていた、音声起動式の懐中電灯用【発光石】を吐き出した。
「チーカ!」
ネズミの声帯でもギリギリ発声できたようで一安心。賭けに勝ったらしい。
放り投げる。空中に飛んだ小さな石が、直後、根を潜り抜けてきたイタチの目の前で爆発的な光を発して瞳を灼いた。緊急起動の信号弾コードだ。
「GYUGIYYYYYYYYYYYYY!!」
金属を引っ掻いたような悲鳴が響く。
「どうだ、闇に慣れた目には効くだろ?」
痛みで叫ぶイタチの【マモノ】の真下で呟く。ペーパーナイフを口に咥えて懐に飛び込んだ僕は、跳び上がり捻りを加えて怯んだ敵の喉を突く。
さらに激しい絶叫が耳に届いた。悲鳴も溢れた血の臭いももう止まらない。
すぐに抜いてその場を離れる。殺しはしない。そんな暇はありはしない。早鐘のように打ち続ける心音を聞かなかったことにして、散らばる荷物をかき集め、一目散に走り離れた。
今度はさっき逃げた時のように足音を消す余裕はなかった。
すぐに離れないと、音と血の匂いでさらに大量の【マモノ】がここに現れてしまうだろう。
(持って来られた道具は、発光玉が五つ。音玉があと四つ。そして方位球と小型のノミとペーパーナイフと小物が幾つか。薬草が五束とあとは、コップ用のペンキャップ。それだけ、か)
心許ないにも程がある。
が、もとより、人間としての自分も失敗した難しいミッションなのだ。これだけでもあるだけ有り難いと、そう思うしかないだろう。
血の臭いが広がったせいで周囲一帯の生物の気配が、思った通り急速に高まってきていた。やはりあちこちに、隠れていたモノたちがこんなにも沢山いたのだ。その大半が血を流す弱った相手の方へと大河のように移動してゆく。その濁流の如くの気配が感じられる。これもこの身体の能力の一つだろうか。
気配を殺して様子を伺っていた敵の大半を置き去りに、残った少数の、こちらに気付いた手強そうな相手を後ろに引き連れて、元人間だった賢者が走る。
それらの騒動を、静かな金色の両目で見守る鳥が、はるか上空の突き出た枝の一つにいた。その梟は、首を器用にクルクルと回しながら、バサリと羽音を一つ立て。それだけで、それ以降音もなく空を滑って姿を消した。
黒き闇色の森の中、木の葉が敷き詰められた地面の上を必死になってネズミが走る。
巨大な世界を舞台にした、人知れない小さな冒険が今、始まった。
三話目は、四話目までは下書きは書けているので、打ち込みができれば6日の同じ時間に。
タイトルは「③ 友達と覚悟と望みと我思う その一」です。
追記
すみません。会社のロッカーに下書き忘れてきましたので、打ち込むのは明後日になります。
よって、投稿は、八日の夜中になります。
二話分連続投稿しますので、許してください。
申し訳ありません。




