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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第一幕 竜と猫のお話
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その5

「も、もう水は勘弁にゃ。ネコビトは泳げないにゃよ」


「ゴメンね」


 意識を取り戻したミュシャに怒られながら、ヒビキはしょんぼりと頭を下げる。

 カッカとした少女に対して反論の一つもしないのは、全面的に己が悪かったと分かっているが故に。


「僕、動くの苦手だから」


「それで!? そのスペックで運動苦手とか言うにゃか!?」


「……センスの問題?」


 運動音痴。身体を動かすセンスと言う物が、致命的なレベルで欠如している。

 圧倒的な身体能力に対して、それを扱う内面が発達していないのだ。


 襲い来る怪物に対しては、捕食者としての本能に身を任せる事で対処できる。

 だがそんな獣の本能が役に立たない場面においては、ヒビキは完全にお荷物としか呼べないレベルで無能であった。


 それも当然、彼のそれは生まれ持った物ではなく、後天的に植え付けられた物であるが故に。

 圧倒的な性能を誇るハードに対し、それを処理するソフトが全く追い付いていないのだ。


「ふにゃ~」


 誤算である。全くの誤算であった。


 こと戦闘に限れば世界最強クラスの人材。そして探索を得意とし、この遺跡の構造にも詳しい自分。

 自分達二人が協力すれば、まずこの王墓はあっさりと攻略できると踏んでいたのだ。


 だが、その予想が外れた事を、楽観し過ぎた故と否定する事は出来まい。


 一体、誰が予想出来よう。

 これ程に桁外れな身体能力を持ちながらも、彼が戦闘外では全くの役立たずであったなどと。


「これから、どうするにゃよぉ」


 呟く声には力がない。見上げる天上に開いた大穴は、余りにも遠い。

 空を飛べる種族でもない限りは、あの場所へ舞い戻る事など出来はしないだろう。


「……僕がミュシャを抱えて跳ぼうか?」


「それは絶対にノーサンキュー!!」


 ぼんやりとした瞳の竜がそう提案するが、一秒と間をおかずに却下する。


 戦闘が関わらない限りは無能な彼の事だ。必ず何か失敗する。

 ミュシャを抱えたまま大きく跳び上がり、周囲の岩盤に突っ込む光景が目に浮かんだ。


 ぶるりと身体が震える。無駄に頑丈なヒビキは兎も角、ミュシャはザクロのペーストになるであろう。命は投げ捨ててはいけないのだ。


「じゃぁ、あっちに行ってみよう?」


「ふにゃ?」


 そんな風に震えるミュシャに対し、ヒビキは下流の先を指差し示す。

 明かりのない暗闇。夜目に秀でたネコビトの瞳でも見えない闇の先にあるナニカを感じ取ったのか、ミュシャはごくりと息を飲んだ。


「にゃんか、嫌な予感するんにゃけど」


「そう?」


 震えるネコビトに、返る言葉は能天気な物。

 全身の毛が逆立っているのは、唯の恐怖かはたまた別の要因か。


「ふにゃ~。……だけど他に道もないにゃよね」


 だが、その先に進む以外に道はない。


 上に跳ぶのは自殺行為で、水脈の上流へ続く道は途中で途切れている。

 自然上流を目指すならば泳いで移動するしか術はなく、泳げない少女にとってはその時点で選択肢から除外である。


「取り敢えず、進んでみるかにゃ」


 少女は諦めたかの如くに溜息を吐いて、その掌に小さな光を生み出した。





 二人は川沿いの砂浜を連れ立って歩く。

 おっかなびっくり進むミュシャに対して、ヒビキは興味深そうに周囲を見回していた。


「けど意外」


「何がにゃ~?」


「砂漠の下、こんなに水がある」


 少年の意識の大半を占めているのは、砂漠の地下にあるこの地下水脈に対する興味である。

 砂漠と言う土地を知識でしか知らなかった少年にとっては、水のないというイメージの強かった砂漠の地下にこんな場所がある事自体予想外な事だったのだ。


「ああ、それかにゃ」


 そんな砂漠の実態を知らない人間の陥りやすい誤解に一つ頷いて、ミュシャは胸を張って何処か自慢げに説明を始めた。


「砂漠に馴染みがにゃいと余り知らにゃいだろうけど、地下深くには大体水脈がある物にゃよ」


 生物が生きるには、必ず水が必要だ。

 それは人間種に酷似した亜人種であっても変わらない。


 イワビトやスナビトなどの様に、水が必要所か害になると言う種族も確かにいる。

 だがそう言った人の生態とかけ離れた亜人程、精霊との親和性は低くなる。精霊術が使用できる程に人間種に近いネコビトと言う存在は、当然の如く水を必要とする種族であった。


「こうした水が、オアシスに流れ込んだり、村の生活用水とかに使われるにゃね」


「へー」


 そんなネコビトの言葉に、微睡む竜は何処か興味深そうに首を振る。

 砂漠について疎いその様子にミュシャは、抱いていた推測が確かな事実であったのではないかと、確かめる為の問いを投げ掛けた。


「けど、そんにゃこと聞くっていう事は、やっぱりヒビキはこの辺の出身じゃにゃいんかにゃ?」


「……うん。もっと、人が多い場所に居た」


 その問いの返答は、予想通りで予想外。

 砂漠の知識がないのは当然で、だがこんな世間知らずが都会から来たという事実が意外であった。


「人が多いって、ちょっと意外だにゃ~。中央大陸の聖都……はまずにゃいから、東か西から来たのかにゃ?」


 正直、その言動は信用できない。だが、さりとて嘘を吐く理由がない事も確かだ。

 故にミュシャは人の多い都会の出身者であっても、箱入りならば常識に疎くなる事もあるかと納得した。


「ううん。もっと遠く」


 中央はない。北は遠過ぎる。ならば東西のどちらかであろう。

 そんなミュシャの下した判断に、ヒビキはこてんと小首を傾げた。


「……中央はないって、どうして言えるの?」


 確かにヒビキは、中央大陸より来た訳ではない。寧ろその逆、中央大陸を目指している少年だ。

 だがそんな事が直ぐに分かる物だろうか、其処まで複雑に思考している訳ではないが、似た様な疑問を抱いた少年がそんな風に問い掛ける。


 そんな少年の純粋な疑問の瞳に、ミュシャは何処か言い辛そうに言葉を口にした。


「にゃ~。……中央大陸はにゃ~、ミュシャ達みたいな亜人種への差別が酷いにゃよ」


「差別」


 人種差別。それはヒビキも言葉だけは知っていて、現実的には見た事もない光景だった。


 飽食の時代。物資に満たされた社会で生きた少年は、そんな光景とは無縁に育った。

 平和な国の地方都市で生まれ育った子供にとって、差別など教科書で学ぶ他人事でしかないのである。


「教会が率先して、亜人廃絶を掲げてるんだにゃ。殺してやるのが救いだとか、真顔でそんな事を言うんにゃよ」


 対するミュシャとて、その内実の全てを知っている訳ではない。


 余りにも魔物の勢力が強く、その大地の八割以上が未開の地である南方大陸。

 そんな生きる事自体が困難な大地で、差別と言う行為を行う者などまず居ない。此処は人類にとっては敵地であるが故に、協力できる者同士で争う事など自殺行為に等しいのだ。


「中央に、亜人は行けない?」


「行けにゃくはにゃいけど、……すっごく難しいにゃ」


「……それは、困った」


 だが、それでも今のヒビキにとって、その事実は他人事では済ませる事が出来ない。

 中央大陸。其処を目指す少年にとって、亜人種だと思われる外見になってしまった少年にとって、亜人が真面に生活出来ないと言う中央大陸の状況は決して望ましくはないのである。


「中央に行かないといけない理由があるのかにゃ?」


「うん。旅の目的」


「そう言えば、何か目的があるって言ってたにゃね。それが中央大陸なのかにゃ?」


「それも、目的の一つ」


 ヒビキの目的は、中央大陸へと向かうこと。

 それが彼にとって、大目標を達する為に絶対に必要な事の一つであった。


「“剣”が教えてくれた。彼が召喚された場所」


 中央大陸。其処は伝説の勇者が、初めてこの幻想の世界へと降り立った場所。


「中央大陸の聖都。勇者降臨の地。……其処に行きたい」


 中央大陸を席巻する法治国家シィクリード聖王国。

 その王国の首都。世界最大と言われる都市こそ、聖都グロリアス。


 その場所こそが、二十年前に伝説の勇者が召喚された聖地。

 大切な友達が、始めてこの世界に訪れた。その足跡が残る場所。


「そこだけじゃない。もっともっと、色々な場所が見たい」


 聖都で呼び出された彼は、世界全土を旅して回った。

 蒼き聖なる剣を手に、この世界を救い、守り、導いた。


「彼が歩いた、この幻想の世界を心に焼き付けたい」


 その原動力となった何かがきっとある。

 彼が守りたいと願った何かが、其処には必ずある筈なのだ。


「彼が見た物をみたい。彼が知った事を知りたい」


 きっとそれを知れば、自分だってそう思える。

 きっとそれを見れば、自分だってそう思える。


 余りにも醜悪な地獄の底を見て来た彼だからこそ――


「彼が守った世界を、この目で見たいんだ」


——大切な友達が守ったこの世界を、愛せるようになりたいのだ。


 微睡む竜の瞳は、その瞬間だけは確かに前を見詰めていた。


「……それが、ヒビキの理由かにゃ」


「うん」


「そっか」


 だからこそ、その願いが切なる物だと分かった。

 だからこそ、その祈りが深く重い物だと分かったのだ。


「叶うと良いにゃね」


 故に素直に思う。叶うと良いな、と。


 切実な願いは叶うべきだ。純粋な想いは届くべきだ。

 真摯に祈る理想が何も為せずに潰えてしまうと言うならば、世界は余りに救いがない。


 だからこそ、叶って欲しいと素直に思うのだった。






 そうして言葉を交わしながら、少年少女は掌の明かりを頼りに暗闇の中を進む。

 水辺の傍の砂の道。奥へ奥へと進む中で、ふとヒビキが岩壁を見詰めたまま、進む足を止めた。


「此処、何かある」


「はにゃ?」


 常の微睡んだ瞳。青と金の虹彩異色。その両眼が、暗い黄金に染まっていた。

 縦に割れた瞳孔。魔性を宿した黄金の瞳で、まるで憎むべき敵を見るかの如くに岩壁を睨み付ける。


「奥。この奥。開けろ、開けろって」


 世界の果てでナニカが叫んでいるかの様に遠く、或いは耳元でナニカが囁いているかの様に近く。


 薄い霧の向こう側。硬い扉の向こう側。

 距離感さえ掴ませぬ様に、呼び掛ける声を邪魔する物が其処にある。


 開けろ。開けろ。開けろ。壊せ。壊せ。壊せ。


 此処に己が居る理由。その暴威が壊すべきは、同胞を捕らえるこの檻か。

 それこそが己の存在理由であると、内なるナニカが叫んでいる。


「壊す」


 その拳を大きく開く。

 巨大な爪に覆われた五指は、牙が生えた顎門(アギト)にも見える。


 暴虐なる悪竜はその三つ首の一つを以って、己の同胞を抑え付けるそれを破壊しようと大きく振りかぶる。


「ちょ、ちょっと待つにゃよ!」


 今にも振るわれんとした拳は、傍らに居た少女によって止められた。


「これ、壊したら此処が倒壊するにゃ!」


 両手でその手を胸に抱いて、全身で振るわれんとする暴威を押し留める少女。

 その纏わりつく体温を鬱陶しいと、己の存在理由を妨げる女が邪魔だと、纏めて壊してしまえと悪意が沸き上がる。


「…………」


 それでも友誼を抱いている。

 この数日で好意を感じたのは事実であったから、黄金の悪意を蒼銀の善意が押し止めている。


 だがそれも、長くは持たない。


「……なら、どうするの?」


 まるで凪いだ海の如く無表情なその表層。だがその内面では、善意と悪意で荒れ狂っている。

 ナニカとの同調により膨れ上がる悪意の増大は止まる事がなく、思考を放棄していると言うのに善意が押し負けていく。


 語られる言葉が相応しい物でなければ、今直ぐにでもこの顎門は少女を引き裂くであろう。


 そんな命の危機に気付く事もなく、ネコビトの少女はヒビキの腕を解放すると岩壁に触れて、周囲を調べ始めた。


「にゃ、にゃにゃにゃ~」


 軽く掌で触れて、コンコンと拳で叩く。

 盗賊としての技能の粋を凝らして、少女は壁の異常を探していく。


「っと、あったにゃね」


 そうして少女は、壁面の一か所にある文様を見つけ出した。


「何、それ?」


「精霊石の刻印にゃよ。ここ、呪文さえ知ってれば、開けられる隠し扉にゃね」


 無表情のままに口にされる言葉に、猫耳少女は胸を張って答えを返す。


 この岩壁は、精霊の力によって形作られた偽りの光景。

 その偽装の奥には、確かな扉が存在する事を見つけ出していたのだ。


「……呪文、知らないよ」


「にゅふふ~。ミュシャは墓守の一族。そして此処はピラミッド直下の隠し扉。だったら、高確率で行けるにゃよ!」


 少年の様子に気付かぬ少女は、目的の物に近付いた現実に笑みを浮かべる。


 その頭に叩き込んだ王墓の構造図。

 此処は丁度、ピラミッドの玄室が真上にある場所である。


 そしてネコビト部族に伝わる一つの逸話。

 勇者は魔王との決戦に際し、王墓の玄室から続く地下水脈を通って魔王城へと乗り込んだと言う伝承があるのだ。


 それらから判断するに、この先には王墓の玄室が存在する。

 そう判断したミュシャは、高らかに扉を開く呪を口にした。


「墓守の主クロエが子、アランの血脈を継ぐ我はミュシャ。古よりの盟約に依りて、今此処にその役を果たすべき時が来た事を宣言する!」


 音を立てて岩壁が崩れ落ちていく。

 砕けて消えていく偽装の先に、浮かび上がるのは鋼鉄の扉。


「いざ、扉よ開け。我を王墓の底、眠りしモノが眠りし地へと誘うが良い」


 重厚な扉が音を立てて、ゆっくりと開く。

 その奥に続くのは、まるで天上の園へと続くかの様な白く長大な階段だった。


「やっぱり、此処がそうだったにゃ!」


「…………」


 溢れ出す光。階段の先より降り注ぐ輝き。

 それは精霊の力。大地の意志。瘴気を祓う星の輝き。


「やったにゃ、ヒビキ! この先がきっと、王墓の最深部にゃ!」


「……そう。この先に」


 その清浄な輝きに、少女は歓喜を露わに小躍りする。

 その不浄を祓う精霊の力に、悪なる竜は忌々しいと眉を潜める。


 全ては、そう。この先に――


「ほら、ヒビキ」


「?」


 頭上を睨み付ける竜の視界に入った少女が、その小さな手を差し出した。


「行くにゃ!」


 その腕はまるで小枝の如く、その気になればあっさりと圧し折れそうな程に脆い物。

 握り絞めれば壊れる事は必定で、そんな怪物の前に何ら含む所もなくその手を差し出した。


「…………」


 そんな姿を前に、ヒビキは何かを感じ入る。


 蒼き輝きと同じ精霊の力に満たされた今、悪なる意志が先程よりも薄れている事も理由の一つであろう。


 だが、それだけではない。そんな何かを感じたから――


「うん」


 虹彩異色のその目で確かに少女を見詰めて、差し伸べられたその手を取った。


 二人の少年少女はその手を繋いで、光り輝く階を上る。

 その先にあると願う、そんなナニカを求め目指して――






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