その3
◇
夕焼けに染まる砂の大地。
茜色に照らされて、聳え立つは黄金の墓標。
外装石を積み重ねて、三角錐の形をしたそれは紛れもなく――
「おったからざっくざっく、ぴ~らみっど~!」
僅かな段差が用意された石の山。
その中腹と言うべき場所に立ち、両手を上げる猫娘。
「にゅふふ~。秘法が眠ると言われる伝説のピラミッド。ミュシャ一人じゃ無理でも、ヒビキが居れば攻略なんて余裕だにゃ!」
伝説の秘法を求める少女に浪漫などは欠片もない。
彼女こそは欲に駆られた盗掘者。王墓を荒らす不届き者だ。
「どうやって入るの?」
そんな少女の傍らで少年がこてんと首を傾げる。
なだらかに積み上げられた外装石に隙間はなく、侵入口などは何処にも見当たらなかった。
「壊す?」
外套の隙間から覗く異形の手を握り開く。
質の高い建材を使っているであろう事は一見して分かるが、悪竜の暴威に耐えられる程の石材などまず存在しない。
故に破壊しようと思うならば、それはあっさりと達成できたであろう。
「ちっちっちっ。そ~んな必要はないんだにゃぁ」
「?」
そんな提案をしたヒビキに、ミュシャは不適な笑みを浮かべる。
そうして尻尾を揺らしたままピラミッドに向き合うと、声を大にして言葉を紡いだ。
「墓守の主クロエが子、アランの血脈を継ぐ我はミュシャ。古よりの盟約に依りて、今此処にその役を果たすべき時が来た事を宣言する」
声に応えるかの様に、大地が鳴動した。
彼らが足場にするピラミッドが、確かに輝きを放って揺れ出したのだ。
「いざ、扉よ開け。我を王墓の底、眠りしモノが眠りし地へと誘うが良い」
重低音と共に、階段状の段差が広がっていく。
幾つかの外装石が位置を変え地下へと続く入り口が顔を見せていた。
「にゅふふ~。実はミュシャ達の部族って、この王墓を管理する部族にゃのよね」
「おお~」
自慢げに語る少女に対して、少年は感情の籠らない声音で口を開いた。
「けど、良いの?」
「にゃふ?」
「管理する部族なのに、盗掘」
小首を傾げる少年に、少女はさっと目を逸らす。
滝の様に汗を流すミュシャの胸中に、罪悪感がないと言えば嘘になるであろう。
「良いにゃよ。別に問題ないにゃ」
だが、少女はそう結論付ける。
結論付けるだけの理由があった。
「墓守部族って言っても、もう数十年は内部に入っていないにゃ。何か無くなっても、気付く事なんて出来ないにゃね」
だから何を盗んでも大丈夫。
何を持ち出しても、誰も気付けはしないのだ。
それは言葉通りの意味だけではなく。
それは単純に欲深いが故だけではなく。
「……それに盗み出しても、怒ってくれる人はもういないにゃよ」
小さく呟いた言葉には、何処か悲しげな色が紛れ込んでいた。
「…………」
その耳の良さ故に小さな呟きさえも聞き取った少年は、何と返すべきか迷う。
そんな彼の反応に苦笑いを浮かべた猫耳少女は、あからさまな表情で話題を逸らした。
「そうだ。知ってるにゃか?」
「?」
首を傾げるヒビキに、ミュシャは自慢げに豊満な胸を張る。
悲壮さなど欠片すらも見せない表情で、少女は一族に残る自慢話を口にした。
「ミュシャが生まれるより前の話だけどにゃ、此処にあの伝説の勇者がやって来た事があるにゃよ!」
街で芸能人に出会った事がある。
そんな程度の自慢話に、ヒビキが反応する。
「……伝説の勇者」
「そうにゃ。勇者も来る程の遺跡。これは確実に何かあるにゃよね!」
それは彼の旅路の目的を思えば、至極自然な事。
彼の生きる意味とも言える程に、重要な理由の確かな欠片。
「……そっか。キョウちゃんも此処に来たんだ」
にゃふふと笑うミュシャが聞こえない程に小さく、だが確かな笑みを浮かべてヒビキはピラミッドを見上げた。
そうして、二人は意気揚々と一歩を踏み出す。
「さあ、レッツトライで攻略にゃ~!」
「おー」
やる気満々の少女の声に、少年が片手を上げて答える。
目は口程に物を言うとは良く言ったもので、少年の声に色はないがその瞳はキラキラと輝いていた。
◇
ピラミッドの中腹にある入り口から、暗い道へと歩を踏み出す。
深く深く地下深き玄室へと続く下降通路を前に、ミュシャは人差し指を立てると呪を口にした。
「光の精よ。照らしたまえ」
指先に小さな輝きが集まる。
豆粒程度の光源が生まれ、そのサイズに見合わぬ程に周囲を明るく照らし出した。
「凄い、ね」
「にゅふふ~。……っても、ミュシャは精霊術の初歩しか使えないんだけどにゃ~」
其は精霊術。世界に満ちる触覚に希い、その力を借り受ける技術。
遥か昔に起きた人魔大戦。それを生き延びる為に、人が作り上げた秘術である。
「亜人種と精霊術は相性悪いにゃよ。例外は耳長人くらいかにゃ~」
「へー」
ヒビキはじっと光源を見詰める。
初めて見る光景に興味津々と言わんばかりに目を輝かせて、そんな様子を見せる少年にミュシャは苦笑しながら己の使える精霊術の説明を始めた。
光輝く小さな玉は、光の精霊術の初歩である光源。
亜人種であるミュシャは、他に旅に必須と言われる生活術の類しか使用できない。
火の初歩であり、マッチの火レベルの炎を起こせる精霊術である発火。
水の初歩であり、コップ一杯分の水を作り出す精霊術である放水。
影の初歩であり、持ち物を己の影に出し入れ出来る精霊術である収納。
戦闘などでは一切役に立たないが、長期の旅路では他の何よりも光る。
そんな三種類の精霊術を習得している事を説明した少女は、目を丸くして凄い凄いと褒め称えるヒビキの称賛に恥ずかしそうに顔を逸らすのであった。
そうして、指先に灯した光源を頼りにしながら二人は進む。
「あ、そこ。ちょっと段差があるから気を付けるにゃよ」
盗賊にして盗掘者。そして王墓の管理人。
そんな呼び名に相応しく、スムーズにミュシャは歩を進めていく。
「うん。……あ」
スイスイと進んでいく背を追いかける少年は、段差に足を取られて真横に転ぶ。
思わず付いた右手の爪が、ごっそりと遺跡の内部を抉り取って行った。
後方に居るであろう相方の圧倒的な力を信頼するが故に、ミュシャは振り返る事なく前へと進む。
まるでテストの赤点を隠す子供の様な動きで、ごっそりと抉り取った壁の石を地面に置いたヒビキは何食わぬ顔でその背に続いた。
「そこ、踏んじゃダメにゃよ。毒矢が飛んで来るにゃね」
夜目に秀でた猫人と言う種族。
一人で行ける範疇に限るが、何度か潜った経験のある遺跡。
そんな好条件に恵まれた猫娘はスイスイと先に進みながらも、些細な異常すら見落とすと言う事がない。
「うん。……あ」
注意喚起されていながらも、イメージと異なる大きな足が僅かに色が違う石を踏んでしまう。
雨霰の様に振って来る猛毒の矢は、しかしヒビキの強靭な肉体には傷一つ付けられずに地に落ちた。
「ふにゃ? 何か凄い音がしなかったかにゃ」
「気のせい」
数十を超える矢の全てを圧し折って、ヒビキは何食わぬ顔で口にする。
流石に物音に気付かない程鈍くはない少女が首を傾げる中、彼女の注意を逸らす為にヒビキは問いを投げ掛けた。
「ねぇ、ミュシャ」
「なんにゃ?」
「この王墓って、何があるの?」
問い掛けに、ミュシャは僅か黙り込んだ。
「此処にはにゃ、絶対なる力があるらしいにゃ」
沈黙は一瞬。曖昧なまま明言せずに語るミュシャに、ヒビキは小首を傾げる。
「らしい?」
「確かめた人はいないにゃよ。……初代墓守のクロエ様と、この王墓の最奥まで行ったっていう勇者を除いてにゃ」
まるで蜘蛛の糸にでも縋り付くような、そんな切実な言葉。
ミュシャと言う少女はそんな不確かな伝承に託さねば叶わぬ様な、切実な祈りを持ち合わせている。
「…………」
そんな少女の言葉に聞き入っていたヒビキは、ふとガコンという物音を聞いて振り返る。
「…………あ」
尾骶骨から伸びる長大な竜尾が、あからさまに怪しい色違いのブロックを押していた。
そして耳に届く轟音。何処か遠くで大量の水が流れ落ちる音を、ヒビキは確かに認識した。
「けど、絶対なる力にゃ。絶対に凄いモノに決まってるにゃ」
独白に集中してしまっているミュシャは気付かない。
近付いて来る水音に、オロオロし始めたヒビキは動けない。
「きっと、それがあればどんな願いだって叶う筈」
「…………どうしよう」
「お金持ちになる事も、ヒビキみたいに強くなる事も――死んだ人にだって、会える筈だにゃ」
「…………これ、戻らない」
ガコンと音を立てて動いた石を元に戻そうとするが、どうしても動いてはくれない。
どうしようかとしゃがみ込んで思考するヒビキの姿に、ミュシャは漸く事態に気付いて――
「にゃふ?」
振り返ったが、もう既に遅かった。
「にゃ、にゃ!? なんにゃこりゃぁぁぁぁっ!?」
「…………ゴメン、ね?」
何処からともなく押し寄せる大海嘯。
通路の上層より流れ込んでくる水の量は何処にそれ程貯蔵していたのか問いたくなる程の総量だが、恐らくは水の精霊術の応用であろうと現実逃避気味に思考する。
猫は水が嫌いだ。そして泳げない。無論、ネコビトも例に漏れず。
そうでなくとも、この状況下で水が好きだと語れる猛者は居ないであろうが。
「ふみゃぁぁぁぁぁっ!?」
「おお~。流れるプール」
水に飲まれまいと必死に走り出す泳げない猫人。
同じく泳げない癖に、呼吸が出来ない程度では死なないからか、水に飲まれたまま楽しげにしている竜人。
そんな元凶の姿に、僅かな活路を見出したミュシャが声を発した。
「そんにゃに余裕があるにゃら、何とかして欲しいにゃぁぁぁっ!」
「……なん、とか」
彼女の失敗は唯一つ。
少年にフリーハンドを与えた事だ。
「穴開ければ、水は出る……筈」
少年は強い。圧倒的に強靭な身体を持っている。
そう。大量の水を腕力だけで弾き飛ばして、逃げ続けているミュシャに一瞬で合流出来るだけの速力を持っている。
だが彼は、実は酷く運動音痴だ。率直に言ってセンスがない。
戦闘に関しては、本能による対応で如何にかなっている。
常に微睡みの中にあり、子供の如く考えなしな行動が故にその性能の九割を無駄に使っているが、戦闘時には捕食者としての強さを見せるのだ。
だがその反面、少年は戦闘以外では完全に無能であった。
寧ろ騒ぎを引き起こす分、劣等であるとさえ断じる事が出来るであろう。
何もない場所で転ぶレベル。特に理由もないのにこける。
致命的なレベルで、彼には運動の才と言う物が欠落している。
故に。
「あれ?」
当然のお約束として、彼は何もない場所ですっころんだ。
だがその性能はやはり別格。
亜音速にも迫る速度で跳躍し、すっころぶのだから性質が悪い。
その圧倒的な暴威は制御を外れ、転んだ姿勢のままに振るわれる。
後方に排水口を生み出そうと振りかぶっていたその腕が、前方に巨大な大穴を開けたのであった。
「なんで前に穴あけるにゃよぉぉぉぉっ!?」
「……なんか、ゴメンね」
少女の全霊が籠った叫びに、少年は何処か済まなそうに頭を下げる。
そうして逃げ場すら失った両者は、大量の水に飲まれて流された。
「にょ、にょわぁぁぁぁぁっ!?」
「おぉ、流れるプール……」
大嫌いな水に飲まれてあっぷあぷしているネコビトに対し、一瞬で感情が切り替わった竜は水遊びする子供の如くに燥いでいる。
そして、約一名にとっての不幸は、水に流されるだけでは終わらない。
目の前に穴が開いている以上、必然として彼ら二人はその穴へと飲まれていくのである。
「……流れるプールが、水洗トイレになった」
「なんにゃそりゃぁぁぁぁっ!?」
まるでその様は水洗便所に水を流した時の様に、渦を巻いて穴に吸い込まれていく。
内装石に覆われた迷宮内にネコビトの悲鳴を反響させながら、二人は地面に開いた大穴を流れて、遥か彼方へと落下していくのであった。