呪われた世界における最も新しい御伽噺
嘗て、この世界には悪しきモノ共の王が居た。
ソレが何時頃現れたのか、正確には分からない。
ソレが何処から現れたのか、誰も知る事が出来ない。
分かるのは五百年もの昔、ソレは表舞台に現れた事。
何処からともなく現れたソレは、世界全てを呪い尽くした。
邪なるモノ。善を否定するモノ。アカ・マナフ。
其は強大なる悪意と纏って出現し、五大陸全土を瘴気で満たした。
瘴気に触れたモノは異形と化した。
動植物は魔に変じ、隣人が怪異に堕ちていく。
生まれし化外は悪を望んだ。生まれし魔物は凌辱の限りを尽くした。
瘴気とは即ち、人の負の情。怒り。嘆き。恐怖。憎悪。絶望。そんな負より生まれ得る力。
それを糧とする魔物に満たされた世界は、糧を供給する為に生かされた人々にとって地獄に他ならない。
その地獄の底で、されど人は希望を捨てる事はなかった。
人々は星の意思であり、自然の触覚である精霊に希う。
いと高きモノよ。その聖なる御力を以って、これら化外より我らを守り給え。
契約は交わされ、人は魔に抗う力を得る。
百年に渡る戦乱の果てに、遥か南の大地に魔王は封じられた。
されど、未だ大陸に魔は残っている。
世界に満ちた瘴気と言う爪痕は、どれ程の時が経とうとも消え去る事はない。
◇
南の南の南の果て。
この世界の最奥に封じられた魔王は、ある日突然甦りました。
魔王は語ります。悪い事をする人が居る限り、私は滅びない。
魔王は語ります。人の心の中に一欠けらでも悪い心がある限り、何度だって甦る。
暗い暗い雲が世界を覆います。
悪い怪物達が暴れ回り、沢山の人が涙を流しました。
人は頼みます。誰か助けて欲しい、と。
人は頼ります。嘗て魔王を封印した聖なる剣ならば、きっと魔王を倒せる筈だ、と。
けれど聖なる剣を振るえる勇者は、世界の何処にも居ませんでした。
人は涙します。誰か助けて欲しい、と。
人は涙します。どうかこの魔王を倒して欲しい、と。
そんな願いが届いたのか――光と共に彼は現れました。
此処とは別の場所。此処とは違う時。
異なる世界に生きる彼は、人の嘆きを前に剣を執りました。
聖なる剣を手に、人々の願いを背に、勇者は一人旅立ちます。
勇者は森の奥で、賢き獣と出会います。
賢き獣は問いました。
お前は何故見ず知らずの人の為に戦うのか。それで何の得があると言うのか。
勇者は答えます。
僕は僕の為にやっている。大切な友達に対して、誇れる僕で居たいんだ。この人達を見捨てたら、僕はもう二度と友達に僕を誇れない。
賢き獣は理解します。勇者の在り様を、その高き精神に敬意を表して頭を垂れました。
勇者は大きな国で、草臥れた老人と出会います。
草臥れた老人は言いました。
人間を助けるなんて馬鹿らしい。人はこんなに醜いではないか。
勇者は答えます。
僕は知っている。醜さもあれば、綺麗な部分もある。その綺麗さが好きだから、僕は誰かを助けるんだ。
人の愚かさに絶望していた老人は、勇者の姿に胸を撃たれます。老人にとって、勇者の姿こそが初めて見た綺麗な物でした。
勇者は桃源の園で、微睡む者と出会います。
微睡む者は提案します。
貴方はきっと成功する。けれど、本当に大切なモノだけは掴めない。だから現実を忘れて、幸福な夢を見ていると良い。
勇者は語ります。
幸せな夢は夢で良い。一時の夢が力をくれるから、最期に何も掴めなくても前に進む事は出来るんだ。
一時の夢を見せてもらった勇者は、微睡む者の優しさに感謝して先に進みます。懐かしい友達の姿を目に焼き付けて、辛く厳しい道を進むのです。
幼き勇者は世界を巡ります。
多くの出会いと、多くの別れを繰り返して、勇者と聖剣は強くなっていきました。
海を渡る海賊と肩を組み、最南端の騎士と剣を交わし、砂漠の墓守はその小さき背に希望を見出します。
そうして長い旅路の果て、勇者は遂に魔王と対峙します。
戦いは七日七晩続きました。
諦めそうになり、心折れそうになり、それでも勇者は戦いました。
勇者の剣が輝きます。
その蒼銀の輝きは、人の持つ希望の結晶。
人間の悪意から生まれた魔王に届く、唯一つの聖なる剣。
多くの人との触れ合いが、多くの人と繋いだ絆が、その輝く剣を生み出します。
えい、やぁと一振り。聖剣が魔王を切り裂きました。光の剣を前に、魔王は遂に倒されたのです。
魔王は語ります。悪い事をする人が居る限り、私は滅びない。
魔王は語ります。人の心の中に一欠けらでも悪い心がある限り、何度だって甦る。
長き時の流れの果て、その時お前は居ないのだと。
勇者は言いました。甦るなら、何度だって倒して見せる。
勇者は言いました。聖なる剣を握れるのは選ばれた誰かじゃなくて、心に勇気を持つ者なのだと。
だからきっと、次も勇者が魔王を倒す。魔王を倒せる人間は、何時か悪意だって克服できる筈だ。
魔王は笑いながら、消えていきました。
勇者は戦いの終わりを知り、聖なる剣を大地に突き刺します。
魔王の瘴気が渦巻く南の地は、光輝く力によって浄化され、漸く人が住める場所になりました。
けれど悪いモノ全てはなくなりません。それを失くしていくのは人の意志なのだから、勇者はそれに期待して南の大地を後にしました。
聖なる剣を置き去りにして、勇者は王国へと戻ります。
もう悪い魔王は居ないのだから、伝説の剣は必要ないのです。
魔王を打倒し、国へと凱旋する幼き勇者。
誰もが笑いながら、夜明けの日を喜びました。
誰もが歓喜の声と共に、勇者の偉業を称えました。
一番大きな国の王様は語ります。
私の娘と結婚して、この国を導いて欲しい。
勇者は語ります。
約束があるから、僕は帰らないといけない。
聖なる巫女は語ります。
正しき勇者。愛しい人。どうかこの世界に残って欲しい。
勇者は語ります。
気持ちは嬉しい。けど答えられない。僕は帰らないといけないから。
誰が引き留めても、誰が何を与えようとしても、決して勇者は受け取ろうとはしませんでした。
大切な友達との大切な約束があるから。約束は絶対なんだ。
幼き勇者はそう告げて、何も受け取らずに去って行きました。
元の世界へと戻っていく彼を、誰もが涙を堪えた笑顔で見送りました。
これが、勇者キョウの物語。
最も新しい、世界に刻まれた御伽噺。