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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第三部第二幕 処刑人と村娘のお話
197/257

その2

「さて、随分と脱線してしまった訳だけど――話を戻すとしようか。と言っても、やるべき事は簡単だけどね」


 悪竜王と翠の貴種が互いに不可侵を約束し、場の空気が僅かに緩んだ後。他でもないマキシムが、話を戻そうと提案する。

 やるべき事自体は簡単だと語る彼の言葉に、囲炉裏を囲む者らは首を傾げる。そうして暫くした後で、イリーナとエレノアが口を開いた。


「桃源郷を死守しながら、聖教側に居る人達を殺さず撤退させる。或いは、殲滅戦に至る前に和解すると言う所でしょうか」


「……あんまやりたくねぇ手だけど、死なせたくない奴だけぶっ飛ばして連れて来るのもありっちゃありか。拉致監禁って形から、どう説得すんのかって問題が出てくるけどよ」


 アーニャを守りながら、他の人達も死なせたくない。それがデュランの望みであって、その内容はこの場の誰もが既に知っている。

 故に先ず必要なのは、桃源郷と聖教の双方を滅ぼさずに争いを収める事。或いは必要な者だけ先に捕らえて、聖教を徹底的に潰す事の二択であろう。


「そうだね。そう出来れば良いんだが、話はそう甘くない。何せ、今の聖教に余裕はない。端から彼らは、殲滅戦の腹心算で来てるんだよ。だから和平は無理だし、撤退なんて選択肢も存在しない。拉致っていうのも、止めておいた方が良い。自決されるか自爆されるかの二択だろうね」


「まぁ、そうですわね。仮に前線部隊を壊滅させたとしても、オスカーさんが部隊を率いて増援に来るのが目に見えてますわ。どちらかの全滅、以外の道なんてないと思いますの」


 しかしその前提を覆してしまうのが、既に北伐は末期戦の様相を呈していると言う事実であろう。

 中央の政治争いによって、聖教側には余裕と言う物が残っていない。退くに退けない状況で、彼らは北を滅ぼさねば止まれぬのだ。


 だからこそ、単一で一個軍をも凌駕すると言われる十三使徒の大規模動員を行った。数合わせをしてでも戦力を送り込もうとした事こそが、追い詰められている事実の証左である。


「……それが分かって、お前ら北に付くのかよ」


 殲滅戦は避けられない。そうと知りながらも裏切ると決めた両者に対し、エレノアは不審の情で目を細める。

 仮にも味方。仮にも仲間だ。そんな相手と殺し合う以外に道はないと言うのに、懊悩の欠片さえも見せてはいない。それがどうにも、引っ掛かったと言う訳だ。


「ちょっと性別が間違っていますけど、脳内で描いていた理想の嫁を超える現実が具現化した現状、他の事とか正直どうでもいいですわ!」


「僕の場合、裏切る方が当然だからね。元から北に属していた以上、聖教に入信する以前からの予定通りと言う奴さ」


「仲間への情より自分の欲望を優先する奴と、腹の中が真っ黒で濁っている奴とか。本当、碌でもない奴らじゃねぇか」


 胸を張って応えるブリジットと、平然とした素振りで返すマキシム。響希はどうにもマキシムを警戒している様だが、エレノアとしてはもう一人の方に得体の知れなさを感じてしまう。

 マキシムの理由はまだ理解出来るのだ。裏切りを前提としていたから、最初から心を開いていなかったのだろうと。だが対して、ブリジット・ブルクハルトと言う女はどうだ。彼女には、裏切る理由なんてない筈なのだ。


 響希が欲しいだけならば、それこそ敵対して手籠めにしてしまえば良い。戦っても勝てないと割り切っているのだとしても、それで味方をこうも容易く裏切る物か。

 デュランへの友誼があるのだとしても、なら他の者らに情を感じていなかったのだろうか。だとすれば、何と無情な女であろう。そうでないのだとしたら、彼女こそが最悪だ。


 情を抱いても、それより欲を優先する。己の衝動に身を任せて、それ以外の全てを切り捨てる。そういう人間だとするのなら、彼女は十三使徒の中でも一二を争う異端者だろう。

 どんなに大切な者でも、自身の欲望と比すれば全てが軽くなってしまう。女の中身は自己愛だけで、(ココロ)と言う物が欠落している。いいや、或いは自分で切り捨ててしまったのか。


 エレノアには、其処まで理屈だって分かっていた訳ではない。だが、何となく幻視したのだ。脳味噌(ナカミ)のない案山子と同じく、感情(ココロ)のないブリキの人形と言う物を。


「そうだな。俺達は揃って、碌でなしだろうよ。……けどな、こいつ等にも情はある。こうして俺に付き合ってくれているのが証拠だ」


 ならば残る一人は、勇気のないライオンか。覚悟を決める事すら時間を掛けて回り道して、漸くに一歩を進んだ彼がエレノアの想像を否定する。

 情がない訳ではない。心がない筈がない。欲望だけが理由じゃなくて、きっと友誼の情も其処にはある。デュランはそう信じていて、ああきっとそれは甘さだ。


「だから、この件では余りこいつ等を責めないでくれ。巻き込んでしまった一番の碌でなしは、間違いなくこの俺なんだ」


「……この中じゃ懊悩してる分だけ、アンタが一番真っ当な気がすんだけど。まぁ、そう言うならそういう事にしておくよ。そもそも俺が口出しする様な事でもねぇしな」


 けれど、そういう甘さは嫌いじゃない。だからエレノアは、今はそれで納得する事にした。一番よく知る彼が信じているのなら、口を出すべきではないのだと。


 甘いと言うしかない言葉。戦場では機械の様に人を斬れるのに、それ以外の場ではこんなにも幼いままである。そんなデュランと言う男を好んでいるのは、マキシムだけではない。

 浮かべた笑みは優しげに、微笑むブリジットもまた然り。彼と彼女が互いに同志と呼び合うのは、過去に捨てた何かをこの友人が思い出させてくれるからに他ならない。二人は同じくこの友人に、憧憬にも似た情を抱いているのだ。


「それで、殲滅戦しかないって話だけど。実際、どうする気なの?」


「其処が問題だ。正直、俺とアーニャじゃ其処から先が浮かばなくてな。お前らを頼らせて貰ったって訳だよ。悪竜王」


「……響希で良いよ。一々悪竜王とか、他人行儀だし。緑と一緒の呼ばれ方とか、頭に来るし」


「分かった。響希だな。俺の事もデュランで良い。お前には、色々と世話になったからな」


 一度本気でぶつかり合ったからだろうか、立場を超えて仲を一番深めているのはこの二人なのだろう。

 響希の問い掛けに、デュランは肩を竦めて返す。殲滅戦を避けられない状況で、どうすれば多くの者らを取り零さずに済むのだろうか。


「実際、問題は其処だよなぁ。退く気がない相手との戦いを、どうやって終わらせるかって事だろ」


「桃源郷が滅びるか、聖教が滅びるか。少なくとも彼ら聖教徒にとって、結末はその二者択一しかないのでしょう。それを望まぬと言うのなら、彼らの認識を変えねばなりませんが」


「難しい事を言いますのね。物心付いた頃から当然であった常識を、今更捨てろと言われて捨てれる物ではないと思いますわ」


「だが、軸線上はそれが正しい。と言うか、それ以外に道がない気がするんだが……どうだろう、マキシム」


「そうだね。大体、皆の言う通りだと思うよ」


 三々五々に語らうも、解決策など浮かばない。そんな中でデュランが考えているのは、聖教側の認識を変えると言う方法だ。

 とは言えブリジットが言う様に、生まれた頃からある常識を書き換えるのは並大抵な事ではない。少なくともデュランには、どうすれば良いか具体的な策が浮かばなかった。


 故にこういう時に強いのは、長い時を生きた腹黒だろうとマキシムに対し話を振る。話題を振られたマキシムは、既に彼なりの結論を下していた。


「現状では、殲滅戦以外に道はない。第三の選択肢を齎す為には、先ず聖教側の認識を変えなくちゃいけない。そしてその為の布石は、既に存在している。その辺りまでは、理解が及んでいるかな?」


「……共存派、か?」


「プラービリナ。その通り、彼らを利用するのが順当だろう」


 芽があるとすれば、其処しかないだろう。元よりそう断じていたから、答えは容易く口を吐いた。聖教内にある共存派こそ、殲滅戦を終わらせる為の鍵だった。


「共存派って?」


「勇者キョウが提唱し、聖女アリアが代表を務める派閥ですわ。その理念は、亜人との共存共栄。排斥するより、融和しましょうと言う考え方ですわね」


 聖教の共存派とは、二十年程前に発足された弱小派閥だ。人と亜人は分かり合えると、両者の共存共栄を語る唯一無二の宗派でもある。

 聖教において亜人とは、存在自体が許されない穢れた者ら。だが共存派の教えでは、敬虔に生きれば彼らも神に許されるとされていた。


 全ては嘗て、聖教の歪みを体感した勇者キョウが世に残した布石。行き成り人も亜人も対等だと言われても、変われないだろうから先ずは例外を作り出そう。

 そういう形で始まったのが、共存派の教えである。勇者が提唱し、聖女が旗を持っている。弱小の派閥であり主流派に反する彼らが潰されずに残っているのは、偏にそれが理由と言えよう。


「……そっか、キョウちゃんの」


 懐かしい友人の名を聞いて、響希は優しく表情を崩す。心の底から、嬉しかったのだ。彼の遺した物が、この状況を解決してくれるかもしれない事が。

 これまで眉間に皺を寄せていた彼が、初めて見せた気の抜けた表情。少年に至高の美を見ていた女にとって、それは正しく劇薬だった。故に当然と言うべきか、ガタリと彼女は立ちあがる。


「――っ!? な、何と言う儚くも優しげな美っ!? まさか、まだ上があるとは驚きですの!? もうワタクシ、辛抱堪りませんわっ!!」


「ちょ、何!? 何するのっ!?」


 そうして、ブリジットは風となった。揺らめき燃える炎を恐れる事もなく、囲炉裏を飛び越えて響希に向かってダイブする変態女。

 真面に会話をした事もない相手が突然飛び付いて来るなど、未来でも視通さねば分かる筈もない。当然発想すらも浮かんで来る訳もなく、少年は気付けば押し倒されていた。


「おまっ、響希から離れやがれ変態女っ!!」


「ペロペロ、エレちゃん嫉妬ですの? ハスハス、何でしたら混ざってもよろしくてよ? クンカクンカ、美女美少女はウェルカムですの!」


「少なくともテメェへの嫉妬じゃねぇよ!? ってか、涎が酷ぇな! 絵的にやべぇぞ!?」


 フルダイブからマウントを取って、やってる事はあからさまな変態行為。これで更にと踏み込まれたなら、南で朧月夜に襲われた時と同様に殴り飛ばしていただろう。

 だがしかし、ブリジットは嗅いで抱いて舐めるだけで一先ず満足してしまっている。そういう変態行為を受けるとは思ってもみなかった性に無知な少年は、目を白黒させる事しか出来ていない。


 どう対処すれば良いのかも分からない彼の代わりに、想い人が変態の餌食になっている状況に黙って居られないのはエレノアだ。

 如何にかブリジットを引き剥がそうと掴み掛かるが、重装備のブリジットの身体は重く力も強い。全身の力を使わねば止める事すら儘ならず、そしてそんな状況はブリジットにとってご褒美でしかない。


 理想の美少女(少年)ともう一人の美少女に挟まれて悦に浸っている変態と、抱き着かれて混乱し続けている痴女案件の被害者。

 助けようとしていたエレノアが引き摺り込まれて唾液塗れになり始めた所で、デュランはそっと目を逸らす。彼はその惨劇を見なかった事にした。


「……だが共存派を頼ると言っても、所詮は弱小派閥だぞ。北伐を止める程の力はなかった筈だ」


「ねぇ、お兄ちゃん。あれ、放っておいて良いの?」


「見るな、アーニャ。俺は何も見ていない。……それで、マキシム。共存派をどうする気なんだ?」


 教育に悪い情景を無かった頃にして、話の先を促すデュラン。止めなくて良いのかと問うアーニャに対しては、悲痛の情で首を横に振って返した。

 止めに行っても、絶対碌な目に合わないだろう。別に命に関わる訳じゃないのだから、彼らには尊い犠牲となって貰おう。処刑人は、心と行動を切り離せるのだ。


「簡単な話だよ。共存派に戦争を止める程の力がないなら、主流派から戦争を行うだけの力を削ぎ落せば良いんだ」


 そんな彼らを内心で嗤うマキシムは、平然とした様子で答えを示す。共存派が主流に成れる程の力を持たないのならば、逆に主流派を削れば良いのだと。

 現状はとても都合が良い。北伐は主流派の総意であれば、其処に参加している者らの多くはその派閥に属している。前線部隊が壊滅すれば、主流派は大きくその権勢を失うだろう。


 だが、それだけでは足りない。確実に主流派を追い落とす為に、必要な事が一つある。マキシムは何時も通りの笑みを浮かべたまま、その事実を口にした。


「詰まりは十三使徒を狩る。中でも絶対に外せないのは、筆頭と呼ばれた男。オスカー・ロードナイト卿の殺害だ。それを為せれば、主流派の力は一気に落ちるだろうね」


 十三使徒とは、主流派にとっての力の象徴。中でも第一位に居るオスカーは、生きた伝説と呼ばれる主流派の旗頭にして聖教の象徴とも言える者。

 彼が倒れれば、否応なく聖教は弱体化するだろう。中央は大きく混乱する。北伐を続ける余裕などない程に、彼らは追い詰められてくれる筈なのだ。


 其処で更に共存派への支援を行えば、聖教内の力関係は逆転する。もう二度と北伐は起こらずに、亜人排斥の動きすらも止められるだろう。

 デュランの望みを叶える道は、それしかない。其処にしかないのだ。だがしかしそれは、彼にとっては苦痛である。だからデュランは、俯き歯を噛み締めた。


「オスカーの爺さんを、か」


 オスカー・ロードナイト。第一聖典の保有者。歴史に名を刻む英雄にして、五十年前から変わらず聖教最強の異端審問官として君臨し続けている生きた伝説。

 嘆願する黄金の法則。それは十三の中で最も、万能と呼ぶに相応しい力を持つ聖典。そしてその所有者である男は聖典を使えぬ状況でも、大魔獣ベヒーモスを退けてみせた超人だ。


 戦闘者としての実力は、デュランやブリジットよりも確実に上である。そんな男を信奉する者や彼に恩義を感じる者は多く居て、彼が命じるだけで死すら厭わぬ聖教徒は数えられぬ程。

 彼が生きている限り、聖教と言う組織は変わらないだろう。強靭で、頑迷で、身内に対しては清廉で慈悲深いが敵対者に対しては何処までも悍ましく在れる者。オスカーこそが、今の聖教を体現する男。


「流石に気が咎めるかい? 君にとっては、恩師だろう。大切な一人に、入っていたかな?」


 聖教と共に生き育ち老い、今の聖教会が持つ権威を唯一人で築き上げたと言っても過言ではない傑物。唯一人、二十年前の人魔大戦を生き延びた十三使徒。

 以って十年。そう語られる聖教は最暗部の頂点に、五十年も居座り続けている怪物。彼の世話になったことがない異端審問官など、今の聖教徒の中には居ない。


 デュランもまた、例外ではない。浮浪児であった彼が此処まで来れた理由の一つは、間違いなくオスカー・ロードナイトと言う男から受けた指南にあった。

 教会が行う炊き出しに並んでいた子どもに、素性を隠して護身の術を教え込む。生き続ける方法を叩き込む。空いた時間にオスカーが行う趣味の一つがそれであり、デュランはそんな教えを受けた子の一人であったのだ。


「だが、駄目だ。あの老人は駄目だよ、デュラン。ロードナイト卿は、良くも悪くも聖教の象徴と言うべき者だ。彼が生きている限り、聖教は決して変わらない」


「…………」


 思い出すのは、聖教の門を叩いた彼の日。消耗品を促成栽培する様な、最低限の訓練校に放り込まれた時の事。其処に貴賓として来校していた、あの老人はデュランの事を覚えていた。

 僅か一時、気紛れで教えを施した子どもを覚えていた。才能があると誰かに褒められたのはあれが初めてで、期待していると言う言葉を掛けられたのもその時が初めて。とても嬉しかったのを覚えている。


 十三使徒に成った時、良くぞ此処まで来たと称賛された。厳しいながらも優しさに溢れたあの老人を、まるで祖父か何かの様だと勝手ながらに思っていた。

 その境遇を知るからこそ全面的な信頼を向けて来る彼に、むず痒さを感じながらも確かな歓喜を抱いていたのだ。だから当然、オスカーもまたデュランにとっては失いたくない者の一人。


「選びなよ。デュラン。本当に失いたくないのは、一体何かを」


「……また、それか。また、選ぶのか」


 何時だって、選択肢は付いて回る。何かを選ぶと言う事は何かを選ばないと言う事で、何かを選ばないと言う事すらもそうした選択を選んでいると言える事。

 選択は何時だって、重く苦しい物なのだろう。後回しにし続けた今になって、漸くにその重さを実感している。切り捨てると言う苦しさに、決めた筈の覚悟が揺らいでしまいそうになる。


「デュランお兄ちゃん」


「ああ、大丈夫。大丈夫だよ、アーニャ」


 それでも、手を引く少女が居る。案じる瞳で見上げる彼女が此処に居る。この子と共に生きると決めたのだ。ならば全ての懊悩は、もう今更なのだろう。

 彼女を守りながら、救える命は全て救いたい。だが彼女を守る為に、捨てねばならない命もあるのだ。今回は後者であっただけの事。ならばもう、処刑人は迷わない。


「優先順位は、決まっている。裏切ると、もう決めたんだ。なら、今更だろう」


 掴まれた手を、握り返す。感じる熱は、全てを賭けても良いと思えた物。恋と呼ぶのも欲と呼ぶのも、どちらも不釣り合いな情。

 女として、見ている訳じゃない。けれど、この想いは確かな愛情なのだろう。愛しいと、心の底から想えるのだ。ならば其処に名を付けるのは、唯々無粋な話である。


「爺さんを殺せば、終わるんだな。マキシム」


「ああ、そうだね。ロードナイト卿が死ねば、北伐は終わるさ。後は共存派を盛り立てていけば、聖教の改革も不可能ではないだろうね」


「それが最後になるのなら、俺は――」


 故に必要なのは、たった一つの覚悟である。勇気のないライオンは、迷子の少女を守り通すと決めたのだ。ならば必ず、為すと誓って貫き通せばそれで良い。

 恩師を討とう。己の意志で。望んだ未来を得る為に、それが必要だと言うのなら、どれ程に許されない事でも為してみせる。恩知らずと罵倒されたとしても、この手の熱が欲しいから。


「だが、ロードナイト卿は此処に居ない。ならば先ず、必要なのは彼が出て来る戦場だ。引き摺り出さなくちゃいけないのさ、中央からね」


 オスカーを倒せば、北伐は終わる。ならば逆説、オスカーを倒さねば北伐は終わらない。そして彼は、この北の大地にまだ居ない。

 聖教の権勢を守る為、今も中央に座している。故に先ずは彼が出て来ねばならない程の傷を、十三使徒に刻む必要がある。殺さねばならぬ者は、他にも居るのだ。


「第七と第八と第十三が裏切って、あと二人位欠ければ良いかな。それで丁度、先遣隊は半壊だ。彼も後方で、椅子を温めている様な余裕を無くすだろう」


 今回の北伐は、聖教の威信を賭けた物。決して失敗する訳にはいかないと、故に乾坤一擲。十人もの十三使徒を投入したのだ。

 権謀うず巻く中央で聖教の権勢を保つ為、自身は聖都から離れられない。そんなオスカーにとって、これは紛れもなく出せる全力であったと言える。


 そんな乾坤が、何の成果も挙げずに半壊したとなればどうなるか。オスカーにとって、今回の北伐は絶対に失敗出来ないのだ。だが半数に減った戦力では、達成できる筈もない。

 ならば当然、彼は更なる一手を強いられる事になる。残った二人を投入するだけでは足りぬだろう。そうなれば、彼自身が前に出る他に術がなくなるのだ。故に後二人、倒せばオスカーがこの地にやって来る。


 その上で、やって来たオスカー・ロードナイトを倒せば北伐は終わるのだ。獣人桃源郷は守られる。デュランの望みは、其処で果たされる事になるであろう。


「先遣隊から、あと二人ですか。北に来て居る十三使徒は、他にはどのような者が?」


「……カルヴィン。リース。オードリー。チェイス。メリッサ。ティモシー。パトリックの七人だ」


 第二聖典オードリー=コールドブラッド。

 第三聖典チェイス=ハンター。

 第四聖典メリッサ・ダグラス=ハーロット。

 第五聖典カルヴィン=ライオンハート。

 第九聖典パトリック・ロングボトム=ジェノサイダー。

 第十一聖典ティモシー=マッドハッター。

 第十二聖典リース。


 最低限、彼らの中から二人。倒さねば討つべき敵は出て来ない。選んだと思えば、また選べと道が示される。全く以って嫌になる話であるが、今更選ばないなんて道などなかった。


「誰を、斬るか。……誰を、斬れば良いのか」


「カルヴィンお兄ちゃんは、嫌だよね。あんなに仲が良かったんだもん」


「だが、アイツは強い。オードリーもそうだが、実力者を残すのは危険だ。オスカー爺さんと同時になんてことになったら、俺でも何も出来ずに敗れるしかない」


 聖典の相性差を除けば、デュランと完全に互角なのがカルヴィンだ。嘗て彼がデュランに敗れた理由は唯一つ。素手で戦うカルヴィンと、旧文明の刀を用いたデュランの違い。要は武器の差でしかないのだ。

 そんなカルヴィンと何度も戦い、決着が付いていないのがオードリー。聖典を使わない小競り合いとは言え、その実力と互いの殺意は本物だった。あわよくばと言う意図を隠さぬ両者の対立に、色々な意味で絶句した者は少なくない。


 感情として、彼らは討ちたくない。どうにか裏切らせる事は出来ないかと、今になっても考えている。それでも、戦わずに済む様な相手じゃない。

 少なくともカルヴィンと言う友人は、避けられる相手じゃないと確信していた。あの男は決定的な敗北を与えない限り、何度だって立ち上がり立ち向かって来るだろう。


「思考が硬いね。裏切りが望めないからと、何も殺す必要がある訳じゃない。後回しにして避け続け、他の面子を先に裏切らせると言うのも手筋の一つとしてはありだろう」


 十三使徒の一部に裏切りが期待できないからと言って、所属するメンバーの全員が狂信者と言う訳でもない。やり方次第で、寝返りを期待できる者は確かに居る。

 故に先ずは其処から切り崩し、戦闘を避けられない者は後回しにすれば良い。そう提案するマキシムに、デュランも一先ず納得する。戦いたくないと言うのは、確かに本音であったから。


「ねぇ、デュランお兄ちゃん。カルヴィンお兄ちゃんは、説得できないの?」


「……無理だな。カルヴィンと、後はチェイスもそうだが、アイツら其々、守るべき者を確固としている。聖教徒としてではなく、中央を守る者として裏切るなんて在り得ない」


「付け加えるなら、ティモシーにメリッサ。オードリーやパトリックも無理だろうね。彼らも皆、敬虔な聖教徒。いわゆる差別主義者と言う連中さ」


 十三使徒の内、ティモシ―とメリッサは極めて敬虔な聖教徒だ。幼い頃から聖教の教えに従い生きて来た彼らは、無自覚な差別主義者なのである。亜人を人と、認識なんて出来ない。桃源郷など、彼らにとっては汚物と何も変わらない。

 オードリーとパトリックは前者二人に比すればまだマシだろうが、それでも彼らも聖教徒としての意識が強い。少なくともこの情勢で、北に付こうなどと言う事は先ず在り得ない。


 カルヴィンとチェイスは、聖教徒としての信仰心は十三使徒内でも薄い方だ。カルヴィンに至っては、そもそも信じていないと公言する事もある程。

 だが彼らは彼らで、誰にも譲れぬ優先順位と言う物を持っている。カルヴィンにとっての第一は、中央に生きる女子どもの平穏を守る事。チェイスにとっての第一とは、嘗て守れなかった主の遺児を今度こそ守り通す事。故に彼らは、決して己の道を譲らない。


「残るは、リースか」


「まぁ消去法で、彼女しか居ない訳だね」


 敬虔であればある程、裏切りの可能性は失われる。味方に引き込める人材など、十三使徒では彼女かサラのどちらかだけしか居ないだろう。

 デュランとマキシムは揃って同じ結論に至って、アーニャとイリーナが彼らを見る。小首を傾げているアーニャを姿に、どうしてかデュランは嫌な予感を感じていた。


「リース、さん? それって、どんな人?」


「一言で言うなら――デュランが唾を付けていた、男慣れしてない素朴な村娘だね。あの調子で口説けば、イケるんじゃないかな」


「人聞きが悪い言い方はやめろぉっ!」


 ざっくりとしたマキシムの説明に、デュランは思わず声を荒げる。まるで人を女衒いか何かの様に、彼としては全く以って不満である。

 実際、彼女への対応や発言を客観視すれば、そうした言い分も通じなくはないのだろうが。断じて認める気はない。認めた瞬間に、酷い事になる気がしたのだ。


「まっさかー。お兄ちゃんって、イケメンなのに非モテさんだよ。口説く所か、女の人とのお話だって無理だって」


「おい!? それはそれで酷くないか!?」


「確かに、デュランは基本的に非モテ系だね。若いシスター達が見ただけで、悲鳴を上げて逃げ出したり気絶してしまう程だからね。まぁ八割位、僕とブリジットで流した噂の所為なんだけど。……リースは多分、あれ半ばまで落ちてるね。あと一押しだ」


「おいぃ!? さらっと聞き逃せない事言いやがったな、マキシム!?」


 流れる様な突っ込みに、肩を上下させるデュラン。知りたくなかった真実に頭を抱えて、それでも追及せねばと腰を浮かせようとする。

 だが、其処で小さな掴まれる。握力なんて大した事がない筈なのに、どうしてか振り払えない程の圧を感じる手。デュランは諦めた様に、その持ち主へと視線を向けた。


「……信じられないし、信じたくないけど。浮気は、ダメだよ。お兄ちゃん!」


「浮気!? 何でそうなる!?」


 まだ付き合ってすらいないだろう。そもそもお前に向けている感情は、色恋沙汰のそれじゃない。そう主張するデュランだが、そんな正論は恋する乙女には届かない。

 半眼な目で睨み付ける少女の視線に、何故だか居た堪れない感情が湧いて来る。種類は違えど情愛を抱いているのは事実であるから、きっとそれが理由だろうと彼は遠く空を見上げた。


「まさか、デュラン殿がロリコンでしたとは。……何れ婚姻するのだとしても、幼い内からの肉体関係は駄目ですよ。成長に差し障りが出ますからね」


「まさか、デュランがロリコンだったとはね。……だから、サラちゃんにも優しかったのかもしれないね。繋がってしまった、か。幼女の二股とか、流石の僕でも戦慄を隠せないよ」


「むー! リースって人だけじゃないの!? サラって誰! お兄ちゃん!!」


「お前ら好き勝手言い過ぎだろ!? 纏めて叩きのめされたいか、風守人共っ!!」


 そんな状況でも、躊躇なく油を注ぐのが翡翠の一家。彼らには、人情の機微と言う物が理解出来ないのだろうか。

 いいや、少なくとも一人は分かってやっているのだろう。友人の笑顔に苛立ちながら、吐き捨てる様に怒りを叫んだ。


「むー!!」


「アーニャも、こいつらの言葉を真に受けるな!」


 まるで大量の食べ物を口に貯めたリスの様に、膨れ上がった頬を見せて来る幼女。彼女に対し、事実無根であるとデュランは主張した。

 だがその頬は膨らみ続ける。こと女性関係において、デュランは信用できないのだ。特に理由がある訳でもないのだが、何となくアーニャの高い感性はそうなのだと感じ取っていた。


 掴み合った手が痛い。何でこんな目に合うのだと、嘆息混じりにデュランは空を見上げる。屋根の向こうにはきっと透き通った月夜が広がっているのだろうと思うと、何だか涙が出そうだった。

 そんな友人の姿に恍惚とした笑みを浮かべて、ホモはゾクゾクと背筋を震わせる。幸運だったのは、デュランがそれに気付かぬ事か。なお直視してしまった少女は、一瞬で怒りを忘れる程の嫌悪と恐怖を感じていた。


「ごほん。まぁ、要はリースもこっち側に引き込もうと言う訳さ」


「なぁ、咳払い一つで今の流れを断ち切れるとでも思ってやがるのかホモ野郎」


「おや、蒸し返したいのかい? ベッドの中でなら、受けて立つよ。ダヴァイ!」


「誰が行くか!? 一人で盛ってろ!!」


 何でこんな奴と友人をやっているのだろうか。デュランとしても、腐れ縁以外に答えの出せない問い掛けだろう。

 それでも抱いた情を否定できないのは、偶に良い奴だと感じるから。全く以って自分の甘さに反吐が出る程、自業自得の現状だ。


「まぁ、良い。良くはないが、良いとしておく。アイツと戦わないで済むなら、それに越した事はないんだからな」


 周囲からの扱いが納得いかないとは言えしかし、方針としてはこれ以上にはないのだろうと理解した。前線に出ている十三使徒の内、味方に引き込めるのは彼女位な者だろう。

 そしてそうでなくとも、戦いたくないと思うのも真実だ。守りたいと感じた想いは、今も確かに残っている。あの輝きは尊いから、斬りたくなんてなかったのだ。


「ああ、そうだ。リースに戦場は似合わない」


 誰かを当たり前に思えると言う行為が、尊い物だと感じた事に嘘偽りなんてない。リースと言う女は、生きて幸せになるべきだ。心の底からそう思う。デュランの瞳は、何処までも優しい色に満ちていた。


「むー!」


「別の女を思う男に、嫉妬する少女か。ある意味男の本懐だろうけど、何か思う所はあるかい?」


「はぁ。……別にそう言うのじゃない」


 自分以外にそんな表情をさせる存在が居ると言う事実に、嫉妬し更にと膨れ上がるアーニャ。その姿を笑顔で揶揄うマキシム。

 下手に反応すれば、先程の二の舞でしかない。そう判断したデュランは肩を竦めて、疲れた様に嘆息するだけで流す事にするのであった。


「まぁ、何はともあれ。やるべき事は決まったね」


 リースを裏切らせ、もう一人十三使徒を脱落させて、現れるであろうオスカーを討ち倒す。それが北伐を最小限の犠牲で終わらせる、唯一無二の解決策。

 その為に必要なのは先ず、内側からの工作だろう。裏切りに気付かれていない今だからこそ、出来る事は多く在る。一先ず最小限の人数で、聖教に戻らねばならない。


「君がリースを口説いている間に、僕が共存派に渡りを付けよう。そうして仕込みを終えた上で、十三使徒をもう一人落して派手に退く。ロードナイト卿が、ちゃんと出て来るように分かりやすく」


 そうとも今だけだ。全面的に激突する形となれば、裏切りが露呈する。今のデュランに、亜人を殺す事など出来やしないだろう。

 だから、一大開戦となる前に忍び込まねばならない。そして、侵入を選ぶ以上は大きなリスクは背負えない。暗躍がバレた時に即応出来る様、入り込むのは最少人数。


 リースを離反させる為、説得が可能なデュラン。共存派との交渉や、暗躍の為に必須のマキシム。この二人だけで行くべきなのだ。間違っても其処に、アーニャと言う少女を含める事など出来やしない。


「勿論、言うまでもない事だとは思うけど。その子は、当然此処に置いて行くよ。一緒に居られる訳がない。欺く以前に、隠し通す事すら出来ないだろうからね」


 亜人排斥を掲げる、聖教の只中へと今一度舞い戻るのだ。其処に亜人の少女を連れて行けば、当然トラブルの一つ二つは起こるだろう。

 暗躍や裏工作などしている余裕はなくなるし、何よりアーニャの身が危険となろう。それをデュランは許容出来ない。だから、マキシムの言葉に首肯した。


 そうして、振り返って少女を見詰める。見詰め返す瞳は口ほどに物を言うけれど、認める訳にはいかないのだ。デュランは優しく、己を掴む指先を一つ一つと解いていく。


「デュラン、お兄ちゃん」


「アーニャ。……大丈夫。直ぐに、戻るさ」


 不安はある。恐怖もある。自信なんてなかった。殺す事しか出来ない自分が、少女と離れて尚も誰かを救えると信じていられるかどうか。

 己が離れている間に、少女の身に何かが起きやしないか。一緒に居ると決めたのに、一緒には居られない。そんな状況に、思う所がない筈ないのだ。


 それでも、少女の身はこちらに居た方が安全だ。悪竜王が居て、風の精霊王も居る。この場所の方が、敵地深くに連れて行くより遥かに危険が少ない。

 だからこそ手を振り解く。もう大丈夫と胸を張り、為すべき事を為して来る。もう一度、彼女の下に帰る為。そうとも、少女の帰る場所が青年の居る場所なら、青年にとってもまた同じであるのだ。


「……うん。分かった。気を付けてね」


 デュランの瞳は、もう揺らいではいない。辛くはあるし、変わらず悲しくもあるのだろう。それでも勇気のないライオンは、一つの覚悟を決めていた。

 だからアーニャは、せめて笑って送り出す事にする。不安もあるし、寂しくもある。それでもお互い様ならば、せめて笑顔で別れるべきだと思うのだ。


「行ってらっしゃい」


「ああ、行ってきます」


 そうして二人の道は、ほんの一時別れて離れる。少女に貰った熱を胸に宿して、大切な者を出来る限り掴む為――――デュラン=デスサイズは、聖教が支配する地へと戻るのだった。






アーニャとデュラン達聖教三人組は、ドロシーとオズの魔法使いを少しイメージしたメンバー。


迷子のドロシー≒アーニャ。

臆病なライオン≒デュラン。

脳のないカカシ≒マキシム。

心のないブリキ≒ブリジット。


と言う感じですね。



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