一時閉幕
◇
杯を手に語り合い、芸の披露に囃し立てる。飲めや歌えや騒ぎの中で、祭りの風情に酔い痴れる。此処には優しい夢がある。
酒が尽きる事はない。美食が尽きる事はない。妖艶な美女が踊りを舞って、涼しげな歌人が美しい声と共に調べを奏でる。人も亜人も関係なく、誰もが笑い合っていた。
此処が桃源、理想の国。我らの目指した理想の地。旅路の果てに疲れ切っていた亜人達も、今は疲労を忘れて共に喜び合っている。
此処が桃源、理想の国。彼らは遂に辿り着いたのだ。もう苦しまずに済む場所に、もう悲しまずに済む場所に、諦めなくて良かったと、今は歓喜に浸っている。
喧々諤々、騒ぎ立てる亜人達。眠る事すら忘れた不夜の祭りの中で、一人の少女は膝を抱えて過ごして居た。
一人にして欲しいと言われたから、きっと此処に居る事を望まれていたから、こうして祭りの中に居る。共に目指した場所に居る。なのにどうして、こんなにも心に穴が空いているのだろうか。
共に旅した亜人の一人がふと気付いて、少女に向かって問い掛けた。漸く理想の国に来れたのに、どうして浮かない顔をしているのかと。
少女は答えを返せない。確かに此処は目指した場所であった筈。確かに此処は優しい場所で、もう二度と悲しい事など起こらない。そうと確信出来るのに、満たされないのはどうしてか。
共に旅した仲間の一人がふと気付いて、少女に向かって問い掛けた。此処に不満があるのだろうか、それとも他に欲しい物があるのかと。
少女は答えを返さない。此処には全てが満ちているのだから、望めば何でも手に入る。そう語る旅の仲間に、そうではないのだと確かに思った。此処には欲しい物がない。
そう考えて、疑問を抱いた。欲しい物がないとは言うが、さてはて果たして一体何が欲しかったのであろうかと。
永遠が欲しい。失われる事が怖いから、もう失わない時間が欲しい。旅路の果てにそんなのないと気付いた後で、差し出された今の時間は仮初だろうと永遠だ。
優しい夢は、死ぬまで続く。死ぬ瞬間さえ気付かずに、夢に溺れて溶けていく。終わりを認識出来ないならば、それはないのと同じこと。終わりがないなら、それこそ確かに永遠だろう。
だが、違うのだ。此処ではないと、心の何処かで感じている。喜び歌う者らと同じ感想を、どうして彼女は抱けない。
それは懸念があるからか。この世界に馴染めない人が居るからか。救いを受け止められない程に、弱くて甘い人が居るからか。
周りを見詰めて、居ない事実に胸を痛める。一人にしてと言われたからと、一人ぼっちにした事を後悔する。離れなければ良かったと、今更になって思っていた。
――そんなに悲しまないで、夢見る夢は此処にある。貴女の幸福は其処にある。さぁ、目を閉ざしてみましょう。
そんな時、風の声が聞こえた。優しく微睡む誰かの言葉が、少女の中に浮かんで消える。その小さな背中を押す様に、夢見る誰かが言葉を紡いだ。
――貴女は唯、気付いていないだけ。心の声を聞いてごらん。きっと貴女の幸せは、貴女の中で夢を見ている。だから少しだけ、夢見る夢を見てみましょう。
此処は桃源郷。此処は風の王が作り上げた一つの異界。彼女の体内にある世界。そうであるが故に、眠る王は呼び掛けられる。王に連なる眷属ならば、彼女の声は此処に届く。
此処は夢見る夢の中。何もかもが満たされたこの世界で瞳を閉じれば、其処には無限の可能性が存在している。少女が探す足りない者も、きっと其処で見付けられるだろうから。
意識がゆっくりと遠退いていく。夢に見たのは、ある日の光景。優しい時間が、其処にはあった。
桜の花が咲く季節の事。孤児院の子どもが、花を見たいと口にした。村の外に出るのは危険だからと、すぐさま老いた神父に否定される。男手が少ない村だから、危ない事はさせられないと。
そんな時、偶々彼は其処に来ていた。皮肉気な青年に、彼女達はお願いした。皮肉気な彼は何時もみたいに、肩を竦めて語るのだ。仕方がないなと口にして、神父に安全を保障して、子ども達を連れて行く。
高台にある色取り取りの花畑。それを見た子ども達は楽しげに燥ぎ回って、青年は斜に構えた言葉を呟きながら見守っていて、少女はとても嬉しかった。
他の女の子達に教えて貰った花冠。被せて上げた青年は、恥ずかしそうに頭を掻く。お返しにと皆で無理矢理作らせた花冠は、不器用な彼らしく酷い出来な物。
手にしただけで崩れた無数の花弁に、少年達が指差し笑う。彼は何処か不満そうな表情でそっぽを向いて、そんな姿に少女達もくすりと笑った。
あの日に青年が作った花冠は直ぐに壊れてしまったが、その内の一輪だけは押し花にして残しておいた。今になっても持っている、彼女にとっての宝物。
向日葵の花が咲く季節の事。ふと乱暴者の青年が、海に行くぞと言い出した。海って一体何だろう。孤児院の子ども達は皆知らなくて、首を傾げて問うばかり。
時々来ている皮肉屋は、嘆息してから説明する。知らない子どもに知らない言葉を口にするなど如何なる馬鹿かと、余計な一言で脱線して乱暴者と殴り合いの喧嘩をしていた。
そうこうしながら向かったのは、村から遠く進んだ先にある砂浜。寄せては返す波の蒼さと海の壮大さを前に、孤児の誰もが感動の余り何も言えなくなっていた。
暫く茫然としていた皆に、乱暴者が怒鳴り付ける。一体何時まで動かないのか、時間の無駄に過ぎるだろうと。少年達を担ぎ上げ、自ら海の中へと飛び込んで行った。
海で泳ぎを教わる少年達。砂でお城を作る少女達。子ども達の姿に付き合って居られないと呆れながら、日陰の下で寝っ転がった皮肉屋さん。
少女は確かに知っている。横になった青年が、実は寝たふりをしていた事を。流されないかと気を使い、熱中症にならないかと気を使い、もしもの準備を皆に隠れてしていた事を。
案の定、日差しにやられて目を回した子ども達。彼らの姿を見た瞬間に飛び出して、日陰に背負って連れて行く。用意していた水を差し出し、余計な一言と一緒に飲ませていた。
因みに皮肉屋が用意した飲料を一番大量に飲んでいたのは乱暴者で、お前の為に用意した訳ではないと殴り合いの喧嘩にまで発展していた事も少女は知っている。少女が知っている事を子ども達全員で共有した所為で、帰り道の皮肉屋が皆から生暖かい目で見られていたのは余談であろうか。
銀杏の種が落ちる季節の事。皆で月見をしようと老いた神父が提案した。秋の夜長は月が綺麗なのだと語る老人に、子ども達は夜更かし出来ると喜んだ。
今日も来ていた皮肉屋は、保護者が夜更かしさせてどうすると呆れて肩を竦めていた。それでもしっかりと準備を手伝っていた辺り、彼らしいと言えるのだろう。
育った稲を皆で刈り取り、乾燥させて粉にする。老いた神父も子ども達にも力がないから、力仕事は皮肉屋の仕事だ。彼が一番働いた。
粉をお湯を掛け、ぐねぐねこねこね混ぜ合わせる。子どもが火傷をしては大変だからと、参加したのは途中から。神父は途中で疲れてしまって、結局やはり一番働いたのは皮肉屋だ。
皆でこねて蒸して作った団子は、正直余り美味しくなかった。何せ味が付いてないのだ。お米の味がするだけで、子ども達は不満であった。
そんな中で皮肉屋は、夜までには戻ると立ち上がる。全速力で駆け出した彼が駆け込んだのは、一番近くにある町の店。近くても山一つ分はある距離を、彼は走って往復した。
戻って来た皮肉屋が、手にしていたのは無数の調味料。果実を使った甘い物から、豆や麦を材料とした塩辛さのある物まで。
種々様々な味付け方に、子ども達は目を輝かせて飛び付いた。物の値段が分かる老神父は指折り数えながらに青褪めていたが、気にするなと皮肉屋は一つ口にする。
どうせ幾ら貯め込んでいても使い道がないのだと、語る瞳は優しげだった。バルザの実で作った蜜も其処にはあって、少女も笑顔で作った団子を頬張った。
梅花が咲いた季節の事。窓の向こうに積った雪を目にして、子ども達は喜び勇んで飛び出した。さあ何して遊ぼうか、皆で首を傾げて話し合う。
何時も来ている皮肉屋は、雪掻きしながら見守っている。やれやれ子どもは単純だと嘯きながら、孤児院だけでなく村中の雪掻き手伝いを行っていた。
彼が均した道を駆け抜け、子ども達は雪を手に取る。徐に投げたら打つかって、投げ返したなら雪合戦の始まりだ。
チームを分けてもいない乱闘は、収拾付かずに肥大化していく。気付けば全員雪塗れ。冷えた身体で震えながらも笑い合う。
呆れた様にやって来るのは、人数分のタオルを抱えた皮肉屋だ。溜息混じりにタオルを頭から被せる彼に対するお返しは、皆揃って一斉同時の雪玉投擲。
至近距離から顔面に、全弾命中皮肉屋撃墜。やったらやり返されても文句は言えないよなと彼は唇の端を歪めて、大人気ない乱入からの二回戦が勃発した。
敵は皮肉屋。味方は孤児院の子ども達全員だ。数の利により、大人は敗走。皆で掴み取ったのは勝利の美酒ならぬ、勝利の料理と言うべき物。
舌鼓を打とうとするのだが、食べた鍋物は味が今一。老神父の顔が青く染まる程、高価な材料を使っているのに何故だろう。皮肉屋が作った物だと分かった瞬間、皆が即座に納得した。
折角気を使って用意したのにと、膝を屈している青年。子どもの雪玉なんて軽く躱せる彼が態と避けなかった理由はきっと、一緒に遊びたかったからではないかと少女は今でも思っている。
そんな日々を夢に見る。もう失われてしまった優しい時間が、確かに其処には残っていた。
――優しい人だね。素敵な人だよね。貴方はきっと、彼が大好きだった。ううん。今も大好きなんだね。
慈愛に満ちた声に頷く。そうとも、大切なのだ。大好きなのだと。想える時間は沢山あった。過ごした日々は、確かに在るのだ。
これは友愛なのか。これは親愛なのか。それともこれが恋愛なのか。幼い少女にはまだ区別が付かない感情だけど、大切なのは本当だった。
――だからきっと、彼の傍こそ貴女の居場所。貴女の中にある幸せは、彼と共に居て初めて掴める物。貴女にとっての帰るべき故郷は、永遠は其処にあるんだね。
その言葉はどうしてか、心の隙間に嵌り込む。ああ、そうなのだと。桃源郷に足りないのはそれだった。己が求めた永遠とはそれだった。
何の為に、失わない時間を求めたのか。失いたくない者があるからだろう。失いたくない優しい時間が其処にあったから、ずっと続けば良いのにと思い描いていたのだ。
永劫死ぬまで変わらぬ時を得たとして、其処に大切な人達の姿がないなら意味はない。一人ぼっちで過ごす永遠なんて、終わらないだけの寂しい時間だ。
だから、欲しい物は此処じゃない。欲しい者が居ない場所じゃない。もう失わない為に遠ざけた時間こそ、ずっと求めていた青い鳥。気付けば其処に居たのだと、漸く今に分かっていた。
ならばどうすれば良いのだろうか。そんな事、考えるまでもないだろう。ならばどうしたいと言うのか。そんな事、悩むまでもない事なのだ。
もう沢山に失ったから、傷付きたくないと残った者を遠ざける。それでは笑えないと言うのなら、己の望みを確かな形に変えてみよう。もう傷付きたくないからこそ、残った愛しい者の下へと行くのだ。
――なら、行こう。良いよ。貴女が幸せになれるなら、貴女はそうするべきなんだ。誰かを気遣う必要なんてない。貴女がどうしたいのかと言うのが大事。ヘレナが保証してあげる。貴女はもっと自分を出して、幸せになって良いんだよ。
優しい声に導かれ、気付けば夢は終わっていた。瞬きの間に過ぎ去った白昼夢の後で、目を開いたアーニャの前に居たのは一人の女性。
「貴女を其処まで、案内する様にと。ヘレナ様の命を受けました」
膝を付いて少女と目線を合わせるエルフの英雄は、皮肉屋な彼が今何処に居るかを知らされている。其処に少女を導く様にと、主の命を受けている。
だからこのまま何も言わずに、連れて行くのが彼女の役割。だと言うのに、少し躊躇ってしまう。周囲の喧騒に溶けてしまいそうな小さな声で、イリーナは気付けば問い掛けていた。
「桃源郷の外で、貴女の求める人は悪なる竜と戦っている。其処はきっと、此処よりずっと危険でしょう。……それでも貴女は行きますか、アーニャ」
「うん」
答えは即答。僅かも必要とせずに返した言葉が示した様に、アーニャは既に決めている。彼女は己で見付けたのだ。
「私ね、見付けたんだ。帰るべき場所。帰りたい場所」
アーニャと言う少女が探していたのは、帰るべき場所だったのだろう。あの日々に帰りたいと願っていて、失った今に残った一人を抱き締めたいと思っている。
旅立つ少女は実の所、道に迷っていただけだった。帰るべき場所が分からずに、ワンワン泣いていただけだった。だから我が家の屋根を見付けて、ならばもう離さない。
「幸福の青い鳥は其処に居た。迷子が帰るべき家は、きっと其処にあったんだよ」
デュランは一人にして欲しいと願っていた。だから一度は身を退いた。けれど気付けばやはり、アーニャは一緒に居たいと思っている。彼は深く関わる事を拒んでいた。けれど、アーニャの心はそれが嫌だと拒んでいる。
これはきっと、愛と呼ぶには利己が過ぎる感情だろう。これはきっと、誰かを案じる献身とは真逆に位置する結論だ。だけどそうしたいと思うから、これ以上は退いてあげない。嫌がられても拒絶されても、一緒に居ると心に決めたのだ。
(少し、妬けるわね。あの子に良く似たこの子が、こんなにも求めている姿。何も言えない立場だけど、心から羨ましいと思うわ。デュラン=デスサイズ)
小さな身体で思いを定めて、見詰め合うアーニャの姿は少女の母と良く似ている。懐かしいその姿に、イリーナは小さく羨みながら目を細めた。
そうして、小さな姫に手を差し伸べる。桃源郷の支配者が直系であるこの少女と、手を結んで歩いて行く。こんな時間が続けば良いのに、口にはせずに思い浮かべて、イリーナはアーニャを連れ出した。
少女と女の家路は直ぐに終わりを迎える。最低限桃源郷を巻き込まねば良いと、戦う彼らは然程遠くに行ってはいなかったから。
辿り着いたのは、決着が付く一瞬前。傷付いた竜の拳が青年の身体に打ち込まれ、遠く遠くに吹き飛ばされる。その光景に飛び出そうとしたアーニャの手を抑える。
不安は数秒。悪なる竜が構えを解いて脱力した姿に、イリーナは戦いの終わりを察する。そうして彼女は、掴んでいた手を優しく解いた。
アーニャは直ぐに駆け出して行く。戸惑い迷いを抱きながらも彼の下へと。途中で悪なる竜と二言三言言葉を交わして、進む瞳はより強く、早くなった速度で駆けていく。
遠くその場から動かずに見詰めていたイリーナの下へ、傷付いた竜がゆっくりと歩いて来る。互いに用など何もないから、目線も合わせず擦れ違う。その直前、響希はふと抱いた疑問を口にしていた。
「貴女は付いて行かないの?」
「……資格がありませんから」
嘆く様に、羨む様に、語る女の姿に少年は眉を顰める。そんなにも物欲しそうな顔をして、一体何を語るのだろうと。
苦笑しながら女は続ける。少女と共に居る資格はイリーナと言う女にはもうなくて、共に居る理由や必要性すらもないのだから。
「それに私が居なくても、彼が居ればあの子は幸せに成れる。そう思うから、私は必要ありません」
「嫌だな。そういう弱い考え方。正直言って、反吐が出る」
「厳しいですね。えぇ、ですが確かに。私は弱い女なのかもしれません。今も、あの日も、変わらずに」
理由を付けて己の感情を塞いで、この方が良いからとベストを尽くさず自己弁護。そういう言葉は、正直言って少し嫌いだ。
嫌悪を隠さず語る竜の言葉に苦笑を深めて、イリーナは空を見上げて過去を思う。彼女は弱い。だからこそ、資格も権利も失った。そんな自覚があったのだ。
「あの子の――アーニャの母は、私の妹でした」
嘗てイリーナ・マクシーモワには、年の離れた妹が居た。幼く純真だった彼女を、イリーナは他の誰より他の何より愛していた。
彼女がエルフの英雄と、呼ばれる様になった理由の一つも少女の存在だっただろう。争いを捨てた桃源郷の中でも数少ない、戦う術を磨き続けた者の一人がイリーナだ。
何時か外から、脅威が訪れると感じていた。その時に戦える者が居なくては、この永遠は壊れてしまう。
志を同じくする風守人達と共に鍛え上げ、作り上げた自警団。それが元になって出来たのが、獣人桃源郷の持つほんの僅かな軍事力。
自衛の為だけに、設立されて磨き上げた。多くの人が桃源で夢に浸る中、此処を守るのだと決意を定めて門の外で戦い続ける。
そんな日々を送るイリーナにとって予想外な事に、彼女の妹は外に過分な夢を抱いていた。桃源郷で生まれ育った少女は、無知故に外を誤解していた。だから、悲劇は起きたのだろう。
「昔から、外に興味を抱いていた子でした。私の身を案じて、後先考えない子でもありました。だからあの子は――――捕えられてしまった。偶々その日に飛び出した所為で、二度とは帰って来られなかった」
聖教徒による北伐。迎撃にイリーナ達が外していたタイミングで、少女は門から外に出てしまっていた。気付いた時にはもう遅い。聖教徒に捕らわれた亜人達の中に、愛しい妹の姿があった。
彼女を救わんと飛び出したものの、最大の強みであった冷静さを失ったイリーナは脆かった。当時から筆頭と言う位置に居た十三使徒であるオスカー・ロードナイトに敗れ去り、彼女の部隊は全滅した。
生き延びたのは、イリーナだけ。激闘の中で傷付いた彼女は運良く落ち延びて、傷を癒せずそのまま気絶した。そうして目が覚めた後には、もう全てが終わっていた。
聖教は中央へと引き上げて、女の愛する家族は彼らによって連れ去られた。何度も中央への進軍を要請したが、二つの理由によって阻まれる。
専守防衛は許されても、争いを生み出す事は許されないと言う掟が一つ。そしてもう一つは、どうしようもない戦力の不足だ。
諦めるしかないと膝を折ったイリーナに、言葉を掛けたのは高祖父であるマキシムだった。彼は連れ去られた己の玄孫を救う為と言う理由で、聖教への潜入を実行した。
最早彼に頼るしかなかったイリーナは、頭を下げて縋り付く。涙と共に祈る言葉にマキシムは曖昧な微笑を返して、中央へと旅立った。……果てに十三使徒に列席されて、彼は確かに戻って来た。その手に愛する妹の死骸を持って。
涙と共に慟哭した。見っとも無く絶叫した。縋り付いた残骸の凄惨さに、その身にどんな地獄があったか思い至って心が軋みを上げていた。
そんなイリーナの姿に微笑みながら、マキシムは囁いたのだ。彼女の耳元で口にされたのは、最後に残った一つの希望。イリーナの妹には娘が居て、女が愛した少女は今も幸福に過ごして居ると。
それだけが、イリーナに残った最後の生きる意味だった。だから、彼女は胸に誓ったのだ。今度こそ、失いはしないのだと。今度こそ、守り通してみせるのだと。
「今度こそ、あの子だけは守りたいと思うのです。……この感情は、間違いなのでしょうか?」
「さぁ、知らないよ。勝手に決めれば良い。代替行為に過ぎない事に、興味なんて欠片も湧かない」
「本当に、手厳しいですね」
女の願いを代償行為と否定して、背中を向ける悪竜王。興味一つ向けない彼に、本当に手厳しいとイリーナは更に苦笑を深める。
その姿に、少年は少し苛立った。これだから、獣人桃源郷の連中は好かないのだ。立ち去って行く少年は空を見上げて、呆れた様に言葉を紡いだ。
「……はぁ。全く、否定の一つもしてみなよ。代替だって言われて、言い返さなきゃ認める事と同じだろうに。其処で怒れないから、北の奴らは駄目なんだよ」
代償行為ではないのだと、怒りを見せないから本気に見えない。確かに大切なのだろうが、彼女らには必死さと言う物が見えて来ない。
これだから、甘やかすだけしかしない風の精霊王は碌でもないのだ。誰にも優しい世界は容易く、人の輝きを鈍らせる。苦痛だけでは辛いけど、享楽だけでも駄目なのだ。
行き過ぎれば、これは邪神と同じく他に害を為す思考回路であろう。人の悪性を前提とした考え方は、他者に強要した時点で毒以外の何物でもなくなってしまうのだ。
だけど、やはり好きにはなれない。好みと異なる在り様だから、興味も出ないしやる気も湧かない。ならば無関心を貫くべきだろう。龍宮響希は嘆息混じりに、愛しい仲間達の下へと歩を向ける。
今は眠る仲間の為にもまだこの地が必要だから、桃源郷を背に戦うのであろう。それでも此処を守ろうと、そんな思いは欠片も湧きはしなかった。
◇
木々の隙間から覗くのは、空に浮かんだ丸い月。何時か見たあの月に、とてもよく似ていると感じるのは共に過ごした人が今も居るからか。
目を覚ましたデュランが最初に見た物は、微笑みながら見下ろすハーフエルフの少女の顔。青年の頭を抱き抱える様に膝に乗せて優しく微笑む彼女の姿に、その身体では重いだろうにと場違いな感想を一つ抱いた。
「おはよう。デュランお兄ちゃん」
「……アーニャか。おはようなんて、時間じゃないみたいだがな」
「起きた挨拶だから、何時でもおはようなんじゃないの?」
「さてな。知らんよ、興味もない」
「なら、何で言ったの。そういう所だよ、デュランお兄ちゃん」
ぼんやりと微睡みながら口にしたのは、何処か懐かしさすら感じるやり取り。
激務の合間に足繫く通った孤児院で、意識を無くして眠りに付いた後は何時もこんな形であった。
「懐かしいな、このやり取り。もう少し、ギクシャクするものと思っていたが」
「うん。そうだね。少し、不安だったかも。また一人にしてーって言われても、今度はダメーって返す心算だったんだもん」
「ふっ、駄目か」
「うん。ダメ」
「そうか。……なら、このままで良い。聞いてくれるか、意志表明、と言うには少し微妙だけどな。まぁ、似た様な物だ」
懐かしい言葉を交わしながら、目覚めて来た思考を纏める。意識が鮮明になれば、感じる痛みもまた強くなっていった。
ああ、そうかと納得する。この全身に走る苦痛に得心する。己は負けたのだと、ならば進む道は決まった。選べる道は、もう他にない。
「俺は、悪竜王を倒せなかった。奴に勝てなかった以上、聖教徒で居続けるなんて無理だ。此処でもう、道を変えるしかない」
デュランは龍宮響希に勝てない。命を賭けてもその身に届かず、幾度挑めど結果は殉教にしか至れない。ならばそもそも、挑む事に意味がない。
だが挑まぬの言うのなら、この道の先には何もない。聖教徒として北伐を成し遂げたとして、魔王を討てねば論外だろう。そもそも魔を討ち人を護るのがその役割で、討つべき魔を討てないならば教えに従い苦行を続ける意味がない。そうした果てに多くの命を奪い取っても、得られる物など何もないのだ。
「だから、俺は裏切る。本当の意味で、十三使徒の裏切り者だ。今まで殺し続けた亜人達の理想卿を背に、今まで共に在り続けた仲間達を殺し尽くす」
言葉を口にすると同時に、胸に鈍い痛みが走った。あばら骨が折れてるからか、それとも心が軋んでいるのか。問い掛ける言葉に意味はない。
傷は何時か癒える物。心の傷は塞がらずとも、身体は勝手に動いてくれる。信じた友を、背を預ける仲間を、守ると決めた人を、追い掛けたい星を――全て消し去る事はきっと、不可能な事ではないのだから。
「それだけが、今の俺に――デュラン=デスサイズに出来る事なんだろう。だから、俺はそう生きる。そう生きるしか、ないんだ」
誰かを傷付ける事だけに特化している。他の何もかもが不器用で、殺すだけしか能がない。そんな無価値な処刑人に出来る事など、殺す相手を選び取るだけでしかない。
悪なる竜を殺せぬ以上、滅ぼすべきは聖教だ。デュラン=デスサイズと言う男に出来る生き方なんて、それしかないしそれだけなのだ。だからそう生きるのだと、彼は此処に選択した。
「そっか、それしかないんだ」
「ああ、もうそれしかない」
いいや、これは選んだと言えるのだろうか。消去法における選択など、唯の妥協に過ぎないだろう。選んだのではなく、選ばされたというべきだ。
心に後悔は残るだろう。想いは無念と残る筈。こんな筈ではなかったけれど、他に何も出来ないからと。零した彼の言葉に頷き、アーニャは優しく髪を撫でた。
「私達を、守る為に戦うんだね」
「いいや、お前達を傷付ける者を殺す為に戦うんだ。俺にはそれしかないからな」
誰かを守ろうなんて傲慢だ。無力なる罪人に、そんな行為は許されない。これまで失敗し続けて来たから、彼はもう諦めている。
最初に失ったのは誰だろう。最後に守れなかったのは誰なのか。きっとその中の一つには、アーニャと過ごしたあの孤児院もあった筈。
少女が大切だと思っていた様に、青年も大切だと感じていた。如何なる奇跡か少女は今も生きているけど、あの日々はもう失われてしまっていた。
「……うん。なら、それで良い」
だから、アーニャは肯定する。彼の諦観を受け止める。第三の選択肢なんて選べない、そんな彼の弱さを否定しない。
それで良いのだ。貴方はそれで良い。そう微笑む彼女が胸に決めたのは、頑張ろうと言う想い。彼に出来ないと言うのなら、我が為そうと言うのである。
「デュランお兄ちゃんにそれしかないなら、お兄ちゃんはそれで良い。それで良いんだ。足りない物は、私が全部満たすから――」
「アーニャ?」
「お兄ちゃんが私の敵を倒すなら、私が貴方の助けたい人達に手を伸ばす。貴方の手が誰も助けられないなら、私の手で皆を助けてしまえば良いんだよ!」
男が現実に疲れ果て、夢を見れないと言うのならば良いだろう。代わりに彼女が夢を見る。叶えられない夢だとしても、必死にその手を伸ばせば良い。
そうとも何時だって、夢を見るのは小さな子どもの特権だ。大きな夢を語り明かして、目指せるのは若さの証明。それが如何に荒唐無稽な形であっても、本気で目指したならば無価値じゃない。
「二人で一緒に、頑張ろう? それで、欲しい物は全部掴んで離さないの! 皆一緒に最後は笑顔で、それが一番だって思うから!」
男が獣人桃源郷を守る為に嘗ての友らと敵対すると言うのなら、男の愛したその日々を守る為に守られている少女がその手を伸ばして掴み取る。
デュランが殺すだけしか出来ない処刑人だと自認するなら、彼の代わりにアーニャが全身全霊で助けに行く。全力で飛び込んで、生きて帰る心配なんてしなくて良い。彼女を狙う全ての敵は、デュランが倒してくれると信じている。
アーニャの言葉に茫然と、目を見開いていたデュラン。混乱する思考を如何にか纏めた彼は、矢継ぎ早にアーニャに向かって問いを投げた。
「……どうやって、掴み取る気だ?」
「分かんない。けど、手を伸ばせば届くかもしれないなら、手を伸ばしてみようよ」
「……どうして、出来ると思えるんだ?」
「私はそうしたいと思うから。最初から出来ないと思って、始める人は居ないでしょ。だから出来るって、思ってやるんだ」
「……無茶苦茶だ。屁理屈にもなってないぞ」
「うん。だけどね。そうしたいから、そうするの。理由なんてそれだけで、もう十分過ぎる程だよ」
やり方なんて分からない。どうすれば良いかなんて考えてない。無鉄砲な少女の言葉に、デュランは混乱しながら頭を抱える。
一体どうして、こんな無茶を口にするのか。迷い戸惑う彼の姿に、満面の笑みを浮かべてアーニャが告げる。何よりも綺麗な表情で、小さな少女は宣言したのだ。
「私ね、幸せになりたいの」
アーニャは幸福になりたい。そう成って欲しいと願われたからではなくて、そう成っても良いよと許されたからではなくて、そう成りたいと己の心が叫んでいる。
「私の幸せには、どうしても必要な者があるの」
アーニャの幸福にはどうしても、必要な者が一つある。戸惑いながら見上げる愛しい人に、指先から触れ掌でその頬を包む。抱き締めて口にしたのは、心の奥から湧き上がって来る本音であった。
「デュランお兄ちゃん。貴方が笑っていないと、笑えないよ。嬉しいって、感じないんだ。……だって、大好きなんだもん」
其れは女としての情か。其れは子どもとしての情か。其れは娘や妹としての感情か。分からないけど、感じている。触れ合う熱が、こんなにも愛おしいのだと知っている。だから――
「一緒に居たいよ。笑っていたいの。優しい貴方の居る場所が、私にとっての帰るべき場所だから」
願いはそれだ。祈りはそれだ。愛しい熱と触れ合って、ずっと一緒に居たいと感じている。貴方の胸の中こそが、帰るべき場所なんだと想えている。
だから、アーニャは微笑んだ。想いよ届けと伝われと、優しい瞳で見詰めて告げる。愛しい人を抱き締めて、一緒に居ようと告白した。
「ふ、ふふふ、ふはは」
そんな想いを向けられて、デュランは思わず噴き出した。腹を抱えて笑う姿に、アーニャは不満を抱かない。だって彼女は分かっていたから。
デュランが笑っていたのは、少女の小さな慕情じゃない。彼は己自身を嗤っている。その無様さを嘲っている。だがそれ以上に、彼は今泣いていた。
「ははは、ははは、はははははははははっ!」
笑う様に泣いている。泣きながらも笑っている。気付けなかった己が滑稽で、満たされている己が滑稽で、何よりそれが嬉しくて涙が止まらなかったのだ。
だから少女は微笑んでいる。優しく零れる涙を小さなその手で拭い取り、彼の頭を抱き締める様に包んでいる。そうして欲しいと求めていたと、今になって漸く気付けていたから。
「…………ああ、全く。お前と言う奴は」
一頻り笑い尽くしてから、彼は少女の手を優しく振り解く。もうこれ以上は出ないと言う程に涙を零したその後で、男は一人立ち上がる。
そうして見上げる少女に向かい合う。全身で愛情を示そうと近付いて来る少女の姿に笑みを浮かべて、皮肉と共にその小さな額を軽く指で弾いた。
「子どもが、女を気取るには十年早いぞ」
「痛っ。何するの、お兄ちゃん」
「考えなしに馬鹿な事を言う小娘への仕置きだ。……それで危険に晒されてみろ。唯でさえ許せない罪が、膨れ上がってこの身が潰れてしまうだろうが」
歴戦の青年にとっての軽くは、少女にとってはとても強い物でもあったらしい。尻餅を付いたアーニャは、赤く染まった額に手を当て口を尖らせる。
どうしてこんな事をするのかと、不満に返すもまた皮肉。何時もの調子を取り戻したデュランの表情に、翳りなんて見られない。彼は笑みを深めると、強気になって語るのだ。
「しかし、全取りか。その発想はなかった。ああ、本当に、そんな発想はなかったさ」
出来ないと端から諦めていた事。不可能だと最初から決め付けていた事。だが、本当にそうだと一体誰が決めたのか。
決まっている。限界を定めていたのはデュラン自身だ。己はそれしか出来ないと、自分で視野を狭めていた。だからこそ、そんな発想が出て来る事はなかったのだろう。
だがその固定概念は、小さな少女に否定された。痛みに涙目となりながら、服に付いた泥を叩き落としている少女。
彼女が全てを救おうと無謀な行為をするより遥かに、デュランが動いた方が勝算は高いと言えるだろう。そうとも、その程度には、叶う可能性はあったのだ。だから目指してみるのも良いかと、強気になったデュランは笑った。
「だが、そうだな。それも良いだろう。今から掴める全てを掴んで、お前の言う幸福を目指してみるのも悪くはない」
「……だったら、何で叩いたの」
「デコピン一つで涙目になっている様なガキじゃ、足手纏いでしかないと言う事だ。大人しく此処で待ってろ、アーニャ。……大丈夫。俺の帰るべき場所も、お前の傍に在るんだからな」
男のズルい所は其処だろう。何時だって仏頂面で皮肉ばかり口にしているのに、大事な所でしっかりと欲しい言葉をくれるのだから。
帰るべき場所と言われただけで、嬉しくなってしまったアーニャは想いを如何にか不満そうな表情に隠そうとする。それで居て隠し切れていない態度に、デュランは笑みを深めて心を定めた。
「さて、やるべき事は決まったな」
選んだのは、獣人桃源郷を守る事――ではない。ましてや聖教に組すると言う事でもない。目指す事が出来たのは、そのどちらでもない第三の選択肢。
アーニャを守る。気付かせてくれたこの少女を、全てを敵に回してでも必ず抱き締め続ける。その上で、掴める物は総取りだ。他の愛しい何もかもを、一緒に得ようと言うのである。
「桃源郷の敵を排除する。そして、引き込めそうな奴はこちらに引き込む。最終的に共存派を味方に付けて、和平の一つでも結べれば及第点か」
「……豆腐メンタルなお兄ちゃんに出来るの?」
「ふん、言ってくれる。いいさ、みせてやる。やってやるさ。俺を誰だと思ってる?」
「高級食材を台無しにする料理しか出来なくて、雪合戦では毎年惨敗してる残念なデュランお兄ちゃん」
「はっ。手先が鈍くて花冠の一つも作れないロクデナシと言うのが足りていないぞ」
二兎追う者は一兎も得ないと言われるが、必ずそうだと決まった訳ではない。失いたくない一兎をその手に掴んだまま、残る腕を先へと伸ばして掴めば良い。
掴み取れるかもしれないし、何も得られないかもしれない。それでも何もしないよりかは遥かに、意味も価値もある筈だ。そう想える様になったから、きっとデュランは前に進める。唯のデュランに戻れたならば、きっと何かが掴める筈だと思うのだ。
「だがそうとも、そんなロクデナシでしかない唯のデュランがこの俺だ。デスサイズでも十三使徒でもない俺なら、殺す以外も出来るかもしれない。少なくとも、お前が無駄に頑張るよりかは勝算があるさ」
「本当、一言余計だよね。だからイケメンさんなのに、私以外にはモテないんだよ」
「言ってろ。他人の評価なんぞ、どうでも良いさ」
破けたコートを羽織り直すと、背中を向けて歩き出す。とてとてとアーニャが付いて来る足音に笑みを浮かべて、少し足を緩めて歩調を合わせた。
為すべき事を決めた以上、時間はもう無駄に出来ない。先ずは共に来た者達への協力要請。それから残して来た者らの下へと、向かう必要もあるだろう。
願わくば、より多くを掴み取れる結末が欲しい。己の罪より、目指した星より、誰かが作った夢の理想卿よりも――――愛おしいと思える人は、既に居たのだと気付けていたから。
(青い鳥は此処に居た。欲しい愛は此処にあった。抱き締めてくれる人は此処に居た)
誰かに抱き締めて欲しかった。誰かに愛して欲しかった。その為に、愛される人になろうとした。その道は間違っていたけれど、過程の全てが無価値だった訳じゃない。
抱き締めてくれる誰かが居た。愛してくれる誰かが居た。幼く未熟な少女の愛は、確かにデュランを救っていた。立ち止まり振り向けば其処にあったのだと、今更になって気付けていたのだ。
(礼を言う。お前のお陰だ、アーニャ。やりたい事は定まった。守りたい者。貫きたい想い。それが今、確かな形になったんだ)
己に少女の愛を受け止める資格はない。罪深い己が救われて良い道理はない。この道が間違っていたのは真実で、今尚拭い去れない現実だ。
けれどだからと言って、少女の想いが軽んじられて良い理由もない。向けられる者に価値はなくとも、向けられている想いは確かに尊く美しい。
だから、デュランは自らの意志で選ぶのだ。他の何よりも、この稚拙で幼い愛情を守るのだと。この少女を害する全てを、排除する事を此処に誓う。唯、そうしたいと言う己の欲で。
(俺は俺の意志で、守りたい者達をこの手に掴む。守るべき者を傷付ける可能性を、全てこの手で刈り取り尽くす。この身の罪より、目指した星より、そうしたいと俺の心が叫んでいる)
これはきっと許されない。何時か必ず罰を受ける。己と言う存在は決して、報われてはならないだろう。そんな事実、彼は誰より分かっている。
けれど彼女は、己が居ないと幸せになれないというのだ。己が笑っていないと、泣いてしまうと告げたのだ。ならば比すれば己の罪や葛藤など、塵にも劣る物であろう。
己の心が叫んでいるから、男はこの道を選び取る。何時か破滅に至るとしても、必ずこれを選ぶのだ。罪深い己と異なり、優しい少女は幸福に生きるべきなのだから。
(さぁ、十三使徒に聖教会。俺は俺の意志で、お前達を裏切り敵として立つとしよう。故にだ、我が敵よ。処刑人たる我が眼前に立つならば、その首を置いて逝く覚悟をするが良い)
抱いた想いは言葉にしない。聞けば彼女は舞い上がるだろうから面倒だし、己も幸福になろうだなんてきっと許されない。まだそこ迄は許せていない。
だから、何時か己を許そうと思える日まで心に仕舞う。罪より愛が勝るまで、閉ざした言葉は口にしない。確かな音に紡ぐのは、必ず為すと定めた事だけ。
「俺は、唯のデュランは――――風守人の末と共に生きると決めたぞ」
言葉を聞いて、輝く笑顔に後悔は少しだけ。一番大事と決めたのは、もう二度とは揺るがない。
歩き始めたこの道は、まだ先なんて見えやしない。果てが無残な末路に繋がっていたとしても、それでもこの選択を変えようなんて思わない。
己の意志で選んだのなら、もう迷いはしない。揺るがぬ一つの意志を胸にして、駆け抜ければ良いだけなのだ。
〇
ホモ「アーニャちゃんの母親が門から抜け出すなんて、不思議な事もあるものだね。あの門は僕かママかイリーナにしか開けないし、門を通らずに移動できる技術も彼女は持ってなかった。となると、もしかしたら僕らの内の誰かが閉め忘れてしまっていたのかもしれないなぁ。その上出て直ぐに聖教に捕まるなんて、門の入り口が聖教の拠点近くに設定されていたのかな? 意図せずに起きた偶然だとしたら、一体どんな低確率なのかねぇ」
因みにデュラン君は十三使徒内でも結構な実力者。聖典同士の相性差を無視すれば、序列は上から三番目です。
実力は上から、
マキシム>オスカー>デュラン≒カルヴィン≒オードリー>チェイス>ブリジット≒アイザック≒ティモシー>パトリック>メリッサ>サラ>リース の順。
大体デュラン君クラスで、聖典込みで六武衆下位と同等程度かそれ以上。六武衆の上位陣には逆立ちしても、勝てないくらいを想定してます。(マキシムは炎王以外の六武衆の五人に圧勝できる。全員纏めて相手にしても多分勝てる。けど炎王なら普通にマキシムにも勝てる。なのでまだインフレはしていない(強弁))
尚、デュラン君の天敵は武鋼お爺ちゃん。聖典使うと技量差で無双されるのに、聖典使わないと増える爺に圧倒される。朧月夜辺りには善戦出来るしワンチャンあるけど、武鋼には完封されるのがデュラン君です。