その2
◇
日の光を多く取り込む大窓と、頭上にある精霊光のランプが建物内を白く照らし出す。
白く清潔なギルド内の天井から垂れるタペストリーには、『ようこそ、冒険者ギルドへ』と言う文言が躍っている。
場末の酒場などとは程遠い、公的機関が運営する役所にも似た施設。
その受付カウンターに座ったヒビキは、目の前にある青い水晶球に手を当てたまま、睨み付ける様にその中を見詰めていた。
「むむむ」
手に込める力を少し強くする。だが変化はない。
青い水晶球を不満そうに睨み付ける。やはり変化は何処にもない。
透き通った筈の水晶球は靄で霞んで、中には何も映らない。
対象の真実を見通し、進むべき道を指し示すと言う導きの水晶。
だが、ヒビキの真実は映らない。冒険者の適正と能力を判断する魔道具が、何も映し出せずに居た。
「出ない」
「大丈夫ですよ。力の強い亜人種の方だと、稀にこういう事もありますから」
対面に座る制服姿の女性が、苦笑を浮かべてヒビキに告げる。
冒険者ギルドの受付員が語る内容に、ヒビキは疑問を抱いて小首を傾げた。
「稀に、あるの?」
「ええ、微弱な瘴気を身体に流して、それを測定している魔道具ですから。余りにも瘴気量が多い方など、体質によっては映らない事もあるのです」
ヒビキはその水晶球を二色の瞳で見詰める。
導きの水晶。
真球に限りなく近い青の宝石は、冒険者ギルドへの登録を希望する人間の身体能力を数値化し、冒険者としての適正クラスを判断する為の魔法道具。
冒険者ギルドに登録を望んだ者が、まず受けなくてはいけないのがこの水晶球による審査であった。
「この水晶球は、冒険者としての適正を見定める為の物ですからね。微弱な瘴気程度で体調を崩してしまう方は弾かれますが、そうでなければまず通るのです」
水晶球が映し出せないと言う事は、微弱な瘴気などでは変化が起きない程に強い耐性を持つと言う事。
クエスト内容にもよるが、まず魔物との戦いが必須となる冒険者と言う職種。
瘴気耐性が余程低ければなれないが、逆に高い分には問題などはないのである。
「それに瘴気を弾く程の耐性を持つ亜人種の方は、皆様例外なく身体能力が高いですからね」
補足事項を付け足す様に、ギルドの受付嬢が口にする。
瘴気が強い亜人と言うのは、より源流である魔物に近いと言う事を示している。
水晶球と言う魔道具で映し出せない程に瘴気耐性を持つ亜人種は、例外なく人間を超越した身体能力を持っているのだ。
それは紛れもなく天性の才能。
如何に身体を鍛えようと、経験を積もうと、決して得られない天賦である。
「とは言え、水晶球が機能しない以上は、口頭での確認が少々必要になります。……より効果の高いスペクタクルズでも使用できれば、話は別なのですが」
「……けどそれって、お高いんじゃにゃかったかにゃ?」
金銭に関わる話が出た瞬間に、横に座っていた守銭奴が声を上げる。
ミュシャが知る限りにおいて、スペクタクルズと言う精霊道具は使い捨ての高級品だった筈だ、と。
「ええ、無料で行える水晶球診断と違って、スペクタクルズを使用する際には一度に付きゴルド金貨が三枚程――」
「ふにゃー!? 高過ぎだにゃーっ!!」
銅貨でも銀貨でもなく金貨。
その要求された金額に、銭ゲバは悲鳴に近い叫びを上げる。
「……残念。僕、無一文」
ヒビキは文無し。ホームレス邪竜である。
能力値を数値化してくれると言う高級な消耗品を、購入する費用などはない。
「うっ! だ、駄目にゃよ! ヒビキ、絶対駄目にゃっ! 三枚は高すぎにゃっ!! その辺の親父さんの給料一月分にゃよっ!?」
資金源であるミュシャに、悲しそうな目を向ける。
その純粋な瞳に一瞬頷きそうになるが、それでもミュシャは全力で首を横に振った。
ゴルド金貨は、一枚が日本円にして十万円程度に相当する。
無論国交などはなく、市場の物価価値なども違う故に一概には言えないが、それでも三枚も使用するのは手痛い出費だ。
必須ではない以上、銭ゲバでなくとも拒否するものだろう。
元よりそれほど期待してもいなかったヒビキは、ちょっと残念そうに口にした。
「……残念だけど、諦める」
そんな二人の遣り取りに、受付嬢はくすりと小さな笑みを浮かべる。
真面目な表情に戻って話を戻すと、彼女は水晶球で透視が出来ない場合のメリットを口にした。
「ステータスの数値化が出来ないのが不便ですが、その分実技試験が免除されます。考えようによっては、お得かもしれませんよ」
「実技、免除? 試験あったの?」
「ええ、基本的な身体能力測定と簡単な面接だけですけどね」
万年人手不足となりがちなギルド側としても、優秀な冒険者になれるであろう人材の確保には乗り気だった。
ステータスの数値化が出来ないとは、即ち前衛職として優秀な証でもあるのだ。
故にそんな強力な亜人種は、身体能力測定と言う試験を免除されるのである。
「面接の方も、既にギルド登録されている方と同行されていますので、その方が推薦なさると言うのでしたら免除になります」
面接は、あくまでも簡単な性格を見る為のもの。
犯罪者であれ、被差別民族であれ、優秀ならばギルドは受け入れる。
彼らにとって望まないのは、冒険者ギルド全体に不利益を齎す者だけなのだ。
故にこそ、他の冒険者が推薦するならば、面接試験もまた免除となる。
「……ミュシャ」
「うん。推薦くらいするにゃよ。タダなら、バリバリするにゃ。無料品って素晴らしい」
「ありがとう」
お得となる要素があるならば、即座に利用するべきだ。
そう考えるミュシャは影の収納空間より、透明なカードを取り出して受付嬢に手渡す。
受け取った受付嬢はそのカードを確かめる様に触れて、一つ頷くとミュシャに返却した。
「ではそちらも免除と言う事で。万が一ギルドの規定に反する事を行った場合、身元保証人である推薦者の方にもデメリットは御座いますので、くれぐれも違反のない様にお願いします」
そんな受付嬢の忠告に、二人は揃って頷く。
同意を確認した彼女は、一つ頷くと次の項目へと移った。
「それでは、暫し確認事項を」
問い掛けるのは、確認事項。
水晶球による透視では見えなかった、ヒビキの適正を判断する為の簡単な質問だ。
「魔物との戦闘経験があるかどうか。ある場合は、基本的にどのような戦い方をするか。そして特別な技能などはあるか、お答え下さい」
冒険者として必要な技能。クラスと呼ばれる戦闘スタイル。
本来ならば水晶球が適正クラスを導き出すが、それが出来ない以上は口頭による確認を行うしかない。
「魔物と戦った事は、結構いっぱい? 取り敢えず、近付いて殴る。……特別な技能? 魔法が使えるよ?」
該当するクラスとは、大きく分けて二系統。
詰まりは前衛か、それとも後衛か、どちらを重視するかと言う物。
「成程。……では回避と防御でしたら、どちらが重要と思いますか?」
「??? どっちも、要らないよね? だって、殴れば当たるし、当たれば死ぬよ? 弱い奴の攻撃なんて、何もしなくても痛くない」
「…………ふむ」
魔物との戦闘で、前に出る事を好むと言うのは前衛職の適正があると言う事。
防御を重視するならば、仲間を守る壁としての適性。
回避を重視するならば、当たる前に敵を倒す矛としての適性。
そのどちらも重視しないと言うならば、其処にあるのは人のそれではなく獣の合理。
「そうですね。ある程度、必要な事は分かりました」
ヒビキの答えを聞いて、受付嬢は彼の適正クラスを見極める。
長く冒険者を見て来た経験則から判断した、少年の適正クラスとは――
「ヒビキさんの適正クラスは、メインクラスが狂戦士で、サブクラス魔法使いと言った所でしょうか」
それは己の身を振り返る事もなく、全ての敵を屠るまで止まらぬ狂戦士。
同時にある魔法を使えるという特徴から、補助となるクラスは後衛職である魔法使い。
「クラス?」
「クラスって言うのはにゃ、主にこんな事ができるよ~って証明だにゃ。ミュシャの場合はメインが盗賊で、サブが狩猟者にゃね」
聞き覚えのない言葉に首を傾げるヒビキに、答えを返すは猫娘。
「別にどのクラスだから、得とか損とかないにゃよ。一応、適正クラスにあった装備を進められたり、パーティー募集やクエスト内容でクラス指定がある事もあるけどにゃ~」
神の加護がある訳でもなく、クラスによって特別な技を覚えられる訳でもない。
あくまでもクラスとは、性格と性能から来る相性だ。
適正クラスでなくても、そのクラス技能を学ぶ事は出来る。
だが、相性が悪いクラスは学んだとて効率が悪い。
効率悪い学習方法よりも効率の良い方法を行った方が、より強くなれるであろう。
それを示す為のクラス診断であり、冒険者たちがパーティーを組む上である種の指標ともなる物がクラスであった。
「狂戦士は、とにかく攻撃と殲滅を得意とする前衛クラスにゃ。戦士や僧兵と比べると防御面で不安が残るけど、その分破壊力はピカイチな物理アタッカーってのが一般的な認識にゃね」
「サブクラスの魔法使いは、後衛クラスですね。魔法は精霊術に比較すると、魔物相手には効果が薄いです。ですがその分、錬金術や死霊術など派生は多く、直接攻撃や治療以外の面で精霊術より秀でている印象でしょうか」
ミュシャがメインクラスである狂戦士に対する一般的な認識を語り、受付嬢が同じ様にサブクラスの魔法使いに対する印象を語る。
「ぶっちゃけ、精霊術って自然現象の延長か、浄化や回復。それに防御くらいしか出来にゃいからにゃ~」
「……収納術も、自然現象の延長?」
魔法と精霊術の違いに愚痴を零すミュシャに、ヒビキは疑問を投げ掛けた。
影を操作して内側に物質を収納する精霊術。あれも自然現象の延長なのか、と。
「影の操作ですね。まあ、空間を広げるとなると魔法の領分ですが、あれは影の許容内に物を移動させているだけですから、精霊術の一種となるのですよ」
「? ???」
受付嬢の説明に、更にヒビキは首を捻る。
影の上に移動させるならば兎も角、影の中に移動させる事は自然現象なのだろうか、と。
「にゃー。精霊学的にはにゃ、自然界にあるものは全て精霊によって構成されているとか言うにゃよ~。それでにゃ、人の影も当然一種の精霊であるとか考える訳にゃ。その精霊が持てる物を、精霊の身体の中に預ける。それが収納術にゃね」
精霊学において、精霊と自然は等号で結ばれる。
彼らの理解においては、影の中に広がる世界とて自然の産物なのだ。
だからこそ、影の内部に世界があるのは、彼らにとっては当然の認識。
そこに物を入れるだけの収納術は、自然現象の延長と捉えられている訳である。
(とは言え、その常識も最近怪しく思えて来てるんだけどにゃー)
嘗て齧った精霊学を思い出しながらに、ミュシャは内心でそう思考する。そんな違和を感じる様になったのは、己が祖であるクロエの戦う姿を見た後になってからの話であった。
(精霊術で出来るのは、自然の操作だけ。それが一般常識だけど、クロエ様は自然の操作とは思えない事をやっていた。だけど、精霊であるあの方が、精霊術以外を使う訳がない)
ならば、精霊術には更に深淵が、秘奥と言うべき物があるのだろう。そう考えるミュシャは、故に一つを思い付く。
(シャーテリエの隠れ里から、幾つか書物も持ち出してるし、時間が空いた時にでも勉強し直してみるかにゃ)
元より、亜人は精霊術を使えない。そんな認識があったから、ミュシャはしっかりとした勉強をして来なかった。
だが、ネコビトは亜人ではなく半精霊であった。それが事実であるとするならば、自分には精霊術師としての適性もある筈なのだ。
故にミュシャは折を見て学び直す事を決意する。自分達が精霊に連なる部族だと言うならばきっと、持ち出した書物の中に確かな事実が記されているだろうと期待して。
「と、まぁそんな訳で、影の中には異界があるにゃ。けど影の大きさを超える物は入れられにゃい。ミュシャだと、ミュシャの体重と同じ量が許容限界にゃね」
「その点、時空間に干渉出来る魔法の熟練者ならば、部屋一つ、屋敷一つ分の荷物を虚数空間に収納できると言われてますね」
「へー、そうなのかー」
「……ヒビキ、理解してるにゃか?」
「へー、そうなのかー」
「駄目っぽいにゃね」
前提となる自然への理解からして異なっている。
微睡む竜はその頭脳もまた、余り機能していない。
(物理法則って、何だっけ?)
故にそんな風に頭を傾げても、答えなんて出はしない。
影の世界とは何だろうと、学校で習った理科科学の知識を思い出しながら、呻くのであった。
「まあ、その点は必要になったら、追々学んでいけば良いでしょう」
話が脱線している事に気付いた受付嬢が、咳払いをして話を戻す。
さして意味のない会話をしている内に、必要事項を記録した魔道具は既に役割を果たしていた。
「冒険者カードの発行、完了です。ギルド規定に関しましては幾つかありますが、それはこちらの冒険者手帳を各自でご覧下さい」
そうして、受付嬢が一枚のカードと一冊の手帳を手渡す。
透き通った水晶で出来た透明なカードこそ、冒険者としての証明となるギルドカード。
受け取ったヒビキは、それに意識を集中する。
途端にカードに浮かび上がるのは、記録されたヒビキの情報。
それは彼の名前であり、そしてメインクラスとサブクラス。
ステータス欄は空白で、称号賞与の欄も空白。
名前の横に刻まれた冒険者ランクは、最底辺であるFランク。
裏面にある空欄は、彼がこれから経験する全てを記録する為の場所である。
「主に守るべきは二つ。ギルドへ貢献する事。冒険者として受けた依頼には、確かな結果を齎す事。それさえ守れば、ギルドランクも上がっていくでしょう」
ランクは冒険者にとっての実力証明。
強さは勿論、それだけでは上がらない。
所属したばかりの冒険者をF。ある程度の経験者がE。
それなりの実力者でD。二流と呼ばれるのがCならば、一流と称されるのがB。
Aランク。AAランク。
そしてAAAランクとなると、世界でも一握りしか存在しない最高位の冒険者。
国が、ギルドが、冒険者に求めるのは未開の地の探索。
そして襲い来る魔物たちへの、重要な遊撃戦力としてある事。
故に到達点へ至った者は皆、歴史的な発見をした者たち。
同時に巨大な魔物を討ち取った、魔物の大侵攻を食い止めた。そんな伝説的な英雄達。
ギルドにとっても至宝と言える冒険者の到達点。
高位の冒険者たちには、それ相応の権利が約束されるであろう。
富も、名誉も、望めば全てが手に入る。
最高位の冒険者とは、全ての人が夢見る成功者だ。
「無論、高ランク冒険者になるには、品位と言う物も必要です。何しろ荒くれ者と言うイメージが強い職業ですから、一般の方々、依頼者を安心させる自助努力も必要となりましょう」
そして同時に、全てのギルド構成員には義務が生じる。
それはギルドを代表する顔として、相応しい姿を見せる事。
少なくとも、この南方大陸ではそれを何よりも重視している。
常に危険に晒され怯える人々を守る事が騎士たちの役割ならば、この地の冒険者の役割とはその根源を解決する事。
未開の地を減らして、人の生きた爪痕を確かに残す。
一人一人が高い意識を持って、冒険者である事を誇りに思う。
それこそが、南方ギルドの指標である。
それを守れる者しか此処には居らず、故にこの南方は五大陸で最も冒険者の質が高い。
弱きを挫く者などいない。強きにひれ伏す者などいない。
誰もが夢見、誰もが目指し、誰もが至ろうとする。そんな冒険者たちが此処には居る。
「……僕も、そんな一人になる」
瞳が輝く。両の瞳に宿ったのは、希望の色。
この容易く壊れそうな小さなカードが、とても誇らしい物に見えて来る。
「にゃふふ。やる気満々にゃね~」
口ではそんな風に言いながらも、ミュシャもそんなやる気に触発される。
上位に行き過ぎれば、収入も多くなるが出費も多くなる。
故にそれなりのランクで満足しようとしていた彼女だったが、それでも最後まで付き合おうかと思ってしまった。
「素晴らしいです」
そんな二人のやる気の高さに、受付嬢は優雅に微笑む。
最も危険なこの南方だが、同時に他の何処よりも意志の高い新人が現れる。
故にこそ、彼女はこの職場を愛している。
そして故にこそ、彼女はその素晴らしい新人達に言うのだ。
「ええ、やる気は素晴らしいです。ですが」
「ん?」
「にゃ?」
その目は座っていた。その表情は硬かった。
張り付いたのは、無表情より冷たい営業スマイル。
「外套一枚で歩き回るのは、ギルドの品位に関わります。民族特有の風習もありますから、余り強くは言いません。ですが、高ランクを目指すなら、なるべく早い内に一般的な衣服を用意する様に」
「あ、……僕、裸マントだった」
「にゃー!? 忘れてたにゃ!?」
高ランクになる前に、猥褻物陳列の罪で騎士団にしょっ引かれそうな新人達。
そんな彼らの姿に頭を抱えて、それでも営業スマイルを張り付けた受付嬢は口にする。
「では、良き冒険者生活を」
輝かしい新人達が、煌く星になれる事を祈る。
これより始まる冒険者としての生活を、素晴らしい物で満たして欲しいのだ。
第二幕ヒロインは暫く出ません。