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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第三部第一幕 竜と処刑人のお話
189/257

その11

 桃のアーチを抜けた先には、黄金色の稲田が広がる。踏み締める大地は土色に、色は変われど形は変わらず続いている。

 もう少し、進んだ先には多くの家屋。其処に住まう人々が、小さな影と見える程。もう間もなく、桃源の里へと辿り着く。


「間もなく、桃源の里となります。亜人の皆様は一先ずこちらに。人数分の食事と寝床を用意しておりますので、ぐっすりとお休みになられるのがよろしいかと」


 知らず、踏み締める足は早くなる。思わず、強く大地を蹴り上げるのは歓喜が故か。気付けば、亜人の難民達が誰よりも先を駆けている。

 その向こうには、優しい笑みを浮かべた人達。穏やかな表情で彼らが掲げた幟には、歓迎を意味する言葉が。文字を読めない難民達にも、伝わる熱が其処にはあった。


 疎まれる事には慣れていた。蔑まれる事は日常で、寝ても覚めても常に迫害されていた。けれど、温かく迎えられたのはこれが初めてだった。

 だから、涙で瞳を揺らしながら彼らは進む。そんな同胞達の姿に、迎える側も慣れているのだろう。何故ならば、此処に居るのは皆、嘗てそうであった者達だから。包まれて笑う難民達は、昨日の彼らの姿に他ならない。


 遅れて追い付いた響希達は、受け入れられた者らの姿に目を細める。これからの彼らの幸福を祈る。今まで辛い事ばっかりだったのだから、多少は恵まれても良いだろう。そんな風に、思っていた。


「悪竜王様御一行と、聖教の皆様方はこちらに。精霊王ヘレナ・シルフィード様がお待ちです」


「……精霊王は、寝てんじゃねぇのかよ」


「基本的には、ね。けれど、重要な出来事は既に予知されている。必要な時には、目を覚まして下さるんだよ」


 桃源郷を夢見る為、精霊王ヘレナは常に眠りに就いている。それでも彼女は時折、目を覚まして言葉を紡ぐ。

 其れは歴史のターニングポイントとも呼ばれる時に。事前に全てを知る精霊王は、己が必要とされる時も確かに最初から知っている。


 この世界の継続だけを思えば、可能な限り目覚めぬ方が良いのだろう。数分程度の時間ならば起きていられるとは言え、それでも負荷は大きくなる。

 だから常は眠っている。敗北者達の逃げ場となる為、彼女は何時も眠り続ける。そんな女が目覚めると言うなら、其処には相応の理由があるのだろう。


 嘗ては勇者の旅路の折、彼へと問い掛ける為に目覚めた。以来眠り続けた彼女が目覚めるのは、一体何の為にであろうか。


「精霊王様は、里の奥。蓮池の中で、眠りに就かれておいでです。其処まで、もう暫しお付き合い下さい」


 桃源郷に受け入れられた難民達は、此処で今後を過ごすのだろう。為すべきことを終えた彼らの姿は、まるで余生と言うべき停滞だった。

 精霊王の下へと進む響希らにとっては、此処は通過点に過ぎぬのだろう。彼らはまだ旅路の途中、為すべき事はまだまだ多くあったのだから。


 二手に分かれる集団の中、取り残された少女は思う。どちらに向かうべきなのか、アーニャは僅かに迷っていた。


(どうしよう。私も、行っても良いのかな?)


 少女の目的を思えば、此処でお別れとなるのだろう。精霊王の呼び出しを受けたのは、響希達と聖教の面々だけ。アーニャは其処に含まれていない。

 付いて行く理由なんてない。付いて行ける資格なんてない。此処で立ち止まって良いのだと、過ぎ去る背中に僅か思う。付いて行って、みたいのだと。


(うん。付いて行こう。駄目だって言われたら、止まれば良いんだもん)


 背中を追う。その理由はきっと、心配な人が居るからだ。旅路を共にした家族はもう大丈夫。此処は理想の園だから。守ってくれた人達も大丈夫。彼らはとても強いから。だからアーニャが心配なのは、大好きだった一人の男。

 戦う技術は、とても強いと知っている。けれどその心が、外面よりもずっと繊細だって知っている。放っておけないのだ。一人にしておくと何処までも、どん底にまで落ちてしまいそうな人だから。放っておきたくないのだ。アーニャはまだ、何も伝えられていない。


 面と向き合うと、まだ何を言って良いのか分からなくなる。想いはこんなに溢れているのに、言葉は一つも選べない。でもまだ一緒に居たいから、少女は止まらぬ道を選んだのだ。

 追い掛ける少女の姿に、四人は歓迎の意を笑みで示す。残る二人は、複雑だ。帽子を目深に被り直したマキシムは、何か含む所があるように笑みを張り付け。想いを向けられているデュランは背を向けたまま、決して振り向こうとはしなかった。


「獣人桃源郷と言う名前の割に、純粋な人間種も居るんですのね」


「桃源郷は、全てを受け入れ愛します。それは亜人も、人間も、例外ではありません」


 桃源の里を進む中、見える景色に驚いたブリジットが問い掛ける。人と亜人が同じ屋根の下、仲良く笑い合っていた。

 この光景は聖教徒である彼らにとって、目を見開く程に信じ難い物。あり得ないと、そう考えていた理想の園が此処に在る。


「……人間と、亜人が仲良く酒を酌み交わす、か」


「意外かい? けれど事実、此処では種の違いなど意味がない。誰もが皆、対等なのさ」


 これが他の敬虔な十三使徒ならば、在ってはならぬと激昂して壊そうとしたのだろう。だが、此処に居る二人は信徒としては不良である。

 共存派の村でも、ごく一部でしか見た事がなかった光景。誰も彼もが対等で平等に暮らせる優しい世界を前にして、デュランは思ってしまう。此処を壊すのか、と。彼の中には、迷いばかりが積み重なる。


「あれは、何をやってるの?」


「農耕ですね。イメージで種籾を作った後、手作業で麦を育てているのですよ」


「何で、そんなことを? 何でも作れるんでしょ?」


 思い悩んでしまうデュランの鬱屈に、気付いてアーニャが話題を変える。口に出して問うたのは、小さな畑で農作業をしている人の姿。

 此処まで続く田園風景の中でも、常々疑問に思っていたのだ。なんでも作り出せると言うなら、そんな物は不要ではないのか。何故、そんな無駄な事をしているのであろうかと。


「イメージ出来れば、ですね。無から生み出せるのは、知ってる物だけ。未知を生み出そうとするなら、ああいった作業も必要となって来る訳です」


「勿論、生きるのに必要な物は全てイメージだけで作り出せる。未知を求める作業とは、桃源郷における娯楽みたいな物だよ。彼らは好きで、やっているのさ」


 そんな少女の問い掛けに、風森人の二人が答える。現実に変える事が出来るのは、明確に形を描ける夢に限られてしまうのだと。

 知らない物は作れない。ぼんやりとした概要だけでは生み出せない。だから、桃源の民は時にそうした形で新たな物を作り出そうと試みる。


 未知への挑戦は、変わらぬ日々が続く桃源においては娯楽である。生きる為に必要な事ではないから、其処には必死さなんて一つもない。

 時間を掛けて試してみて、駄目だったら仕方がないねと。笑って済ませる程度の事。だから実を結ぶ事など極稀で、失敗なんて当たり前。話の種の、一つでしかない物なのだ。


「桃源郷には全てがある。禁じられているのは、争いだけ」


「他者と争いを行わぬ事。桃源郷にある法とは、原則それのみです。他者を否定し、他者を詰り、他者を侮蔑する。そうした行為をしなければ、あらゆる全てを手に出来ます」


 禁じられたのは、争いだけ。奪い合う事だけは駄目なのだと、それ以外の全てが此処では許されている。

 戦う事をしなければ、誰もが心穏やかに過ごせるだろう。何かをする必要など何もなければ、何時までも静かな時を過ごせるのだ。


「……競い合うのも、ないんだね」


 其処に、響希は僅かな淀みを抱く。胸を過ぎった冷たい熱は、薄い落胆にも似た感情だろうか。

 此処は変わらないのだろう。今日も、昨日も、五百年前も、同じ形で続いている。停滞した箱庭だ。


「何となく、王様達が嫌ってた理由が分かる気がする。此処は、進む事を止めたんだ」


 穏やかに今日と同じ明日が続く世界。此処に発展などはない。競い合わねば、必死にならねば、新たな物など生まれない。

 此処は怠惰な平穏に満ちた、穏やかなだけの箱庭だ。万に一つ、億に一つと新たな物が産まれても、次に繋がる事なく其処で止まる。そういう世界が、獣人桃源郷なのだ。


「停滞の中で、あるのは緩やかな滅びだけ。衰退に通じる此処は、果てに全てが破滅する」


 東の王が嫌っていたのは、きっと此処には未来がないから。停滞の中で笑い合っている人々は、その最期にも気付かないまま夢へと溶ける。

 誰も迫る脅威に気付いていない。気付いたとしても、きっと何もしないのだろう。世界は何時か終わるから、その日までは心静かに過ごして居よう。此処に居るのは、そういう人種でしかない。


 未来を切り拓くだとか、命を懸けてでも挑むだとか、そういう熱が一つもないのだ。だから闘争の坩堝に産まれた超越者は、この地を惰弱と蔑んだ。

 男と向き合い戦い乗り越えた少年は、当時の彼に似た感想を此処に抱いた。綺麗だとは思うし、必要だとは思う。だけど、この世界は気に入らない。己に向き合いすらしない、人の弱さが嫌なのだ。


「……だが、否定したくはないな」


 この世界が嫌いだと、結論付けた響希とは逆の言葉が漏れる。同じ物を見ても、感じる想いは人其々。結論が変わる事など、他人ならば当然だ。

 デュランは思う。確かに此処は、己に向き合えない弱者達が生きる場所なのだろう。諦めた人々が辿り着いた、逃げ場に過ぎない世界だろう。惰弱であると言われれば、否定なんて出来ない場所だ。


 けれど、逃げる事は悪い事なのだろうか。けれど、選べないでは駄目なのか。辛い時に、それでも進み続けないといけないのか。


「進み続ける事は苦しい。競い合えば、敗者が生まれる。誰もが強く在るなんて、きっと不可能な事なんだろう」


 きっと、違う。誰も彼もが、強くなんて在れないのだ。訪れる結果が変わらないなら、人は努力なんて出来ない。何時か摩耗し折れてしまう弱さは誰しも必ず持っている。

 だから、それを受け止めてくれる優しさを否定したくはない。果てに何も残らず消える愚かな想いなのであろうと、この愛はとても美しいと想えた。笑い合う人々は、素敵であると感じたのだ。


「だから、優しい嘘でも良い。永遠に続く安らぎが、時に欲しくなるんだと思う」


 この世界が理想だなんて、優しい嘘でしかない。永遠なんて何処にもなくて、手を伸ばして求めても何も掴めず終わるのだろう。

 けれど、外の世界は残酷なのだ。余りにも救いがないから、時には夢を見たくなる。罪深い己ですらも、時に縋りたくなってしまうのだ。


 ならば罪なき人々は、夢に溺れても良い筈だろう。己の様に、それが許されないと言う理由はない。だから、デュランは思うのだ。

 愛しい人々。共に過ごして情を抱いた者達が、こんな優しい世界で過ごしていけたら嬉しいと。だからデュランは否定できない。己が誰かを愛する様に、此処に居る彼らも誰かに愛されていたのであろうから。


 己に愛される資格が無くとも、愛されて良い人々が満たされているならそれは素敵だ。輪の中に入れずとも、それを見詰めているだけで少しは救われた気持ちになれる。

 だからデュランは、この世界を否定しない。否定出来ないし、したくない。例え果てに己の手で、壊さなくてはならないのだとしても――彼はこの桃源郷を、美しいのだと捉えていた。


「デュラン。君は、優しいんだね」


「ヒビキ。アンタは、強いんだな」


 互いの吐露した胸中に、視線を合わせて言葉を返す。想いを否定する気はなくて、口にしたのはその想いへの感嘆だ。


 響希と言う少年の言葉は、彼が強いから言える事。止まる必要はない。止まってはならないと、己に言い聞かせていればこそ。

 デュランと言う男の言葉は、彼が優しいから言える事。人の弱さを肯定して、それでも良いのだと言葉に紡ぐ。それで己は止まらないと言うのなら、きっとそれは優しさだろう。


「優しい訳じゃない。唯、甘ったれなだけだ」


「強い訳じゃないよ。唯、強くなりたいだけ」


 互いに出した結論に、互いに否定の言葉を被せる。強い。優しい。そんな評価は相応しくないのだと、二人は共にそう思う。


 響希と言う少年が本当に強いのなら、きっと彼らの惰弱だって許せただろう。何もかもを背負って進む、それだけの意志を示せた筈だ。

 デュランと言う男が本当に優しいのなら、処刑の刃によって落とされた首などありはしなかった筈である。男は余りに罪深く、多くの命を奪ってしまった。


 だから違うのだと、共に否定する。けれど否定の意志は相手に上手く伝わらず、共に謙遜として捉えていた。

 少なくとも響希の目から見たデュランと言う男は優しい人物で、デュランの目から見た響希と言う少年は強い子どもであったから――彼らの中では、それが彼らの真実だった。




 そうして、道の果てへと辿り着く。里の奥深くに在ったのは、大きな溜池と無数に浮かんだ蓮の花。

 中でも一番大きな蓮華は、人一人を丸ごと包み込める程。閉じた花は蕾となって、澄んだ水の中心に漂っている。


 左右に分かれて侍るマキシムとイリーナ。彼らの中央には、とても大きな蓮の蕾が。何となく、誰もが理解した。その中に居るのだと。


「さぁ、皆様。ヘレナ様が、御目覚めになられます」


 一枚、一枚と花弁が静かに開いていく。中に居たのは、裸体を晒す微睡む者。

 腰から下に伸びる二つの脚は、途中で花弁と繋がっている。蓮と同化した翡翠の女が、風を統べる精霊王。


 ゆっくりと、瞼が開く。淡く輝く色合いは、今にも眠そうに閉じてしまいそう。それでも、彼女は起き上がる。

 花弁の布団で丸く膝を抱えていた姿から、上半身を起こして横座りへと。微睡む瞳で居並ぶ者らを見詰めると、ほんわかとした笑みを浮かべて彼女は言った。


「…………あと、五分」


 そして、花弁が閉じていく。蓮の花は池の中へと、沈み始めて漸く気付いた者らが声を揃えて口を開く。


『ちょ!? 出て来て直ぐに寝るな!?』


 止められても、止まらない。池の中に沈んでいく巨大な花を前にして、皆の心が今一つに成っていた。

 敵対する立場の者達全員に、同じ感想を抱かせる。それは確かに偉業と言えなくもない事だろうが、そうと認めたくなどない。


 起きないと言う母の暴挙に慌て始めたマキシムの姿に暗い愉悦を感じながら、響希は一人想いを確かにする。南以外の精霊王って、碌な奴がいないなと。





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