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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第三部第一幕 竜と処刑人のお話
184/257

アーニャと言う少女

 彼らは、差別される立場にあった。迫害され、虐げられ、奪われる者らであった。唯、人とは異なる血が流れる。唯、人とは僅かに見目が異なる。それだけの理由で、彼らは最底辺にあったのだ。


 其れに否と、叫びを上げても意味などない。奪う者らは奪われる彼らより多数であって、怒りを叫ぼうとも種々様々な暴力を前に潰される。そうして、彼らは奪われ続ける。それは産まれた時から、死に至るまで変わらない。どうしようもない、唯の現実。


 理不尽に対する怒りや憤りは、何時しか摩耗し圧し折れた。流し続けた涙も血も枯れ果てて、生きる事に疲れてしまった。それでも、彼らは生かされた。

 底辺は、必要だった。理不尽は彼らを虐げる側にも襲い掛かっていたから、その憤りの捌け口が何処かに居なくては今の社会は回らない。だから、彼らは飼われ続けた。


 自由などはない。逃げ場などはない。その手に掴める物など何もない。それが中央と言う人間至上の大地に産まれた、人と異なる種族の生涯。


 誰もが諦めて生きていた。耳の形が違っていたり、尾が生えているだけで、どうしてこんな目に合うのか。答えの出ない疑問を抱えて、彼らは無意味に無価値に死に続けた。




 誰かが言った。北の果てには、楽園があると。亜人として産まれた者でも、受け入れてくれる場所があるのだと。


 学のない獣人には、噂の真偽など分からない。学ぶ機会すらもない彼らには、残飯を漁りながら生きる者らには、確かめようなど一つもない。

 だけど、彼らは想ったのだ。在ったら良いな、と夢に見た。それは蜘蛛の糸にも劣る、儚く脆い虚像の希望。何時か行けたら良いのに、と。震えて眠りながらに夢を見た。


 誰かが言った。北の果ての、楽園を目指そうと。亜人として産まれた僕たちは、此処に居ても生きながらに絞り殺されてしまうだけだから。


 学のない獣人にも、その行為の無謀さは分かった。村一つを移動するだけでも、護衛が無ければ無数の人が死に絶える。そんな中央大陸は、とてもとても広いのだから。

 日々を生き抜く事も大変で、誰もが痩せ衰えた姿をしている。武芸を学ぶ余裕などもある筈なく、旅路の知識だってない。決意を胸に荒野に旅立ったとしても、辿り着くなど出来る筈はなかったのだ。


 それでも、誰かが言った。ならば、このまま死ぬのかと。飼われて、生かされて、戯れに殺される。そんな一生を、受け入れて過ごすのかと。


 学はなくとも、勇気のあった獣人が居た。楽園を目指そうとした者が居た。男か、女か、それとも両方か。今となっては、然したる意味などない。

 発端となった旅人は、旅路を始めて直ぐに倒れた。それも当然、真面な身体すら持たない彼らが、長い旅路に耐えられる筈なんてなかったから。病に屈した残骸は、魔物に喰われて骨すら残さず消え去った。


 それでも、旅人は言った。最初の旅人の背を見て、その背を追った者は語るのだ。楽園を目指そう。どうせ死ぬなら、其処を目指して生きて行こう。


 幾人もの亜人が倒れた。幾人もの獣人が死んだ。夢の半ばで、楽園には至れず、その光景はまるでレミングスの行進だ。次から次へと命を落とし、残骸すらも残せない。

 多くの命を取り零し、それでも楽園を目指す亜人の数は減らない。少しずつ、少しずつ、その数を増やしていく。全ての亜人が、そう生きた訳ではない。けれど少なくはない亜人が、北を目指した。


 北へ行こう。楽園を目指そう。其処に行けば、きっと在る。温かなベッドに、温かいスープ、温かい人達だって居るだろう。きっときっと、温かい物の全てが其処には満ちている。

 北を目指そう。楽園で暮らそう。きっときっと、優しい時間が其処に在る。人には成れない亜人でも、きっと其処なら受け入れる。抱き締めてくれる筈だから、その場所まで歩いて行こう。


 願って、祈って、進み続けた。途中で誰かが膝を折っても、途中で誰かが魔物に襲われ喰われても、振り返らずに進み続けた。その頃には、誰もが理解していたのだ。


 捨て行かれ、貪り喰われる者らも恨みはしない。あるかないかも分からぬ楽園を、目指した事に後悔しない。死の間際でさえも、彼や彼女は願っていたのだ。誰か一人でも、楽園に至って欲しいのだと。

 置き去りにして、歩き続ける者らも分かっている。己と彼らに違いなどは何も無い。唯、運が良かっただけ。或いは、運が悪かっただけ。だから己が彼らの立場になれば、同じく願い祈っただろう。誰か一人だけでも、救われて欲しいのだと。


 そうした果てに、彼らは北に辿り着く。残った数は二十と三。一番多かった時よりはずっとずっと少なくて、それでも初めて旅立った時よりはずっとずっと多い数。

 果てしなく広がる温かな森に、この先に楽園があるのだと理解した。人の流れから身を隠して、彼らは森の中へと進む。何時か夢見て、果てに辿り着かんとしている。そんな楽園の存在を――。




 保証のないエクソダス。それは中央大陸の歴史では、度々起こる出来事だ。夢を見た亜人の誰かが発起して、多くの者らを先導して北へと向かう。

 果てに楽園に至る事も、決して少ないとは言えない。風の王は誰も彼もを愛していて、抱き締めると決めているから。多くの者らが楽園へと、確かに辿り着いていた。


 けれど、何時も成功する訳ではない。いいや、寧ろ失敗に終わる事の方が遥かに多い。余りにも障害が多過ぎるのだ。

 蔓延る魔物に、追い立てる宗教。平民さえも敵であり、村に近付けば農具や武器で追い立てられる。食料補給さえもままならず、何れ病に屈して荒野でその死骸を晒す。


 十や二十の内、成功するのは一にも満たない。百や千と位を上げれば、十の単位には至るだろうか。その程度には理不尽な旅路が、歩む過程の中にはあった。

 それでも彼らは、北に至った。だから、彼らは楽園に辿り着けたのだろうか? いいや、否。辿り着けていない。それは文字すら読めない彼らでは、気付けなかった機の悪さ。彼らの脱走劇は運悪く、過去最大の北伐と噛み合ってしまったのだ。


 楽園の門は閉ざされている。なりふり構わぬ中央の大攻勢を前にして、風森人の英雄は楽園を守る為にその門を閉ざしたのだ。


 楽園とは、精霊王の作り出した異界である。常春の桃源郷は、風の精霊王が夢見た世界。その異界を維持しながら、迷いの森を大陸中に展開している。それだけで、精霊王であるヘレナは既に限界だった。

 未来を予知し、必要な時にのみ目を覚ます。常は眠り続ける事で、力の消耗を抑え続けているヘレナ。其処までしても尚、数百年にも及ぶ異界の維持は難しい。その上誰もを迷わせる風の森など生み出せば、動けなくなるのも当然だろう。


 風の精霊王であるヘレナには頼れない。彼女にもしも、万が一の事が起これば桃源郷が消えてしまう。故に英雄は、現界と異界を繋ぐ門を閉ざした。


 彼女にとっても、苦痛の選択だったのだ。迫る十三使徒の内、単独で相手取れるのは一人か二人。間違っても九人もの使徒を相手取り、戦える訳がない。

 門を開き、閉ざす事が出来るのは僅か三人。風の精霊王を除けば、風守人の英雄であるイリーナともう一人だけ。だから怯えた亀の如く、甲羅の中に引き籠って耐える道を選んだのだ。


 結果として、此度のエクソダスは失敗した。森の何処を探そうとも、楽園には至れない。元より、桃源郷は此処にないのだ。異界に繋がる道があっただけで、その道さえも今はない。

 だから彼らは、今も探し続けている。少しずつ数を減らしながら、聖なる教えを示す旗に怯えながら、森を彷徨い続けている。気付けば、もう十と少し。聞こえる足音は、減っていた。


(もう、駄目なのかな)


 そんなエクソダスの中で一人、最も幼い少女は想う。この場の誰にも愛され、誰からも守られて来た。そんな長い耳の少女は、思ってしまった。


(楽園なんて、なかったのかな)


 身体が重いのは、暫く何も食べていないからか、それとも病が高熱を引き起こしているからか。いいや違う。きっと、心が重いと感じているから。

 こんなにも頑張って来たのに報われない。必死になって探し求めて、けれど何処にも見付からない。そんな現実を前にして、心が折れ掛けているのだろう。


(想えば、数奇な人生。皆より、ずっと短いけど、本当に、色々あったな)


 霞む視界の中で想う。脳裏に浮かぶ過去の虚像は、俗に語る走馬灯と言う物か。十二年と言う短い生涯の中で、少女は余りに多くの物を見て来た。良い事も、悪い事も、短い間に沢山あった。


(北から攫われた母さんが、私に教えてくれた。楽園は本当にあるんだって)


 少女が産まれたのは、冷たく寂しい牢屋の中。桃源郷への北伐で、連れて来られたエルフの娘。慰み者として使われていた風森人が、牢獄の中で産み落とした一つの命。

 ハーフエルフ。その出生を思えば、疎まれて然るべきであろう。それでも、少女の母は娘を愛した。アーニャと言う名を娘に付けて、この子だけは守りたいのだと。そんな母は獄中で、良く語ってくれたのだ。


 楽園はある。桃源郷は其処にある。誰もが優しく、誰もが笑って暮らせる地上の楽土。飢えも病も争いも、何もない永遠だけが其処に在るのだと。

 それはきっと、故郷から無理矢理に引き離された境遇への、慰めの様な物でもあったのだろう。娘に語って聞かせる体で、母はずっと帰りたいと願っていた。


(母さんを殺したのは、聖教徒。けど、私を助けてくれたのも、聖教徒の異端審問官達だった)


 娘を産んだ後も、母は凌辱され続けていた。劣悪な環境で、娘はそれでも日に日に美しく育っていった。ならば当然、その毒牙が彼女に向かうのも時間の問題だったのだろう。

 母は必死に抵抗して、殴られ蹴られて嬲られた。泣き喚く娘は抑えられたまま、欲望に満ちた獣達に犯されようとして――――其処で、彼ら二人の異端審問官に出逢ったのだ。


――ちっ、一体何時から、此処は下種の巣窟に成り下がった。どっちが獣か、これじゃぁ分かんねぇだろうがよ。


――笑えない冗談は止めろ。どっちが獣か、なんて問うまでもなく明白だ。泣いてる母娘を襲う獣が、人である筈ないだろう。


 当時の彼らは、まだ異端審問官に成ったばかりの新米だった。けれどその時から、その二人は強かったのだ。少女にとっての日常を、その終わらない牢獄を、あっさりと壊してしまったのだから。


(人にも、良い人と悪い人が居る。あの日、私にそれを教えてくれたのは、皮肉屋なお兄ちゃんと乱暴者のお兄ちゃん。二人とも、聖教徒だけど、優しかったもん)


 二人の審問官が来たのは、少女の母を買い取った貴族の不徳を暴く為。その任務の途中で出会った少女は、彼らにとっては処分するべき命であった。

 けれど、少女の母は彼らに縋った。もう助からないと分かる傷をその身に抱えて、それでも娘だけを案じていた。この子をどうかと、己を地獄に突き落とした者らの同胞に、彼女は頭を下げたのだ。


――ごめんね。アーニャ。ごめんね、貴女を置いていく。一緒に居てあげられない、駄目なお母さんでごめんね。


 長い間、真面な食べ物すら与えられなかったその顔は、とても痩せ衰えて疲れ果てた物。

 長い間、無数の男達に犯され続けたその身体は、無数の性病を抱えて不潔に満ちた物だった。


――けど、貴女の未来を祈っている。何時までも、アーニャの幸せだけを、お母さんは願っているわ。


 けれど、その一瞬の輝きは、とても綺麗な物だった。アーニャの記憶にある母は何時も綺麗だったけど、この日この時は特に格別だったのだと断言できる。


――分かっているな。カルヴィン。


――……テメェに、言われるまでもねぇ。これは、尊い物だ。コイツは、この母親の想いって奴は、ぜってぇ穢しちゃならねぇだろうが。


 だから星を追い続けた処刑人が、己の罪を自覚したのだ。だから無骨なる獅子が、産む者の尊さを語る様になったのだ。

 少女はその後の彼らしか知らないから、己の母が残した影響を知りはしない。それでも、母の想いの尊さを、きっと誰より分かっている。


(そして、お兄ちゃん達が新しい居場所をくれた。亜人と人が、一緒に居た場所。小さいけれど、貧しいけれど、幸福だった優しい場所)


 当時の彼らは、まだ新米。少女を抱えて、守り続ける事など出来ない。だから彼らは、共存派の神父が経営する孤児院にアーニャを預けた。

 彼らの知る限りにおいて、其処が唯一亜人が安全に暮らせる場所。少女の母との約束を、守れるたった一つの方法だった。


 牢獄で六年。貧しい村で五年と半年。少女が過ごした日々の大半は、その記憶が満たしている。

 孤児院に亜人は少女だけ。けれど彼らは少女を拒絶しなかった。共存派の教えに従い、清貧に日々を過ごしていく。


 時折顔を出す、二人の審問官の差し入れも良い方向に繋がった。彼女が居るから、彼らは金や食料を置いていく。時折御馳走にありつけるのがアーニャのお陰となれば、態々嫌おうと動く者などそうは居ない。そうして彼女は、新たな場所でも受け入れられた。


(でも、其処もまた無くなった。悪い聖教徒達に壊された)


 もう半年は前になるのか。ある日唐突に、聖教徒が軍を成して村を襲った。男も女も老人も子どもも、無関係に次々と殺された。

 子ども達を逃がした神父は、祈りながら燃やされた。逃がされた子ども達も逃走の中で、体調を崩して一人一人と倒れていった。


 最後に残ったのは、アーニャ一人。ハーフエルフと言う唯の人間の子どもよりも強靭な身体が、彼女だけを生かしたのだ。

 誰もいなくなってしまった後、アーニャは泣きながら彷徨った。二人の兄を頼ろうと、その時には思わなかった。それは彼らに迷惑が掛かるからと、それだけが理由な訳ではない。


(もう嫌だった。もう怖かったの。温かい物が壊れるのは、優しい人が居なくなるのは。だから、二度と壊れない幸せが欲しかった。楽園に夢を見たの)


 怖かったのだ。また頼って、一人に成るのが怖かった。また大切な人が死んでしまったら、今度はもう耐えられない。

 泣きながら、何処に行くでもなく、彷徨っていたアーニャ。そんな彼女が北を目指していたエクソダスの一行と出逢ったのは、一体如何なる偶然か。


 そして、彼女は夢を見た。母が寝物語に語っていた理想卿。其処に行けば、もう二度と喪失は無くなる。きっと其処には、永遠の安らぎが在る筈だからと。

 旅路の中で、多くの人が命を落とした。もう仲良くなりたくなかったのに、良くしてくれる人達を嫌う事は出来なくて、その度に何度も何度も泣いて夜を明かした。


 これが最後だ。これが最後なのだ。北に至れば、永遠がある。もう二度と、悲しいことなんて起こらないから。それだけを支えに、少女は此処までやって来た。なのに、どうして――


「けど――――永遠なんて、何処にもないね」


 此処には楽園が無いのだろうか。少女は世の無常に涙しながら、ゆっくりと瞳を閉じた。




 これで終わっていれば、それは唯の悲劇であろう。そうではないから、倒れる少女を支える誰かが其処に居た。


「……そうだね。永遠なんて、何処にもない」


 感じる熱に、閉じた瞼を少し開く。映り込んだのは、無数の鱗に覆われた、とても大きな竜の腕。


「けど、きっと、小さな救い程度は、あっても良いと思うんだ」


 一体誰の腕なのだろう。小さな少女が見上げた先に、映り込んだのは見た事もない程に綺麗な人。

 星を表す蒼き瞳に、魔性を示す黄金の瞳。虹彩異色を彩るのは、絹の様な銀糸の髪。優しく微笑む見知らぬ人に、アーニャは一つ問い掛けた。


「貴女、は?」


「響希。唯の、身勝手な怪物だよ」


 エクソダスは失敗した。楽園の門は閉じていて、彼らは何処にも辿り着けない。

 けれど、そんな彼らは此処に出逢ったのだ。悲劇に満ちた現実を、理不尽な暴力で覆す。そんな身勝手な怪物に。






 響希ら一行が北方大陸に上陸してから、間もなく一ヶ月が過ぎようとしている。

 ピコデ・ニエベの山を越え、凍り付いた海を渡って、北に上陸するまではスムーズだったその旅路。それも森に入ってからは、まるで何処にも進めていない。


 理由の一つは、途中で見付けてしまった難民達。その総数は十六人と、難民にしては少ない人数。それでも二桁の病人たちを、連れて旅など出来はしまい。

 彼らの身体が健康体に戻るまで、予期せぬ足止めを受けてしまった。そうして病が治った後も、大人数となれば移動の速度も鈍ってしまう。予定していた以上に、旅路に遅れが出てしまっている。


 もう一つは、獣人桃源郷の位置が特定できぬ事。何だかんだでお人好しな三人に、彼らを見捨てる道など選べない。故に桃源郷までは届けると、決めたは良いが一体何処に在るかが分からない。

 ミュシャが心威を使っても、無数の風に阻まれる。元より彼女の心威は、明確な対象を見て初めて強い効果を発揮する物。何処に在るのかも分からない上、意図して隠されている場所を探すのには余り向いていない。


 響希が力尽くでこじ開けると言う策も無くはないが、彼は手加減が出来ない性質だ。それは微睡む事を止めている今も、まるで変わっていないこと。

 門だけを壊せれば良いが、下手に手を出すと中身まで潰してしまうかもしれない。桃源郷に行きたいのに、桃源郷を壊してしまうのでは意味がない。故にそれは、最後の最後の最終手段だ。


 そんな訳で、迷い始めて早一月。彼らは今も森を彷徨い続けている。溜め込んだ鬱憤も、用意していた保存食も、どちらもそろそろ限界だった。


「にゃー!? ヘレナ様ー、森が広過ぎるにゃー!? 森全体に索敵妨害とかマジ止めろにゃーっ!! 桃源郷は何処にあるんにゃーっ!?」


「うっせぇ!? 行き成り叫ぶんじゃねぇよ、駄猫!!」


「だって、もう一月近くも彷徨ってるにゃよ!? いい加減、備蓄も厳しくなってきてるし、叫びたくもなるにゃ!!」


「叫んだ所で、うるせぇだけで変わんねぇだろ!? ギャアギャア喚く前に足動かせや!!」


 苛立ちを叫んで吐き出すミュシャに、傍を歩いていたエレノアは煩いのだと声を荒げる。顔を近付け、睨み合う二人は何時もの調子だ。


 先の一幕。西の頂点に居た男から告げられた真実は、今もエレノア・ロスの心を乱している。今直ぐにでも確かめたいと、彼女の心は逸っている。

 それでも、一月も足踏みすれば多少は落ち着く。今直ぐに如何にかなる話でもなく、この亜人達を見過ごすと言う選択肢はエレノアの内にだって存在していない。

 だから、彼女も切り替えていた。感情に折り合いをつける事は出来ずとも、一端の棚上げならば出来たのだ。


 そんなエレノアと何時もの様に、口喧嘩をしているのはある種の気遣いなのであろうか。騒ぎ立てるミュシャの意図に、エレノアも実は気付いている。それでも喧嘩を止めないのは、互いに素直に成れないからだ。


「ごめんね。煩くして」


「ううん。大丈夫。元気な声は、聞いてて苦しくならないから」


 そんな二人に少し遅れて、歩く響希は連れ添う少女に謝罪する。尖った耳が特徴的な幼い少女は、嬉しそうに笑って答えを返した。


「それにね。二人とも仲良しなんだなって分かるから、寧ろ好きかな。そういうやり取り」


「俺がミュシャと?」


「ミュシャがエレノアと?」


『ハッ!!』


「って、それ、どういう意味の笑いだ!?」


「って、それ、どういう意味の笑いにゃ!?」


 そういう所が仲良しなのだと、アーニャは嬉しそうに笑う。金髪少女の翡翠の瞳は、確かに彼らを信じていた。


「……君は、怖がらないんだね。他の人と違って」


「うん。だって私にも、人間の友達が居たから」


「そっか」


 そうとも、既に一月。あれ程毎日失っていた人達は、彼らと合流してからは誰一人として減っていない。

 それは今まで失い続けた少女にとって、どれ程の安心感を与えただろうか。永遠の園まで連れて行ってくれると、語る彼らをアーニャは全面的に信頼している。


「それにね。聖教徒にも、良い人は居たんだよ。孤児院の神父様や、他にも二人。こーんな目をしてて、揶揄うと直ぐに殴って来る乱暴なお兄ちゃん。それと、折角イケメンさんなのに皮肉ばっかり言ってるウジウジしたお兄ちゃん」


「そっか。良い人達、なんだね」


「うん。良い人達、だったんだ」


 両手の人差し指を使って、態と不機嫌そうな吊り目を作る。こーんな顔なんだよと笑う少女に、響希も楽しそうに笑い返す。

 最初はよそよそしかった彼女だが、これが本来の気質なのだろう。今も少し後ろで距離を取っている亜人達とも、何時かはこんな風に笑い合えるのだろうか。そんな風に、彼は期待してしまう。


「人間と、亜人は仲良く出来るよ。だって、私がそうだったもん」


 その思考を、表情から読んだのだろうか。自分には人間の友達が居たのだと、アーニャは笑って口にする。

 彼女の友達が、どうなったのかと聞く事はしない。如何に聡いとは言え、幼い子どもだ。傷になっていない筈がないから。


「聖教徒にも、良い人は居るよ。悪い人や嫌な人の方が多いけど、そればっかりじゃないって知ってるよ」


 それでも、少女は笑うのだろう。アーニャと言う子は、強い子だ。響希は素直に、そう思う。悪い過去を恨むのではなく、良かった記憶を懐かしんでいる。そんな子が、強くない筈ないのだと。


「だから、きっと皆も直ぐに分かる。亜人と人間と、自称魔物のお姉ちゃん達が、こんなにも仲良しさんなんだもん」


「……待って!? 僕男だから! 性別は雄だから! お姉ちゃん枠は止めて!!」


「嘘ばっかり! こんなに綺麗な男の人なんて居ないって、私だって知ってるんだからね!」


 唯一つの問題点は、性別の誤認識を何時まで経っても解けない事か。何度口にしてもお姉ちゃんと呼ばれる事実に、響希は思わず膝を付く。

 これが内面の悪性に揺らいで思考が微睡んでいた嘗てなら、実際に見せると言う選択肢を取れたのだろうが。今の響希には人間時代の、羞恥心と言う物が蘇っていたのである。


 故に、彼女に性別を理解させる証拠が見つからない。何時まで経ってもアーニャの中では、響希は恩人である綺麗なお姉さんと言う立ち位置だった。


「皆の所に行ってるね。お姉ちゃん達の事、良い人だから大丈夫だって、今日こそ説得してみせるから!」


「だから、その! あのね! 僕は…………うん。もう良いや。お姉ちゃんで」


 どうすれば説得できるのか。軽く未来を見通す魔法を使ってみるが、どう足掻いても無駄だと言う答えしか出なかった。故に響希は、考える事を止めた。

 そうして、後方の集団へと向かうアーニャを見送り、まだいがみ合いを続けている少女らの下へと進んで行く。間に割って入って、男の尊厳を取り戻そうと。


「風?」


 ふと、二人と並び立った所で感じる。纏わり付く様な風に違和感を、そうして気付けば視線を感じた。

 誰かに見られている。一体誰か。感じる風と精霊力に、先ず浮かんだのは風の精霊王。それかその関係者。敵対する訳にはいかない相手だと、その思考が故に一手遅れた。


「にょ、にゃわー!?」


「駄猫!? ――っ!!」


「貴女のお相手は、ワタクシですわ! デュランの巻き添えを食らうとか勘弁ですので、さっさと行きますわよ!!」


「な、何だテメェら!? 巻き添えって――」


「ミュシャ!? エレン!?」


 気付けばミュシャは吹き飛ばされて、同時に奇襲をし掛けて来るのは桃色の女騎士。十字架を象った巨大な槌が、エレノアの身体を大きく打つ。

 襲撃を受けたと言う事実を理解して、響希も即座に対処の為に動こうとする。だがやはり、初動の遅れは取り戻せない。彼の聖典は、既に開いてしまっていた。


「鎖せ――十三聖典」


「――っ! 何、これ。この感覚。この気配。まさか、邪神(アイツ)の――ッ!?」


 瞬間、感じたのは邪神の気配。無理矢理抑え付けられる様な感覚に、響希は歯噛みし膝を折る。

 見上げた先には、黒き影。名も知らぬ彼の素性が、響希に分かる筈もない。だがこの場には、彼を良く知る者も居た。


「……え、嘘」


 突風に吹き飛ばされながら、遠く遠くへ追いやられる少女は確かに視た。アーニャは彼を知っていた。

 嘗て、己を助けてくれた人。母の死を看取って、もう一人の兄と共に安息の地をくれた人。不器用だけど、とても優しかった人。


「デュラン、お兄ちゃん」


 あの日、少女を助けてくれた皮肉屋なお兄ちゃん。何度も逢いに来てくれた、その顔を忘れる筈がない。

 けれど、アレは本当に、あの人なのだろうか。そう思いたく成る程に、冷たい瞳は恐ろしい。初めて見たのだ、あのゾッとする程に濃密な死臭を纏った姿は。


「さあ、処刑の時間だ。悪竜王。――――その首、此処に置いて逝け」


 吹き飛ばされる少女の存在に気付かぬまま、デュランは彼女を救った少年へと刃を向ける。聖教にとっての大敵を、此処に首級と挙げる為。

 男は所詮、誰かを殺すしか出来ない処刑人。守る事など、出来やしない。守ると決めて、失った事など山程に。だから彼は気付けない。少女の村が滅んだ際に、彼女が死んだと思っていたから。


 デュラン=デスサイズは終わらせる為に刃を振う。嘗て救い、守ろうとした少女。彼女が掴んだ最期の希望を、無自覚なまま終わらせる為に。






聖王国には建国時代から続く教育施設が複数あります。その内の一つが、聖教会が管理している平民や貧困層向けの訓練所です。

衣食住を提供する代わりに、卒業後の自由を奪うと言う施設。デュランとカルヴィンとマキシムの三人は、其処の出身者で同期生。訓練校時代は常に、デュランとカルヴィンが一位と二位を取り合って、マキシムが万年三位をキープしていたと言う関係だったりします。


アーニャとデュランが出会ったのは、その訓練所を卒業して初めて受けた任務の際。訓練校卒業生トップ3全員参加の任務だったので、実はマキシムもその場に居たと言う。ですが彼は別行動していた為、後で話を聞いただけでアーニャとの直接面識はありません。



半年前に助けた少女が死亡し(たと認識し)、その数ヶ月後には仲間を処刑する羽目になったデュラン君。何気に初登場時から既に、メンタルフルボッコだった人物です。


尚、今後更にメンタルをフルボッコする予定。



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