その5
◇
北方大陸。極寒の海を越えた先に在る大地を初めて見た時に、多くの者らが感じる想いは驚愕だろう。
先ず第一に感じるのは、触覚を通じて受ける情報。寒くないのだ。北の最果てにある大地だと言うのに、西方北部や中央北部よりも温暖な気候に満ちている。
そして次に感じるのは、視覚を介して見付かる異常であろう。船を降りて直ぐに広がる草原の、その向こうには巨大な森林。北方大陸の約9割が、木々に覆われた大地であった。
その森の名を、風の森。北に座す精霊王が作り上げた、春風を思わせる暖かさに満ちた場所。この森の何処かに、獣人達の楽園は存在する。
獣人桃源郷の正確な位置は、今も明らかになっていない。過去に訪れたのは勇者と聖女に騎士だけであり、彼らも決して口外する事がなかったからだ。
北伐とは、先ずその位置を探る事から始まる。だが風の森は余りに広大で、精霊王の眷属種である風森人と名乗る番人たちも此処には住まう。
長耳族。エルフなどとも称される風の亜人は、この地において他種の追随を許さない。例え英雄級であったとしても、風の森で彼らとやり合えば遅れを取る。
特に風森人の英雄と称されるエルフのイリーナと言う女。彼女はこれまでに最大で三人の聖典授受者を同時に相手取り、逆に追い返したと言う逸話を持つ。
過去にはデュランも一戦を交え、追い詰めるも首を取るには至らなかったと言う程の戦巧み。オスカーが語るには、彼が若い頃から容姿が変わらぬ程の長寿であり、翠の貴種と目されている人物だ。
立地の不利と、十三使徒でも攻めあぐねる程の英雄の存在。それが故にこれまで、聖教は北を征せずに居た。北伐は何の成果も掴めず、失敗し続けて来たのだ。
だが、今回は違う。数百年を生きたと言われるエルフの英雄も、デュラン一人に追い詰められる程度。9人の聖典授受者を相手取れる筈もなく、故に誰もが成功すると確信していた。
そうとも、北方大陸に作られた聖教の前線基地。仮設に過ぎないこの地に居る誰もが、勝てるのだと確信している。
今朝方になって漸く、十三使徒が合流した。基地を作っていた先遣部隊は、狂喜乱舞し彼らを迎えた。ある種の熱狂が、其処にはあったのだ。
「貴方達は、一体何をしているんですか!?」
そんな熱狂にそぐわぬ声が、少女の悲鳴を思わせる叫びが上がる。声の持ち主を知るデュランは、一体何があったのかと慌てて足を動かす。
声の主は、守ると誓った平凡な娘。この一月で、仲を深めた三つ編み少女。リースの姿を視界に捉えて、デュランは安堵し歩を緩める。近付くと、彼女に向かって問い掛けた。
「……何があった」
「デュランさん!」
呼び掛けに返る反応は、僅かな喜色とそれ以上の悲しさか。如何にかしてくれと縋る様に、リースはデュランにしがみ付く。
そんな彼女が居た場所の直ぐ近くには、困った表情で髪を掻く神官の姿がある。そしてその更に向こうには、審問官達の手で運ばれていく巨大な檻の数々。その内側には、無数の亜人が囚われていた。
「ああ、良かった。他の十三使徒の方ですか。この方が、どうしても止まってくれなくて」
「止まってくれないって、止めてくれないのは貴方達じゃないですか! こんな、こんな酷い事を!!」
心底から助かったと、語る神官に反発するリース。珍しく分かりやすい怒りを示す彼女であったが、直後に聞えた音を耳にして硬直する。
聞こえたのは、悲鳴だった。音の発生点へと視線を向けると、その建物の中へと運ばれている巨大な檻な数々。中に囚われた亜人の恐怖に染まった顔を見れば、その先は予想するに容易い物だった。
彼女が何を止めようとしているのか、何となくに理解する。何故にこれ程に追い詰められているのか、それは直接的ではなくとも死に触れたからなのだろう。だが、何故にこの様な事に成っているのか。それが分からない。故にデュランは、神官に向かって問い掛けた。
「状況が読めない。少し、説明してくれ」
「デュランさん! 何で、その人に聞くんですか!?」
「……お前が冷静に見えないからだ。先ずは少し落ち着け、リース。後にお前の話も聞く」
何故に自分に聞かないのか。もしや神官に味方する気かと。抗議の声を上げるリースの頭を抑えて、落ち着く様にと言葉を掛ける。
そうしてリースを納得させると、待たせていた神官へと向き直る。意識を切り替えてもう一度、問い掛けるのはこの場で何をしているのかだ。
「それで、お前達は何をやっている?」
「は、これはコールドブラッド様の指示でして――不要になった亜人共を、適切に処理しております」
「オードリーが。奴は何を?」
「……それは、その。大変失礼ではありますが、それ以前にデスサイズ様はこれらの使い道を御存じでしょうか」
何処か言い辛そうに、不敬と分かって問い掛けるのはリースと言う前例が居たからだろう。説明しても納得してくれない上位者に、この神官もほとほと困っていたのである。
そんな苦労人の姿に苦笑して、そんな男が亜人の絶叫を耳にしても全く動じていない姿に失望して、構わないと口にする。共感出来ない相手との会話には、慣れたくないが慣れている。だからデュランは冷たい声で、亜人達の使い道を口にした。
「生餌、だろう」
「はい。桃源郷の中に隠れ潜む奴らをおびき出す為、片足の健を切ったエルフ共を使っております。同胞を救いに来た亜人共を、纏めて浄化してやるのです。例年通り、今回も先遣隊では同じく、生餌に食い付いた長耳共を処理していたのですが」
囚われている亜人の利用方法は、隠れ潜む桃源郷の守り人達を誘き出す為の餌だ。片足を動かせなくした亜人を森に放って、同胞を助けに動いた風森人達を襲撃する。
可能であれば、一匹だけを残して追い掛ける。そうして、桃源郷の位置を発見できれば最良だ。最も今までは敵の殲滅で終わるか、エルフの英雄に全て掻っ攫われるかのどちらかしかなかった訳だが。
その為に、聖教は亜人を少数飼っている。捕えた彼らを檻に入れ、こうして北まで持ち込むのだ。敵の救助が来なければ、凄惨な拷問だってその場で行う。それが審問官達の役割だった。
「あ、貴方達は、そんなことを!? どうして、そんな酷いことが出来るんですか!!」
「……少し黙ってくれ、リース。話が進まない」
「ですが! ですが!」
誰かを助けに来た人を、罠に掛ける為に生かされている亜人達。その最低な行いに、涙を流してリースは叫ぶ。
それはおかしいのだと、当たり前に叫ぶこと。そんなごく普通の感性は、聖教においては少数派だ。尊ぶべき物ではあるが、幾ら熱弁を振るおうとも敬虔に過ぎる聖教徒には伝わらない。
だから、デュランはリースを抱き留める。両の腕で自由を奪い、耳元で囁く様に言葉を紡いだ。
「今も処理は続いている。今は一刻を争うんだろう。こいつ等を説得する為にも、現状を知る事は不可欠だ」
「じゃ、じゃぁ、デュランさんはこの人達を助けて――」
「助けになるかは、微妙なんだが。……まぁ、出来る限りは、な」
正直言えば、デュランは既にこんな光景に慣れている。その心は摩耗していて、今更にと思う所も少なくはない。それでも、リースを守ると、デュランは決めた。だからその心も守ろうと、微力を尽くすと決めている。
そして聖教徒を弁舌で止める為には、彼らが止まるに足りる理屈が居るのだ。彼らにも納得できる様な、感情ではない理由が必要である。その為にも、多くを知らねばならない。今も処理が続いている以上、急がなくてはならないのだ。
そんな風に語らう二人は、傍から見れば恋仲な男女の如く。ヒステリックな恋人を、男が宥めている様に見えただろう。
少なくとも、この場の指揮を預かる神官はそう見て取った。遠征を理由に妻と離れ離れになっている今、少し羨ましいとは思う。
それでも、ヒステリックを起こした上司を止めてくれた感謝の方が先に立つ。今も続く亜人の絶叫を聞きながら、神官はそんな平凡な事を考えていた。
「すまんな。続けてくれ」
「はい。皆様の合流を待って大攻勢に出ると言う事で、今回も準備をしていたのですが――――コールドブラッド様が、それでは手緩いと仰られて」
生餌を処分している理由を問う。返った答えは、先に名が出た女の命令。例年通りの作戦を、行わなくなったと言う物である。
「全面攻勢と共に、森に火を放つと。炎が防がれる様ならば、木々を一本一本伐採して更地に変えてしまえば良いと。木材が採れる事は今までの遠征で、判明しておりますから」
「……獣人桃源郷を滅ぼす為に、大陸一つを更地に変えるか。あの女らしい発想だ」
「それで、準備していた亜人共が不要になったのです。解放するのは論外ですが、このまま飼い続けるにも費用が掛かりますし、かと言ってこれを中央に戻すにも移送の費用が発生します。いっそ飢え死にさせてしまおうかと言う意見も出たのですが、一応これらは聖教の備品ですので我々に処理を決定する権限もなく」
「オードリーに伝えたら、不要だから殺せと命令された訳か」
此度で最後と、必ず為せと命じられた。故にこそ、これまで通りでは意味がない。オードリー=コールドブラッドは決断したのだ。
風の森を焼き尽くす。火を放つと言う案は過去にもあったが、実行に移した試しはない。彼らは亜人を滅ぼすだけでなく、北の豊富な資源も狙っていたのだから、焦土戦を避けていたのだ。
だが、その所為で逃げられて来たのだろうと女は語る。亜人を浄化する為に必要ならば、資源など要らぬと口にした。全てを更地に変えんと口にしたのである。
故にこそ、これまで失敗し続けて来た生餌などはもう要らない。生かしておく価値すら無ければ、さっさと殺した方が効率的だ。氷の如く冷たい思考で、紅蓮の騎士はそう定めて命じていたのであった。
「なら、話は簡単だ。今直ぐ処理を止めろ。オードリーの指示は、俺の権限で撤回とする」
「で、ですが」
「……奴の判断は短絡的だ。風の森だぞ? 焼けると言う保証もなく、木が増える可能性だってある。更地に変えることが出来ない可能性を考慮するなら、彼らを消耗するのはまだ早い」
彼女の理屈は分かりやすい。必要がないから処理すると言うのなら、必要となる理由を与えてやれば良い。
デュランは思考しながら舌を回す。彼らを生かす理由は生餌以外に浮かばない。ならば生餌はまだ必要なのだと、デュランは言葉にするのである。
同じ十三使徒同士。命令の権限が同じなら、一時的な停止くらいは強要出来る。死んだ命は戻らないのだと、語っておけば彼らも手を止める他にないだろう。
処分場から引き戻されていく檻を見て、リースは安堵の息を吐く。傷だらけで、身体の一部が破損している亜人達。その表情を見て眉を顰めると、デュランは神官達に指示を下した。
「処理が終わってない者には、ちゃんと食事を与えておけ。命は簡単に奪えるが、生み出す事は大変だぞ」
「は、はい。ただちに」
痩せ衰えた者達は、食事も真面に貰っていなかったのだろう。弱った身体でも食べれる物をと、神官達に其処までの機微は期待出来まい。
率先して動かねばならないかと、思考しながらデュランは見詰める。檻の中から己を見返している亜人の瞳は、どうしてと問い掛けているかの様で、直視しているのが辛かった。
「デュ、デュランさ~ん。あ、ありがとうございます」
「……別に、感謝される様な事じゃない。何も解決してないぞ」
嬉しそうに涙を零して、感謝を告げるリースの顔から眼を逸らす。結局何も変わっていないと、それがデュランの結論。
そうとも、何も変わらない。彼らが生餌として消費される結末は、今日から明日に延びただけ。寿命が一日、変わっただけだ。
その事実を、辛いと感じる。けれど、これ以上に何かをする心算もなかった。して良いなんて、思えない。それだけ多くを奪って来た。今更に善行を、行ったとして意味などあるまい。
結局、中途半端に過ぎないのだ。聖教と完全に敵対して、彼らを逃がす程の決意はない。けれど殺処分される亜人とそれに嘆く少女を見過ごす事も出来なかった。結果が、こんな詰まらぬ成果である。
「そ、それでもです。貴方のお陰で、あの人達は、今日を生きる事が出来ます。それは、きっと良い事に決まっています」
けれど、リースはそれでもと語るのだ。抱き着いた男の顔を見上げて、貴方のお陰で命が一日延びたのだと。その一日があれば、一体どれ程の事が出来るだろうか。
何かが変わるかも知れない。何も変わらないかも知れない。それでも少なくとも、この今死ぬよりはずっと良い。たった一日に過ぎなくとも、明日と言う未来を彼らは得る事が出来たのだから。
きっとそれは、良い事に決まっている。悪い事な筈がない。そう口にするリースの言葉は、優しく心に沁み込んでいく。
ほんの僅かな成果であっても、誰かの為に成ったと言うのならきっと――それは誇って良い事なのかも知れない。デュランは素直に、そう思う。彼女が暖かく微笑むと、そう思って良い気がした。
これで全てが終わったならば、大団円とは言えなくとも、優しい物語とは語れただろう。リースは笑顔で、デュランも釣られて微笑んでいて、それで終われば幸いだった。
だがしかし、これは恐怖劇ではない。だが、これは虐殺劇ではあったのだ。故にこそ、こんな形で幕を下ろす筈がない。誰かが寿命が一日延びて、結果はより最悪な終わりの訪れ。その破綻は、青い髪の女と言う形を取って現れた。
「あら、オードリー……さんの指示が、伝わってないのかしら?」
「メリッサ、か」
メリッサ・ダグラス=ハーロット。残酷なる聖母と呼ばれる修道服の美女は、聞いた話とはまるで異なる状況に疑問を呟く。
淫靡な雰囲気を纏った泣き黒子の女に、デュランは警戒心を抱いていた。一体何をしに来たのか。碌な事にはならないと、そんな予感があった。
「あ、えっとダグラスさん、でしたよね。こ、これは」
「あらあら、うふふ。ちょっとお邪魔虫になってしまったかしら」
感極まって、デュランに抱き着いていた少女は恥ずかしそうに距離を取る。頬を赤く染めたそばかす娘の姿に、可愛らしい物を見たとメリッサは笑みを深くする。そうして笑みを浮かべたまま、彼女はデュランに問い掛けた。
「それにしてもこれ、貴方の指示?」
「……ああ、オードリーの策が上手く行かなかったとしたら、まだ必要になるからな」
「誰かを傷付けるより、生み出す方が、ずっともっと大変なんですよ!」
メリッサの問い掛けに、デュランは理屈を前面に押し出し答えとする。嬉しそうなリースが口にしたのは、デュランの言葉を真似した物だ。
そんな二人の姿に、メリッサは更に笑みを深める。その笑みは慈愛の色に満ちていて、リースは安堵と親しみを、デュランは不吉さを其処に感じ取っていた。
「そう、ね。次善の策は必要でしょう。生み出す方が確かに大変ね。けど、デュランにリースちゃん」
二人の言を認める様に、彼女は微笑みながらに告げる。けれど二人の言を認めぬ様に、彼女は狂気の笑みで言葉を紡いだ。
「これはもう不要だから、ちゃんと処理するべきよ。適切に、ね」
何時しか女が手にしていたのは、彼女が授受した第四聖典。余りにも自然過ぎるその行動に、デュランも一手反応が遅れた。
その一手の差が、彼らの終わりを決定付ける。斬って良いのかと言う心の迷いが、その一手を更に大きく遅らせて、結末は此処に形を成した。
「孕みなさい――第四聖典」
バラバラと舞い散る書物の頁。意志を持つかの如く、檻の中に居る亜人へと向かって行く。その欠片が齎すのは、繁殖する巨蟹の法則。
触れた瞬間には終わっている。触れた場所から浸食される。力無き彼らに抗う事など出来ず、故に彼らは変わったのだ。異形を宿す、苗床へと。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!!!?』
「え……何、これ?」
悲鳴が上がる。絶叫が響く。目の前の異常が全く理解出来なくて、リースはぺたんと尻餅を付いていた。
そんな彼女の前で、変貌していく亜人の身体。口から、鼻から、眼球から、尿道から、肛門から、指先から、全身の体毛から、何かが這い摺り出して来る。身体の一部が、異形に変わる。
産声が上がった。赤子が鳴くような声が響いて、白き翼が羽搏いている。羽持つ白き異形の群れは、嘗て亜人の一部であった細胞片。
腕を無くした亜人が居た。その亜人の腕は、巨大な白き怪物に変わっている。足を無くした亜人が居た。その亜人の足は、白き巨大な怪物に変わっている。手足だけでは済まなくて、その身体の一部が次から次へと別の生き物に変えられていく。
苗床と化した残骸が、それでも生かされ続けたまま、恐怖と狂気の悲鳴を上げている。生きた肉塊から次々と産まれ続ける輝かしい異形の姿に、リースは耐え切れずに嘔吐した。
「何の心算だ。メリッサ」
「貴方こそ、この剣は何の心算? 私、処刑される様な事はしていないと思うんだけど」
嘔吐く少女に背を向けて、刃を抜いてデュランは睨む。この惨状の下手人は、心底から理解が出来ぬと問い掛けた。
「次善の策があれば良いんでしょう? 殺処分にするよりも、生餌として使うよりも、こちらの方が効率的じゃないかしら?」
「…………だから、聖獣の苗床にしたのか」
「ええ、生餌が山程あるよりは、強力な聖獣の軍団を生み出した方が使い道は多い。この子たちには、食事も管理も必要もないしね」
勿論、苗床の維持費は必要だけどと女は笑う。その笑みは悪意など一切含んでいないからこそ、何より悍ましいと言える物。
そうとも、彼女は本気でそう思っている。此処に来たのも、どうせ処分するなら苗床に使おうと思ったから。彼女の聖典は、産み出す為の母体を必要としているのだ。
第四聖典。繁殖する巨蟹の法則。その力は、聖獣の創造。使用者が望んだ力を持つ聖なる獣を、生物を苗床として産み落とす創造の奇跡。
聖なる獣は強大な力と、魔に対する耐性を持って生誕する。その力は最低でも大型魔獣級はあり、最大出力で産み出したのならば三大魔獣に迫る程の作と成る。
最も強大な聖獣を作るには相応の苗床が必要となること。異能を与えれば、基本性能が下がってしまうこと。産み出した聖獣は不滅の能力を与えない限り、一定時間で消滅してしまうこと。
等々、様々な欠点が存在している。それでも、凶悪性と悪辣さは間違いなく聖典の中でも最上位。生命の誕生を冒涜している光景は、子を産む母を尊ぶカルヴィンでなくとも嫌悪を示す物であろう。
「どうして、ダグラスさん。貴女は、人に対して、こんなこと」
「あら、ダグラスだなんて他人行儀ね。メリッサで良いわよ。……それと獣なんて人じゃないでしょう。聖教徒に対してなら、流石にこんな事はしないわよ」
「――っ!」
吐く物を出し切って、顔を上げたリースは涙目で問い掛ける。そんな彼女の姿に何処か気まずそうに、メリッサが返した言葉は異常であった。
彼女は何故、リースが泣いているのか分からないのだ。人に対してと語っているが、メリッサが苗床に変えたのは獣だけ。あんな紛い物がどうなろうと、感情が動く筈もない。彼女は本気で、そう認識していたのだ。
話にならない。価値観が違い過ぎて、会話が成り立っていないのだ。下手に言葉が通じる物だから、分かり合えると思えてしまう。其れこそが、敬虔に過ぎる聖教徒達の最悪さ。
「それで、疑いは晴れたかしら? 剣を向けられるのは、正直怖いのよ。早く引いてくれると、お姉さんは嬉しいわ」
「……確かに、この場でアンタを処刑する程の、大義名分は存在しない」
デュランが何故に剣を向けているのかも、メリッサには良く分からない。精々が動物愛護精神から泣いてしまったリースの為に、代わりに怒っているのではないか程度の推測。
だからこそ、本気で斬られるとは思っていない。だって、自分は何も悪い事などしてないから。微笑む女が纏う色気に、どうしようもなく吐き気がする。それを堪えながらにデュランは、しかしその剣を引いていた。
理由がないのだ。大義名分が存在しない。何故ならば聖教徒と言う立場において、メリッサは何一つとして間違った事をしていないから。
聖教徒が殺されたのならば、デュランには処刑の権限が生まれる。だが殺されたのが平民なら、出来て厳重注意と言う所。それが亜人ならば最悪、彼らは罪に問われない。寧ろ称賛されるであろう。それが聖教の決まりである。
この組織に居る限り、デュランには彼女を斬れる名分がない。この組織を裏切れる程に、彼の覚悟は定まっていない。だから――
「だが――処刑の時間だ」
出来る事など、所詮は一つだけなのだろう。何時もと同じだ。引いた剣を鞘へと入れて、そして素早く抜刀した。切り裂いたのは、鋼鉄の檻と中に居た肉塊達。
(せめて、安らかに眠れ)
聖獣を産み続ける肉塊と化した物を、救う手段は多くない。その内一つは聖典授受者を殺害する事だが、それを行える大義名分は此処にない。
仮に殺害したとして、止められるのはこれ以上の誕生だけ。既に産まれてしまった獣と、その材料となってしまった欠損部位は戻せない。それはデュランが持つ聖典を使っても、変える事の叶わぬ事実。
だから、処理した。これ以上苦しみ続けるだけなら、救う事が出来ないなら、もう死んでしまった方が良い。生きてる方が苦痛だろうと。
七つの檻が切断されて、中に居た亜人達の首が飛ぶ。これしか出来ない無能であるから、これだけは他の追随を許さない。そんな下らぬ男こそが、デュラン=デスサイズなのである。
「ちょっとデュラン。聖獣は生命力を糧とするのよ。殺しちゃったら、これ以上産み出せないじゃない」
「……それだけ居れば十分だろう。元より、殺傷処分する予定だった訳だしな」
口を尖らせ、文句を告げるメリッサに背を向ける。それ以上には何も語らず、デュランは一人歩き出す。
「何で、何でですか。デュランさん」
「……謝罪はしない。存分に怨め」
泣きながら、嘔吐きながら、見上げる少女が問い掛ける。他になかったのかと、嗚呼他になかったのだ。
そうとも、少しだけ誤解していた。抱き着いて来た彼女が澄んだ瞳で語るから、他にも出来るかも知れないと僅かに想った。
一日だけでも延命をと、そんな小さな事でも意味があると。嗚呼、そんなのは錯覚だ。僅か一日足りとて、救う事など出来はしない。彼は処刑人だから。
「結局、俺に出来るのは断頭台の真似事だけなんだよ」
首を刈り取り殺すこと。それだけが全てで、それだけしか出来ない。それが真実だったと言うだけの話である。
だから、泣き崩れる少女を慰める事など許されない。守るだなんて烏滸がましい。恨まれて、憎まれて、それだけが望んで良い未来であったのだ。