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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第三部第一幕 竜と処刑人のお話
181/257

その4

 闇夜の中に赤々と、燃える炎が揺れている。無数に掲げられた篝火は、魔を遠ざける聖なる炎。輝く灯に囲まれて、多くの人が身を休める。

 長い旅路に疲れているのは、人と共に進む馬の群れもまた同じく。水場の近くに設けられた簡易の馬屋で、荷台より下ろされた飼葉を食らう。


 頭上の月は輝き始めてまだ間もなく、眠りに就くにはまだ早い。それでも少なくない数の者が瞼を閉ざして横になるのは、魔除けの守りも絶対とは言えないからだ。

 誰もが寝ずの番をしなければならないとまでは言わないが、誰もが眠ってしまうのは危険に過ぎる。交代制の当番で、警戒を絶やさないと言うのは旅路の基本と言えること。


 夜番の義務があるのは、聖騎士や審問官達にである。寄進を行う民草や、随行する商人達。そして、聖典授受者である十三使徒も免除されている。彼らの役目は、警戒任務などではないから。

 故に半ば程は自由となる夜の時間を、聖典授受者達は思い思いに過ごしていく。束の間の休息に、趣味や娯楽を愉しむ者も居れば、身を横たえ早くも休む者も居る。思い悩む者も居れば、剣を研ぐかの如くに心を研ぎ澄ませる者も居るであろう。


 そんな僅かな自由の中で、彼女は追い詰められていた。開けた荒れ地を駆け回る、少女の呼吸は酷く荒い。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 一歩進む毎に転びそうになりながら、如何にか姿勢を正して移動を終える。それで安堵している様な、余裕はしかし存在しない。

 迫る危険は、去った訳ではない。つい一瞬まで居た場所を通り過ぎた閃光が、後を追う三つ編みを切り裂く。茶色の髪の一部が解けて、切り取られた毛先が風に舞っていた。


 己の髪を切り裂いた凶器を、リースは目で捉える事も出来ていない。余りにも早過ぎて、動体視力が全く追い付いていないのだ。

 だがしかし、その正体は知っている。背を振り返る必要もない程に、大量の凶器を浮かべて迫る髭の男。ゆるりと歩く彼が己の周りに漂わせているその武器は、戦場には不釣り合いに過ぎる物。言ってしまえば、子どもの玩具が一種であった。


「さて、疲れてきましたかね。少し、動きが雑になっていますよ」


 それはカードだ。其々に絵柄と数字が描かれた、全五十二種のトランプ。札に微細な金属を混ぜているのか、確かに異様な硬度である。だが刃の一つもないそれは、武器とするには不向きであろう。

 しかし、そんな玩具もこの男の手に掛かれば凶器と変わる。それは神聖術によって操作される札の一つがリースの髪を浅く切り裂き、その先に生えていた巨木を真っ二つに切り倒している事からも明らかだった。


 男の名を、チェイス=ハンター。高速でカードをシャッフルするかの様に、手も触れずに五十二種の対象を高速移動させ続けている十三使徒が第三位。

 物体を操作する技術は、神聖術の基本が一つとされている。だがこれ程の数をこれ程の精密さで操りながら、余裕を見せる事が出来る術者などそう多くはあるまい。


 僧服ではなく黒き執事服の上から、白き十三使徒のコートを着込む。そんな男は講義を行う教師の如く、疲弊を隠せぬリースに向かって言葉を重ねた。


「疲弊は思考を鈍らせて、身体の動きを遅らせます。行動速度は、思考の鈍化に影響される。僅か一秒以下の戸惑いが、数秒の硬直を生むでしょう。そしてそれは、戦場では致命的な物と言えます」


 嘗ては高名な貴族に仕える執事長として半生を生き、主が没落した後はその令嬢を守る為に異端審問官と成った男。

 職業柄、護衛と護身に使える知識と技術は持っていた。とは言え、それも所詮は最低限。そんなチェイスは、自分の身の丈と言う物を分かっていた。


 才に恵まれた訳でもなく、経験も豊富な訳ではない。その上、戦場に出た年齢が遅過ぎた。この身は既に全盛期など過ぎている。そんな己が剣を手にしたとて、至れる場所など高が知れているのだと。

 故に彼が目を付けたのは神聖術。祈りの強さが、そのまま強度に繋がる技術。その内で最も適正が高い一つに絞って、磨き上げれば一芸だけでも戦士の域に至るだろうと。そうして、至らせて見せたのがこの男である。


 チェイスに出来る神聖術は、物体操作の一つだけ。重みが極力ない物を、トランプカードを武器と選んだのは偶々手元にあったから。その他の技術は、どれも執事時代に磨き上げた物ばかり。

 そんな男だからこそ、異端審問官の筆頭であるオスカーは彼を教育係に選んだのだろう。人の機微に聡く、貴族間の謀略などにも精通していて、戦士としての努力と成果も見せている。単純に言って、上からの信が厚いのだ。


「疲れるなと、そんな不可能なことは言いません。故に疲れた時こそ、どう動くかを意識なさい。思考が鈍化している以上、肉体はそれ以上に鈍化している。思った通りには決して動けないのだから、理想だけは高くイメージしなさい。最短で、最低限で、最大の効果を――――得ねば貴女が死ぬだけです」


「はぁ、はぁ、はぁ……はいっ!」


 チェイスは言葉と共に、無数のカードを投げ放つ。荒い呼吸を整えながら言葉を返したリースは、汗を流しながらに即座に動こうと意識する。

 疲弊した身体は、動きたくないと語るかの如くに重い。それでも意志を強くして、如何にか数歩後退する。掠る凶器の切れ味を知るから、流れる汗は嫌な寒気も伴っていた。


 この一月に近い旅路で、リースに課された訓練内容。多くを求める暇などないから、その内容は単純だ。迫る脅威を一定時間、兎に角躱し続けること。

 元より指導する側もされる側も、大した才など持たぬのだ。この短い期間では、覚える事は一つに絞った方が良い。先ずは身を守る技術を、学ばせようと言うのである。


 故にこそ躱し続けろと。だがしかし、唯それだけのことが難しい。何しろ男はハンターと、そう称される異名持ち。下手に逃げるだけでは、順当に詰まされるだけなのだ。


「筋が良い、とは言えませんね。動き出すのが遅いのなら、先の先まで読まなくては。其処では、当たってしまいますよ」


「――っ!?」


 其れはまるで詰将棋。こうくればそう返し、其処に逃げれば次の手を打つ。予めチェイスが用意していた通りに、リースの身体は動いてしまう。

 迫る凶器の刃を見れば、離れたくなるのは人の性。恐怖を抱いてしまったならば、遠ざかろうとしてしまうのは当然の思考。故に大き過ぎる回避行動は、余りに先が読み易い。


 背後から迫る一枚のカードは、先に投げた物の一つ。舞い戻って来る凶器を咄嗟に躱したリースは、当然姿勢を崩してしまった。

 そんな彼女に、迫る凶器はもう一枚。彼女が態勢を崩す直前に放たれていた追撃は既に、倒れた少女の目と鼻の先。このままでは危ないと、そんな窮地に彼女は叫んだ。


「護って――十二聖典!!」


 瞬間、その身から輝きが放たれる。リースの体内より出現したのは、神々しい光に満ちた一冊の書。独りでに開かれる書は頁単位でばら撒けて、担い手の願いに応え奇跡を起こす。

 護れと望まれ、凶器はもう目の前に。ならば十二番目の聖典は、担い手をその脅威より守り通してみせる。リースの周囲に浮かんだ無数の頁が淡く光ると共に、カードの軌道が捻じ曲げられた。


 操物術で制御されていたカードは、明後日の方向へと飛んで行く。まるでカード自らが傷付ける事を拒むかの如く、逃げ去って行く軌道は余りに極端な物。

 これこそ、十三ある聖典の一つ。逃れ迷う双魚の法則。その奇跡が齎す恩恵は一つ。脅威の拒絶。望んだ被害を遠ざけること。これが発現している限り、所有者が傷付くことはない。


「ふむ。聖典の即時発動は、ちゃんと身に付いたようですね」


「はぁ、はぁ、これは、一杯、教わり、ましたから」


「結構。言葉に出来る余裕があると言うのは良い」


 発動までに凡そ五秒。脳内で掛かった時間を計測しながら、チェイスは及第点と判断する。聖典授受者にとって、即時発動は基本とするべき技術の一つ。どれ程に強大な聖典であれ、そも使えなければ宝の持ち腐れでしかない。

 奇跡の重さに比例するかの如く消費が重い事もあって、常時展開など夢また夢だ。聖典は必ず閉じねばならず、その瞬間こそが授受者にとって最大の隙と成る。故に聖典に頼らぬ地力と、聖典を扱う速度の二つが最重要なのである。


 だがしかし、それが全てと言う訳ではない。如何に強力な聖典であれ、使い方が未熟であれば付け込む隙は幾らでもある。故にこの今この時に、聖典を使ったのは愚策であった。


「ですが、まだ未熟。此処から、どうしようと言うのですかな? リースさん」


 問われて漸く、リースは現状を理解する。リースを守る様に周囲に浮かぶ聖典の、向こう側に浮かんでいるのは無数のカード。

 指揮者を気取るチェイスの指先で、操作されている五十二枚の札が全方位を囲んでいる。十二聖典の影響下外で、凶器は磨かれ研がれていた。


「使用者が望んだ者へ、与えられる被害の全てを退ける。例え空間全てを消し去る力でも、聖典を開いた今の貴女を傷付ける事は不可能」


 聖典授受者の戦術は、基本二種に分類される。強大な力を持つ聖典を基本に、その隙を補う形で技量を高めた者。あくまで聖典は切り札と伏せ、素の実力だけで戦闘を行う者。

 前者の筆頭がブリジットやメリッサだとすれば、後者の筆頭がチェイスとオードリー。聖典を切り札と捉える後者らは、その能力も秘匿している。全ての聖典効果を知る者など、十三使徒の中にも居ない。


 それでも、長く十三使徒に属した者なら知る機会にも恵まれる。第十二聖典の効力を知る者は特に多い。それは前任者であった男が自慢げに語り、己の力を誇示していたからだ。

 事実、男は強力だった。あらゆる被害は彼を避け、彼だけは一方的に他者を傷付ける。それのみならず、彼は迫る脅威の反射や消滅と言った派生技さえ示してみせた。能力を明かしてもその欠点など、一つ以外には浮かばない。


「ですが、聖典の使用には多大な生命力を消費します。持続して使える時間は担い手の体力によっても変動しますが、今の十三使徒でトップクラスの体力を誇るデュラン君でも、連続での使用は三十分が限界だったと聞いています。貴女では、その十分の一にも満たないでしょう」


 それは時間制限。聖典は起こす奇跡の規模に応じて、より多くの生命力を消費する。英雄の領域に足を踏み込んでいるデュランであっても、長く展開し続ける事が出来ない程の消耗があるのだ。

 前任の十二位は、その欠点を克服する為に他者の生命力を取り込もうとした。生命力に溢れた女。取り分け命を多く宿す妊婦を増やして、命だけを抽出できないかと実験していた訳だ。それがデュランの逆鱗に触れ、聖教徒にも手を出していたことが判明し、処刑される結果となったのは余談であろうか。


 ともあれ、聖典は消耗が激しい。これは十三使徒の全員が抱える欠点。聖典の仕組みと人体の限界故に、克服できない類の弱点だった。


「以って三分。全面を包囲された状態で、果たして何が出来ますかな?」


 今のリースでは、三分も持てば良い方だろう。それも全快だった場合の話で、疲弊し切った今では一分すらも維持出来ないかもしれない。

 故にこそ、発動する前に、発動した後の事を考えていなくては意味がない。聖典が閉じれば一斉に襲い来る凶器に囲まれた状態で、発動しても数分程度の時間稼ぎにしかならないのだ。


 既に詰みだと、カードを操るチェイスは語る。だがしかし、リースの瞳は諦めていない。例え訓練であろうと最後まで、諦めるなと言うのが目の前の男に受けた教えであるから。


「傷付くことは、ないのだから、まだっ!」


 前へ、飛ぶ。己を包む包囲に向かって、足を踏み締め大地を駆ける。一分一秒でも長く、昨日よりも先へと進む為。

 三つ編みは既に解けていて、泥塗れになりながら包囲網へと立ち向かう少女。その動きに反応して凶器が迫るが、それらの悉くが何かに弾かれ届かない。


「……成程、脅威となる物は強制的に逸らされる。そんな奇跡を展開したまま、脅威となる物に飛び込めば、当然道も開けますか」


 今のリースを、傷付ける術などない。ならば凶器の包囲など、張り子の虎にも劣るのだ。己の意志で踏み込めば、自然と道を空けるのだから。

 そして道が開いたならば、もう一つの終了条件が見えて来る。時間内ずっと避け続けるか、チェイスに一撃を加えるか。それが勝利の条件だった。


「ですが、無駄ですよ」


「――っ!」


 だがしかし、やはり男は上を行く。十三使徒になってまだ一週間にも満たない少女と、間もなく十年となる男。どちらが勝るかなど、火を見るよりも明らかだ。


 包囲網を超えた先、其処には無数の壁がある。いいや、正確には壁とも見紛う程に大量の障害物。伐採された木々の山。

 カードの包囲網は詰みへの一手だが、それだけに頼り切る程にチェイスは慢心していない。常に多くの策を伏せ続ける詰将棋の如き戦術こそが、彼がハンターと称される理由なのだから。


「貴女の聖典の欠点は、脅威自体を消せぬこと。前任者の様に受ける被害を相手に反射出来る程に至れば話は別ですが、今の貴女の技量では其処までなどは到底望めない」


 第十二聖典の最大の弱点は、攻撃手段を一切保持していないこと。極めれば話も異なるのだが、其処まで至らねば護身にしか使えない。

 そもそも道が無ければ、其処から先には進めない。故に攻撃を外した時に切った木々を操物術で集めておいて、カードの包囲網で視界を塞いだ時に設置していたのだ。


 超人的な身体能力でもあれば、跳び越えるのも容易であっただろう。その程度の高さでしかないが、つい数日前まで村娘であった少女には不可能なこと。


「そして、これで詰みです」


「あ……」


「いいえ、聖典を使わねばならない所にまで追い詰められた時点で、既にもう詰んでいた」


 これにて決着。そう語るチェイスの言葉と従う様に、トランプカードがリースの後方を舞っている。

 突破した包囲網は、先を塞がれた事で檻と変わった。聖典が閉じると同時に、それらは襲い来るのであろう。最早、対処の術は何もない。


 まだ諦めないと、木々の壁をよじ登る程の体力など残っていない。立ち止まって数秒もしない内に、第十二聖典は効果を失い大地に落ちた。


「さて、今日はこの辺にしておきましょう」


「は、はい」


 切り落とした木々が勿体無いと、更に小さな薪へと切り裂きながらチェイスは訓練の終了を告げる。

 その言葉に荒い息で頷いたリースは這う這うの体で、如何にか聖典に触れると己の体内へと収納した。


「今後の課題ですが、分かっていますね」


「聖典の、効果をより引き出す事と、もっと、使い時を、考えること、ですか」


「えぇ、素晴らしい。それと、基礎体力を増やすことですかね。今後も、日々精進と言う訳です。頑張りなさい、リースさん」


「……はい。ありがとう、ございました」


 助言を幾つか与え、教育係としての役を終える。そうしてチェイスは、僅かに思考した。

 目の前に座り込む疲れ果てた少女と、大量に増えた薪にどうしたものかと。どちらもこのまま放置しておくのは不味いだろうと、故に彼は見守っていた観客に対し視線を向ける。


(折角ですし、此処は若い子に。リースさんの事は任せましたよ、デュラン君)


 内心での呟きを音にはせず、唇だけを振るわせる。読唇術は審問官の基本であれば、その意図も確かに伝わるだろう。

 そうとも、デュランとリースは一緒に居させた方が良い。数日前にチェイスがリースとカルヴィンを同行させたのは、女の為にと言うだけではなかったのだ。


 チェイスは思う。デュランと言う青年は、優し過ぎるのだと。それは人でなき獣を屠る役目にすら、辛さを感じてしまう程である。

 そんな彼にとって、処刑人と言う立場は重荷だ。仲間を手に掛けると言う行為が、負担にならない筈がない。彼にしか出来ないとは言え、出来ればさせたくないと思う程。


 だからこそ、リースの様な者との触れ合いは良い結果を与えるだろうと踏んだのだ。処刑の仕事を果たす必要がないであろう相手であれば、心を癒す一助になると期待して。

 結果は予想以上と言うべきか。今も感じる彼の視線や、デュランに付いて回る様になったリースの笑顔を思い浮かべる。若い者らの青春劇はやはり良いと、チェイスは微笑みながら立ち去った。




 そんなやり取りを少し離れた高台から、見守っていたデュランは立ち上がる。後は任せたと言われたならば、そう望まれた通りにあるとしよう。そうして近付こうとするデュランの背中に、ふとその声は掛けられた。


「頑張っているようだね、あの子」


「マキシムか」


 翡翠の瞳をした友人に、デュランは振り向き振り返る。さて、彼は一体如何なる要件で来たのかと。


「随分と入れ込んでいるようだね。あの子も君に懐いている様だし、少し妬けてしまうかな」


「……そんなんじゃないさ」


 僅か身構えたデュランに対し、振られた言葉はそんな雑談。性癖以外は信頼している友人からの日常会話に、どう返すべきか一瞬迷った。けれど、迷ったのは一瞬だった。


「俺は唯、綺麗だと思っただけだ。綺麗な物を、守りたくなるのは当然だろう」


「成程」


 長い時を共に過ごした友人だ。強さも弱さも、互いに深く知っている。同じ釜の飯を食った仲間に、今更隠し事など必要あるまい。

 故に正直な言葉を返す。男女の恋愛感情とは関係なくて、唯綺麗だと思ったから守りたいのだと。そんな己の感情を言葉にして、デュランは友に背を向けた。


「行くのかい?」


「ああ。あの調子じゃ、歩くのもキツイだろうからな。少し、手を貸して来る」


「……全く、本当に妬けてしまいそうだよ」


 歩き去って行く友に、付いていくのは流石に無粋が過ぎるだろう。羨ましいと半ば本心から吐露しながら、その背中を見詰めて見送る。

 そんなマキシムの胸に去来するのは、彼の語った言葉への共感。綺麗だと思ったと、その言葉には深く染み入る何かがあったのだ。


「綺麗な物、ね。リースちゃんが綺麗かどうかは兎も角、その憧憬には共感できるよ」


 そうとも、マキシムもまた同じ様に思っている。初めて出逢ったその時から、ずっと綺麗だと思ってきた。

 其れはリースと言う娘ではない。あれは何処までも平凡でしかない善良な娘で、マキシムの好みからは余りに外れ過ぎている。


 ならば、何が美しいと言うのか。それはマキシムの瞳が確かに示している。爛々と輝く翡翠の色が、追い掛けているのは友と慕う男の背中。


「しかし気付いているのかな、デュラン。そうやって、届かぬ星を追い掛けている君の瞳。それもまた、とても美しい物だと言う事に」


 審問官の訓練時代、出逢った頃からずっと彼は変わらない。届かぬ星を追い掛ける、その目は何時も輝いていた。

 けれど、その身が穢れて居ると自覚がある。聖騎士と違い、審問官の戦場は何時も薄暗く醜悪な物。故に己の手は薄汚いと、そんな感情を宿していた。彼はとても優しいから、自身の所業が許せない。


 だから愛される事を諦めていて、けれど求める心を捨てられない。何も切り捨てられない青年は中途半端で歪なのに、それでもマキシムには輝いて見えたのだ。それは今も変わらない。


「嗚呼、本当に君は素晴らしい。その手は汚れ、信じた想いは歪んでしまって、それでも瞳は輝いている。とても歪で、とても素敵だ。君はママの次に魅力的だよ、デュラン」


 そんな所が、マキシムはとても好きなのだ。守っていたいと思う程、壊してみたいと思う程。愛する母の次に、彼を思う理由の最たる物はその光。

 血で汚れて、死で歪んだ、それでも優しい小さな光。抱き締めて潰してみたいと想う其れを、今は見詰めているだけで満足している。だから当分は、このままでも良いだろう。


 疲れて座り込んだリースを抱き抱えて、テントに向かって歩く友を見る。横抱きに抱えられ顔を赤く染めるそばかす娘が、何に恥じらっているのかも理解出来ていない友人を見詰める。その名を呟く男の声には、粘着質な熱が満ちていた。






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