表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第六幕 猫と剣と子どもと灰被り姫のお話
162/257

その5

(私、は――)


 瞼を開いた先に、広がる景色は見知らぬ天井。まだ覚醒に至らぬ微睡の中、少女は身体を横にする。

 開き掛けた瞳の先を、長い髪が軽く当たって邪魔をする。その蒼を僅か鬱陶しいと感じて、自然な所作で腕を動かし整える。


 其処でふと、少女はその異常に気が付いた。


「手が、ある? 声も、出る。――っ!? セシリオは!?」


 己は四肢を切り落とされて、喉も潰されていた筈だ。だと言うのに、自然と動いたそれは紛れもなく人の腕。

 良く見れば淡く色が違っているが、それに気付くよりも前に飛び起きる。最後の一瞬まで、己を救おうと手を伸ばしていた少年。彼がどうなったのか、己の身よりも心配だった。


「やぁ、起きたかい。カロリーネ」


 そんなキャロへと、掛けられたのは男の声。振り向いた先に居たのは、キャロよりも薄い蒼をその身に宿したスーツ姿の青年。

 華美に過ぎない装飾が所々にある部屋の中、椅子に深く腰掛けながら優雅にティーカップを傾けている。そんな男の姿を、キャロはとても良く知っていた。


「……ディエゴ、兄さん」


「ああ、おはよう。カロリーネ。疑問も不安もあるだろうけど、今は一先ず掛けなさい。一晩中、眠り続けていたのだからね。何か軽い物でも用意させよう」


 ベルを使って外に控えていた侍従を呼び出し、彼らに指示を出して食事の用意をさせる。それは何処までも、嘗てと変わらぬ日常の光景。

 けれどきっと、もう違うのだろう。最後に会ったあの日に、兄が流していた血の涙を覚えている。焼き付いて離れない光景があるから、何時も通りに違和感しか覚えない。


 それでも言われるがまま、椅子に腰掛けたのは気付いてしまったから。兄の目元には深い隈があり、隠してはいるが何処か疲れた様な素振りが少し見えたから。

 何となく、思う。ディエゴは一晩中、ずっとこうしていたのだろうと。切り捨てた筈の妹を捨て切れず、生贄にすると決めたのに身を案じて、見守っていたのではないか。


 この人はそういう人だと知っていたから、きっとこの想像は間違っていない。だからこそ、向き合おう。そうするべきだと――いいや、そうしたいと思ったのだ。


「腕や足の調子はどうかな? 生体操作技術の粋を尽くした物だから本物と全く変わらない筈だが、まだ一般には公開されていない技術でね。少し不安が残っている」


 けれど、だからと言って全てを受け入れられる訳ではない。出された食事には手を付けず、キャロは対面に座すディエゴを見る。

 気取った所作は、育ちの良さを感じさせる物。何ら気負う素振りも隠す素振りも見せず、彼は唯問い掛ける。新しい手足の調子は問題ないかと。


 言われて漸く、己の四肢となった作り物を再び見下ろす。日に焼けていない新品のそれは、己の肌の色より白い。だがそれ以外には、何の異常も感じなかった。

 文字通り手足の如く、実に自然に動いている。指先の動きも滑らかで、切り落とされた記憶の方が嘘だったのではと思えてしまう程の物。だからこそキャロは、瞳を鋭くして問い掛けた。


「義手と、義足……。どういう、心算ですか」


「今此処で治療しても、結末は変わらない。ならば私の心の安定の為に、多少の無駄も良いだろう」


 何故、敵対者に塩を送る様な真似をと。妹の問い掛けに兄が返すのはそんな韜晦。灰被り姫はきっちりと仕事を果たすが、命じたこと以外は適当過ぎて困るのだと。苦く笑って誤魔化している。

 そんな彼を強く睨む。父母や親族全てを殺して、それで居て嘗てとまるで変わっていない素振りを見せる。そんな兄だからこそ、キャロは強く強く睨んだ。対してディエゴは、深く息を吐くと声音を変える。


「そう。結末は変わらない。君は此処で死ぬんだ、カロリーネ。私と、私が愛した西の為に、もうじき君には死んで貰う」


「……精霊殺し」


「ああ、そうだとも。私は太母を葬り去る。この意志は変わらない」


 睨み上げる少女を、冷たい言葉と瞳で見下ろす。男の意志は変わらない。例え其処に如何なる事情があったとしても、ディエゴはもう許せないのだ。

 水の誓約と言う呪詛を。その呪いが生んだ悲劇の涙で出来た海を。そうと知らずに繁栄した、レーヴェの血族を。そして何よりも、今此処に居る自分自身を。


「もう十分だ。もう十分に、誓約は命を奪っただろう。故に我ら血族が、今度は対価を支払う番だ」


 もう十分だ。もう十分だと言わせてくれ。彼は唯、終幕の時を待っている。これ以上の苦痛も絶望も、もう見たくも触れたくもないのだ。だから――


「案ずることはない、カロリーネ。君と共に、私も逝こう。我らは皆で呪詛と成る。母と共に、血族全てが消え失せる。そうして初めて、この罪は償えるのだから」


 共に逝こう。共に終わろう。そうすることで初めて、この背に負った荷を下ろせる。そうすることで初めて、己の贖罪は終わることが出来るのだ。

 ずっとずっと考えていた。あの日、最初で最後の友達を失くしたあの日から、ずっとずっとそう考えていた。一度は別の解答をと夢に見て、しかし所詮は幻想だったと分かってしまった。だからもう、こうするしか道はない。


「……本当に、そう思っているんですか」


「何が言いたいんだい、カロリーネ?」


 冷たく、だが何処か寂しく、そして少し疲れた様に、語るディエゴの言葉に反発する。兄の顔を睨み付け、カロリーネは確かに語るのだ。


「本当に悪いのが、水の精霊王だけだと!? マリーア様だけの罪と、兄さんはそう語るのですか!?」


 ディエゴの表層があの日とは変わらず、だがその中身が確かに変わっていた様に。カロリーネもまた、過ごした日々で変わっていた。

 多くを見た、と言える程ではないだろう。それでも仲間達と共に、鳥籠の外に広がる世界を見た。そこで幾人もの人に出逢った。何も為せずに流されていただけの少女はもう居ない。


「古き神殿で見えたマリーア様は、決して冷たい方ではなかった。確かな優しさを、其処に感じることが出来ました。きっと彼女は、破滅を望んだ訳ではない」


 キャロは知らない。ほんの少しだけ綺麗な世界が見たいのだと、願った水精霊の王の言葉を聞いていないから。

 それでも、彼女の断片に触れて理解した。決して邪悪ではなかったと。人の不幸を喜ぶようなモノではなかったと。


 だから、こうなってしまったのは彼女だけの所為ではない。何かもっと、別の要因があった筈なのだ。


「それにマリーアが与えた水の誓約を利用したのは、私達の様に西に生きる人間達です。裏切れないことを良い事に、食い物にしてきた人が居たからこうなった!」


 そうとも、如何に呪詛が強くなろうと、水の誓約の本質は変わらない。約束を破ってはいけないと言う、それだけならば当たり前の決まり事。

 これ程に悲惨な形を成したのは、その性質を利用しようとした者が居たからだ。他人を騙して罠に掛け、理不尽な契約を結ばせる。最初にそうした人間がいたから、こうした悲劇が始まったのだ。


「それさえも、兄さんは太母の所為だと語るのですか!?」


 ならばどうして、それら全てを精霊王だけの罪と語れるのか。キャロはそう問い掛ける。本当に悪いのは、彼女ではない筈だろうと。


「…………そうだよ、カロリーネ。私達が居なければ、そもそもこんな始まりがなかった筈だ。ならば其処に如何なる要素が混じろうと、最も罪深きは我らである。私達だからこそ、そう思わないといけないんだ」


 だがしかし、ディエゴは決して認めない。それを悪用した者が居たからと言って、最初に作り出してしまった罪が何か変わる訳ではない。

 嘆くような瞳で、彼は諭す様に言葉を紡ぐ。キャロの問い掛けは確かに真理を突いているのであろうが、それは自分達が言ってはならないことなのだと。


 ノルテ・レーヴェは、水の精霊王に連なる血族だ。加害者の側に立つ者なのだ。被害者が居る状況で、如何に真実であろうとも、加害者の側に立つ者が自分を正当化してはならない。

 それは余りにも、恥知らずな行いだからだ。罪を犯したのならば、罰を受けねばならぬのだ。詭弁を弄してそれから逃れようなどと、彼の精神性が認められない。少なくとも己と同じ血を引く少女が語る限り、受け入れることなど出来よう筈がない。


「罪は償うべきだ。贖罪を為さねばならない。だから私は――」


「一族を道連れにした自死を選ぶ、と! 其れで一体、何の意味があると言うんですか!?」


「いいや、違う。私達を使って、未来を切り拓こうと言うのだよ。果てにはきっと、美しい世界が待っている」


 罪を償う為にと口にして、為すのが一家心中か。母祖を殺し、水の誓約を消し去り、その果てに何があると言うのか。

 意味はない。何もなかった時点に戻るだけなのだと、誓約を交わす以前に戻るだけなのだと、彼らは既に気付いている。


 人は決して、綺麗な存在ではない。約束を破れないと言うだけの法則を、悲劇に変えてしまう程に人間と言う種は醜悪なのだ。


「いいや、それも違う。待っているのではない。果てがそうなる様に、残していくのだ」


 そんな彼らだ。何もかもをリセットしたとて、また似て非なる地獄を形作るだけであろう。

 このままでは救いなどないと、ならば救いを作り上げる。ディエゴは己の贖罪を、そうと定めていた。


 故にこそ彼は一つを取り出す。ジャケット裏の胸ポケットから、取り出したのは掌サイズの黒く四角い箱だった。


「見なさい、カロリーネ。これが未来に繋ぐ希望の光だ」


「四角い、箱? 一体これに、何が?」


「計数型電子計算機。これは魔法理論と魔物の素材を用いているから、計数型魔力計算機とでもいうべきかな? スーパーコンピュータとでも言った方が、伝わりやすいだろうか」


 魔法技術の応用により、現代よりも優れた機械をより小さなサイズで成立させた。掌の上で転がる程度の大きさでさえ、演算能力は秒間八京。規格外の性能だ。

 これに対応したインターフェイスと制御のための人工知能。核動力以上の出力を有する最新型の魔力炉心。これらを用いた物こそ、彼の日に友を失くしてから、ディエゴが抱いていた理想の一つ。


「完全なる数理を、絶対的な効率を、一切の無駄なき合理を、成し遂げる為の鍵こそこれだ」


 西の全てを、絶対者の下に管理する。意志を完全に統率して、内には争いが一切ない楽園を作り上げる。

 其処に人の情は要らない。其処に人の醜さは要らない。完全なる合理性を以ってして、全てを美しい形へと。


「先に君が言った様に、水の誓約がこれ程に醜悪な世を為した理由。その一つは確かに、人の欲望と醜さが故にだ。そうとも、人は間違えるのだ」


 人の王では出来ぬであろう。人は間違える生き物だから、己の欲と醜さが故に絶対の指導者足り得ない。

 故に電子と数理の王を。欲を持たない王を生み出そう。醜さを持たない王を戴こう。決して間違えない王に従おう。


「西の民は合理を尊びながら、その本質は情に在る。欲に在る。数理の大陸と語りながらに、私達は間違い続けている」


 そうとも、人は間違い続けている。それは無駄と非効率を嫌う筈の西の民ですら、例外ではないのだとディエゴは知っている。

 人の欲には際限がなく、管理せねば破滅するしかないのだ。机の上に置かれた紙ナプキンを手に取って、これが証拠の一つだと彼は語る。


「それはこの紙切れ一つを取っても明白なのだ。中央の製紙技術は低く、他の三大陸ではそもそも製造が不可能。その中央にした所で、これ程に薄い紙を安価で大量生産することは不可能だ」


 南や中央では、文字を書く紙一枚でも貴重な品だ。綺麗な用紙ともなれば、銅貨の一枚二枚では買えない程に高価となる。それは中央の技術では、作成するのが困難だから。

 対して西の技術なら、中央のそれよりも簡単により高品質な物を量産出来る。技術力の格差で言えば、二百年や三百年では済まない程に差が出来ている。中世と現代の技術を比べる様な物なのだ。


「彼らが金貨一枚と数日の時を掛ける仕事を、我々は銅貨一枚と数十分の作業で為せる。それだけの技術差があり、それが生んだ富の差もある。故に当然我ら西は他の大陸より満たされていて、なのにまだと求めるのだ」


 故に当然、市場はほぼ西が抑えている。経済と言う点において、五大陸でも飛び抜けているのが西方なのだ。故に集う富の総数は、残る全ての大陸のそれを合わせたより遥かに多い。

 だと言うのに、内側でも格差がある。外から奪うだけで満足しておけば良い物を、肥え太り続ける豚の様な者達は、まだ足りぬまだ足りぬと内側からも搾取するのだ。それが結果として西方全体に悪影響を及ぼすとしても、彼らの欲望は止まらない。


「これでは駄目だ。これでは駄目だ。これでは駄目だ。これでは、私達はまた間違える」


 故に人は駄目なのだ。故に人では駄目なのだ。欲がある者では正しい道を選べずに、だから冷たい機械の王を求めるのだ。


「故にこそ、絶対者による完全管理を。人では完全なる王に成れぬと言うならば、電子の王を求めよう。既に器は出来ているのだ」


 夢見ていたのは昔から、決行に移すと決めたのは南方崩壊を知ってから。それまでは耐えていた。この変革は、余りに多くの犠牲を生むから。

 それに想像するだけでも、問題点も幾つかあった。何よりも情無き王と言う存在が、どう転ぶのか分からなかった。けれど、ディエゴは腹を括った。


 南方の崩壊から見えた最悪の未来。中央に接触して見えた其処に巣食うモノ。時間がないと、彼は知った。痛みを伴ってでも、変えなくてはならないと彼は知ったのだ。


「このビルの全てが、巨大な魔力計算機だ。設計段階から予定していた、それに火を入れれば良い。それだけで、完全なる数理の王が産まれるだろう」


 ノルテ・レーヴェ本社ビル。この巨大な摩天楼を構成する建材の全てが、魔力計算機としても使える様に作られていた物。

 掌サイズで、八京単位の計算が可能な演算器。地上二百階分、八百メートルをも超える程の大きさと成ればどれ程の機能を有するに至るか。


 間違いなく、有史以来最高の物が生まれるだろう。或いはいと高き人々の文明にすら、届く代物が作れるかも知れない。

 そんな規格外の巨大電子機構を、数理の王としようと言う。完全なる王の下、誰もが全てを管理されて生きていく。それこそディエゴの夢見る理想郷。


「逆らう者など残さない。リントシダーを壊滅させたのは、冒険者ギルドから力を奪う為に。もう西方北部の支配は完全だ。南部の支配も、時期に終わる」


 西方北部は元より、ノルテ・レーヴェが最も影響力を持っていた場所。ヘロネ・ゴーシオでの一件から続けていた南部への干渉も、もう時期完了するであろう。

 商業者連合の有力企業の多くは既に後塵に拝しており、ノルテ・レーヴェには逆らえない。敵対し得る可能性があった冒険者ギルドも、そうなる前に手を打ったのだ。


 南方で四人しかいないA級を一人失い、闘争都市で更に一人と失い、内の一人は裏切り者で、そして勢力内第二位の支部は都市ごと纏めて消し飛んだ。この状況で、最早何か出来る筈もない。


「中央大陸は荒らすだけ荒らした。あのような怪物が潜んで居たのは想定外だったが、アレは今の動乱を愉しんでいる。暫くこちらに手を出す心算もないだろう。直ぐに準備を終えて王を戴き、その後で対処すれば良い」


 無能姫の婚約者と言う立場を利用して、中央でも可能な限りの手を打った。荒らし続けた事で見付けてしまった彼の邪悪こそ想定外ではあったが、今の状況ならば逆に利用することも叶うであろう。

 そして残る最後の脅威であった悪竜王も、灰被り姫が確かに無力化してみせた。その残党は最早取るに足らず、己の勝利は揺らがない。後は唯、座して待てば良い。ディエゴ・イブン・アブド・レーヴェはそう確信していた。


「数理の王が産まれるまで、抵抗が予測される勢力を磨り潰すまで、あと数日は掛かるだろう。それが残る君の寿命だ。カロリーネ」


 そうとも、精霊王を殺すだけなら、もう何時でも出来るのだ。儀式に必要な物は全て手中に揃っていて、後は己達を捧げるだけである。

 だが今の世を残して、それでは贖罪にならぬであろう。故にディエゴは待っているのだ。西の各地に派遣した武装社員達が、残る勢力を磨り潰して来る時を。王の誕生するその日を。


「王の誕生と共に、私達は消えよう。完全なる楽園の創造と共に、悍ましき血族を終わらせよう。それこそが、罪に対する贖罪だ」


 もう涙は流さない。既に枯れて果てたから。もう心は揺らがない。乾いて摩耗する程に、疲れ切ってしまったから。

 残る最後の義務感で、ディエゴ・イブン・アブド・レーヴェは此処に居る。これより為すことこそが、己の罪に対する償いなのだと信じていた。


「……それが救いになると。人が支配する形では、駄目なのだと」


「そうとも、私は悟ったのだ。(ヒト)は駄目だと、そう確信したんだよ」


 人は駄目だと、彼は悟った。人手は駄目だと、そう諦める程に不快な物を多く見た。その一つは確実に、北の山にあった牧場だろう。

 あれと似たような物が、一つや二つなどではなかった。十や二十でもなかったのだ。それら全てを必死になって改善して、それでも外的要因の変化一つで壊れてしまう。


 この世界に救いはない。必死になって頑張り続けて、それで出来るのは今の維持だけ。より良き物を目指しても、必ず破綻してしまう。彼はそう知り諦めた。


「君にも、何時か分かる。悲しいのは、それが分かる前に逝くであろうことか」


 それでも、その背には責任があった。古き日に交わした約束があった。だから心が折れた今も、こうして求め続けている。

 昨日よりも優れた今日を。今日よりも幸福な明日を。空回りに過ぎぬとしても、果てに最悪を呼ぶのだとしても、そうせざるには居られない。そうしなくては、終われないのだ。


「兄貴が妹を泣かすなと、ああ確かに、伝言は受けた。だが、他の道など選べない。私は西を救うのだ」


 ふと思い出したのは、配下の一人から受けた報告。小さな少年が伝えろと、語ったその言葉に寂しく微笑む。

 何となく既視感の様な物を感じる。何処かで友と重ねてしまう。愛する人を守ろうとして、誓約を破った契約奴隷と言う少年に。


 けれど、そんな感傷に意味はない。それではディエゴは止まらぬから、其処に意味などないのである。


「……兄さんの言葉が、正しいのかどうか、私には分かりません」


 人に諦めを抱いた兄の言葉に、世界の広さを知らない妹はそう答える。それしか道がないのだと、語る言葉を否定する論拠なんて少女の内側には一つもない。


「私はまだ、世界を知らない。沢山、本当に沢山のことを知らないんです」


 それでも、彼女は知らないと言うことを知った。鳥籠の中に閉じ込められた雛として、流されていただけの日々とは違う。

 差し伸ばされた手を取って、共に籠の外へと跳び出した。そんな彼女は知ったのだ。己の世界の矮小さと、広がる世界の大きさを。


「だけど――そんな私にも分かることがある」


――行きなよ。セシリオ。男の意地、見せるんでしょ?


――守られるだけのお姫様で居るのか? その背中を守れる様な女になるのか? さぁ、貴女はどうします?


 何時も眠そうにぼんやりしていて、それでも誰よりも強かった魔物の支配者。我儘に暴れる怪物で、けれどとても綺麗な竜の王。

 己と同じく精霊の血筋に生まれたと言う亜人の少女。気ままな猫の様に自由なのに、好き好んで皆のフォローに回っていた苦労人。


 背を押す様な言葉を覚えている。確かに頷き進んだ先で、見えた景色は輝いていた。


――問題はねぇ――って言えば嘘になるが、弱音吐いていられる状況でもねぇだろ。


――俺こそが、チャンピオンだ。チャンピオンに、敗北などはない。


 男勝りな言動で、実は誰よりも少女趣味だった雷光の剣士。白銀の鎧と巨大な剣を手に、己の弱さと向き合っていた努力の人。

 とても優しくて、でも同じくらいに不器用だった闘技場のチャンピオン。本当に欲しい物を間違えてしまった、そんな悲しい終わりを迎えた人。


 彼らはずっと足掻いていた。どんなに追い詰められても強がって、自分は平気と嘯いている。其処に、確かな何かを見た。


――だって、恵まれていたでしょう? だって、健やかに生きたでしょう? レーヴェだけが特別で、何でそんな事が許されるの?


――全ては唯、灰被り姫の為だけに――俺達は、サンドリオンに飼われた猟犬だ。


 誰かを貶め、嘲笑う悪女。外道と呼ぶのが相応しい程の悪性を有しながらも、同時に誰かを愛することが出来ていた人。

 心を押し殺し、感情を消し去って、唯誰かの為だけに動く機械の様な少年。人として間違っていると思うけど、それだけじゃないとも感じた人。


 出会った人の全てが、良き人達であった訳ではない。辛いことも、悲しいことも確かにあった。それでも、鳥籠から飛び出したことに後悔はない。何故ならば――


――俺はセシリオ! 君を、助けに来た!!


 其処に、彼が居たから。キャロよりも小さな手で、キャロよりも小さな身体で、けれどキャロよりも大きなことを成し遂げる。

 そんな彼の手を取って、跳び出した今に後悔なんてある筈ない。そして共に歩いた道筋の中で、キャロは確かに変わったのだ。その変化は、きっと成長と呼べる物。


「ディエゴ・イブン・アブド・レーヴェ」


 だからこそ、目は背けない。逸らす弱さは必要なくて、見詰める強さはあったから、その蒼い瞳で確かに兄を見る。

 嘗てはとても大きいと感じたその姿。強くて、優しくて、完璧な人だと。尊敬すると共に少し嫉妬していた、そんな兄の姿を見る。


 その姿は、嘗てとは違った。確かな瞳で見た姿に、彼女はこう結論付ける。ディエゴ・イブン・アブド・レーヴェと言う青年は――


「貴方は、弱い人です」


「……ほう」


 とても弱い人間だ。とても小さな人間だ。挫折したまま立ち上がれずに、泣き出すこともできなくて、唯そこに留まっているしか出来ない人間だった。


「失ったことを誰かの所為にして、導くことを何かに任せて、結局自分で何もしない。いいえ、貴方には出来ないんだ!」


 己が友を喪ったのは、水の誓約の所為である。水の誓約が存在するのは、水の精霊王が作ってしまった為である。水の誓約が歪んでいるのは、人の醜い欲が理由である。

 それは確かに真実なのかも知れないが、同時に逃避の口実だ。誰かの所為だ。誰かが悪いと。責任を何かに押し付けて、自分で果たそうとはしない。そうすることが、怖くて出来ない。


 そうとも西に変革をと口にしてはいるが、その実出来ると思っていない。自分には出来ないのだと、彼は諦めてしまっている。だからそれは、逃げの口実でしかないのだ。


「失うことが怖いから、導くことが怖いから、責任を負うことが怖いから――貴方は死に逃げようとしている。罪を償うと言いながら、その本心は逃げたいだけだ!!」


 死に逃げたいのだ。己で背負いたくないのだ。だから代わりに背負ってくれる物を作ろうとしている。その作った物が如何なるか見届けようともせずに、死に逃げようと望んでいる。

 そうとも、ディエゴ・イブン・アブド・レーヴェは罪の償いをしたい訳ではない。募った罪悪感と負ってしまった責任から逃げ出したくて、でも投げ出せない程度には情が深くて、だから口実を探しているだけなのだ。


 その為に罪を重ねて、そして自分で勝手に追い詰められてる。優しいと呼ぶには弱過ぎて、甘いと言うしかない人間性。そんなちっぽけで愚かな弱さこそが、ディエゴと言う男の本質なのだ。


「そんな貴方に、そんな弱い貴方に、皆は、セシリオは――私は絶対に負けません!!」


 だから、そんな男には負けない。そんな弱い男には負けないのだと、少女は強い瞳で宣言した。


「……そうか。ああ、そうかもしれない」


 その宣誓を受けた男は、静かに噛み締めた後で納得する。確かに言われてみれば、当て嵌まることは多く在ると。


「弱い、か。逃げたい、か。言われてみれば、そうだね。そう自覚する所もある」


 死に逃げたい。もう終わりたい。それは紛れもなく本心で、だが無駄に死ねる程に冷たくは成れなかった。だからこうして、自分で自分を追い詰めた。

 優しくなくて甘いから、砂糖細工の様に甘いから、彼は奪った物を切り捨てられなかった。自分の自重で潰されて、それでも背負い続けて歩く。優しくなくて甘いから、そうする道しか残っていない。


「けれど、結末は変わらない。西で抗う者はもう少ない。数理の王はもう直ぐ産まれる。西は楽土と成り、その礎に我らが成る。その結末は、変わらないんだ」


 そうとも、今更に言葉では退けない。己の弱さで奪った物があるのだから、それに見合った成果を得ねば止まれない。止まりたくても、止まれない。

 そんな彼の手元にある通信端末が震える。軽く操作して内容を確認すると、ディエゴは静かにカップを置いた。


「灰被りにも困った物だ。どうやら、君の友人達を誘い込んだらしい」


「セシリオ達が!」


 流石に本社ビルの目の前で、戦闘が始まれば彼の下へと連絡が届く。寧ろこの状況に至るまで、報告の一つもなかったことが異常なのだ。

 恐らくはそれも灰被りの猟犬の仕業であろう。彼女が愉しむ為に、こちらの情報網を遮っていた。そうと理解して、困ったものだと息を吐く。


 それでも其処に必死さがないのは、彼女の勝利を確信しているからだろう。灰被り姫は遊びが過ぎるが、やるべきことはしっかり果たす仕事人でもあるのだ。

 そして相手は高々、魔王の取り巻き達。唯の負け犬で残党だ。竜王本人が目覚めたと言うのならば兎も角、他の者らでは灰被り姫は倒せない。合理的な判断でそう結論付けて、故に慌てる必要などは何もない。


「だが問題はない。君の友人達は、直ぐにでも処理されるだろう。だから下手な気など起こさず、残り短い生涯を此処でゆっくりと過ごしていなさい。カロリーネ」


 それだけ告げて、立ち上がるディエゴ。彼の胸中に不安などはない。勝利は確定で、キャロが逃げ出す心配もまたないからだ。

 此処は特別性の部屋。この内側では精霊術が使用出来ず、故にこの中でキャロは年相応の力しか出せない。そしてその両手足は治したばかりで、激しい運動など出来ないだろう。故に取るに足りぬのだ。


(私は守られるだけのお姫様で居たくはなくて、助けに行ける人になりたいから――――)


 案ずることも焦ることもなく、扉の向こうへと立ち去っていくディエゴ。その背中を強い瞳で見詰めたまま、キャロは静かに心の中で誓う。


(此処から出て、皆の下へと向かうんだ)


 必ず彼らの下へ戻るのだと。その為の手段を、少女は探し始めるのであった。






〇今回出て来た見えてる地雷

1.ディエゴ君が作ろうとしている電子の王は魔法技術を利用した物。

2.魔法の大本である瘴気は本来、生命を堕落させる力。あらゆる存在を魔に堕とす。

3.砂漠の砂が魔物化したサーブロムの様に、無生物でも条件を満たせば魔物化する。


1+2+3=電子の王。確実に魔物化する模様。


ディストピア以前に、三大魔獣級の魔物がPOPすると言う。

良かれと思って為した結果こうなるのが、信頼と実績の水精霊王の血族クオリティである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ