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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第六幕 猫と剣と子どもと灰被り姫のお話
158/257

その1

 降頻る雪は止むことがない。少なくとも男はその生涯の中で、雪が降っていない日を見たことがなかった。

 それは男の父も男の祖父も同じく、降り頻り降り積もる雪は同じ景色を見せ続ける。故に万年雪と呼ばれている。


 男はそんな雪が嫌いだった。この村が最悪最低の場所なのは、この雪が決して止まないから。

 男はどうしても、この雪を好きにはなれなかった。此処に生きる人々は、この雪が為に未来を閉ざされた。


 少なくとも、男はそう思う。何かを変えようと思って、何も変えられなかった。そんな男は思うのだ。

 もしも、此処が雪に閉ざされた場所で無ければ。当たり前の様に稲が芽吹いて、獣が飛び交う地であれば。きっとこんなにも、碌でもない村になってしまうことはなかった筈だと。


「けど、私は好きよ」


 雪が嫌いだと告げたのは、果たして何時のことであったか。そんな男に、女は小さく微笑み言葉を返した。


「だって、白くて、冷たくて、綺麗だもの。何時まで見てても飽きないくらいに、こんなの見たのは初めてだから」


 その褐色の肌は、西方南部に見られる特徴。日の光に照らし出された、暑い地方の民の物。

 逆に北部の民には、肌が白い者が多い。日差しを見る機会も少なく、色素を持つ意味が薄れてしまっているから。


 そんな女は、その肌の色が示す通り、此処で生まれ育った者ではない。外からやって来た者だ。

 旅芸人の一座と、この村に彼女らが来たのは“上”の計らいだろう。或いは求められているのか。白い家畜が多いから、偶には黒も欲しいのだと。


 薄暗い思惑によって、此処に来たのであろう。碌でもない村だから、そういう者しか訪れない。

 だと言うのに、女は綺麗な顔で笑うのだ。綺麗な瞳で語るのだ。心の底から、影一つない言葉を此処に。


「だから、私は雪が好きよ。……貴方の次、くらいには」


 その笑顔に見惚れた。その瞳に胸を打たれた。その言葉に飲まれた。その想いに打ちひしがれて、その女に恋をした。

 下らないばかりの人生の中で、きっとその日々こそが確かな幸福。男と女は愛し合い、そうして一人の子を儲けた。その時こそが、正しく絶頂期であった。


 高みに至れば、後は落ちるだけが世の道理。北国と言う土地柄に、身体が合わなかったのだろう。

 女は子を産んで直ぐに、病に倒れて身を伏した。ゆっくりとやせ細りながらに、それでも変わらぬ愛を胸に世を旅立った。


 残された男の手の内には、小さき鼓動を打つ命。先に逝ってしまった彼女と、同じ褐色の肌を持った男の子。

 抱き締めたその熱を、男は自ら手放した。そうするしかなかった。何故ならば、此処は碌でもない村であったから――




 ピコデ・ニエべの山からは、特産物の採取が出来た。大きく分けて三種類。その内一つは、振り続ける万年雪。

 非常に溶け難い為、保冷剤の代わりとして。故に冷凍技術の発達と共に、美術品として以上の価値が失われた物。


 残る二つは、雪山から採れる霊水と霊石。特別な力が込められたそれらは、非常に高価で取引された。

 と成れば、より多くと求めるのは人の常。当時のウナマジェリト市長もそれは変わらず、彼はより多くをより効率良くと求めた。


 都市の背にある大山脈。其処から採取する度に、一々人を雇っていてはコストが掛かる。

 物の価値を考慮に入れれば多少の無茶も出来なくはないが、ならばそれこそ最初から山中に作業場を作ってしまった方が良い。


 そうした形で、作られた村があった。山間の中で鉱石を掘り、水や雪を集めて、都市へと送る為の村。

 最初の数年は建設費の影響で利も少なかったが、十年も経てば元は取れる。二十年もすれば得られる利益は、村落開設以前の比ではなかった。


 けれど、石も水も、採り続ければ減る物だ。掘り続けた鉱山からは鉱石が取れなくなり、霊水も見付かりずらくなっていく。

 無理に見付け出しても、需要は当時より減っている。二束三文で買い叩かれて、純利益など殆ど出ない。その村落は、限界の中にあった。


 それでも、ウナマジェリトにとっては問題なかった。最初の十年で、既に元は得ているのだ。何時か採れなくなることなど、作る前から分かっていたこと。

 予想より持った方だと、百年が経過した後に言う。故に彼らは合理的な判断で、もう要らないとその村落を切り捨てた。もう十分に搾り取れたから、滅んで良いぞと無情な態度で確かに示した。


 それで困るのは村落の側だ。雪が降り続ける山間では、食物などは得られない。農作などは不可能で、狩猟も極めて厳しい環境。此処で生きて来れたのは、ウナマジェリトとの間に物資の交流があったから。

 此処でそれを断ち切られれば、飢えて餓死する他にない。或いは村を捨てて下山すればとも思うが、誰もがそう出来る訳ではない。此処から何処かへ行ったとして、就ける職など真面にないのだ。どう足掻いても、碌な未来など見えない。


 だがやはり、ウナマジェリト側からしてみればどうでも良いこと。価値ある物がないのなら、態々手を回す意味もない。物資運搬用の坑道を封鎖して、それで彼らとしては終わりだ。

 既に終わったことなのだと、態度で示す上位者達。残された村の民に選べた道は、飢えて死ぬか、がむしゃらに抗って死ぬか、或いは――身内(チニク)を切り売りながらに浅ましく生き残るかの三つ。


 当時の彼らは、第三の選択肢を選んだ。村人の中で健康的な者を、美しい者を、役に立つ者を、奴隷としてウナマジェリトに売り飛ばしたのだ。

 これからも安定して供給するから、どうか支援を続けてくれ。そう語る浅ましい村長の言葉を、当時の市長は受け入れた。結果として、碌でもない村が其処に生まれた。


 男は種を撒き、女は子を産む。そして、それを売る。生まれながらに人権を奪われた彼らを、都合が良い道具として都市が使うのだ。

 その様を一言で語るのならば、人間牧場と言うべきだろうか。こんな者が欲しいと言う希望を叶える為に、狂気渦巻く出産施設で毎夜の如くに産声が上がり続ける。


 雪が好きだと語った女に恋した、雪が嫌いだった男。彼はそんな村長の一族に生まれて、跡取り(カンリシャ)として育てられた者であった。

 この村の現状を変えたいと思って、けれどどうすれば良いかが分からなかった。だから何も出来ずに何もかもを失った、そんな碌でもない村に相応しい、碌でもない男であった。


 褐色の女が此処に来たのは、同じ肌の色をした奴隷が欲しいと誰かが言ったから。だからこの村に流れて来て、それでも男に恋をした。

 先代より家畜の管理者であることを受け継いだばかりの男は、そんな女を抱き締めた。強権で以って己だけの物として、けれど彼に出来たのはその程度のことでしかなかった。


 子を守ることが出来なかったのか、そも守ろうともしなかったのか。どちらであっても、その結末は変わらない。

 妻を亡くした男は黙って、売り飛ばされる我が子を見詰めた。追い掛けることもせずに、抗おうと動かずに、男はそれを捨て去った。


 そうすることが正しいと、教えられて育ってきた。間違っていると気付いていても、変えるだけの力がなかった。

 そんな男は諦めて、そうして今まで通りに生きていく。そうなるのだろうと、何となくに思っていた。男の上位者である都市が、名を失うその日まで。


 北の若き獅子が、ウナマジェリトを塗り替えた。たった一つの企業が、西方北部の都市を手中に収めた。そして、彼は全てを改革した。

 当然、ディエゴがこんな村の存在を許す筈がない。山間の人間牧場はその役割すら不要と断じられ、家畜とされていた村人達は解放された。


 正気を保った者達には新たな職場を。最早生産しか出来ない程に壊れた者でも、一人一人に向き合って出来ることを与えていった。

 そんな甘い男の手によって、碌でもない村は終わりを迎える。その結末が訪れたのは、――――男が己の子を売ってから、僅か一年後の事であった。






 褐色の少年は、空を見上げながらに想う。雪が降り頻るこの場所は、彼女と約束した場所だから。


(どうせ来るなら、こんな形じゃなくて、一緒に見たかったよ。キャロ)


 記憶の底に焼き付いた原風景。己が生まれた筈の場所。万年雪の山にある、寂れて廃れた村があった場所。

 人気など殆どいないこの場所で、セシリオは空を見上げている。一緒に来ようと約束した、あの子は此処に今居ない。


 理由はたった一つ。セシリオと言う少年は、どうしようもなく弱かった。


「けど、そうだな。……諦める理由は、ない」


 セシリオは弱い。闘気の量は決して多くなく、悪竜の爪も奪われた。今の彼は戦士としても魔法使いとしても、二流どころか三流以下だ。

 彼女を奪った少年に、勝てる道理はない。真面にやり合えば十戦して十敗するだけの差があって、その上相手は格下殺し。相性という面で見ても、最悪と言って良い。


 それでも、諦める理由にはならない。自分一人では勝機が見付けられないなら、誰かと一緒に道を探して貰えば良い。

 そうして、見付けたのだ。雷光の師や猫人の少女と共に、勝利への道筋を一つ見付けた。それはたった一つ、分の悪い賭け。だがそれだけでも、彼にとっては大きな成果だ。


 元より、諦める理由はなかった。道が無くても進む心算だったのだから、道を見付けた今に立ち止まる訳がない。


「また、見に来れば良いんだ。今度は、あの子と」


 山間の村より見下ろす。降り頻る雪の向こうにある都市は、此処からではまだ見えない。けれど恐らく、此処からしか向かえない。

 ノルテ・レーヴェが支配する都市だ。精霊殺しに向けて、彼らは最後の準備を行っている。故に町の出入口は当然、厳戒態勢にあると予測されていた。


 猟犬団のトップ三人を討つ前に見付かってしまえば、唯でさえ不利な状況が更に悪化する。故に限界態勢にある、東西南にある三つの出入口は使えない。

 転移術への警戒もあるだろう。町の内部構造が分からないと言うこともある。故に直接内部に転移すると言うことも出来ず、ならばとミュシャが見付け出したのがこのルート。


 都市の北側、ピコデ・ニエべ山脈から町へと乗り込む。既に閉鎖された物資運搬用の通路を使って、町の内へと侵入しようと言うのである。

 だからこうして、精霊王の力で山間にあった村の跡地へ。寂れた廃れたこの場所へと飛んで来て、今は道を確認している。今も旧道は使えるのか、どのタイミングで侵入するのが一番良いかと。


「俺は決めたぞ。ルシオ」


 既に凡そ、答えは出ている。夜明け前こそが、最も人の警戒が薄れる時。故に此処で一晩過ごして、日が昇る前に突入する。

 それまでの時間は、各々が自由に過ごしている。ミュシャはギリギリまでルート設定に頭を捻っていて、エレノアは剣を手に意志を研ぎ澄ませている。


 ならば残るセシリオが行うべきなのは、覚悟を決めることなのだろう。分の悪いと言うにも程がある、その賭けに挑む覚悟と勝る覚悟を。

 そうとも、負ける訳にはいかない。もう二度と、あの友人には負けたくない。そして、それだけでも駄目だ。負けないだけでは駄目だから、ならば誓うはたった一つ。


「キャロと一緒に、此処に来る。ピコデ・ニエベで、あの子と一緒に。この景色を、俺は見たい」


 果てに望むのは、この降り頻る銀世界。何処までも真っ白な景色を共に、寄り添いながらに見ていたい。

 そう思うから、願うのだ。そう願うから、誓うのだ。他の誰でもない、己自身に。勝って帰ると、己の心に彼は誓った。


「……だから、今度は俺が勝つ」


 見果てぬ空に夢を見て、少年はその手を伸ばす。雲に閉ざされた空の下、降り頻る雪は冷たくも美しい。

 触れて直ぐには解けない雪を掴んで、空を見上げ続けている。そんな少年の後ろ姿は、決して小さくはない物だった。


 だから、だろうか。一人の男は思わず、彼に向かって声を掛けていた。


「君は――雪が好きなのかい?」


 声を掛けるべきではないと、分かっていたのにふと零れた。そんな問い掛けに、セシリオは振り返る。

 其処に立っていたのは、この寂れた村の跡地に一人残っていた男。突如現れた少年少女を受け入れて、彼が過ごす小さな小屋を一晩の宿とすれば良いと語った人物。


 年齢は、そう年老いてはいないだろう。働き盛りと見える容姿と体形に、けれど若いとは言えない男。

 まるで老人の様に、諦めた目をしている。そんな彼を警戒しないのは、信じている仲間が必要ないと語ったから。


 どんな裏があるとしても、決して害にはならないと。真実を見る瞳を持つ彼女が言ったのだ。

 ならば疑う余地などなく、老人の様な男は唯の恩人だ。故にセシリオは再び空を見上げて、真剣に考える。


 恩義が故か。それとも異なる理由であるのか。ちゃんとした答えを返さなくてはいけないと、そんな風に思ったから。


「……正直、今は考えてる余裕がないから、あんまり上手くは言えねーけど、多分好きなんだって、そう思う」


 キャロのこと。ルシオとの戦いのこと。考えることは一杯で、余裕がないと言うのは真実だ。

 けれどそれでも、見上げた空に魅入ってしまう。この今の状態でも、綺麗だと思えている。ならばきっと、己は雪が好きなのだろう。セシリオはそんな風に結論付けて、男に向き合い言葉を紡いだ。


「だって、白くて、冷たくて、綺麗なんだぜ? こんな状況じゃなかったら、何時までも見てたいって。何時まで見てても飽きないくらいに、こんなの見たのは初めてなんだ」


 好きだと思えた理由を、適当に並べて口にする。今だけは、先のことを忘れて。唯、思ったことを言葉にしてみる。

 そうしてみて何となく、それが正解なのだと思った。何故だか少し楽しくなって、何時もの様に笑って見せる。そうするべきだと、彼は何となく思ったのだ。


「…………」


 その姿は、とても良く似ていた。その澄んだ瞳も、その柔らかい笑顔も、とても良く似ていたのだ。

 だから、男は込み上げて来る想いに、何も語ることが出来なかった。何かを語って良い資格など、とうの昔に無くしていた。


「だから、俺は雪が好きだよ。大切な人達の、次くらいにはさ」


「……そう、か。…………私も、今は雪が好きだよ」


 震える声で、それだけを口にした。そんな男は俯いて、そしてセシリオはまた空を見上げる。

 何も知らないけれど、そうしたいし、そうするべきだ。そう想えたから、彼は空を見上げている。肩を震わせる男に、問うべきことなど何もない。


「んじゃ、俺は行くよ。これ以上冷えると、明日に差支えがありそうだからさ」


 そうして、セシリオは歩き出す。振り返ることなどしない。そんなことに意味はない。

 既に道は、遥か昔に別たれている。もう交わることなどなくて、これは所詮一時の偶然なのだ。


 抱き締めてはいけない。涙を零すことすら許されない。だから男は嘗てと同じく、少年の旅路を無言で見送る。

 己の過去(シンジツ)など、今知る必要は何処にもない。それより大切な人が居るから、セシリオは止まることなく立ち去った。






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