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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第一幕 竜と猫のお話
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一時閉幕

 吹き付ける風の中、少年は歩いている。

 一瞬先さえ見えない暗闇の中を、それでも暴竜は前に進んでいた。


 頭の中にガンガンと、鐘を叩く様な音。

 まるで酷い二日酔い。吐き気がする程の宿酔。


 その思考は歪んでいる。悪意に染まって歪んでいる。

 餓えた身体は瘴気を求めて、唯狂った様に嗤い続けていた。


 そんな竜の視界に、微かな光が入り込む。

 真っ黒な筈の世界に、ほんの少し、とても小さな光が見えた。


 頭が痛い。吐き気が酷くなる。

 その内面に巣食った悪意が、あれには近付くなと警告している。


 それでも、懐かしい感じがした。

 あの蒼銀の輝きの中に、懐かしい影を見つけたから、悪なる竜は歩いている。


 その蒼を目指す。

 何かに惹かれる様に、その蒼銀の輝きを目指した。


 吹き付ける風の中、少年は歩いている。

 一瞬先さえも見えない暗闇の中を、微かな光を頼りに歩いている。


 唯一つの蒼銀を求めて――

 今にも消えそうな、その蒼い光を追い求めて――


 嗤う声が響く。無駄だと嗤う声が響いている。

 まだ変声期を迎える前の、幼い少年の声は正しく自分の物。

 悪意に歪んだ思考が、ただただ嗤っている。


 ふと、少年は疑問に思う。

 嗤う声が自分の声なら、今こうして思考している自分は一体何なのだろうか。


 きっと消えていない。

 微かに残った物は、まだ其処にあった。


 暗闇の中を歩く。

 足元さえ見えない暗闇の中、少年は只管に前を目指す。


 蒼い輝きを目指して、ゆっくりと、ゆっくりと、一歩ずつ前に進んだ。


 深い闇の中でも、その蒼は薄れない。

 漆黒に全てが染められてしまっても、微かな蒼が其処にある。


 だから、それを求めた。

 だから、それに手を伸ばした。


 そして、それに触れた瞬間に。


――ヒビキ


 名を、呼ばれた気がした。


 蒼銀の風が、脳天を吹き抜ける。

 悪意に歪んだ絶望が消え去って、確かな輝きが胸に残った。


 そうして、悪なる竜は人の心を取り戻す。

 狂って暴れた三つ首の大邪竜は、微睡みの中へと沈んで行った。






 その竜の手が、踏み躙る直前で止まっている。

 精霊の輝きに触れて、それを砕いて、そこで竜の手は止まっていた。


 指先に、少し伸ばせば砕けるモノ。

 その手を動かせば壊れてしまう、儚いモノが眠っている。


「ミュシャ」


 安らいだ表情で眠る少女の名を口にする。

 思わず砕きそうになった命が、それでも変わらずある事に安堵した。




 そしてヒビキは、虚空を二色の瞳で見上げる。

 何もない筈の虚空が、ゆらりと揺れた様に見えた。


「……君が、何かしたの?」


 今にも微睡みに落ちそうな瞳で、亜人に戻った少年が問いかける。

 常に己を見守っていると、嘗てそう語った女の名を呼んだ。


「カッサンドラ」


 瞬間、其処に影絵が現れる。


 それは余りにも唐突な出現。一切脈絡がない登場。

 古い映写機のコマ送りの途中で異物が混ざったかの如く、気が付いた時にはその女は其処に居た。


「いいえ、私の竜。私は何もしておりません」


 まるでそれは影絵の如く、現実味に欠けている。

 美しい女と言う事は分かるのに、それ以外は分からぬ影。


 彼女が何もしていない。

 ならば何故、そう首を傾げる竜に影絵は笑みを浮かべた。


「これは一つの、そう陳腐な言い回しですが、奇跡と言うべき物でしょう」


 慈しむ様な声で、愛おしむ様な表情で、影絵の女は静かに語る。

 自分は何もしていないと、戸惑いと微睡みに揺れる竜へ、優しい声音で真実を告げた。


「貴方の胸に宿った聖剣。それは人の心を繋ぐ物。心から信頼を寄せた人間の、希望を集める聖なる剣」


 星が生み出し、人の想いが鍛え上げた聖なる剣。


 その蒼銀の輝きは、人の希望の色。

 担い手が心を繋いだ人間の希望を束ねて、世界を救う力を生み出す奇跡の聖剣。


「例え貴方の内から、全ての善意が消えたとしても」


 故にこそ、この剣は心を繋げた人と人を繋ぎ合わせる。

 悪なる竜の内面から全ての善意が消えたとしても、それでも消えない輝きを其処に宿している。


「貴方を信じ、貴方を想い、貴方を愛する者の心に希望がある限り、その剣は必ず答えます」


 それは眠るネコビトが、希望を抱いていたから起きた奇跡。

 集合無意識の中に溶けて救われた死者達が、ヒビキの救いを求めたから起きた奇跡。


 唯純粋に、彼らはヒビキを信じた。

 彼を信じ続けていたからこそ、その想いが剣を通じて流れ込んだのだ。


 蒼き聖なる剣は、ヒビキの中に消えた筈の善意を輝かせる。

 その儚い輝きが、荒れ狂う竜の因子を封じて、彼の意識を再び引き上げたのだ。


「……僕は、助けられてばっかりだね」

「いいえ、それは違います」


 また彼に救われた。また友達に救われた。

 そんな風に呟く竜の言葉を、カッサンドラは否定した。


「誇りなさい。私の竜」


 カッサンドラは語る。

 狂乱の中にあった竜がこうして戻って来れたのは、彼が絆を作れたから。


「貴方が人に戻れたのは、貴方を信じた命があったから」


 その絆を誇れ。その輝きを誇ると良い。

 傍観者に過ぎない影絵は、そんな風に微睡む竜へと微笑み掛ける。


「誇りなさい。私の竜」


 カッサンドラは語る。

 狂乱の中にあった竜がこうして戻って来れたのは、彼が確かな救いを齎せたから。


「貴方が人に戻れたのは、貴方が救った心があったから」


 もしも、彼が蒼銀の聖剣を使わなければ、屍人の王は確かに容易く倒せたであろう。

 地力が違う。弱体化していなければ、世界最高峰の魔法使いなど敵にもならない。


 それでも、ネコビトの魂は救われなかった。

 ミュシャは呪われたまま、死んでいたであろう。


 そしてヒビキは、また一人になっていた。


「貴方が為した事があればこそ、貴方は救われた」


 全ては積み重ねの結果。少年の選択が生んだ奇跡。


 ならばこそ、ただ助けられただけではない。

 多くを助けたからこそ、彼は皆に救われたのだ。


「それを何よりも誇るのです。私の竜」


 奪う事よりも救う事を求めたから、彼は最後に救われた。


 どんなに己が不利になると知っていても――

 何より恐れる狂乱に堕ちてしまうと分かっていても――


 それでも救いを求めた竜は、だからこそこうして救った人に救われたのだ。


「確かに善は、儚いのかも知れません」


 誰かを救える優しい人は、必ず誰かに救われる。

 それは儚い夢かも知れないが、それでも美しいと感じる夢。


「決して、正義にはなり得ないのかも知れません」


 屍人の王の絶叫は、或いは世界の真実であろう。


 正しい義とは、人の数だけ存在する。

 誰にも理由は確かにあって、決して譲れない想いは存在する。


 良くある話。当たり前の英雄譚。

 正義の味方は、悪党と対峙する。悪を為す外道を倒して、正義を其処に示すであろう。


 けれど悪党に理由はないのか、彼らは倒されて当然の存在なのか、いいやきっと違う。


 理由なき悪など絶対善と同じく、御伽噺にしかない存在だ。

 ならば世に満ちる悪の多くには、きっと確かな理由はある。彼らなりの正義はあるのだ。


 如何なる事情であれ、その悪の理由を暴力で踏み躙る正義の味方は善人と言えようか。

 身勝手な思考で善悪を定義し、それを一方的に貫き通す正義は善ではない。それは別種の悪であろう。


 正義なき力は暴力となる。

 だが、力ある正義とて、それを振るうならば暴力だ。


 ならば善とは、武力を伴わない正義。

 献身と愛こそが善ならば、必然それは無力となる。


 故にこそ美しい善とは、儚く消える夢幻なのだろう。


「ですが、それでも善意は、どんな暗闇にだって消される事はないのです。どんなに儚い光であっても、必ずや何度だって甦る。どれ程深い底にだって、何時かはきっと届くのです」


 それでも、きっと善意はなくならない。

 誰もが胸に小さな善を宿して、正しい道を選ぶ事が出来る。


 きっと救いとは、そんなもの。


「その方が、夢があると思いませんか?」

「……よく、分かんない」


 微睡みにある竜は、小難しい言葉を理解出来ない。

 善意と悪意が拮抗している今、その思考力は曖昧な物となっている。


「そうですか。今の貴方では、理解出来ないのかも知れませんね」


 下らない話をしました、とカッサンドラは小さく微笑む。

 そんな思考など知らぬと首を振って、悪を喰らう悪は眠そうに瞼を擦った。


「今は、眠いや」

「ならば微睡みの中に、今は未だ眠り続けていても良いでしょう」


 まだ、その時は遠い。

 悪なる竜の物語は始まったばかりであり、終わりは未だ遥か先の事だから。


「お休みなさい、私の竜。愛しい貴方を、私は何時でも見守っておりますわ」


 カッサンドラは静かに告げて、ゆっくりと溶ける様に消えた。


 そしてヒビキは、小さく欠伸を噛み殺す。

 ゆっくりと身を丸めると、眠り続ける少女の横で眠りに落ちた。






 そして、夜が明ける。

 長い長い、悪夢の夜は明けていた。


「ん、しょっと」


 木で出来た十字架を、地面に突き刺す。

 手先が不器用な竜に出来るのは、そんな小さな力仕事だけだった。


「ふにゃ~。これで終わりかにゃ」


 器用な指先で十字架を作っていたミュシャが、最後のそれをヒビキに手渡す。

 微睡む竜は一つ頷くと、その十字架を僅かに盛り上がった地面に突き刺した。


「これで、終わりにゃね」


 一面に並んだ墓標。死した者を弔う場所。

 崩れ落ちた洞窟の跡に、作られたのはそんな場所。


「……中身、ないよ?」


 首を傾げるヒビキが問う。

 今更ながらの問い掛けに、ミュシャはくすりと苦笑した。


 目の前に広がる墓。その墓標の下には、何もない。

 躯さえも残さず消えた彼らは、もう何処にも存在していなかった。


「良いにゃ。これは、気持ちの問題だからにゃ」


 疑問符を浮かべるヒビキに笑顔を返して、ミュシャはそんな風に語る。


 最期に彼らは救われたから、だから中身は空で良い。

 もう何も残っていなくても、彼らの生きた証は残しておきたかったのだ。


「ヒビキ」

「ん?」


 栗毛の少女が、ゆっくりと振り返る。

 ふわりと優しい風が吹いて、少女は優しく微笑んだ。


「ありがとう」


 口にする言葉は唯一つ。

 感謝を、万感の想いを込めて感謝を。


「本当にありがとう」


 日差しの中で、栗毛の少女は確かな笑みを浮かべている。

 その色に儚さなどはなく、優しげで明るい笑顔だけが其処にあって。


「本当に本当に、ありがとにゃっ!」


 だから、そんな風に笑う少女に見惚れた。

 大切な友達が浮かべた最高の笑顔に、ヒビキは確かに見惚れていた。




 そして、二人で時間を過ごす。

 空が夕焼けに染まるまで、ネコビトが眠る場所で二人は過ごした。


「……ミュシャは、これからどうするの?」

「にゃふ~。どうしたものかにゃ~」


 問い掛ける事に、答えはどうした物かと考え込む物。

 ミュシャは進む道を決めかねて、どうしたものかと思い悩む。


「もう帰る場所はない。もう縛る物もない。もうやる事なんて、残ってない」


 ネコビトの集落は、もう人が暮らせる様な状態ではない。

 躯の王との戦いで洞窟は崩れ、周囲の魔物から隠れられる構造ではなくなった。


 縛る物もない。特殊な素材を持って来いと、己に命じた怪物はもういない。

 ミュシャは本当に解放されたから、此処に留まる理由もなかった。


 この墓地を守りたい想いはある。

 けれど、この渇きの砂漠の中、たった一人で生き抜く程の力はないから論外だった。


 近くにある人間の街を目指そうかとも思う。

 冒険者ギルドに所属して、一攫千金を狙うのも面白そうだ。


 全て、自由だ。

 出来ない事はあるけれど、確かに其処には自由があった。


「自由になるって、意外と不自由だったにゃね」


 だからこそ、意外と不自由だったとミュシャは呟く。

 出来ない事も、出来る事も、在り過ぎてどうしたら良いか分からない、と。


「ん~、良しっ!」


 だから、ミュシャは決める。

 それは彼女が、今一番やりたい事。

 自由になった今、一番やりたい事を口にした。


「そんな訳で、ヒビキ。ミュシャを守ってくれませんかにゃ?」


 それは嘗て、初めて出会った時に口にした言葉。

 何処か茶目っ気を出した猫娘は、笑いながら口にする。


「か弱い乙女は、こんな危険地帯じゃ生きていけないにゃよ。お家はもうないし、砂漠でパックリ頂かれちゃうにゃ」


 楽しげに笑いながら口を開く。

 あの日の言葉を捩った台詞で、微睡む竜へと言葉を伝える。


「お姉さん便利にゃよー。南方大陸なら何でもござれ、これでも一級の盗賊にゃ!」


 一番に望んだのは、それだった。

 自由になったミュシャが、やりたいと思った事はそれだった。


「だから――」

「ミュシャ」


 その言葉を口にする前に、ヒビキが先んじる。

 こういう事を言うべきなのは多分男の役割だから、摩耗した記憶の中でそんな風に思って、ヒビキは言葉を先に言った。


「僕は、一緒に居たい」

「うん」


 微睡む竜は、それでも一緒に居たいと望んだ。

 何処か照れくさそうに、同じ想いを抱いた少女は頷く。


「もう少し、一緒に居たい」

「うん! うん!」


 今一番やりたい事。

 それは今までと同じ様に、一緒に歩いて冒険する事。


 もう少し一緒に、手を取り合って歩いて行きたい。

 二人は揃って、そう思う事が出来たから。


「だから、行こ?」

「うん! 一緒に行こうにゃっ!!」


 差し出された手を、ミュシャは確かに握り返す。


 握り返した手は、悍ましい異形。

 鱗に覆われた手はとても冷たかったが、それでも心は温かかった。




 竜と猫は、これから多くを見るだろう。

 美しいモノも醜いモノも、世界の多くを目にするだろう。




 二人の旅は、これから始まっていくのだから――






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