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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第五幕 竜と猟犬と遺跡のお話
148/257

その4

 鈍く輝く鋼の腕が、轟音と共に地を揺らす。余りにも容易く大地を砕く剛腕を形作るのは、今では製法さえも途絶えた特殊な鋼。


 その金属は硬く重く剛性に優れ、何より混ぜ込まれたエストレジャによって、強固な抵抗力を有している。

 魔法の類は大きく軽減され、精霊術はその一切が吸収される。剣の刃で切り裂こうにも、物質としても異様に強固。闘気の通りも鈍い為、達人であろうと刃を通すのは至難の領域。


 アララル・エンブリオン。金属で出来た山脈の胎児は、海底迷宮は第十階層を守り通さぬ門の主。この地の攻略を夢見た幾人もの冒険者達にとっては、絶望の代名詞とも言える存在だ。


 遠距離攻撃など先ず通じないと言える程、防御の面では隙がない。更にその膨大な重量を伴う打撃は、唯振り下ろされるだけでも脅威だ。第十層が狭い閉鎖空間であることも相まって、唯一の弱所である鈍重ささえも付け込む隙には成り得ない。


 確かな正答解にして唯一無二の攻略法は、その身に刻まれた《emeth》の文字。如何にか隙を作り出し、接近戦にて最初の一字を砕くこと。それだけが、この巨人を止める術。

 口にすれば容易いが、現実に為すのは非常に困難だ。常人など一瞬で挽肉に変えてしまう剛腕を躱しながら、刻一刻と位置を変え続ける弱所を捉えて、的確に一つの文字だけを砕かねばならないのだから。


 一芸だけに頼って来た者らの多くは、これを乗り越えられずに止まる。一つ一つと積み重ねて来た者達も、此処で足踏みを余儀なくされる。一体どれ程の冒険者が、この巨人に夢を奪われたのか。

 間違った文字を砕けば、一定時間大幅に能力が強化される。如何にか倒したとしても、二十四時間が経過すれば復活する。そんな性質も有するが故にこの巨人は、過去に突破した冒険者達にとっても油断出来ない脅威であった。


 されどそれらは全て、一流以下の冒険者達に限った話。唯人にとっては脅威である鋼の巨人も、悪なる竜にしてみれば唯遅いだけの的にしか成りはしない。


「温い」


 大地を砕く剛腕を、片手で軽々受け止める。床が砕けて沈み込むが、その身には傷の一つも付きはしない。

 所詮は鉄の重みに頼った一撃、余りに力が足りてない。物理法則の領域を突破出来ない単純な威力だけで悪なる竜を追い詰めんと望むなら、惑星の一つや二つを砕く程度の威力は最低限必要だ。


 如何に微睡み疲弊しようと、ヒビキは五大の魔王が一角。アカ・マナフを取り込んでしまった影響で、五大最強と言う本来の性能を発揮出来なくなってはいる。それでも、鉄の巨人でどうこう出来る存在ではない。


 彼の旧文明はその全戦力を使い果たして、ヒビキと同格の魔王を一柱封じるのが限界だったのだ。

 そんな彼らの遺した兵器の一つ。後世の戦士を鍛える為に敗北を前提としたそれが、たった一つで文明と比する五大魔王の一角を抑え込める筈などないのである。


「鈍間が――壊れろ」


 大地を砕く鉄の拳を、受け止めた掌に力を込める。まるでアルミ缶の様にあっさりと、五指に押し潰されていく巨人の腕。握力で握り潰しながら、力任せに腕を動かす。異音と共に肩の関節部から、巨大な腕が千切れて引き抜かれた。

 中身を晒しながら前へと倒れる巨体の腹に、要らぬとばかりに捥ぎ取った腕を突き刺し返す。まるで振り子の様に後方へと、倒れる巨体へ更に一撃。文字を一つ削る所ではない傷で、巨人を唯の残骸へと。無数の鉄塊とその中身を、大地へぶち撒けた。


 バラバラになった残骸が零れていく中、足元へと転がり落ちる巨人の頭部。鉄の兜を踏み付けて、そのまま体重を掛けて圧し潰す。

 砕けた残骸を踏み躙りながら、歪んだ笑みを浮かべて見下す。余りに容易いと嗤いながらに、ふと襲い来る眠気に足がふら付く。高笑いのまま欠伸へと、目元を擦るヒビキはとても眠たげだった。




 一つの階を突破するのに掛かる時間が約二時間。其処から十階層に至るまでに必要な時間を計算すれば、単純に考えても十八時間を超える程。

 その間に、安全地帯などは存在しない。モンスターは何処からともなく襲って来るし、他の冒険者達とて倫理観が秀でている訳でもない。無防備を晒せば、危険はそれこそ山程に。パーティが複数人なら代わる代わるに交代しながら休めたのだろうが、戦闘員と斥候役の二人きりではそういうことも不可能だった。


 降りれば降りる程に吹雪が強くなっていく、そんな雪原や雪山を強行軍で進み続けた。朝の八時に出立して、時刻は既に翌日二時過ぎ。片時たりとも一睡せずに、進めば如何に強き者でも疲弊する。

 海底遺跡を単独では突破出来ない、最たる理由がこれであろう。脱出の札は一方通行で、途中から再開すると言う都合の良い手段はない。十人以上の大型パーティで、数ヶ月に渡って遠征する。それが十層前後においては、正答とでも言うべき攻略法だ。


 最短距離で進むルートを調べ尽くしているミュシャと、如何に疲弊しようが階層主を一撃で叩き潰せるヒビキ。規格の外に居る二人だからこそ、こうした無茶も出来たのだった。


「無事、第十層も攻略完了。此処には階層主しかいにゃいから、これで二十四時間は安全地帯となったにゃ。……ようやっと寝れるにゃよ」


「……うん。流石に、もう眠い」


「いやー、海底遺跡の少人数攻略で何が辛いかって、やっぱり安全地帯がにゃいことにゃよね。中々、休める場所がないにゃよ」


 影の中からテントを一つと寝袋二つ。取り出し準備しながらミュシャは語る。階層主が倒された後の十層に、他のモンスターは現れない。その性質上、十層と二十層の二ヶ所だけが安全圏だ。

 同業冒険者が魔を刺して、という危険性は確かにある。それでも十層まで来れる実力者は然程多くなく、此処に来れる者らは大抵現実と言う物を知っている。上層に散見される食い詰め者とは、意識がそもそも違うのだ。


 元々、海底遺跡内で冒険者同士の争いは禁じられている。下手に襲い掛かって、取り逃がしなどすれば自分達が犯罪者として追われる側となってしまう。

 それに安全地帯で他者を襲うなど、其処が安全地帯などではないのだと示すことと同義。過酷な迷宮の只中で、安息の地を自ら奪うのは愚行である。中層以下は更に危険になると言うことを知っていればこそ、余計なリスクなど負う訳にはいかないのだ。


 法を守らぬ者は、法にも守られない。他者を容易く害する者は、他者に容易く害される。目には目を歯には歯をと、単純にして明快な因果応報。

 無論、浅はかな者も皆無とは言えないだろう。己の実力への過信や慢心、その者が持つ性質や性癖なども関係する。後先考えられぬ者が多い上層よりマシとは言っても、多少の危険は常に付きまとって来るのである。


 だが流石に、休まず進むと言う訳にもいかない。モンスターは現れず、人の数は上層よりも遥かに少ない。そんな此処より安全な場所がないと言うのも、事実ではあるのだから。


「んじゃ、このまま寝るかにゃー。とりま十時間くらい? 状況を見てだけど、その辺りで出発しようかにゃ」


「……ん。分かっ、た」


 テントの入り口を閉めて、簡易の警報装置を其処に取り付ける。寝袋の横に目覚まし時計を一つ置くと、ミュシャはごろりと寝転んだ。


 若い男女が一つのテントの中で、寝袋を寄せ合って横になる。片や恋慕の情を抱いているともなれば、異性同士だ。間違いの一つ二つは浮かぶ物だろう。

 それでも、それは余裕があればの話。相手に意識を向けるよりも、己の瞼の重さが辛い。故にこんな状況だと言うのに色気もなく、二人はスヤスヤと寝息を立て始めるのであった。






 夢を見ている。これが夢だと知っている。だって既に終わってしまった時代の話。ずっとずっと昔の過去に、確かにあった出来事。

 そんな夢を彼女は見ている。そんな夢を彼女も視ている。海の底にある、星の力が満ちた世界。其処に彼女は居たから、今も揺蕩い夢に見ている。


「こうして直接会うのは、これが初めてかしらね」


 海の様に深い色をした蒼い髪を後頭部で一つに纏めて、腰まで届くポニーテールを形作る女が語る。

 薄い眼鏡に隠した瞳に、宿る色は何処か冷たい。冷静に、冷徹に、相対する者らを見極めようとしているのだ。

 共に世界を救う者として、彼女達は相応しいのか。メアリーと言う名の女は、此処に疑問を抱いていた。


「先ずは自己紹介といきましょうか。私はメアリー。水の精霊王(アンディーン)になることを義務付けられた女よ」


「自己紹介ねぇ、それって本当に必要?」


 言葉や姿勢は礼儀正しくとも、計る視線は無粋で無礼だ。平然と受け流せる者も居れば、苛立ち噛み付く者も居るだろう。赤毛の彼女は、後者であったと言うだけの話。

 炎の様に紅い瞳に、同じく熱い激情を宿して。開けた着物姿の女が睨む。些か以上に日本語訛りの英語を拙く話すその女を、内心で見下しながらにメアリーは肩を竦めた。


「必要か否かも分からない低脳なら、語り合う価値もないわね。互いに不干渉なまま、役目だけを果たすとしましょう」


「……これ、喧嘩売られてる? 喧嘩売ってんのよねぇ、アンタ。何、ぶっ飛ばされたいの?」


「はぁ、前言を撤回するわ。低脳ではなく、下劣な脳筋だったのね。貴女の様な野蛮な猿が、私と同じく四大の候補であるだなんて、国は何を考えているやら」


 此処に居るのは、後の世の柱となるべく選ばれた者。多種多様な言語を使い熟せるだけの教養があるのは当然で、公用語くらいはネイティブで話せて当然だ。

 そう考える眼鏡の冷たい女は、何故にその程度も出来ない赤毛の女が同胞なのかと鼻で嗤って嘆いている。その余りにも侮蔑に満ちた表情に、対する赤毛の少女も更にと気炎を上げた。


 一瞬即発。相性が悪いのか、逆に良過ぎるのか。そんな睨み合う二人の間に、翡翠の少女が割って入った。


「まぁ、まぁ、二人ともー、その位でー。これから何百年も、四人一緒なんですからー、のんびり仲良くいこー」


「仲良くってアンタねぇ、いきなり喧嘩売られて仲良く出来る訳が――」


「あ、ヘレナはー、ヘレナだよー。これからー、多分数年以内にはー、風の精霊王(シルフィード)になるのー」


「ちょ、聞きなさいよ!?」


 のんびりふわりと、笑顔を浮かべたヘレナ。蒼と赤の二人に比すれば、一つ二つは年下だろう。そんな彼女は、余りにも独特な雰囲気を纏っていた。

 マイペースを貫きながらに、周囲を巻き込んでいく。ニコニコ笑って何もかもを流していく。今にも殴り掛かろうとしていた赤毛の女は、ヘレナのペースに流され鼻白んでいた。


「赤さん赤さんお名前はー? 名前で呼べば、皆友達。きっと仲良くできるよー?」


「私は焔よ。ってか、話って聞けって言ってんでしょ。こんな奴とは、仲良く出来ないってかしたくないっての」


「ほむらさんー、メアリーさん。ヘレナだよー。よろしくお願いしますー」


「だから、聞け!?」


「ほむらさんが仲良く出来ないって言うのなら、きっとそうなんだろうねー。ほむらさんの中ではなー」


「アンタ意外と毒舌なの!?」


 完全にペースを乱されて、そのままヘレナに丸め込まれている焔。喧嘩をしようとしていた事実は既に有耶無耶で、赤毛の彼女は頭が痛いと空を仰いでいる。

 そんな姿に、更に侮蔑を深めるメアリー。確固たる自己がないから、こんな言葉に丸め込まれるのであると。そう見下す蒼き女は、翡翠の少女が次なる獲物と見ていることに気付いていない。


「それとー、一見出来る女なメアリーさん」


「何よ」


「行き成り人に喧嘩を売るのはー、正直どうかと思うー。実はメアリーさん、出来ない女でしょー」


「……ほんと、貴女。見た目に反して毒舌ね」


 緩くてふわりと、優しげな容姿から放たれる毒舌。正面から罵倒されているのに怒る気になれないのは、彼女の纏うその空気が故であろうか。

 ニコニコ笑って語るヘレナに、メアリーは呆れた様に溜息を吐く。だが確かにと認めるのは、自分に不手際があったこと。初対面で喧嘩を売るのは、合理的とは言えない話だ。


 だがだからと言って、前言を撤回する気はない。何せ彼女らが選ばれれば、これから数百年と付き合うことになる関係だ。

 相応しい相手か否かは見極めたいし、相性が悪い相手であるなら互いに不干渉であるべきだろう。態々、無理に仲良くする必要などはないのである。


「でもでもー、きっと仲良く出来るよー。仲良くしたくないって言っているほむらさんもー、実は出来ない女なメアリーさんもー、ぜーいんヘレナが受け止めるからー」


 先ずは強く当たって、共存できるか確かめる。互いに否定し合うだけならば、必要最低限のやり取りだけで距離を取る。

 舐められたのだから、殴り飛ばしてでも分からせる。今後長い付き合いになるかも知れないからこそ、彼我の関係は適切であるべきだ。


 そう考えるメアリーと焔は、ある意味似た者同士であろう。微笑むヘレナはそう結論付けると両手を広げて、全てを包み込む様な笑顔で語った。


「だからー、みーんな甘えて良いよー。ぜーんぶヘレナが抱き締めるからー。文句も愚痴も恨みも憎悪もー、眠りに溶かしちゃおー。その方が、ずっとずっと楽なんだー」


 翡翠の少女が浮かべた笑顔は、毒素が混じった甘い蜜。一度抱き締められたのなら、底無し沼の如くに何処までも沈み堕落していくだろう。

 だが其処に悪意などは欠片もなく、その毒舌さは唯の天然。ヘレナは何処までも純粋な善意で、そうした方が良いのだと二人に向かって提案している。


「ふん――」


「は――っ」


『冗談。私は、アンタに甘えに来たんじゃないわ』


 されどメアリーも焔も共に、背負う物が確かにある。誰かに委ねるを良しとせず、自分の足で立っていたいと望んでいる。

 だからこそ、答えなんて決まっている。此処に来たのは、共にある同胞を知る為に。誰かに甘えたくて来た訳ではなかったのだ。


 そんな二人から向けられた拒絶の言葉に、ヘレナは笑顔を揺るがせない。彼女達がそうしたいと言うのなら、それはそれで良いだろう。

 どうして好き好んで苦しみたいのか理解出来ないが、きっとそれが彼女達の幸福なのだ。皆幸せならそれで良い。心の底からそう想うヘレナは、常に肯定しかしない。


「あららー、実は二人ともー、仲良しさん? 息ぴったりだねー」


『誰がこんな奴と!?』


『真似すんな(しないで)ッッ!!』


「ここにとうをたてよー」


 笑顔と共に二人を茶化しながら、にこにこへらへら笑う翡翠の少女。紅と蒼は疲れた様に、揃って深い息を吐いた。


「それで、そろそろ本題に入りませんか?」


 そんなやり取りが一段落した時を待って、残る四人目の女が言葉を発した。


「我々には、余り時間がありません。この一分一秒ですら、多くの犠牲の上にある物。ならば、遊んでいる余裕などはない筈です」


 赤青緑に、続くは大地の色。茶髪の女が浮かべる表情は、己の弱さを覚悟の仮面で隠した物。

 強くならねばならない。強く在らねばならない。そう信じるが故に硬く気高く、臆病な本性を隠した言葉で彼女は語る。


「神代回帰のその後を、四大揃って定めると。そう言う名目だからこそ、私は此処に居るのです。速やかに、物事は済ませましょう」


「硬いねー。仲良くしようよー。あなたのお名前はー」


「クロエです。同胞として、友誼を結ぶことに異論はありません。ですが、同時に我々は自覚するべきであるとも思います。もう余り、時間はないのだと言うことを」


 見極めるだの、争い合うだの、している余裕は既にない。今この一瞬、一分一秒でさえ前線では多くの命が散華している。

 闇に飲まれていく、その意志の気高さと尊さ。それを知るのなら、決して無駄にしてはならない一時。自覚せねばならないと、己に言い聞かせる様にクロエは語る。


 そんな彼女の言葉にばつが悪そうに顔を逸らすのがメアリーと焔であったのなら、ふわりふわりとまるで影響されていないのが翡翠の瞳を持ったヘレナであった。


「本当に硬いねー。でも仲良くはしてくれるんだー。ならよろしくねー、クロエー」


「はい。末永く、よろしくお願い致します」


「やっぱり硬いー。カチンコチンだー」


 クロエの仮面は、弱さを隠す為の物。一度崩れれば、もう立ち上がれないと彼女にはそんな自覚がある。

 だから強く在ろうと演技している。その裏側さえも見抜いて、ヘレナは何処か悲しく想う。ああ、何故こんなにも、彼女は苦しんでいるのだろうかと。


「でも、そうね。クロエの言う通りよ。此処で無駄に時間を掛けるのは、効率的ではない話だわ」


「行き成り脱線させた奴が何言ってんだか。ま、駄弁るのはやることやった後にすべきってのは、私も納得だけどさ」


 クロエの言葉に感化され、襟元を正す紅と蒼。そんな姿に翡翠は想う。ああ、本当に救いがないと。


「みんな真面目さんだねー。……結局全部無駄なのにー、どうしてそんなにがんばるのー?」


「あ? どう言う意味だよ、ヘレナ・シルフィード」


「そのまんまだよー。みんなもー、もう気付いてるでしょー」


 いと高きモノと名乗る我らは、既に気付いている筈なのだ。ましてやその中でも特別な、世界の柱と選ばれる程の者なら尚のこと。

 この世に救いなんてない。足掻けど足掻けど、果ては必ず底無しの沼。そうなる様に出来ている。そうなる様にしか出来ていない。それを既に、彼女達は知っている。


「野蛮人と化外の違い。そして私達との違い。世界を呪ったモノが居るなら、それは神様とだって言えるモノ。いと高きに座すモノが破滅を望んでいるのならー、きっと碌なことにはならないわー」


「あ、お前、何言ってんだよ?」


「神の実在、ね。考えたことがなかった訳ではないけれど。……と言うか焔。貴女、その様で本当に候補者なの? そもそも、同じ人類なのかしら? 猿の間違いではなくて?」


「意味分かんねーけど、一々喧嘩売って来るんじゃねぇよ。メアリーこの野郎」


「野郎じゃなくて女郎よ。性別すら見て分からないのかしらね、この脳筋は」


 理解出来ていないのは、尖った才を持つ焔だけ。知性に秀でる呪詛を受けた者達は、ヘレナの至った答えを確かに察している。

 絶望病。己達が何者かに作られた存在で、その何者かは人を愛してなどおらず破滅させる為に手薬煉を引いている。世界を生み出した神が敵だと言うのに、一体どうして抗えるのか。


「絶望病。貴女は諦めているのですね、ヘレナ」


「うん、そうだねー。クロエはどうして、諦めないのー?」


「くろえが教えてくれたからです。散って逝った、命があったと」


 ヘレナ・シルフィードはもう諦めている。彼女は一つの事実を知るから、その結果も分かってしまった。如何に足掻こうと人は滅ぶし、世は醜悪に染められる。

 クロエ・ノームは、諦めたくはないと感じている。嘗て絶望に飲まれそうになって、その時に己の片割れが教えてくれたことがある。だから、諦めたくはないのである。


「戦士達は誰もが必死に生きて、平和を願って戦った。その背を見れば、気付けます。そうした果てに、今があるのだと。だから私は、決して諦めません。これまでの全てを、無駄にする訳にはいかないのです」


「けどけどー、こうも言えないかなー」


 嘗て猫のくろえが語った、最前線の地獄絵図。その断片を見ただけだが、クロエは感化されて答えを得た。あの戦いを無駄にしてはいけないのだと。

 対してヘレナはこう語る。クロエと同じくその地獄絵図を見て知っている筈の彼女はしかし、クロエとは真逆の答えに行き付いている。あの戦いは、終わらせないといけないのだと。


「もう皆ー、一杯一杯頑張ったよねー。残酷な真実なんてー、もう誰も要らない筈だよねー。眠っても良いんだってー、休んでも平気だってー、諦めても大丈夫なんだってー」


 だってもう、十分に頑張ったではないか。だってもう、余りに多過ぎる犠牲が出たではないか。

 なのにどうして無駄にしてはいけないと、其処に更なる犠牲を重ねることを選べるのだ。もう諦めても、誰も文句は言えないだろう。


「所詮この世は、神様の掌の上なんだよ。皆々頑張るから、もっともっと辛くなっていくんだ。現実は非情なんだよ。救いなんて、何処にもない。足掻けば足掻くだけ、世界は醜く変わっていく。ならもう諦めて、終わってしまっても良いと思うよ」


 笑顔を張り付けたままに、語るヘレナは優し過ぎたのだ。余りに大きな被害を目にして、どうしようもない真実を知ってしまって、だからもう止めようよと。

 そんな諦めた少女に対して、クロエは苛立ちを隠せない。メアリーと焔以上に、この二人は水と油だ。致命的なまでに、その思想は噛み合わない。そんなクロエは鋭い瞳で、ヘレナを睨んで言葉と告げた。


「ならば何故、貴女は此処に居る。ヘレナ・シルフィード」


 詰問する様な冷たさで、クロエはヘレナに問い掛ける。諦めているのなら、何故に此処に居るのかと。

 無駄と語るだけならば、他の絶望病患者と同じく自決していれば良い。足を引くだけの害悪など、この場に不要であるのだ。


 そんなクロエの言葉を受けて、それでも笑顔を曇らせない。ヘレナ・シルフィードは純粋な瞳で、両手を広げて答えを返した。


「頑張った人達を、抱き締めたいから。もう頑張らなくて良いんだよって」


 ヘレナが望むのはそれだけだ。本当はもう諦めようと、誰もに声を掛けて止めてあげたい。それは苦しいだけなんだよと。

 けれど彼女は、他者を否定することが出来ない。無駄に終わると知ってもそれがどうしたと、努力を続ける人々を妨害しようなどとは思えない。


 貴女がそう生きるのなら、その生き方を否定は出来ない。誰にだって、誰かを否定する資格はないのだと、彼女は心の底からそう想う。

 だけど同時に、張り裂けそうな程に胸の痛みを感じている。そんなに頑張らないで欲しいと。どうしてそんなに頑張るのだと。可哀そうだと、想ってしまう。


 だからヘレナは此処に居る。何時か最前線で戦う人々が、此処に居る彼女達が、立ち上がって進めなくなった時――その全てを優しく抱き締めてあげる為だけに。


「その果てに待つのが、破滅であっても?」


「抗っても、待つのは破滅だよー? だからせめて、末期は優しくしてあげたい。抱き締めたまま眠りの中で、共に滅びを迎えたいんだー」


 諦めた先に待つのは破滅だ。そう語るクロエ。諦めなくても結果は破滅だ。そう返すヘレナ。互いの言葉は、決して相容れることはない。

 本質は臆病だけれど何処までも強く在ろうとするクロエにとって、ヘレナの存在は毒でしかない。だから受け入れることはないのだと、拒絶の言葉を口にした。


「貴女は痛みに強く、そして優しいのですね、ヘレナ。……ですが、私はそんな貴女が嫌いです」


「やっぱり硬いねー、クロエはー。それに痛みが怖いのに、強く在ろうと頑張ってるー。大丈夫? 辛くない? 言ってくれればー、ヘレナが貴女を愛してあげるよ?」


「結構です。貴女の愛は、人を堕落させる類の魔性だ。私はその毒に、身を委ねる訳にはいかない。為すべき事が、あるのですから」


「本当にー、硬いねー。頑張れなくなったらー、何時でも言ってねー。ヘレナがずっと、最期まで抱き締め続けるからー」


「ええ、その時は弱音の一つも言いましょう。未来永劫、訪れることはないでしょうが」


 互いに相容れる事はない。故に此処が妥協点。これ以上は関わるなと、これ以上は踏み込むなと。関係性を此処に定める。

 それでも、最低限の協力ならば出来るであろう。求める果ての結果は違えど、望んだ想いは共に同じく。人々に安らぎを。見ている先へと至る過程が、勝利か敗北かの差異だけだ。


 だから相容れないとしても、共に同じ天を戴ける。そんな結論に至った二人を前に、蚊帳の外に置かれていた者らが言葉を掛けた。


「あー、取り敢えず話戻そうぜ」


「……そうね。この低脳猿と同意見なのは不本意だけれど、先ずは決めることを決めましょう」


 言い辛そうに語る焔に、罵倒混じりにヘレナが追随する。その罵倒に焔が噛み付くが、ヘレナは軽々と流しながら話を進める。


「神代回帰。人の揺り籠を中心に据えて、四方に我らが要を刻む。その方角は、神話に則る形で良いかしら?」


「ちっ。……あー、確か四属性にも、方角ってあるんだったよな。炎は、南だったか?」


 一先ず現状の計画では、四大の柱で星を活性化させた後、魔王を星の内側へと封じる策を立てている。

 その後に残す文明は、一部の血筋を除いた全てが野蛮人と呼ばれる者ら。彼らを守る箱庭を作り上げ、後の世へと文明を繋げていく予定である。


「うーん。ちょっと疑問提起ー。その方角決めたのって、人間だよねー」


「ええ、そうですね。そもそも四大精霊自体が、古典元素説を元にパラケルススが著作である妖精の書において提唱した概念です」


「だからー、そのまま使ったらー、人の総意に残らないかなー? 星が人に改造されたーって、そうなったらー、神代回帰も無駄になるー?」


「……確かに、懸念としては在り得るわね。万全を期すなら保険として、位置を敢えて変えるのもありじゃないかしら」


 だが星を人より強くせねばならない。その前提がある以上、人の考えた神話に則る形で良いのだろうか。そうヘレナが疑問を呈する。

 人類総意の悪意であるアカ・マナフは、人の文明が発展すればする程に強く成る。人が星より上だと言う認識が残ってしまえば、アカ・マナフは無条件で星に勝るモノへと変わる。


 神話に則る形で成立させれば、総意の恩恵で力も一部強化されよう。だがその代償に、アカ・マナフを封印すら出来なくなる。何千何万何億と捧げた結果が、それでは困ると言う訳だ。


「んじゃ、私が予定地の東側で良いか?」


「焔さんがですか? 何故とお聞きしても?」


「揺り籠の東側ってよ。化外が一杯居る場所だろ、だからだよ」


 故に四元素が含む方角の意味を、意図してズラすと彼女らは決断する。そうした後、真っ先に望む方角を口にしたのは焔であった。


「私はさ、これでも頭悪いって自覚あるんだよ。複雑な判断が必要なことなんて出来ねーけど、だからって他人におんぶや抱っこも嫌だ。だったら単純だけど面倒な仕事ってのを、率先してやることぐらいでしか役に立てねーだろ」


 東に居るのは、化外の民。闘争の呪詛に踊らされる人間達。彼らも人である以上、アカ・マナフの強化に繋がり得る者らである。

 放置しておけば、神代に回帰する地獄の様な環境でも、彼らは必ず残るであろう。何らかの対処は必要なのだと決まっていたから、それを請け負うと焔は名乗り出た。


 元より頭の出来に自信はなく、彼女の才覚は戦術や戦略に依っている。相手を叩き潰すだけならば、この場で最も適切な者である。焔はそう自己評価を下していて、だから己が修羅を請け負うと告げたのだ。


「なら、私はその反対を選ぶわ」


 次に口を開いたのはメアリー。彼女が言葉にした様に、その選択は焔が選んだそれの悉く真逆を行くもの。

 メアリー自身が抱いた懸念にも反する形となるが、それでも人類が追い詰められているのは事実。ならば賭けの一つも必要だろうと、焔とは異なる形で負担を請け負うと語るのだ。


「水は元より西が象徴だけど、対面に座すモノが変われば違いも出るわ。それに敢えて神話をなぞることで、総意を逆に取り込むことも狙えるでしょ? 魔の力も強くなるかも知れないけど、メリットは確かにあると思うわ」


 敢えて神話に則る形で、水の力を高めてみよう。人類総意も混じってしまうが、その分だけ出力は上がる。出来ることは多くなる。

 最悪を引いたとしても、一ヶ所だけならリカバリーも可能な筈だ。敢えて自ら嵌まることで、最悪の状況とやらを明確な物にしてみるのも一つの手かも知れない。


 幾つもの論理を脳裏に展開しながら、メアリー・アンディーンは此処に定める。一番その身が危険な状況へと、自ら飛び込むと言う選択を。


「其処で焔には出来ない類の仕事をするわ。例えば、神代回帰の後の世界で、人々が戦う力を得られる様な試練を用意しておくとかね」


 そして他の三ヶ所よりも、出力が上がるならば出来ることも増える筈だ。例えば巨大な異界を作り上げ、人々を鍛え上げる試練の場にするなどと。

 己の地は敵を内に取り込む囮であり、次へと繋げる試練の場ともなる場所とする。西をそうと定めたならば、残る二者が行き着く場所もまた定まった。


「では残る南北の内、私は南に行きましょう。神話を敢えてなぞると言う賭けをするのは、一ヶ所だけで十分ですからね」


 本来、土は北を象徴する。だが西に危険を当て嵌めた以上、他の大地でまで同じことをするのは問題外だ。

 故に南の地へと向かうのだと、定めたクロエは口には出さず心に決める。恐らく魔王を封じることになるのは、この自分であるのだろうと。


(メアリーは囮と後の世の為に、焔は害悪たる修羅の抑えとして、ヘレナの風は封じるのに向いていない。なら魔王と直接相対するのは、この私だけになる)


 元より四元素の中で、最も封印に向いているのは大地であろう。悠久に変わらぬと言う概念こそが、魔王を縛る檻と成り得る。

 臆病な女は内心で震えながらも、唾を飲み込み心を定める。その瞳を揺らがせないと、何時までだって耐えてみせると、それがクロエ・ノームの役割だ。


(頑張るよ。私。絶対に、諦めないんだ)


 そんな三人が戦い勝つ為に役を果たさんと望むのならば、残る一人が選ぶのは敗北を前提とした選択だ。


「残った北ー。消去法ー。皆が戦う為に頑張るならー、ヘレナは逃げ込める場所を作るのー。誰もが皆頑張れる訳じゃないからー、頑張らなくても良いんだよーって、のんびりまったり過ごせる楽園も必要だよねー」


 彼女は今も、勝てるだなんて想っていない。勝利の道筋など、何処にもないのだと知っている。

 だからせめてと願ったのは、優しい最期を皆が迎えられます様にと。全てが終わるその時まで、安らぎ眠る桃源郷を。誰もを包む慈愛に満ちた棺を作り上げること。


「一番に決めるべきことは、これで良いかしらね」


「ま、細かい所は詰めてく必要あるだろうけど、状況動かねーと分かんねーこともあるしな」


「なら次に逢うのは、星還りの時ですかね」


「だと思うー。じゃー、その日までー」


 一先ず最も重要な事はこれで決定。残る些細なことは文章越しでも、一つ一つと潰していけば良いだろう。

 そう結論付けて、此度の会議はこれにて終わり。三々五々に各々の居場所へと、立ち去る間際に視線を合わせる。そうして最後に告げたのは、皆が抱いた決意の情。


「私達は一人一人、思考も心も違っている。それでも、人の世を想う気持ちに違いなど、きっとない筈だから――また会いましょう。四大に至る同胞たち」


 今を生きる人々を愛する想いは、きっと同じ筈だから。同じ道を進まず共、同じ場所を目指せるのだと信じている。

 だからまた会おう。最後にそれだけを告げて、四者は各々異なる道を前へと進む。後の四精霊王。その邂逅は、こうした形で幕を下ろしたのだった。




「……夢」


 夢を視ていた。誰かが見ているその夢を、異なる形で受信した。それは以前に一度、回線が繋がっていたからだろう。

 目を覚ましたミュシャは想う。彼女は見せようとはしていない。ただ繋がりがあったから、流れ込んで来ただけなのだと。


「一度繋がったからって、普通は混線なんてしにゃい。それが起きたってことは、メアリー様が近くに居るってことかにゃ」


 横ですうすう眠るヒビキが気付かないのは、そういう理屈なのだろう。何故にこの地に居るのかも、推測ならば立てられる。

 此処にはエストレジャと言う、星の力が満ちている。そして此処はメアリーの作った異界だ。彼女にとっては、地上で最も安らげる場所だと言えるだろう。


 故にこの海底遺跡に身を潜めて、傷を癒しているのであろう。恐らくはそうしなければならぬ程に、水の精霊王は追い詰められている。


「最下層。……急ぐ理由が、増えたにゃね」


 狭いテントの天井を見上げて、ミュシャは一人呟く。そして、同時に思う。

 この夢が確かにあった過去ならば、西の大地が最も危険な場所ならば、メアリー・アンディーンの死は絶対に避けねばならないことなのだと。






〇これが四大の精霊王だ!


“土の精霊王”クロエ:本来は臆病な少女だったが、覚悟の仮面で弱さを隠して、その状態で己を固定化した人。四大で一番の苦労人。


“火の精霊王”焔:喧嘩っ早い脳筋女。出身地は修羅の国に程近く、その才覚が戦に依っているのはそれとも無関係ではない。

 因みに炎を完全無効化出来る精霊王の癖に、炎王に負けた過去がある。炎王が貴種として覚醒したのは、精霊王を殴り倒した後のこと。


“風の精霊王”ヘレナ:天然毒舌だけど慈愛と母性に満ちた人。本人の性質は善性だが、他者を駄目にする甘い毒でもある。北の獣人桃源郷は、彼女の愛で堕落した人々が平穏な日々を送る楽園。


“水の精霊王”メアリー:一見すると出来る女。秀才な学級委員長と言う雰囲気を持つ。けれどその中身は結構ポンコツ。善かれと思って、碌でもないことをしでかすことも少なくはない。



※一番真面と言うか、頑張ってるのはクロエです。



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