その2
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西方大陸の特色とは、何であるか。西方民の性質と言い換えても良い、それは大きく分けて二種。
一つは切り替えの早さ。或いは冷血とも言える程の論理偏重主義。思考の中核を為す合理と言う法を、程度の差はあれ誰もが持つこと。
そして残る一つは、その胸に灯る一つの情熱。脳が何処までも冷静ならば、心は何処までも熱く。旅人の系譜は、同時に最も優れた冒険者の資質ともなる。
臨海都市リントシダー。この町程に、西方らしさに溢れる場所は他にない。二種の特色が、この町には色濃く表れている。
嘗ては見るべき物もなかった寂れた漁村。海底遺跡を前面に売り出した今はもう見る影もなく、過去の全てを塗り潰して作られたのは合理性を突き詰めた箱庭だった。
完全に区画整理された町並みは、必要な物だけが必要な場所にある。人や物資の流れの導線なども完全に計算されていて、無駄と言う物が一切ない。いいや、無駄な物は全て潰されたのだ。
其処にはきっと、多くの感情が入り混じったことであろう。誰かの嘆きが、誰かの喜びが、誰かの日常が、全て管理されて作り変えられた。そんな過去の名残すら今はなく、此処に在るのは唯使い易いだけの町。
そんな町の中、最も多く見かける人種が冒険者だ。商人も確かに多く軒を連ねているが、それ以上に数が多いのが命知らずな彼らである。
海底遺跡への挑戦。公的には未踏となっている、西の誰もが知る大迷宮。其処に挑む理由は種々様々なれど、その本質は皆一つだ。即ち、胸を焦がす情熱があればこそ、此処は熱気に満ちている。
「凄く、大きい」
巨大な建物の前で、ヒビキはぼんやりと呟く。これまでは指名手配が故に、余り表立っては動けなかった。そんな彼は当然、この町をまだ深くは知らない。
分かっていたのは、数度利用した食料品店の位置程度。区画整理の影響で居住区に程近い場所にあった為、この町に来てからの行動範囲は兎に角狭く浅かったのだ。
そんなヒビキの前に立つ、巨大な建造物の正体は冒険者ギルドの支部だ。本部であるコメルシャデソルに次ぐと言われるその規模は、高さとしては五階建て。
そして土地の広さは、現代の建造物とは段違いである。それこそ入り口の前に立てば、其処からでは両の端が何処にあるのか分からぬ程に。その全容とも言うべき総面積は、地上数十階建ての高層ビルにも等しいだろう。
それ程の規模、一体何の為に必要とするのか。論理偏重である西の中でも最も合理的と呼ばれる町だ。無駄に広い、で終わる筈がない。
となれば理由は単純。確かな必要性が存在しているのだ。その最たる理由を一つと挙げるなら、出入りしている人の数が分かりやすい物だろう。
全部で十ヶ所。複数ある入口が頻繁に開いて、人が次から次へと出入りする。ヒビキが見上げていた数分にも満たない時間でも、既に数十と言う人の流れが出来ていた。
冒険者ギルドのリントシダー支部。其処に所属する冒険者の数は、五万人を超えている。正式に登録された記録があるだけでもそれ程に、新たに冒険者を志す新人や非合法な者らを含めれば一体どれ程に肥大化するか。
それら全てを、この支部だけで処理している。それだけでなく、周辺の中小規模支部の纏め役とも成っている。ならばこそ、効率的に動かすには、この程度は必要とされたのだ。
リントシダーは確かに大都市と言える町だが、その住人の殆どがギルド関係者なのである。コメルシャデソルと違い大規模なダンジョンが近くにある為、此処こそ冒険者の町だと語る者も居る程だった。
「取り敢えず、一階で海底遺跡探索許可を取ってから、奥にある転移装置を使うにゃよ。そっちの許可は、ミュシャが纏めて取ってるから平気にゃね」
幻想の世には似合わない、自動制御の扉を潜る。両側に開いた巨大な扉の向こうには、これまた似付かわしくない現代的な施設内装。
門から流れ着いた物を解析し、一部再現にも成功している西方大陸。その技術力があれば、この程度は成せるのだろう。それでもやはり、この格差は異常である。
空調の効いた清潔なロビーを進みながらに思う。神代回帰によって巻き戻されたこの世界。
基礎となる技術は中世レベルで、魔法や精霊術によって多数の不備を補っていると言うのがこれまでに見た実情だった。
だが、此処だけは、異常な程に発展している。いいや、此処だけではないのだろう。ギルドの本部や、技術の中核を握る企業の本拠地。
そう言った場所もまた同じく、一面では近現代にも届く程の科学技術を有している。魔法や精霊術の存在を考慮に入れれば、或いは現実さえも超えるのではないか。
「……大きな、エスカレーターが、一杯ある。異世界って、何だっけ?」
「魔法式の昇降装置の一つにゃね。移動の効率を上げる為、こっちの足元も似た様な物にゃよ」
「おぉ、動く、歩道だ」
何故にこれ程、西の上位と他の土地では技術に差があるのか。それはきっと、西の者が持つ気質が故にであるのだろう。
合理的な思考と言うのは、あらゆる作業の効率を向上させる。冒険心や挑戦を好む在り様は、より高みへと至る為の薪と成る。
そのどちらもが、技術の発展を強く助けている。そして、内的要因だけではなく、外部にもまた一つの理由が。
人の文明が発展すればする程に、力を増す性質を持っている魔性の者らも蠢いている。それを知るからこそ、箱庭の中では技術の発展が起こらぬ様に。
聖王国を始めとする諸国は意図して技術力の発展を抑えていて、しかしこの土地の者らはそうではなかったと言うだけの話だ。
踊らされる旅人は、胸に燻る灯と共に、破滅へ向かって足を進める。果てに何があるのかも知らず、知った先に後悔するのだとしても、知る為に前に進み続ける。
とは言えそんな話、今のヒビキには無縁の事実。何時か破綻させる為の罠など、それこそ数え切れない程にあったから。
今は何も考えず、傍らの少女と共に行く。複数ある案内所の一つを目指して、歩く歩道に乗る。ニコニコと笑いながら振り返ったミュシャに向かって、背を追い掛けていたヒビキは斜め後ろから儚く微笑んで――
「……あれ? ミュシャと、違う方向に流されてる」
「って、ヒビキ!? 何で、そっちに乗ってるにゃか!?」
どうやら乗った歩道が違ったらしい。途中で枝分かれして、離れ離れになっていく少年少女。
目を見開いて驚きながらも、流されたままに動かぬヒビキ。そんな彼の姿に叫んで、ミュシャは歩道を飛び出し追い掛けた。
水平型のエスカレーターの速度は、それ程に速いと言う訳ではない。猫人の少女が駆ければ、追い付くのは不可能な話ではない。
それでも、簡単と言う訳でもなく。初動の遅さもあってか如何にか追い付けたのは、上に上がる直通の道に差し掛かった辺りの事。
このままでは離れ離れになってしまうと、慌てながらにその手を引く。そのまま二人、歩道と歩道の間へと。引き摺られた少年は、首を傾げて呟いた。
「……むむむ、難しい」
「ちゃ、ちゃんと、行先を確認してから、乗って欲しいにゃ。……大回りするだけにゃら兎も角、下手な所に出ちゃうのは勘弁にゃ」
天井から下がる看板を指差して、疲れた声で語るミュシャ。彼女に頷き返すと、ヒビキは周囲を観察した。
施設内に多く設置されたエスカレーターを、利用する人の数はとても多い。無数にあり過ぎて逆に使い辛いのではないかと言う環境を、誰もが上手く使っている。
だがよくよくと見てみれば、案内板を見ている数は存外少ない。誰もが迷い一つない動作で、自分が行きたい場所へと向かっていく。
その光景は適応力が高いと言うよりか、慣れていると感じさせるもの。事実、彼らはこの施設を使い熟しているのではなく、その一部機能に慣れているだけだった。
「三階とか、四階とか、そっちに繋がる道に乗っちゃうとヤバいにゃよ。ヒビキはついこの間まで、賞金首だったんだからにゃ」
「……その階には、何があるの?」
「三階が賞金稼ぎをメインにしている冒険者が多く集まる場所で、四階は情報交流の場として使われてるにゃ。もう賞金はないとは言っても、そう言う所は以前の情報が出回っているから、下手に行けば確実に絡まれるにゃよ」
冒険者ギルドのリントシダー支部は、階層毎に行えることが決まっている。自分の目的を果たす為には、その階に行けば良いのだと。慣れた者らは経験則で知っているのだ。
一階部分が受付ロビーと、各種申請所に館内案内所。奥には転移装置が複数設置されていて、それに関連する手続きなども此処で行える。
二階部分は外部からの依頼受付と、冒険者との仲介を目的とした場所だ。また内外の者らへ向けた、軽い販売施設なども幾つか存在している。
三階部分は賞金首の情報や、各種の犯罪記録などが保存されている場所。賞金稼ぎを生業としている者らが多く、また彼らが必要とする情報も此処で殆ど手に入る。
四階部分が、その他情報交換・冒険者間で取引を行う為の場だ。酒場の様な雑多な飲食店から、機密性の高い情報のやり取りが出来る貸し部屋。その他多くの物がある。
五階部分は完全に事務所として使われている為、冒険者達が主に利用するのは四階から下の階層となる。
また誰もが全ての階を利用すると言う訳でもなく、何を生業とする冒険者かによって使う場所の頻度もまた違って来る。
秘境を開拓したり、遺跡の調査発掘を行う。トレジャーハンターと呼ばれる者ら。賞金首や犯罪者を捕まえて、その賞与で生計を立てる賞金稼ぎ。
魔物の素材を解体して、加工業者などに販売するモンスターハンター。企業間での抗争の戦力として、或いは貴族領に雇われて護衛や指南役を行う傭兵業。
これら全てが、ギルドに属する冒険者達。誰もが秘境で冒険をする訳ではなく、中には椅子に座って頭脳労働をする様な知識人も少なくはない。
国や大陸によって質には大きな違いがでるが、一流と言われる者らは様々な分野で優秀な能力を持つ。冒険者とは一概で言ってしまえば、金で雇える便利屋達だ。
そんな本来ならば一纏めに出来ない者らを、無理に纏めて円滑に動かそうと言う機構。それこそが、冒険者ギルドであった。
「ヒビキにゃったら、絡まれても危険はにゃいと思うけど……単純な戦力としては取るに足りにゃくても、人から敵意を受けると言う状況が不味いんにゃよにゃ~」
「?」
「にゃーんで、本人が分かってないにゃか」
その性質上、此処には種々様々な人種が居る。中には彼我の実力差にも気付けずに、元賞金首である彼に絡んでくる命知らずも居るだろう。
ミュシャはそれを懸念する。ヒビキの中で目覚めんとしていたアカ・マナフは、今も其処に健在なのだ。人の悪意を喰らって強大となる魔王が、少しの刺激で目覚めそうなのである。
大渓谷の時と同じく、寸での所でまた吐き出して減らせるとは限らない。そうでなくとも、こんな人口密集地でアカ・マナフが復活すれば最悪だ。
後どれ程の悪意に耐えられるかは分からないが、だからこそ極力そう言った感情には触れさせたくない。今のヒビキと言う少年は、何時爆発するかも分からない不発弾に等しいのだ。
「ま、取り敢えず。中央受付でササっと許可申請だけ取って来るにゃ」
溜息を一つ吐いた後、意識を切り替える。手を繋いで受付の前へと、共に進んで彼女は語った。
ミュシャの言葉に頷いて、ヒビキは一歩前に出る。そうして目が合った少年へと、受付嬢は微笑みながら言葉を掛けた。
「いらっしゃいませ。本日はどの様なお手続きをご所望ですか?」
「……海底遺跡への、立ち入り許可。下さい」
「はい。かしこまりました。冒険者カードはお持ちでしょうか?」
柔らかい表情をした女性を前に、ヒビキは執事服のポケットを漁る。竜の腕では破れていただろう仕草で、取り出したのは薄いカード。
気付けば、西で冒険者カードを使うのはこれが初めて。既に解除されたとは言え、賞金首となっていたこともあって少し不安となる。それでも、何時までも考え込んでは居られない。ヒビキは手にしたカードを、女性に手渡した。
「えっと、これで良い?」
「はい。ありがとうございます。それではこちらで確認させて頂きます」
「ん」
カードを両手で受け取り、専用の魔道具に差し込む。魔力で動く映像端末に表記された情報を見て、受付嬢は眉を顰めた。
「…………」
それでも、その程度の変化で治めたのは慣れかプロの意識であるか。別端末を探って表面的な経緯を確認した後、彼女は良しと判断を下す。
海底遺跡への立ち入り許可は、それ程に条件が厳しい物ではない。犯罪歴がある者でも、現時点で問題なしと判断されれば許可が下りる。
今は一度許可を出し、問題があれば後で差し止めれば良いのである。それくらいなら任された裁量内で行える。そう判断した彼女は、魔道具を片手で操作した。
「こちら、お預かりしていたカードとなります」
そして数秒、出て来た冒険者カードを両手に持って返却する。受け取ったヒビキは、見詰めて直ぐに変化に気付く。
「縁が、変わった」
「はい。そちらが申請手続きが御済になった証明となりますので、右手奥にある転送所受付にお見せ下さい。それと内部からの脱出には、専用の転移符が必要となりますので、決してお忘れなき様に」
「ん。分かった」
薄い掌サイズのカードに、刻まれていた縁取り模様。その右上に当たる部分が、分かりやすく形と色を変えている。
その変化こそが、許可申請を行ったと言う証となる。そう説明する受付嬢に頷いて、ヒビキはカードを懐へと戻した。
「それでは、こちらで以上と成ります。良い冒険者生活を、今後もお過ごし下さいませ」
深く一礼する女性に礼を返して、ミュシャの下へと戻って来る。
思ったよりもあっさりと済んだ手続きに、ヒビキは戸惑う様に首を傾げて呟いた。
「……早い、ね?」
「簡単な手続きだったからにゃ。基本、此処で止められることはないらしいにゃよ。ミュシャの時もそうだったにゃ」
言って自身の冒険者カードを見せるミュシャ。そのカードの縁を見詰めて、ヒビキはぼんやりと疑問を零す。
「縁の色が、違う」
「到達階層の証明らしいにゃよ。最初は白で、奥に行けば行く程青み掛かっていくにゃ」
右上隅の形が変わっている事は同じでも、縁の色が自身のそれとは違っている。
真っ白な己のカードを見ながら問い掛けるヒビキに向かって、ミュシャは簡潔に理由を返した。
そうして二人、再び手を繋いで動く歩道に乗る。次に向かうべきは、多くの人が並んでいる転送装置の受付所。
空いていたから直ぐに出来た登録受付と異なって、随分と忙しいのだろう。殆ど流れ作業の様に、カードの確認だけを行い中へと通す職員達。
ミュシャはカードの左下を掴んで、上部が良く見える様に。ヒビキも彼女の真似をして、開いている手にカードを持つ。
ご武運をと祈る言葉に背を押され、途中で幾つかに枝分かれした道の一つを進む。そうして動く歩道を降りて、先にある扉の向こうへと。
「そんじゃ、行くにゃよ。海底遺跡へ!」
「おーっ」
さあ、冒険に出発だ。