その1
◇
海の底に眠る大迷宮。緩やかに螺旋を描いた回廊を、降りた先へと続く最奥は一体何処にあるのか。未だ明らかにされてはいないと、そう語られる西方最大の遺跡。
一つの階層だけでも、都市一つより巨大な迷宮。その全容は分からず、公に知られているだけでも二十三層。脆弱な冒険者では、例えその一生を費やそうとも、半ばまでにも届かぬだろうと言われる程に。
エストレジャと呼ばれる秘石が故に、多くの駆け出し冒険者達が己を磨く登竜門として。そしてその多くが己の限界点を知り、十層を過ぎるより前に、この大迷宮より立ち去って行く。
誰も攻略したことがないのだと。奥底に何があるのかも分からないのだと。故に冒険を求める者らが此処に残るかと言えば、答えは否と返るもの。この大迷宮へと臨むのは、多くの新人たちを除けば、秘石取引の旨味を知った者達程度だ。
それはきっと、誰もが攻略を諦めているからと――そんな訳がない。彼女には既に、その底までも視えている。
「前にも言ったけどにゃ、既に海底遺跡は攻略されている。情報集めてみると、証拠がボロボロ出て来たにゃ」
猫の耳を生やした栗毛に、短パンの後ろに開いた穴から伸びるは同じく猫科の尻尾。大きな胸には小さめのシャツを、腹部を晒した盗賊ルック。
布地が薄い服装と仕草は、彼女本人の体形も相まって些か以上に煽情的だ。それでも当人には、不純な動機は然程ない。皆無とは言わない辺り、中々に良い性格をしていると言えるか。
そんな無意識に色香を放つミュシャと言う名の少女は、ダンジョンや冒険者ギルドのリントシダー支部で集めて来た情報を報告していた。
「先ず第一に、実力派とか言われているパーティは、ある一定の時期に突然攻略を止めること。そして第二に、二十三層までの情報は調べれば出て来るのに、それより下になると全く出て来にゃくなること。そして第三に、熟練者の実力者たちは全員、二十層前後で安定した狩りをしていることにゃ」
片手で器用に弓の弦を張り直しながら、もう一つの手で指折り数える。新たに集めた情報を纏めて語れば、要点はその三つに集約されていた。
それら一つ一つは単なる情報に過ぎずとも、先に語った“海底遺跡はもう攻略されている”と言う推測を前提に思考すれば、その事実を保証する要素となる。
そう語る猫耳少女の言葉に、対面に座る虹彩異色の少年は小首を傾げる。長い髪に輝きはなく、思考も悪思に染まらぬ為に微睡んでいる。そんなヒビキには、彼女が何を言いたいのかが分からなかった。
対してミュシャは、軽く笑みを浮かべると、問われる前に言葉を紡ぐ。瞳を淡く輝かせる少女が此処に語るのは、今上げた三つの要素がどうして彼女の憶測を裏付けることに繋がるのか。彼女なりの推理であった。
「第一の理由は、説明するまでもないにゃね。実力があって向上心がある集団が、ある時を境に急にダンジョン攻略を止める。それが一件二件にゃら兎も角、何度も続けばおかしいにゃよ。毎回毎回攻略を諦めてると考えるのはおかしいし、仮にそうだとしてもそれにゃら此処に残った方が効率的にゃ。冒険をせずに効率よく稼げる、エストレジャなんて物が此処にはあるんだから。それにゃのに、出て行く者が多い。特に若い実力者が居るパーティ程、その傾向が強くある。……ってことはにゃ、攻略したから口止め受けたって考えた方が自然にゃね。だから次の冒険に、或いは企業とかにスカウト受けて、とかかにゃ?」
若く意欲があり、実力も身に付いていた冒険者パーティ。其処まで行ける者達は一握りであれ、必ずしも零ではない。
ましてや此処は、先史文明が残した訓練所である。それなり以上の才に恵まれた者が血気に逸らず、経験を然りと身に付けて進めば必ずや踏破出来る様になっている。
篩い分けは無論あるだろう。どれ程にエストレジャを取り込もうとも、本人の才能次第で頭打ちともなってしまう。
それでも数を揃えれば、一流域に手を届かせることは出来るのだ。事実、この大迷宮の下層まで到達した後に、町を出た冒険者達の多くはC級以上の資格を手に入れているのである。
間違いなく一流の域に、手を届かせた者達。この町を出た後も、様々な地を開拓していく冒険者。そんな彼らの誰もが、ダンジョンの攻略を途中で止めてしまえる人間だろうか。
ミュシャは否と考える。攻略を諦めた人間も確かに居るのだろうが、それが全てな訳がない。未知を求めて神秘を踏破していく命知らず達。彼らこそが、在りし日に楽園を旅立った西の祖であるのだから。
「第二の理由は、大部分が推測だけどにゃ。二十三層以下の情報が漁っても出て来にゃい。なのに、逆に二十三層までの情報にゃらあちらこちらで入手出来た。それ即ち、其処で口止めされていると見るべきにゃ。詰まり、最下層は其処からそう遠くないんにゃよ」
そして第二と言える理由は、公式非公式を問わずに得られる情報に限りがあること。その筋の者に袖の下を渡しても、二十三層より先の情報は一切出ては来ないこと。
人の口に戸は立たない。誰かが知った時点で秘密は秘密足り得ずに、何処かへと必ず流れて行く。それが起こらぬ理由は、考える限り二種類のみ。そもそも誰も知らないか、誰かが情報を消しているかの二択である。
この情報自体は、既に攻略されていると言う推測の証拠にはならないだろう。それでも他の状況証拠が保証するなら、この情報には異なる見方が生じてくる。
即ちそれは、最下層がそれ程に深くはないのだろうと言う予想。何故ならそれは単純な話。其処から十や二十も下る程に最下層が遠いなら、態々二十三層程度で情報を止める理由がないからだ。
徹底した情報管理を大規模になど、どんな国家にも不可能だ。必ず何処かで漏れてしまう。冒険者ギルドの様な公式の場での情報と、裏路地の情報屋が持つ情報量の違いなどもその証明と言える。
それを可能な限り減らす方法は、隠したい情報を持つ人間を減らすこと。或いは、隠す側の人間を増やすこと。恐らくはそのバランスを考えて、如何にか情報を塞き止められるのが二十三層と言う訳なのだろう。
効率を重んじる西の気質を考えるに、最下層までの距離は然程ない。其処が人工物であることも考えれば、限良く二十五か三十か。ミュシャは迷宮の全貌を、そう予想していた。
「んで、それらを前提に考えるとにゃ。二十層で熟練者が安定した狩りをしている。イコール、最下層周辺で効率の良い狩りを行える実力者が多い。となるとまぁ、普通に考えれば、そいつらも最下層突破してるっぽいにゃよねー」
二十層周辺で狩りをしている冒険者達は、十中八九隠す側の人間達だ。数を揃えて慎重に進めば攻略できると、ならば合理的な思考を持つ者が多い西の民に至れぬ筈がない。
誰も攻略したことがないと言われる程に、確かに難易度は高い迷宮だろう。例え一生を費やそうとも半ばまでしか行けないと、そういう者も多く居る。それでも、踏破した者は決して少なくはないのである。
全体の分母を1000や2000と定義すれば、分子の数は小数点より下である。それでも此処には多くの冒険者達が集っている。
五桁の数字を軽く超える程、多くの挑戦者たちが集まるのだ。その内最後まで至れた者も、一握りは出るであろう。此処はあくまでも、古代の訓練場でしかないのだから。
とは言え、成功者達が居ると言う情報など、彼らにはさして関係がない話と言えばそうだろう。
重要なのは海底遺跡を攻略することに、然程の意味はないと言う事実。それをヒビキは、部屋の隅にある荷物を見ながら、端的に言葉と口にする。
「……準備、無駄になった?」
「ふにゃー。そうは思いたくないんだけどにゃー」
冒険者用に安価で貸し出されているワンルーム。その壁側に寄せてある膨大な量の荷物は、海底遺跡の攻略に必要となると見越して集めてあった物。
照明器具や保存食と言った一応は他の場所でも使用できる無駄にはならない物から、ダンジョンの入り口へと帰還する為だけの転移術式が刻まれた避難道具の様に他では全く役に立たない物品まで。
数日に渡って下調べした上で、各層の情報を元に使うであろう物を最安値で集めた。一応、無駄になると言う可能性が生じてからは、準備もある程度は手を抜いて来た。
それでも、最初の数日は全力だった。大量に集める程に、努力をしてはいたのだ。それだけの努力が全て無駄になるのだとすれば、ミュシャが肩を落として落胆するのも無理はないことであろう。
「ってか、なっさけないにゃー。エレノア達は、成果出してるのに」
「……指名手配、無くなってたね」
「風雅美麗。ギルド上層部に意見を出して、領主が掛けた賞金も取り下げられる程の人物。エレノア達もまた、随分と大物を味方に付けたもんだにゃ」
「……取り敢えず、会えたら、ありがとうって、言っておこう」
まして恋敵でもある相方は、見事な成果を上げている。闘技場で結果を残すことこそ出来なかったが、A級冒険者の筆頭を味方に付けたのが余りに大きい。
通信用にと渡していた魔道具でのやり取りで、ヒビキもミュシャも知っている。セニシエンタがギルドに働き掛けて、賞金の取り消しを行ってくれていたことを。
元より西で犯罪者に賞金を掛けるのは、冒険者ギルドが行うことだ。賞金が払われることを確認して、その正当性を吟味して、賞金稼ぎを専門とする冒険者達に声を掛ける。それがギルドの仕事である。
無論、癒着が生じる余地はあって、ガリコイツが資産も残っていなかったのに即座に賞金を掛けられたのはそれが故でもあるだろう。だがだからこそ、セニシエンタと言う冒険者の頂点が声を掛けることであっさりと、見直しを行わせることも出来たのであった。
既にヒビキもミュシャも確認している。冒険者ギルドのリントシダー支部にあった賞金首の情報から、ヒビキ達の記述は削除されている。変装をせずに町を出歩いても、もう問題などはないだろう。
A級になる理由の内、一つは片付いた形となる。そして、もう一つの目的である、ノルテ・レーヴェの暴走を止めること。其処への目途も彼女らが立ててしまったのだから、ミュシャとしては立つ瀬が全くないのである。
「ほんっと、どうするかにゃー。このままじゃ、別れた意味なさげっぽいにゃよ」
「ミュシャの目で、どうすれば良いか、探せないの?」
手入れを終えた弓を己の影に仕舞い込み、寝具の上に寝転がるミュシャ。だらだらと怠けた仕草で愚痴を零す少女に、ヒビキは一つ問い掛けた。
「ウジャトはそんなに、便利じゃないにゃよー」
彼女の心威である“天空王の瞳”は、“大切な人を守る為にも、何かを探さなければならない”と言う強迫観念にも似た心の芯より生じている。
その性質上、探すと言う事に掛けてはこれ以上がない異能。そう理解していたヒビキは故に使えないのかと問い掛けて、それにミュシャは首を横に振ることで答えを返した。
「ミュシャの心威は、“見付けたい物を探す”能力にゃ。んでヒビキ、探すって大別すると二つに分類できるんにゃけど、何か分かるかにゃ?」
「…………………???」
「にゅふふ、ちょっと意地悪な質問だったかにゃ。……答えは、探し物自体を、分かっているのかいにゃいのか。少なくともミュシャの心威は、この条件の違いで効果が結構変わるのにゃ」
ミュシャの異能は、探す力だ。その本質は、理想の未来へ辿り着く為、不定の要素を見付けたいと願った祈り。
けれど心威は、あくまでも心の形に過ぎない。己の心が、己の望んだ通りにはならないように。必ずしも、その力が望みを果たせるモノになるとは限らないのだ。
例えば、焔の王が手にした炎剣。彼は剣ではない術を知りたかったのに、彼の内には戦の焔しか存在してはいなかった。だからその心は、炎の剣と言う形となった。
例えば、六武の蛇が扱っていた毒の牙。その切り札と言うべき力が真っ直ぐな太刀筋を描いたのは、彼自身が心の底から“真っ直ぐな斬撃”こそが一番強いと思っていたから。
己の心と、必要とする物が常に等号である筈がない。ミュシャの場合も同じくして、彼女の瞳には使い勝手の悪い制限と言う物が多くあった。
「例えば失くした物があったとするにゃ。その形も失くした場所も分かるにゃら、見付け出すのは簡単にゃ。失くした場所へと戻ってから、失せ物探しをすれば良い。場所が分からにゃい場合でも、やるべきことが一つ増えるだけ。本質的には変わらないにゃ」
ミュシャの異能は、探す力だ。其処にあると分かっている物事ならば、彼女はあっさりとその解答を導き出せる。
だがあくまでも彼女の力は、意識した物を探し出すと言う能動的な力でしかない。探したい物が何かすら分からない場合、そのままでは使えないのだ。
「対して、明確に何を探したいのか分からない場合はどうにゃ? 探したい物が何かを定義することから、先ず始めなくちゃいけなくなるにゃ。んで必要な物を決めたとしても、それと全く同じ物が世界の何処かにあるとも限らない。それに限りなく近い物を探し出すと言う、失せ物探しとは全く別種の能力が必要となるんにゃよ」
未来さえも見通す瞳も、使用者が人である以上は限界がある。あるかないかも分からない物を探す場合、処理する情報量は格段に跳ね上がっていく。
何が必要なのか。それを探す為には何が必要なのか。それを探す為に必要な物を探す為には何が必要なのか。宛らマトリョーシカの様に、当てもなく探しても答えは無限にループする。
「当然、同じ探すでも、必要となる項目が多い不明瞭な物を探す行為の方がコストも大きい。失せ物探しにゃら確実に見付け出すことが出来る程に力を使っても、真面な答えを出せない場合も多くあるんにゃ」
そしてそれだけの回数。力を立て続けに行使するのだから、消費はその分膨れ上がる。宛ら倍々ゲームか鼠算。跳ね上がり続ける消耗に対して、見つけ出せる情報の精度は低くなる。
時は待たない。世界は刻一刻と変わる物だ。その時には真実だった筈の答えが、一瞬後には変わってしまうことも零ではない。複数回に続けて力を使えば、以前に見た答えが既に答えじゃなくなっていると言う可能性も十分あった。
そうであるが故に、情報集めは重要だ。当たりを付けてから異能を使って、それで初めて意味がある。そうでもしなければ、天空王の瞳は極めて低い精度と化すのだ。
「ミュシャの干渉力がもっと高ければ、やりようは幾らでもあるんだろうけど。今のミュシャの実力だと、当てもなく心威を使っても、精々質の良い占い程度の結果しか出せないにゃよ」
カードや何かで占う行為と、殆ど同じだ。全く無意味とは言わないが、生命力でもある闘気を削るに見合った行為であるかは疑問だろう。
ミュシャの闘気量は、ハッキリ言って大したことがない。彼女は戦士ではないのだ。己の才能限界まで鍛え上げた訳でもない。連続して心威を使うには、基礎が余りに足りていない。
無論、無理をすれば出来なくはない。リアムとの戦いで見せた様に、連続して使えば直近未来の感知すらも可能である。だがやはり、そんな使い方は正直二度と御免である。
攻撃の予備動作に即応してその都度答えを探し出すなど、明らかに本来の使い方から外れている。余りに消費が重過ぎる。元より彼女のこれは、戦闘向けの異能ではないのだ。
「反面、必要な情報が揃えば消費する干渉力は減ってくにゃ。何処にあるのか、何があるのか、分かっていれば探しやすくなるみたいに」
対して、本来の使い方として用いれば消費は大きく減っていく。効率が良くなれば、より大きな成果を望める様にもなるだろう。
既に其処に在ると分かっている物を探すのは、何処に在るか分からない物を探すよりも楽なのだ。そうであるが故に、天空王の瞳は虚偽の魔王の天敵と化す。
「アリス・キテラに通じたのは、ぶっちゃけその辺が理由にゃ。隠されているということは分かっていたにゃ。探す場所が分かってたんにゃよ。にゃら、特に何も考えないで、其処を探してみれば良い。そうすれば、其処に真実が存在している。そういう意味で、力量差を無視出来る程の相性差があった訳にゃね。……もう二度とやりたくにゃいけど」
虚偽の大魔女は世界を騙す。其処にある真実を、嘘の裏側へと隠してしまう。だがやはり嘘は嘘に過ぎず、真実はどれ程に変わり果てようと真実なのだ。
其処に隠された真実を引っ張り出せるミュシャの異能は、アリス・キテラの嘘を破綻させる。世界を騙し続ける彼女の嘘を、その真実で照らし出す。
本来ならば圧倒的な干渉力の格差故に、覆せない筈の権能。それを全身全霊を使い果たした結果とは言え、覆してみせたのは絶対的な相性差が故にであった。
そうでもなければ、天空王の瞳に出来ることは限られる。少なくともミュシャ自身の力を大きく超える様な奇跡の顕現は不可能だ。
だらけた仕草でそう口にする猫耳少女。彼女の言葉の半分も理解は出来ていないだろう少年は、暫く考え込んだ後に首を傾げると、ぼんやりとした声音で鋭く切り込んだ。
「……つまり、ミュシャ。役立たず?」
「ぐふっ」
寝ぼけて意識が朦朧としている割には、鋭過ぎる言葉の刃。ざっくりと切り裂かれたミュシャは、布団の上から飛び起きると震える声で自己弁護をし始める。
「ほ、本質的に、求めたことは、出来にゃくても、他の役には、立つから、む、無能ではないにゃ。きっと多分メイビー」
「……でも、今は目的、果たせてないよ?」
「おぶばっ」
だが続く第二の刃に、切り裂かれて崩れ落ちる。何時になく言葉が鋭いのは、悪思の影響が拭えていない為なのか。
そんなヒビキの瞳に映る、布団の上で丸くなっている少女。気のせいか、その顔は以前に比べて丸くなっている様にも見えた。
「し、心威使いの、心威って、芯を果たせる、形に成らないことが、多いにゃ。ミュシャが、無能な訳では、ないのにゃ」
「……でも、僕たち。食っちゃ寝してた、だけだよ?」
「ミュシャは頑張ってたにゃーッ! 外に出れにゃいヒビキの分まで働いてたにゃー! 体重が5キロも増えてたのは気のせいなのにゃー!!」
丸くなっている様に見えたのは、気のせいではなかった。そう理解して頷くヒビキの前で、飛び上がったミュシャは意気良く吠える。
指名手配と悪思の汚染で、自由に動けなかったヒビキとは違うのだと。少し厚みを増した胸を張って訴える猫娘に、少年は再び冷たく返した。
「……海底遺跡、攻略が意味ないって、分かってから、外に出る時間減ってた、よね? 僕が買い物に行く時、何時も布団で、丸くなっていた様な?」
「にゃーにゃーにゃー! きーこーえーにゃーいー!」
ミュシャが精力的に動いていたのは、此処に来てから二・三日程度の時間である。海底遺跡の真実を予測し始めて以降は、日に二時間も外に出れば良い方。
日がな一日、敷きっぱなしの布団の上でゴロゴロと。ヒビキが作る手料理に舌鼓を打ち、一日の大半を寝て過ごしていた。無能な駄猫と呼ばれても、誰にも否定は出来ない生活態度である。
「…………とは言え、ずっとこのままってのも、いけないにゃよね」
布団の上で転がっていたミュシャは、天井を見上げながらにそう呟く。何も得られぬだろうからと、何もしなかった。それではいけないだろう。
何も得られぬだろうとも、何かを得る為に行動する。非効率だとしてもそれはきっと大切なことで、だからこそ上体を起こした少女はヒビキを見詰めて口にした。
「エレノア達がこっちに来るまで、鉄馬舎使っても四日は掛かるにゃ」
「……以外と、遅いんだね」
「ヒビキの足が早過ぎるんにゃよ。って、それは一先ず置いといて――――二人で、海底遺跡に潜ってみるかにゃ?」
指名手配は解け、悪思の影響も安定しつつある。星の力に満ちたダンジョンの内部なら、暴走の危険は更に低下するだろう。
海底遺跡の中でなら、今のヒビキも戦える。彼の戦力とミュシャの調査能力があれば、数日で最下層を目指す程度のことは可能な筈だ。
恐らく結果は、徒労に終わるであろう。そうと予測出来てはいても、底までを実際に見た訳ではない。ミュシャはまだ、三層を抜けただけでしかない。
時は待たない。無駄に過ごす日々と、徒労に終わる時間は等価と言えるだろう。それでも、彼らは其処に何があるのか、今は未だ知らないのだ。ならばその時が等価であると、終わってみるまでは分からない。
「……うん」
ミュシャの提案にヒビキは頷く。己の目で、其処にあるモノを見詰める為に。彼らは海底遺跡に臨む。