序章
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天蓋を彩る虹の輝き。七色のステンドグラスを透して、劇場を満たす光は果たして正真正銘陽光か。いいや否、違うであろう。此処は日の光が届く様な場所ではない。
ならば此処は地の底か、はたまた海の底であろうか。いいや、それもまた否。此処は決して、低所ではない。寧ろ真逆、遥か高みにあるとさえ言えよう。
空の果てか。星の彼方か。それもまた否。
物理的な高さではない。此処は根本的に違う場所なのだ。
世界から外れている。位相がズレている。幻想の世を書物に記された文字と捉えれば、此処は書を収める図書館だろう。
それでもこの地の形を考えるならば、図書館と言う呼び名は似合わない。並んだ観客席の先にある緞帳が下りた檜舞台は、劇場と言う呼び名の方が相応しい。
「ようこそ、おいでくださりました。皆様方」
そんな虹の劇場に、一人の女が姿を見せる。
七色の光に混じるは黒き影。水面に映る月の如く、朧げで曖昧なる女。
劇場が外れた場所ならば、其処に居る彼女もまたズレている。
多くの者が嘆息するであろう美貌の持ち主も、低位の者からしてみれば理解出来ない影絵と何も変わらない。
「私はカッサンドラ。英雄譚を謡う詩人の如くに、物語を語る者」
それがカッサンドラ。外れているが故に、誰からも影絵と見られる女。
だがそれで良い。カッサンドラはかくあるを良しとしている。彼女は監督者ではなく、大勢の観測者が一人。
故に影絵の黒子で良いのだ。これは彼女が愛した竜の物語。
外れた者が舞台に上がり場を彩るなど、彼女は決して望んではいないのだ。
「さて、皆様方。純粋と言う言葉を聞いた時、あなた方は一体何を思い浮かべるのでしょうか?」
カッサンドラは問い掛ける。純粋と言う言葉の意味を。穢れがないと言うモノとは、果たして如何なるモノであるのかと。
「単純であること。単色であること。混じり気のない純色とは即ちして、穢れない故に美しいとも呼べるもの」
例えば、白い布があるとしよう。其処に黒い染みが一点でもあれば、人はそれを汚れと感じる。美しい純色とは、口が裂けても言えないだろう。
或いは、黒い箱があるとしよう。漆黒に輝く四角い箱は、純色であればそれはそれで美麗な物。どれ程に綺麗な雫であっても、其処に一滴の白が混じれば美しさは損なわれる。
純粋であること。単純であること。その美麗さとは、そういう物。それ以外にはないことを、人は純粋と呼び持て囃す。それ以外にはないからこそ、人は純粋さを美しいと捉える訳である。
「ですがしかし、真に純粋なモノが果たして、世に在り得るものでしょうか?」
だがしかし、世界とはそれ程に単純な物ではない。人間と言う生き物は至極複雑怪奇であって、その内面は多種多様な情が入り混じった不純の極み。
比較的に単純であると、そういう者は居るであろう。他と比べてみれば純粋であると、そう言える事象はあるだろう。されど真実、一切の混じり気がない純粋さなどと言うモノが、世界の何処にあると言う。
「光差す場所には、必ずや影が生まれる。漆黒の如き暗闇の中でも、一筋の光は差すでしょう。陰陽太極図が示す様に、真に純粋であることなど出来はしない。少なくとも、人は単純色には成れぬのです」
陰陽の図が示す通り、光の中には影があり、影の中にも光は生まれる。世は善と悪の二元だけで、完全に分けられる様なモノではない。
誰しもが心に二色を抱えている。道に迷った人を善意で助けられる人間が、家に帰れば同じ口から周囲への悪口雑言を零す様に。程度の差はあれ誰しもが、その内面に二色を持つのだ。
内面が単色でない以上、それは不純となるだろう。二色が完全に分かれ続けている筈もなく、白と黒が中途半端に混ざった色は、美しいとは言えない揺らぎに満ちている。
「なればこそ、その善性は尊く見える。邪を知り、悪を抱えて、それでも克己と共に選択する。そうであるからこそ、唯純粋に良き者として生まれた者が為す善行よりも、素晴らしいと言えるでしょう」
単色ではないからこそ、単純では居られない。誰しもが邪に流れる容易さと、正を貫く難しさを知っている。けれどだからこそ、そう在ろうと克己する事に価値が生まれる。
楽なことなど、誰しも出来て当然だろう。楽ではないことだから、それを素晴らしいと褒め称える。難しいと知りながらも挑むから、其処には確かな価値がある。それはきっと、生まれながらに正しい者では持てない輝きだ。
「そしてそれは逆説として、唯純粋に悪として生まれ落ちた存在が為す悪行よりも、人の悪性が醜く映ることを示しています。正しさを知り、義を為せる者が、望んで悪を為すからこそ醜悪なのです」
だが人は常に、正しい生き物では居られない。難しいことは苦しくて、楽なことは簡単なのだ。故に苦を否定して楽を求める。それもまた、人の性と呼べる物であろう。
それ自体は、否定するべき物ではない。尊くはないからダメなのだと、決め付ける資格などは誰にもない。だがしかし、それも程度の問題だ。余りに行き過ぎた快楽主義は、醜悪と呼べる色となる。
確かに、頑張ることは大変だろう。真実、実る保証のない努力は辛いことである。だがだからと言って、楽だけを求める姿勢の何処に輝きと呼べる物がある。
それだけならばまだしも、己の楽の為に他者に苦を強いる者。自身が愉しく生きる為、他人を踏み付け嗤う者。行き過ぎた快楽主義が生み出すのは、そうした下劣畜生である。
外道としか呼べぬ者。そうした者らは、善を知るからこそ性質が悪い。唯純粋に悪として生まれて悪を為す魔性などよりも、余程度し難く見苦しい生き物なのだ。
「神の名の下に、悪として産み落とされた魔王達。斯く在れと望まれた彼らは、斯く在ることしか出来ない存在。その暴虐は恐ろしくとも、彼らは何処までも純粋に等しい黒色。其処に見える悪性は、醜悪とはまた違った色をしているでしょう」
五大の魔王は確かに悪だ。斯く在れと望まれ、人の悪意より溢れ出した怪物たち。その力は正しく暴虐と呼べる物であり、ありとあらゆる命にとっての天敵だ。
されど同時に、彼らはそう望まれたから、そう在るだけのモノでしかない。その内面は漆黒であれ、不純と称する物が少ない。白が絶無とは言えないが、それでも決して多くはない。移ろい揺らぐ人などより、遥かに純粋無垢な存在達だ。
「内に善悪を内包し、常に移ろい続ける人間達。斯く在る必要などはないのに、己の享楽の為に外道を為す。その力は暴虐と呼ぶ程に恐ろしくはなく、されどその身は余りに醜悪。下劣畜生の道理は其処に、猟犬と呼ばれる獣が牙を剥く時はもう間もなく」
対して、彼の猟犬は真逆であろう。暴虐と呼べる程の力はなく、魔性の様にそう在らねばならない道理もない。唯己の快楽を求めて、身勝手な行為を続ける外道。
時に善を為し、時に悪を為し、全てを嗤いながらに貶める。恐ろしいと言うよりも、悍ましいと語る方が相応しい。其処に如何なる過去があろうとも、灰被りの猟犬が醜悪な存在であると言う事実だけは決して揺らがない。
「悪なる竜は知るでしょう。狂気に満ちた外道が齎す、見るに堪えない醜悪を。魔性よりも悍ましいのは、何時だって人間だったと言うことを」
魔物は恐ろしい。されど何時だって、悍ましいのは人間だ。魔王は邪悪の権化である。されど何時だって、醜悪なのは人間なのだ。
これより悪なる竜は、西の大地で相対する。名高き英雄の一人にして、この世の誰よりも醜悪な外道。灰被りの猟犬と呼ばれる“人間と言う名の怪物”と。
「此度の物語は、海を臨む冒険者の町。其処に眠る海底遺跡と、底に残った過去の残照を巡る物語。そして其処で、悪なる竜は猟犬の牙と相対する。果てに至る結末とは――それは皆様方の目で、ご覧頂くと致しましょう」
その果てに、如何なる結末を迎えるのか。今はまだ語るには早過ぎる。舞台はこれより始まるのだから。
故に、これ以上の語りも必要ない。さあ、物語の開幕を告げるとしよう。今こそ此処に、舞台を幕を開けるのだ。
「どうか暫し、お付き合い下さいませ」
優雅な一礼と共に、カッサンドラは静かに微笑む。
開幕を告げるブザー音が虹の劇場に響き渡り、ゆっくりと緞帳は幕を開けた。