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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第四幕 剣と子どもと闘技場のお話
139/257

その10

 舞台の中央にて、二つの鋼がぶつかり合う。片や身の丈程に巨大な剣を、片や両刃の片手剣を。鎧の少女と、黒きマントの青年は競い合う。

 拮抗は一瞬だった。僅かに止まった天秤は、次の瞬間には大きく傾く。素の力量と武器の差故に、雷光の剣士は止められない。そうと理解した黒マントは、笑みを深めて左の手で顔の半分を覆った。


「開け、闇の瞳よ。我が魔眼を見るが良い」


 掻き毟る様に指を折り曲げ、包帯を巻いた左の腕を大きく引く。流れる様に眼帯を外して、色違いの瞳で射抜く。瞳に浮かんだ刻印は、怪しく輝き力を発した。

 瞬間、少女の身体が燃え上がる。黒き炎は蛇の如く、その血肉の全てを喰らい付くさんと荒れ狂う。されどやすやすと喰われる程に、エレノアと言う名の少女は弱くない。


「こんな炎で、俺が燃やせるかよッ!」


 闘気による上位干渉。燃える炎よ消えてしまえと、世界を書き換え改竄する。そうして一歩を踏み込むエレノアに、再び黒い炎が襲い来る。詠唱は聞こえない。それも当然、これは無詠唱の魔法である。


「ち――っ! 魔眼って、刻印魔法かよッ!? テメェの目に刻むたぁ、随分とイカレてやがるッ!!」


「闇を担うに、覚悟が要る。常人では、それが狂気と見えるも止む無しであろう。だが、これは覚悟だ。ダークフレイムソードマスター、ジャーマ・オスクリダーの真名に誓って、我が意志を保証しよう」


 呪文と同じ効果を発揮する術式を、物に刻み込んで魔力を流すことで効果を発動するのが刻印魔法。無詠唱で何度でも発動すると言う性質上、奇襲や不意打ちに向いているとされる物。

 特に潜在的に魔力を有している亜人などには、両の腕に刺青として入れる者も少なくはない。下級の魔法に限るが意識した瞬間に発動すると言うのは、一分一秒の差が勝敗を分ける戦場においては重要な要素だ。


 実戦を重要視する魔法使いの中には、刻印魔法で己の身体を改造する物も居ると聞く。そう考えるならば、魔眼と言うのもあり得ない話ではない。だがしかし、狂しているのは確かな事実だ。

 己の目に己の手で、刃物で傷を付けて術式を刻む。その過程は想像するだけでも、寒気が走る嫌な物。それを平然と誇る様に、語る青年はどれ程に外れているのか。エレノアは何処か飲まれた様に、その手を強く握り締めて――


「おーっと、自称ダークフレイムソードマスターこと、魔法剣士本名ペペ。企業の最新作である刻印魔法が刻まれたコンタクトレンズで、狂気の如き覚悟をしていたらしいぞォォォォォォッッ!!」


「コンタクトかよ、おいッ!?」


「……ふっ、女子供には、この高尚さが理解出来んか」


 司会の暴露に、思わず突っ込みを入れていた。狂気だとか覚悟だとか、一体何の話だったのか。確かに目に異物を入れるのは少し怖いが、眼球を刃物で傷付ける覚悟と比較しちゃいけない物だろう。


 初戦がオカマで、次がファッション厨二病。これは余りに余りだろうと、力が抜けそうになってしまう。とは言え、そんな輩に負けるのは御免だ。そうでなくとも、誰かに負けると言うのは気に喰わない。故に勝つのだと、エレノアは思考を投げ捨て闘志を燃やす。


 そうして立ち上がって駆け出すエレノアに、ペペ(本名)は無詠唱魔法で牽制しながら距離を取る。剣では勝てぬと自覚したから、魔法を主体と入れ替える。

 剣で勝てぬ敵には魔法を。魔法で勝てぬ敵には剣を。選べる汎用性こそ、魔法剣士の強みである。だからこそ定石通りに詠唱時間を稼ごうとするペペは、戦術とは無関係だが無視出来ない発言の修正を求めた。


「それと、我が名はジャーマ・オスクリダーだ! ペペとは所詮、世を忍ぶ仮の名よ」


「あ? どういう意味だ? 親に貰った、名前じゃねぇのか」


「今世における偽りの父母。彼らの功績は我が身をこの世に産み落としたことに他ならず、そして彼らの犯した過ちとは我が真名を誤ったこと。とは言え、怒り憎む物ではない。我が真名を理解出来ない脆弱性とは、哀れむべきものなのだから」


 エレノアから距離を取る男が求めたのは、司会者の呼ぶ名前の修正。これこそが真の名であると語るのは、彼が考えた最高に格好良い名前。

 実の父母に付けられた名は、正直自分に合っていない。格好良いとは思えない。だからこれが己の名であるのだと、自分で付けたキラキラネーム。


 所詮一時の病であると、生温い目で流してやるべきその発言。だがしかし、この少女にとっては受け流せない要素であった。


「……何言いたいのか意味分かんねぇけど、一つだけ分かった」


 エレノアには、もう父母が居ない。ロス家は既に滅んでいる。義理の父こそ確かに居るが、亡くした人々にはもう会えない。

 そんな彼女にとって、親がくれた名とは絆の証だ。とても大切な宝石なのだ。それでいて、偽らねばならない時があった。力を得るまで、胸を張って誇れなかった。


 だからこそ、彼女にとって名を偽る行為は弱さの証明。故に少女は駆けるのだ。怒りの想いを言葉に込めて、雷光の剣を振るうのである。


「詰まりテメェは、親に貰った自分の名も偽らねぇと胸を張れない。そんな雑魚って訳だろうがッ!!」


「短絡的だな。そして実に愚かだ。我が身が脆弱なのではない。我が真名を許容できないこの世界こそが、硝子細工の如くに儚く脆弱なのだよ!」


 銀の閃光を、黒い半透明の盾が受け止める。宙に浮かんだ光の盾は、魔眼と同じく刻印魔法。紙に刻んだ術式を発動させる、符術とも呼ばれる物。

 盾の一枚二枚は脆くとも、数を重ねれば少女の前進を止める程度の壁にはなる。それが一瞬で壊される程度の物であっても、その一瞬を稼げるならば十分だ。


「世界の脆弱さを示す為、見せてやろう。闇より暗き獄炎を。我が身に宿る、魔性の力を」


 ペペは暗い笑みと共に、その両手に炎を灯す。そうして口に紡いだ言葉は、幾つもの音が重なった複雑怪奇な物だった。


「「「「漆黒の炎。地獄の焔。我は万象を焼く者なり」」」」


 三小節にて発動する魔法は、それ単独では位階が低い。中級域には到達しているが、一流の術者に通じる物とはならぬであろう。

 だがだからと言って、四小節以上の魔法は制御が難しい。位階が一つ違うだけで、習得難度は数倍以上に膨れ上がるのだ。だからこそ、こうした技術も存在する。


 重複詠唱。二つ以上の魔法を同時に発動することで、疑似的に位階を上げると言う技法。

 同じ魔法を二つ同時に発動すれば、その威力は一つ上の位階に並ぶとも言われている。即ち四つを同時に発動したこの今に、発現するのは最上級にも迫る大魔法。


『四重詠唱。ダークフレイムソード!!』


 黒き炎の剣が燃え上がり、その獄炎で全てを燃やし尽くさんと牙を剥く。共に生じるは黒炎の壁。近付けば、全てが燃え去る絶対領域。これぞ青年の最大魔法。攻防一体の秘義である。


 最上位の魔法を展開した男は勝利を確信して、その刃を天高く掲げてから振り下ろす。

 振り下ろされた炎剣が舞台を舐めて、そして戦いは決着する。後に残ったのは――無言で剣を納める勝者と、驚愕を浮かべて沈んだ敗者の姿。


「ばか、な」


「……雷光、一閃。遅ぇよ、鈍間が」


 黒き炎剣を振り下ろした瞬間、その身を守っていた盾が弱まっていた。それも当然、壁があれば炎剣も届かないのだから、振り下ろす一瞬には僅かに壁が消えるのだ。

 そんな一瞬の隙を逃さずに、エレノアは踏み込み剣を振り抜いたのだ。魔法剣士が炎の刃を振り下ろすよりも、雷光の少女が駆け抜け斬り付ける方が早かった。


 故に、彼は敗れたのだ。雷速と言う圧倒的な初動の速さと、それを御し切る少女の想いを前にして。


「名前が気に入らなくても、胸張って誇れよ。大切な人達から最初に貰った、たった一つの宝石だろうが」


 男の背を取って、刃を納めたエレノアが告げる。己の名前とは、己を愛してくれる人から、最初に貰う特別な物。

 少なくとも、彼女にとってはそうだ。エレノアは己の名の由来を知っている。誰が付けてくれたのか、彼女は確かに知っている。


 少女が生まれた時、彼女の父母は名付け親を一人選んだ。オリヴィエ・ロスにとっての親友が一人。空将と呼ばれたその男を。


 男は数日に渡って思い悩んで、その果てに彼女に名を付けた。エレノア、と。その名の意味は、光。

 彼が何を思って、この名を付けたのかは分からない。それでも一つ分かるのは、エレノアと言う名には愛情が込められていると言うこと。


 だからこそ、大切にしないといけないのだ。そう語る少女の言葉に笑みを浮かべて、崩れる様に倒れた魔法剣士は最後に認めた。


「……父母を想う、子の想いに敗れたか。成程、見事だ」


「んな高尚なもんじゃねぇよ。唯の、実力差だ」


 子を想う父や母が強い様に、親を想う子が強いのもまた当然だと。そう認めて気絶した魔法剣士に向けて、エレノアは否定の言葉を返す。

 所詮は切った張ったの闘争だ。血の臭いが纏わりついた殺伐としたものに、親孝行などと言う言葉は似合わない。だから、これは単に実力の差でしかなかった。


 そう語り、舞台を降りていくエレノア。その姿に主審は勝利を宣言して、観衆は声援を高らかに。盛り上げる為にも司会者は、煽る様な賛辞を口にするのであった。


「やはり強ーいッ! 一瞬の隙を突いての一撃必殺! そしてやはり恋する乙女なエレノアちゃんはぁぁぁ、口は悪いが親想いの良い子だったァァァァァッッ!!」


『エレちゃん可愛いよォォォォッッ!!』


「だ、か、らぁッ! それ止めろって言ってんだろがぁぁぁぁッッ!!」


 格好良く去ろうとして、向けられる声援にズッコケる。苛立ち混じりに叫ぶ少女は今一格好付かないまま、決勝戦への切符を手に入れたのだった。






 そして本選二日目、その戦いは幕を開ける。西の誰もが注目しているであろう、最上位の冒険者二人の激突。


「いよいよ、訪れましたッ! 準決勝第二試合。これより鎬を削る彼らの名を、知らぬ者など此処にはいないことでしょう!」


 先に姿を現したのは、目も冴える程に美麗な女。派手な軍服で男装した麗人は、無数の花弁を伴い舞台へ上る。

 次いで対面より現れたのは、身の丈三メートルを超える武骨な男。鋼の如き筋肉の鎧には、先に見せた無様の痕など何もない。


「故に、故に故に故に故にッ! 如何なる語りも今は無粋! 司会が告げるべきは唯一つ。開幕の合図となる鐘の音のみ。そうであればこそ、これより舞台の幕を開くと致しましょうッ!!」


 片や薄い笑みを浮かべて、片や口元を厳しく閉ざし、両雄は此処に相対する。

 纏う気迫だけでも空気が歪むのではないかと、錯覚させる程の闘気。両者は共に待っている。戦いのゴングが鳴るその時を。


 観客席にて見守るセシリオとキャロが息を飲む。控室で待機しているエレノアも、映像端末越しにその瞳を鋭くする。誰もが注目するが故に生まれた静けさの中、その音は確かに響いた。


「それでは――――準決勝第二試合、ファイッッ!!」


 そして、戦いが始まる。先ず真っ先に動いたのは、雄叫びを上げる巨漢であった。


「オォォォォォォォォッッ!!」


 至近で見れば山と錯覚する程の巨体が、暴れ馬の如くに迫る。伸ばすその剛腕は、男装の女の胴より大きく強靭だ。

 掴まれ、握られれば潰される。予感や予測ではなく、確信を以ってそう自覚する。そうであればこそ、女の解は即ち一つ。


「アシェンプテルの靴を求めて、王子は策を此処に弄する」


 掴まれれば握り潰されると言うのなら、先ず以って掴まれない様に動けば良い。故に女の初手は妨害。足元を崩すことから始まる。

 男の突進に僅か半秒、遅れて発動する魔法。初速こそ跳び出すだけの男に劣るが、使い手の技巧は決して劣らず。そうであればこそ、先を予測して魔法は展開されている。


「猪口才なァァァァァッッ!!」


 男の足が縫い留められる。刃物を突き刺す様な鋭い痛みに、エドムンドは歯を食い縛る。そうして、彼は其処から一歩を更に踏み出した。

 確かに動きは止められた。されどそれも一瞬だ。動かないと言う強制など、闘気を練り上げ跳ね飛ばす。突き刺す様な激痛など、耐えて前に進めば良い。


 そんなそれは力技。如何なる策も、如何なる術も、単純にして強大に過ぎる暴力を前にすれば押し負けるのが世の必定だ。


「圧倒的な力はぁぁぁぁッ! あらゆる小細工を打ち破るッッ!!」


 迫る姿は暴風雨。或いは闘牛のスタンピート。瞬きの間も必要なく攻め込む男は既に、後先などを考えてはいない。

 初手から全力。命を燃やす程に生命力を消費して、闘気を限界にまで練り上げる。先の無様をもう二度と、見せはしないと誓う様に。


 襲い来る剛腕を前にして、セニシエンタは歩を刻む。まるで踊る様な足取りで、彼女は不敵に微笑み告げた。


「確かに、君の言う通り。策とは僅かな優劣を動かす為の物。そも並べぬ程の力があれば、小細工などに意味はない。――けれど果たして、今の君にそれ程の力があるのかな?」


「ぬぅぅぅぅっ!?」


 男の剛腕を、女の細い指が止める。白魚の様な指先には、三重に回る精霊の陣。重ねられた強化の力が、男と女を拮抗させる。


 確かに圧倒的な力があれば、それだけで押し潰すと言う真似も出来るであろう。だがしかし、今のエドムンドにはそれ程の力がない。例え、その命を燃やし尽くそうとも。

 一瞬であれ、男は足を止められたのだ。そしてその瞬きにも足りない時間であっても、セニシエンタならば中級域の精霊術を三度は使える。それだけあれば、拮抗してしまうのだ。


「己の拳一つで、単純な力で、ああ確かに憧れる気も分からなくはない。だがしかし、その生き方には潰しが効かない」


 そして拮抗したならば、次に訪れる結果は明白だ。近付いて殴ることしか能がない男に対し、女は何でも出来るのだから。

 指の関節部に浮かんでいた精霊の輝きが、秒の単位でその数を増やしていく。拳。肘。肩。腕一本を輝きが満たして、女はその拳で男の剛腕を押し返した。


「衰え切った今の君では、僕には決して勝てないよ」


「――っ」


 涼しい笑みを浮かべて、腰の刃を抜くセニシエンタ。そんな女の姿を前に、エドムンドはどれ程の屈辱を感じていることか。

 力しか能がない男が、その力で負けたのだ。其処に悔しさを感じぬ様な、諦めた男ならばこうはなっていなかった。悟れぬからこそ、エドムンドはこうなのだ。


 力押しで殴り飛ばされて、地面に手を付き鬼相を浮かべる。そんなエドムンドへ向けて、セニシエンタは懐より取り出した花弁を散らせながらに紡ぐ。


「魔法使いと妖精の鳩。ハシバミに止まった白き小鳥よ。舞踏会への道を開け」


 言葉を紡ぐ度、白い花弁が形を変える。まるで魔法使いが南瓜を馬車に変える様に、無数の花弁は白き鳥の群れへと変わった。

 そして、鳥の群れが駆け抜ける。羽毛の海に飲まれたエドムンドは、僅かにその目を閉じて開く。その一瞬で、世界は色を変えていた。


「今宵、神秘と共に幕開ける。これぞ即ち、シンデレラ・ストーリー!」


 羽搏く翼が、世界を斬った。比喩ではなく、現実に。失われた世界を補う様に、現れたのは見知らぬ異界。

 煌びやかなシャンデリアの下、顔のない演者たちが踊っている。此処はシンデレラの為にある舞踏会。故に彼女と王子以外は、須らくが舞台装置。


 頭部のないマネキンが、煌びやかな衣装を着込んで。一斉に見詰める先には、エドムンドと言う姫でも王子でもない者。

 この舞踏会は姫の為、なれば顔を持つことが許されるのは王子と姫のみ。許されぬ者の首を切り落とす為、踊る人形達が襲い掛かる。


 迫る顔無の群れは、並大抵の冒険者よりも遥かに強い。拳で砕き打ち破ろうとも、この世界がある限り何度でも蘇る。

 その数も、百や二百では済まないだろう。持久力を失くしたエドムンドに対し、これは正しく天敵だ。異界の主を止めれぬ限り、彼は此処で倒れるだろう。


「う、オォォォォォォォォッッ!!」


 そうと分かれば、無数の人形は唯の障害だ。その全てを無視して駆け抜けて、セニシエンタを打ち砕く。それ以外に、勝機はない。

 なればこそ全力で、傷付きながらも駆け抜ける。無数の刃が深く身体に突き刺さり、それでも届かせてみせようと。男は雄叫びと共に辿り着く。


「……抜けて来た、か。つくづく思うよ、惜しいとね」


 舞踏会の中心へと、辿り着いた男の姿に口惜しいと言葉を零す。これ程に衰えた姿であっても、拳を届かせようとしているエドムンド。

 もしも彼が全盛期であったのならば、その一撃を確かに当ててみせたであろう。そしてそれを起点として、逆転の流れを生み出して見せた筈だ。


 この今でも、此処まで来たのだ。ならば今以上だった過去ならば、これ以上であったと考えるのは至極当然。だからこそ惜しいと、語るセニシエンタの刃が銀の光と変わった。


「――っっっ!? オォォォォォォォォッッ!!」


「出来れば全盛期の君と、雌雄を比べてみたかった。最早叶わぬ願いとしても、そう思わずにはいられないな」


 セニシエンタは一つ呼吸をする間で、四つの斬撃を放っていた。四肢を浅く切り裂かれて、エドムンドの動きは僅かに鈍る。

 神経系を的確に、狙って裂いたその技巧。動きが鈍った彼の身体に、不滅の人形が集いて縋る。その身を呪詛の如く、エドムンドは囚われた。


 無数の刃が身体を突き刺す。鋼の如き筋肉を、鋭い細剣の群れが貫き掲げる。まるで主へ供物を捧げる様に、セニシエンタは鋭い瞳で見詰めて伝える。


「だが、だからこそ、だ。……君が潰される前に、その闘士生命を終わらせよう。案ずることはない。ギルドは決して、君を切り捨てない」


 エドムンドは既に限界だ。彼の闘士としての生命は、もう何時終わってもおかしくはない。そんな状況で執政官僚と敵対すれば、碌な末路が待ってはいないだろう。

 だからこそ、冒険者ギルドはセニシエンタに依頼を出した。エドムンドが人として終わる前に、戦士としての彼を終わらせること。せめて相応しい舞台で、それがギルドの意志である。


 ゲレーリオ政府の依頼より前に、セニシエンタはギルドからエドムンドを倒す様に言われて此処に来たのだ。

 A級冒険者と言う希少な人材を、今後も役に立てて行く為に。次の舞台へと彼を導くことこそ、冒険者の頂点としての彼女が為すべきこと。


「次の席は用意してある。未来ある若者に、磨いた技術を伝える場所だ。……ここでの地位を失っても、まだ君の居場所はあるんだ」


 戦士として終わった男には、後進を育成する為の場を。冒険者ギルドは、功労者を無下に扱いなどしない。ギルドの職員として、其処に席を用意している。

 だから、此処で負ける方が男にとっては幸福だ。例え勝利したとしても、もう後が続かないのだから。勝利の先には破滅があり、敗北の先には未来があった。


「だから、もう此処で終わると良い。いいや、この僕が君の闘士生命に幕を下ろそうッ!」


 同格のセニシエンタに負けると言う形で、終われるのだから名声は霞まずに済むだろう。そしてこれ以上の終わり方を、冒険者ギルドでは用意が出来ない。

 故にこそ、此処で加える手心は、逆に彼への侮辱に繋がる。ならばこれにて、エドムンドの戦いは終わりだ。その闘士人生に、此処で幕を引いて終わらせよう。


「ぐ、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」


「今宵零時の鐘が鳴るまで、主役は一人連れ子の娘。南瓜の馬車に鼠の馬を。継ぎ接ぎの服は純白のドレスへ、ガラスの靴で駆け出そう!」


 百舌鳥の早贄が如くに、吊るされていた男は闘気を絞り尽くす。己を突き刺す剣を砕いて、自由を取り戻すが既に遅い。

 人形兵はあくまで布石。全ては本命へと繋げる為に。ならば世界は切り替わる。絢爛豪華な城内から、無数の花が咲き誇る城外へと。


 何時しか、純白のドレスに身を包んでいるセニシエンタ。迸る力の圧は既にして、先までの比にすらならない。


「シンデレラ・ドレスアップ!! ……終わりだ。闘争領主(バトルロード)、エドムンドッ! せめて美しく散るが良いッッ!!」


 決戦術式。己が力を最大限に強化して、花びらと共にセニシエンタは駆ける。拘束から解放されたばかりのエドムンドは、その速力に対応できない。

 鋭い銀の刃は、確実に老いた領主を仕留めるだろう。それだけの威は確かにあるから、故に戦いはこれにて終わりだ。エドムンドの敗北と言う、順当に過ぎる結末に。


 ああ、そうだとも。本来ならば、そうなるのが必然だ。だがそれならば何故、銀の刃は通らないのか。

 傀儡の刃でも、先までは通じていた。そして今の一撃は、先までの比ではない。だと言うのに、銀の刃が止められている。鋼の如き、男の腕で。


「……呪術師め、肝が冷えたぞ。効果が出るまで、時間が掛かる、とはな。」


「――っ、その、目は!? 其処まで落ちたか、エドムンドッ!!」


 醜悪な顔立ちの男。その開いた両の瞳の色が、魔性を意味する黄金へと変わっている。唯でさえ膨大だった筋肉が、更に一回り以上膨れ上がる。

 銀の刃は通らない。細剣は薄皮一枚切り裂くことが出来ずに、男の外皮で止められている。エドムンドと言う男の現状は、明らかに分かる程異常であった。


 この戦いが始まるより前に、エドムンドは既に飲み干していた。彼は何としてでも勝つと、そう心に決めていたのだ。

 呪術師アマラが与えた秘薬。淀んだ黒き瘴気が齎したのは、老い衰えた身体の強化。そんな物では済まない程に、男の中身が変貌していく。


 亜人にしか効果がないこの薬は、その血に流れる魔性を強化するのである。詰まりこれは、人を魔物に変える薬だ。


「だが、これで漸くだ。……喜べ、セニシエンタ。これがお前の望んだ、嘗ての俺の全力だッッ!!」


 故にこそ、エドムンドは老いを無視出来る程の力を得た。正しく全盛期であった頃に等しい程に、その身体は活性化されている。

 雄叫びと共に、男はその拳を振るう。伴う風圧だけでも、先の突進並みに凶悪だ。竜巻に吹き飛ばされる塵芥の如く、女の身体は宙を舞う。


 それでも、流石は冒険者の頂点と言うべきか。受ける被害の九割以上を受け流し、その勢いに乗って距離を取る。流麗に着地した後に、セニシエンタは己の武器を見詰めて思考した。

 エレノアに愛用の剣を砕かれて、代替として求めた今の剣。安物と言う程ではないが、先の品より大きく劣る。そんな刃では今のエドムンドに届かないことは、先の一手で確かに分かった。


 決戦術式で強化した状態で、相手にもならないのだ。愛用の剣ならばとも思うが、無い物強請りに意味はない。ならば接近戦は無駄であると、切り替え打つ手を変える他に術はない。


「王子は姫を追い掛ける。ガラスの靴を、その手にして」


「……無駄だッ!」


 暴風に流されるまま、その流れを利用して距離を取り続ける。踊る様な動きと共に、行動強制の呪詛をばら撒くセニシエンタ。

 対してエドムンドは、唯只管に前進するだけ。小細工などに意味はないと、その姿で確かに示す。無数の呪詛をその身に受けて、暴風は強引に突破するのだ。


 上位世界からの干渉を、膨大な抵抗力で打ち破る。一歩たりとも止まらずに、嵐の如く駆け抜ける。迫る巨漢の怪物は、最早人の域にはいない。


「――っ。手にした靴は誰が物か、問い掛けに答える愚かな者。爪と踵を切り裂いて、これぞ私の靴なるぞ。其の偽称に返るは瞳を失う罰である」


「……だから、無駄だッ!」


 如何にか詠唱の隙を作って、セニシエンタは呪詛の位階を高める。だがそれでも、エドムンドの抵抗力を貫けない。


 この時点で最早詰みだ。愛用の剣で無ければその身は傷付けられず、それ以外の呪詛は通じないのだ。得意な手札の二つが封じられている。

 そして、今のエドムンドは早い。この戦場は狭いのだ。精霊術を詠唱しようにも、それ程の時間が稼げない。咒を紡いで、精霊を集めて、そうこうしている内に終わりだ。


 ゾクゾクとする背筋の悪寒。極限の状況下で浮かぶ笑み。女の底は暴かれ掛けて、既にセニシエンタの顔に余裕はない。

 たらればと可能性を語れば、違う結果もあっただろう。もしも条件が違ったならば、異なる展開があった筈だ。それでも、此処にある結末は唯の一つ。


「言っただろうッ! 圧倒的な力は、あらゆる策を打ち破るッ!!」


「が――っ」


 如何に優れた身の動きが可能であれ、そも逃げる場所がなければ攻撃を躱し続けることなど不可能だ。

 この闘技場と言う舞台は、闘争領主の独壇場。最盛期の力を取り戻したエドムンドから、逃げ続けることが出来る者など先ずいない。


 エドムンドの巨大な指が、セニシエンタの胴を掴んだ。その細い体を握り潰す様に、口から血を吐く女を前に男は嗤う。

 そうとも、己は強い。これこそが、闘技場最強の男。小さき子ども達に見せたかった、誰より強大な己の背中。それを齎す確かな栄光。それが今、この手の中にある。


「此処で、終われッ! セニシエンタァァァァァッッ!!」


 握り潰す様に掴んだ女を、大地に向かって叩き付ける様に投げる。まるでボールの様に跳ね返ってきた女の足を、掴み直して逆方向へと。

 反発で浮き上がる力を利用して、そのまま流れる様に大地に叩き付ける。今度はその手を離さずに、片足を掴んだまま右へ左へ。何度も何度も叩き付ける。


 冒険者の頂点に立つこの女を倒せたならば、きっと己の栄光は保たれる。いいや嘗てのそれよりも、上を目指すことだって叶う筈だ。

 そう信じる様に、そう成りたいと願う様に、エドムンドは只管に繰り返す。その姿は暴虐に狂った獣の如く、美麗な女は野人を前に何も出来ず――否。


「ま、だだァァァァァッッ!!」


「――ッ!? オォォォォォォォォッッ!!」


 黒き炎が燃え上がる。それは先の試合で敗れた青年が見せた物と、全く同じ構成をした刻印魔法。

 声も出せない状況で、咄嗟に思い浮かんだのがそれだった。叩き付けられる中で、女は闘技場の舞台に式を刻んでいた。


 男に振り回される中、先の潰れた細剣で、舞台に傷を付けていく。相手の動きと、己の身体の位置や影響すらも予測する。

 闘技場に刻んだ傷と、隠し持っていた符術用の魔道具。それをばら撒きながら、気付かれぬ様に魔方式を成立させる。刻印魔法が形を成す様に、咄嗟に策を組み立てる。

 それがどれ程の絶技であるか。英雄と呼ばれる者であっても、そう簡単には出来ないことだろう。激痛の中でそれを平然と成すセニシエンタは、確かに別格の冒険者であった。


 当然、彼女が生み出した黒炎は先の試合の比ではない。天すら焦がさんと言う程に、大樹よりも巨大な業火が燃え上がる。

 これ程の業火。闘争領主とて無事では済まない。黒き炎に燃やされて、多大な被害を受けるであろう。それを切っ掛けに、仕切り直しに持ち込めた筈だ。


 本当に、闘争領主エドムンドが、唯全盛期に戻っていただけだったのならば――――だが、今の彼はそうではない。全盛期に等しい力を持った、魔物に変わっていたのである。


「奪、わせ、ない」


 確かに男の身体を、燃やし尽くした黒き炎。だがしかし、その本質は瘴気である。故にこそ、あらゆる魔法は瘴気を伴う。

 そして魔物は、瘴気を己の力に変えてしまう。特に魔法を受けても消滅しない程に強大な魔物ならば、その魔法が伴う瘴気を喰らって回復してしまう。


 それこそが、魔物に魔法が通用しにくい理由。単純な抵抗力だけではなく、即死でない限りは与えた傷の大半を、術者の使った魔力の利用で再生されてしまうのだ。

 故に軽減されてしまうと、それが魔法と魔物の関係。そして今のセニシエンタに、エドムンドを殺す気などはなかった。故に即死には決して至らぬから、魔物と化した男は女の魔力を喰らって再生する。


 人から外れていく程に、彼を人たらしめる要素が消えていく。セニシエンタが放った決死の魔法が、最後の引き金を引いてしまった。


 黒い炎が消え去った後、炎の様に熱い息を吐くエドムンド。その身体が先よりも一回り大きく見えるのは、決して錯覚などではない。

 セニシエンタは無茶な術式を成立させる為に、己の全力に等しい大量の魔力を流していた。西で最強の冒険者の全魔力を、エドムンドが喰らったのだ。


 故にこそ、彼の魔物化が進む。最早取返しが付かない程に、エドムンドが外れていく。炎が消え去ったその後で、其処に立つのは人型をした異形。

 黒く焦げた外見には、然したる変化が見られない。だがその中身は既に違う。耐え抜く所かより強く、強化されたエドムンドはその拳を強く握り締める。


 足が千切れそうになる程の激痛に、女の表情が歪んだ。肉が押し潰されて、骨が罅割れて、それでも顔を歪めるだけで耐えるのは流石と言うべきか。

 だがやはり、苦痛までは隠せない。苦しいという悪感情に気は染まり、それを喰らった男は笑みを深くする。そうして彼は、先よりも強大な力で、先と同じ行動を繰り返す。


「奪わせなイッ! 奪わセないッ! 奪わせナいッ! 奪ワせなイッ! 誰ニモ、俺ノ栄光ヲォォォォォォッッ!!」


 前後左右縦横無尽に、女の身体を打ち付ける。今度は小細工すらも出来ぬ程、苛烈で強烈な打撃の連続。全身の骨が罅割れて、砕かれてしまうと言う程に。

 夥しい血に塗れるセニシエンタを、大きく叩き付けてその手を離す。それで最後と、終わる訳がない。男の妄執は歪み切り、執拗なまでに勝利を求める。故にこそ、これが止めと。動かぬ女の身体に向かって、握った拳を叩き付けた。


 そして、舞台が沈み込む。宛ら、隕石の衝突か。そう見紛う程に巨大な穴が其処に生まれて、最早動かぬ風雅美麗。

 辛うじて息が残る程度の姿を晒した女を見下ろし、騒然としている観客席を見上げて、エドムンドと呼ばれた男はその腕を大きく突き上げた。


「俺コSoが――チャンピオンなのダァァァァァッッ!!」


 天さえも貫いてみせるのだと、言わんばかりの姿。雄々しく吠える人型の怪物は、驚愕に戸惑っている司会席を見上げて思う。

 何故に勝利宣言がないのか。鈍化しつつある思考が辿り着いた答えは、まだ足りぬのかもしれないというモノ。故に絶対の勝利を、首を晒すことで分からせよう。


 腕を下ろして、クレーターの中央へと。その死に瀕した残骸へと手を伸ばして――


「か、カウント……いえ、これは――ッ!? そ、其処までッッッ!! 勝者、闘争領主(バトルロード)エドムンドォォォォッッ!!」


 その手が首を捩じ切る前に、司会の女が慌てて宣言する。カウントを行っていたら間に合わないと、それは確かに最良の判断であった。

 このままいけば、死人が一人出ていただろう。此処こそが分水嶺。そうであるが故に、乗り越えた以上は此処で終わりだ。準決勝の勝者は、闘争領主(バトルロード)エドムンド。


『オ、ォォォォォォォォッッ!!』


 司会の勝利宣言に、凍っていた場が動き出す。観客席ではエドムンドへ向けた野太い声援が上がり、担架で運ばれるセニシエンタの姿に彼女の熱心なファン達は揃って卒倒した。

 そんな周囲の反応を、彼は冷たい黄金の瞳で見詰めている。正しい判断が難しい程に鈍化した思考のまま、思うは唯一つのこと。こんなどうでも良い声援ではなく、唯一無二の価値あるもの。


(嗚呼、見てイたか。子ども達ヨ。これガ、俺の。俺は、Maけなカッタぞ……)


 さて、男は果たして、何がしたかったのであろう。最早己でも分からぬ程に、彼は己へと声援を向けているであろう子どもを探す。

 しかし黄金に染まった瞳は、或いは欠陥品であったのか。この耳は音を拾えぬ程に、変わってしまったのであろうか。其処に居る筈の姿が、声が、分からない。


「……何だよ、あれ」


「せ、セシリオ。あそこに居るのは、誰、ですか?」


「分かんねぇ。おっちゃんの筈なのに、そうは思えない。何だよ、本当に何なんだよ。訳分かんねぇッ!?」


 子ども達は怯えている。震える程に、その異常に気付いている。不器用だが優しかった男が、もう何処にも居ないのではないかと。

 セシリオとキャロが恐れる姿を、エドムンドは認識出来ていない。両手を広げて己は此処に居るぞと、示す男は既に何も見えてはいなかったのだ。


『エドムンドッ! エドムンドッ! エドムンドッ! エドムンドッ!!』


(此処が、俺の居場所。此処が、俺の城。これこそが、俺の求めた――)


 見えていないのは、彼だけではないのかも知れない。明らかに異常と化した男を、称える声援の主達もまた現実から目を逸らしている。

 よく見れば気付ける筈なのに。よく考えれば分かる筈なのに。分かろうともしないまま、自分達なりに都合良く解釈して、男の名を称えるのだ。


 そんな空虚な声援の中、守ったのは虚ろな栄光。もう負けないとその為に、何を為してでも。けれど其処までして欲しかったのは、こんなものであったのだろうか。


「嗚呼、ダガ、何故だロうな。……子どもの声が(あの栄光が)聴こえナイ(どこにもない)


 既に何も分からない。そんな男は探し続ける。求めた筈の栄光を。それが何処にあるのか見えなくなっても、エドムンドは探し続けている。






 因みに、全盛期エドムンドと本気セニシエンタが同条件で戦闘した場合、本気セニシエンタが普通に勝ちます。


 十回戦って、勝率十割。闘技場に限り、勝率4対6か3対7くらい。それでもセニシエンタが有利。

 それ程に両者の実力には差があるのですが、色々な要因が絡み合った結果、今回はセニシエンタの敗北に終わりました。



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