その7
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馬車が左右に一台ずつ、通れる程に広く大きな路地の端。左右にずらりと並んだ家屋は、その軒先で様々な品を扱う商店だ。
潮風が海の香りを運ぶこの町は、臨海都市リントシダー。西方が玄関口の一つでもある為に、人も物も多くが集う場所である。
だがこの町を語る時、最も注目されるのは海運都市としての一面ではない。単純な輸入と輸送の量を見れば、この町は西方でも第四位と言う微妙な位置にある。
大陸との位置関係を思えば、決して悪い場所ではない。だが、海運を主と出来ない理由がある。それはこのリントシダーに隣接する海の底に、巨大な遺跡が存在するから。その遺跡が海流を乱し、大船団が波止場に着けないのだ。
底に何があるかも分からず、流通の便を阻害するだけの遺跡。邪魔にしかならない物なのだから、普通はこんな場所に町を作ろうとは思わない。
だが、この巨大な遺跡からはそれなり以上の価値を持つ物が発見された。となれば、商魂逞しい西方民のことだ。ギルドを誘致し、遺跡の開拓を進める。同時に冒険者相手の商店を集めて、商業を活性化させた。
故に此処、リントシダーは迷宮都市とも呼ばれる場所。果てに得るであろう栄光を求めた、冒険者たちの為に作られた巨大な町なのだ。
そうであるが為に、冒険者には幾つもの優遇措置が取られている。例えば冒険者カードを持つだけで、格安の賃貸物件を借りることが出来るのもその一つであろう。
白い髪の少年と、猫の耳と尾を持つ少女。ヒビキとミュシャの二人もまた、その恩恵を受けている。宿の代金より遥かに低価格で、用意出来た拠点へと戻る二人の手には大きな荷物。
食品や消耗品なども、此処では安く仕入れられる。保存食の類や旅の準備に関する物は通常よりも割高になるが、長期に渡って持ち歩けない物やダンジョン攻略に必要な物資は相場の半分以下と言う金額だ。
それ程に安価で成り立つのかと言う疑問もあるだろうが、遺跡から冒険者達が持って帰る物が得られれば十分に元が取れる。
遺跡の魔物が必ず落とす虹の結晶。空いた片手でそれを手にするミュシャは、その魔物が持つとは思えない程に美しい輝きを見ながらぼやく。
「消耗品半額は嬉しいけどにゃぁ。これの価値を思うと、結構ぼったくり価格にゃよね。流石、西方」
「エストレジャ、だっけ? それ。……強い星の光を、感じる、けど何で、魔物が落とすの?」
日の光を浴びずとも輝くその彩りは、カレイドスコープを彷彿とさせる。まるでアレキサンドライトの様に、覗き込む方向を変えるだけで色が変わる。
其処にあるのは生命の輝き。人の悪意とは対を成す、星の息吹が結晶化した物。性質としては精霊石に近いがそれ以上に、これは純粋な生命力としての輝きが強い。
敢えて言うなら聖剣か。人の希望を集めて、星の輝きの下に鍛え上げられた聖なる剣。この石を大量に集めて剣の形に加工出来れば、その聖剣に限りなく近い模造品なら作れるだろう。
何となく思う。エレノアの祖である最初のロスは、この石を素材の一つとして使ったのではないかと。どうやって石と鉄を混ぜたのか、如何なる工程を辿ったのか、想像も出来ないがきっとそうなのだろうと思った。
だからこそ、これはおかしい。この聖石は魔物にとっては天敵だ。大量に集めて鍛え上げれば、魔王に届き得る程に。そんな素材を、木っ端の魔物が内包して生存出来る筈がない。
先ず確実にその身を織り成す瘴気を浄化されてしまう。強力な魔物でも弱体化するし、弱い魔物ならばそれだけで消滅する。それ程の聖石を、どうして遺跡の魔物が落とすと言うのか。
「正確に言えば、遺跡の魔物は魔物じゃないっぽいにゃよ。分かりやすく区別する為に、今後はダンジョンモンスターとでも呼ぶかにゃ」
「だんじょんもんすたー?」
「にゃふ。この海底遺跡にしか、いないタイプだからにゃー。倒したら血肉も残さず消滅して、小指の爪先程度から掌大まで様々なサイズのエストレジャを落とす。ダンジョンの外には出てこにゃいし、そもそも瘴気を纏ってにゃい。共通点は人を襲うことだけで、明らかに種類が違っているにゃ」
ダンジョンモンスターは魔物ではない。余りにも生態が違い過ぎることを、己が目で見て来たミュシャはそう結論付ける。
そうして少女は、何の脈絡もなく己が手を握り締めた。手にしていた虹の輝きは掌に零れ落ちて、ガラスの様な音を立てながらに砕け散った。
「あ、壊れた」
「ん。ちっこいエストレジャはあんま高値で売れにゃいし、これが正しい使い方にゃね」
砕いてから、数秒程。散らばっていった虹の破片が輝いて、ミュシャの身体に溶け込んでいく。そして起きた現象に、ヒビキはその目を丸くした。
「ミュシャ、強くなった?」
「ほんのちょっぴり、だけどにゃ。人の器に生命の力を注ぎ込み、本人の能力値を永続的に強化する。これが、海底遺跡のエストレジャにゃ」
少女から感じる気配が、ほんの少しだけ増していた。訓練もなしに起きた変化に驚くヒビキへ、ミュシャは軽く説明する。
精霊石よりも人の意志に近い質を持つこの宝石は、人間の魂に溶け込みやすい。この石は外部から魂を補強することで、人が持つ存在の格を引き上げるのだ。
「……これ、一杯集めれば、皆強くなれる?」
「うーみゅみゅ。正直、難しいだろうにゃー。エストレジャで強化出来るのは、本人が持つ器の限界点までにゃよ」
「?」
「分かりやすく言えば、強化は才能限界までってことにゃ。人間としての一流域までスペックは向上するだろうけど、既に才能が頭打ちしてる奴には意味がにゃい。ミュシャやせっしーやきゃろっちには意味あるだろうけど、エレノアには無意味だと思うにゃ」
エストレジャの恩恵は、人の存在の格を上げる。だが人の器には限界があり、それを超えた量の力を其処に注いでも溢れて零れてしまうだけ。
既に己の才能限界まで鍛え上げていて、後は神威法や魔物化などで器自体を強化しなければ強くなれない。そういう域にあるエレノアの様な冒険者には、全く無意味な代物だ。
ヒビキの場合は微妙であろう。抱える力は大きいが、人としての彼にはまだ成長の余地がある。またこの輝きは、エストレジャで作られた聖剣の強化にも繋がるかもしれない。
だが反面、魔王としての力が反発する。血が濃い亜人の場合、エストレジャを使って逆に弱ったという話もある。状況次第では試しても良いだろうが、今の危うい均衡状態では博打にしかならないだろう。
「けど、これは。当てが外れたかも知れないにゃー」
「どういうこと?」
「んーとにゃ。これはあくまで、ミュシャの予測にゃんだけど。リントシダーの海底遺跡って、いと高き人々が作り上げた鍛錬場じゃないかって思うのにゃ」
町中を共に歩きながら、ミュシャは己の予想を口にする。事前に調べて、一人で行ける所まで潜って、その結果に得た発想だ。
「ダンジョンモンスターが無限に湧き出て、エストレジャって言う誰しもを一流域までは至らせる宝石を落とす。ダンジョンの構造も、下に行けば行く程強くにゃる様に出来てるにゃ」
リントシダーの海底遺跡は、余りに整然とし過ぎている。奥に行けば敵が強くなるが、奥に行かなければ敵は強くならない。
徘徊するモンスターは生物を模してはいるが残骸を残さず、溶けて消えればエストレジャに変わる。敵の強さによって、落とすエストレジャの質も変わる。
トラップは多いが、意識してみれば規則性に気付ける物。侵入する度に形を変える階層ごとの謎解きは、その周囲を探れば幾つもヒントが見つかる物。
まるで攻略してみろと言わんばかりに、調整された難易度。順を追って進めばそれだけで、戦いの基礎が身に付く仕組み。穿って見ずとも明らかに、人を育てる為にある施設だ。
「んで、何度か潜ってみた感想にゃけど。敵の強さはフロアの適正レベルに到達している奴が、3・4人いれば討伐は安定する感じだったにゃ。ダンジョントラップも、油断を突く様な仕掛けや、頭を捻る謎解きが多かった。分かりやすく言えばにゃ、堅実に進めば必ず攻略出来る様に出来てるにゃよ」
「……けど、最下層まで行けた人、まだ居ないんだよね?」
「んー。それも、此処まで分かると怪しいにゃ。ミュシャはソロだと、三層が限界だったけどにゃ。エレノアと組めば、多分最後まで行ける。そういう実感はあったし、ウジャトの目も攻略は可能だと言ってるにゃ」
恐らく、気付いている者は少なくない。確証がないからか、口止めをされているのか、態々語る利がないのか。表沙汰になってはいなくとも、一部の者は知っているだろう。
突破した者も、決して零ではない筈だ。さほど多くはないだろう。才能や熱意だけで、突破出来る程に容易くはなかった。けれど決して零ではない。堅実に時間を掛ければ、誰でも何時かは踏破出来る様に作られている。
故に結論付けるのだ。この海底遺跡は過去に、踏破されたことがあると。故に彼女は判断したのだ。此処を最下層まで行ったとして、望んだ益は得られぬと。
「ギルドが、嘘、ついてるの?」
「エストレジャの安定供給が目的だろうにゃ。多分最下層まで着いた冒険者は、ギルドから直々に呼び出されて口止めされる。んで、実力と人格次第でB級かC級か。口止め料代わりに昇格するとか、そういう仕組みだろうにゃー」
「……何か、嫌な話、だね」
「明かさない方が都合が良い。底に大した物がないと分かれば、集まる人も減るから商業も停滞する。隠し通せば、優れた冒険者が増やせて、エストレジャの供給量も増える。多少の死者はお構いなしで、口止めに応じない者への処理も必要経費。より多くの利益をより効率良く。あんま好きじゃにゃいけど、西らしい話だとは思うにゃ」
如何に試練の場とは言え、現実ならば命が関わる。底にロマンなどはなく、過程で得る物が全てだと。それ以外に益がないと知られれば、この地を訪れる人は当然減るであろう。
それで何より困るのは、西の経済を回す者達だ。リントシダーに誘致した施設が縮小されていくのも問題だが、何より此処でしか取れないエストレジャの供給量を下げたくないのだろう。
エストレジャには、無数の使い道がある。例えば単純に武力の強化。消耗品と使うことで、私兵の質を上げることも出来る。または暗殺などの対策に、買い手自身が己の性能を上げると言う使い方も出来る。
心を繋げるという性質を持つ為、機械で補助すれば感応石の代わりとして通信機に。瘴気を浄化すると言う性質を活かせば、町の結界や魔力炉の暴走対策にも使用できる。用途はそれこそ無数に、幾らあっても足りないのだ。
だから情報を秘している。悪い言い方をすれば人を騙して、経済を回しているのがこの地の実態だ。
「けどそれより問題は、ミュシャ達にとって、此処を攻略するメリットが薄いってことにゃよ」
「……前例があるから、踏破しても、A級昇格の功績にならない?」
「全く無意味とは言わにゃいけどにゃ。ギルドの上層部に直接顔を繋げるし、ミュシャ達三人の戦力アップも出来る。けどA級昇格には関係にゃいし、B級複数人を守る為にじゃ企業との対立する利は薄いだろうからにゃー」
その実態を暴き出す意味はない。下手に手を加えれば、逆に被害は増すであろう。それを如何にかする程の余裕はなく、其処までして改善しようと言う熱意もない。
故に問題点は其処ではなく、この海底遺跡を攻略する意味はあるのかと言う一点。古代文明の鍛錬場であるから、実際効果は見込めるだろう。開いた実力差を埋めることは、決して無駄ではない。
攻略後の口止めに、ギルド本部へ招聘されると予測出来る。その時にノルテ・レーヴェ社の企みを、直接語る機会を得ることも出来る筈だ。
そういう意味では踏破して、利益がないということはない。けれどその時になっても信用性がないのなら、ギルドへの招聘は全く無駄だ。どころか賞金首が身内に居る以上、害悪にしかならないだろう。
「取り敢えず、暫くはエレノア待ちにゃ。アイツが戦果を引っ提げて来たら、ミュシャ達の底上げを少しした後でコメルシャデソルへと向かう。……あっちもダメそうにゃら、また一から考え直しにゃね」
「エレン。勝てると良いな」
やはり重要なのは、発言力を得ていること。エレノアが闘争都市で明確な戦果を得た後ならば、此処を攻略する意味もある筈だ。そうでなくば、他の場所へ向かった方が良い。
現状、あちらの反応待ち。事前の準備も終わっている。こちらで出来ることは、もう何もないのだ。だからこそミュシャは笑みを浮かべて、気持ちを切り替える為に話題を変えた。
「そんにゃ訳で、ミュシャは暇になりました。暫く、遊び歩くとしませんか?」
「……家で、御飯食べてから、ね。今日は、何が良い?」
ニッコリと笑う少女に、両手で抱えた紙袋の中身を見ながらヒビキは返す。
一度染みついた技術を、身体は忘れていなかった。彼の趣味には家庭料理と言う項目が、新たに一つ生まれていたのだ。
「お魚さんを所望しますにゃー。無論、大きな奴で」
「……煮物と、焼き物。どっちにしよう。調味料、良く分かんないの、多いから」
とは言え、世界が違えば色々な物が変わって来る。物理法則自体は変わらない並行世界であっても、取れる食材は微妙に違うし名前も変わる。
元の世界にあった調味料が見付からなくて、似たような物で代用することも屡々。万人が美味しいという程の実力を得るのは、一体何時になることか。
趣味ではあっても、特技ではない。それでも好きな異性が作る料理だ。嬉しくない筈がない。
鼻歌を歌いながら帰路を進むミュシャを追い掛けて、ヒビキはふと足を止めた。そうして彼は、遠くを見詰める。
「…………」
「ん? どうしたかにゃ?」
「大したことじゃ、ないよ。……あそこに、ルシオが居たから」
「にゃにゃにゃッ!? 大したことじゃにゃいかぁぁぁッッ!?」
視線を感じて、見詰め返して目があった。瞬間慌てた様に動き出す知り合いの姿に、小首を傾げながらにヒビキは呟く。
何でだろうで思考を止めているヒビキと違って、慌てるミュシャはキョロキョロと。貴種たる蒼を狙うノルテ・レーヴェ社の刺客が一人を、必死になって探し始めた。
「ど、何処にゃ!? 暫定で、アイツは敵にゃよ!! 一体何処に、いるにゃ!!」
「路地を七つくらい、川を二つ挟んで、もう少し先にある、大きな建物の、屋上? あ、見えなくなった」
大量の紙袋を片手で持ち上げ、残る片手で指を差す。ヒビキが指差した建物は、大都市であるリントシダーの外れに経った大きな集合住宅。
常人より優れた視力を持つ猫人でも、黒点にしか見えない程に遠く。其処からヒビキ達を監視していた黒き白貌は、気付かれたことに気付いた瞬間に姿を消していたのであった。
双眼鏡と、狙撃銃。用意していた物を己の影に収納しながら、隠蔽の術式を纏って集合住宅の壁面を駆け降りていく。
見付かった以上、カウンターを受ける危険を想定しなければならない。一刻も早く相手の意識外へ、隠れたルシオは荒い息を整えていた。
「――何、アイツ。何で、この距離で気付ける」
彼我の距離は、優に十キロ以上は離れていた。自身は寝そべる様な狙撃姿勢で、身動き一つ取ってはいなかった。魔力も精霊術も使わずに、監視していただけ。
門から流れて来た技術を解析して、魔導科学技術も合わせて作られた最新型の双眼鏡。その最大距離まで離れて、一先ず様子を伺っていた。この距離なら見付からないと、自信があった。
だと言うのに、当たり前の様に発見された。気付かれてないなら殺せるかもと、少し欲を出した瞬間だった。僅か殺意を抱いた直後、アレは確実に己を見ていた。
「不味いな。隙だらけなのに、隙が無い。俺が一番、苦手なタイプ。……あれで弱ってるって、何の冗談だよ」
ルシオが得意とする相手は、あくまでも同族である人間だ。彼は魔物の退治が苦手で、中でも魔王と言う存在は論外だった。
何をやろうと、自分では勝てないと自覚する。隙を突いて射撃を行い同行者を穴だらけにしようとしても、その直前には己がミンチとなっている。そんな未来が、余りにあっさり浮かんでくる。
あれでも弱っているというのだから、本当に強大な魔物と言うのは反則だ。嘗て大魔獣ジズを撃退したリオンに、尊敬以上にどうすればそんなことが出来るのかと言う呆れを抱いてしまう程。
そんな自分は、やはり格下殺しが精々なのだろう。そう結論付けたルシオは、腰に付けた通信機が点滅していることに気付く。同胞からの連絡だと理解すると、片手で取って対話に応じた。
〈はーい、ルシオ。調子はどう?〉
「今の所、予定通り。けど、アマラ。アイツ、ヤバいよ。本気でヤるの?」
〈……アマラちゃんも、その辺は同意なんだけどねぇ。リオンが今なら、悪竜王を潰せる可能性があるって言うんだもん〉
猟犬の両腕は、共に同じ意見に至る。悪竜王と言う存在は、どれ程に弱っていようと人が触れて良い怪物ではないのだと。
彼らの主が、それに気付いていない筈がない。彼の猟犬は他でもない、大魔獣を打倒した英雄だ。彼我の実力差を読めないと、そんな訳がないだろう。
それでも、リオンは悪竜王を狙うと決めた。貴種たる蒼を攫うだけなら何時でも出来るのに、態々ヒビキを潰すと彼は嗤って言ったのだ。
実力の差が分かって、それでも勝機を見付け出す。可能性があるならば、其処に全てを賭けてしまえる。それが英雄の資質と言う物なのだろうか。
英雄ではないルシオやアマラには、決して分からない思考だ。何故こんな無駄をと、西の民である彼らはそう思ってしまう。
「今、リオンは?」
〈そっちも予定通りよ。布石は打った。後は切っ掛けさえあれば〉
「……上手く行っても、五分五分だっけ? 準備に準備を重ねて、それでも最後は丁半賭け。何時も必勝の策を用意する、リオンらしくないね」
〈全力で賭けて負けて死ぬなら、それも良しって笑って言ってたから。何時ものリオンだと、アマラちゃんは思いまーす。巻き込まれる側としては、勘弁だけどねー〉
そうとも、依頼の達成を目指すのならば、今こそが最大の好機だ。悪竜王はリントシダーに、貴種たる蒼はゲレーリオに。此処で動けば、相手は直ぐに対処出来ない。
雷光の剣士エレノアでは、猟犬リオンには決して勝てない。アマラも向こうに居るのだから、さっさと攫って退けば良い。ヒビキが動くようならルシオを捨て駒に、それで儀式の時間は稼げるだろう。
効率で言うのならば、これ以上の策はない。それでも今直ぐに動かないのは、リオンがより大きな愉悦を望んでいるから。
悪竜王の無様な姿を。彼を叩き潰した後で、その掌中より奪い取る。圧倒的な力を持つ怪物を知略をもって踏み躙り、守れなかったなぁと嘲笑う。それこそが、リオンが望む完全勝利。
「違いない。巻き添えで死ぬのは勘弁だ。……けど、それでも、リオンが望んでる。なら、俺達は、やるしかない」
〈仕方がありませんよねぇ。リオンが望むなら私達は、自死すら良しとしなければならないんだもの。およよよ、使い捨てられるアマラちゃん。何て可哀そうなんだろう〉
共に異なる分野の天才であり、ある種の狂人でもある二人。そんなルシオとアマラでも、付いて行けないその領域。
けれどだからこそ、猟犬は英雄なのだろう。そんなリオンが望んでいる。ならば彼らに否はない。猟犬の両腕は、彼の人生を彩る為だけに生きているのだから。
「じゃぁ、今後も予定通り。標的とその周囲の監視を継続」
〈彼らが合流した後、悪竜王を潰す為――派手な花火を起こしましょう〉
『全ては唯、我らが愛するリオンの為に』
さあ下拵えを続けよう。敬愛する主が食卓に、素晴らしい料理を提供する為に。食材を集める途中で力尽きようと、主が嗤うならば本望である。
猟犬の両腕は、影となって蠢動する。巨大な花が咲き乱れる日も、そう遠い先の話ではない。もう間もなく猟犬の牙は、標的の身へと届くであろう。