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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第四幕 剣と子どもと闘技場のお話
135/257

中央にて 欠片の四

 聖女とは何か。それは人の願いである。


 聖女とは何か。それは人の祈りである。


 聖女とは何か。それは人の希望である。


 世に大災厄が訪れる時、聖教会の教主の下に神の啓示が下される。それと時同じくして、王国の何処かに特別な力を持つ“聖女”が生まれ落ちる。

 神の啓示に導かれた聖者が、生まれ落ちたばかりの赤子を育て上げる。物心を付く頃より、聖女は祈りを捧げ続ける。十年と言う時を経て、聖女はその力を高めていく。


 祈り。それは聖教において、そして神聖術においても、最も重要だとされる儀式。神への感謝だけを胸に、他の一切の思考を無にし、何を求めるのでもなく唯純粋に祈り続けると言う行為。

 それが齎すのは、強大なる力。祈れば祈る程に、祈り手の力は増していく。とは言え、あくまでもそれは一時的な効果だ。何らかの神術を使えばリセットされるし、そうでなくとも日々の生活の中で少しずつ落ちていく。


 故に聖女が祈りを捧げる十年とは、文字通り祈りだけを行う時間だ。その間、聖女は食事も排泄も睡眠も、その一切が許されない。

 世話役と呼ばれる者達が、新陳代謝を不要とする神術をその身に掛ける。そしてそれが維持されている間に、聖女は祈り続ける。それしか、彼女には許されない。

 生まれ落ちてより使命を与えられ、物心付くと同時に最低限の教育だけを受けて祈りに入る。そして祈りの果てに、世界を救う勇者を呼ぶ。それが、聖女と言う存在の全て。


 脅威が起きねば、聖女は生まれない。聖女が生まれる時、既に世界は存亡の危機にある。故に聖女アリアは、己の運命を嘆いたことはない。

 彼の人魔大戦時、誰もが必死であったのだ。それを他でもない、希望であった彼女が一番良く知っている。だから、何故に涙ながらに懇願する人々を恨めよう。


 そんな彼女にとって、あの日々は幸福だった。生まれ落ちてより塔に幽閉され、祈ることしか知らないその身。その小さな手を引く、勇者との旅路は。


 奇想天外な発想をして、何時も少女を驚かせてくれた少年。勇者の行動に何時も怒っていた、それで居て彼に頼らねばならない弱さを気にしていた生真面目な騎士。疲れた様に笑うけど、とても優しかった老人。

 彼らと共に、見たこともない物を見た。聞いたこともない場所を旅して、想像したこともない出来事の数々と向き合った。毎日が驚きの連続で、楽しいことも悲しいことも一杯で、張り裂けそうな日々。それでも、幸福だった日々を想う。


 あの過去があるから、残る生涯を塔の中で過ごすと知っても否はなかった。だってもう、十分に幸福だ。これ以上を求めるなんて、余りに強欲が過ぎるであろう。

 心の底からそう想い、彼女は塔の中で祈りを続ける。魔王は滅ぼせない。だから何時かまた、勇者の力が必要となる。その時まで、聖女アリアは祈りを捧げ続けていた。


 だから、だろう。二十年と言う時を経て、塔の中より解放されたその少女。神術によって当時の容姿のまま、ゆっくりと歩くその身から迸る力は余りにも強大であった。

 その小さな身体が纏う神々しさを前にして、信者たちが次々と平伏していく。神の忠実なる信徒であり聖教が誇る筆頭異端審問官でもあるオスカー・ロードナイトは、余りにも素晴らしい光景を前に滂沱の涙を流していた。


「おぉ、おぉ、何と神々しい波動か。また、信心に磨きを掛けましたな。アリア様」


「オスカーさん、ですか? 御年を召された様で。……あれから、何年が過ぎ去ったのでしょうか?」


「二十年であります。これ程にも長き時を経たと言うのに、この世の穢れを晴らせていない我が身の未熟。尊き御方の姿を前にぃ、情けなさがあまりこの腹を捌きたくなる程であります」


「? オスカーさんは、何時も大袈裟ですね。ですが、お腹を切っては駄目ですよ。オスカーさんが痛い痛いって泣くと思うと私、悲しくなっちゃいます」


「おぉ、おぉ、無能である我が身に、何と言う寛大なお言葉。脆弱な我が身でありますがぁぁぁ、粉骨砕身一心不乱にぃぃぃ、我が神と貴女の為にこの信心を捧げましょうぞぉぉぉぉッッ!!」


 六十は確実に超えているだろうか。良い歳をした大柄の男が感動を喚き散らす姿を前に、白の少女は首を傾げながら良く分かっていない言葉を返す。

 会話が真面に成り立っているかも微妙だが、この点はどちらにも問題があるだろう。主観では十年も生きていない箱入りな天然娘と、宗教に狂った信心深い男の会話だ。成り立つ方が、異常と言う物。


 良く分からないと言う事が分かった。そう結論付けたアリアはふと、空を見上げて首を傾げる。天にあるのは太陽で、星を詠む迄もなく己が解放されるべき時とは思えない。

 信仰力は、祈りを絶やせば落ちていく物。勇者召喚の為に高めた力を最大限に活かすなら、二つの月が重なる夜でなければならない。なのにどうして、昼なのか。首を傾げて頭を捻るが、結局分からなかったので彼女は素直に問い掛けた。


「オスカーさん。どうして、夜じゃないんですか? 私は、勇者を召喚するんですよね?」


「……申し訳ございません。勇者召喚は今宵に。ですがその前に、図々しくも御身との謁見を希望された愚か者がおります。ダリウスめの屑も、ヨアヒムの汚物も、政治と言う些事如きで聖女様の祈りを妨害されるとはぁぁぁぁぁぁッ!!」


「め、ですよ。悪い言葉は、言っちゃいけません」


「でぇぇすぅぅぅがぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」


 問い掛けに対し、怒りを思い出したのか。声を荒げて罵倒を始めるオスカーをアリアが叱る。


 人差し指で額を叩きたいのだろう。必死に指を伸ばしてぷるぷると、身長差故に爪先立ちをしても届かないアリア。

 届かせる為に片膝を付き、態々額で受けてから抗弁を始めるオスカー。そんな何処か間が抜けた光景を前に、やって来た者達は呆れる様に口を開いた。


「あらら、取り込み中? おじさん、ちょいと早く着き過ぎたかねぇ」


「……別に、時間はあっているぞ。筆頭異端審問官殿の指示で、ギリギリまで引き延ばされただけだ」


「クゥゥリィィィフォォォォドォォォッ! ヨォォォアァァヒィィィィムゥゥゥッ! 一体誰だァァァァァッ! 誰がこの神聖なる場にィィィッ! この穢れどもを立ち入れたァァァァァァァァァァッッッ!!」


 訪れたのは、聖王国元三将軍が内二人。ざんばら髪に無精髭を生やしたクリフに、伸ばした黒髪に両の瞳を閉じた男ヨアヒム。

 彼らの声が聞こえた瞬間、オスカーは激昂する。何故なら此処は、聖教にとっても特別な場所。中央では最高峰の聖域である聖なる塔。入口の前とは言え、穢れが立ち入って良い場所ではないのだ。


「……穢れだってさ、言われてるよ。ヨアヒム」


「お前の名も呼ばれているぞ。一体何をした、クリフ」


「おっかしいなー。おじさん、そんなに嫌われることしたかなー?」


「背教者がぁ、どの口でぇ――っ!」


 時間になっても来ないから、無理を言って立ち入って来た二人。何処か惚けた様なそのやり取りに、オスカーは更に怒りを強くする。

 憎悪の目で睨み付ける様に、怒りを抱くのはヨアヒムだけではない。いいや彼に対する以上に、オスカー・ロードナイトはクリフォード・イングラムに怒っている。


「俺が最も許せないのはなぁぁぁ、無知故に祈る神を知らぬ異教徒ではないッ! 穢れに孕まされた穢れの子であり、涙と共に浄化すべき亜人でもないッ! 貴様の如くぅぅぅ、一度神を信じその恩恵を貪りながらぁぁぁ、神を裏切った背教者の存在だぁぁぁぁぁッッ!!」


 そうとも、クリフォード・イングラムとは許されざる背教者だ。一度は神の教えを信じておきながら、それを裏切った。如何なる理由があれ、許して良いことではない。

 自らの教え子がこうなったことに、オスカーは誰よりも深い嘆きと怒りと悲しみを抱いている。今直ぐにでもこの男を殺し、導けなかった罪で後を追いたくなる程に。オスカーは犬歯を剥き出しにして、その手に処刑の刃を握る。


 今にも飛び掛かって来そうなその形相。対する二人の英傑は、しかし動揺すらも見せてはいない。

 楽に対処できると考えている訳ではない。この男が本気で殺さないと思っている訳でもない。唯、信じているのだ。その横に居る、心優しき聖女の存在を。


「め、ですよ。オスカーさん」


「でぇぇすぅぅぅがぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」


「め、です」


「…………命拾いをしたなぁぁぁ、夜道には気を付けろよぉ。クリフォォォォド」


 余程怒りを抱いていたのか、一度の叱責では止まらなかった。それでも、聖女に向ける敬意は本物だったのだろう。

 彼女が爪先立ちした瞬間に、先んじて片膝を付いて額を差し出す。二度に渡る叱責を受けて、オスカー・ロードナイトはその怒りを抑えた。


「やれやれ。助かったよ、アリアちゃん。それと、久し振りね」


「はい。お久しぶりです、クリフさん。ヨアヒムさんも。……お二人とも、随分と御変わりになられた様で、いめちぇん、されました?」


「あれから、二十と時を重ねたのだ。誰もが変わるさ、良くも悪くもな」


 そうして、一歩退き控えたオスカー。その姿を横目に見ながら、クリフとヨアヒムは二十年振りになる再会を喜び合う。

 語りたい言葉は、それこそ山程に。特に共に旅をしたクリフとアリアは、一晩では語り尽くせぬ程の想いを抱いているであろう。


「それで、私も一杯、お話はしたいんですけど。……祈り以外の行動をすると、信仰力が落ちてしまうので。申し訳ないのですが、本題からお願いできますか?」


「うん。まぁ、おじさんもそう長く時間を取らせる気はないよ。ってか、長々と話してると筆頭異端審問官が切り掛かって来そうだしさ」


 それでも、そんな時間はない。勇者召喚を前にして、少しでも祈りを続けていたい。そうであるから、名残惜しく想いながらも先を促す。

 対するクリフは笑い話の様にオスカーを槍玉に上げながら、胸中で思考を纏める。彼女には全てを明かしたかったが、オスカーの存在がそれを遮る。


 彼が傍から離れることを、許容しなかったのだ。背教者と穢れを前に、聖女の身を晒す気かと。だから語るべき内容には細心の注意を払って、情報を制限する必要が出来た。

 聖女アリアに頼みの内容を伝えながらも、オスカー・ロードナイトに不審を抱かれない内容を。面倒なことだと内心で愚痴を呟きながら、決めていた内容を改めて頭に浮かべ口を開いた。


「単純に言うとさ、今回の勇者召喚。お願いしたいことがあるんだ」


「はぁ、お願いしたいこと、ですか?」


「うん。召喚時に、多少だったら能力とか指定できるでしょ。それで、人柄を指定して欲しいんだ。……心優しい、良い子が来て欲しい、ってさ」


「……? 勇者様なら、心優しいと思いますよ?」


「うん。まぁ、そうだけどさ。念の為に、だよ」


 クリフの願いに、アリアは小首を傾げる。勇者と呼ばれる人物ならば、須らくが素晴らしい人の筈だ。そう考えるアリアとクリフとでは、大前提がズレている。

 故に良く分からないと結論付けるアリアと違って、この場で最も顕著な反応を見せたのはオスカーであった。


「クゥゥリィィィフォォォォドォォォッッ! それは貴様ぁぁぁ、勇者様の人格をぉぉぉ、ひいては勇者様を選ぶ神の御心を疑うと言うかぁぁぁぁぁッッ!!」


「うわ、こいつめんどくさ」


「……声に出てるぞ、クリフ」


 聖女も審問官も、神を信じていると言う点では変わらない。その選択を疑うと言う発想が、彼らにはそも存在しない。

 だから首を傾げたアリアと違い、オスカーはそれを神への不敬と受け取った。神を信じられぬから、その神が選ぶ勇者も信じられないのだろうと。


 こうなるとは分かっていたが、実際目にすると面倒臭い。ざんばら髪を掻きながら、息を吐いたクリフは意識を切り替え説得を始めた。


「はぁ、……そうではないよ。ロードナイト卿。唯、私は不安になったのだ。……本当に今回の件は、勇者を召喚するに値する危機だと貴方は思うか?」


「真に悪竜王なる怪物が居るならばぁ、その排除は必要だぁぁぁ。敬虔なる子羊の為にも、不浄は全て我らが祓うが義務であるぅぅぅぅっっ!!」


「だとしても、それは我らに出来ないことと? 本当に、勇者に頼らねばならない窮地であると?」


「…………何が言いたいッ!」


「私はそうは思わない。もしそうだとしても、まだ其処まで追い詰められてはいない。私達は、何もしていないではないか」


「迂遠であるぞォォォッ! 何が言いたいのだと、聞いているゥゥゥゥッッ!?」


「勇者と聖女の教育役であった貴方なら、理解している筈であろう。あの日、嘗ての私達は成せることの全てを成した。幼い勇者に救いを背負わせることを嫌って、私だけでも成せると彼に挑み続けた聖騎士クリフには見えていなかった。……誰もが必死に戦って、それでもどうしようもなかったから、勇者召喚と言う神頼みに縋ったのだと!」


 それは説得の言葉であったが、クリフの本心でもあった。勇者召喚と言う儀式を政治の道具と使う、今の現状は彼にとっても不快であった。


 嘗ては違った筈だろう。どうしようもなかったから、涙を飲んで勇者に頼った。その情けなさを恥じて尚、そうするしかなかったのだ。

 なのに今は、追い詰められていないのに勇者を呼ぶ。西の獅子に踊らされ、権力争いを理由に、必要がないのに他の世界から人を引き摺り込む。それに何故、恥を覚えずに居られるのか。


「だが、翻して今はどうだ。悪竜王が脅威であるとして、私達は彼と全力で戦ったか? もう後がない程に追い詰められて、勇者に縋るしかない程なのか? いいや、否だ。なのに中央は、勇者召喚を断行した。貴方の言を借りるなら、政治と言う些事の為にだ。これをもし主が見ていたとしたら、どうなるかは貴方が一番良く分かるんじゃないか!?」


「……神罰を下されると、お前はそう言いたいのか。クリフォード」


「もしそうだとしたら、せめて優しい罰にして欲しい。……そんなおじさんの、不安から来る弱ささ。嗤って良いよ、オスカー先生」


「二度とその名で呼ぶな、背教者クリフ。今の貴様は、俺の教え子などではない」


 もしも神が居るならば、これは罰を下されるに足る行為であると思う。中央の政治はそれ程に、腐って淀んでしまっている。そう語り嘆くクリフ。

 その言葉が本心だと分かったから、少しだけオスカーは言葉を和らげた。それでも、その名を呼ぶことは許さない。堕ちた教え子に、己を師と呼ぶ資格はないのだから。


「けど、懐かしいですね。あの日の様に、キョウと、貴方と、私で。青空の下、オスカー先生の授業をまた受けたいです」


 そんなやり取りに、懐かしいとアリアが笑みを浮かべて語る。思い出すのは良く晴れた空の下、旅立つ前に行われたこの世界の常識を教える授業。

 振り返る過去の記憶の中で、良く怒られていたのは勇者であった。それにクリフは頭を抱えて、アリアはニコニコ笑みを浮かべる。オスカーは怒りの言葉を吐きながら、それでも口元だけは笑っていた。


 そんな懐かしい時間を、彼女にとっては数ヶ月程度前のことで、二人にとっては二十年前のことを皆が同じく思い浮かべる。だから、だろう。少しだけ、心もあの日に戻っていた。


「……ふん。貴様の不安は、信心の無さから来る物だ。神を信じられぬから、己が揺らぐのだ。心を入れ替え、懺悔すれば解決すること。だが、そんな時間もあるまい。お前の罪を償うには、数年の祈りでも足るまいからな。アリア様の御心次第だが、俺は良しとしてやろう」


「私も良いですよ。召喚される勇者様は、優しい方が良いに決まっています」


 背教者クリフォードと、聖女アリアと、筆頭異端審問官オスカー・ロードナイトではなく。唯のクリフと、唯のアリアと、唯のオスカーとして。

 嘗てを思い出した彼らは頷く。無駄な行為だと考えながらも、それで不安が拭えるならば良いだろうと。二人は頷き、クリフの望みを受諾したのだ。


「要件はそれだけだな。全く、アリア様に無駄な時間を取らせおって」


「ですが、私は嬉しかったです。短い時間でも、久し振りにお友達と、お話出来ましたから」


「アリア様の御心に感謝しておけよ、クリフ。……それと、戻って来たければ言え。横の穢れを斬り殺し、聖堂で祈りを捧げると言うのなら、償いにも付き合ってやる」


「だから、め、ですよ。人に向かって、悪い言葉を使っちゃいけません」


 オスカーが最後にそんな言葉を言ったのは、昔を思い出してしまったからだろう。気に入らない様に鼻を鳴らす彼を、アリアが叱る。

 爪先立ちした彼女の前に、片膝を付いて額を差し出す。そんなやり取りをしているオスカーは、これで終わりともうクリフに言葉を掛けない。


 何となく、分かっていたのだろう。クリフとオスカーは、互いに分かり合えないと。神の為に友を殺すなど、クリフには決して出来ないことであったから。

 だから顔を伏せて見送りもしないオスカーの姿に、アリアはもう一度だけ叱り付けて顔を上げる。無言で手を振り、クリフを見送る聖女。そんな彼女に笑みを返して、二人はその場を後にした。


「……存外、熱弁だったじゃないか、クリフ」


「ま、あの人の性格は分かってたからね。それに、口にしたのは本音だよ。……本当はヒビキ君のことも、ちゃんと伝えたかったんだけどなぁ」


 聖教の本殿から戻る途中、茶化す様にヨアヒムは笑う。そんな友に愚痴る様に、クリフは空を仰いで息を吐いた。

 本当はヒビキのことも相談したかったと、オスカーが居る限りは不可能な話であろう。彼は魔物の穢れを、決して受け入れはしないから。


「筆頭異端審問官殿が居る以上、不可能な話だろう。魔王の名を語る者を庇い立てすれば、どうなるかなど明白だ」


「其処まで堕ちたかぁぁぁ、クリフォォォォォド。って、あの人なら言いそうだ」


 声真似をして、少し寂しそうに笑う。そんな友の表情に、ヨアヒムも少しの無情を思う。彼らが相容れない理由の一つは、魔の血を引く者への扱いだ。

 亜人も人と変わらない。そう考えるクリフに対し、オスカーは違う。彼は亜人を哀れな生き物だと捉え、死ぬことこそが救いであると心の底から信じている。


 無論、その考え方の違いだけが理由ではないだろう。勇者キョウや聖女アリアも、クリフと同じ考えだった。人と変わらぬと、その思考の違いを受け入れる程度の余地はオスカーにもあった。

 だから仲違いの最たる理由は、クリフが神を信じられなくなったこと。友を失い、娘を直ぐには救えずに、それが切っ掛けで信仰心を失った。だからオスカーはそんなクリフを哀れに思っていて、自分の手で殺してやると考えているのだ。


 クリフが信仰心を失った事件に、ヨアヒムは深く関わっている。助けられた立場に居ながらも、助けに行かずに姫を選んだ。だから友は、己の師と決別したのではないか。

 もう一度やり直す機会を与えられても、魔の血を引く自分が友だから。それを受け入れることが出来ないのではないか。そう負い目に感じる想いは、無くそうと思って無くせる物でもなかった。


(君は私が口にすれば、気にするなと語るのだろうな。友よ)


 それでも、負い目は口に出さない。気にするなと語られて、返って気を遣われるだけだから。せめて、口には出さずに抱えていく。

 この身が病に倒れるまで、時間はもう余りないだろう。だからせめて、その日までは抱えて逝こう。友を苦しませることはなく、唯最期に嘆いてくれればそれで良いから。


(ならばせめて、私は誓おう。君には誠実であろうと。ロスの娘を見捨てた私は、彼の友とは名乗れず、君の友としても誇れる者には成れない。それでも、君との友情を裏切らない。そんな私には、成りたいのだ)


 そう胸に誓って、ヨアヒムはクリフと言葉を交わす。口にするのは、何でもない些細なこと。時間を潰す為の下らない話。

 とても大切な無駄話。そんな最期の輝かしい時間を過ごしながら、クリフとヨアヒムは夜の帳を待つ。今宵行われる勇者召喚、その場に立ち会うその為に。


 そんな時間は、これで最後。その死が訪れるその時まで、友と語らう時間は二度とない。そんな大切な時間は、夜の訪れと共に終わりを迎えたのであった。






 そして、その夜。二つの月が重なる時、大いなる光と共に彼女は幻想の世に導かれた。


「え、あれ、ここ、どこ?」


「ようこそ、お越しくださいました。勇者様」


 聖王国の大聖堂。聖剣の意匠が施されたステンドグラスのその下で、輝きの中から姿を現したのは栗毛の少女。

 学生服を着込んだ彼女は、突如変化した景色に驚きながら、左右を細かく見回している。この現状を、全く理解出来ていなかった。


「は、え、勇者? って、これ何? 映画の撮影か何か?」


 周囲に控えるは、鎧姿の騎士。中世ヨーロッパを思わせる、豪奢な服を着た人々。目の前に居て、頭を下げる白い巫女服の少女。

 余りにも現実離れしたその光景に、己の常識内で答えを出そうとして首を傾げる。そんな彼女に合わせる様に、アリアも同じく首を傾げた。


「えーがのさつえい? それは良く分かりませんが、此処は聖王国と呼ばれております。そして私は、聖王国が聖女アリアと申します」


「あ、はい。どうも」


 首を傾げて、分からないことは分からないと結論付ける。それよりも儀式の続きをと、名乗りを上げたアリアに少女は流されるまま頷く。

 何処かピントの合っていない返事。まだ現状が理解出来ていないのだろう。そんな相手に説明するのも、二度目となれば慣れる物。先ずは大前提として、知るべきことを最初に問うた。


「早速ですが、勇者様。貴女のお名前を、御聞かせ頂けますでしょうか?」


 礼を失することない様に、その名をアリアは問い掛ける。問われて未だ困惑を続ける栗毛の少女は、分からぬままに名乗りを返した。


「え、えっと――――柊中学校、3年A組、明石優です」


 役職を名乗られて、返したのは学年と学級。何か違うと自分でも気付きながらも、何が違うのか分からなくて苦笑する。

 新たな勇者として、幻想の世界に招かれた者。明石優の第一印象は、そんな何処にでも居そうなごく普通の少女と言う物であった。






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