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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第四幕 剣と子どもと闘技場のお話
134/257

その6

 開いた穴から、子ども達を誘導していく。一度は己でやろうと手を伸ばしたエドムンドだったが、その手を怖がられたことで彼は距離を取った。

 一番冷静に見えたセシリオとキャロに救出を任せて、周囲を警戒しながらに見守る。雑兵も首魁も、まだ全てを打ち取った訳ではなかったのだから。


 そんな彼の懸念を裏付ける様に、無数の足音が近付いて来る。身を隠す様な技術はなかったから堂々と、乗り込めば敵が迎え撃って来るのも当然だ。


「いけませんなぁ、エドムンド殿。これはいけません」


「…………」


 数十と言う足音を従えて、先頭に立つのはこの場に似つかわしくはない黒縁メガネにスーツ姿の男。

 やり手のエリートサラリーマンと、そう言う印象しか受けない男が笑みを浮かべている。本心から笑っていないのは、考えるまでもなく明らかなこと。


「上層部との話は付いて居る筈ですよ。撤収は今晩十時から、それ以前に手を上げるのは協定違反です」


「……知らんな。俺は知らん。俺の下で蠢く奴らと、お前達の契約など」


 話は通っている筈だと、気安げに声を掛けて来る男の言葉をバッサリと断ち切る。


 事実として、エドムンドは知らなかった。闘争しか能がない男だ。政治も経済も、全ては臣下に一任している。

 だからこうした組織の存在すら、掃討作戦当日になるまで知らなかった。その犯罪組織が行っていたことも部下からは聞いていない。ある人物から話を聞かされて初めて知り、直後に彼は飛び出し此処へ来たのだ。


 全ては唯、彼の町で行われている子どもへの非道。それを許せぬが為だけに。


「水の誓約が効いていない。……ちっ、アイツらも口のデカさの割に使えない。闘争領主は任せろと、ならこの有様は何だと言う」


「…………」


 契約を破り、暴力を振るうのは違反行為だ。水の誓約が牙を剥き、その命を奪っていたであろう。そう言う保証があればこそ、余裕があった男は表情を変える。

 都市の文官達が契約に応じていても、この男はその契約の中には含まれていなかったのだ。取引相手が任せろと豪語するから顔を立てて任せたが、これは最悪の失態だろうと毒を吐く。


「仕方ない! お前ら、奴を殺せッッ!!」


 企業に戻ったら、この責を取らせる為に何をしようか。皮算用を始めながらに、男は背後に控えた己の部下たちに指示を出す。

 出来ないなどとは思わない。此処に居るのは、三下の犯罪者達ではない。企業から連れて来た専属の特殊部隊だ。例えA級冒険者が相手でも、十分通じると確信していた。


 重い音を立て、完全装備の兵隊たちが動き始める。大型魔物にさえ通じる銃器と、全身を覆う特殊な警備服。随行するのは、機械が混ざった異形の獣。

 その装備の質は分からずとも、それが強力であるとはセシリオにも分かる。その人造の魔物たちの姿を、キャロはガリコイツの屋敷で見ていた。確かな脅威であると、だから構える。


「来る。なら――」


「私達にだって、出来ることはあります」


「……お前達は、前に出るな」


 だが、そんな彼らの前に男が立つ。通路の半分以上を己一人で塞ぐ程の巨体で、子らを守る様に一番前へ。

 そして告げるのだ。セシリオとキャロへ、前に出るなと。お前達が戦う必要はないのだと。


「な、何を!? あんなに一杯居るんですよ!?」


「おっちゃんには自信があんのかもしれねーけど、アイツら此処の犯罪者とは何か違う。なら、俺らも魔法や精霊術で援護した方が効率的だろ!!」


「だと、しても、だ。……力があっても、お前達は子どもだ。子どもが戦場に、出るべきではない」


 男は語る。戦いは大人の役目であると。守ると語った。故に守られていろと。そうとも、子を守ることは男の矜持で大人の義務だ。

 エドムンドはそう考える。故に退かない。故に揺るがない。彼はその大きな背中越しに、自信を以って告げるのだ。子ども達の不安を拭う為に。


「それに、だ。俺を誰だと思っている?」


 その背は大きい。物理的な意味だけではなく、とてもとても大きく見えた。


「俺こそが、チャンピオンだ。チャンピオンに、敗北などはない」


 企業の軍勢何するものぞ。どれ程の数が居ようとも、我は闘技場の頂点。戦いと言う場において、この身に敗北などはない。


「で、ですが――」


「……唯、待つだけが苦しいなら。そうだな、一つ頼む」


 語る大きな背中を見詰めて、それでもと口にする。その言葉の本質は、優しさから来るものである。そうと気付けたから、男は一つ少年少女へ頼みをする。


「声援を。その声がある限り、俺は勝利してみせよう」


 言葉に震えなどはない。その身に不安などはない。大きな背中は確信している。背を押す声がある限り、決して己は負けないと。

 そんな背中に、信頼を抱いた。彼の強固な意志は、そう簡単には崩せないとも理解した。だから、二人は声を揃えて言葉を語る。それこそが、最も頼りになる援護だから。


『頑張れ! チャンピオン!!』


「……ああ、任せろ」


 子どもの声援を背に受けて、男は嬉しそうに僅か口元を歪める。そして、エドムンドは戦いの舞台へと跳び出した。


「オォォォォォォォォッッ!」


 雄叫びと共に突進する。その身に火砲が向けられて、鉄の雨がその身体を打ち付けるが彼は決して止まらない。

 エドムンドに出来ることなど、多くはない。耐えて近付き、殴って潰す。それだけが男の能であり、だからこそその分野において並ぶ者などそうは居ない。


 鉄火の雨に撃たれて、闘気の鎧を破られて、血肉が飛び舞い散る。それでも動きは僅かたりとも揺らぐことなく、伸ばした拳が兵隊たちを打ち付ける。

 ルールジャンテを素体としたキメラが飛び掛かって来る。四肢に噛み付き、その牙を以って血肉を抉る。どれ程の痛みであろうか、だと言うのに男は揺らがない。


 噛み付く獣の頭を掴み、そのまま剛腕で握り潰す。飛び退いた獣の足を掴むと、大地に向かって叩き付ける。その姿は、どちらが魔物か分からぬ程に暴力的だ。

 耐えて、捕まえ、叩き潰す。そうして一つ一つと数を減らし、敵の首魁へと近付いていく。その姿を最初は余裕を持って見ていたスーツの男も、次第に色を失くして後退していく。


「馬鹿な」


 相手は傷付いている。当然だ。大型の魔物を倒せる武器を使っているのだ。A級の冒険者であっても、真面に受ければ致命傷にもなり得るもの。

 傷付いているのなら、何時かは倒れる。ダメージを蓄積させていけば、死なない生き物などいない。数が質を超える道理は其処に、用意した部隊はまだまだ尽きない。


 余裕はある筈だ。余裕はある筈なのだ。なのに倒れぬ姿に恐怖を抱いて、距離を取って包囲殲滅する為に。スーツの男は部隊員へと指示を出す。


「馬鹿な。馬鹿な。馬鹿な」


 エドムンドは倒れない。傷付いているのに、迫って来る。その暴虐を前にして、命綱である兵士たちが次から次に減っていく。

 ダメージは与えている筈だ。その血の量こそがその証明。エドムンドの息も上がっている。だから勝てる筈なのだ。なのにどうして、己はこれ程に怯えているのか。


 消耗の果てを待てば良い。体力の限界まで待てば良い。そうすれば、そうするだけで勝てる筈。そうと頭で分かっているのに、迫るエドムンドは止まらない。


「ソルグロリア製の対大型魔物用の重火器と、イルミナルエストレーラ社製の対物ジャケットを装備した精鋭だぞ!? ノルテ・レーヴェの生体操作技術でも弄ってる。此処の捨て駒とは訳が違う、企業連の特殊部隊が居て、何でたった一人を仕留められないッ!?」


「……下らん」


 前進を続けながら、敵の殲滅を行うエドムンド。彼にも己の不利は分かっている。この数全てを相手にすれば、体力が持たないと知っている。

 だからと言って、退くことはない。退けない理由があるのだ。故に彼の狙いは一つ、愚かにも無防備で先頭に立っていた男。指揮官を潰せば、統制は崩れる。


 近付き続けるエドムンドは、背後に敵を通す訳にはいかないと言う不利も抱える。それでも一企業の指揮官よりも、彼の方が圧倒的に速いのだ。

 ならば当然、怯えながらも逃げ出さなかったスーツの男は追い付かれる。まだ兵が残っているその状況で、巌の如き巨大な指が彼の身体を掴んでいた。


「待て、良いのか!? 俺達の裏には、企業連が居るぞ! お前の家臣団だって、手を出すべきじゃないと判断したんだぞ! 御方々の機嫌を損ねて、この町を戦場に変える気かッ!?」


「……言ったぞ、下らんと」


 血に塗れたエドムンドが語る。地獄の底へと引き摺り込む悪鬼の如き表情で、巨大な男がその罪を数え上げる。


「お前達は、子どもを泣かせた」


 銃弾は止まない。スーツの男に当たらぬ様に、狙うは容易い巨体であるから。エドムンドの身体は傷付き続けている。


「お前達は、子どもを食い物にした」


 その行動は愚かだ。子どもを巻き込めばもう少しは、マシな戦いを行えたであろうに。それでも、その巨体には恐怖も後悔もありはしない。


「お前達は、俺の領土で、子どもに手を出した!」


「ひ――っ!」


「お前達は、俺の敵だァァァァァァァァァァッッッ!!」


 捕まえて、握り潰す。肩が砕かれた痛みよりも、眼前に迫った怒りの形相への恐怖の方が尚大きい。

 スーツの下腹部が濡れていく。そんな無様を目にしても、彼の怒りは収まらない。その巨腕が握られて、そして愚者へと振り下ろされた。


 地震と見紛う程の、衝撃が大地を揺らした。鉄の大地に刻まれたのは、悪鬼の剛腕によって生まれた傷痕。スーツ姿の男は全身を砕かれて、虫の息で転がっていた。


「…………」


 指揮官が倒れて、だが銃火の雨は止まらない。同僚の姿が減る中でも、怯え一つ見せなかった者達。彼らは既に、唯の物と成り果てている。

 洗脳魔法と特殊な薬物に生体操作。それらによって機械的に変えられた企業の特殊警備員は、与えられた指示だけしか行えない。指揮官が意識を失えど、その指示を達成するまでは止まらないのだ。


 少し、当てが外れた。荒い息を整えながら、エドムンドは僅か思考する。この状況を打破するには、次にどう動くべきか。

 一瞬考え、直ぐに思考を捨てた。元より近付き殴るしか能がない男だ。考えた所で、やるべきことは変わらない。近付いて、殴るだけだ。


 銃火の雨で傷付きながら、まるで何でもない様に近付く。闘気で被害を軽減し、同じく闘気で傷を癒しながら、男は一つ一つと敵を減らす。

 心が折れることはない。怯え慄くこともない。背には彼を応援する、小さな子供が居るのだから。その心は何処までも奮い立ち、その身は全てを打ち砕くのだ。


「サンダァァァァァブレイカァァァァァッ!!」


 そして、男が止まらないならば、外から襲撃を仕掛けていた彼女達もまた止まらない。牢獄に繋がる通路が壊されて、無機質な兵隊達が極光の雷に飲み込まれていく。

 開いた大穴を貫くは雷光だけではなく、それに続く様に流れ込むのは数え切れない程に大量な薔薇の花弁。それが触れた瞬間に、残る兵士たちも動きを封じられていた。


「……おや、これは。まさか君が動いて居たとはね、エドムンド」


「A級がもう一人、か。道理で、規模の割に楽だと思ったよ」


 三流の犯罪者たちを全滅させて、此処にやって来たのは二人。エレノアとセニシエンタ。彼女達が来た以上、此処にもう結果は決まった。


「し、師匠!」


「応。元気か、馬鹿弟子」


『セニシエンタだー!!』


「ああ、もう大丈夫だよ。君達。外の連中は僕らが、トップは其処の彼がやっつけた。残る君達を傷付ける怖いものも、もう直ぐに終わらせるさ」


 壁の穴から現れた二人の冒険者たち。華やかな彼女達の内でも、セニシエンタは特に最大級の知名度を誇っている。

 今までは暗い顔をしていた子どもたちもまた、彼女の登場に沸き立ち歓声を上げる。それ程に分かりやすい、救いの象徴であったのだ。


「さあ、やろうか。エドムンド。エレノア」


「指揮んじゃねぇよ。俺は大砲役に徹するから、アンタらが合わせろ」


「……そちらは任せる。俺は、突撃するしか能がない」


「やれやれ、協調性のないことだね。まぁ、良いさ。トップクラスの冒険者三人の共闘だ。どんな相手でも、直ぐに終わる。僕たちの勝利でね!」


 壁と火力と妨害支援と、即席ながらも彼女たちの能力は相性が良い。二人が協調出来なくとも、それを調整出来るのがセニシエンタの強みだ。

 敵は数が多く質も優れているとは言え、壁であるエドムンドを狙うしか出来なくなっている低脳集団。そんな彼らがどうして、冒険者の頂点達に対抗できるものか。


 決着は当然の如く、エレノア達の勝利に終わる。余りにも一方的な形で、犯罪組織は壊滅したのだった。




 戦いとも言えない程に、一方的な蹂躙が終わって暫く。腰を下ろしたエドムンドの傷を癒していたキャロは、周囲を見回し彼に問い掛ける。


「これで良いんですか、エドムンドさん?」


 その表情が曇っているのは、一番頑張った人が報われていない様に思えたから。

 誰よりも最初に子どもを守ろうとしたのはエドムンドなのに、助けた人々は皆セニシエンタの下へと行っている。


 感謝の一言くらいは、言うべきではないのか。そう膨れるキャロに微笑んで、エドムンドは静かに告げた。


「……子どもが笑顔なら、それで良い。俺の顔は、少し怖いからな」


「少しじゃねーよ。暗闇だと、すっげー怖い。戦い方も怖ぇーし、マジでチビるかと思った」


「そうか。……そうか」


「せ、セシリア!」


 不器用に語るエドムンドに、セシリオは歯に衣も着せぬ言葉で返す。慌ててキャロが口を挟むが反論は出来ず、その様子もまたセシリオの言を保証しているかの様で、エドムンドは落ち込んだ。

 身体が大きく、武骨で不器用。それでもその図体の割にナイーブなのだろうかと、思いながらも前言は翻さない。そんなセシリオはニヤリと笑って、本心のままに語るのだ。


「本当のことだろ、気にしてもしゃーないって。……それにさ、怖いおっさんが一番に助けに来てくれたこと、俺とキャロは忘れてないよ」


「…………」


「勿論です。エレノアさんや、セニシエンタさんよりも先に駆け付けてくれた。助けてくれた恩は、絶対に忘れません。ありがとうございました。エドムンドさん」


「…………ああ、そうか」


 恐ろしい形相をしたエドムンドの顔を見上げて、目を逸らさずに感謝の言葉を口にしてくれる子どもたち。

 そんな姿に、エドムンドは小さく笑みを零す。懐かしいと感じる、小さな声。己が求めていた物を、この今に彼は思い出していた。


「うっし、他の連中も大丈夫そうだし。後は任せて、そろそろ帰るぞ、お前ら」


「師匠。ちょっと遅かったぜー。今回のMVPはおっさんだなー」


「は、無茶言うな。俺も疲れてたんだよ。ってか、んな事言ってる前にちゃんと反省しとけよ。今回は俺の楽観もあったが、お前らもミスしてんだからな。今後同じことになんねー様に、宿に戻ったら反省会だ。長くなるから、覚悟しとけよ」


「げっ、面倒くせぇ」


「で、でも、対策は必要ですし。……また、トイレに行きたくなったら、どうしよう、とか」


 保護者と言うにはまだ年若い鎧の少女に、文句を言っている褐色の少女と、真面目な言葉を返している蒼い髪の少年。

 その姿を優しい瞳で見詰めながら、エドムンドは静かに過去を振り返る。懐かしいと思う程に、それは余りに遠くにあった歓声。


 嘗ての栄光を思い出している彼の下へと、近付いた美麗な女は微笑みと共に言葉を掛けた。


「やぁ、こうして直接話すのは久し振りだね。エドムンド。君が動いているとは思わなかったが、良いのかい? ……闘争都市の経営陣から聞く君の評価は、唯でさえ低かったんだよ。僕が呼ばれた理由、分かっていない訳じゃないだろう?」


「…………だとしても、動かない理由はない。子どもが、泣いていた」


 挨拶と共に、言葉にしたのは警告だ。エドムンドは敵を作り過ぎている。既に闘争都市の上層部は、言う事を聞かない彼を疎ましいと考えている。

 それでも領主と言う座に居られるのは、彼が一番強かったから。敗北しない限り、その座は奪えない。そうであるが故に、彼らはセニシエンタを呼んだのだ。


 そしてセニシエンタにもまた、その要請に応える理由があった。エドムンドの行動を好ましいと思いながらも、忠告するのは好意を抱いているが故。


「君のその意志は、好ましく思うよ。だけど僕にも、手加減出来ない理由がある。……武闘会では正々堂々と競おう。彼らの思惑はどうあれ、僕らの戦いに手出しはさせない。それだけは約束するよ」


「…………」


 今回は特に最悪だ。上層部と企業の間にあった取り決めを領主が勝手に破って、更に企業が撤収の為に派遣していた部隊員まで排除してしまった。

 エレノアやセニシエンタは兎も角、エドムンドに向く彼らの怒りは相応の物になるだろう。これまで以上の関係悪化が、エドムンドへの徹底した攻撃に繋がることは想像するに容易い。


 せめてもう少し器用に生きられないものかと、案ずるセニシエンタの声に返す言葉などありはしない。不器用だと自覚はあるが、それでも子どもの危機を知って動かない理由がなかったのだから。


「…………子どもたちを、頼む。俺よりも、お前の方が適任だ」


 その言葉には、一体どれ程の懊悩が詰まっていたのだろうか。エドムンドはその場をセニシエンタに任せると、一人立ち去っていく。

 彼の背を追い掛ける者は居ない。闘争領主はこの町の頂点にあるが、不器用な生き方を続けて来た為に、たった一人の孤独な男でしかなかったのだ。






 日が暮れた夜の町を、エドムンドは一人歩く。彼の名を知る人々は遠巻きに歓声を上げ、綺麗どころの女達は客引きの声を掛ける。

 何時もは嬉しく思う、その欲に満ちた反応。それが何時にも増して無味乾燥に思えたのは、本当に欲しかった物を思い出してしまったからか。


「懐かしいな。何時以来だろう。子どもの声援を受けたのは」


 思い出すだけで笑みが零れる。エドムンドが初めて感じた喜びは、ずっと昔のあの日に聞いた声援だった。


 彼は闘技場で産まれた。闘士のオーナーとして、利権を持っていた中央貴族。彼が所有していた亜人と、適当な女奴隷を番わせた結果がエドムンドだ。

 母は望んだ出産でないが故に、恐怖と狂気で壊れて死んだ。父は闘士の宿命として、無理な戦いの中で壊れて死んだ。その代わりとして、エドムンドは奴隷闘士となった。


 彼は強かった。己の養育に掛かった費用を稼げる程には、若くして自分の見受け金を稼げる程には、エドムンドは生まれながらに強かったのだ。

 金は稼げた。食にも困らなかった。金払いさえ良ければ、媚びて来る女もそれこそ無数に居た。醜い容姿であったが、手に入らない物はなかった。それでも、世は無味乾燥して見えた。


 そんな彼に、転機が訪れたのは何時の頃だったか。それは振り返ってみれば、きっと大したことではなかったこと。


――頑張れー、エドムンド!


 闘技場で、声援が聞こえた。賭けに勝とうとする、無粋な男達ではない。金に縋ろうとする、下らない女達ではない。本心からの声援を、その時初めて聞いたのだ。


「嬉しかった。ああ、そうだ。俺は、嬉しかった」


 子どもの声。裏表などない子どもの声援。純粋な想いが唯々、男にとっては喜びだった。また聞きたいと、それが自由を得て冒険者になってから、闘技場に戻って来たその理由。闘争領主と、呼ばれるまでに至れた動機。エドムンドが子どもを好むのは、子どもが彼に生きる意味をくれたから。


「……負ける、か」


 夜の町を歩きながらに思い浮かべる。醜い己が、ずっと欲しかったのは心の底から聴こえる言葉。美辞麗句などではなく、それでも己を想う言葉。

 戦うことしか能がない自分では、この場所以外では得られない。商店のガラスに映った醜い顔は、父親譲りの化け物のそれ。誰も本心では受け入れてくれないと、確かな経験から知る異形。


「……栄光を、失うか」


 エドムンドは敵を作り過ぎた。それでも仕方なかったのだ。彼は子どもの悲鳴を見過ごせない。その涙を見て何もしないなら、彼は己を許せなくなる。

 もっと器用な生き方をしていれば、そう思わずには居られない。けれど仮にやり直しの機会を得ても、己は全く同じ生き方をしてしまうのだろう。エドムンドは、そう知っている。


 何時になく嬉しかったから、何時になくナイーブになっている。だから、だろうか。悪魔や詐欺師の類は、弱った所を見過ごさないのだ。


「怖い。怖い。怖い。怖いのかしら、怖いんでしょう? 貴方にはそれしかないもんねー、エドムンドちゃーん」


「…………何の用だ。呪術師」


 何時しか、人の気配が消えていた。大通りと言う立地、不夜城とも称される町。そんな場所で静寂と言う、あり得ない事態にも男は揺らがない。

 影が集まり、姿を見せる。露出の激しい褐色の美女。その女の正体を知っている。何故ならば、エドムンドに今回の一件を吹き込んだのは他でもないこの女であったのだ。


 呪術師アマラ。彼女が何を思って、吹き込んだのかは分からない。その時は興味もなかった。子どもの泣き声と囚われた場所を聞かされて、それ以外を思考するなどエドムンドには不可能だったのだから。


「けど今は、勝てる自信がないの。いいえ負けるわ。きっと負けちゃう。怖い怖い。……全盛期なら兎も角として、貴方は年を取り過ぎたの。リオンが言ってたわよ。貴方の闘士生命は、十年は前に終わってるって」


「…………」


 アマラは嗤う。その言葉は真実、エドムンドの懊悩を突いている。彼は老い衰えて、その身には既に全盛期程の実力などは残っていない。

 闘争領主エドムンドの最盛期は、十年以上前に終わっている。如何に鍛えようとも筋力は落ちていき、息も上がりやすくなっている。闘士で居られる時間は、もう余り残っていない。


「自分でも気付いているんでしょう? 昔程に身体が動かない。息が直ぐに上がるし、消費した体力も一日二日じゃ戻って来ない。それでも負けたくなかったから、だから戦闘スタイルを変えたのよねー」


「…………」


「相手を速攻で叩き潰すのは、そうしないと体力が持たないから。倒れた相手に追撃するのは、次に戦う時が来たら負けるかもと不安になるから。その栄光を失うのが、怖くて怖くて仕方ないのよね。エドムンドちゃん」


「…………」


 アマラは嗤う。その言葉は何処までも、エドムンドの真実を突いている。全盛期の彼ならば、援軍が駆け付けるより前に、企業の武装兵すら一人で制圧出来たであろう。

 ましてや、エドムンドの戦い方は身体能力に頼った物。耐えて近付き殴ると言う、パワースタイル。それは嵌れば強力な反面、酷く寿命の短い戦い方であったのだ。


 だが、それ以外のやり方などは知らない。下手な技術を織り交ぜても、体力の消費が早まるだけ。だから何時しか、最低限の動きで敵を潰す様になっていた。

 もう二度と戦いたくないと思わせることで、無敗の栄光を守ろうとする。次に戦う時にはその恐怖で、相手を縛れる様にと。王者のやり方とは程遠い、実に無様な小細工だ。


 単純な筋力こそが、技術をも超えるパワーを生む。嘗てはそう言って憚ることがなかったエドムンド。当時の己が今の己を見たならば、その衰退ぶりに嘆くであろう。

 己で己に早く死ねと詰りたくなる程、余りに無様に没落した己の姿。それでも、あの栄光が忘れられない。こんな姿になっても、エドムンドは全てを失うことが怖かったのだ。


「駄目だゾ、そんなの。辞め時間違えちゃうなんてぇ、無様で恥ずかしくて見っとも無くて超受けるぅぅぅぅぅぅぅッ!」


「…………俺は、聞いたぞ。何の用だ。呪術師」


「つまーんなーい。エドちゃん、ノリ悪いぞー。やる気なくなるじゃなーい」


 それでも、嗤う女に弱みは見せない。せめてそれが、無様に落ちて尚栄光を求める王者の意地だ。

 巌の様な顔は歪まずに、淡々と問い掛ける。そんなエドムンドを見下しながら、やる気を無くしたアマラは詰まらなそうに小さな容器を投げ渡した。


「はぁ、まぁ良いわ。リオンの指示だもの、やる気なくなっても続けてあげる。……ほら、ブ男。受け取んなさいよ」


「…………何だ、これは」


「ノルテ・レーヴェで作ってる、濃縮魔素って言う名前の秘薬。武器や防具に塗ると、その硬度を上げる効果があるわ」


「…………」


 投げられた容器を片手で受け取る。ごく一般的に用いられている硝子の瓶に、満たされているのはどす黒い液体。

 これは何かと問い掛けて、返るのは抑揚のない言葉。最低限の説明を耳にして、エドムンドは眉を顰める。武器も防具も使わない彼には、全く以って不要な物だ。


 だが、悪名高き呪術師が意味のない物を渡すとは思えない。そう訝しむ男へと、アマラは宙でだらけながらに言葉を続けた。


「んで、これは普通の使い方とは違うんだけど。亜人やその血を引く奴が中身を飲むと、その身体を全盛期にまで引き戻した上で、それ以上の力を出せる様になんの」


「…………」


「それ使えば、アンタは勝てるわよ。アンタの栄光が、守れるわ」


 説明を受けて、もう一度見詰める。瓶の中にあるどす黒く禍々しい液体は、飲み干せば己に力を与える物。その力があれば、己は今の栄光を守り続けることが出来る。


「ついでに言っとくとね、もし万が一使わないでセニ様に勝てたとしても、アンタは今の席から落とされるわよ。もう一人、アンタらに実力が近い参加者が居るから」


「…………そいつの、名は」


「雷光の剣士エレノア。……覚悟しときなさい。配下を敵に回したアンタに対し、アイツらは手を抜かない。どっちが先になるか分かんないけど、絶対にその両方と戦うことになるから」


「…………」


 そして呪術師は言葉を続ける。最初に聞いた時には、どう語って貶めてやろうかと。だが予想以上に詰まらなかったから、今の彼女にやる気はない。

 早々に説明を終えて帰ろうと、だからこそ必要最低限だけを語る。その薬品を飲み干せば全てを守れて、飲まなければ必ず全てを失うのだと言う真実だけをアマラは語った。


「準決勝と決勝戦は、最終日の午前と午後に行われる。仮にどちらかに勝てたとしても間違いなく、其処でセニ様かエレノアちゃんを相手に連戦することになるわ。……アンタは絶対、今の立場を失うのよ。その薬を、使わなきゃね」


「…………」


「どっちに転がっても良いけど、精々リオンが愉しめる形にしてよね。その為にそれ、あげるんだからさ」


 今のエドムンドでは、セニシエンタには勝てない。全盛期ならば兎も角、今の彼では届かない。その程度は分かっている。

 それで必死になって如何にか勝っても、もう一人同格が居ると言うのなら、先など何一つとしてありはしない。どちらと先に戦うとしても、残るもう一人には必ず負ける。


 どちらかを避ける、などは不可能だろう。トーナメントの内容を決めるのは都市上層部で、彼らにとってエドムンドは目障りな存在なのだから。


「ではでは~。ア~マラちゃんでした~」


 媚びるような口調と仕草で手を振りながら、姿を消す悍ましい呪術師。彼女が立ち去ると同時に、戻って来る町の喧騒の中で思う。

 手にした物は、この現状を打開する鍵。呪術師の罠は当然あるのだろうが、だからと言って捨てられない。既に王者の誇りを捨てて久しくて、ならばどうしてこの鍵を手放せようか。


「……また、あの栄光を――子供達の声援(あのエイコウ)を」


 震える手で、掌中の瓶を見詰める。内にあるどす黒い薬品を、使うのか否か。要らぬと断じて、捨てるのか否か。闘争領主(バトルロード)とまで呼ばれた男は、夜が明けても決めることが出来ずに居た。






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