その5
◇
薄暗い牢屋の中で、すすり泣く声が響く。どうして自分が、と嘆く声が三分一。
両手足を縄で縛られているセシリオは、囚われの同胞が内三割は使い物にならないと直ぐに判断する。
合理的に利己を求める資質があると言っても、現実に直ぐ対応出来ないと言う落ち零れも一定数は存在する。年若ければ尚のこと、資質があっても芽生えていない。
ならば残る7割近くはと言うと、諦めて次を考えている者と、如何にか脱出しようと反骨心を残した者の二択であった。
諦観と妥協をしている奴らは、泣いているだけの無能よりも厄介だ。彼らは後の奴隷生活を少しでも有利とする為に、あの手この手で買い手に気に入られようとする。脱出を考える人間にとっては、潜在的な敵と言えよう。
ならば反骨心を残した奴は使えるかと言えば、正直言って微妙である。此処に集められているのは、商品となる十二歳以下の子どもだけ。セシリオやキャロの様に、大人と戦えるだけの力を持った人間が一体どれ程に居るのだろうか。
役に立たない程度ならばまだ良い。下手をしなくても、足を引かれる。無能な奴が足を引き、蛮勇を持つ奴が暴発し、妥協を求める奴が背を突き刺す。そんな状況でどうして、真面な成果など得られるものか。
(正直、これならキャロと離れ離れにされてた方がマシだった。……居ることに気付かなけりゃ、居ないのと同じだからさ)
合理的に思考する。役立たず以下など、居ない方が都合が良い。冷たい数理で思考する。己と同年代かそれ以下の子どもたちは、死んでくれていた方が良かったと。
セシリオが特別な訳ではない。年を経て成長するか、それに応じた経験を積めば西の人間は必ずこうなる。より効率が良い利己の為、転がりながらも冷たく回る思考が辿り着く。まだ、遅くはないと。
(いや、キャロはまだ起きてない。なら、やるか? 監視役もしょぼい奴だし、全員まとめて最初から居なかったことにした方が効率が良い)
手足を縛る縄こそ闘気の練り込みを妨害する消耗品の魔道具だが、その質の良さに反して構成員は無能な輩が多い。一部使えそうな奴らも何故か焦っていて、ボディチェックも御座なりだった。竜の爪は気付かれていない。
ならば為すことは簡単。観察して反骨心が残っている奴の中から、経験不足そうな年若いのを選ぶ。そいつに“脱出に協力してくれ”とでも言って、手足の縄を解いて貰えば良い。その時に言質を取られない様に気を付ければ、後は魔法で全滅させて終わりだ。
全員殺して、キャロには最初から居なかったと説明すれば良い。その程度なら、問題なく出来る。ならばやろうと、無感動にそう考えて――
「セシリオ」
傍らで意識を失った少女が、寝言で彼の名を呼んだ。唯それだけのことで、正気に戻る。思うのは、罪悪感などではない。
同じ境遇の子供には何も思わず、考えるのは虐殺した後のこと。罪のない人間を必要もないのに殺した後で、果たして自分は彼女に向き合えるのであろうかと。
「……はぁ、俺。何やってんだろ。さっきもそれで、失敗したってのに。繰り返すなんて、バッカじゃねぇの」
思って、呆れた様に口にする。見上げた空はカビの生えた天井に塞がれていて、吸って吐いた呼吸は重く濁って不味い物。
合理の呪いは消えていない。芽生えた資質は冷徹に、今直ぐ殺した方が助かる可能性が高いと断じている。それを選ばないのは愚かであると、他でもない自分が一番良く分かる。
先の失敗はそれが理由だ。キャロが捕えられた時、有無を言わさず初手で悪竜の爪を使っていれば良かったのだ。一撃のチャンスはあったのだから、相手は防ぎ切れずに喰われていた。
なのに何故、同じ失敗を繰り返すのか。誰かを殺さない様にと選んだ甘さが、状況を悪化させたのだろう。それが分かって繰り返すなど、実に馬鹿な話ではないか。なのにセシリオは、笑っていた。
「でも、良いさ。俺は馬鹿で良い。好きな子が、馬鹿で居て欲しいって願ってんだ。だったら、俺は馬鹿で良い」
そうとも、真っ直ぐに生きて欲しいと願う人が居る。傍らで眠る囚われた少女の存在が、その道を踏み外すことを許さない。惚れた女の夢を守れずして、何故に男と言えるのか。
ならば愚かな道であっても、前のめりになって進んで行こう。果てに倒れるのだとしても、そんな愚者の道で良い。いいや、違う。そんな愚者の道が良いのだ。セシリオは決めた。
「足手纏いも全員含めて、救われる道を探す。色々キッツイっけど、やってやろうじゃねぇの」
それに、言う程に窮地と言う訳ではない。想定したのは最悪のパターン。自分一人だけで為さねばいけない状況での話だ。
師の助けはきっとある。セシリオの魔法も、キャロの精霊術もバレていない。都市上層部だって、膝元で起きた犯罪に何時までも気付かない訳ではあるまい。犯罪者たちが慌てている理由も、もしかしたらそれが故かもしれなかった。
好転の兆しは幾つもある。ならば合理的だからと、嫌われる選択をする方が寧ろ軽挙と言えるのではないか。
思考をポジティブに、前向きな結論に至る。セシリオがそう結論付けた直後、彼の横に倒れていたキャロがゆっくりと目を覚ました。
「ん、……ここ、は?」
「気付いた。大丈夫、何処か身体に変な所はない?」
「は、はい。大丈夫です。けど、此処は何処なんでしょうか。セシリ――」
「カロルは何処まで覚えてる? 冒険者崩れのごろつきに、今俺達って捕まってんだけどさ」
目覚めたばかりの少女がボロを出さない様に、偽名を口に出して語りながらに現状を軽く説明する。
人攫いに捕まって、そのアジトへと連れて来られたこと。同じ境遇の子どもが他にも二十を超える程に居て、犯罪者たちも大規模な組織だった集団だったことを。
「んで、悪いんだけどさ。水の精霊術とかで、この縄切ってくんね? どう動くにも、邪魔でさ」
「は、はい。それは大丈夫ですけど。これから、どうするんですか。それと縄を切って、見張りにバレないんですか?」
「大丈夫大丈夫。見張りの奴はやる気なさそうだったし、縄が切られる可能性すら考えてねぇんだろ。カロルみたいな年で精霊術を使える奴なんて普通は居ねぇし、居たとしてもこんなに簡単に捕まるなんて考えねぇだろうしよ」
そう語りながらも、セシリオは何かがおかしいと感じ始めていた。幾ら無能が多いからと言って、確認が雑に過ぎるのだ。
服を剥かれていれば、性別がバレる以前に触媒を取られていただろう。それが魔法用の物とは分からぬとしても、強力な魔物の爪だとは一目で分かる。武器として使えると、普通は取り上げるべきであろう。
(そこまでしてる時間がなかった? それとも、元から此処は捨てる気だった、とか? 或いは、その両方か)
キャロに縄を切って貰い、自由になった手足を軽く動かしながらに思考を進める。時間がない理由として、一体何があるだろうかと。
先ず前提として、この犯罪組織は大規模だ。アジトについてから、セシリオが目にしただけでも数十人の犯罪者が居た。それが氷山の一角と考えて、総数は数百人単位の集団であると仮定する。
都市人口の1パーセントに迫る程。そんな大量の犯罪者たちが、都市上層部から隠れ続けていられるだろうか。間違いなく不可能だ。そう考えれば確実に、この集団には裏がある。上層部とも繋がっているのだろう。
その前提の上で、時間が足りないとなった。それが示す理由はきっと、この集団が都市にとっても裏に居る企業にとっても不都合な物となったから。
解体が決まったのだろう。その人員整理。トカゲの尾として切り捨てられる無能な人間と、今後も利用される優秀な駒。それを分別しているのだとすれば、この杜撰な対応も理解は出来た。
あの三人組は、見るからに下っ端だった。彼らはこれを機に排除される側であり、だから何も聞いてなかった。
今後も残る人間にとって、新たに商品を捕まえて来るなど迷惑以外の何事でもないのだから。そう考えるならば、突くべき隙は其処であろう。
(このアジトのどっかで、証拠が一つでも見つかれば。上手くすりゃ内乱状態に持ってける。期待し過ぎたら不味いけど、打つ手の一つとしたら十分アリだな)
意志統一が取れていない。切り捨てるべき者たちが暴動を起こせば、その機に乗じて脱出することも簡単だろう。
最も、そう簡単に証拠が見つかるとも限らない。疑念の種を芽吹かせることに執着して、それで脱出が遅れてしまうのならば本末転倒。偶々見つかったら、そう動く程度で良いだろう。
(そうでなくとも、今が動くべき最大のチャンスだ。逆に言えば、今動かないと最悪もあり得る。この集団の裏に、ノルテ・レーヴェが居たら芋蔓だ。そうでなくとも、次は絶対にしっかりとした確認作業をされるだろうしな)
今が一番、隙となっている時間だ。待つだけでは、状況は悪化する可能性が高い。となれば、今動くのが一番だ。
と言っても、無駄に効率の悪いことをする必要はない。一先ずは周囲の状況を確認してからと、セシリオは牢屋の扉へ近付いて――その野太い悲鳴を耳にした。
「な――何でだッ!? 何でだよ!?」
「く、くそッ!? 勝てる訳がねぇ。こんな化け物に――」
声の主は、牢屋番をしていたごろつき。何かが暴れる様な音がして、痛みを叫ぶ悲鳴が途中で途絶える。
そして、床を靴が叩く音だけが響く。音が少しずつ大きくなって、誰かが近付いて来るのが分かった。
「……何だ、何が起きて。もしかして、師匠か?」
そう口にして、直ぐに否定する。エレノアが大胆に動いているのなら、雷光の一つ二つは見えている筈。
隠密行動をしているのだと仮定しても、今度は騒ぎ声が聞こえてくること自体がおかしくなる。ならば自然と結論は、異なる誰かが殴り込みを行っていると言うことになる。
足音が止まった。牢の格子の隙間から覗くのは、巌を思わせる程に野太く浅黒い肌。セシリオの身体よりも、横にも縦にも太い足。
見上げて、それだけでは全長が見えない。二歩三歩と距離を取って、其処で漸く分かるその正体。彼はその男を知っていた。この闘争都市で、誰よりも名の知れた男であった。
「な――っ。闘争領主、エドムンド」
「…………」
その男の大きさに、思わず蹈鞴を踏むセシリオ。そんな小さな少年を見下ろす形で、三メートルを超える巨漢は口を閉ざしたままに立っている。
(不味い。さっきの想定が正しければ、コイツは都市のトップ。詰まり、この犯罪集団側の人間)
「…………」
(って、待てよ。なら何で、犯罪者どもを潰した? あの動揺は、演技って感じじゃなかったし)
「…………」
(訳分かんねぇ。コイツ、一体何が目的で――)
己の腰どころか、膝の位置にも届かない小さな子ども。それを見下ろす巨漢の口は、閉ざされたまま開く素振りも見せていない。
一体何を考えているのか。一体どうして此処に居るのか。読もうとしても、その巌の如く動かない表情からは何も見えては来なかった。
「貴方は、何をしに来たんですか? エドムンドさん」
「って、カロル!?」
「セシリア。考えていても、答えは出ません。なら、何を考えているのか、聞いてみましょう」
「…………」
戸惑うセシリオに代わり、キャロが問い掛ける。もしも敵意があったらどうなるのか、読めないセシリオは慌てるがキャロは素直にそう返した。
それは二人の違いであろう。現実を見ている。人の悪性を知っている。絶対に失ってはいけない人が居るのがセシリオ。夢を見ている。人の善性を信じたい。既に多くを失っていて、それでもそう願うのがキャロ。そんな違いから、同じ物を見ても互いに違う答えを出す。
「……少し、考えていた。どう、語るべきかを」
どちらが正しく優れているのか、などを問う意味などはない。そも、比較するべき物ではないのだ。
ただこの時この場に限るのならば、正しい答えを口にしたのは蒼き髪の少女であった。素直に信じると、それこそがこの男に対する最良の解答。
「俺は、不器用だ。気の利いた言葉など、浮かばない。考えて、それが分かった。だから、行動で示すとしよう」
彼が無言であったのは、涙を流しているであろう子ども達にどう対応すれば良いのか分からなかったから。
ずっと考えていたのだ。囚われている事実を知って、動き出したその時から。なのに此処に至っても、何を言えば良いか分からなかった。
そんな不器用な男は、その両手で格子を握る。全身の筋肉が膨れ上がって、鉄の格子が音を立てて拉げ壊れた。腕力だけで、牢獄に確かな出口を作り上げたのだ。
「助けに来た。他でもない、此処に居るお前達全員を」
魔物の様に醜い顔立ち。余りに巨大な背丈の筋肉達磨。そんな彼は武骨なままに、慣れない笑みを浮かべて語るのだ。
「お前達が居るべき場所へ、必ず帰してやる。俺は、その為に来たのだ」
子ども達を、助けに来た――と。不器用に浮かべた歪な笑みは多くの子どもが恐怖を感じる物であったが、そうであるが故に裏など何一つとしてない。
不器用で武骨なその優しさは本物だと感じたから、怯え震える子ども達とは違って、セシリオとキャロの目にはとても力強い物に映っていたのだった。