その3
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身の丈に迫る程の大剣が、雷光を纏って疾駆する。雷招剣と称されるは、名高き聖王国が三将軍の一人が勇者との旅路の中で見付けたとされる秘宝。
伝説に名を連ねる価値があると、成程その評価に一切の誤りなどはあるまい。細身の刀身で受け流しながら、セニシエンタは苦笑する。大剣が相手と言う点では前日の闘技と同じだが、余りに武器の質が違うと。
セニシエンタの武器とて、安売りの大量生産品と言う訳ではない。素材から厳選し、西でも有数の鍛冶師に打たせた専用装備だ。
だが、所詮は現代の品。伝説の武具と比すれば、当然一つ二つでは済まない程に格が落ちる。
真面に受ければ、気で強化しようとも秒と持たずに折れるであろう。完璧に近い形で受け流せたとして、それでも刀身は歪み疲弊が溜まる。十は流せるだろうが、二十を超えるまでには獲物が折れて壊れてしまう。それ程に、明確な差が存在している。
それを卑怯などと、口に出すことは出来まい。運も実力の内と言う様に、貴重な武具を得ることもまた然り。
まして相手は武器の質に頼り切っている訳ではないのだから、それでどうこう言うのは見っとも無い。超一流と言う自負が己にあればこそ、格が落ちる様な真似は出来ない訳だ。それに、武器が良いだけで勝てる様な、そんな者が頂点に居られる筈もない。
「君が剣や鎧に頼り切り、道具に使われている様な相手なら容易かったんだけどね。見事なものだと、素直に思うよ。少し未熟も残っているけど、君は武器を使えている」
「はっ、そりゃ南で師匠に散々言われたからよッ! 死線を幾つも超えて変わってねぇなら、それこそどうだって話だろうがッ!!」
そんなセニシエンタの目から見て、向かう鎧姿の少女は未熟は残るが敵と呼ぶに足りる者。そうであるが故に、武具に頼り切った弱者ではないと、その剣に映る彼女の轍を賛辞する。
強い武器を手に、それだけで乗り越えて来た相手ではない。洗練されたその闘気と剣の技量は、弱者が持てる者ではないのだ。女の賛辞を耳に、エレノアは剣を振り被る。
風雅美麗の実力は本物だ。圧倒的に劣る武器を手にしながら、戦いと言う形を維持している。これが南方に居た頃のエレノアだったら、既に敗北していただろう。それ程に、この女は強かった。
それでも、エレノアとてあの日から何もして来なかった訳ではない。悪なるを自負する彼に救われ、夢を取り戻したあの日から、超えて来た死線は一つ二つでは済まない物。量はともかく、質ならこの女にも負けてはいない。
旧時代の兵器を前に、仲間と手を取り合うことの大切さを。東から来た武人たちとの戦いで、淀んでいた闘気は清廉さを取り戻した。
嘘吐き魔女の戦場では、それまでは出来なかった魔剣の制御を。因果応報の獣や呪術師を相手にして、確固とした基礎の上に積み上げた今がある。
そうとも、実力だけはA級と。そう呼ばれていた頃よりも、強く強くなったのだ。エレノアは既に、A級冒険者の最上位とも対等に戦えるだけの力を得ていた。
「だからこそ、少し疑問だ。君程の実力者ならば、本選入りも確実だろう。この場で、リスクを冒す意味が見えないな」
重い雷剣の一撃を流しながら、セニシエンタは疑問に思う。エレノアが実力者であると認めて、だからこそこの場での戦闘が理解出来ない。
何故ならば、今そうする必要などは何処にもないから。この観客も居ない小さな闘技場で、セニシエンタに挑むメリットなどはない――とまでは言わないが、デメリットが余りにも大き過ぎた。
「これは予選。参加者を定める為のバトルロイヤルだ。君の実力ならば他の参加者を落として、本選で僕と戦った方が良いと思うけどね」
西方大武闘会。その初日は、一般公開されない予選日。本選会場となる中央闘技場以外の四ヶ所で、行われているのは参加者を集めたバトルロイヤル。
各会場で二人ずつ。最後に残った二名が、本選参加者と選ばれる。上位八名によるトーナメント戦が待っているのに、予選で札を見せ過ぎるのは明らかな愚策だ。
同じ予選ブロックに、セニシエンタが居たことは確かに不運であった。これで本選出場が一名のみなら、彼女以外の参加者は結託して襲い掛かったであろう。
それでも、今回の出場者は上位二人。席が一つ埋まるとしても、もう一つは残るのだ。ならば無理してセニシエンタに挑むより、他の参加者を落とした方が良い。合理的に考えれば、それこそ当然と言うべき思考だ。
(……確かにコイツと此処でやり合えば、落ちるリスクは高い。逆にコイツとやり合わなければ、先ず敗北はありえねぇ)
此処でセニシエンタに挑む。そのメリットが全くないとは言わない。外部の目がないとしても、見ている者は確かに居る。A級と互角に戦えると、実力を示すには良い機会だ。
それでも、それは本選会場でも出来ること。観衆の有無を考えれば、本選で為した方がより良いこと。そうでなくとも、セニシエンタと戦えば負ける可能性があり、戦わなければ突破は簡単。周囲の実力を見れば、それは確信出来ること。
先の戦闘で理解していた。剣を合わせて、より確かに実感した。エレノアが押しているのは、武器の差が故。素の技量は確実に、セニシエンタの方が上であると。
底が知れない。剣を合わせて、感じるのは怯えにも似た情。正直言って、後悔してないと言えば嘘になる。冒険者のイロハを教えてくれた先達の話や、闘争都市のギルドで集めた情報以上に、この女は強かったのだ。
風雅美麗セニシエンタは、A級冒険者の中でも一番強い。ギルドで起きた模擬戦の結果であるが、闘争領主エドムンドを除いた二人のA級がこの女と戦って敗れている。
当時B級だった幽玄凶手ファブリシオは、彼女に負けたことを切っ掛けに暗殺者へと転向した。手腕手管アウグストが南に行ったのも、セニシエンタに何でもありの一騎打ちで敗れたことが原因だ。
一番強く一番ギルドに貢献したA級が、最高位であるAA級の冒険者となる。そして前線を辞した後、AA級の冒険者が次のギルドマスターになるのだ。その点で言えば、風雅美麗こそが最もその座に近い者。
彼女がこの大武闘会に出場したのも、恐らくはそれが理由であろう。此処でエドムンドを下せば名実共に、この女に勝る冒険者は居なくなる。正しく冒険者の頂点と、そう呼ばれるに足る女。
流水の如くに斬撃を流して、涼しげな表情で腕を振るう。土の精霊を宿した力が追撃の手を妨害し、生まれた隙に襲い来る刺突が鎧の隙間を的確に突く。
雷光で自らの肉体を加速させ、迫る刺突の位置をずらして鎧で弾く。それでも完全には防ぎ切れず、少しずつ血が滲んでいく。致命打を受けるのが先か、相手の剣が折れるのが先か、宛らチキンレースにも近い状況。
こうなると、分かっていた筈だ。それが読めない程、エレノアは弱くない。此処で戦うべきではないと、そんなのは最初から分かっていたこと。
けれど、少女は選んだ。この組み合わせを見たその時に、冒険者の頂点に挑むのだと。それが非合理的な発想だと分かって、それでも選んだのはこの選択。
(けど、それは合理的だが、それだけの発想だ。戦ったら危ないから逃げに回ると、その時点で負けている。……そんな女がどうして、夢を追えると言うのッ! 夢を、夢で終わらせない為にもッ!!)
心の中で、そう叫ぶ。一番大切な物はまだ見付からなくても、確かに今も思い出せた夢がこの胸に燃えている。
愛する人を、守れる様な騎士になりたい。家族を奪った男に対する憎悪と同じくらいに、エレノアはそう成りたいと願っている。
守りたい人は、あの日に救ってくれた恩人。今の己が恋い慕う人は、誰より強い魔王の一柱。それを守ると豪語するなら、最強の冒険者如きで躓いてなど居られない。
合理を理由に逃げたら、夢が唯の夢に成ってしまう。そうと感じていたからこそ、エレノアは挑むと決めたのだ。真っ向から逃げないで、当たり前の如くに乗り越えて魅せるのだと。
「此処に西のトップが居る。だったら、挑まねぇ理由があるかッ!!」
「成程、確かに分かりやすい。気持ちの良い啖呵だよ、若人よ」
何度目かになる打ち込み。甲高い音は響かない。金属同士がぶつかり合う音を立てることなく、風雅美麗は威力の全てを流し切る。
だが、そうなるとは分かっていたこと。繰り返す斬撃は、無駄ではない。受け流す度に刀身は歪んで、このままならばそう遠くない内に剣が折れる。
そうでなくとも、刀身が歪めば正確な刺突も出来なくなる。鎧の隙間を的確に突く様な技巧が使えなくなれば、順当に敗北するのはセニシエンタに他ならない。
「だが、だからこそ、負けてはあげられないな。意気込みだけで無謀な冒険をする愚か者に、西の鉄則を教えてあげよう。地図も持たない冒険者が、見知らぬ場所で冒険なんてするんじゃないッ!」
「――ッ!? 強制術式か!!」
そんな単純なこと、彼女に分からない筈もない。故に流れる様な動作で、発動するのは行動強制。半歩遅れて勝手に動き出そうとする身体に、エレノアは闘気を全力で流す。
強制術式の干渉力は、単純であるが故に強力だ。実力が拮抗している以上、全力で高めた抵抗力でも、動きが止まる程度の隙は出来る。その一瞬の硬直こそが、セニシエンタの狙った物。
エレノアには実力がある。そして挑もうと言う意志も見た。それでも、彼女は冒険者としては失格だ。セニシエンタは、そう断じる。
相手の底を見極めずに、自己の実力を過信して、挑む必要もない場で挑む。それを愚かと断じることに、躊躇いなどは一切ない。そしてそんな蛮勇に、負けてやる訳にはいかない。
敵を確かに見極めて、挑む前には万全の準備を。無理な冒険をしないことこそ、西にとっての鉄則。エレノアの行いは周辺の地図も持たずに、着の身着のまま飛び出した旅人と同じだ。
見知らぬ場所で、何処に何があるかも分からないままに行う当てもない旅路。果てにあるのは愚かな死と、無謀の結果はそれしかない。そうなる前にそれを教えてやるのが、A級と言う地位の義務。
そうと断じるが故に、硬直した少女に迫るセニシエンタ。その刃は確実に、その身を貫き破るであろう。そんな刺突を前にして、エレノアは吠えた。
「な、めんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「雷属性の精霊術。闘気量の割に、規模と威力が大きい? それが、雷招剣の能力か!?」
瞬間、巻き起こるのは災害と思わせる程の精霊術。雷の嵐は本人の技量よりも出力が強く、セニシエンタでも直ぐには支配権を奪えぬ物。
己の身が動かぬならば、力を全方位へと発して吹き飛ばす。迫る雷光を前に刺突を止めた女は、精霊の支配権を少しずつ奪いながらに後退する。
一度で支配権を奪えぬならと、小分けに解体していく女。どれ程技術があろうとも、そんなやり方では被害を零には出来ない。
軽い火傷を手傷と負いながらも、如何にか光の嵐を散らしていく。そうして全てを散らした直後、セニシエンタの目の前には光を纏ったエレノアの姿があった。
「私の実力! 貴女の実力! 見えない全てをひっくるめて、私はこう判断したの! 今は――前に進む時だってッ!!」
挑むと決めた。決して、無謀ではない。確かな勝機があると、届く距離であると分かってこの道を選んだ。だからこそ、その上から目線は唯の罵倒だ。
この一撃で、侮りであると示してみせる。振り上げた刃は雷を纏って、光の剣を振り下ろす。この距離、取ったと。確実な手応えを感じたから――極光が消え去った後、其処に残る結果を前に舌打ちした。
「……躱された、か」
「紙一重、ですらなかったけどね。久し振りだよ、腕が動かなくなったのは」
身を躱すだけでは、防ぎ切れない程の雷光。それを前にして、セニシエンタが選んだのは己の腕を犠牲とすること。
利き手とは逆の手を前に出し、その腕が潰れる前に精霊力の支配を奪った。そして隙間を作り上げ、其処から抜け出したと言う訳だ。
だらりと垂れて、力が入らない右手を見る。痛みを表情に出すことはないが、不快な汗は止められない。してやられたと感じながらも、セニシエンタは笑みで隠して称賛した。
「先の言葉、撤回しよう。見知らぬ地で地図がなくとも、君は道を知らない訳ではなかった。あてもなく歩いている訳ではなく、次の町が地平線の先には見えていたんだね」
「まだ、そんだけの距離があるって言うかよ」
「勿論、事実はどうあれ、僕はそう語り続けよう。それが冒険者の頂点と、課せられたこの身の義務だ」
そして女は訂正する。実力を過信し無謀を行う冒険者と見下したが、その判断は誤りだったと此処に認めた。
敵と言いながらも、上から目線で見下している。そんな事が通じる相手ではない。底を明かそうとしない以上、気を抜けばその瞬間に喰われるぞと。
だが、認めた上で彼女はその在り方を変えない。この身は相手よりも上位に居る。最高峰の冒険者だと、そう呼ばれたからには義務がある。
事実がどうあれ、遥か高みに居るのだと語るのが彼女の義務。頂点は遠いのだと、その姿で魅せねばならない。それが、セニシエンタの演じる優雅さだ。
「それと、可愛らしいお嬢さん。無理に男言葉を使うより、素の方が君は魅力的だったよ」
「うっせぇ、癖になってんだよ。それに、なんつーか、今更素になれっか」
傷を精霊術で癒しながら、何処からともなく取り出した薔薇の花に口付けする。その姿に一体何の意味があるのか。半眼になって見詰めながら、エレノアは切り込めない。
消耗が大きいのは彼女も同じだ。全力での闘気術を用いた以上、気の総量はごっそりと減った。身体の傷はセニシエンタの方が重くとも、生命力の消費量は互いに同等だろう。
傷を癒すのに消費する量を考えても、多少有利な程度である。届く距離に居るとは言え、やはり冒険者の頂点とは遠いのだ。
素直にそう認めた上で、それでも挑むことを止めはしない。ヒビキの背を守れる様になる為に、臆して退く時間などはないのだから。
そう意識を定めて、攻め込む隙を探すエレノア。そんな彼女の顔を暫し見詰めて、セニシエンタは微笑みながら言葉を口にした。
「……ふむ。どうやら、お嬢さんには想い人が居たようだね。これは失礼」
「はぁっ!?」
「この僕が口説いて、靡く素振りもないからね。そういう娘は何時も、既に心の中に一番が居るものさ」
「おまっ、どんだけだよ」
「美しいと自負があるなら、無駄な謙遜は害悪だよ。僕は僕の美しさを知っている。そしてそれを誇っている。誰に憚る必要もないと、胸を張って語ろうじゃないか」
指摘を受けて赤くなり、続く言葉にげんなりする。僅かな言葉で乗せられている姿は、若さ故に仕方がないものだろう。
恋に恋する未熟さは、時に強さにもなるが弱さにもなる。実力で並べど、年齢故の経験不足が勝敗を分けることもある。この幼い少女に、それを教えてあげるとしよう。
セニシエンタは口付けによって、気を流し込んだ薔薇を投げる。その投げた姿勢のままに指を鳴らして、空で薔薇の花弁が散った。
「愛らしい恋する乙女。君の恋物語にも興味は尽きないが、一先ずはこの舞踏会に幕を引くとしよう。……アシェンプテルの靴を求めて、王子は策を此処に弄する」
「――なっ、足がッ!?」
未熟さが一つ。知識の不足。何でもない物に気を込めて、それを媒介に発動する魔法もあるのだと。高度な技術故に、専門家以外は知らない技。
それでも、対人戦の経験が豊富であれば警戒程度はしたであろう。幾ら恋心を指摘されて揺らいでいたからと言って、それで相手の不審な動作から目を逸らしたのは失策だ。
エレノアの足が縺れて、その身が転びそうになる。この術式は、相手を転倒させると言う単純な干渉魔法。
当然、そうなる前にエレノアは抵抗する。転ばせようとする干渉を闘気で防いで、傾いた身体を剣で支える。セニシエンタの想定通りに。
「手にした靴は誰が物か、問い掛けに答える愚かな者。爪と踵を切り裂いて、これぞ私の靴なるぞ。其の偽称に返るは瞳を失う罰である」
抵抗の為に、気を使った。転ばぬ為に、剣を使った。残るは無防備な身体で、其処に更なる布石を撃ち込む。
五小節からなる最上級魔法。これも彼女の切り札の一つ。殲滅級の魔法を改竄した、一対一で用いる決闘術式。
エレノアの視界が奪われる。右の足は爪先から、左の足は踵から、立っていられない程の痛みが襲う。
如何にか闘気を練り上げて、抵抗しようにも干渉力が強過ぎる。幾らエレノアの全力であろうと、復帰に掛かる時間はどれ程か。
(目が、見えない。足も、潰された。如何にか、取り戻さねぇと――コイツを相手に、一瞬でも隙を作っちまうのはっっ!!)
「さあ、午前零時の鐘が鳴るぞ。王子よ、姫を追い掛けろ!」
其処で更に、畳み掛けられる行動強制。両足を襲う立てない程の痛みが、勝手に動く身体によって更に抉られるかの如く。
声を我慢出来ない程の激痛に、踊らされる己の身体。見えない瞳でも分かる。今の自分が、致命的な隙を晒していると言うことは。
「っっっ! オォォォォォォォォッッ!!」
ならばどうする決まっている。此処まで行動を制限したのだ。その先に止めの一撃が来ると、想像するのは容易いこと。
ならばどうする決まっていよう。状態回復は間に合わない。止めの一撃を撃ち込まれる前に、己の全力で全てを切り裂く。それだけが、残された僅かな勝機。
「最大出力! サンダァァァァァッ! ブレイカァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!」
例え何処から近付こうとも、全てを薙ぎ払ってしまえば良い。残った闘気を全て注いだ雷光の剣が、小さな闘技場の全てを包んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
そして、地面に膝を付く。漸くに戻って来た視界の先に、立っていたのは唯の一人。
「この剣も持たなかった、か。此処まで追い詰めて、それでも一歩間違えればこの僕が負けていた……ふふっ、流石だよ。本当に、人間は素晴らしい。本当に、世界は美しい。少し目を向ければまだ見ぬ煌めきが、其処彼処に散りばめられているのだから」
片手を奪われ、細剣を壊された。柄から下しか残っていない剣を見詰めて、セニシエンタは小さく笑う。
予想はしていた。だから躱せた。それでも、予想していても獲物を失った。それ程に強く、予想以上だった雷撃。それを前に、まるで恋する乙女の如く、素晴らしいと笑っている。
上気する頬。高鳴る鼓動。心がこの先を期待して、理性がそれを如何にか制する。そんなセニシエンタを前にして、エレノアは歯を食い縛って立ち上がった。
「――っ! まだだっ!」
まだだ。まだ負けてない。己の闘気は確かに尽きたが、まだ剣を振るえる手足は残っている。
対して、相手は獲物を失くした。片手の傷もまだ治り切ってはいなくて、勝利の可能性はまだ確かにある。
それが強がりだとしても、そう信じて前に進む。諦めない限り、敗北ではないのだ。
そう意志を奮わせたエレノアに対し、セニシエンタは微笑みながらに告げる。既に勝負は決していた。
「いいや、此処までだ。今宵の舞踏会は、もう閉幕の時を迎えた」
「何をっ! まだ、私は――!」
「よく周りを見ると良い、これは大会の予選だよ」
言われて、女から視線を外さずに周囲を見る。そうして、エレノアは気付いた。女が語る、決着の理由を。
其処に在ったのは、死屍累々の如くに倒れた参加者たち。これは一対一の決闘ではなかったという事実を、忘れていたことこそエレノアの敗因。
「――ッ!? お前、端からこれが目的でッ!!」
この小さな闘技場に居たのは、彼女たちだけではなかったのだ。バトルロイヤルと、だから多くの闘士たちが闘技場内で鎬を削っていた。
エレノアの雷光が、そんな彼らを蹴散らしたのだ。視界を塞がれ、動きを制限され、狙いを付けられずに放たれた光の斬撃が他の闘士たちを巻き込んだ。
そして、あの薔薇が縫い留めていたのは、エレノアだけではなかった。セニシエンタは彼らが逃げられない様に、必ず当たって全滅する様な位置取りを作っていたのだ。
「言っただろう、一度閉幕にすると。君の様に美しい華を相手に、こんなみすぼらしい舞台では勿体無い。決着は、本選会場で付けるとしよう」
微笑みながらに語る風雅美麗。敵一人に専念していたエレノアに対し、彼女は常に周囲を見て戦場を組み立てていた。
エレノアを此処で落とすのは惜しいと、そう判断したから己が本気になってしまう前に戦いの理由を奪う。本選到達者が決まれば、予選は其処で終わるのだから。
「勝ち上がってきたまえ、エレノア・ロス。西の高みで、君を待とう」
闘技場の客席に居た審判が、予選終了を宣言する。それを何処か遠くに聞きながら、エレノアはその拳を握り締める。
余裕の笑みを浮かべたまま、動く左手を差し出してくる風雅美麗。澄ましたその顔を見上げて、歯を噛み締めながらに実感する。
悔しい。どうしようもない程に悔しく、言い訳の出来ない程に完全な敗北。
なまじ手が届いたから、勝利の目はあったから、怒りと悔しさが泣きたい程に湧いてくる。
(落ち着け。此処で切れても、意味がねぇ)
それでも、まだ次がある。本選には出れるのだ。この借りは、その時に返してやれば良い。高みで余裕を浮かべるこの女を、其処で確かに下してやるのだ。
心にそう決めて、その手を取る。力強く握り返して引き上げて来る女にされるまま、立ち上がる途中で囁くように宣言する。己の心はまだ、折れてなどいないと。
「……本選では勝つ」
「ああ、期待している。相応しき時がくれば、共に美しく舞うとしよう」
風雅美麗セニシエンタはやはり変わらず、何処までも余裕に満ちた笑みを浮かべている。
本選ではその顔を絶対に、泣き顔へと変えてやる。A級への昇格以外に、此処で為すべき目的が増えた瞬間だった。
セニシエンタさんじゅうきゅうさい「魔法少女セニシエンタ参上! これが冒険者の頂点である、僕の美しき戦いさ!」
冒険者としての経験値差で勝利したセニシエンタさんですが、実は彼女、アリスちゃんの聖都襲撃時点でかなりの活躍をしています。
その時点で既に、一線級の実力者だった。因みに魔王が勇者に倒されたのが二十年前で、アリスちゃんが聖都を襲撃したのはその五年後の出来事です。
詰まり彼女は、若くても二十代後半。もしかしたら、本当にさんじゅうきゅうさいを超える可能性だって十分に期待できますよ! セニシエンタさん!