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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第一幕 竜と猫のお話
13/257

その10

 聖なる剣を手に、少年が歩を進める。

 汚濁を羽織った異形の老人は虚空に浮かび上がり、迫る少年を迎え撃つ。


 何処からともなく、現れるのは捩じれた杖。

 屍人の王は歪んだ杖を手に、聖剣を持つ少年を近付けんと力を振るう。


「吹き荒れろ、穢し汚せ、汚濁の風。昏迷の呪詛は此処に、遍く生者は呪われろ――クリミナルトルネードっ!」


 発言するのは、精霊術と似て非なる力。

 魔法。魔物が持つ瘴気を力の源とする、呪われし邪法である。


 紡ぐ呪文は五節。魔法は刻んだ小節の数だけ、その威力を引き上げる。

 同時に小節が増える度に、その制御と発動の難易度を飛躍的に跳ね上がる。


 大魔導師と御伽噺に語られる者すら、安定して発動できるのは四小節。五小節とは、間違いなく世界最高峰の技術であった。


 五つの小節を以って紡がれる魔法は、大陸でも既に失伝しかけた最上級魔法。

 戦場において戦術的価値を発揮するのが上級魔法ならば、戦場が一変すると言われる戦略規模の魔法こそ最上級のそれである。


 呪文に応えて巻き起こるのは、風速六十メートルを超える巨大竜巻。


 壊れかけた家屋が吹き飛び、土と砂と瓦礫が空を舞う。

 それは明確な悪意を持って、牙を剥いた自然災害。人を塵の如くに吹き飛ばす魔性の颶風。


「っっっ」


 聖なる剣を支えに、ヒビキは吹き付ける暴風に耐える。

 精霊の力が瘴気を浄化し、軽減していると言うのにこの暴力。


 大地に突き刺した剣に、しがみ付いて目を閉ざす。

 吹き飛ばされそうな小さな身体で、必死に留まろうと耐え続ける。


 だが、これは唯の風ではない。

 まるで地獄の底から吹き付ける様な呪風は、全てを生きたままに腐らせる毒を孕んでいる。


「……身体が、腐る」


 生きたままに、全身が腐毒に犯される。

 焼け爛れた様な肌は、卵が腐った様な臭いを漂わせる。


 これぞ戦略級魔法。

 最上位の腐毒を孕んだ風は、それ単独で国家を滅ぼす。

 ただ暴風に耐えているだけでは、先などありはしない。


「やぁぁぁぁぁっ!」


 だから、気合一閃。その不浄の風を断つ。

 颶風に吹き飛ばされながらも、その蒼き刃を振り抜いた。


 蒼銀の輝きが翻り、振るわれた刃が吹き付ける風を切り裂く。

 吹き飛ばされた少年は壁に叩きつけられて、それでも両の足で立ち上がる。


「っ、まだっ!」


 そしてヒビキは、歩を進める。

 その足は、決して速くはない。その速度は、唯人の域を出ていない。


 それも当然、今の彼は紛れもなく唯の人間。

 悪なる竜の力を振るえぬ彼では、その剣が届くだけの距離を詰められない。


 ならば当然、乗り越えた魔法に続く第二の魔法。

 先と同じく戦略規模の大魔法が、此処に新たな力を示す。


「塗り替えよ、奪い染めろ、偽りの豊穣。命亡き虚ろの型よ、我に従いて敵を討て――ダークネスコープスっ!」


 命なき土人形が、地面より這い上がる。

 泥水を固めた不格好な人型が、数え切れない程に出現する。


 死者を浄化されたが故に、最も得意とする死霊術を使えぬ死人の王。

 故に彼が呼び起こしたのは、瘴気によって偽りの命を与えられた無数の兵団だ。


「っ、はぁぁっ!」


 大地を錬金して生み出した鋼の武具。

 その刃を手に襲い来る土人形を、聖なる剣で迎え撃つ。


 その聖剣は、希望の光剣。

 瘴気によって変じた剣など物の数ではなく、切り結ぶ事すら出来ずに人形は泥へと還っていく。


 正しく鎧袖一触。

 星の奇跡を前にして、戦場を変える程度の力は通らない。


 だが、それでも――数が多過ぎる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「ク、クカカ、息が上がっているぞ。小僧」


 今のヒビキは人間だ。竜の因子が封じられ、唯の人間へと劣化した。

 歌が得意で、容姿が綺麗で、それ以外には取柄なんて何もない人間だ。


「未だ兵は残っておる。万を超える兵団は、未だ一割とて減ってはおらんのに、その様では先が知れるぞ?」

「っ! やぁぁぁぁぁっ!」


 聖なる剣を鞘より抜いた今、その身体能力は最低限にまで落ちている。

 運動神経は壊滅的で、体力なんて欠片もなくて、精霊の守りも真面に働いてはいない。


 そんな人間が挑むには、屍人の王は強大過ぎた。

 この死人の王は人の魔法使いの成れの果て、魔物化とは魔法を極めた先にある秘術。


 魔法使いと言う存在が至れる到達点こそ、この不死身の王なのだ。


「焼き尽し、呪い堕とせ、冥府の獄炎。贖いの時は此処に、死人と共に灰となれ――ヘルエクスプロージョンっ!」


 そして、極大の炎が大地に堕ちる。

 最上級魔法の中でも、最高の火力が此処に顕現する。


 一瞬、音が消えた。

 直後に起きたのは、膨大な破壊力を伴った閃光と熱風。


 土人形の兵団すらも巻き込んで、災厄の火が全てを焼き払った。


「っ、ぁぁぁぁぁっ!!」


 戦場にある砦を、配属された兵士諸共に焼き尽くせる最上級火炎魔法。

 それが齎した破壊に巻き込まれて、ヒビキは襤褸屑の様に吹き飛ばされて地に伏せる。


 地面に崩れた少年は、最早虫の息。

 所々の骨が圧し折れ、関節がおかしな方向を向いている。

 全身からは夥しい程の血に塗れ、露出した肌は火傷に覆われていた。


 生きているのは、土人形が壁になったから。

 土の壁があって尚、瘴気を浄化して尚、それでもそれだけの被害を受けた。


「……小僧が、儂を驚かせおって」


 対して、ローブの老人は無傷である。

 魔法使いの到達点。不死者の王は、特別な武器一つで倒せる者ではない。


 終わってしまえば、存外あっけがない。

 そんな感慨を抱きながら、屍人の王は倒れた少年を見下していた。


「魔王が聖剣を持つ。確かに使い熟せれば、それ程に恐ろしい事はない」


 目に映るのは、聖なる剣。

 南の果てに封じられたと伝えられた、至高の聖剣。


 聖なる剣を持った魔王。魔王の力を振るう勇者。

 そんなものが居たとすれば、間違いなくソイツは世界最強だ。


「だがのぅ、不可能じゃよ」


 だが、あり得ない。

 そんな最強は成立しないと、長き時を生きた賢者は語る。


「闇と光が合わさり最強となる? 矛盾を孕んだ相克は、究極たる混沌に至る? クカカ、所詮は餓鬼の妄想よ」


 闇と光は、相反するモノ。

 精霊と瘴気は、交じり合えないモノ。


 相反するとは、互いに反発するから相反すると称するのだ。


「程度が低い。思考が浅い。真理以前に常識さえ知らないか」


 火と水を混ぜれば、どちらも消える。

 同じ正数と負数を足し合わせれば、其処に出る答えは零だ。


 そんな事は子供でも分かる、当たり前の常識であろう。


「闇と光は、相反する。それを無理に内包すれば、それらは互いに足を引く。聖なる剣は魔王の力を封じ、魔王の力は聖剣の輝きを鈍らせる」


 そんな常識を、血に塗れた子供に告げる。

 お前はそんな事すら知らないかと、嘲弄を込めて嗤い続ける。


 ヒビキと言う少年は、絶体絶命の窮地にあった。


「嘗ての勇者は、精霊の加護を受け、魔を払う守りを持っていた」


 悪なる竜の身体能力は、精霊の加護に阻害されている。

 勇者の遺志に答えた剣が、ヒビキを守らんとしているが故に、彼は超常の身体能力を失っている。


「嘗ての魔王は、膨大な瘴気を生み出し続け、圧倒的な性能で全てを蹂躙した」


 聖なる剣の浄化の力は、悪竜の波動に汚染されている。

 悪なる竜は、周囲の瘴気を喰らって荒れ狂う。今にも目覚めんとする怪異が、心の中で暴れている。


 故にこそ、希望が消えぬ限りは無限に力を発揮する聖なる剣が、今にも消え去りそうになっている。


「だが、今の貴様にはどちらもない」


 相反する力は混ざり合わない。

 互いに足を引く力を、混ぜ合わせる術がない。


 故に剣を抜いたヒビキは、致命的なまでに弱体化したのだ。

 誰かを救う為に手にした剣が、少年から最強の力を奪い去った。


「魔王の持つ性能は全て殺され、相殺しあった精霊の加護は失われておる。今の貴様の脅威など、その手にした剣一つ」


 残った脅威は、その手にした聖なる剣。それだけが、たった一つだけの脅威。

 悪竜の因子を抑え付けて外部に露出した剣だけが、人に戻った彼にある唯一つの可能性。


「そしてその剣すらも、見るに堪えん程に弱っておる」


 だが、それすらも弱っていた。

 その全ての絶望を切り裂く筈の希望の剣は、嘗て見た時よりも遥かに輝きが鈍っている。


 それは彼の心が、無限の希望を生み出せないから。

 そしてもう一つ、有限となった力を無駄に使い過ぎているから。


「元より、封じるだけで手一杯だったのじゃろうて」


 魔王を倒した聖なる剣とは言え、最強の魔王たる悪竜を封じ続けるのは難しい。


 担い手はいない以上、無限の力など発揮は出来ない。

 残された願いに応え続ける剣の中には、最初から大した力は残っていなかったのだろう。


「ネコビトを救い、ミュシャを助け出し、今尚守る障壁を作り出し、その代価にその輝きは今にも潰えそうではないか」


 そして、その有限の力を浪費した。

 ネコビトの魂を浄化し、ミュシャの体内に巣食った穢れを消し去る為に。


 そして今尚眠る彼女を守る為に精霊の加護を与えている。

 そのお陰で、爆心地に居たミュシャに被害はない。傷付いているのは、ヒビキだけだった。


「愚か。実に愚かよ」


 それだけの力が残っていた事こそ、奇跡と言うしかない状況だろう。

 それだけの力を守る事と救う事に浪費したからこそ、ヒビキはこうして無様な姿を晒していた。


「善が勝る。そんな法則はない。悪が負ける。そんな法則もまた、ない」


 誰かを救うと言う善意が為に、悪辣なる敵に敗れ去る。

 ヒビキは敵を討つよりも、守る事を望んだからこそこのまま敗北するのであろう。


「戦場において、社会において、より優位となり得るのは、常に悪辣なるモノよ」


 善意は悪意に勝らない。善人が報われるとは限らない。


 どんな状況でも優位になるのは、手段を選ばない悪である。

 無数の縛りと枷を受ける善は、そうであるが故に常勝の存在足り得ないのだ。


「正義とは、悪の対義に非ず。勝者こそが正義であり、ならば正義とは善ではない」


 勝者が歴史を作るのが、人類史の常である。

 勝てば官軍。力こそが正義。正義とは常に勝利する事。


 ならば人の善意とは、決して正義足り得ないのではなかろうか。


「お前の意志は、大切な誰かを救いたいと言うモノ。それは確かに美しいが、余りに脆いのだ」


 法衣の老人は、草臥れた声音で口にする。

 その世の無情を、何処か儚む様に彼にとっての真理を語る。


「故に、諦めよ。お前では儂に勝てん」


 その美しさは、人の醜さの前に敗れ去るのだ。

 屍人の王は無情を儚みながら、冷酷な声で勝利を宣言した。




「……訳、分かんない」


 そんな勝利宣言を聞いて、それでも少年は両手に力を入れる。

 傷付いた身体は真面に動かないが、必死に歯を食い縛って起き上がる。


「この剣が、足を引いている。だから、何だよ」


 これより痛い想いはした。

 これより苦しい想いはあった。


 だったら、まだ動ける。

 まだ動けるなら、まだ戦えるのだ。


「正義とか悪とか善とか、結局、何言いたいのか分からない」


 老人の言葉は難解で、結局何が言いたいのか伝わらない。


 それにそもそも、そんな事はどうでも良い。

 善意とか悪意とか正義とか、そんな次元の話はしていない。


「ただ、分かる事が一つだけ!」


 大切なのは一つだけ。守るべき人が、此処に居る。

 必要なのは一つだけ。歩ける足はまだあって、手にした光はまだ消えていない。


 ならば――


「諦めろと言われて、諦めるなんてあり得ない!」


 起き上がって、戦うだけだ。


 その蒼銀の輝きを手に、赤に塗れた黒が立つ。

 今にもふらつくその姿は、それでも確かに美しかった。


「……美しい」


 その輝きに魅せられる。

 あの日見た輝きを、無意識に重ねる。


 或いは悪を為した己を討つ為に、彼が帰って来てくれたのではないかと。


「だが、その美しい輝きすらも、人は汚す」


 だが、その輝きを認めるからこそ退けない。

 容易く潰えてしまう輝きを、美しいと思えたからこそ退けないのだ。


「儂がこうまでも堕ちてしまったように、……人間は醜いのだ」


 人は醜い。人の世は醜い。

 彼の世界を救った勇者が、立ち去って直ぐにまた醜くなった。


 中央は聖教の教えの下、亜人種への弾圧と差別が続いている。

 常に餓え、常に渇き、それでも救われないモノらが居る。彼らの悲鳴は消えてくれない。


 西の大陸は権力と財力と欲望に満たされ、陰惨な資本主義が蔓延っている。

 貧富の差は激しく、一度蹴り落とされれば首を吊るより他に道がない。彼らの悲鳴は消えてくれない。


 東の大陸では、群雄割拠の戦乱が起きている。

 男達が殺し合い、婦女が涙に暮れ、子供達までも殺される。戦国の世は地獄なのだ。


 勇者を前に、一度世界は一つになった。

 魔王を倒す為に、誰もが想いを一つにした。


 だが勇者が去って、世界はあっさりと憎み合った。

 繋いだ筈の絆は消えて、まるで幻想の様に美しさは醜さに変わってしまった。


 その美しさを信じたが故に、今の全てを塗り替えんとしている醜さに老人は耐えられなかった。


 だからこそ、こうして全てを見失ってしまった。

 もう何も見えていない程に、老人は終わってしまっている。


「お前の意志が、確かな物だと言うならば、儂を討て! 善が儚いモノではないと言うならば、儂を討て! その美しい意志の輝きが、醜い悪意に敗れると言うならばっ!!」


 それでも、僅かに残った残照が想いを叫ぶ。


 もしもこの場で討たれるならば、それに代わる救いはない。

 もしもこの場で終われるならば、それに代わる幸福はない。


 それでも、この醜い己に潰される儚さしかないならば――


「やはり滅びろっ! 人間種っ!!」


 人間と言う生き物には、やはり価値がないのだろう。

 故にこそ、屍人の王は己の生涯において最大、至大至高の魔法を此処に示した。


「おぉぉぉ、大いなるモノ。深淵に眠りし邪の神。汝が断片たる穢れた命に希う」


 紡ぐ呪怨は三小節。そんなモノでは終わらない。

 宙に浮かび上がった老人の前に、現れた魔法陣が呪文と共に力を示す。


「全ての生者。全ての死者。遍く全てに呪い在れ。遍く全てに厄災在れ」


 四。五。六。七。上級の更に上、最上級の更なる上。

 禁忌の領域さえも超えるその術は、間違いなく有史以来最高となる究極呪文。


「The sin of Unacceptable」


 無数の骨が、地獄の底から召喚される。

 無数の死者の念が纏わりついて、屍人の王は真実躯の王へと変じていく。


「現臨せよ。絶望の終焉よ! 全てを終わらせろっ!!」


 それは全長百メートルを超える巨大な骸骨。

 天蓋を砕きながら、なおも肥大化する地獄の化身。

 ローブの老人と同化して、顕現するは災厄の魔神。


 十小節と言う途方もない数を以って生まれた怪物は、髑髏の口を大きく開く。


 その顎門(アギト)より放たれるのは、黒く穢れた太陽。

 第三の火さえも上回り、大陸一つを消し去り滅ぼす黒き閃光。


 この一撃が放たれれば、南の大地は消し飛ぶだろう。

 この一撃を防ぎ切れなければ、余波だけでも友達が死ぬだろう。


「……諦め、ない」


 ならば、意志を強く。希望を強く持て。

 この聖なる剣は、強い意志にこそ応えてくれる。


 必ず断てると信じて見せろ。

 この老人の絶望を、希望の剣にて断ち切るのだ。


「必ず、守る。約束は、絶対だからっ!」


 蒼き輝きを強く、心の底から全てを引き出す様に。

 ヒビキはその剣を上段に構えて、向かい来る絶望の極光へと振り下ろす。


「ディスペアー・デッドエンドォォォォッ!!」

「僕が、守るんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 絶望の黒と、希望の蒼銀がぶつかり合う。

 轟音と共に世界が揺れ、全ては極光の中へと消えていった。






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