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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第三幕 竜と魔女と正義のお話
123/257

その6

 先ず最初に断言するが、この世界に呪術師と言う職はない。

 スペルキャスターやアルケミスト、クレリックやマジックナイト。術法に関わるクラスは多くあるが、呪術師と言う物は存在しない。


 存在しないクラスを異名と背負う。それが意味する事実はとても単純。そう呼ぶしかない程に、彼女の手口は悪辣である。女が扱う独自の魔法は、最早呪いと言う他にない。

 アマラと言う女は呪いによって、他者を苦しめ貶める。悪辣な罠と敵の弱体化。その二種の魔法に特化した術者。それしか出来ないからこそ、それだけが異常な程の脅威となるのだ。


「さぁてぇ、先ずは模様替え。中途半端に汚したお部屋を、もっと私好みに変えちゃいましょぉ」


 露出の激しい美女が嗤う。口元だけを微笑みの形に変えて、広げた腕を動かし世界を染める。

 ぐじゅぐじゅと、気持ちの悪い音を立てて黒が蠢く。精霊王に降り注いだ呪いの黒が、祭壇の間を包み込んで塗り替える。


 まるでアリス・キテラが作り出す紅い異界の様に。或いはクロエ・ノームが生み出す砂嵐の世界の様に。

 既に此処はもう違う場所。アマラの呪詛が最も効果を発揮する形へと、神殿が作り変えられる。世界の改竄に、しかし呪は必要ない。


「当たり前の様に、詠唱破棄かよ。……一体、何をしやがった」


 呪文の詠唱を全て破棄して、発動の言葉さえ使わない。制御難度が上がる事など、彼女にとっては何ら苦にはならぬのだ。

 故にこそ、世界最高峰のスペルキャスター。たった数言の言の葉も必要なく、たった数秒の時すら要らず、世界を己の形で改竄する。


 展開された黒き異界。アマラが開いたこの獄は、彼女の性質を色濃く宿した世界。その内に宿った法則とは即ち、他者を苦しめ本来の性能を発揮させないと言う物。


「これ、空気が変わってるにゃ!? コイツ、部屋の酸素濃度を減らしてるにゃッ!!」


「だ~いせいか~い。これにてこの場の戦いにはぁ、時間制限が付きました~」


 ウジャトの瞳が即座に見抜く。理解したこの世界の法則とは、内包する物を減らすと言う力。

 自分にとって都合が良い形に、引き算を続ける事が出来る。それがアマラの異界であって、此度は大気の中から酸素を減らした。


 全てを一瞬で、消し去れる程の力は彼女にない。されど減少と言う性質を付与された以上、消失は時間の問題だ。

 この異界の中で、酸素が増える事はもう二度とはない。一秒単位で、内包する総量が半減していく。その影響を受けるのは、彼女に敵対した者だけではない。


「こういうの、ぞくぞくするわよねぇ。……だぁれが先に死ぬかしらぁ?」


 魔力を減らせば、誰もが魔力を使えなくなる。気を減らせば、誰もが自然と衰弱して死を迎える。此処に居る全てが、減少の呪詛を受けてしまう。

 彼女自身も、例外ではない。この異界の中に居る限り、使い手も酸素濃度の低下に影響される。だと言うのに、アマラと言う女は嗤っている。


 それはそうなる前に、己の勝利を確信しているが故の自信であるのか。それとも、先に死んでしまうのだとしても、それも楽しいと嗤う狂気か。


「ちっ、狂人がッッッ!」


「待つにゃ! エレノアッッ!!」


 溶けた片腕に頓着もせず、笑みを絶やさず見下している。そんな褐色の女が抱いたのは後者であると、エレノアは断じて跳び出す。

 一歩踏み込み、剣を振るえば届く距離。戸惑う必要などはなく、思考する程の余裕がない。消耗は大きいのだから、何かされる前に敵を打つ。


 そんな判断は短慮である。見抜く瞳を持つ少女が咄嗟に叫ぶが、しかしそんな事は分かっている。呪術師は典型的な曲打ちだ。人の裏を掻いて、罠に嵌めて絞め殺す。そういう外法を得手としている。

 分かっていて、しかし踏み留まれないのは、エレノアに時間がないからだ。疲弊し切った今の彼女では、出方を伺っている内に真面な行動も出来なくなるだろう。


 ならば、何があるか分からずとも、全力が出せる今の内に一気呵成に仕掛けて決める。そうしなくてはどの道敗北するのだから、何があろうと恐れず踏み込むしか道はない。敵が何を企んでいようとも、何かをさせる前に潰す以外に道などないのだ。


 雷光を纏って、光と見紛う速さで駆ける。力の反動で全身が痛むが、気にしている暇などない。一息の内に間合いの内へと、そして剣を振り上げた。……だが。


「カースドベノム」


「――ッ! オラァァァァ!!」


 エレノアの剣を振り下ろすより僅か前、笑みを浮かべた唇でアマラが呪を紡ぐ。追い付ける筈のない速力差で、しかし先を行かれている。その異常、それに答えを出すより前に、新たな異常がエレノアの身を襲う。


 呪術師が呪いの言葉を口にした瞬間、その褐色の肌に赤く輝く線が走る。線は軌跡を描いて、文字を形作っていた。

 褐色の肌に刻まれた、赤い刺青が怪しく輝く。その光を見た直後、エレノアは自身の身体に異常を感じる。何かがおかしい、そうと思いながらも最早立ち止まる事など出来ない。


 もう既に、何かをされたのだ。今更退いても遅いのならば、此処で踏み留まるよりも、駆け抜けてしまった方が良い。

 既に限界を超えつつある身体で、それでも出せる最高速。瞬きもしない内に間合いの内へと、エレノアは振り上げた巨大な剣を振り下ろす。


 全力で振り抜いたと言うのに、刃は何故か常より遅い。雷光を纏っているというのに、まるで亀の歩みの様に。放電と言う現象ですら、スローモーションに見えていた。


 いいや、見えているだけではない。事実遅くなっている。全ての挙動が劣化した。劣化していたのは、呪術師に向かって跳び出した瞬間から。既に彼女は呪われている。それが呪術師の言葉によって、顕在化しただけなのだ。


 振り下ろした剣が重い。その重量に引き摺られて、腕の筋が千切れたかの如き痛みを感じる。鉄の塊を支える事も出来ない程に、エレノアの筋力が低下している。それでも、彼女は歯を食い縛る。

 刃筋は乱さない。痛みを対価に払った一撃は、確かな成果を此処に示す。アマラの身体に、大きな斬撃痕を残していた。


「あらぁ、すっごい元気。筋力も速力も、ぜ~んぶ半分にしてあげたのにぃ」


「ちっ、この妙な重さは、そういう事かよ」


 減少の異界と同じく、これもまた減少の力。赤い模様が輝く時、それを見た相手の能力値を全て半減させる。

 アマラが好んで使う、彼女独自の魔法。視覚野を介して行われる、他者を貶める呪術と言う法。それ単独では然程の脅威とはならずとも、積み重ねれば手に負えなくなる代物だ。


 だが、この場に置ける最たる異常はそれではない。エレノアの身体能力が半減した事よりも、おかしな現実が其処にはあった。


「……しかし、どういう事だ。何でテメェ、その傷で平然としてやがる」


 アマラは袈裟に切られている。命を奪う気はなかったが、完全に無力化する心算で切った。常人ならば、痛みで動けはしない程には深い傷。

 出血の量は、放置しておけば命に関わる程。或いは臓器にも刃が届いているかも知れない。それ程の斬撃を受けたと言うのに、アマラは平然と笑っているのだ。


「あらぁ、そうかしらぁ? 実はぁ、痛くて痛くてぇ、気付いていないだけかも知れないわよぉ?」


「ちっ、ネタは分からねぇが、倒れねぇって言うならよ――――動かなくなるまで、打っ飛ばすッッ!」


 意味が分からない。訳が分からない。それでも、何か裏があるのだろう。それを解かない限り、己達に勝ち目はない。

 ならば手の内を見抜く為、更に攻め手を増やして探る。戦いの中で数を重ねて、観察を続ける事で、彼女の裏を暴いてみせる。

 最悪でも、既に嵌った己が潰れるだけ。後を任せられる者らが居る。ならば自分の身を対価として、この呪術師の底の底まで暴いてみせよう。


 そう断じて、跳び出したエレノア。そんな彼女の攻勢は、しかし味方の手によって止められた。


「だから、待てって言ってるにゃッ!」


「――きゃぁッ!?」


 暴れる脳筋を止める為、その頭に拳骨を落とす。鮮やかな金髪を抑えて、エレノアは思わず悲鳴を上げる。


「テメェ、駄猫何しやがるッ!? ってか、駄猫の拳が痛ぇだと!?」


 悲鳴を上げてしまう程に、その拳は痛かった。それは余りに異常であろう。ミュシャとエレノアの差は、本来もっと開いていた筈だ。

 雷光を纏って、飛翔しようとしていた。そんなエレノアに追いつく程の速度をミュシャは持たず、彼女に痛みを与える程の力も持っていない。


 だと言うのに、痛みを受けた。追い付かれて、拳を受けたのだ。それが示すのは事実は一つ、それ程にエレノアが弱体化させられている。


「ああいうタイプに、真っ向から挑む馬鹿が居るかにゃ!? 嵌められるのが、オチに決まってるにゃよ!!」


「逆だッ! ああいうタイプだからこそ、先に暴かねぇと嵌められて、全滅するんがオチだろうがッ!!」


「うん。うん。そうねぇ。どっちもその通りぃ。……けぇど、ちょぉぉぉっと遅かったかにゃぁん」


 余りに真っ正直過ぎだと、それは体力の限界を感じていたから。もう長くは持たないと、だから先に暴かなくてはと、そんな焦りがあった。

 そこに付け込む呪術師は、業とらしく猫人の言葉を真似ながら、新たな呪詛を此処に紡ぐ。彼女にとって脅威となるのは、この場で唯に一人だけ。そんな唯の一人は既に呪いに嵌っていて、故に最早結果は揺るがない。


「カースドベノム」


「が――っ!?」


 赤い輝きを見た瞬間、エレノアは吐血し膝を付く。あらゆる守りを全て貫いて、ダメージだけを与えるこの感覚。

 つい先日にも、経験した種類の痛み。敵意に対して敵意を返す。痛みに対し痛みを返す。それは因果応報の呪詛である。


「攻撃したと言う因果を介して、呪詛を直接流し込んでくる。要はフォリクロウラーと同じ原理にゃよ、攻撃したら、呪詛に嵌るにゃ。……せっしーも、きゃろっちも、迂闊に手を出しちゃ駄目にゃよ」


 膝を付いたエレノアの身を案じる様な余裕はない。下手に手を出すなと警告しながら、智慧の瞳を此処に使う。


 この呪術師は凶悪だ。一撃で仕留めない限りは傷を反射され、かと言って一撃で仕留めようにも攻撃の意を見せた瞬間に半減の呪詛を受ける。

 確実に勝つ為には、半減されて尚アマラを即死させるだけの火力が必要となる。殺してはならないと、そんな甘さを見せれば届かない。確実な殺意を以ってして、挑まなくてはならない女。


 しかし、初手でエレノアを封じられた事が余りに痛い。この場であの魔法使いに即死級の一撃を叩き込めるのは、彼女かセシリオしかいない。

 だがセシリオには、確実に当てられる技量を持たない。半減に半減を重ねられれば、届く事などありえない。子供に殺しをさせる訳にはいかないと、そんな理由がなくても彼では無理だ。


「攻撃するなって、ならどうすりゃ良いんだ!? アイツと先にどっちが倒れるか、我慢比べしないといけないのかよ!?」


 一撃で倒せなければ、逆に詰むのはこちらとなる。そうである以上、下手に手出しする事は出来ない。

 だからと言って、手出しをしないでいるのも問題だ。彼女の異界はあらゆる要素を減少させる。今は大気を減らしていて、故に時間制限が生まれてしまった。


 手出しできないからと、何もしなければ時間が切れて味方が倒れる。誰もが酸欠に喘いで倒れ、気絶したキャロは命を奪われる前に攫われるだろう。

 そうなる前に倒さなくてはいけなくて、だが倒せるだけの火力がない。あったとしても当てられない。既に情勢は詰んでいるのだと、それでも探す事を諦めない。故に――


「…………」


「やぁん。そんなに見られたらぁ、アマラちゃん困っちゃ~う。思わず、呪っちゃうゾ」


「視えた、にゃ。……けど、これ」


 彼女は、真理を見通した。ミュシャはその真実に気が付いた。けれど其処にあったのは、彼女に都合の良い本当などではない。

 思わず唖然と、あり得ないと口を開く。そんな姿を嗤う様に、今更に気付いたのかと嘲笑う様に、呪術師アマラは変わらぬ笑みを浮かべている。


「何が、視えた、んだよ。駄猫。……起死回生の、一手か何かか?」


「寧ろ、その真逆にゃ。知りたくにゃかったけど、そういう訳にもいかにゃい事」


 剣を支えに、立ち上がったエレノア。身体能力に大きな枷を受け、立ち上がったとしても彼女はもう切り札足り得ない。

 そんな少女の問い掛けに、ミュシャは乾いた笑みを浮かべながらも答える。知りたくなどはなかったが、伝えない訳にもいかない事。


「アイツ、此処に居ないにゃ」


「え、どういう、事ですか?」


 呪術師アマラは、此処に居ない。この神殿の中に居るのは、ミュシャ達四人だけ。彼女たち以外には、誰もこの場に存在しない。


「言った通りにゃよ。其処に見えてるのは、何処かから投射している映像みたいなものにゃ。だから、腕を切られても平気にゃし、空気を無くす事にも躊躇いがにゃい」


 そうとも、これが彼女が呪術師と呼ばれる所以。他者を苦しめるだけ苦しめて、しかし己は常に安全地帯に居続ける。

 弱体化させる事で他者の足を引き、真面に動けなくなった者らを溶かす様に追い詰める。それを敵の手が届かない遠隔地から、全て成し遂げると言う技量。それが出来るからこそ、彼女は最高位の術師であるのだ。


「……手応えはあったぞ。それに、此処にいねぇなら、何で攻撃に反応して呪えるんだよ」


「肉感まで、再現した幻影。というより、呪術の媒介となる人形を作って、転送魔法で送り込んで来たのにゃ。……人間を材料にした人形だから、切られたら壊れていく。切った感覚が存在する。けど本人は此処に居ないから、いくら壊されても痛くも痒くもないんにゃよ」


「またまた大せいか~いッ! 実はアマラちゃん、現在ヘロネ・ゴーシオで優雅にランチなどしておりましてぇ~。ん~、Que delicia! 人の不幸って、とっても素敵ッ!」


 アマラと言う女は、その狂態に反して本質は実にクレバーだ。冷静に、冷徹に、合理的に思考を重ねる。

 間違っても自分が危機に陥らぬ様に、確実に相手を潰す為に、故に此処に在るのは肉人形。他人の死体を材料に、こねくり回して作った血肉の傀儡。

 それにありったけの呪いを込めて、転送魔法で送り込んだのだ。精密操作の為に糸は繋がっているが、本体は此処に居ないのだから、倒せよう筈がない。


「ほんっと、碌でもねぇ奴だな。……此処に居ないって言うんなら、どうすりゃ良い」


「…………それは」


「此処からヘロネ・ゴーシオを狙ってぇ、街ごと消し飛ばせるならイケるんじゃないの~。あ、それやられたら、アマラちゃん困っちゃ~う」


 そうとも、倒す方法などはない。ミュシャが言い淀んだ様に、アマラが己で暴露した様に、彼女を倒す為にはこの戦場に拘ってはいけない。

 肉傀儡を幾ら壊そうとも意味がない。先ず壊せない性質を有しているが、如何にか壊した所で結果は変わらない。次の傀儡を送り込んで、それで終わりだ。


「あなた達は私を傷付けられない。何故なら、あなた達の手が届く場所に私はいないから」


 彼女を倒すには、戦闘力とは違った力が必要となる。遠距離にいる彼女を、此処から消し飛ばせる様な力が要るのだ。

 並大抵の出力では足りぬだろう。唯の飛び道具では届かない。個人を殺す為に、大陸間弾道弾を使う様な、そういう対処が必要なのだ。


「あなた達は私から逃げられない。何故なら、既にあなた達は私の力で呪われている。例え世界の裏まで逃げようと、何時でも何処でも呪ってあげるわ」


 そして、そういう対処をしない限り、彼女の手は何処までも届く。一度呪った相手なら、何処に行こうが射程の内だ。

 これぞ呪術師。魔王退治の賢者と並び、人類最高峰の頂きに至った魔法使い。他者を苦しめる事に特化した彼女は、その分野では他の追随を許さない。


「詰まりはそういう事。頭が良い勝ち方ってこういう物。最初から、負ける勝負をしない事。絶対に勝てる環境を、あらかじめ整えておく事」


 浮かべたアルカイックスマイルは変わらない。含んだ笑みが変わらない。変える必要性が存在しない。

 余りに特化し過ぎた女は、故にその分野が通じる相手にならば負けはしない。己の土俵で戦う限り、呪術師アマラに負けはない。


「断言してあげる。貴女達では、私に勝つ事なんて、出来やしないわぁ!」


「……はッ! だったら、コイツはどうだッ!!」


 絶対の勝利を確信し、己からは打って出ない。いいや正確に言うならば、己から打って出る事が出来ないのだろう。

 肉傀儡の限界だ。予め積み込まれた術式以外、遠隔地からでは使えない。そうであればこそ、打てる一手は存在している。


 エレノアはそう信じて、腰に差した刃を握る。鞘から走らせる黒き剣は、聖なる剣と同時期に打たれた魔性の一振り。


「傀儡を切っても意味がねぇってんなら、この異界と化した空を切るッ!」


 行ける筈だ。この剣は瘴気を喰らう物。瘴気を原動力とする魔法なら、魔剣で切り裂けない理屈がない。

 彼の大魔女の異界ですら、この剣は断ち切って見せたのだ。ならばこの呪術師が作った世界など、当たり前の様に切り裂いてみせるだろう。


 先ずは半減を解除する。そうした後に、傀儡を一撃で壊し切る。そうすれば、こちらを見る目を失う筈だ。

 一瞬だろうと、それで隙が出来るだろう。次の傀儡が送られて来る前に、此処を離れる。それだけが、残る手段であるのだと――


「ディザスタァァァァァァ――」


「はい。それは禁止でぇぇすッ!」


 だがしかし、それで如何にかなるのなら、ミュシャが既に口にしている。

 彼女が茫然としてしまったのは、既に詰んだ状況が視えてしまったからなのだ。


「がッ!?」


 再び赤い模様が輝いて、今度は見てもいないのに吐血した。何故にと戸惑う彼女に向かって、呪術師アマラは嗤っている。

 既に呪いは浸透していた。最初から、最短の方法で封じられていた。打破する術など最早ないと、そう判断出来る程にアマラは多くを知っている。


「魔剣でしょう? 大魔女の世界も切り裂ける、すっごい剣よね。知っているわよ、エレノア・ロスちゃん?」


「……何で、テメェ」


「貴女だけじゃないわ。貴女も知ってるわよ。墓守部族のミュシャちゃん」


「…………」


「お返事なしなの~。つっまんな~い」


 そうとも、視た時から分かっていた。狂気に満ちた狂態を演じていても、この呪術師の本質は何処までも合理的な物。

 必ず勝てる方法を探して、絶対に勝利する条件を整えて、こうして用意出来たから襲って来た。彼女が姿を見せた時点で、最早敗北は決していたのだ。


「けど、やっぱり思い通りになるのって、愉しいわよねぇ。こう、パズルが上手く嵌った感じぃ?」


 嗤い続ける女の真なる恐ろしさは此処に、彼女は圧倒的な格上が相手でなければ、どんな相手であろうと確実に潰せる怪物である。

 そもそも呪術が通らない。そんな英雄以上の敵でなければ、どんな相手であっても潰してみせよう。呪術を防げない限り、アマラに勝つ事などは不可能だ。


(どうすりゃ、良い。どうすれば)


 倒れた師。何をしても無駄だと、それでも可能性を探し続けている猫人。そんな二人は、何も出来てはいない。

 守るべき少女を背に庇い、セシリオは思考する。彼女たちに出来ないならば、自分が如何にかするしかない。どうすれば、この呪術師を倒せるのか。


(考えろ。考えろ。考えろ。――何で師匠は、魔剣を抜こうとした? 異界を切る為だ。異界は切れるんだ……だったら、俺が)


 腹を括る。出来るかどうかは分からないが、やってみないと分からないまま終わってしまう。

 刃を振るう恐ろしさは分かっている。それでも守れず失う方が怖いから、セシリオは竜の爪を右手に握って。


「はい。セシリオ君も動いちゃ駄目よん」


「なッ!?」


 しかし、それさえも想定内。彼の爆発力は、見ていたから知っている。そんなアマラに隙はない。


「次いでにお嬢様と、猫ちゃんもねぇん」


「きゃぁッ!?」


「ぎにゃぁっ!?」


 黒く染まった呪詛が蠢く。何時しか神殿を染め上げていた、そんな呪詛が手を伸ばして彼らを捕らえようと伸びて来る。

 壁も大地も天井も、全てが仕込まれた罠に変わっていた。全方位から伸びる呪いの手を、防ぎ切れる様な力は彼らにない。


 当たり前の様に捕まって、身体を動かそうにも動かない。黒き影が広がって、遂には立っている事さえ出来なくなった。


「最初の一手。無駄だと思ったぁ? 精霊王だけ潰す意図しかなかったとか思っちゃったぁん? ざ~んねん無念。あの呪詛を打ち込んだ時点で、貴方たちの無力化は殆ど終わっておりましたぁ」


 影に必死に抗って、抗えば抗う程に飲み込まれていく。そんな少年少女に向かって、嗤いながらに語る呪術師。

 最初の一手で打ち込んだ砲撃により、無力化は終わっていた。この影に抗えるだけの戦力は、もう彼らには残っていない。


「一定以下の実力だとぉ、その影からは逃げられませ~ん。気の総量で判断されるんだけどぉ、此処だと例外は実質A級のエレノアちゃんくらい? だから発見される位置調整にはぁ、これでも気を使ったのよぉ?」


 そうとも、この呪術師は頭脳派なのだ。魔法使いとは智慧ある者。知識を武器に、戦う者の総称である。

 その最高峰が、狂気に壊れて思考が出来ない筈がない。短絡的な手に出る筈もない。何もかも全てが最初から、計算ずくの事だった。


「この位置ならぁ、ミュシャちゃんの制止よりぃ、エレノアちゃんの斬撃が届く方が早くなる。これだけ近ければ警戒してても、いいえ警戒していればこそ、先に一手を打ってしまう。何かさせるより前に、ってねぇん」


 最初の一手で、潰せる者は全て潰す。それでも潰れないだろう相手は、自分の姿を囮に見せて罠に嵌める。

 位置取りですら、予定通り。タイミング全てが予測の内。こうすれば、どうなるのか。ああすれば、どう動くのか。その全てが、呪術師に読まれていたのだ。


「こういう時にこう動く。そういう時はそう考える。ちゃ~んと観察してぇ、ちゃ~んと調べてぇ、考えて動いたんだからぁ。アマラちゃん、ちょっと疲れました~」


 故に最初から敗北していた。彼女が姿を見せた瞬間には、その敗北が決まっていた。ミュシャは智慧の瞳でそれを見て、故に唖然としていたのだ。

 仮に彼女の制止が間に合っていたとしても、呪術師アマラは倒せなかった。あの時エレノアが罠に嵌らずとも、既にもう遅きに失した。何故ならば――


「……一撃。最初に仕掛けた時点で、負けは決まってたにゃ」


「そういう事。本当に最初の一撃で、勝負は決まっていた。――エレノアちゃんがこの傀儡の腕を切り落とした時、既に呪いは成立していた。あの時点でもう、あなた達に勝機は存在しなかった」


 最初に腕を切り落とされた時、その瞬間にエレノアは呪われていたのだから。


「アマラちゃんとあなた達の差ってぇ、其処まで絶対的じゃないからぁ、戦術の組み立て次第で入れ替わる。勝機は十分あったわよぉ? だから念入りにぃ、潰してから動いたんだけどぉ」


 圧勝である。快勝である。一切の被害がなく蹂躙して、結果として完全無欠の勝利を得た。

 そんな呪術師アマラだが、しかし敗北の可能性がなかったかと言えばそうではない。それ程に、この呪術師は強くはない。


 だから念入りに敗因を潰したのだ。だから執拗なまでに、勝利の可能性を高めたのだ。無数の策を利用して、嵌め殺さなければもしもはあった。

 そうなると確信できる程に、アマラは彼女たちを知っている。油断をすれば自分が危ないと、それだけの情報は既に得ていた。彼女はずっと、彼らを見続けていたのだから。


「それじゃ、勝利も決まった事だしぃ、色々暴露しちゃう。わおッ! アルマちゃんったら大サービスゥ!」


 随分と長く、見ていたのだ。余りにも長い時間、詰まらない監視を続けていたのだ。故に勝利が確定したから、彼女はそれを此処に明かす。

 倒れて捕縛された敗者を前に、己の勝利を自慢する。下らぬ小物の行いだが、此処に来てひっくり返される要素はない。だからこそ、アマラは享楽に耽るのだ。


「ヘロネ・ゴーシオであなた達が暴れてから、私はずぅっと監視してたの。護衛で中央に行くからぁ、その間にやっておけってリオンの命令でねぇ」


 ヒビキは余りにも、派手に暴れ過ぎたのだ。西の誰もの耳目を引いて、猟犬は彼に最大限の警戒を向けていた。

 ましてや彼の捕獲対象。貴種なる蒼を手にしているのだ。無視出来よう筈がない。故に己の手駒の中で、最も監視に向いた能力を持つアマラに任せた。


「運良く大魔女さんが一緒に見ててくれたからぁ、私に見られているのか、彼女に見られているのか、悪竜王陛下も気付けなかったのよ。だって大魔女に比べたらぁ、アルマちゃんなんて小物だもんねぇ。大山の傍にある小石なんて、普通は目に入らないわぁ。よっ! さっすが大魔女様! おかげでとっても楽してますぅ! もっと楽させてくれたらぁ、アルマちゃん、大魔女教とか作っちゃうかもぉ?」


 監視者がアマラだけならば、ヒビキは早期に気付いただろう。それだけの力量差があると、それはアマラも理解している。

 だが運命は彼女に味方した。猫人の少女を追い掛けて、狂乱の大魔女が追い掛けていたのだ。故にその影に隠れる形で、アマラの発見は難事と化した。


 だからこそ、アマラは常に見詰めていた。誰にも気付かれる事はなく、ヒビキ達一行を監視していた。

 相方であるルシオが来た時には驚いた物の、それも結果的には都合が良かった。彼らの底を知る事が出来たのだから。


「けどぉ、大魔女様バリアーもぉ、そろそろ物理的に破壊されそうだったしぃ? もう引き上げようかなぁとか思ってたんだけどぉ」


 彼女は潜みながらに見続けた。彼らの戦力を計り続けた。どうすれば確実に勝てるのか、常に見極め続けていた。

 下手に手出しを出来なかったのは、それがどう作用するか分からなかったからである。悪竜王や大魔女など、アマラであっても手を出せない代物だ。


 悪竜王さえ居なければ、彼女たちはどうとでもなる。大目に見ても、エレノアだけが自分と戦える程度のレベル。その程度では、灰被りの猟犬はどうしようもない。それがアマラの下した結論。


 だがしかし、その前提条件が極めて困難だ。悪竜王を取り除くのが、とてもとても難しいのだ。だから、一先ずはここらで引き上げよう。そう判断を下し掛けた所で、彼女にとっては都合良く事態が動いた。悪竜王と彼らが分断され、程良く疲弊してくれたのだ。


「そしたらさぁ、都合良く疲弊しちゃってぇ。更に、神殿の中に入るみたいじゃない? んで、そう言えば雇い主さんからぁ、ちょっと依頼受けてた事を思い出しましてぇ。取り敢えず、忘れてた依頼を果たす次いでに、一当てしてみましょうと愚行してみた次第にございまするぅ~」


 アマラがディエゴから任されていたのは、西の各地にある神殿へと遠隔で呪詛を打ち込む事。貴種を回収した後でも事足りると、言われていたから後回しにしていた依頼。

 優先順位として、彼女にとっては雇い主よりも灰被りの指示の方が重要だ。恋い慕い愛を抱いたあの下劣畜生に勝る者など、彼女の世界に存在しない。故にこそ、重要事項ではなかった要素。


 しかし、此処に二つが揃った。灰被りに頼まれた戦力調査と、神殿の破壊。その二つを同時に果たせる機会に恵まれた。

 ならば、一先ずはやってみよう。駄目そうならば、そのまま退いてしまえば良い。その程度の目的で、しかし手筋は徹底していた。故にこそ、こんな結果になったのだろう。


「そんな訳でぇ、あなた達はもう御仕舞い。ついでに私の仕事も終わってるんだけどぉ、これでお嬢様を回収すればボーナスが出そうなのよねぇん」


 全てを手にする機会を得て、アマラは思考遊びをする。余りに上手く行き過ぎて、だからこの先を想像した。

 此処でキャロを抑えれば、ディエゴは彼女を褒めるであろう。一生を遊んで暮らせるだけの、金銭が依頼料に上乗せされるであろう事は明白だ。


 だがしかし、それだけだ。それで終わりで、ディエゴは望みを果たすであろう。灰被りの猟犬の仕事が、其処で終わってしまうのだ。


「けど、そ~れじゃ、つまんない幕引きよねぇん」


 アマラは軽い女である。良く居る惚れた男の影響を受ける女。そういう者の典型である。

 人を苦しめる事に喜びを見出すのも、報酬以上に過程に意味を求めるのも、全てはあの英雄と関わってから得た性質だ。


 であるからこそ、彼女が詰まらないと感じた事は、灰被りの猟犬もまた詰まらないと感じる結末。

 それはダメだ。彼に、或いは彼女に、落胆させる事など出来ない。詰まらないまま終わってしまうのなら、己が盛り上げなくてはならない。リオンを愉しませる為だけに。


 この世の全ては、灰被りの猟犬が快楽を得る為だけに存在している。己達の身も、他者の命も、雇い主の大望すらも全ては等価。

 彼が楽しいと感じるか否か。彼女が喜びを抱くか否か。それだけが世界の全て。それこそが、灰被りの配下である彼ら全てに共通する認識だ。


「あ、そうだ! 唐突な感じでぇ、実は前から考えてた事だけどぉ、これ言ってみたかったのよねぇ」


 故に状況を引っ掻き回そう。危険が増えるのだとしても、せめて結末を彼好みに彩るとしよう。


 彼は生命を愛している。命を尊び、絆を尊び、美しい物を尊んでいる。そういう当たり前の美観を持っている。

 彼女は愛している物が壊れる瞬間が好きだ。命を蹂躙し、絆を打ち壊し、尊ぶべき物が腐り落ちる姿に股座を猛らせる。


 そういう鬼畜外道であるから、そんな彼が望む様に、そんな彼女が好きな形に、此処に物語を脚色しよう。


「お嬢様を引き渡しなさい。その小娘を売りなさい。そうすれば、命だけは助けてあげるわよぉ。……な~んて、超テンプレ悪役台詞言っちゃった~」


 嗤って語る、悪辣なる言葉。汚泥の如き言葉と同じく、その魂は溝の色。唯この場での愉悦を優先して、その先などは考えない。そんな外道が、彼女であった。






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