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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第一幕 竜と猫のお話
12/257

その9

 カタカタと、カタカタと、笑い声が響いている。

 人の神経を逆撫でして、その心を不快感で染め上げる音が止まらない。


「どうして」


 悪なる竜は、屍で出来た山の底に埋もれたまま動かない。

 手にした矛の先端は赤き血に濡れ、戻って来た感覚が否応なしに結果を伝えて来る。


「どうして」


 涙を流す。言葉を零す。

 四肢は動かない。胴体は動かない。


 与えられた自由は仮初のもの。

 顔と口を動かす事だけが、今の彼女に許された自由。


「どうして」


 そして、その僅かな自由とて、彼女の為に与えられた物ではない。

 襲い来る理不尽に、救い手の敗北に、涙を流す彼女の悲しみさえも――


 その嘆きを甘露と嗤う。

 悪意を張り付けた死人の王が為にある。


「まだ、絞り出せるであろう?」


 歪な笑みを浮かべた髑髏が、暗闇の中に浮かび上がった。




 悪なる竜を封じた屍の山が、腐臭を漂わせる。

 桃源の如き果実の香りすら、隠し切れない程の悪臭が周囲に満ちていく。


〈何で?〉


 死体が、泣いていた。

 彼らは空洞の眼下で、涙を流していた。


〈何で、お前だけ〉


 山を織りなす死体の群れが、その首を動かす。

 空洞の眼下が、唯一人だけ生きている少女を見詰めていた。


〈お前だけ、生きている〉

〈私達は、こんなにも苦しんでいると言うのに〉


 それは彼ら、死者の恨み言。

 傀儡となった口から紡がれる嘆きの声は、今も生きる少女へと向けられている。


〈その目も、その髪も、その耳も、その鼻も、その口も、余りにも残り過ぎている〉

〈それは余計でしょう。だって、私達は何も持っていないのだから、それは余計でしょう〉


 羨ましい。妬ましい。理不尽だ。

 嗚呼、どうして彼女は生きているのに、自分達はこうして今も苦しんでいる。


〈全身の皮が剥がされたのに、死ねない〉


 生皮を剥がされたネコビトが居た。

 赤い筋肉を外気に曝して、痛い痛いと泣いている。


〈身体の中身が引き摺り出されたのに、死ねない〉


 皮と骨しかないネコビトが居た。

 口から全てを引き摺り出されて、痛い痛いと泣いている。


〈もう眠りたいのに、死ねないの〉


 彼らは死者だ。既に救いがない死者だ。


 だが、彼らの魂は此処にある。

 不死身の王に囚われて、眠る事も出来ずに此処にある。


〈この夢は、何時覚めるの?〉


 これは悪夢だ。猫人達が見た悪夢だ。

 一夜明ければ夢は覚めるのが道理だろうに、この悪夢は覚める事がない。


〈永遠が、終わらない〉


 この悪夢は、永遠だ。

 不死身の王が居る限り、永遠に目が覚ませない。


〈殺して〉


 何時しか、生者を呪い恨む声は懇願へと変わっていた。


〈殺してくれ〉


 歯が抜け落ちた死体が語る。

 死した身体に縛り付けられ、苦しみ続ける彼らが語る。


〈痛い。痛いよ〉

〈痛い。痛いのは、もう嫌だ〉

〈だから、お願いだから〉


 苦しみ続ける彼らの願いは、唯一つ。

 生者を憎む感情に染められた彼らが、それでも心の底から願う事は唯一つ。


〈もう眠らせて〉


 もう眠らせて欲しい。もう終わらせて欲しい。

 この絶望に終わりを。この悪夢に終焉を。この悲劇に救いを。


「あ」


 屍の山の中で、小さい子供の死体と目が合った。


〈ミュシャ姉ぇ、助けて……〉


 自分に良く似た腐った死体は、空洞の眼下からドロリと濁った血肉を零す。

 腐って変色した黄色い液体はまるで涙の如く、溢れ出して零れ落ちた。


「ああああああああああああああっ!」


 その涙を見て、限界を迎えた。

 自由にならない身体を振り回しながら、涙を零して絶叫を上げる。


「どうして!!」


 その疑問は、何に対してか。


「ミュシャ達は、ネコビトは!!」


 その言葉は、何に対してか。


「あああああああああああああああっ!!」


 滝の様に流れ落ちる涙は止めどなく、口を吐くのは耐え難い悲劇への絶叫。

 言葉にならない程に持て余した感情を撒き散らして、顔を歪めるネコビトの少女。


「甘露だ」

「っ!?」


 そんな叫びの声すら、眼前に現れたしゃれこうべにとっては甘露にしかなり得ない。




 何時しか、其処に化外が居た。

 周囲に満ちる悪臭よりも、更に悍ましい異臭を漂わせる白骨死体。


「何故と問うたな。答えなど、簡単よ」


 その身を包む法衣は、漆黒とは異なる黒。

 糞尿と泥水に浸した様な、汚物を塗り込んだ異端の黒。


「お前たちの悲劇は、甘露だ」


 余りにも近くで見つめて来る空洞の眼下。

 その骨の指先が少女の頬を冷たく撫でて、ミュシャは恐怖で呼吸さえも出来なくなる。


「その絶望の嘆きは、実に甘露だ」


 生命力が恐怖と絶望に歪められて、瘴気へと変わっていく。

 そんな芳醇な瘴気を発するネコビトを嘲笑いながら、屍人の王は静かに笑った。


「儂は、醜かろう?」


 それは問い掛けではなく、唯の確認作業。

 不死者の王は、恐怖に震えるネコビトに笑い掛ける。


「儂ら魔に堕ちた者は、瘴気によって肉体を維持する。だが、命を持たぬ魔物には、その瘴気自体を生み出す事が出来ぬ」


 カタカタと、カタカタと。

 屍人の王の嗤い声に惹かれて、死者の群れが悲鳴を上げている。


「故に、役を果たしたお前は我が贄だ。お前に与えた自由は芳醇な瘴気を生み出し、我が糧となる」


 ネコビトの魂は、その為にある。

 唯一人の生者は、その為にある。


「悲劇を嘆け。それが儂の糧となる」


 流れ落ちる涙は、魔物を生かす不死の霊薬。

 天から降り注ぐ甘露の如く、成り果てた魔法使いに不死を齎す。


「絶望に喘げ。それが儂の糧となる」


 少女の上げた絶叫は、魔物にとっては川のせせらぎ。

 天の旋律の様に、その心を安らぎで満たしていく。


「その為だけに、今のお前の生命は存在しているのだ」


 恨め。憎め。嘆け。悲しめ。

 その全てが、この死人の王の糧となる。

 その糧を生み出す為だけに、今のお前は生かされている。


「嗚呼、本当に――儂は醜かろう?」


 そんな瘴気がなければ生きられぬ己を自嘲しながら、死者の王はカタカタと嗤い続けていた。




 嗤い声を聞きながら、心折れた少女は呟く。

 自由にならない身体で、吐き出した嘆きすら喰われながら、少女は擦れる様な声で呟いた。


「助けて」


 それは死人の山と同じく、誰かの助けを求める声。

 もう自分ではどうにも出来ない絶望の中で、唯救いの手を求め続ける。


「誰か、助けて」


 頼りがいのある父は、死んだ。

 優しくて温かい母は、死んだ。


 だから、救いの声が求めるのは――


「……ヒビキ」


 ダマーヴァントの底に眠る竜。


「無駄じゃよ」


 否定の声は、静かに告げる。

 精霊の矛に砕かれた今、悪なる竜が起き上がる事はない。


「ヒビキ!」

「助けなど、来ない。救いなど、ない」


 何処に、立ち上がれる道理がある。

 魔物にとっては最も恐るべき力に砕かれた、その命は最早潰えている。


 ネコビトがどれ程にその名を呼ぼうとも、死した者は救いに来られないのだ。



「さあ、永遠の悪夢の中で、その全てを捧げよ」


 暗い眼下に、黄金の輝きを宿す死者が嗤う。

 瘴気と骨だけしかない異形が、絶対の勝利を前に嗤う。


 だが一つ、此処に一つ。

 死者の王が想定していなかった事がある。


「ヒビキィィィッ!!」


 故に、少女の叫びは彼へと届いた。




 轟と音を立てて、間欠泉の如く蒼き光が湧き出す。

 その蒼く透き通った銀の輝きは、人の持つ希望の色をしていた。






 屍人の山に埋もれた大地の底で、少年は再生を終えていた。


 不死者の王の想定外。それは悪なる竜の生命力。

 大地の精霊王すら殺し切れぬと語った命が、何故に精霊が作り上げただけの武器に奪い取れようか。


(けど、どうしよう)


 目の前を埋め尽くす死体の山。

 傷付ければ彼女が泣く、だから壊せない肉の檻。


 越えられないのではなく、乗り越えない。

 無数の屍で出来た山から抜け出せば、今尚苦しむ彼らを傷付けてしまう。


 少年の傷は軽く、されど動けない理由はそれだけだ。

 彼が動かないのは、この死体の山を救いたいと我儘にも願ってしまったから。


 だからヒビキは、誰も傷付けない道を模索する。


(……魔物を生かすのは、瘴気)


 悪竜の持つ膨大な知識が、この状況を覆す術を探し出す。

 誰も傷付けないで、誰も傷付かないで、この絶望を塗り替える術を見つけ出す。


(彼らを今、動かしているのも瘴気)


 それは魔物と言う、物理法則に反した化外が生きる理由。


 アンデット。ゴースト。

 生命なき虚ろな化外が動くのは、その全身に瘴気と言う力が満ちているからに他ならない。


(なら、それさえ浄化できたなら)


 人の生命が歪んだ力、魔物を生かす瘴気と言う力。

 それを浄化する方法は、人と異なる世界に満ちた力以外に存在しない。


 精霊。世界の触覚であり、星が持つ意志。

 人が希い、その希望が形作った瘴気を払う聖なる力。


 確かにその力を、ヒビキはこの手に持っている。

 現状を打破する至高の剣を、彼は確かに受け継いでいた。


「けど、怖い」


 だが、これは彼の生命線。

 内に植え付けられた悪竜の因子から、人の心を守る最後の砦。


 それを失えば、彼はまた狂気の中へと堕ちてしまう。


「嗚呼、怖いや」


 此処は精霊の世界ではない。

 瘴気に満ちたこの不死者の城では、己は一秒足りとて自我を保てない。


 この力を僅かでも消費すれば、この拮抗は崩れ落ちる。

 光と闇の均衡は崩れ去り、大切な想い出さえも忘れた狂気の竜が目を覚ます。


「怖いよ。キョウちゃん」


 恐れるのは、これを失い狂う事。

 怖いのは、狂ったまま戻れなくなる事。

 悍ましいとさえ感じるのは、大切な記憶さえも悪意に染まってしまう事。


「嗚呼、でも――」


 それでも、そう成り果てると知っていても――


「ヒビキィィィッ!!」


 その声は届いたから、ヒビキは此処に選択する。

 涙に暮れる少女の全てを救う為に、彼は身勝手な決意を此処に抱く。


「呼んでいる。助けを求めて、友達が呼んでいる」


 友達は見捨てるな。それが彼との大切な約束。

 約束は絶対だ。それが彼と最期に交わした、一番最後の約束だから。


「なら」


 その蒼き瞳で、空を見上げる。


 肉の山ではない。大地を閉ざす天蓋ではない。

 その果てにあるであろう。幻想の空を確かに見上げて。


「行くよ。キョウちゃん。力を貸して!」


 胸に輝くその蒼き宝石に、異形の腕を押し当てる。


 そして深く、その心の臓を掴む様に深く。

 めり込む様に肉に埋もれたその五指が引き抜いたのは、星の輝きを宿した光の剣。


「聖剣――解放!!」


 それは希望の剣。

 その蒼銀の輝きは、この世全ての善なるモノ。


 悪なる魔王を討つ為に、紡がれたのは未来を望む人の意志。

 星の意志たる精霊が生み出し、人々の託した希望が紡ぎ上げた幻想聖剣。


 少年は紛れもない人の手で、その蒼き光の剣を振るった。




 そして間欠泉の如く、沸き上がる蒼銀の輝きが大地を満たす。

 蒼く清浄なる風が穢れを払い、淡く輝く銀色の光が死した者らを包んでいく。


「あ、あぁ」


 涙が零れ落ちた。

 その瞳から流れ落ちた滴が、その幻想的な光景を見詰めている。


〈ああ、これで漸く眠れる〉


 死者が安らいだ顔で、淡い輝きの中へと消えていく。

 全ての苦痛と憎悪が清められて、集合無意識の中へと溶けていく。


〈もう痛くない。苦しくない〉

〈悪夢はもう、終わるんだね〉


 それはきっと、誰もが夢見た天上楽土。

 長く苦しみ続けた彼らに齎されたのは、希望に満ちた輝きの中へと帰る結末。


 もう苦しむ事はない。もう傷付く事はない。

 もう誰かを恨んで、憎んで、その足を引き摺り続ける必要はない。


 彼らはもう、救われたのだから。


〈ゴメンね。それとありがとう。ミュシャ姉ぇ、ヒビキ兄ぃ〉

「……ニナ」


 涙を零すミュシャと、蒼き輝きを手にしたヒビキ。

 彼らへ微笑み掛けながら、擦れていく少女の霊はそんな風に感謝を口にした。


〈ありがとう〉

「あぁぁ」


 感謝を抱いたのは、彼女だけではない。

 傷付けられ、苦しめられ、それでも最後に彼らは救われた。


〈本当に、ありがとう〉

「あぁぁぁぁぁっ」


 その蒼く清浄なる銀の風が、全ての嘆きを吹き飛ばす。

 悲劇も恐怖も絶望も、その全てを希望の光が塗り替えた。




 そして涙に濡れる少女の下へと、剣を手にした少年が歩み寄る。

 清浄なる蒼銀の輝きを纏って、人の姿に戻ったヒビキがミュシャの下へと近付いた。


 瞬間、ミュシャに纏わりつく濃密な瘴気。

 それは彼女の内より生じて、その身を縛る。


「ヒビキ」

「大丈夫」


 その命すら盾にする。死人の王の悪足掻き。

 半精霊の身体は浄化の風に耐性を持ち、故に内に潜む不死王の分体に光が届かない。


「もう、大丈夫」


 そんな悪霊の思惑を見抜いて、それでもヒビキは小さく微笑む。

 その程度の企み等、あっさりと踏み越えてしまえるから。


「っ!?」


 目を丸く見開いた少女の唇が奪われる。

 交わした口付け。交わる舌を介して、その体内を浄化の光が駆け抜けた。


「……ヒビキ」


 体内を膨大な光が吹き抜ける。

 激しい力の本流に、その意識が遠のいていく。


 擦れる意識の中、蒸気した頬で、熱を抱いたミュシャが名を呼んだ。


「もう大丈夫。眠かったら、寝て良いよ」


 そんな彼女の身体を抱いて、少年は優しく笑みを返す。

 心中に渦巻く激情に疲れ果てた少女の頭を、温かな人の手が優しく撫でた。


「寝て起きたら、きっと悪夢は終わっているから」

「ん」


 その優しい手付きに促されて、ミュシャは静かに目を閉じた。


 もう悪夢は終わる。

 この永遠と思う程に長かった夜は、漸く明けるのだ。


「お休み。ミュシャ」


 眠りに落ちた少女を優しく横たえ、その身体を守る様にヒビキは一歩前に出る。


「後は、お前だ」


 竜の腕はない。竜の足はない。竜の尾はない。

 肥大化した魔性の力を封じたまま、人の器を一時的に取り戻した少年は敵を見据える。


「何故だ」


 あり得ない。信じられない。

 目の前の光景を見た死霊の王は、戸惑う感情を隠せない。


「何故なのだ!?」


 死んだ筈だ。生きていられる道理がない。

 否、それ以前に、それよりも、信じ難いのはその手に握った蒼銀の光剣。


「何故、魔王(キサマ)聖剣(ソレ)を持っているのだぁぁぁっ!?」


 忘れる筈がない。忘れられようがない。

 草臥れた老人に勇者が見せた。あの輝きを見間違える筈がない。


「これは、友達から託された物」


 聖なる剣を手に、幼い少年が魔物を見る。


 人であった頃、人であった姿。十四歳。当時の年齢。

 年相応よりも幼い。二次性徴が遅れたその見た目は、可憐な乙女の如く。


「僕を守ってくれた。大切な友達の剣」


 蒼く輝く瞳は、蒼海の如く澄んでいる。

 腰まで届く長い黒髪は、烏の濡れ羽の如くに美しい。


「何時だって、僕は友達に助けられて来た」


 少年は、友達に貰った外套を羽織る。

 少年は、友達に貰った聖なる剣を握り締める。


 自分で得た物ではなくて、大切な人から貰った物ばかりだから――


「だからっ!」


 せめて助けてくれた皆に、確かな物を返す為に。

 彼らに誇れる自分である為に、ヒビキは救いの剣を執る。


「僕の友達を泣かせたんだ!」


 彼の理由は、変わらない。

 その胸を突き動かす想いは、善意を含んだ唯の我儘。


「覚悟は良いなっ! 不死の王っ!!」


 その蒼く輝く星の光で、大切な全てを守り抜く為に――我儘で身勝手な悪竜は、此処に希望の剣を振る。






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