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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第三幕 竜と魔女と正義のお話
118/257

その2

 アリス・キテラはヒビキが引き受け、彼と共に姿を消した。虚言の魔女が消えた後、残されたのは仲間たち。

 大魔女が居なければ、この場の突破は容易いか。そうと問えば、否としか答えは返せない。魔王の試練と言う物は、それほど甘い物じゃない。


 崖を駆け降りる様に下りながら、魔物の群れと戦う少女たち。彼女らは言い訳の余地もない程、明確に苦戦していた。

 それも当然、場所が悪過ぎる。足の踏み場は最低限で、踏み込み刃を振るうなど出来はしない。そんな真似をすれば、真っ逆さまに墜落死するだけであろう。


 重量のある武装は使えない。近接で出来る事など、体重を乗せない小型の刃物を振るう程度の事だけ。それ以上の動きは出来ない。

 ならば攻めの起点となるのは、エレノアやセシリオの様な前衛組ではない。ミュシャやキャロの様な術者の方が、この場では兎角有用だ。


「大地の精よ。集い群れたる敵を撃て――ロックブレイクッ!」


「水の精よ。織りなす風と共に、極寒の風となりて吹き荒れろ。凍てつけ――テンペストブリザード!」


 ミュシャが二小節の精霊術で敵を牽制し、その隙に四小節を唱えたキャロが局地的な氷の嵐を作り上げる。

 敵は小さく、群れている。故にこそ、互いに使いたいのは広範囲の術式。しかしそれを行うにも、詠唱時間が足りていなかった。


 だからこそ、片や牽制に回り、片や本命と為すしかない。精霊術への適正値を考慮に入れれば、これ以外の役割分担などは選べない。

 これでも境界線はギリギリだ。一歩踏み外せば文字通り、崖の下へと転落する。僅かなミスのたった一つが、全てを台無しにしてしまう。


 可能性を零にする試練を、魔王は与える事が出来ない。だが逆説的に語るのならば、可能性さえ残っていれば問題ない。


 僅か一手のミスもなく、それを前提と強要する。たった一度も失敗がなくても、運が悪ければ死に至る。

 その領域なら許容の内。限界を幾つも超えた先、微かに生き残る目が見えるのが五大の魔王が示す試練だ。


「くそっ、こいつらッ! ――ッ!?」


 故にこそ、たった一度のミスもなくとも、こんな事態に陥ってしまうのは物の道理。

 天を覆う程の羽虫の群れから、無傷で居るなど不可能だ。雨粒ほどの小ささだ。避け切るなど無理と言う物。


 小さな羽虫に腕を噛まれて、セシリオの顔が青褪める。青褪めた少年の姿に、キャロは思わず迎撃の手を止めてしまう。

 それはこの羽虫の名を、彼女が知っている為に。西に住まう者らは皆、この魔物を知っている。これ程に群れた姿を見るのは初めてだが、その脅威は確かに分かっていたのだ。


「セシリオッ! 今、治療しますッ!!」


 迫る黒雲の正体。それはグラーベサンクドと呼ばれる、蚊の様に小さな羽虫の群れである。

 その身は小さく、とても脆い。蚊と同程度の強度しかなく、一般人でも両手で叩けば潰せる様な小型の魔物だ。


 だがしかし、これも人に害を為す魔物。唯の蚊と同じで済むはずがなく、これらはその名の通り伝染病を媒介する。

 それも、唯の病ではない。一つ二つなどでも済まない。グラーブサンクドは、この世で発見されたあらゆる病のキャリアであるのだ。


 この羽虫が持つ牙は、そういう概念を有している。あらゆる病を所持すると言う異能を保有している。

 故に刺されれば最後、既に人類が発見済みの病を全て同時に発症する。たった一刺を受けただけで、健康な部位など全て消え去る。


 発熱に苦しみ、嘔吐を続け、血を吐き、のたうち回り、そして死に至る。強烈に過ぎる毒を有した魔物がこれだ。

 その危険度はDランク。術師が居れば治療が出来る。だからこそ、その程度で済んではいる。それでも、危険と言われる存在だ。


 そんな羽虫に刺されたセシリオ。見る見る内に顔が青く染まっていき、喉を熱い液体が逆流しようと溢れ出す。

 思わず片膝を付いた少年を目にして、キャロは治療の為に慌てて駆け寄る。今直ぐにでも彼を癒そうと――しかしそんな彼女に罵声が飛んだ。


「馬鹿ッ! 止まるんじゃないにゃッ!!」


 迎撃の手を緩めれば、その分だけ被害が増える。足を止めてしまったならば、その分だけ被害が増える。

 迫る羽虫の数は、千や万など優に超えている。空を一面染めてしまう程、その総数は数億数兆と言う領域にあるだろう。


 そんな膨大な数を前に、僅かな遅延は致命的。キャロが抜けた瞬間に、数十数百と言う羽虫の群れに襲われる。

 一手ミスした。魔王の試練を前にして、それは余りに絶望的な断絶と化す。迎撃が減った瞬間に、堤防が決壊するかの如く、津波が押し寄せてくるのである。


「セシリオッ! 腹に気合を入れろ! そいつは病っつー呪詛だ! 気を張り巡らせりゃ少しは持つッ!!」


 包まれる。黒き雲に飲み干される。膨大な数に押し潰される様に、雲の津波に飲み込まれるエレノア達。

 鎧の隙間に入り込み、露出した部位に打ち込まれた小さな針。気の守りすら貫いて、流し込まれるのは無数の呪詛だ。


 あらゆる病毒が発生する。熱病に侵されて、死病に汚染され、激痛に歯を食い縛る。それでも、言葉に震えは決して見せない。

 闘気で肉体を活性化する。病という呪詛に気合で耐える。血反吐を必死に飲み込んで――それでも、病毒による劣化は決して隠せない。


 腕は重くなる。足は震えている。頭は熱で思考が出来ず、吐き出す呼気にすら骨が耐えられなくなっていく。

 故に血反吐で口腔を満たしながら、それでも歯噛みし戦うしかない。ミュシャもエレノアも、弱音一つ見せずに武器を振るい続ける。


「ミュシャさん、エレノアさん」


 それでも、やはり数とは力だ。どれ程に抗おうとも、一度崩れた戦線は立て直せない。幾度殺せど敵は尽きずに、彼女たちは疲弊していく。

 大地の飛沫が、雷光の一閃が、気付けば雲に飲まれている。何時しか目に見える変化も消えて、ミュシャもエレノアも雲の向こうに消えてしまった。


「……私、が」


 選択ミスだ。治療の為に、迎撃の手を減らした。だから防波堤が決壊した。それは経験の浅さが生んだ失態だろう。

 直ぐに治療しなくては危険と、そんな知識に踊らされた。闘気で耐えられるのだと、そんな知識は持ってなかった。だからこうして、無様を晒した。


 そして、キャロはまだ無様を晒している。また一つ、選択のミスを続けている。治療の為に駆け寄ったと言うのに、彼女はまだ治療をしていない。

 目の前の光景に飲まれてしまったのだ。自分が外れてしまったから、起きてしまった今に対する恐怖と後悔。それに飲まれて、僅か震えてしまったのだ。


 緊急時の行動力。咄嗟の判断力。そう言った物を養うのは、異常事態に対する経験則。それがキャロには、致命的な程に足りていない。

 地金が晒される一瞬に、見えてしまうのは彼女の弱さ。何時だってキャロは選択するのが遅いから、心を決めるのが遅いから、彼女は何時も間に合わない。


「――ひっ!?」


 だからこそ、こうもなる。迫る黒雲が次に狙うは、崩れたセシリオと彼を抱えるキャロの二人。

 ミュシャとエレノアを包み込んだ程度では、黒雲の全てに遠く届かない。数億数兆と言う羽虫の群れは、溢れる津波となって迫ってくる。


 彼女たちでも耐えられなかった。そんな津波がこちらに来る。そうと理解した瞬間に、喉から零れる小さな悲鳴。

 迎撃も治療も、頭に浮かばない。詠唱呪文すら度忘れする程、恐怖が余りに大きくなった。だからすがりつく様に、それでも守り抜くように、少年の身体を抱き締める。


 そんな状況。彼女の悲鳴を耳にして――彼が倒れたままで居る事など、決してありはしないのだ。


「だっ、らっしゃぁぁぁぁぁっ!!」


「セシリオッ!?」


 キャロの悲鳴が確かに聞こえた。だから、立ち上がる理由があった。立ち上がれないなど、理由にならない。

 エレノアの言葉は届いていた。だから、立ち上がる方法は分かっていた。命を薪に闘気を燃やして、セシリオは此処に立つ。


 抱き締める少女の手を振り払い、彼女の身体を庇う様に。その目の前に立ち塞がると、竜の爪を右手に握り締める。

 迫る無数の病毒は、最早目と鼻の先。悠長に呪を紡いでいる時間などはないのだから、此処で求める力は詠唱破棄。


我ら守護せし(パトゥム・デ・ベルガ)――」


 瞬間、喉を熱が焼いた。小さなその身を傷付けるのは、決して病毒の呪詛だけではない。それは得ようとする力の代価だ。

 詠唱破棄。それが一般的に普及しないのは、相応の代価が其処にあるから。得られる利益に比して、支払う消費が割りに合わない。


 詠唱破棄した術式は、消費する魔力が一ランク上の物となる。そして発動する効力は、一ランク下の結果となる。

 ましてや、セシリオが放とうとする力は、最上級の更に上。決して使ってはならない禁呪詛の、詠唱破棄と言う反則技。


 禁忌に禁忌を重ねた力は、使用者の命を貪り尽くす。セシリオの小さな身体では、到底代価足り得ない。

 それでも、彼は悪竜王と繋がっている。彼の爪を介して、その力を受け取れる。だからこそ、消費コストは関係ない。


 関わってくるのは、本来の禁呪よりも膨大になる魔力量。それを制御し切れるのか否かと言う点のみ。

 血反吐を吐いて、血涙を流して、全身の皮膚が捲れ上がる程の暴力的な力の総量。それだけの力を統制し切れれば、禁呪は此処に成立する。


「――魔竜の爪(ガラ・デル・ネグロ)ッッッ!!」


 そして彼が、彼女の前で倒れる事などあり得ない。そんな無様な結果など、恋する少年は許容できない。

 だから、歯を食い縛って成し遂げる。それ以外の結果などはない。巨大な黒き竜の手が、周囲の羽虫を一掃した。


 右腕の皮がずる剥けとなり、それでも足りずに筋すら抉る。白い骨が見える腕を隠す様に、抱えながら崩れ落ちる。

 力の消費に意識が遠のく。気絶しようとする現象は、安全装置の様な物。意識が残っていれば、身体が持たないと訴えている。


「ごめん、心配、掛けた。けど、まだ、平気、だから……」


 それでも、歯を噛み締める。それでも耐えられそうにないから、舌を噛んで前を見る。

 此処で意識を失う訳にはいかないのだ。まだ何も終わっていないからこそ、セシリオは必死に強がって魅せるのだ。


 そして、そんな彼の想像に反する事無く、またも黒雲が集まっていく。その総数は余りに膨大、劣化した竜の牙では滅ぼせない。


「は、はは。くっそ、多い、んだよ、羽虫、ども」


 劣化したとは言え、悪竜王の一撃を模倣した魔法。詠唱破棄の一撃でも、千や二千は消し飛ばしているだろう。

 それでも母数が多過ぎる。一兆分の一千。十億分の一しか削れていない。一割は愚か、一パーセントにも届いてないのだ。余りに数が多過ぎた。


 これぞ五大魔王の試練。アリス・キテラの狙いは明白だ。彼女は徹底した持久戦を強いているのである。


 最大火力のセシリオは一発屋でしかなく、持久戦は大の不得意。キャロは戦場に不慣れであり、戦いが長引けば長引く程にミスを増やしやすくなる。

 足手纏いが二人と居れば、少女たちとて長くは持たない。故にこそ今の彼らにとって、最悪の展開こそがこれ。真綿で首を絞める様に、尽きぬ数で妨害しながら、病によって攻め立てるのだ。


「キャロ、乗って」


「セシリオ!?」


「一気に駆け抜ける。だから、さ――頼むよ」


 集まる黒い雲を前にして、セシリオは膝を付いて言う。背に乗ってくれと語る彼の目的は、とても単純な物である。

 竜の爪を切った以上、セシリオはもう長くは持たない。今にも意識が飛びそうな程、そんな状態が気合だけで続く訳がない。


 だからこそ、倒れる前に合流せねばならない。既に倒されている可能性は確かにあるが、そんな事は考えるだけ無駄であろう。

 どの道、そうなっていたら詰みなのだ。だから、まだ動ける内に突破する。自ら雲の内側へと、死中に活を求めようと言うのである。


「……うん。分かった」


 瀕死の彼が、背に乗れと。その言葉に素直に頷く。その理由は口にする迄もなく、キャロにも確かに分かっていた。

 一つに、キャロが走るよりは、今のセシリオの方がまだ早い。足を切られた傷は治っていても、窮地で素早く走れる程に、筋力自体が戻っていない。

 二つに、キャロはまだ恐怖を抑えられていない。震える足では、真面に走るなど出来ないだろう。万が一にも黒雲の途中で止まってしまえば、今度こそ纏めて死ぬだけでしかない。


 そして第三に、キャロにも出来る事がある。だからこそ、今度はそれを間違えない。

 褐色の少年に背負われながら、キャロは瞳を閉じて呪を紡ぐ。口から零れる言葉と力は、治療の為にでは断じてない。


「水の精よ。我らが輩よ。我に仇なす者を討て。この身に触れる者を討て――フィールドフリージングッ!」


 今のセシリオを治療しても、焼石に水だ。どの道、残る闘気が失われてしまえば、彼は気絶する以外に何も出来ない。

 だから、直ぐに治したいと言う感情を抑え付ける。この今に選ぶべきは敵の排除。彼が進む道を開く事こそ、為すべき選択なのだから。


「オォォォォォォォォォォォォォッ!!」


 術者の周囲に展開して、一定時間吹雪を降らせる精霊術。背に負うキャロが発動した力が、羽虫の群れを弱らせる。

 幾つかの虫が地に落ちて、幾つかの虫の動きが鈍る。それでも道が開ける程に、敵の数は少なくない。けれど怯え慄いてはいけない理由が、少年の胸には確かにある。


 だから、雄叫びを上げて走り出す。背に負った少女と共に、黒き津波の中へと自ら飛び込んで行ったのだ。


「セシリオ! 頑張って!」


「応! 頑張る!」


 術の展開を続けながら、キャロは声援を口にする。口を開く度に羽虫が口腔へと入ってくるが、それでも言葉は決して止めない。

 確かに不快を感じている。寒波の中でも蠢く魔物は、その呪詛をキャロにも届かせている。それでも言葉を続けるのは、止まらない少年が此処に居るからだ。


「セシリオ! 負けないで!」


「応! 負けねぇ!」


 キャロの声援を背に受けて、走るセシリオは止まらない。確かに刻んだ傷は重症だ。その身を苛む呪詛はまだ、決して癒えた訳ではない。

 骨まで見える右腕は、もう殆ど動いてくれない。左腕はキャロを支える為、そもそも動かす訳にはいかない。最後の綱たる闘気の量は、今にも尽きんとしている程。

 そんな無数の理由があっても、それでも止まる訳にはいかないのだ。だからこそ、歯を食い縛って強気に返す。そうとも、この重みが背にある限り、彼は決して止まらない。


「突き抜けて、セシリオ!!」


「当然の、パーペキだぁぁぁぁぁぁッ!!」


 進み続けた果てに崩れようとも、それでも前へと駆け続ける。突き抜けた先に倒れようとも、この今だけは進むのだ。

 ならばこそ、貫き通すは当然の事。黒き雲海を貫き通して、セシリオとキャロは其処へと至る。貫き通した想いの果てに浮かんだ表情は――しかし笑みとはならなかった。


「え、これ、何で?」


 貫いた直後に浮かんだのは動揺で、感じたのは浮遊感。その小さき身体は空に居て、足場が其処に何もない。

 黒き雲を貫いた先、細い道が在る筈だった。其処には仲間が居る筈だった。なのに崖の底へと通じる道も、なのに戦っている仲間の姿も、其処には何一つとしてありはしない。


「くっそ、抜けられる事も、計算の、内かよ」


 其処で漸くに理解する。黒き雲のもう一つの目的。それは方向感覚を奪う事にあったのだと。

 決死の覚悟を胸に抱いて、何とか踏破しようとする。それすらも、大魔女の掌中でしかなかったのだと。


 此処は崖だ。南北を分かつ大渓谷だ。そんな場所で右も左も分からずに、駆け出せば落ちるは必定だろう。

 持久戦を強要する。それを厭うた相手が逃げ出そうとすれば、位置感覚をズラして底へと叩き落す。元より魔女の悪辣な罠は、二段仕掛けだったのだ。


 故に落ちる。底へ向かって落下する。それを打破する手段はどちらも、この場で保持してなどいない。

 故に落ちる。その落下を食い止めるなど不可能だ。セシリオもキャロも落下して、果てに墜落死を迎えてしまう。それはもう、避けようがない結末で――否。


「疾風迅雷――ライトニングフォームッ!!」


 弟子が限界を超えていたなら、師もまた限界などは超えている。黒き雲を貫いて、空へと飛び出したのは白銀の騎士。

 彼女の狙いはセシリオと同じく、仲間との合流だった。そして彼女とセシリオの違いは、二段目の罠も見抜いていたという一点。


 嘗てアリス・キテラに呪われた。そんなエレノアだから分かる。此処が崖だと言うならば、それを利用した罠がない筈がない。

 セシリオの位置は理解できる。悪竜王の魔力は強烈だ。その波動を感じ取り、健在だと分かったならば予想が出来る。あの馬鹿弟子は飛び出して、きっと罠に嵌るだろうと。


 予測は容易い。セシリオの性質は師として理解しているし、真理を見抜く相棒が彼女の背を守っているのだ。

 己の思考で理解して、ミュシャの予測を信頼して、エレノアは此処で跳び出した。そして雷光の如く飛翔して、落ちる少年少女を抱き留めたのだ。


「師匠!」


「舌噛むから、口閉じてろ! ミュシャッ!!」


 雷招剣を背に負って、両手に少年少女を掴む。そうして空を刻む様に、ゆっくりと底へと落ちていく。

 そんな最中、相棒へと言葉を投げる。雷光を纏いながらに落下する友に向かって、ミュシャは大きく頷いてから飛び出した。


「大地の精よ! 我らが輩よ! 揺れて動け! 隆起し裂けろ!」


 崖から飛び出す。エレノアと違って、短時間の飛翔も出来ないミュシャは真っ逆さまに落ちていく。

 下へ下へと、落下しながら呪文の詠唱を止めはしない。そんな彼女を回収する様に、エレノアは雷光と共に移動した。


 空に磁力の球体を展開して、磁力の反発を利用した移動法。落下するミュシャより早く、その足元へと先回る。

 真下に来たエレノアの肩に、軽く着地しながら紡ぎ続ける。展開したのは六小節、ミュシャが使える限界域の精霊術だ。


「我らが揺蕩う揺り籠を、この今に築き上げろ――アースクリエイト!!」


 大地が隆起する。地殻が変動し、周囲の地形が作り変えられる。膨大な密度の土が道となり、エレノアは其処に着地した。


「即席だから、持って数秒にゃ!」


「上等! んだけありゃ、お釣りがくらぁッ!」


 まるで山の如く、籠った土の上へと仲間たちを放り投げる。気を使っている時間はない。敵は直ぐ其処にまで迫っている。

 雷招剣を背より抜く。大きく振り被って放つのは、これまでは地形の悪さ故に使えなかった全力攻撃。全てを切り裂く、雷光の一閃。


「雷光一閃――サンダァァァァァブレイカァァァァァァァァァァッッ!!」


 雷を纏って巨大化した剣を振るう。一方向にだけではなく、軸足を中心に回転しながら振るい続ける。

 全周囲に向けて、回りながらに切り裂く雷光。単純火力は悪竜の牙に劣ろうとも、その殲滅力は段違い。


 グラーブサンクドを倒すのに、過剰な火力は必要ない。重要なのは、どれ程広範囲に破壊を振り撒けるのかと言うその一点。

 その点で言えば、これこそ正に最上手段。振り回された刃は一瞬で、千や万など遥かに超える撃墜数を叩き出す。そして、それだけでも止まらない。


「オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッ!!」


 雷の精霊石へと闘気を注ぎ続けたまま、エレノアは大剣を大きく振り被る。少女の瞳が見据える先は、空を埋め尽くす黒き雲。

 それさえ消し飛ばさんと言う様に、振り被った刃を下す。天蓋を生み出していた羽虫の群れは消し飛んで、そして漸くに太陽が垣間見えたのだった。


「この隙に、治療を!!」


「まだだ! まだ、其処まで削れてねぇッ!」


 そして崩れ落ちる土の山。緩やかな落下に身を任せて、彼女たちは大渓谷の底へと至る。

 日の光すら届かぬ奥底で、直ぐに治療をと慌てるキャロ。しかしそんな彼女に対し、エレノアは制止の言葉を掛けた。


 そんな彼女の言葉に応じる様に、羽搏く虫の羽音がする。消し飛んだ筈のグラーブサンクドは、しかし全滅には程遠い。


「マジで、切りがねぇ。あんだけ消し飛んだのに、また出やがった」


「場所を変えるにゃ! 兎に角全力で、駆け抜けるにゃよ!!」


 千や万などとうに越えている。既に億まで届く程、羽虫は撃墜されている。それでも兆と言う数は、まるで底を見せてはくれない。

 一億の魔物を倒そうとも、その一万倍の数がある。総体から見ればその数は、欠片も減っていないと断言できる程。数とはやはり、力であるのだ。


 渓谷の底を駆けながら、情勢の悪さに歯噛みする。もう既に全員が限界に近い。特に酷いのはセシリオで、直ぐに治療せねば命に係わる。

 それでも、治療の為に迎撃を緩めれば、結果は先と全く同じだ。次に分断されたなら、今度は合流すらも出来ぬであろう。彼女たちは確実に、追い詰められている。


「こっちはキャロっちが生命線にゃ! 呪いを治せなくなったら、全滅するしかなくなるにゃよ! だから、死ぬ気で守れにゃッ!!」


「んな事は、言われなくても分かってるよッ!」


 ミュシャは叫びながらに、影から治療薬を取り出す。回復系は各種取り揃えているが、この呪詛を如何にか出来るモノはない。

 最上位であるフォリクロウラーの葉石であれば癒せるだろうが、そんな物は持ってはいない。故に体力を回復させるポーションを、取り出してから投げ渡す。


 治療術を詠唱している暇はないが、回復薬を合間に飲むくらいは如何にか出来る。それが現状で出来る、唯一無二の対策だろう。

 だがやはり、これは解決策にはならぬのだ。減り続ける体力の消耗を、緩やかにするのが精一杯。結局の所、保管しているアイテムが底を尽きればそれで終わりだ。


「く、そっ、こう、なったら」


 回復薬を飲み干して、セシリオは腹を括る。こうなったらもう一度、自分が限界を超えるしかないのだろうと。

 右腕の傷は癒えていないが、左腕はまだ動くのだ。だから回復薬で上乗せして、そして己の命を賭ければ、もう一撃は放てる筈だ。


 恐れはある。これで放てば、今度こそ死ぬ。九死に一生などではない。百度やって百度死ぬであろうと、断言出来るだろう消耗となる。

 それでも、千に一度は残れるかも知れない。万に一度なら、生きていられるかも知れない。ならば此処に、その限界を超えて魅せようと――


「セシリオ! やめろッ!」


「けど、よぉッ! 他に、打つ手が、ねぇじゃんッ! だったら、此処でまた、俺が――」


「お前が命を使っても、どうにもならねぇって言ってんだッ!!」


 そんな少年の決死の想いを、しかしエレノアは否定する。それでは無理だと、其処までしても足りぬのだと。

 悪竜の牙は、あくまでも決戦術式。たった一体の強敵に対しては有効でも、無数の有象無象には効果が薄いのだ。


 此処でもう一度撃てたとして、それで一体何になる。百や千は殺せるだろう。或いは万に届くだろう。しかしその程度でしかない。

 エレノアの全力攻撃と同等程度の被害が限界。それでは総数の一パーセントにも届かないのだ。故にこそ決死の覚悟など、無意味な物にしかなってはくれない。


 理路整然と否定され、セシリオは悔しそうに歯噛みする。命賭け自体が無駄と告げられ、踏み出す事など出来やしない。

 守る為に死ぬと言うなら、或いは奮起していただろう。それでも死んでも無駄に終わると言うのなら、どうして其処に意味を見出せると言うのだ。


 結局の所、彼らは逃げ惑うしか出来ないのだ。持久戦に付き合えば、全滅以外に道がないのだ。

 ヒビキがアリス・キテラを打ち破る瞬間を信じて、それまで如何にか逃げ回る。それだけが、彼女らに残った最後の手段。


智慧の瞳(ウジャト)を全力で使うにゃッ! お前ら、死ぬ気で時間を稼げッ!!」


「もう、死ぬ気なんざ超えてるよ!」


「それでも、それしか、ないって、んならッ!!」


 走りながら、しかし何処へ逃げれば良いのか。答えなどないその解答を見付ける為に、ミュシャも腹を括って叫ぶ。

 智慧の瞳は真実を見抜く。だが見抜いた真実が、自身に都合が良い物とは限らない。それでも、このまま逃げ回っても時間の問題でしかない。


 存在しないのかもしれない。何処にもないのかもしれない。それでも必死に探すのだ。自分たちが生き延びる為の手段を。

 無数の羽虫に囲まれて、大地の底を逃げながら、それでも諦めずに探し続ける。そんな少女達が前を向き続けたからであろう。


 彼女( ・ ・ )の声が(・ ・ ・ )――其処に届いた。


〈こちらに〉


「え? 今、何か」


「どう、したんだ、よ。キャロ?」


 突如聞こえた声に、思わず疑問を零すキャロ。手にした爪を振り回しながら、そんな彼女に問うセシリオ。

 その疑問の声に演技の色はなく、真実聞こえていないと理解が出来た。それはセシリオだけでなく、前衛を張るエレノアや真実を探るミュシャも変わらない。


 自分以外の誰にも聞こえていない。故に一瞬、先の声は幻聴であったのかと疑念を抱く。そんな彼女の思考を読んだかの如く、再びその声の主は言葉を発した。


〈こちらに、来て下さい〉


「やっぱり、誰か。……何処に居るんですかッ!?」


 誰かが呼んでいる。それは幻聴ではなく、確かな音だと理解した。故に何処から呼んでいるのか、叫ぶ様にキャロは問う。

 そんな彼女の姿に、しかし聞こえていない者らは疑念しか抱けない。特に前衛を一人で担当し、疲弊し切ったエレノアは意味が分からないと声を荒げた。


「何だ。何だっつーんだよ、一体!?」


「しっ、少し静かにしろにゃ!」


 疲弊し苛立っているのであろう。エレノアの乱暴な言葉使いに、ミュシャが阻む様に口を挟む。

 今だ打開策など見出せていない智慧の瞳だが、それでも彼女の瞳は真実を見抜く。この場における真なる事実を、彼女が真っ先に理解していた。


「声を聞いてる。キャロっちだけが。貴種たる蒼にだけ、聞こえる声。だとするなら、その声は――」


 自分達には聞こえない声。少女にだけ聞こえる声。己達と彼女の間にある最たる違いは、貴種たる蒼と言う要素。

 彼女は繋がっているのだ。セシリオがヒビキの力を借りている様に、キャロもある存在の力を借りれる。その大いなる母祖こそが、その声を持つ正体だ。


〈こちらに。我が子よ。私の元へ、来て下さい〉


「太母マリーア。貴女なのですか!?」


 太母マリーア。またの名を水の精霊王メアリー・アンディーン。ウンディーネとも称される、全ての水を統べる母。

 彼女が呼んでいる。己の子孫が危機を前にして、己の代行者である貴種の窮地を前にして、その言葉を届かせている。


 疑う余地はない。疑念視する意味はない。しかし解せない事がある。故にその言葉に、素直に頷く事が出来ない。


「水の精霊王だって!? 声を届かせる事が出来んなら、何でこの状況で出て来ねぇッ!?」


 それは何故、言葉しか届かせないのかと言う一点。何故に精霊王がこの場に現れて、加勢をしないのかと言う事実。


 土の精霊王クロエ・ノームは魔王アカ・マナフを封じながらも、ヒビキを打倒する為に姿を見せた。果てに彼女は瀕死の姿でも、彼に手を貸す為に戦った。

 命を賭ける程に、魔王とは精霊王にとっての仇敵。どれ程に苦しもうとも、戦わねばならぬ敵。そんな敵の罠に嵌った彼女たちを前にして、しかしメアリーは出て来ない。


 ましてや、此処には彼女の代行者が居るのだ。キャロと言う精霊王にとっての特別がアリス・キテラに襲われている。それはアリス・キテラからの挑発行為と同義であろう。

 第三魔王が水の精霊王に、分かりやすい形で宣戦布告をしている。顔に泥を塗られているのだ。だと言うのに、声を届かせるしかしてこない。余りにも異質。疑問視して当然の要素である。


「分からんにゃッ!! けど、この状況――覆せるのだとしたら!!」


「行くしか、ねぇなら、行くしか、ねぇ」


 それでも、他に道がない。如何に疑念が浮かぼうとも、このままでは全滅するしかないのは事実。

 故に彼女たちは決意する。己の子を導こうとする水の呼び声。それが悪い物ではないと信じて祈り、突き進むしかないのである。


 谷の底を走り出す。あてもなく逃げ回っていた先とは異なって、声に導かれるままに走り続ける。

 進む道は遠い。東へ、東へ、東へ。何処かへと導こうと言う声は遠く、そして駆け続ける彼らの体力は無尽蔵と言う訳ではなかった。


「く、そ――」


『セシリオッ!?』


「ちっ! テメェら、止まってんじゃねぇッ!!」


 先ず最初に、褐色の少年が崩れ落ちた。倒れた彼の姿に足が止まった仲間を叱責しながら、彼の身体を抱き抱える。

 限界を超えて、意識を飛ばしたセシリオ。その気量は既に尽き掛けていて、病魔が牙を向いている。既に長くは持たない程に、何時事切れてもおかしくない。


 そんな彼の身体を背負って、迎撃に向けていた闘気を使って外部から強引に活性化する。そうしなくては、少年はもう持たない。

 それでも、外部強化は効率が悪い。エレノアがそれで気を使ってしまえば、迎撃の手が緩くなる。迫る黒き群れの脅威は、仲間たちへと襲い来る。


 刺された。刺された。また刺された。熱病に血を吐いて、長い呪文を紡げなくなって、足取りは重く重くなっていく。

 このままでは全滅する。導く声に届かぬ内に、彼女たちは躯に変わる。それが分かって、それを理解して、それでも受け入れる訳にはいかぬから。


「太母マリーア! 私たちを導いてッッッ!!」


 キャロは遠く、己を呼ぶ声に向かって祈る。このままでは辿り付けぬから、どうか導いて欲しいと真摯に願う。

 そんな想いに応える様に、一滴の雫が零れ落ちる。小さな水滴は一度で止まず、次第に数を増やしていく。気付けば雨になっていた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!?」


 絶叫と共に、羽虫が次々と落ちていく。浄化の雨にその身を打たれて、小さな魔物が内包する瘴気量では抗えない。

 周囲一帯に降り注ぐ雨は、しかし局所的な物。西の空を覆い尽くした羽虫の群れを、全て消し去るにはやはり程遠い。


 それでも浄化の雨は心強い助けであった。魔物を洗い流し、あらゆる呪詛を浄化する。この雨はグラーブサンクドを減らすと同時に、彼女たちの身体を癒していた。


「あそこ、ですッ!」


 たった一度の助力と引き換えに、呼び声は聞こえなくなった。それでも此処迄近付けば、目的地が何処であるか分かると言う物。

 とても強い力を感じる。星の息吹である精霊力。それが強く集まっている場所に気付く。それは巨大な穴の向こう側、その洞穴の奥底に。


「谷底の洞窟? けど、何処か人工的にゃ。精霊神殿の跡地か、何かか――」


「考察は後だ! 一先ずあの中に! あれだけ精霊力が満ちてりゃ、虫どもは入って来れねぇ筈だ!」


 呪詛は癒された。傷は塞がった。それでも消費した気や体力、重ねた心身の疲弊までもが癒えた訳ではない。

 そしてこの雨も、何時までもは続かない。もう直にでも止みそうな程。そうなれば、膨大な数のグラーブサンクドがまた集まって来るだろう。


 そうなる前に、その洞窟の向こうへと。これ程に星の力が満ちた場所なら、雑多な魔物は侵入出来ない。

 精霊王の領域へと、侵入出来るのは五大の魔王と三大の魔獣くらいであろう。グラーブサンクドは立ち入れないのだ。


 故に駆け込み、奥へ奥へと。そうして天然の物とは思えない洞窟を進み続けた先、大きな扉の前で彼女たちは立ち止まる。

 この先に、呼び声の主は居るのだろう。だがこの先に、何があるのか分からない。そして今の彼女たちは、もう体力の限界だった。


「駄猫」


「危険は、一先ず、なさそうにゃよ」


 呼ばれて、智慧の瞳で周囲を見回す。魔物の気配は感じられず、此処に危険は存在しない。


「呪詛も、残ってねぇ、よな」


「です、ね。取り敢えずは、大丈夫そうです」


「にゃら、一先ず休むにゃよ。流石に、きっついにゃ」


 ならば、先ずは一息を入れよう。腰を下ろした彼女たちは、洞窟の壁に背を預ける。

 安心して、気が抜けたのだろう。重みを増していく瞼と眠気に抗わず、彼女たちは次々と意識を手放していく。


「は、マジで、死ぬかと思ったわ」


 幾ら安全でも、全員が気絶するのは不味いだろう。そう思うエレノアは最後まで警戒しながら、天蓋を見上げて息を吐く。

 考える事は無数にある。ヒビキは大丈夫なのか。此処へと呼んだ精霊王の目的は何なのか。考えるべき事は無数にあるが、思考をしている余裕がない。


 全員が寝てしまうのは不味いが、それでも起きているのも難しい。疲弊はそれ程に、濃厚だと自覚する。このままでは気絶してしまうと理解する。

 故にエレノアは壁に背を預け、意識を絶やさぬ様に注意しながら、浅い眠りへと落ちていく。何時でも動ける様にと警戒したまま、彼女もまた瞳を閉じるのであった。






アカ・マナフ「今回の試練はちょっと温かったのではないかね? 水の精霊神殿と言う安全地帯があるのだから、もう少し難易度を上げても平気だっただろう。例えば、雷を吸収する魔物を浮かべておいたり、広域の精霊術を反射する魔物を混ぜておくのはどうだろうか? 流石に三大魔獣を此処に入れるのはオーバーキルだと思うが、その位なら問題なかろう。正直、貴種の少女が二度もミスしたのに、まだ一人も死んでいないのは君の調整ミスだと私は思うのだよ。アリス」

アリス・キテラ【アララララ】

ヒビキ「……そう言うお前だって、南で誰も殺せてないじゃん」

アカ・マナフ「六武衆とか、反則じゃないかね? ……人間の可能性、正直怖いわ~」



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