表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第二幕 竜と仲間達のお話
114/257

その9

 率直に言って、西の民は愚者であるのだろう。傷だらけの身体で駆けるルシオは、素直にそう思う。


 西の民は合理主義を尊ぶ。目的の為に行う最高効率、最短の目標達成こそが至高と考える。

 己の利益に煩く、他者の情には疎く、最終目標に至る為にはどうするべきかを常に思考し試行する。そんな人種が西の民。


 だがしかし、彼らには共通する事項が一つある。合理こそを尊ぶのに、彼らは特定の状況下では愚者となる。

 それは情。他者の情に疎くとも、彼らは皆己の情に厚いのだ。誰かにとっての大切なんて紙切れ以下だが、己にとっての大切は正しく幾万幾億もの価値となる。


 彼らは情に狂うのだ。ただ一人の例外もなく、西の民は己の想いで熱くなり過ぎてしまう。頭で不合理だと分かっているのに、合理が選べなくなってしまう。

 セシリオにとって、キャロという少女がそうであるように。ディエゴという男にとっては、嘗て失った者らがそうであるように。ルシオにもまた、譲れない者が確かにあった。


「――――っ!」


 空を舞う巨大な怪物。羽搏きと共に舞い散る鱗粉は、常人ならば吸い込んだだけで即死する程の毒素を内包している物。

 その身を覆う外皮は幼虫だった頃よりも固く、そして更に因果応報の呪詛を常に纏っている。与えた被害がそっくりそのまま、常時跳ね返ってくるのだ。


 跳ね返ってくる呪詛は、己が与えた傷だけではない。幼虫だった時とは違い、味方全員が与えた被害が全て加算されて反射される。

 羽搏きに伴う毒素は、ただの猛毒という訳ではない。血肉を壊す毒素と共に、振り撒かれるのは神経毒。それは呪詛も伴って、人に防げるものではない。


 既にして、人間の手に負える様なモノじゃない。接触禁忌とはその領域。決して触れてはならないと、そういう域にある怪物。

 合理で考えるならば逃げるべきだ。戦うなんて、そも過ちだ。すぐさま尻尾を巻いて逃げ出して、それでも生存確率は決して高くはない。


 この怪異から都市を守るなど不可能だ。それこそ英雄本人が到来したとしても、確実に勝てるなんて保障もない。

 西方南部は捨てるべきだ。都市すら完全放棄して、開拓地区を狭めるべきだ。せめて英雄たちが集まって、討伐に成功してくれる時までは――


 そんな判断が現実味を帯びてくる。そんな化け物こそが、S級という到達点。ルシオでは届かない、三大魔獣に準ずる魔物の最上位。

 フォリヌヴィオンは真面な攻勢にも出ていない。鱗粉を振り撒きながらに飛翔しているだけ、だと言うのにルシオは既に死に体だった。


 闘気で身を守ろうとも、フォリヌヴィオンの毒はその上を行く。呼吸をする度に身を苛まれ、既に五感は曖昧で意識は薄い。

 無駄と分かって銃弾を撃ち込むが、その度に呪詛の反射を受ける。受ける被害は、味方する者らがこれまで、全ての魔物に与えた被害の合算値。


 ダメージなんて与えられない。なのに、銃弾を撃ち込む度に致命傷を大きく超えた反射を受ける。吐血し、膝から崩れ落ち、死ぬるが定めと言えるだろう。

 その度に、保険として用意していた守りが砕ける。即死級の被害を受けた際に、その被害を代わりに請け負い砕け散る。そんな御守りがあるからこそ、ルシオはどうにか生きていた。


 それでも、何も出来ていないのは変わらない。ここで立ち向かえば、無駄死にである事は変わらない。接触禁忌級の魔物に、挑むべきではないと知っている。

 それでも、ルシオは銃器を手に取り駆けている。前へ向かって駆け抜けて、空に向かって弾丸を撃ち込む。愚かと分かって退けないのは、西の民が持つ性質が故の事象であった。


「……お前、邪魔だよ」


 首から掛ける首飾り。それはまだ彼が初陣だった頃、彼を拾った者がくれた物。何もなかったルシオへと、初陣祝いにくれた品。

 予め用意していた予備の器に、被害の大部分を受け流す。即死級の威力でなければ発動しないし、ダメージの全ては受け流せない。それでも即死だけは防ぎ切れる。そんな力を持った、準伝説級の防具である。


 貴重に過ぎるそれをルシオに与えたのは、きっと情が理由ではないのだろう。そんな事、ルシオは既に知っている。

 その人物は外道である。人道を大きく外れていて、倫理に唾を吐くような者だ。あの人物にとってルシオなど、ただの駒でしかないのだろう。


 それでも、ルシオにとっては違うのだ。何も持たない浮浪児だったルシオに対し、その肌の色故に捨てられた彼に対し、彼の人物は真実全てを与えてくれたのだから。


「この依頼は、リオンが受けた。リオンが、俺ならできるって、信じたんだ」


 愚かであると知っている。勝ち目がないと分かっている。合理的でないと知っていて、それでも時に突き進んでしまうのが西の民。

 傷付きながらも逃げない理由。それは彼が背負った任が、フォリクロウラーの討伐だからだ。その被害を、終わらせる事であるからだ。


 途中幾ら犠牲を出そうとも、最終的に討伐できるならば良い。だから周囲の村落を見捨てようとしたし、ヘロネ・ゴーシオに影響を及ぼす事だって問題なかった。

 だが今は違う。此処で逃げ出しても、この怪物を討伐できるヴィジョンが浮かばない。共に駆ける雷光の乙女がいなければ、足止めだって出来やしないと分かっている。


 それは駄目だ。それでは駄目だ。リオンは出来ると信じて賭けた。ならば己は確実に、フォリクロウラーを倒して凱旋せねばならない。

 成虫になるのは想定外だとか、二匹いるなんて聞いていないとか、そんな要素は言い訳にならないのだ。此処で逃げれば結果として、クエスト失敗という状況だけが残される。


「リオンは俺の母さんで、リオンは俺の父さんで、リオンは俺の姉さんで、リオンは俺の兄さんで、リオンは俺の先生で、リオンは俺の、俺の――俺の全部だッ!」


 攻撃を行う度に自分だけが傷付いて、それでも歯を食い縛って想いを叫ぶ。そうしなければ、意識を保つ事すら出来なかった。

 負けない。負けない。負けられない。吠える獣のごとく、想いを叫びながらに撃ち続ける。弾切れが先か、守りが底を尽きるのが先か、それでもルシオは撃ち続ける。


 そうとも、逃げない。逃げはしない。ルシオが背負った看板は、彼を拾った者の名は、此処で逃げ出して良い程に安くなどはないのだから。


「灰被りの猟犬。俺はその名代。俺の失態は、リオンの失態。俺を拾ってくれたあの人の名に、俺が傷付ける事になるっ!」


 黒衣の少年は、西が誇る英雄の手駒。その配下が中でも、片腕と呼ばれるまでに至った一人。なればこそ、彼に敗北は許されない。

 その重圧は彼にとっては誇りであって、負けられないという想いがルシオを強くする。限界を超えてルシオは、絶死の戦場を駆け抜ける。


「だから――っ! とっとと落ちろっ!! 糞野郎っ!!」


 空を舞う巨大な蛾。地を這うだけでは届かないから、風の精霊弾を使って飛び上がる。風圧と射撃の反動で、空に飛翔しながら一斉射撃。

 手持ちの弾丸を撃ち尽くすかの如く、フルオートで精霊弾を放ち続ける。弾丸が魔物の外皮に弾かれる度、ルシオは吐血して意識が遠のく。


 だが、それでも怯むことはない。立ち止まるなんてあり得ない。例え末路が無残な死でも、情熱を燃やす西の民は駆け続けるのだ。




 空を舞う山より巨大な怪物。そこに挑むのは、西の愚者だけではない。共に剣を取る少女は、雷光となって疾走する。

 雷を纏って切り込んで、電光石火の一撃離脱。直線的に駆ける軌跡はしかし、然したる戦火を上げてはいない。とかく、敵は固すぎるのだ。


 究極鋼の刃ですら、真面に通らない。どうにか手傷を与えても、僅かな出血で武器が溶ける。それは伝説級の武具である筈の、雷招剣ですら変わらない。


「くそがッ!」


 酸の体液。その毒素すら増している。故にエレノアの握った刃は、その刃先が溶けかけていた。

 このまま更にと切り込めば、手にした大剣が失われる。故に薄皮一枚で、そこから切り込む事が出来ない。


 仮に此処で雷招剣を犠牲にしても、巨体の命は愚か臓腑にすらも届くまい。

 僅かな手傷を与える為だけで、育ての父より継いだ武器を失ってしまう。そんな結果を許容する事は出来ぬのだ。


「――っっっ!」


 されど掠り傷程度とは言え、被害を与えた事は事実。敵意と害意を向けたのだ。故に因果応報の呪詛は、此処にその威を示す。

 闘気の守りを全て無視して、白銀の鎧をすり抜けて、エレノアに刻まれる痛みは致命の領域。常人ならば数百数千と死に至れる総量だ。


 防ぐことは出来ず、エレノアは受け流す様な防具を保持していない。ならば彼女はここに、その命を終えるのか――いいや、否。


「ま、だだぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 致命の傷が、すぐさま其処で快癒する。失われた命がここで、自動的に蘇生する。それは体内に取り込んだ、新緑の葉石が恩恵だ。

 口から丸のみした宝石。葉石が内包した命の力は、人間一人を快癒させて尚余りある物。魔物が集めた命の総量は、十や二十の死ならば踏破する。


 死亡する度に、その葉石を消費して蘇生する。彼の魔獣が喰らい集めた力が失われない限り、今のエレノアは肉体が治癒され続けるのだ。

 だからこそ、彼女は即死を防ぎ切れる。反射される呪詛に取り殺されながら、それでもその場で起き上がる。傷を即座に塞ぎ癒して、フォリヌヴィオンを食い止めんが為に突き進む。


 勝ち目がない。己では勝てない。己達では届かない。そんな事、エレノアも既に悟っている。

 それでも彼女が退かない理由は、西の愚者とは異なる物。己では勝てないのだとしても、この怪物を倒せる者を彼女は知っているのである。


「ヒビキなら、勝てる。情けねぇが、ヒビキなら絶対に勝てる。だったら――」


 ヒビキ・タツミヤ=アジ・ダハーカ。五大魔王の一角。万魔の頂点に君臨する彼ならば、フォリヌヴィオンなど敵ではあるまい。

 腕の一振りで終わらせられる。そういう域の存在が、味方として確かに居る。だからこそ、彼がこの場に来てくれるなら必ず勝てる。


 誰かに頼り切るのは情けないし、想い人にそんな姿を見せたくはないと確かに思う。それでも、最早他の手段などは浮かばない。

 エレノアでは無理だ。ルシオでは無理だ。例え命を数度賭け、奇跡を幾度起こそうとも、それでも届かないであろう。ならば、此処で勝ち方に拘る訳にはいかない。


 拘って、負けてしまえばヘロネ・ゴーシオが滅ぶ。西方南部が壊滅する。或いは更なる最悪は、この魔物がそれで止まらぬ事。

 フォリヌヴィオンの生態など、殆ど分かっていないのだ。故に何を為すかの予想が立たず、もしかしたら大陸すらも渡るのではないかと思えてくる。


 なんせ、南方から西方に渡り来たのだ。ならば中央や北方にまで届かないと、どうして保障が出来ようか。

 ならばこそ、これは此処で止めねばならない。多くの被害を出すと、余りに容易く想像できるのだ。故に此処で、この場所で、討伐せねばいけないのだ。


「俺の役目は、あいつがこの場に来るまでの時を稼ぐ事。セシリオがヒビキを連れて来てくれれば、俺たちの勝ちだ」


 既に逃げろと背を押し出した弟子を思う。この状況を解決できる少年に、助けを求める様に言い聞かせた。

 セシリオの声が届けば、必ずヒビキは応えるだろう。そういう信頼は確かにあって、だからエレノアの役目は命を賭けた足止めだ。


 ヒビキが間に合うその時まで、この怪物の注意を惹き続ける事こそが彼女たちの役割なのだ。


「だから、死に物狂いで止めてやるよ! フォリヌヴィオン!!」


 潰れた臓腑。急激に癒えるそれに、痛みとは違う異常な感覚を感じている。喉を焼く程に湧き上がるのは、潰れた時に生じた血流。

 血反吐や臓腑の欠片を吐き捨てながら、エレノアは大剣を手に啖呵を切る。魔剣はもう使えない。雷招剣は限界が近い。それでも、退くなんて道はなかった。


「オォォォォォォォォッ!」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 共に巨大な魔物の周囲を飛び回りながら、牽制打にしかならぬ攻撃を続けるエレノアとルシオ。

 鱗粉が持つ毒素に当てられて、羽搏く翼が起こす竜巻に吹き飛ばされて、牽制の一撃と引き換えに致命傷を身に刻む。


 余りにも一方的な戦場。そんなパワーバランスですら、そう長くは続かない。エレノアもルシオも、既に底が見えている。


 エレノアが取り込んだ葉石は、とても小さい物なのだ。人の命の十や二十は賄えても、百や二百には遠く届かない程度の物。

 ルシオが用意していた保険の数は、所詮保険の域を出ない物。用意周到な彼であっても、作って百を超えぬであろう。


 共にもう限界は近い。対応策は、この今に全て切っている。あと数分も持たぬであろう程に、彼らの底は浅かった。

 ならば助けが必要だ。御都合主義を与えるデウスマキナがごとく、全てを解決出来る者の干渉は必須であろう。それ以外に道はない。


 だが、しかし――全てを解決出来る筈のデウスエクスマキナ。ヒビキ・タツミヤ=アジ・ダハーカという少年は、この今に動く事が出来なかったのだった。




【La―la―la―】


 白い雲の上に広がる青空に、鐘の様な歌声が響く。真っ赤な真っ赤なルージュが嗤う。

 漆黒の魔物の体内で、ヒビキは彼女と対している。数日前から向き合う様に、そこにいたのは五大が一つ。


 アリス・キテラ=ドゥルジ・ナス。虚偽を司る第三魔王は、この現在に蔓延るあらゆる魔物の司令塔。


【La―la―la―】


 そうとも、彼女こそが一連の事態の黒幕だ。この西方に二体ものフォリクロウラーを引き込んだのは、紛れもなく大魔女の手腕である。

 全てはただ一つ、興味を惹かれた彼女にまた会う為に。青い髪の少女から素性を聞いて、どうするべきか悩んでいる猫人の少女。彼女を手中に抑える為に。


 ヒビキ・タツミヤ=アジ・ダハーカがこの場を外せば、即座にこの大魔女はミュシャに向かってその手を伸ばすであろう。

 それが分かって、故にヒビキは助けに行けない。彼女たちが苦しんでいる事が分かっていて、動けない理由がここにあったのだ。


【虫さん虫さん頑張るの♪ 虫さん虫さん頑張るわ♪ 一杯一杯、皆さん一杯♪ 限界一杯お腹も一杯♪ くぅくぅお腹が空きました♪】


 ヒビキの仲間だけでは対処が難しく、しかしヒビキが動けば敵ではない。そんなフォリクロウラーは、彼女の目的に都合が良かった。

 彼が対処の為に席を外せば良し、彼の仲間たちを減らしてくれればそれも良し。所詮は牽制。これは本命打ではなく、狂った魔女の第一手。


 ヒビキがどう動くのか。両天秤に掛けられた時、果たしてどちらを選ぶのか。息が届きそうな程に近付いて、アリス・キテラは観察している。

 思考は狂っていようとも、どうすれば人間を苦しめられるかは魔王の本能が知っている。だからこその悪辣なる手筋。ケラケラケタケタ、魔女は嗤い続けていた。


【あーたんあーたんあじたはか♪ あーたんあーたんどう思う♪ 虫さん勝つかな負けるかな♪ 今日のご飯は虫さんですの♪ 私は私は猫さん希望♪ 一緒に食べると嬉しいわ♪】


 触れ合う程に近付いて、嗤い狂っている大魔女。この手を伸ばせば届く場所に居るアリス・キテラに、しかしヒビキは手を出せない。

 何故ならば、既に理性を保つだけでヒビキは限界が近いからだ。僅かでも力を表に出せば、アカ・マナフに乗っ取られてしまいそうになる。


 ヘロネ・ゴーシオの一件こそが良い例だろう。唯の兵士を相手取り、少し暴れるだけの心算だった。だというのに、あれ程に大事になってしまった。

 今のヒビキは僅かな力を発するだけでも、魔王としての側面が強く出過ぎてしまうのだ。領主の私兵相手であの結果なら、大魔女と戦う程に力を使えばどうなるか。


 一体どこまで、己が持つか。アリス・キテラを倒す為に、仲間を犠牲にしては意味がない。

 どうしようもなくなれば踏み込むが、そうでなくば躊躇ってしまう。故にヒビキは手を出せず、それが分かってアリス・キテラは嗤っている。


 一線を超えない限り、ヒビキは手を出せない。ギリギリまで彼は、こうして沈黙を選んでしまう。だから魔女は、寄り添う距離で歌い続ける。

 狂った歌を紡ぎながらに、近付いてくる虚言の魔王。挑発するかの如きそんな態度に腹を立てながら、ヒビキは座った瞳で彼女に向かって告げるのだった。


「……アリス・キテラ」


【ラララ?】


「君、邪魔」


【アララララララララ】


 心の底から邪魔だと思って、忌々しいと吐き捨てる。そんな末弟の姿に、アリス・キテラは肩を落とす。


 その姿は何処か哀愁を漂わせるが、しかし性質が悪いという事実は変わらない。

 下手に手が出せない存在と向き合いながら、ヒビキはままならぬ現状に歯噛みするのであった。




 悔しく思えど、現実は変わらない。誰が望み祈ろうと、この現状は変わらない。その結末は揺るがない。

 エレノアもルシオも、長くは持たない。そう遠くない内に彼らは沈む。この現実が変わらぬ限り、その結末は絶対だ。

 ヒビキはこの場に来られない。彼が動けば、大魔女が自由になってしまう。それを防ぐ為に魔女から倒そうにも、前提条件が悪過ぎた。


 ならば最早、結果は変わるまい。この三者に現状を変化させる事は出来ず、残った駒は唯の役なし札である。

 ミュシャは戦力とはなれない。キャロは戦力足り得ない。そうでなくとも、彼女たちは魔女の罠に嵌った事すら知らぬのだ。それでどうして、意味を為せる札になれると言う。


 ヒビキが動けば、ミュシャが死ぬ。ヒビキが動かねば、エレノアが死ぬ。それが今の現状で、虚言の魔女が仕掛けた罠。

 事此処に至って動ける者など、たった一人しか居はしない。何の札にも成れぬその身は、余りに未熟な幼い少年。彼だけが、意味を為さない浮き駒として残っている。


(これで、良いのか?)


 巨大な魔から逃げながら、セシリオは一人思う。この現状で動けるたった一人にして、動いても何も為せない少年。彼は思考を続けている。

 逃げて、助けを呼んでくる。それが彼に与えられた役割。それだけが、今の彼に出来る事。それ以外なんてしようと思った所で、足手纏いにしか成れないと知ってはいる。


(これで、本当に、良いのかよ!?)


 それでも、男の矜持が叫んでいる。ちっぽけな子供のプライドが、それで良いのかと叫んでいる。

 師は任せろと言った。だがその師は既に満身創痍。ムカつくアイツは逃げろと言った。そんな少年が、しかし今にも死にそうだ。そして、悪竜王はまだ来ない。


 セシリオはヒビキを知っている。彼の性格を分かっている。その実力を理解していた。それら全ての要素を考慮して、だから現状はおかしいのだ。

 彼ならば気付ける筈だ。距離は関係ないだろう。気付いたならば、直ぐにでも助けに来る筈だ。なのに来ないと言う事は、来れないという事ではないのだろうか。


 全て彼の想像だ。例え的を射ていようとも、確たる証拠は何もない。だからこそ、それは理由付けでしかないのだろう。

 退きたくないのだ。逃げたくない。だって此処で逃げ出してしまったら、次もきっと逃げ出すだろう。そんな無様な男になるのが、どうしようもなく嫌だった。


(俺は――)


 震える足で立ち止まる。逃げろと言った人が追い詰められているからこそ、任せろと言った人が傷付いているからこそ、セシリオは足を止める。

 逡巡は一瞬だ。考え込んでいる時間はなくて、決めたのならば真っ直ぐに貫く。首に掛かった黒竜の爪を握り締めると、少年は身を翻した。戦場へと、舞い戻る為に。


「俺は――戦うッ!」


 何も為せないのだとしても、唯戦う。足手纏いになるのだとしても、唯戦う。無様に野垂れ死ぬのだとしても、せめて体は前のめり。

 後悔しない道を選んだ。此処で逃げたら、きっと必ず後悔する。だからそんな選択肢、全て捨て去り戦場へと。震える足で駆け出し進む。


「――っ!? セシリオッ!!」


「頭なら、後で下げる。生きていれば、きっと謝る。だけど、だから――俺も戦うッ!」


 戦場で舞うエレノアは、少年の姿に怒声を上げる。何故に来たのだ。その言葉にセシリオは、後で詫びると返すのみ。

 決意は変えない。今更逃げない。周囲を漂う毒鱗粉を僅かに吸い込んだだけで死に掛けながら、それでもセシリオの瞳は揺らがない。


「……態々来たんだ。囮程度は、してみせてよ」


「はっ! 囮だって? なめんなよっ! ルシオッッ!」


 傷だらけで牽制しながら、戦うルシオはそう呟く。退避を許したというのに、此処にまた来た自殺志願。そんな奴を、気遣う心算は端からない。

 自分で死ぬ事を選んだならば、精々的の一つになれ。そう冷たく告げる白貌に、ニヤリと笑って言葉を返す。口に出して語るのは、何も為せない彼が持ってるたった一つの切り札だ。


「決めてやるよ。耐えてやるよ。ぶっつけ本番で、使い熟してやるって言ってんだよッ!!」


 自分は役に立たないのかも知れない。何も出来ないのかも知れない。それでも、この手の中には一つある。

 限界を超えれば或いは、届くかも知れない竜の爪。たった一度だけならば、使えるかも知れない力があった。


 手にしたそれは、魔王の爪。世界で最も高位に位置する、魔法の発動媒体。限界を超えれば、強大な力を与える物。

 確かにその力を使い熟せるならば、必ずや届くであろう。それが分かったエレノアは、苛立ちながらに彼の参戦を認めていた。


「んの、馬鹿野郎がッ! ……隙は俺達が作ってやるッ! だから、やるからには、キッチリ決めろよっっっ!!」


「――っ! 応ッ!!」


 彼が持っている爪は、使い熟せば必ず届く。攻勢においては、並ぶ物なき至高の武器だ。

 反面、彼は非常に弱い。この場で立っているのがやっとな程に、羽搏き一つ受ければ死ぬ程に。


 如何に強大な武器を持とうが、当たらないなら意味がない。そしてセシリオの性能では、当てられる道理がない。

 ならば対処は簡単だ。セシリオが当てられる様に、自分たちでフォローすれば良い。絶対に当てられる隙を、此処に確かに作るのだ。


「さあ、もう一発だ。弟子が限界超えるって言ってんだ。だったら――私も此処に、また超えるッッ!!」


 身体は傷だらけ、精神力はもう限界。闘気も底を尽きている。それでも、再び魔剣を鞘から抜き放つ。

 後一度でも使えば、魔剣に食われて魔物に堕ちる。そんな道理など知らないと、断じて踏破すれば良い。


 そうとも、後一度も耐えられないのが現状ならば、この今この時に成長するのだ。後一度だけならば、耐えられる領域へと至ってみせろ。

 弟子は同じ事を為すと断じた。ならばどうして、師である自分に出来ない理由があるか。あってはならない。成し遂げなくてはならぬのだ。


「クリミナルッッ! サンダァァァァァッ! ブレイカァァァァァァァァァァッッッ!!」


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!?」


 大地から登る黒雷が、天を貫き魔物を撃つ。限界を踏破し切ったエレノアは、そのまま崩れる様に倒れていく。

 それでも、その身は魔に堕ちない。因果応報の呪詛によって意識を絶たれても、それでも確かに人のままで成し遂げた。


 そんな師に感謝を。その背中に、踏破出来るという確信を抱く。そしてセシリオは首から外した竜の爪を、右手の中で握り締める。

 同調し、力を引き出す。されど掛かる時間は短くなく、雷に射抜かれた魔物が起き上がる方が早い。故にそれを防ぐ為、動くのは病的なまでに白き少年。


「勝手に員数内にされてるし。……まあ、良いや。外したら、死んでも呪うから」


「上等ッ! 精々、期待してろッッ!」


「……そうだね。少しだけ、期待してあげるよ」


 意識を集中させながら、目を向けずに断じるセシリオ。そんな彼に僅か、笑みを零して期待する。

 そうしてルシオは走り出す。風の弾丸を撃ち放ち、大地に落ちた虫の頭上を奪い取る。空に浮かんだ火を背にして、彼は影より取り出した。


 それは燃える剣。彼が今持つ最大火力。精霊砲を模して造られた、いまだ未完の試作品。


「まだ試作品だから、一発しか撃てないって言われたけど――」


 燃える剣には限界がある。部品の消耗が大き過ぎ、たった一度しか使えないという限界だ。

 一発撃ったら、解体してのメンテナンスが必要となる。無理に次弾を放ったならば、放出し切れぬ熱量故に自壊する。


 大爆発を起こすのである。だから絶対に二度目は撃つなと、そう言われていた銃をその手に取った。


「使い捨ててやるさ。燃える剣(ティソーナ)――終焉の弾丸(バーラ・ムエルト)ッッ!!」


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!?」


 落下しながら、頭上より撃ち放つ。空に飛び上がろうとしたフォリヌヴィオンは、再び大地に叩きつけられた。

 そうして、大爆発。限界を超えた熱量に自壊を起こしたティソーナが、轟音と共に弾け飛ぶ。ルシオは襤褸雑巾の様に、無残な姿で吹き飛ばされた。


 転がる二人には、もう意識が残っていない。そんな彼らの決死の一撃。それを受けても尚、フォリヌヴィオンは健在だ。

 確かにダメージを受けている。その臓腑にまで到達した。だがしかし、致命の域には程遠い。再び飛翔すれば最後、最早手筋などはない。


 それでも、次はない。再びの飛翔などはない。この今に決定的な隙を晒している怪物は、既にセシリオの射程内に居るのだから。


「我が身を呪え。我らを護れ。命を対価に誓いを果たせッ!」


 闘気を流した瞬間に、魔竜の爪が荒れ狂う。膨大に過ぎる瘴気の量が、幼いその身を穢し尽くす。

 筋線維が切れた。靭帯が切れた。神経が切れた。吹き荒ぶ力によって、全身くまなくその身が壊されていく。


 それでも己を闘気で支えて、湧き上がる負の感情に想いで耐えて、セシリオは確かに前を見ている。

 口にする咒言の数は三。三小節と言う魔法――それで終わる筈はない。たった三つの詠唱では、決して届かぬと知っている。


「火を噴く竜よ。悪こそ祓え。我らに仇なす悪なるモノども。その一切を祓い浄めよッ!」


 言葉は自然と口を出た。望む力を得る為に、何をすれば良いかが何となく分かった。それはきっと、この爪の主が助けてくれているのだろう。

 アリス・キテラを前にして動けずに、それでも爪を介して干渉している。そんな悪竜王の加護があればこそ、この詠唱にも耐えられる。


 紡ぐ咒言は既に七。最上級の戦略魔法。それと同数まで詠唱して、しかしそれでも終わらない。

 確実に勝つために。絶対に届かせる為に。それ以上をセシリオは此処で目指した。最上級の、更なる上を望んだのだ。


「御身の牙を、今此処に。我らが敵を此処に討てッ!」


 その詠唱数は十小節。七つまでは悪竜王が請け負ってくれる。だから、実質的なセシリオの負担は三小節。

 中級魔法と同程度だが、それでもこの爪を制御しながらでは重い。そんな力に押し潰されながら、それでもセシリオは成し遂げる。


「The sin of Unacceptableッッッ!!」


 それは許されぬ罪。人の身では超えてはならないその一線。魔法の到達点たる大禁呪。

 十という咒は奇跡を起こす。人の集合無意識を乗り越えて、真実異常な奇跡で世界全てを染め上げる。


 セシリオが望んだのは、強大なる力。敵を必ず倒す爪。仲間を必ず守る爪。

 脳裏に浮かぶイメージは、嘗て一度見た姿。悪竜王としての彼を思い出し、その一撃を模倣する。


我ら守護せし(パトゥム・デ・ベルガ)――魔竜の爪(ガラ・デル・ネグロ)ッッッ!!」


 振り下ろした右の手に、重なる巨大な竜の腕。悪竜王の一撃。ヒビキの攻撃と同等火力が、此処に魔法で再現される。

 己の力で血反吐を吐きながらも、振り抜かれた小さな拳。それに同期する竜の影が、僅か遅れて振り下ろされる。そうして、魔竜の一撃は示された。


 たった一発。悪竜王の一撃は、決して耐えられる物ではない。故に、唯の一撃で勝負は決した。

 動けず大地に伏していた巨大な虫は、その一撃に耐えられずに弾け飛ぶ。此処に、フォリヌヴィオンは討伐された。


「……勝った」


 吹き飛ぶ巨体を前に、振り抜いた拳を解く。たった一撃で消耗し切って、倒れるセシリオは意識すらも保てない。

 拳を振り抜いた姿勢のまま、前に向かって倒れこむ。荒野と化した大地に三人。倒れた戦士たちは勝利に酔う事すら出来ず――それでも確かに、この窮地を乗り越えたのだった。






サソリさん「たった一撃で、しかも模倣で死ぬとかwww 俺でも二発耐えたんだけどwww」

芋虫さん「出番ねぇ奴は黙ってろ!!」



そんな訳で、セシリオが切り札を習得。

たった一度しか使えないけど、ヒビキの通常攻撃を模倣した一撃。

再現率は本家の8割程度だが、それでも魔王や大魔獣にも通じる火力です。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ