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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第一幕 竜と猫のお話
11/257

その8

 ヒビキとミュシャは太陽の下、砂漠を二人歩いている。


 理由は知らない。

 何を考えているのかは分からない。

 彼女は何も、何一つとして語ってはくれないから。


 助けてくれますか?

 あの問い掛けの意味すらも、少年には分からない。


「もうすぐ、にゃ」


 唯、手を引かれるままに進む。

 唯、告げられたのは、里帰りに付いて来て欲しいと言う言葉。


「もうすぐ先に、ミュシャの生まれ育った場所があるにゃよ」



 砂漠が途切れる場所に程近く、殺風景な景色が変わる。

 砂の絨毯を踏み締めながら降りると、剥き出しの岩壁へと辿り着く。


 何年も風に曝された岩は大きく抉れ、その麓には水が流れ込む大きな穴が開いていた。



「この洞窟を抜けた先。流れる水と、微かな日の光の中で、ミュシャは生まれ育ったにゃよ」



 その洞窟の先に、ネコビトの集落は存在している。

 スナネコと似た生態をしている彼らは、日の光が届き難い穴倉暮らしを良しとしていた。


「…………」


 一歩。一歩と先に進む。

 歩を進める度に口数は減っていき、その表情が強張っていく。


 懐かしい帰郷だと言うのに、ミュシャの身体は引き攣っていた。


 それは緊張か、それとも恐怖か。



「大丈夫?」

「にゃふ~。にゃにがだにゃ?」


 案ずる声に、返す言葉は平然とした物。


 一切の迷いはない。躊躇いの色はない。

 だからこそ、その表情の異質さが際立っていた。


「なら、良い」

「にゃふふ。変なヒビキにゃね」


 一歩。一歩と先に進む。

 先導するミュシャの背を追いかけて、ヒビキは何の警戒もなしに歩を進めていく。


「?」


 ふと、甘い匂いが漂う。

 それはまるで果実の様に、甘く甘く、とても甘美な香りをしている。


 桃色の靄の様に、霞んだ霧がゆっくりと視界を覆い隠す。

 洞窟を抜けた先に近付けば近付く程に、匂いは強く霧も濃くなっていく。


 ふっと熱を孕んだ風は吹き抜けて、煙が一瞬にして晴れた。


 その先には大きな空洞。

 苔と草が一面に生えた、石と砂の洞窟。


 頭上に空いた小さな穴より、日の光が微かに差し込む。

 石造りの家屋に掛けられた小さな灯篭が、暗闇を微かに照らし出す。


 その光はまるで、無数の螢火に満ちた夏空の如く。

 僅かな光が、漆黒の闇を薄暗い空間へと、幻想的な色へと染めていた。


「此処が、ミュシャの生まれ故郷。シャーテリエの集落だにゃ」


 その景色に安堵したのか、ミュシャの表情から強張りが消える。

 少女の身体からは震えが消えていて、安らぎを顔に浮かべたままに振り返る。



「歓迎するにゃよ。ヒビキ」



 夏の夜空に似た幻灯の景色の中で、儚く笑う少女の姿。

 その笑顔は花咲く微笑み、優しいその色は安堵を齎す物だと言うのに__


「? どうかしたかにゃ。ヒビキ?」

「ううん。何でもない」


 何故だか、どうしようもなく、不安になった。






 ヒビキは手を引かれながら、ミュシャの背を追い掛ける。

 洞窟の入り口から家々が立つ場所までは少し距離があり、その丁度中間に位置する場所には詰所の様な物があった。


「誰だっ!」

「にゃふっ!?」

「?」


 その場所に差し掛かった瞬間に、その身に武器が振るわれた。


 長い木の棒の先に、魔獣の牙を取り付けた手製の槍。

 そんな武器が目の前を横切った事に、ミュシャが驚いて跳び上がる。


 そしてそんな武器では傷一つ付かないヒビキは、己の喉に掠った瞬間に壊れた槍を手にしたまま平然と首を傾げた。


「っ!? ……ミュシャ、か」


 己の武器を壊された猫耳の青年は一瞬驚愕を顔に浮かべ、その表情もヒビキの傍らに居る少女を目にした事で安堵に変わる。


「……余り驚かせないでくれ。村に帰郷する際は、洞窟に入る前に連絡を入れる決まりだっただろう」

「脅かさないで、はこっちのセリフにゃよ。……連絡入れにゃかったのはこっちだけど、だからって行き成りこれはにゃいにゃ」


 ネコビトならば、臭いで分かるだろうに。

 そんな風に突っ込むミュシャに、男は今更気付いたと言う表情を浮かべて固まった。


「あ、……ゴメンゴメン。最近は何かと物騒になって来ているからね」

「にゃふぅ、ニコラもお仕事なのは、分かるけどにゃ~。もっとちゃんと見てから、対処して欲しいにゃね」


 引き攣った笑いに、少女が返すのは深い溜息。

 そんな二人の遣り取りを見詰めていた少年が首を傾げている姿に、ミュシャは振り返ると青年をヒビキに紹介した。


「あ、ヒビキ。コイツはニコラって言うにゃ。集落で見張り役をしている人だにゃ」

「……その言い方だと、警備専門みたいな感じに聞き取れるじゃないか」


 猫耳と猫の尾があるからには、彼もネコビトなのだろう。

 そんな風に適当に思考するヒビキへと、ニコラは謝罪の言葉を入れた。


「ああ、とさっきは行き成り切りかかって悪かったね」


 そして利き手を差し出して、口にする。

 友好を示す態度と笑みで、彼は己の名を名乗った。


「ニコラだ。モーリスさん。ミュシャの親父さんだな。彼みたいな石大工じゃないから、集落では狩りと見張りを担当している」

「ヒビキ」


 そんな差し出された手をじっと見詰めて、されど握り返ずに、ヒビキは名前だけを短く口にする。

 そんな少年の態度に、嫌われてしまったかと、ニコラは苦笑を浮かべる。


 行き成り武器を向けたのだ。相手の警戒も仕方がない。

 だが、さりとて空気が硬いままだと居心地が悪い。故に場の緊張を解き解そうと、男は半分本気の軽口を叩いた。


「ヒビキ君は、外でミュシャが見付けて来た“良い人”かな?」

「にゃ、にゃに言ってるにゃかっ!?」


 その言葉に、激しい反応を見せたのはヒビキではなくミュシャ。

 少女はその獣の耳までも真っ赤にして、慌てた態度で言葉を捲し立てる。


「べ、別にそんな関係じゃにゃいと言うか、悪い気はしにゃいけど未だ早いと言うか、何時かそうなったらにゃぁって、ってそうじゃにゃくてっ!」


 口を開く度に滑らせて、一秒ごとにボロを出す。

 そんな分かり易い態度に青年は苦笑して、大してまるで理解出来ていない少年は小首を傾げる。


「僕が良いか悪いか、良く分かんないけど。……ミュシャとは、友達だよ?」

「にゃふ~ん」


 色恋を知るには未だ早い少年の言葉に、少女はこてんとズッコケる。

 空回りして頬を羞恥に染めている少女と、そんな少女を少年は不思議そうに見つめて小首を傾げた。


「あはは、これはちょっと気が早かったかな」


 そんな二人の遣り取りに、思わず青年は吹き出してしまう。

 一頻り笑った後、ニコラは己が邪推をした理由を口に出した。


「この村は過疎化が進んでいてね。近い年齢の子供が少ないんだ。だから、幼馴染の兄貴分としては、嫁の貰い手に心配している訳だ」


 そんな兄貴分の言葉に、ミュシャは鋭い視線を向ける。

 大きなお世話となっている勝手な親切に、少女は膨れっ面を見せた。


「余計なお世話だにゃ~。自分がつい最近、ネリーさんと結婚したからって」

「ふふん。恋人がいない歴=年齢の僻みにしか聞こえないね」


 ニヤリと笑うその姿は、美人な嫁を貰った勝ち組のオーラか。

 人生謳歌していますと言いたげな兄の姿に、ミュシャは尻尾の毛を逆立たせる。


「ふかーっ! ヒビキ、こんな奴放っておいて、早く先に行くにゃよ!」

「……けど」

「さっさと行くにゃ!」


 そんな風に怒りを表現したミュシャに、向けられるのは温かな視線。


 ひらひらと手を振りながら、またなと語る二コラ。

 そんな彼の姿に背を向けて、ミュシャはヒビキを引き摺り進む。


 何かに違和を感じたヒビキはそれを口に出そうとするが、何も言えずに引き摺られて行った。






 集落の中を歩いて進む。

 ネコビトの中でも若輩者の少女は、村の人々全員にとっての子供なのだろう。


 村を一歩歩く度に、老若男女を問わず、村人達に声を掛けられる。

 多くの人が笑顔で声を掛けて、時にヒビキの存在を茶化し、時に彼に言葉を掛けて去って行く。


 そうして時間を掛けながら、二人はその家の前へと辿り着いた。


「さて、此処が我が家だにゃっ!」


 幻灯の中に浮かび上がるは、削り出した石を積み重ねて出来た家屋。

 周囲の家より少しだけ大きいその家は、集落の家を建てる石大工の家である。


 代々技術を伝えるその家系に生まれた少女は、明るい声音で帰郷を告げた。


「たっだいまにゃ~! ――おぅっふっ!?」

「お帰りミュシャ姉ぇ! お土産は~?」


 木製の扉を開けた途端、彼女に向かって飛び付く影。

 ミュシャと良く似た、一回り以上に小さな少女が彼女に抱き着いていた。


「行き成りヘッドバット噛まして、言う事がそれかにゃ我が妹よ」


 与えられた衝撃に咳き込みながら、ジト目で語るミュシャ。

 彼女の豊満な胸に顔を埋めていた小さな少女は、ふと顔を上げるとヒビキの存在に気付いた。


「って、お客さんだ!? それも男!」

「今更かにゃ!? それに謝罪もにゃしか!?」


 ミュシャに良く似た少女は、彼女と同じ様に表情をコロコロと入れ替える。

 初めは驚愕で、次はその端正な顔立ちに見惚れて、最後に姉の叫び声で正気に戻る。


「お母さ~ん! お父さ~ん! ミュシャ姉ぇが婿連れて来たぁぁぁ!!」

「ちょっ、暴走し過ぎにゃよ!? ニナァァァッ!!」


 正気には戻っていなかった。

 混乱したまま走り去るニナと言う幼い少女を、顔を真っ赤に染めたミュシャが慌てて追い掛けていった。


「…………」


 そんな心温まる姉妹の遣り取りを、少年は無表情で見詰めている。

 その蒼く輝く両の瞳に浮かんだ色は、不快と嫌悪を押し殺した物。


「…………此処は、臭い」


 鼻に纏わりつく甘い香りの中で、ヒビキは眉を潜める。

 嫌な臭いがする。嫌な気配を感じる。嫌な何かが其処にある。


 その何かを感じる先には、洞窟の地下へと続く穴がある。

 その穴の先、微かな光さえ届かぬ先にあるのは、古びたカタコンベ。


「…………本当に、酷い臭い」


 強い五感を持っていなければ分からぬ程に、とても微かな不快な臭気。

 死者の眠る場所から、拭いきれない程に嫌な臭いが漂っていた。






 そして、一家団欒の場。

 ニコニコと張り付いた笑みすらも、何だか異質な物に見えて来る。


「まさか、ミュシャが婿を連れて来るとはな」

「ええ、これはお祝いが必要ですかね。貴方」


 石大工のモーリス。職人らしく鍛えられた身体は、ネコビトと言う種族も相まって偉丈夫と言うのがしっくり来る容姿をしている。


 その妻マノン。娘の容姿の良さは彼女の遺伝であろう。そう思わせる程に美しい女は、華美だが下品にはならない装飾を身に纏っている。


 ミュシャの両親。この小さな村でも、それなり以上に裕福な家庭。

 そんな二人は温かな笑みを張り付けたまま、予期せぬ筈の客人へと温かな料理を差し出している。


「全く、二人とも! ヒビキとは、そういうんじゃにゃくて!」

「ほほぅ。じゃあミュシャ姉ぇ! ニナが貰っても良い?」

「にゃっ!? にゃに言ってるにゃかぁぁぁっ!?」


 十にも満たないであろう幼い少女。

 ニナがそんなませた言葉を口にして、ミュシャが慌てて口を開く。


「えー。だって、ミュシャ姉ぇは興味ないんでしょ? ニナ的に、結構タイプだし良いかなって」

「だ、駄目にゃ駄目にゃ! ぜぇぇぇったいに駄目にゃぁぁぁっ!!」


 言葉で言う程に本気ではないのだろう。

 慌てる姉の姿を見守る小悪魔の顔には、ニヤニヤとした笑みが浮かんでいた。


 そんな微笑ましい筈の姉妹の遣り取りですら、気付いてしまえば違和しか感じない。


 違和感がある。異質さがある。

 浮かんだ表情も、口にされる言葉も、何もかもが何処かおかしいと感じるのだ。


「おや、どうしたんだい。ヒビキ君。食べないのかい?」

「あら、全然手が進んでいないじゃない。駄目よ、ちゃんと食べないと」

「あー。ヒビキ兄ぃいけないんだー! ご飯はしっかり食べないと、大きくなれないんだからね!」


 ミュシャの家族たちが、揃って食事を勧めて来る。

 視線を下した先にあるのは、温かな湯気を立てるスープ料理。


 野菜や肉を沢山使ったそのスープは、味付けこそ塩だけだが、とても美味しそうな見た目をしている様に見えて――だが、ヒビキの蒼き瞳には異なる色が見える。


「ほら、遠慮しないで食べなさい」

「早く食べないと、冷たくなってしまうわ」

「あーんしてあげようか? お兄ちゃん」


 その薄く透き通ったスープの色が――まるで泥の様な黒に映る。

 そのスープに浸された無数の具材が――蛆が湧いて腐った断面を覗かせている。

 その湯気と共に立ち上る芳醇な筈の香りが――肥溜めの底と同じ臭いに感じてしまう。


「食べなさい」

「食べないと」

「食べなよ」


 そんな少年の瞳に気付かず、彼らは同じ言葉を口々に口にする。

 全員が同じ温かな表情を張り付けたまま、溝川の水を食せと笑う。


「食べろ」

「食べろ」

「食べろ」


 それはまるで壊れた人形。

 同じ言葉を繰り返す、狂った放送無線機。


「食べろ!」

「食べろ!」

「食べろ!」

「食べろ!」

「食べろ!」

「食べろ!」

「食べろっ!!」

「食べろっ!!」

「食べろっ!!」

「食べろっ!!」

「食べろっ!!」

「食べろっ!!」

『食べろぉぉぉぉっ!!』


 最早狂気を隠そうともせずに、張り付いた笑みのままに叫ぶ。

 そんな彼らの姿を見ても動じぬ竜は、小首を傾げて問い掛けた。


「けど、これ。腐ってるよ?」

「…………」


 瞬間、先の狂態が一瞬で静まり返る。

 まるで時間が止まったかの様に、彼らは動きを停止して――


「あら、やだ。食材の管理に失敗してたみたい」

「こら、駄目じゃないか、マノン。折角の客人に対して。……ヒビキ君も済まないね。直ぐに新しいのに変えるから」


 先ほどまで見ていた光景が、あっさりと塗り替わる。

 幻を見ていたのではないか、そう言われれば信じてしまいそうな変わり身。


「……聞いても、良い?」

「ん? な~に、ヒビキ兄ぃ?」


 そんな激変を見たヒビキは、特に何の感慨も抱かずに。

 ふと思い付いたかの様に、先ほどから抱いていた疑問を投げ掛ける。


「僕が男だって、良く分かったね」

「…………」


 またも、停止。まるで例外処理が発生した電子プログラムの様に、彼らは一斉に動きを止める。


「僕、初対面で女と間違われなかったの、これが初めて」


 それは疑問ではあったが、疑念ではない。

 どこか嬉しげに胸を張る竜の瞳にあるのは、幼い子供の素直な感情。


 この村の人たちは、誰もが一瞥で自分が男であると気付いた。

 それを素直に凄いと思う少年は、彼らが再起動を果たす前に次なる地雷を踏み抜く。


「あと、気になった事」


 その蒼き輝きは、真実を照らし出す。

 魔法使いの虚飾など、その浄眼を前には一切力を発揮しない。


 故に、竜の瞳には最初から見えていた。

 竜は最初から、ミュシャが笑顔で語り掛ける彼らの姿に、異なる物を見ていたのだ。


「何で皆、腐ってるの?」


 瞬間、取り繕う術をなくした死体が、ぐちゃりと音を立てて崩れ落ちた。

 髪の毛がごっそりと抜け落ちる。歯がボロボロと零れ落ちる。肉が削ぎ落ちて、どろりと溶けた目玉が零れ落ちる。


 腐臭が辺りを満たしていく。

 肉が腐った臭いが、処理されていない糞尿の臭いが、余りにも悍ましい臭いが周囲に満ちていく。


 否、最初からそうだった。

 そうだった事が、今になって明かされただけ。


〈酷いなぁ、何でばらしてしまうんだい?〉


 声帯さえも潰れた残骸は、如何にして声を出しているのか。

 まるで地獄の底から響いている様な重厚な声が、そんな言葉を口にする。


〈ああ、ちゃんと食べてくれれば、安らかに眠れたのにぃ〉


 動かぬ筈の腐った死体が、這いずりながら近付いて来る。

 その肉さえも削ぎ落ちた腕は、掴んだら最期、己と同じになるまで離さない。


〈こうなったら、死んでもらうしかないよねぇぇぇぇ〉


 その空洞が見据えている。

 顔面に空いた暗い穴が、お前を逃がさぬと見詰めている。


「っ!」


 その小さな腕が、悪意を持って二人の下へと迫って来る。

 襲い来る三つの悪意を前に、ヒビキは食卓を蹴り飛ばすと、竜の腕でミュシャを抱き上げる。


 死体を潰す事は容易い。その腕を振り払う事は簡単だ。

 一人一人潰して行くならば、脅威などは何処にもない。


 だが――


「ミュシャ」


 腕の中で震える少女を見る。


 この村に入ってすぐ、楽しげに過ごしていた事に虚飾はない。

 彼女が死者たちに向けていたのは、確かな親愛の情だったのだ。


 ならば、この死体を潰してしまうと言う事は――


(きっと、ミュシャは泣く)


 そして、その嘆きに意味はない。


 死者は本来、動かぬ物。

 死した彼らは死したまま、物言わぬ肉としてあるだけの物。


 それが動いているのには、必ずや絡繰りが存在する。

 何らかの特別な力が働いていて、それを絶たない限りは壊す事に意味はない。


(友達が泣くのは、嫌だな)


 だから、彼は周囲の者らを傷付けない。

 蹴り上げた机の影に隠れて移動すると、壁に向かってその剛腕を叩き込む。


 ミュシャを抱いた腕とは逆の腕。それより放たれる破壊は、竜王の一撃。

 古の城壁すらも消し飛ぶ巨腕を前に、民家の壁など紙切れ程度の役すら果たさない。




 轟音と共に崩れ落ちる壁。

 其処から抜け出した二人の前に現れた光景は――


〈何処に行くんだい?〉

〈ああ、彼がニコラの言っていた。本当に可愛らしい子供ね〉


 警備兵のニコラと、彼にしな垂れかかる女の姿。

 赤いドレスを着ている事しか判別出来ない死体が、彼の妻であるネリーなのだろう。


〈駄目じゃよ。お前たちも、儂らの家族なのじゃから〉

〈家族は同じじゃなきゃ、髪も目も歯も肉もあるなんて不公平じゃない〉


 集落の中で出会った老人が笑う。集落の中で出会った女が笑う。


〈さあ、一緒になろう。お前たちも、一緒になろう〉

〈この村は永遠だ。この集落は永遠だ。ネコビトの命は永遠だ〉


 髪も目も歯も爪も皮も肉も内臓も――何もないネコビト達が笑っている。

 死者達は嫉妬と憎悪と慈愛と親愛に満ちた笑顔で、一緒に居ようと笑っていた。


「悪、趣味」


 恐怖を煽る仕草。不安を掻き立てる行動。情に訴える言動。


 その全ての趣味が悪い。B級以下のホラー映画。

 この状況を意図して作り上げた黒幕は、はっきり言って悪趣味だ。


「……ヒビキ」


 ぎゅっと服を握る少女の手が震えている。

 普段は快活な少女の姿が、とても儚い物に見える。


「大丈夫」


 そんな彼女に微笑みを返して、ヒビキは洞窟の奥を見る。

 その先にあるカタコンベ。この酷い悪臭の発生点。其処にこそ、倒すべき敵が居ると感じたから――


「この元凶、直ぐに潰す」


 少女を横抱きに抱いたまま、其処に向かって駆け出した。




 走り出した少年へと、群がる様に死者が集う。

 次から次へと湧き出す死者は、まるで限りなどないかの様。


〈何処へ、行くの?〉

〈行かせない。行かせない〉

〈行かせないよ。一緒に逝こう?〉


 死体は足の筋肉さえも腐った物が殆どで、追い付かれる事はない。

 だがそんな彼らを置き去りにして、完全に撒いてしまう事が出来ていなかった。


「……っ」


 如何に竜が音を置き去りにした速度域で動けるとは言え、腕の中に守るべき者がいる以上はその速さでは動けない。

 そうでなくとも音速越えのソニックブームなど発生させてしまえば、腐った彼らは残骸となってしまう。どの道、常軌を逸した速度などは出せないのだ。


「やり、にくい」


 故に、速度だけでは彼らを撒けない。

 付いて来る彼らとの距離を、大きく開く事が出来ていない。


 そして、彼ら死者の脅威はそれだけでもない。


「……また」


 気が付けば、進もうとした先に死者が居る。

 大きく迂回して目指しても、何故か必ず死人が居た。


「……隙間が、ない」


 行動を読まれる様に、先回りされる。

 ルートなど分かっているかの様に、彼らは必ず進行方向に存在していた。


 ゆっくりと包囲網は狭まっていく。

 無数の死者は夏の虫の如く、増え続けてきりがない。


 死者を傷付ける事が出来ない。

 そんな縛りを自らに課している以上、このままでは追い付かれて捕まるのは時間の問題だった。


「……なら」


 打開策が必要となる。

 この状況を打破する術が必要となる。


 そしてその方法を、ヒビキは既に知っている。


 蒼き瞳が見詰める先は、石で出来た住居の壁。

 そしてその目が見定めるのは、己の体重にすら耐えられる頑丈な大岩。


「キョウちゃん、言ってた」


 緩やかに迫る死者の群れ。

 彼らを撒く為には、彼らには出来ない動作が必要となる。

 先回りを続ける彼らを乗り越えるには、彼らが行けない場所に行く必要がある。


 そう。その場所は――


「こういう時は、パルクールだって!」


 鍛えた人間でも易々とは登れない、民家の屋根を足場にすれば良い。


 元より運動が苦手な少年。嘗て街の暴力団に喧嘩を売って、警察が来るまでヒビキを抱えて逃げ回った友人の様に、軽やかに魅せる動きは出来ない。


 だが、その真似事くらいは出来る。

 ドタドタと煩く足音を立てて、手を掛けた場所を握り潰し、足を乗せた場所を踏み抜きながら、それでもヒビキは走り抜ける。


 獣の如き速度で、縦横無尽に跳び回る。

 石の壁さえ足場に変えて、死者が付いて来れない道を進む。


 綿密に練られた策を潰すのは、単純な思考回路の力技。

 損得さえも真面に判断できぬ愚かさこそが、長き時を生きた魔法使いの叡智ですら予想の出来ない現象を引き起こす。


「っ!」


 家を足場に、踏み抜く足で集落を壊しながら、ヒビキは跳ぶ。

 悪なる竜の瞬発力で踏み抜く足場を打ち砕いて、反発力で大きく跳び上がる


 そして竜は、カタコンベの頭上に舞う。

 守るべき人を腕に抱いたまま、残る腕を大きく振り上げる。


 眼下に死者はいない。

 己を追い掛ける為に、この場所には存在していない。


 空中で身体を捻った少年が振るうのは、肥大化した竜の腕。

 その強大な腕から放たれるのは、全てを滅ぼす魔竜の一撃。


「やぁぁぁぁぁぁっ!」


 轟と音を立てて、地面に亀裂が走る。

 大地が轟音と共に沈み込み、走った亀裂が広がり砕けて割れた。


 地面に空いた大穴の先、暗闇へと通ずるカタコンベ。

 その場所へと舞い降りた悪竜は、大切な友達を抱いたままに駆け出し抜ける。


 死者は現れない。既にこの行動は予想外。

 対処の為に後を追い掛けて来ているが、それとて既にもう遅い。


 腐った死体の速度は遅い。

 音速域など出さずとも、獣の速度で十分過ぎた。


 そして竜は、その場所へと到達する。


「……ここが」


 カタコンベの最奥。

 最も臭気が籠った場所。


 無数の古書が本棚に置かれ、実験器具が机を占拠している。

 地面と壁に書かれたのは、複雑怪奇な模様と文字。そして床に散らばる無数の素材。


「……元凶が、いない」


 臭いが籠ってはいるが、だが邪気を感じない。

 その臭いさえも既に薄れつつあると、そういう風に感じてしまう。


「先読み、されてた?」


 先んじて逃げられたのか、常にこちらの一手先を行く敵手にヒビキは眉を潜める。

 元凶が居ると目した墓所は蛻の殻で、だがここ以外に臭いが強い場所がない。


「……余り、時間ない」


 ゆっくりと、臭気が近付いている。

 腐った死体がペタリペタリと近付いて来る音がする。


 此処はもう袋小路。

 敵に繋がる道を見つけ出せねば、死者の群れに圧殺される。


「何か、ないの」


 そしてヒビキは周囲に視線を巡らせる。

 研究室を思わせる石造りの部屋の中には、幾何学模様が幾つもあるだけで敵に繋がる物など見つからない。


「――っ」


 理解出来ない文字を見た瞬間に、脳に激しい痛みが走る。

 幻想世界の言語を理解した時と同様に、知らない筈の知識が何処からか流れ込んでくる。


「……気持ち、悪い」


 記憶が塗り替えられる感覚。

 知らない筈の記憶が挟まれている錯覚。


 それに吐き気を感じながら、竜は金色に染まった片眼にて文字と模様を見詰める。

 先ほどまでまるで分からなかったその記号が、今では何を示しているのか簡単に理解出来る様になっていた。


「……周囲の環境を変える魔法?」


 それは惑星の環境を作り変える一つの魔法。

 魔力と言う瘴気から発生する力を利用した、精霊術とは異なる術技。


「けど、未だ不完全。これじゃ、どうしたって魔力が不足する」


 一目見て、知る。千の魔法を操ると言う、その性質故に理解する。

 これは極めて不出来な魔法だ。研究中で、未だ不完全な魔法である。


 間違いなく、これでは人間は使えない。魔力量が足りないのだ。

 余りにも高すぎるコスト。どんなに効率化したとしても、この儀式魔法を使える存在は――


「魔王、しかいない」

「――それは、良い事を聞いたのう」


 ぐちゃりと嫌な音がして、直後に腹部に痛みが走った。


「え?」


 蒼い目で、その傷を見詰める。

 精霊王との戦いで出来た傷痕に、突き立てられたのは蠍の尾。


「カカッ、凄まじいのぅ。ロワノールスコルピオンの尾を内臓に直接刺されても、まだ意識を保っていられるのか」


 まるで老人の様な口調で、黒い蠍の尾を握り締めた少女が嗤う。

 残骸だって勿体ないと、ヒビキが殺した筈の砂漠の王の断片を、ミュシャは確かに回収していた。


 そう。その蠍の尾の断片を握り締めていたのは、ミュシャと言う少女であった。


「……な、んで?」

「カカッ、カカカッ、カカカカカカッ!」


 嗤いながらミュシャはヒビキの腕から摺り抜ける。

 天の空すら腐らせる猛毒によって、ヒビキは指一本動かせない。


「お主には、こちらの方が良いかのぅ」


 研究施設の壁際にまで移動した少女。

 ミュシャは、其処に飾られた一本の矛を手に取った。


「儂もお主も、魔物と言う存在は瘴気によって肉体を形作る」


 大地を思わせる淡い輝きが、その刀身に溢れる。

 矛の柄に飾られた黄色の宝石が、清らかな光を放っている。


「瘴気とは、人の生命力が邪念によって歪んだ物。正しく高めた物を、東方では氣と称するんじゃったかのぅ。世界を構成する力である精霊とは、全く真逆の力じゃよ」


 其れはネコビトの里に伝わる大地の矛。

 己の子孫の為に、大地の精霊王が遺した精霊武装。


「故に精霊と瘴気は相克する。瘴気より生まれた魔物に対し、精霊の武具は正しく天敵となり得るのじゃよ」


 その矛を手に、ミュシャが歩き出す。

 最早動けぬヒビキの下へと、ゆっくりと近付いていく。


「それは魔物の血を引く亜人種とて変わらぬ。儂らはのぅ、生まれついてより瘴気を内包しているが故に、己の肉体を傷付ける精霊術が一切使用できんのじゃ」


 蹲るヒビキの下へと、辿り着いた少女が足を止める。

 ミュシャはその口より老人の言葉を代弁しながら、大地の矛を振り上げた。


「故に、コヤツらワーキャットは亜人種ではない。風の精霊の血を引くエルフ族の様に、こやつ等は半精霊とでもいうべき存在よ」


 振り上げた矛を掲げる少女の顔は、人形の如く無表情。

 ただその頬を伝う水滴を、蹲る竜だけが確かに見ていた。


「故にこうして、矛を握れる。故にこうして、精霊に対する抵抗力を持っている。故に内側にある儂は傷付かずに、こうして魔物の天敵たる武具を振るえるのじゃよ」


 その涙を止めようと、僅かに竜が立ち上がる。

 そんな少年の挙動に合わせる様に、ミュシャの身体はその刃を振り下ろした。


 斬と音が響いて、鮮血が舞う。

 ザッハークがフェリドゥーンの振るった牛頭の矛に頭を砕かれた伝承の如く、悪なる竜の頭は断ち切られて――


 そして天上が崩れ落ちて、無数の屍が落下する。

 頭部を失くして崩れ落ちた少年の身体の上に、ネコビトの死骸が積み重なっていく。


 それは大山の如く。

 死体が織りなすダマーヴァンド。

 屍で出来た巨大な山が、悪なる竜を封じ込めた。


「カカッ! カカカッ!!」


 嗤う。嗤う。嗤い狂う。

 少女の身体を奪い取った老害は、勝利の余韻に酔い切っている。


「カカカッ! カカカッ! カァーカカカカカッ!!」


 人の心を苦しめて、瘴気を生み出す為だけに――


(……ヒビキ)


 未だ意識を残されたネコビトの少女は、言葉すらも自由にならない姿で、その瞳から涙を流し続けていた。






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