その4
◇
曇天の中、伸縮運動を繰り返す黒き獣。その体内にて、褐色の少年も同じく身体を伸縮させていた。
胴を伸ばして縮ませる異形の動きと違って、セシリオのそれは腕を折り曲げ伸ばす伏臥腕屈伸。
何処までも常識の範囲内で行われている運動ではあるが、その厳しさは異形の動きにも負けない程に非常識であった。
「121、122、123、124」
別に数が異常と言う訳ではない。百や二百の繰り返しなど、それなりに身体を鍛えた経験がある者ならば平然と行える総数だ。
セシリオも幼いながらに、身体を使う仕事を続けて来た者。百を超える基礎トレーニングの繰り返しは、確かに疲れるが出来ないと言う程の事ではない。
そんな少年が、滝の様な汗を流している。一回腕を折り曲げて、そのまま伸ばすと言う単純作業。その行為だけで既に、倒れ込みそうな程に疲弊していた。
「134、135、136、137」
数は異常じゃない。ならば何が異常かと言えば、残るは質の問題だ。繰り返しとして行われる運動の、一つ一つの密度が違っている。
その違いは一目で見て分かる程、外から見れば一目瞭然。己の氣を最大限に発した状態で、腕立て伏せを行っている。淡く輝く光を纏っていたのである。
氣とは生命と精神から生まれるエネルギー。魂が持つ根源たる力。それを消費すると言う事は、生きる為の力を失うと言う事だ。
つまり氣を使うと言う事は、その分だけ己の身体を切り裂く様な行為。氣を纏って動くと言う事は、出血多量の身体を動かす事と即ち同義。
治らぬ傷を抱えたまま、身体を鍛える為に身を動かす。その痛みが軽い筈がない。苦しいと言う感情が存在しない筈がない。
それでも、セシリオは滝の様な汗を流しながらに作業を続ける。定められた数。今の彼がギリギリ耐えられる限界点がその先ならば、心が折れる道理がなかった。
「146、147、148、149――だぁぁぁ、これで150っ!」
強くなりたい。その想いに嘘はない。ならば当然やり遂げる。
そしてセシリオは成し遂げた直後に、文字通り気が抜ける様に崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ、はぁ……終わったぁぁぁ」
「遅ぇぞ、阿呆。高々腕立て150回程度に、30分も掛けてんじゃねぇ」
うつ伏せとなったまま床に倒れて、荒い呼吸を整えるセシリオ。そんな彼に下す教師の採点は、中々に辛口な物。
口ではそう言いながらも、内心ではそれ以上に評価している。彼の限界を想定して、その半歩手前として与えた量。30分で終えられたのなら、出来としては上々だろう。
それでもスパルタで鍛えると決めた以上、少年を無駄に甘やかす事はない。今は繰り返して基礎を鍛える時期である。自信を付けさせるには未だ早く、調子に乗らせる事などしてはならないのだから。
「けどよ、姉ちゃん――じゃなかった、エレノア師匠。氣で身体を強化したまま動くのってさ、死ぬほどキツイんだけど」
「死んでねぇだろ。ってかそう言うもんだ。慣れろ」
自分に師事するのなら、呼び方を変えろと最初に教えた。そんなエレノアは、ぶっきらぼうに言葉を返す。
それは甘やかさないと言う方針だけでなく、慣れない敬称への照れも理由。自分で指示しておきながら、どうにもむず痒いと感じる彼女であった。
「氣の強化もさ。何か、思ってた程じゃねぇし、正直何が変わったのかって感じっつーか」
「そりゃテメェの生命力が雑魚だからだよ。氣ってのは、身体能力と精神力を混ぜ合わせて生み出すんだ。身体が満足に出来てねぇガキじゃ、滓みてぇな強化率なのも当然って訳だ」
倒れたままにセシリオは、己の掌を見詰めて口にする。身体能力を向上させると言う氣の力、それは思った程の効果がなかったのだ。
確かに腕力は上がっただろう。確かに耐久力は上がるのだろう。だがそれは実感できる程ではなく、ならば体力消費の方が目に付いてしまう。
これならば使わない方が良いのではないか、そうとすら思えてくる程に非効率。まるで成長の実感が湧かない少年は、愚痴る様に零すのだった。
「……なぁ、本当にこれで強くなれてんのか?」
「三日で結果が出るか、阿呆。後、師の言葉を疑ってんじゃねぇ」
そんな弱音を切り捨てる。何度も言う様に、今は基礎を固める時期。明確な結果など、高々数日で出る筈がない。
一瞬で急成長できる様な、一を聞いて十や二十を理解できるような、そんな天才ではないのだ。セシリオも、そして師であるエレノアも。
故に彼らに出来るのは、一つ一つと積み上げていく事。何時かそれが形になる事を信じて、数を重ねていく事しか出来ぬのだ。
「と言ってもにゃ、何の説明もしにゃいのは不親切じゃにゃいか?」
とは言え、それでは余りに厳し過ぎるのではないか。同じ獣の体内で、その光景を見ていたミュシャが口を挟む。
彼女の言にも一理ある。結果が出ない状況で、モチベーションを保つのは難しい。セシリオが愚痴を零してしまうのも、或いは当然の話だろうと。
「……そりゃそうだがよ」
言われて僅か考え込んで、確かにそうだと理解する。未来に至る形を知らずして、努力を続ける事は難しいとはエレノアも知っているのだ。
今のセシリオが耐えているのは、惚れた少女が其処に居るからであろう。キャロと言う少女の為に、その一念だけが支えている。だからこそ耐えられるし、だからこそ焦るのだろう。
ならば、先にどの様な形を目指しているのか教えるべきか。それで基礎が疎かにはならないだろうか。
初の教え子を前に悩むエレノアに、ミュシャは助け船を出す様に口にする。助けを出すのは当然だ。何故なら教えを請われたのは彼女も同じく、知識を与えるのは自分の役割なのだから。
「せっしーも程良くへばっている様だし、丁度良いと思うにゃ。きゃろっちも基本となる精霊との対話はもう十分にゃし、次の段階に入る為にそろそろ基礎講義に入る予定だったにゃ。にゃら、一緒にせっしーにも術法の基本知識を仕込んでみたらどうにゃ?」
「……そう、だな。知識も欲しいって言ってたし、纏めてやるならありっちゃありか。頼めるか?」
どうせ暫く身を休めないといけないのだ。ならばその時間、唯休ませるよりかは知識の習得に使わせた方が良い。
疲労困憊と言う状態だが、一緒に話を聞く位は出来るだろう。そして耳にすれば自ずと理解が出来る筈だ。セシリオが目指す強さが、如何なる形で結実するのかを。
「にゅふふ。ミュシャにお任せにゃね!」
任された少女は胸を張り、己の影を操り取り出す。影の収納術で引き出したのは、黒一色の大きな板だ。
壁に板を立て掛ける。そして黒板を思わせる長方形の板に、ミュシャは白字のチョークで文字を殴り書いていく。
「セシリオ、大丈夫?」
「あ、ああっ! 大丈夫! ってか、余裕だね!」
そんな中、倒れた少年の下へとキャロが駆け寄る。大地に伏していたセシリオは、少女の言葉を聞いた瞬間跳ね上がった。
引き攣る腕を身体で隠して、それ以外の部位を動かす事で誤魔化す。脂汗すら拭えていないが、それでも格好を付けるその姿。
ずっと見ていたキャロはくすりと苦笑して、見られていたセシリオはそれでも空元気で答える。男の子には、意地を見せねばならない時があるのだ。
そんな幼い男女の微笑ましい遣り取りに、少女らは揃って笑みを浮かべる。その笑みの質こそ違ったが、想いの本質は似た様な物だろう。確かな好意が其処にある。
とは言え、何時までもそうしても居られない。講義の準備は整ったのだ。ならばとばかりに、ミュシャはその手を大きく叩く。
その音で二人の空気は切り替わり、跳ねる様に彼女へ向かって目を向けた。生徒の視線が集中した事に満足すると、ミュシャは講義の開始を告げるのだった。
「ミュシャ先生の、魔法&精霊術ってにゃんだろうコーナーっ! どんどんぱふぱふどんどこどーんっ!」
「えーっと、何? このノリ、何?」
「精霊術の講義って、言ってた筈ですけど」
「おい駄猫。全力で引かれてんぞ」
黒板を前に胸を張るのは猫娘。その異様なテンションに付いて行けず、生徒二人は早速にも引いている。
エレノアにその事実を指摘されたミュシャは、ノリが悪いなと呟きながらに切り替える。彼女が口にする内容は、二人にとって今一番必要となる事だろう。
詰まり、初歩の初歩。あらゆる術式の基本にして、共通法則と言える内容だ。
「えー、ごほん。先ず第一に覚えるべき事は、術式知識の大前提。魔法と精霊術。その力の原動力となる物について、少し説明していくにゃね」
口にしながら、黒板に文字を走らせる。堂に入ったその姿は、学士としての優秀さに依って立つもの。
多芸であるこの猫人は、魔法や精霊術の知識と言う面でも一線級。彼女は嘗ての境遇故に、専門の術者よりも知識が豊富なのである。
そうとも、世界最高峰の魔法使いの傀儡として過ごした日々。其処から身内を救う為、世界嘗ての知識を集め続けた日々。
そんな過去が確かな血肉となっている。魔法の知識だけならば、権能を持つヒビキにも迫る。それ程に優れた知識者であり、故にこそ教育者としても最高峰の一人でもあったのだ。
【魔力=生命力×瘴気】
【精霊力=生命力×自然エネルギー】
そんなミュシャが記した公式。それは術式を使用する際に消費する、その力の内訳だ。
王都にある王立術式学会や、西にある真理研究会。それらで定説とされている基本常識がそれである。
「はい。これが魔力と精霊力の公式にゃー。試験出るから覚えとけにゃよー」
「……何処の試験に出るんですか?」
「中央の王立学園ー。卒業すると、公的機関引く手あまたで銭稼ぎ放題にゃね」
「まじで!?」
「食い付いてんじゃねーよ」
魔力とは、瘴気に染まった人の生命力。精霊力とは、自然の力と同化した人の生命力の事である。
どちらも本質的には同じ物。その別側面の定義でしかないのである。そしてそれを呼び水として、様々な要素が其処に加わる。
例えば術式の小節数。数が増える程に制御が困難となっていくが、それを対価に魔力や精霊力が跳ね上がる。
例えば特殊な装身具。元となる生命力を引き上げたり、瘴気や自然エネルギーを集めやすくする物が一般的だろう。
精霊石なども、部類としては装身具と同じだ。それ単独で、自然エネルギーを内包した物。
自然エネルギーを集める際には、適正値が大きく影響している。素質頼りになってしまうのが本来なのだが、それをある程度まで緩和できる道具であるのだ。
「自然エネルギーって、大気中に存在している精霊の事ですか?」
「そそ、そっちも精霊力って言ったりするけど、紛らわしいんで学術的には自然エネルギーって言うのが基本にゃね」
手を上げて質問するキャロに、気を良くしながら言葉を返す。俗説的に言われる名称と、学術的な名称の違いを。
一般的に精霊力と言えば大気に満ちる力であるし、魔法の源は何かと言えば瘴気と答える者は多い。
だが彼らの言う精霊力や瘴気は幅が広すぎて、紛らわしいとも言われていた。故に学術的な正式名称は、それらを分けて区別するのである。
「精霊術に使う力が、星の自然エネルギーと人間の生命力を混ぜた物。魔法に使う力が、魔物の力である瘴気と人間の生命力を混ぜた物。……だったら、教会の神聖術とかはどうなんだ?」
「……あー、神聖術、にゃぁ」
一緒になって聞いていて、ふと疑問に思ったのかエレノアが零す。そんな彼女の疑問に対し、ミュシャは少し言葉に詰まった。
正直言って、ミュシャの聖教嫌いは筋金入りだ。それもこれも聖教が亜人廃絶を教義としているが故なのだが、だからこそ余り深くを知りはしない。
「教会は敵にゃ。だからちゃんと知っておきたかったんにゃけど、アイツ等すっごい秘密主義だからにゃ。寧ろ、身内に関係者が居るエレノアの方が知ってるんじゃないかにゃ?」
「って言われてもよ。義父も形だけの生臭坊主だし、神への信仰心無くなったからもう使えないってしか聞いてねぇや」
「……にゃら、そう言う技術なんだろうにゃ。他の二つと合わせるにゃら、生命力と信仰心を混ぜたもんが神聖力ってやつで良いにゃよ」
「雑だな。ま、今は関係ねぇ事かもしれねぇけどよ」
話題がズレたと、二人揃って話しを戻す。神聖術の本質こそ分からねど、この今にそれは必要じゃない。
重要なのは、精霊術と魔法の二つ。キャロが覚えるべき精霊の力の使い方と、そしてセシリオが覚えるべきもう一つ。
「……んっと、氣も確か、生命力って奴だったよな」
「お、ちゃんと頭に残ってたか。正確に言えば、氣ってのは精神力で磨き上げて純化させた生命力の事なんだが――基本的には同じ物だぜ」
あらゆる力の本質は、どれも同じ物である。その色を変えて、表に現出しているだけなのだ。
言葉を聞いてその事実に気付いたセシリオを、エレノアは笑って評価する。あの疲労状態で、良く覚えていた物だと。
「って事はさ、氣と他のエネルギーって混ぜれんの? もしかして、魔法使いや精霊術師は全員闘気でも戦えるとか、実は皆マッチョだったりすんのか!?」
「正解だ。っても、態々純化させねぇでも生命力としては使えるから、大多数は氣を練る事も出来ねぇけどな。……氣と混ぜ合わせた方が得られる効果はデカいから、術者のトップは意外と肉体派揃いだけどよ」
「実戦派のトップは、って付けろにゃ。研究が主の連中は鍛える時間惜しさに、補助用の術式や魔道具を作ってる奴の方が多いにゃ」
実際、氣を使った魔力や精霊力は純度が高い。とは言え、態々手間を掛けてまで習得する利点があるかと問えば微妙であった。
先ず前提として、氣を練るには生命力を強く自覚する必要がある。無意識に消費している魔法や精霊術と違って、闘気を生み出す為には生と死を正しく認識せねばならない。
瀕死の状態を経験して、それが第一段階。命を正しく認識した上で、出力を上げる為には身体を鍛える必要性が生まれて来る。
其処までしても、筋力は衰える物。鍛え続ける事を怠れば、時間経過と共に氣の出力は下がっていく。故にこそ、収支が全く見合ってない。
基本インドアな研究者たちにとって、其処までする程の価値がない。故に一流であろうと、氣を使えない術師と言うのは意外と多い。
寧ろ、率先して氣を習得する様な者など、魔法戦士や冒険者をやっている魔法使いの様なごく一部。身体を鍛える事自体を、日々の中に取り込んでいる者達くらいだ。
「んで、きゃろっちには約束通りに精霊術を、せっしーには魔法の基本を学んで貰いますにゃ」
「……なんで、魔法? 俺も精霊術じゃいけねーの?」
基本事項を説明して、それから二人の生徒に学ばせる事を提示する。その言葉に、セシリオは首を傾げる。
キャロが精霊術を学ぶ理屈は分かる。だが何故自分だけ違うのかと、出来れば同じ物を学びたいと思うのは男心と言う物か。
そんなセシリオの言葉にさもありなんと頷いて、ニッコリ笑ってミュシャは断言した。
「はい。ぶっちゃけ、せっしーは雑魚なので」
「ざ!?」
実力的に雑魚だから、精霊術ではなく魔法を教え込むのだ。そう語るミュシャに、セシリオは思わず絶句する。
顎が外れるんじゃないかと言う程、ポカンと口を開けた姿に頭を抱える。そうして息を一つ吐くと、エレノアはミュシャに突っ込んだ。
「真面目に説明しろや、駄猫。雑魚なのは事実だけどよ」
「はいはーい。真面目に言うにゃね。雑魚なのは事実だけど」
「ひっでぇっ!? 姉ちゃん達、ひっでぇっ!!」
「せ、セシリオ。だ、大丈夫、だから、ね?」
さらりと毒を吐きながら、言葉を交わし合う二人。そんな慈悲なき姿に、セシリオは膝を落とす。
一朝一夕で強くなれる筈がなく、自分でも弱いと自覚はある。それでも、其処まで言う事はないんじゃないかと。
がっくりと手を付いたセシリオに、慰める様な言葉をキャロが掛ける。
そんな予想通りの子供達の反応に、目尻を緩めながらミュシャは理由の説明をするのであった。
「単純に言うとにゃ、変換効率の問題にゃ」
口にしながら、文字を記す。刻まれた公式は、発動した精霊術の威力を求める計算式。
【精霊術の威力=精霊力×術式適正×付与効果】
精霊術の威力を決める三要素。それが精霊力と術式適正。そして、その他の効果である。
それを一つ一つと指し示しながら、ミュシャは解説を付け加える。これら三要素が高レベルで纏まって、初めて精霊術は強固な物になるのだと。
「精霊力は、さっき言った通り。んで、この付与効果ってのは、詠唱の小節の数とか、精霊力を強化する特殊な装備とか、そう言うんを纏めた感じの奴。問題は二番目の術式適正にゃ」
術式適正。精霊術を使用する際に、最も大きく影響を与える要素。
適正値が基本ゼロとなる亜人種が、精霊術を使えないと言うその要因。
それを言葉にするならば、極めて単純に言えるであろう。術式適正とは即ち――
「その属性の精霊に、どれだけ愛されているか。それが術式適正にゃ」
どれ程に、世界に愛され、世界を愛する事が出来るのか。そう言う精霊との同調適正を数値化した物なのだ。
「きゃろっちはその点が完璧。貴種たる蒼ってのは、マジで伊達じゃないっつーか、ぶっちゃけ常人の数十倍から数百倍とか言う反則級の適正値にゃよ」
貴種たる蒼は水の寵愛を一身に受けた者。故に彼女の適正値は、ミュシャが見て来た中でも過去最高。
一般平均とされる数字の大凡百倍以上の数値。それは単純計算で、彼女が術を使えば効果が常人の百倍になると言う事なのだ。
「対してせっしーは、ぶっちゃけあんま。西の人間って言うのは、大抵水の適正値が高めにゃんだけど……それは一般的な西の民の前提にゃね」
「……どゆこと?」
「測定器がないから、断言は出来にゃいけどにゃ。せっしー、水の誓約を破ったにゃよね?」
水の誓約がある故に、西の民は水の精霊術と相性が良い。だがセシリオの様に誓約違反をした者は、その適正値の補正が反転する。
天空王の瞳を使って、セシリオの姿を“視る”。其処に映った水の力は、その性質が歪んでいる。これでは、精霊術師としての大成は不可能だ。
「んで、術式適正が高くねーなら、付与効果を上げる必要があるんだけどよ。俺が使ってる雷招剣みてーに、精霊石との感応を強くする武器とかさ」
「けど手元に、都合の良い武器とかがないにゃよ。一応、精霊石は幾つかストックあるけど、それだけじゃ正直あんまし意味ないにゃ」
適正値が並の域を出ない以上、一定のレベルを超える為には特別な武装を用意する必要が出て来る。
例えば勇者パーティーが使っていた伝説級の武器。雷招剣の様な物があったのなら、精霊術を学ぶのもアリと言えただろう。
だがこの今に、そんな都合の良い道具はない。ストックされた精霊石は、エレノアの予備と言うべき雷属性。水属性とは相性が悪く、そう言う点でも精霊術を学ぶ利点はない。
「精霊術を学んでも、せっしーじゃ強くはなれにゃい。どんなに頑張っても、その才能は埋められにゃい。この道を選んでも、君じゃ足手纏いにしかなれないのにゃ」
「……俺は――」
悔しそうに、俯いて拳を握る。貴種たる蒼との間にあるのは、非情なまでに明確な資質の差。
セシリオでは守れない。強くなる事が出来ないから守れない。そうと言われた気分になって、耐える様に歯を食い縛る。
そんな少年の姿に笑って、ミュシャは故にこそ、彼が強くなれる道を此処に示すのだ。
「けど、それはあくまで精霊術に関して。だからこそ、せっしーには魔法が相応しいんにゃよ」
少年は弱い。少年に才能はない。あるのは唯、揺るがぬ想いと貫く意志があるだけだ。
だからこそ、魔法と言う技術が相応しい。魔法において重要なのは、単純な才能などではない。
何よりも、意志の強さ。それこそが一番要求される物。それこそが、魔法と言う技術であるのだ。
「魔法なら、違うのか?」
「にゅふふ~。魔法はにゃ、ちょこっと公式が変わるにゃ」
何処か不安げに見上げる少年に、返す言葉は確かな理屈。精霊術ではなく、魔法を学んだ方が良い理由。
書かれた公式は魔法威力の求め方。術式原理とでも言うべき、重要となってくる三つの要素。それを文字に記していく。
【魔法の威力=魔力×発動媒体×付与効果】
「魔法に適正は存在しにゃい。ってか、全ての魔法は瘴気を使っている以上、人間にとっては毒と同じ。み~んな適正値は最悪なのにゃ」
瘴気は人体にとって、害悪でしかない。内に取り込めば軽度で頭痛や腹痛。重度で最悪、魔物化する。
生命を間違った存在へと堕落させる。人類総意の内にある悪意が露出した物。それが瘴気と言う力なのだ。
故にこそ、瘴気に適正を持つ人間など存在しない。それは生まれつき体内に瘴気を持っている、亜人種もまた同様である。
「だから、重要になってくるのは二つ。一つは常に汚染してくる瘴気に耐える精神力。こっちはもう、十分あると見ているにゃ」
魔法使いは、魔を使う者。魔に堕ちる事なく、その力を操る者。堕落の声に耐える意志がなければ、道を踏み外して破綻する。
故に心弱き者が、魔法を使う事は許されない。それは誰も彼もを巻き込み、破滅に至る道であるから、だからこそ魔法使いは最初に己と向き合うのだ。
何の為に学んで、何の為にその力を振るうのか。先天的な才能ではなく、不断の努力と言う意志を求める。正しく今のセシリオに、相応しい力であろう。
「そしてもう一つ重要になる要素が、発動媒体の質にゃね。魔法を発動するのに必要な、瘴気を生み出し続ける器物。杖とか指輪とかそう言うの」
そしてもう一つ、或いは最も重要な要素こそが発動媒体。相容れぬ人と魔を、繋ぎ合わせる変換機。
人の身体にとって、瘴気は毒である。そして瘴気は自然エネルギーの様に、何処にでもあると言う訳でもない。
故に瘴気を発生させる器物が必要となる。身体の外で魔力を練り上げる為に、特殊な器具が必要となってくるのだ。
亜人に魔法使いが多いのは、己の血肉を発動媒体として運用できるからとも言われている。
そんな使い方が出来る事からも分かる様に、魔法の発動媒体となる物質の材料は主に魔物の骨や血肉であった。
「んで、それは一般的に、魔物の一部を材料に使っているにゃ。その魔物が強ければ強い程、発動媒体としての質は上がって行くにゃ。……其処まで言えば、分かるにゃよね?」
高位の魔物であればある程、高位の魔物の血を引いていればいる程、その質は向上していく。
魔物の素材が高値で売買される主要な理由がそれであり、過去最高とされた発動媒体は三大魔獣の身体の一部である。
其処まで話を聞けば、後の流れも流石に分かる。その誘導する視線すら、明確な答えに至るヒントであろう。
ミュシャの瞳が見る先へと、セシリオは己の目を向ける。其処に居たのは、世界最強と言うべき魔物。放っておくと大惨事を引き起こすから、簀巻きにされて転がる竜だ。
「ヒ、ビ、キぃ~」
「……何?」
終始蚊帳の外へと置かれて、何処か不機嫌そうに膨れ上がる。そんなヒビキの傍へと向かって、ミュシャが猫撫で声で言葉を紡いだ。
万夫不当の悪竜王。正しくこの世の頂点と、言うべき力を備えた魔王の頂点。その身体の一部となれば、三大魔獣など比ではない至高となるのは明白だろう。
大魔法使い。人類全ての悪意に、立ち向かう為の強い意志。そして世界最高の発動媒体。この二つが此処に在る今、セシリオが至るべき道はそれなのだ。
「ちょこ~っと、爪の先をくれないかにゃ~?」
「……」
ゴロゴロと媚びる様な口調で、言葉を掛けるミュシャを見詰めて少し黙る。そして力を発すると、己を縛る枷を壊した。
元より何時でも壊せたけれど、そうしなかったのは必要性がなかったから。だが、この今に真っ直ぐ向き合う意味が生まれていた。
その必要があったから、ヒビキの瞳が色を変える。寝惚けた眼を確かに開く。蒼く染まった二つの瞳で、少年に向かって身体を向ける。
ミュシャではない。向かい合うのはセシリオだ。彼の言葉を聞かねば意味がない。彼に対して、龍宮響希として問わねばならない事があるのだ。
「セシリオは、それで良いんだね?」
善悪を定める経典が、嘗ての理性を取り戻させる。確かになった自我で問うのは、その苦しさを知るが故。
魔法使いと言う道は、常に破滅と隣合わせだ。誰かに勧められる物では決してなく、一度破綻すれば周囲全てを巻き添えにする。
それも当然、全人類の悪意に打ち勝つ事など普通は不可能だ。己の意志で総意を染められる存在など、響希はたった一人しか知らない。
故に魔法使いは、悪意との付き合い方を学ぶのだ。人類悪と触れ合いながらに、己の意志を保ち続ける。それが出来なくなった時、彼らは魔へと堕ちるのだ。
ましてや、悪竜王の爪はその最高峰。二体分の魔王を内包した触媒は、並の魔法使いならば使おうとした瞬間に破滅する。
流した生命力によって、発生する魔力が強過ぎるのだ。僅かでも心に空隙があったなら、魔法を発動した使用者は魔物と化すであろう。
それでも――セシリオの想いは変わらなかった。
「頼むよ、兄ちゃん。俺は、強くなりたい」
「……そっか」
強い瞳が紡いだ言葉は、己が願う想いと同じく。強くなりたい。誰かの為に、強く生きたい。
それが分かるからこそ、それ以上は無粋であろう。悪なる竜は爪を動かし、己の身体を自傷した。
「強くなってね。……道を間違えないまま」
半ばより砕けた巨大な爪。掌に乗せたそれを、セシリオに手渡す。
セシリオは確かに受け取って、強く強く頷いた。絶対に、大切な者は間違えないと。
少年の道は此処に定まった。惚れた少女を守る為、選んだ道は魔と共にある事。
巨悪に背中を預けて糧とし、それでも進む道は間違えない。そう誓う強さが確かに、彼の瞳には在ったのだ。