その2
◇
そうして暫し呆れる様に笑った後、話題が途切れた所で切り替える。謝り合ったり笑い合ったり、それより先ず優先するべき事がある。
当初の予定は崩れてしまった。今は追われる身となって、話し合う必要性が生まれている。明日の朝からどう動くか、まだそんな事さえ決まってないのだ。
故に暖を取っていたミュシャは影の内側から、一枚の紙片を取り出し広げる。羊皮紙を思わせる紙片の上に、文字が躍って形を成した。
「うわっ、魔法の地図じゃん。これ高いんじゃね?」
「真面に買えば、金貨の二・三十枚はするんじゃないかにゃ~。もっとも、遺跡漁りで見付けた品だから、タダだけどにゃ~」
広げられたのは、周囲の地形を自動で写し取ると言う魔法の道具。後ろから覗き込んで声を上げる褐色肌の少年に、猫耳少女は豊満な胸を張って自慢する。
共に金に汚い守銭奴同士。価値観がとても似通っているのであろう。僅か数言の遣り取りで、それを互いに理解する。そうして意気投合した少年少女を、エレノアは冷たい瞳で見詰めて言った。
「話し逸らすな守銭奴共。……ちっ、事ある事に揺らしやがって駄猫このやろう」
「にゅふふ~。持たざる者の怨嗟が心地良いにゃ~。……と、今後の相談をする為に広げた訳にゃよ」
金勘定に話しが流れそうになって、睨みながらに制止する。だがその瞳には、隠し切れない呪詛の色。
後に小さな声で呟いた言葉こそが本音であるとは、天空王の瞳を使わずともに理解出来る程には明らかだった。
喧嘩友達を煽る様に見せ付けながら、ミュシャは羊皮紙の下部を指差す。
煽られたエレノアは反感を抱きながらも、真面目な顔付きになったミュシャを前に一旦切り替える。
そうして声に出して語るは、彼女らが居る現在地。口にして語る理由は、現状認識の共有だ。
「取り敢えず、今いる場所がこの辺りにゃね」
「ヘロネ・ゴーシオの西に広がる大草原地帯。街道から外れて、北西に暫く行った所だな」
西方南部の中心であるヘロネ・ゴーシオ。其処に属する冒険者達が、狩猟の場として訪れる大草原地帯。
この先は未開拓地域である為に、魔物の群生地となっている。故にこそ奥深くにまで行けば、追手は一端途切れるのだ。
それでも、それも何時までもと言う訳にはいかない。西大陸の魔物は、南とは比較にならぬ程に弱いのだ。
今の世に生きる民にとって、人魔大戦は既に終わった事。魔物の残党など、一生見る事なく命を終える者だって少なくはない。
冒険者にとっては飯の種。企業にとっては有用な素材。民衆にとっては無縁の物。それが西大陸にとっての魔物だ。
戦争は二十年前に終わった。今も魔物は残っているが、防衛網を破壊し得る魔物など一度も現れてはいない。故に魔物を恐れる者は、年々数を減らしている。
今はまだ二十年。当時を生きた英雄達も残っており、魔に対する脅威の警鐘を鳴らす者らもいる。
されど二十年でこれ程に、人々は恐れを忘れてしまっている。だからこそ、命知らずな若者達は一歩を踏み出し来るだろう。
魔の群生地とは言え、生きて帰るだけならば簡単だ。そう判断した追手が来るのに、恐らく時間はそれ程必要ない。
そんな追手に見付かる前に、移動は必要な事である。ましてや、彼女達には目的地があるのだ。そうでなくとも、立ち止まっている心算はなかった。
「んで、せっしー達の目的地であるピコデ・ニエベがこの辺り」
ミュシャが地図の上に置いた指を動かす。彼女の意志に応じて縮尺率を変えた魔法の地図は、その指の動きに追随して場所を示した。
ヘロネ・ゴーシオ西部に広がる草原地帯。其処から北へ北へと北上した先、最北端に位置する場所こそピコデ・ニエベ。西で最も広大な大山脈だ。
「そんで、ミュシャ達の目的地である冒険者ギルド総本山。コメルシャデソルがこの辺り」
その山脈沿いに西へ進んで、最西端に程近く。北西に位置している西方第三位の巨大都市。
冒険者ギルドのお膝元。ギルド長が市長を兼任する西方でも特異な都市。それがコメルシャデソルと言う大都市。
「……意外と、近いね」
「地図だと近く見えるだけにゃよ。最北端と北西部、結構距離は離れているにゃ。まぁ、それでも途中までは一緒にゃね」
ヒビキとミュシャとエレノアの目的は、コメルシャデソルにて冒険者ギルドの保証を得る事。彼らを味方に付ける事である。
セシリオとキャロの目的は、ピコデ・ニエベに向かう事。その先の展望まで出来ている訳ではないが、先ずは其処まで行く事を目指している。
「このまま北上してコメルシャデソルまで一緒。その後で更に北上して、俺達だけでピコデ・ニエベにって感じか?」
「……ピコデ・ニエベまでは付き合うさ。どうせギルドに顔出した後は、最東端のリントシダー辺りまで行かねぇと中央行きの船もねぇんだしよ」
彼らの旅路は、途中までは一緒だ。同じく西大陸は北の果てへと、ならば行動を共にした方が良いだろう。
ましてや、彼ら二人は行く当てもない逃亡者。本質的には善良でありお人好しなミュシャもエレノアも、小さな子らを見捨てられない。
彼らを巡る問題点は、ヘロネ・ゴーシオの領主が掛けた賞金だけではない。セシリオが契約を破った相手。キャロが逃げ続けていた追手。領主の背後に居たと思われる、西方大陸が最大勢力。
ノルテ・レーヴェ。北の獅子と真っ向から、対立する気は甚だない。或いはヒビキならば、と思わなくもないが出来たとしても後が大変だ。
国一つを動かす企業。西方最大である彼らは、西方の秩序を維持している者らでもある。そんな組織と個人で相対する事が愚かなら、そんな組織が急に消えればどんな混乱が起こるかも分からない。総じて、敵に回すなど愚行の極みだ。
だがさりとて、追われる子らを見捨る訳にもいかない。ならば大企業と真っ向からは戦わず、しかし彼らが手出しを控える様な形へと。
故にこそ、冒険者ギルドだ。元より中央の亜人迫害主義者や聖教徒達に対抗する為に、其処にノルテ・レーヴェが加わるだけ。状況は確かに悪化しているが、取返しが付かないと言う程でもない。
最も、それは或いは希望的観測が強過ぎる事かも知れない。冒険者ギルドを味方に付ける事、それを前提にした話だ。
南を出た時とは状況が変わった。賞金を掛けたのは一地方の領主だが、それを受けたのはギルドであるのだ。故にこそ、賞金首になったと言う事は、ギルドの敵になったと同義だ。
賞金首となったのは、ヒビキとセシリオとキャロの三人。残る二人の少女は未だ、その首に札を掛けられてはいない。
打開策があるとするならば其処だけだ。現在Bランクの冒険者であるエレノアを、ギルドにとって重要な一員へと変える事。そうして、冒険者ギルドに賞金を撤回させる。
策と言うには些か無謀な案ではあるが、他に術など見付からない。二人の少女は現状を、共にそう認識していた。
「そう考えるとやっぱあれだな。ピコデ・ニエベより、コメルシャデソルへ行くのを先にした方が効率的だ」
「北上して、コメルシャデソルへ。ミュシャ達の目的を終えてから、ピコデ・ニエベにゃね。ミュシャもそっちを支持するにゃよ」
冒険者ギルドを味方に出来るか、或いは彼らが敵のままとなるか。どちらにしても、その順番の方が二人にとっては都合が良い。
コメルシャデソルからリントシダーまで、北部の西から東へ向かう道は文字通り、ノルテ・レーヴェ社の本拠地を横断すると言う行いだ。
故に最悪、冒険者ギルドの協力が得られぬならば、北の山で雲隠れしてしまう方が安全だった。
「……最悪の場合だけどよ。いっそ山越えして、北大陸を経由する方がマシかもしれねぇな」
「獣人桃源郷かにゃ。定期便なんてにゃいけど、山を越えた向こうからなら、距離はそうにゃいか。……途中で小舟でも手に入れば、それもアリかもしれないにゃ」
彼女達の最終目的地は中央大陸。ならば、完全に北へ抜けてしまうのもアリだろう。エレノアはそう指摘して、ミュシャも然りと頷いた。
ピコデ・ニエベの山脈地帯を北に抜ければ、北大陸はもう目と鼻の先だ。小さな小舟でも二・三時間はあれば届く距離。リントシダーへと抜けるよりかは、難度が低いと言えるだろう。
その場合の問題点は、北から中央へと向かう方法か。聖教は北方浄化と称して、獣人桃源郷へと侵攻を続けている。北と中央の境とは、人と亜人の戦争地帯だ。
西方を横断するよりは、北へ抜けた方が簡単だ。だが北から中央に行くよりは、西から中央の方が難度は低い。其処は完全に一長一短。状況を見て判断するべきであろう。
いっそ東を経由するのも手段としては確かにあったが、意図して選びたい道ではない。東の住人の気質は南で嫌と言う程に知ったのだ。関わりたいと思える筈がない。
「中央に行く手段をどうするかはともかく、ギルドまでのルートは決定にゃね。此処から真っ直ぐ北上、物資は途上の村で随時補給」
「ちっさい村に必要な物資がありゃ良いけどな。……後は功績稼ぎも、しねぇとな」
冒険者ギルドへ辿り着いたからと言って協力を得られるかと言えば、今のままでは正直可能性が低い。
西の領主とエレノアを見比べて、少女を選ぶ理由が薄いのだ。故にこそ北へと向かう途中で、功績稼ぎは必要不可欠。
闇の魔王との戦いを証明できればいいのだが、それが出来れば苦労はしない。そもそもそれが出来るなら、端から西には来ていない。
本来魔物を倒したならば、カードが瘴気を吸い取って、討伐情報が記録される。だがアカ・マナフは封印した為、討伐記録が残っていない。
暴れ回るより前に封印してしまったから、そもそも他大陸では復活にすら気付いてないのだ。故にこそ、彼の魔王退治を功績としては扱えなかった。
「……途中にあるゲレーリオ。闘争都市はどうにゃ?」
「時期次第ではあるが、大闘技会に間に合うならアリだな。そうでなくても、闘争領主エドムンドが居る」
それに変わる功績は何か、共に語りながらに結論付ける。北部主要都市の一つ、ゲレーリオ。其処まで行けば、打つ手はあると。
ランクC以上の冒険者だけが参加できる、年に一度の大闘技会。その優勝者は膨大な財と名誉を得る。事実、現在Aランク冒険者の一人は其処で成り上がった男であった。
闘争領主エドムンド。現在の冒険者ギルドでは三人しか存在していないA級冒険者の一人。
AAA級が嘗ての勇者に贈られた名誉階級であり、現代のギルド長がAA級と言う事を考えれば、事実上冒険者の頂点である。
彼がA級へと上がった闘技会。同じ結果を残せたならば、既にB級のエレノアならばギルドの看板へと成れるだろう。
そうでなくとも、エドムンドに挑戦して勝てば良い。ゲレーリオの領主でもある彼を下したならば、その名声を下げない為にエレノアを上げる必要性が生まれて来る。
A級冒険者はギルドの顔だ。南方で手腕手管を失った今、ギルドは彼に変わるA級を求めている。
それにエレノアが成れたのならば、彼女とその仲間を斬り捨てる事は出来なくなる。冒険者ギルドは、彼らの味方となるであろう。
「決まり、だな。先ずは北上、そんで俺がゲレーリオでトップを取る」
「ミュシャ達はその間別行動。んで、合流した後一緒にコメルシャデソルに行って、そのまま東に向かってピコデ・ニエベにゃ」
ピコデ・ニエベの先がどうなるとしても、一先ず取るべき選択は一つ。北へ。此処から北へと進み続けるだけだ。
ヘロネ・ゴーシオから、北部最南端にあるゲレーリオまでの距離が9000km。更に北にあるコメルシャデソルまで進むとなると、下手をしなくとも20000kmを超える長距離だ。
それだけの距離、僅かな旅装だけでは足りない。必ずや何処かで、補給を行う必要性が出て来るだろう。
其処で痛いのが、賞金首となってしまった事実だ。指名手配されているヒビキ・セシリオ・キャロの三人は、そのままでは主要都市に近付く事すら出来ない。
これから先、よく考えて動く必要があるだろう。唯前に進むだけでは、きっと駄目になる筈だ。
ミュシャもエレノアも、セシリオもキャロも、皆が想いを同じくした。共に北へと、その長き道を歩く決意をしたのであった。
向かうべき道筋が立てば、これ以上に真面目な話を続ける必要もない。
気分を変える為に話題を変える。開いた口で叩くのは、さして意味のない軽口だ。
「しっかしよ。タコ親方もなぁ、もちっと色付けてくれりゃ良かったのになぁ」
「全くにゃね。一週間分の旅装は有難いけどにゃ、もう一声欲しい所だったにゃね」
「……コイツ等の面の皮、一体どうなってやがるんだ」
折角善意で旅装を用意してくれた人に、どうせならもっとくれと愚痴る守銭奴二人。
その面の皮の厚さに戦慄しながら、エレノアはふぅと息を吐く。その溜息には呆れだけではなく、確かな安堵が籠っていた。
「けど、よ。此処が西で助かったぜ。南だったら、ガチで詰みだったろうからよ」
「全くにゃね。狩った獣の肉や、もぎ取った木の実も殆どがそのまま食べられるんだからにゃ。……西も北も中央も、だから魔物災害にゃんて過去の事って思っちゃうのかもしれないけどにゃ~」
エレノアの安堵に、ミュシャが追随する。彼女達は南を旅慣れていたからこそ、西との落差に笑い合うのだ。
もしも賞金首になったのが南方で、同じ距離を進まないといけないのだとしたら――その時点で詰みとなっていただろうと。
「……南は、それ程に酷いんですか?」
「環境としちゃ、最悪の下の下ってとこだろ。魔物が多過ぎる。瘴気が濃すぎる。真面な生態系をしていない。……この草原地帯程度の瘴気濃度で魔物の群生地って、最初聞いた時は一体何の冗談だって笑ったもんさ」
「魔物の肉を狩って食べようにも、瘴気が毒になるから精霊力が籠った水や火で調理しにゃいとお腹壊すし。どころかその辺になっている木の実や、それこそ池の水とかも毒と一緒だし。生活に掛かるコストがヤバいんにゃよねぇ」
「その上、どの魔物もレベルが他の大陸より頭二つは飛び抜けてやがる。西や中央にあるダンジョンの主が、南じゃその辺の雑魚以下ってレベルだ。……その分、協力し合わねぇと生きていけねぇから、差別だなんだってのが全くなかったのが良い所だけどよ」
キャロの問い掛けに、彼女達は遠い目をしながら答える。南方大陸は、正直に言って人が生きるべき場所ではなかったと。
魔物は強く、食料も取れない。差別がなくなる程に、劣悪が極まった環境。ネコビト部族が生活する事が出来ていたのは、あの土地が土の精霊王に祝福された場所であったからだろう。
そんな星の触覚である精霊王ですら、一方的に喰われてしまう規模の魔物が生息している大陸。
伝説の英雄達ですら、満足に歩けなかった土地。生きる大地としては、最悪を更に二つは下回った場所である。
「生活費が山程掛かるとか、ぜってぇ行きたくねぇ場所だな」
「……やっぱり、セシリオが気にするのは其処なんだね」
「分かる。分かるにゃ。ミュシャも南生まれじゃにゃかったら、絶対生活してなかったにゃ」
「駄猫って、実はこっち生まれじゃねぇよな? 西大陸の方が馴染んでる気がするんだけどよ」
二人が語る南方と言う土地の情報に、セシリオやヒビキが口を挟む。
そんな遣り取りを笑って見詰めながら、キャロは感じた事実を口にした。
「南はそういう所なんですね。……私は、家から出た事もなかったので」
散々にこき下ろしながらも故郷を懐かしむ様に、語る言葉と想い出には温かみと言う物がある。
彼女達は南方大陸と言う土地が好きなのだろう。そんな感情を言葉から、読み取る事が出来たから――
「でも皆が利益を求める場所より、一緒に頑張る様な場所の方が……私は良いなって、思います」
そんな風に温かく思える場所を、箱入りの姫は心の底から羨ましく思ったのだ。
「うん。そうだね。僕も、そう思う。……南は、色々あったけど、確かに、良い場所だった」
キャロの羨む言葉に、ヒビキも頷く。南方大陸で出会った人々は、繋いだ絆は、確かに大切な物だった。
だからヒビキにとってあの場所は、とても大切となった場所。第二の故郷と言える程に、とても温かな場所だったのだ。
美しい景色を見た。温かな絆を知った。彼が守ったこの世界。その素晴らしさを、確かに知った。
南一つでこれならば、他の場所はどうなのだろう。そんな好奇心が湧いて来る程に、ヒビキは確かに綺麗な物を目にしたのだ。
だから、もっと見たいと想っている。この今に、もっと知りたいと想っている。そんな彼の好奇心が、向いている最たる場所は唯の一つ。
「あと、僕としては、ツキヨの故郷。東にも行ってみたいなぁって」
『絶対にNO!』
己に恋をしていると、そんな風に語った絡新婦。その故郷を見てみたいと、口にした瞬間に返る反発。
目を白黒とさせるヒビキの前で、切羽詰まった表情を浮かべる二人。恋敵の故郷へ行きたいと、その発言に対する反発だけではない。
そんな甘い乙女心と嫉妬の産物ではなくて、もっと現実的な脅威の話。ミュシャもエレノアも、それを知るからこそ行きたくないのだ。
「六武衆を忘れたのかにゃっ!? アイツらの出身地にゃよ! 絶対に碌な場所じゃないにゃっ!!」
「……中央出身のチンピラと、色々規格外だった王様除いて残り四人。……親父の反応を見る限り、爺さんとか病んでる女共とか、あの辺が東のスタンダードっぽかったんだよなぁ」
自分と斬り合い殺し合う事こそ至高と考える老人と、惚れた相手の命を全力で狙って来る女達。義心の強い蛇が、一番真面と言うあたり救いがない。
あれらが東のスタンダードだと言うならば、一体彼の地はどれ程に修羅の巷と化しているのか。軽く想像出来そうな辺り、もうどうしようもないと感じてしまう。
道行く人に道を尋ねたら、ついでとばかりに辻切される。東方大陸と言う場所は、そんな南方以上に意味不明な魔界なのである。
『絶対、行きたくねぇ』
故にそんな少女らの反応こそ、常識的な物。残念だなと沈む竜は、頭の螺子を数本何処かに忘れて来たのだろう。
何でそんなに嫌がるのだろうかと、分かっていない彼の姿に幼少組が苦笑する。遠巻きに見ている彼らの方が、察する事が出来ていた。
そうして暫く、談笑を続ける。焚火が弱って来た所で、更に薪を加えるとエレノアは口を開いた。
「……さってと、そろそろガキ共は休んどきな」
「そうにゃねぇ。明日も一杯歩くしにゃぁ」
もう夜も遅い。ならばそろそろ眠るべきだ。北の果てへと向かう旅路は、まだまだ先が長いのだから。
「姉ちゃん達はどうすんだよ」
「交代で見張りだ。体力的に、俺とヒビキが主な役割だろうけどな」
眠れと言われて、セシリオが問い掛ける。そんな彼へと、エレノアは眠れぬ理由を口にする。
遠く人の居ない地を旅するならば、寝ずの番が必要だ。南に比すれば安全とは言え、此処は危険地帯なのだから。
「……精霊結界じゃ、ダメなんですか?」
「警戒や魔除けの精霊術や魔法ってよ。意外とあれで、穴があんだわ」
魔を退ける結界では駄目なのか、問い掛けるキャロの言葉に答えを返す。
苦く笑って言葉を濁しながらに、口にするのは結界も万能ではないと言う事実。知っていれば、突ける穴は幾つもある。
例えば都市部は結界に覆われているが、人間同士の犯罪が存在しない訳ではない。精霊や魔法による結界では、人の手による害意を防げない。
結界を真っ向から潰せる程の超級の魔物も存在しているし、結界を摺り抜ける様な魔物も南には居た。故にこそ、結界に頼り切る訳にはいかないのだ。
「だったら、俺も見張る」
「せっしーは寝てるにゃよ。身体出来てないんだし、夜間の警戒なんてさせられないにゃね」
見張りが必要ならば自分もと、やる気を見せるセシリオの言葉をミュシャが否定する。
まだ成長期も前の幼い子供。身体が出来ていない内から、睡眠時間の短縮などはさせられない。
「ごめんなさい。足ばかり引っ張っちゃって」
「さっきも野郎共が言ってたけど、ありがとうで良いにゃよー」
「……これなら、あのデブの屋敷から、寝ずの番とかしてくれる魔道具でもパクっときゃ良かった」
「んなもんあっても、あんま変わんねーっての。結局最後に頼れんのは、テメェと仲間の目だけっつーんだからよ」
悔しそうな表情をするセシリオに、しかし許可は出されない。彼でも駄目なら、自分も駄目なのだろう。キャロは再び頭を下げて謝罪した。
そんな幼少組の反応に、少女達は軽く返す。彼女らの反応に、反発などしても無駄でしかない。その程度の分別は付いたから、子供達は納得するしかなかったのだ。
「んじゃ、今の時間は危険も少ないだろうし。俺も先に休むぜ、駄猫」
「あいあーい、とりま三時間で交代にゃよー」
見張りを任せて、身を休める事こそ彼らの仕事。万が一にも、明日の移動で足を引っ張る訳にはいかない。
そう納得した子供二人の姿に一つ頷いて、同時に彼らがちゃんと休むかを見張る為にも己達も休息を選択する。
強力な魔物程、活動時間は遅いモノ。経験則でそう知るエレノアは、比較的安全な時間をミュシャに任せる。
そんな彼女の判断にミュシャも同じ判断を下して、交代時間を守れよと口に出して首肯する。それに応と答えを返して、エレノアはヒビキに声を掛けた。
「ヒビキも寝とくぞ。この時間帯なら、駄猫一人でも何とかなるから――」
三人ならば三交代で、一人頭三時間。交代の時間ロスを含めても、休息が一人六時間。それだけ休めば十分だろう。
間を担当する人間が多少大変だが、状況を見て入れ替えていけば良い。故に先に休むぞと、声を掛けたその相手は――しかし視線が、何処か在らぬ場所へ行っていた。
「……寝ずの番を、代わりにしてくれる?」
「ヒ、ヒビキ?」
「ついでに、移動手段も兼ねたら、完璧?」
「にゃ、にゃんか、嫌な予感が」
胡乱で寝惚けた様な瞳。両の色は左右色違いのまま、心威を使用している形跡は全くない。
一体如何なる言葉がその琴線に触れたのか、己の中で独自の思考を回して判断する。行ける、と。
「……行ける、かも?」
その言葉を聞いた瞬間に、彼女達は理解した。あ、これ、ダメな奴だ、と――
「ちょっ、おまっ!?」
「曖昧で疑問符付きにゃら、ストップしてくれにゃぁぁぁッ!?」
気付いて直後、必死に制止の声を掛けるがもう遅い。何やら思い付いた悪竜は、既に動き始めている。
気配が変わる。意識が堕ちる。先の一件、ヘロネ・ゴーシオでの蹂躙劇にて、彼は一層深く繋がっていたのだ。
内にある闇。喰らい取り込んだ黄金の魔王。彼の王との同調が、一度暴れた事で深まった。
まるでその意志に踊らされる様に、その意志とより深く混じり合う様に、その力が強く強く鼓動する。
されど、その意志に負ける事はない。魔王の意志を組み敷きながら、その権能を行使する。それが出来る様になったのだと、あの一件にて理解した。
そして第一の権能を以ってすれば、この今にある問題点を解決出来るかも知れない。そうと思った瞬間に、取り敢えずやってみようと結論づけた。チャレンジ精神溢れる彼は、故にその闇を解き放つ。
〈堕ちろ――生命堕落〉
瞳が黄金色に染まり、第一の権能が解き放たれる。其は命を穢し貶め、人類の敵を産み出す秘術。
彼は生み出そうとしている。夜間警戒の為に、そして馬や車の代替となる移動手段として、魔物を産み堕とさんと言うのだ。
瘴気が集まる。魔力が集う。人類種にとっての猛毒が、彼が見詰める一点へと――その辺に一杯生えてる雑草に集う。
変質が起こる。生命が歪められる。此処に在る存在が書き換えられて、在ってはならぬモノへと変わる。――材料はやっぱり、唯の雑草一本だ。
闇夜の中に(雑草が)蠢いて、焚火の灯りが異形と化す(雑草の)影を照らし出す。生まれ落ちるのは(あらゆる意味で)理解の外にある存在だ。
「おいおい、何だよ。なぁ、おい兄ちゃんよ」
「真っ黒で、すっごく大きい。……これ、魔物、ですか?」
それは、黒かった。そして、大きかった。そして何というべきか、凄く大雑把な生き物だった。
丸い。顔が丸い。身体が丸い。楕円の身体に、丸い顔が乗っている。そしてまるでおまけみたいに、ちっちゃい足が生えていた。
まるで子供の落書き。それを形にした様な魔物。されどその身が発する力は、間違いなく人の身に余る程。接触禁忌に程近い領域だ。
「……にゃあ、エレノア? これが今、襲って来たとして、お前勝てるかにゃ?」
「ふざけんな馬鹿。この距離で今の状況で勝てるか馬鹿。……何で、其処らへんの草から、パッと見でもA級超えの瘴気放ってる魔物が生えてくんだよ。魔王やべぇ」
三大の魔獣には届かず、砂漠の王にも及ばぬだろう。されど因果応報の獣にならば、或いは勝るであろうか。
その気になれば、この一匹だけでも街が滅ぶ。国の首都すら焼かれるだろう。炎を出せるかどうか定かではないが、ってか材料的に燃えそうだが。
野営中故に装備を外している今のエレノアなら、百度戦って百度負ける。そう言う規模の大魔獣。それが一本の雑草から生えて来た。
軽々とこの規模の魔を生み出せる。道理で人間が魔王に勝てない訳だ。寧ろこれに勝った勇者マジなんだよ。そんな思考を浮かべながら、少女達は引き攣った笑みを浮かべていた。
「イメージは、猫の、バス? ジブってみた? ……けど、どう見ても、猫じゃないね。材料が、草だから、かな?」
「ごなぁぁぁぁぁぁぁ」
そんな彼女らの様子に気付かず、胸を張ってむふーと鼻から息を吐く。そんなヒビキがイメージしたのは、幼少期に見た映像作品だったりする。
お腹の中に椅子があり、ゆっくり座って進める動物。中身がバスになってる生き物。そんな魔物を作ってみようと想像して、生まれた生き物を見上げてみる。
「ごなぁぁぁぁぁぁぁ」
ぱっと見、猫に似てはいる。似ていると、言えなくもない。だが少し、無理があるかも知れない。ちょっと自信がなくなって来た。
耳はないし、尻尾もないが、胴体と頭と足はある。目はとてもつぶらで無駄に綺麗だ。四本足は身体の大きさに反して余りに短くて、胴長短足と言う言葉に納まるレベルじゃない。
そんな生き物(?)を見上げて、ヒビキは一つ言葉を零す。それは偽る事なき、彼の本音であった。
「……これ、何だろう?」
『作った奴が疑問を零してんじゃねぇよっ!?』
「ごなぁぁぁぁぁぁぁ」
総突っ込みを受けながら、ヒビキはコテンと首を傾げる。何だかよく分からない生き物が猫っぽく鳴いた。
一見して危険はないかも知れないが、やっぱり得体の知れないナマモノ。これは分類したら何になるのか、そもそも本当に生き物なのか、首を傾げるが答えは出ない。
「ごなぁぁぁぁぁぁぁ」
何だか気が抜ける様な姿のナマモノが、何だか気が抜ける様な声で鳴く。
そんな理解しがたい混沌とした状況に包まれて、人気のない草原の夜は過ぎ去っていくのであった。