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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第一幕 竜と一途な子供のお話
102/257

その11

 誓約を破った者へ、下される罰は大きく分けて二つの段階に分かれている。


 一つは警告。其れは痛みや苦しみを伴って、誓約者に思い知らせる。

 此処から先はもっと苦しいぞと、だからもう退けと、思い止まらせる為の呪詛である。


 それでも退かぬ者。苦痛で止まらぬ者に対しては、誓約はその形を変える。異なる形で力を示す。

 許す訳ではない。認める訳にはいかない。契約の違反には、必ずや罰が必要だ。でなくば全ての契約は、強制力を持ちえない。


 されど大いなる母は、決して人を傷付けたい訳ではない。故にこそ、水の誓約が齎す結果は安楽死。

 警告で止まらぬ者への苦痛は、少しずつ消えていく。そしてそれに比例する様に、その生命力も消えていく。


 穴が開いたバケツから水が零れ落ちる様に、命が零れて消えていく。それが今のセシリオだ。


 目が霞む。視覚が掠れて消えていき、今はもう何処を進んでいるのか分からない。

 耳が遠くなる。音が聞こえなくなっていく。聴覚機能が衰え始めて、彼の現実は乖離する。

 触覚はもう消えている。背に負う重みが分からなくなって、大切な彼女が其処に居るのか不安になった。


「あー、もっと鍛えておけば、良かったかも」


 だからそんな不安を跳ね飛ばす様に、セシリオは軽口を此処に紡ぐ。

 牛歩の様に進みながらに、笑う声はもう儚い。幾ら想いが募っても、覆せない物が此処に在る。


「セシリオ」


 蚊の鳴く様な小さな音に、キャロはその背をぎゅっと握った。

 引き返すには、もう遅い。二段階目に入った以上、今更止めても助からないと知っていた。


「ん? 何か言った? 悪い。聞こえなかった」


 名を呼ばれた事にすら、もう真面な反応を返せない。それ程に追い詰められていて、それでもセシリオは前に行く。

 昼間だと言うのに、人気のない路地の裏。たった二人の静かな場所。北の門へと向かって、彼はまた一歩を踏み出した。


 そうして、一歩。また一歩と進んで、足が動かずよろけた。

 体勢が崩れた彼は、そのまま大地に倒れていって――その直前に、光が零れた。


 淡い光だ。黄色に近い輝きの、とても淡く儚い輝き。その光を、キャロは確かに知っていた。


「精霊の光」


「へへっ、綺麗だろ。俺の、切り札」


 輝く光は、少年の首に掛かった飾りから。銀細工のアクセサリーには、大きな宝石が一つある。

 星の息吹。大地の結晶。水の誓約から少年を守らんと、儚く輝く力は大地の王が加護だった。


「兄ちゃんがさ、クロエが一番信頼できるって」


 水の誓約。命を奪うその呪詛に、セシリオが考えた対策がこれだった。

 残る四属が内の一つ。他の精霊石で抵抗する。そう提案したセシリオに、ならば土が一番良いとヒビキは返した。


 この今になって輝いたのは、セシリオが生命力を自覚出来たのが今だから。

 死に瀕する状況になって初めて、氣を認識する事が出来たからこそ、大地の光は輝いたのだ。


 だから、セシリオはもう一度立ち上がる。儚い光に支えられて、もう一度彼は立ち上がる。

 だが、立って歩ける時間は長くはない。水の誓約への抵抗。それが出来るのは、この儚い輝きがある間だけなのだ。


 精霊石が無くなれば、もう立てない。そうでなくとも生命力が尽きれば、其処から先へは進めない。

 それでも今は進めるから、一歩前へと足を踏み出す。進める間に救える場所へ、辿り着こうと前に行く。


「なあ、何処へ、行けば良い?」


 進みながらに、問い掛けた。何処まで行けば、君は助かるのかと今更ながらに問い掛けた。


「何処まで行けば、君を守れる?」


 背負われた少女は、儚く微笑む。彼女に安住の地などはない。

 だから、けれどそれを誤魔化す様に、キャロは静かに彼へと問い掛けた。


「……セシリオは、何処へ行きたい、ですか?」


「ん。俺が、決めて、良いのか?」


 淡い光が零れている。火の粉の様に浮かび上がって、空に擦れて消えていく。

 水の誓約は消えた訳ではない。停滞しているだけならば、一歩進むだけでも命掛け。


 故に微笑むキャロの本心に気付けず、セシリオは何処へ行きたいかだけを考えた。


「なら、そうだな。ピコデ・ニエべに、行きたいかな」


「……北の果て、ですね」


 出て来た答えは、その場所だ。西方最北端に位置する大山脈。

 万年雪が深々と降り続ける山の麓。其処にある白き輝きこそが、セシリオの抱いた原風景。


「其処がさ、故郷なんだ。写真でしか見た事ねぇけど、すっげぇ綺麗なんだ。だから」


 気付いた頃には、もう人買いに売られていた。物心が付く前に、口減らしとされたのだろう。

 それでも胸に残った想い出は、写真に勝るとも劣らぬ程に綺麗な場所。ノルテ・レーヴェ社と契約して、其処へ行こうと目指していた。


 望んだのは、自由になる事。自由になって、その場所へ。故郷へ帰る事こそ願い。

 今になってその事実を思い出し、だからこそセシリオは憧れる様な色を瞳に浮かべて口にした。


「一緒に、行きたいなぁ」


「……はい。其処へ行きましょう」


 キャロは思う。カロリーネは此処に想う。彼はとても変な人だと。


 言葉も交わす前から好きだと、それで命を賭ける人。

 死ぬと分かっていながらに、泣いたままにはさせられないと叫んだ人。


 変だ。間違っている。どうかしていると思うのに、その姿はどうしようもない程に綺麗に思えた。

 何も選べないで流され続けている自分と違って、想いを胸に刹那を生きる。その姿はとても尊く思えたのだ。


「本物はさ、きっとすっげぇ、綺麗だろうなぁ」


「……はい。きっと、凄く綺麗です」


 きっと綺麗な場所だろう。こんな綺麗な人が生まれた場所だ。美しくない筈がない。

 キャロは彼の言葉を肯定する様に微笑んで、ゆっくりと歩き続けるセシリオは嬉しそうに笑っていた。


 一歩、一歩と進んでいる。少しずつ歩く速度は、牛歩の如くゆっくりと。

 淡い輝きは消えていく。一片一片、少しずつ弱くなっていく。ほんの少しずつ、儚くなっている。


 北の果ては遠い。万年雪の山は遠い。ピコデ・ニエべは遠いのだ。

 どれ程進んでも、まだ街の門は見えて来ない。どれ程進んでも、まだ雪の山は見えて来ない。どれ程に進んでも、一片の雪すら見えてはくれない。


 だから――


「だから、ね。駄目、です。セシリオ」


 進んでいた心算なのに、何時の間にかセシリオは倒れていた。

 何時倒れたのか、何時止まったのか。今倒れている事すらも、彼は気付けていなかった。


「こんな所で寝てたら、幾ら時間があっても、北に行けない」


「…………あれ? 俺、寝てた?」


 意識が断絶している。記憶が繋がっていない。起こされて初めて、寝ていた事を自覚する。

 精霊の光が消えていく。大地の光はもう後僅か。命の蝋燭はこの今にも、消えそうな程に儚いのだ。


「大丈夫。起きるよ。直ぐに、起きる、から……」


「セシリオ」


「うん。大丈夫。起きる、起きれる、から」


 寝ている場合じゃないと分かっている。だから立ち上がらないとと、セシリオは力を込めようとする。

 けれどどうした事だろうか。どうしても立ち上る事が出来ない。起きないと、起きれるから、だから――彼は小さく口にした。


「起きたら、北へ。一緒に、行こう。約束、だ」


「約束、です。だから――」


 倒れた少年の傍らで、歩けぬ少女は言葉を掛ける。声に返る、音はない。

 最後の一片。大地の輝きは儚く消える。倒れたセシリオは、静かに目を閉ざしていた。


 それで終わりだ。交わした約束を守れる筈もなく、此処にまた一つ。

 水の誓約は悲劇を起こした。これは数多ある悲恋の一つ。唯、それだけの話であった。




「あ」


 涙が零れた。彼の事は何も知らない。それでも涙が止まらなかった。


「ああ」


 何もしなかったから、流され続けたから、それがどうしようもなく悲しかった。


「……太母、マリーアに、祈ります」


 命が零れ落ちていく。ゆっくりと冷たくなる少年。最期に雪の一片も、見る事は出来なかった少年。

 倒れた彼の傍らで、座り込んだ少女は目を閉じる。両手を握り締めた少女は此処に、大いなる母に祈り始めた。


「大いなる母に、どうか希います」


 何も出来なかったから、こうなった。何も選ばなかったから、失ってしまう。何時だって、キャロはそうだった。

 血涙を流しながらも、祖の罪を拭わんとした兄の様な意志はない。死ぬ事も生きる事も選べずに、流されて此処に流れて来た。


 だから、失ったのも当然だ。これは何時も通りの結末。何もしなければ、何も得られない。それは当然の話であって――だけど、もうそんなのは嫌だった。


「太母マリーアに願います。大いなる母よ。貴女が子であるこの私を、未だ愛してくれると言うのなら――」


 自分を好きになってくれた少年を、好きになる為に、知る時間が欲しかった。

 また流されたままに、何も出来ないと諦めてはいたくない。もう失いたくはなかったのだ。


 だから、キャロは真摯に希う。生まれて初めて心の底から、強い願いと共に祈る。

 願えば叶うとは思わない。祈れば届くなんて信じていない。それでも、祈る事しか出来ないから。


 強く、強く、強く。想いを強く、彼女へ届ける。失いたくはないのだと、連れて行かないでと彼女に願う。大いなる祖。貴種たる青を与えた母。西の民を今も呪う女へと。


「どうかお願いします。水の精霊王」


 太母マリーア。それは西の言葉で、彼女の綴りを呼んだ場合の呼び名である。

 中央で使われている。英語から変化した言語で彼女の名を呼ぶ時、その名は即ちこう変わる。


 水の精霊王メアリー。そうとも、貴種たる青は彼女の末裔。その巫女として、選ばれた証明なのだ。


「セシリオを未だ、連れて行かないでっ!」


 青き髪が、強く輝く。彼女と繋がる少女の声が、精霊王の下へと届く。

 これまでは届かなかった。どれ程祈りを重ねていても、想いが弱いから届かなかった。


 だが、漸くにキャロは願えた。自分の心で、想いを伝える事が出来たのだ。

 涙と共に願う娘の言葉に、母は静かに目を閉じて――そうして彼女は、愛し子の願いを此処に叶えた。






 ゆっくりと儚い輝きが、セシリオを優しく包み込む。

 そうして淡い光に包まれて、彼はもう一度その目を開いていた。


「……青い、光を見た。水みたいなのに、冷たくねーの」


「セシリオ!」


 身体は疲れて動かないが、苦痛も五感も確かにある。水の誓約による裁きは、此処に一先ず納まっていた。

 そうなったのは、キャロが初めて己から願ったから。だからマリーアも此処に、その想いに応えたのだろう。


「何となく、分かった気がするんだ。上手く言葉に出来ねーけど、何となく、さ」


 淡い水の輝きの中で、セシリオは確かに見た気がする。それは彼女の祖である母。

 大いなる母。精霊の王。この地の人々を今も呪うマリーアは、しかし呪いたかった訳ではないと。


「望まれたのは、悲劇じゃない。だから、あの水は、冷たくなかったんだろうなぁ」


 悲劇を求めたにしては、彼女の光は暖か過ぎる。その輝きは優しかったのだ。

 だから、水の誓約が求めた対価は悲劇じゃない。きっと、水の精霊王が見たかった物は違うのだ。


「セシリオ。約束を、しましょう」


 もう少しで出そうな答えに、首を傾げるセシリオへと手を伸ばす。

 右の小指を一つ立てて、キャロは言葉を口にする。今度こそ、破らない約束をしようと。


「契約じゃない。約束です。今度こそ、破っちゃ駄目、ですよ」


「ああ、約束する。今度は絶対、守るから」


 身体は未だ動かないけれど、指を動かすくらいは出来る。

 互いの小指を絡めると、指切りげんまんと少年少女は此処に一つを約束した。


『一緒に北へ。万年雪を見に行こう』


 これは、在り来たりの悲劇で終わる筈だった一つの話。

 これは、在り来たりの悲劇にはならなかった。少年少女の恋話。


 声を揃えて、約束を交わした。そんな少年少女達は、手を繋いで北へ行く。






貴種たる四色は精霊王の血筋であり、同時に人界に置ける代行者として選ばれた証。

血が濃いとネコビト部族の様に亜人種の特徴が出るが、血が薄いと人間種と殆ど変わらない見た目となる。

ある程度の血の濃さがあれば、後は精霊王に選ばれるだけで貴種にはなれる。逆に選ばれない場合、幾ら血が濃くても貴種にはならない。


今話までに出て来た貴種たる四色は、青と赤。西がキャロで、東が炎王。魔王との戦いで余裕がなかった南は貴種なし。北の風はまだ未登場ですが、その内出て来る予定です。

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