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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第二部第一幕 竜と一途な子供のお話
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その9

 水の誓約とは、契約を遵守させる呪いである。等価でなくとも、穴があっても、それが契約ならば成立する。

 誓約に従い、契約を果たさねばならない。それが水の精霊王が与えた呪い。この西に住まう人々の、魂深くに刻み込まれた呪詛である。


 契約とは、相対する当事者の合意によって成立する物。その点で言えば、所有物である奴隷は契約対象に当て嵌まらない。

 例え奴隷が逃げ出したとしても、それだけならば管理不足。対価を支払う事になるのは、管理者の側になるだろう。誓約が牙を剥く理由になりはしない。


 それが問題となった時代があるのだろう。故にこそ、奴隷を労働力として使用する企業は一つの対策を生み出した。


 契約奴隷制度。それは奴隷に賃金を与え人権その他自由を保障する代わりに、所属企業に対して不利益を生ませないと言う雇用契約。

 要する所は簡単だ。水の誓約に該当する契約を奴隷と結ぶ事で、企業側は奴隷の反乱を未然に防ぐ。奴隷の側は必死になって金を貯めれば、自分を買い戻すと言う形で何時かの自由が保障されている。


 所有物として使い潰されるだけの結果を思えば、破格と言える厚遇だろう。企業としても奴隷の内乱を、未然に防ぐ事が出来るのだから結果として得をする。

 なればこそ多くの奴隷たちがこの制度を受けると決め、多くの企業がこの制度を導入した。その結果としてそれまでの問題は解決され――しかしそれとは別種の悲劇も多く生まれて来たのだ。




 この今にある光景も、その誓約が故に起きた出来事。同じような破綻など、それこそ山の様に存在している。

 契約奴隷であるセシリオが、自社に不利益を与える行為をしている。故にこそ契約破りが認められて、彼は今も傷付いていた。


 頭の中で銅鑼を叩くかのように、酷い頭痛がしてやまない。助けに来たと口にした瞬間から、吐き気が酷さを増している。

 顔は血の気が失せていて、身体が異常な熱を発し始める。まるで警告する様に、少しずつ大きくなっていく異常。それを飲み干し、決して口には出さずに笑う。


 自分の意志で、そうすると決めたのだ。全力で想いを通すと決めたのだ。

 ならば、後悔なんてある筈ない。いや、後悔しない為にこそ為すのである。


「助けに、来た。……ですか」


 手を差し伸べる少年の隠し切れない苦痛の色に、事情を悟ったキャロは伸ばし掛けた手を止めた。

 震える心は今にも、この手を取りたいと願っている。それでもそれはいけないと、己の心は叫んでいる。


 信じられない、と言う訳ではない。初対面の人間に何を、と思うが信じられると感じている。

 理由はきっと、その目であろう。煌いている純真さは、嘘偽りなどない色合い。助けたいと言う想いは、確かに本心からの物。


 そうと分かればこそ、この少年は巻き込めない。

 助けを乞えば死ぬと分かっている人に、どうして助けを求められようか。


「必要、ない、です」


 拒絶の言葉を口にすると言う事は、先に見た地獄の底に堕ちると言う事。

 それが分かって、それでもその手は取ってはいけない。キャロの心はそう言っている。


 今の自分の立場は、この状況は、選ばなかった結果の自業自得。

 助けようと思っただけで苦しんでいる人を、その流れに巻き込めはしないのだ。


 そんな少女の拒絶の言葉に、セシリオはニコリと笑って言った。


「へへっ、何だ。俺ってば、すっげー見る目あったじゃん」


「え?」


 拒絶されたのに、ニコニコと笑っているセシリオ。嬉しそうなその顔に、キャロは困惑して疑問を零す。

 そんな彼女に返る言葉は唯一つ。セシリオが感じたその想いは、たった一つの真実だ。


「すっげー震えてんのに、俺を気遣って。優しい人だなって、思った。好きになって良かったって、確かにそう思ったんだ」


 自分の身が危機にあって、それでも他人を気遣おうと出来る優しい人。

 それが好きになった少女の心根で、そんな優しい内面に益々の好意を抱く。


 好きになって良かったと、そう想える性格だった。セシリオの笑った理由は、そんな単純な事だったのだ。


「……え、好きになったって? 初対面、ですよね? 一体なんで?」


「さって、何でだろうな! 俺も良く分かんねぇ」


 初対面の男の子から、突然好きだと言われた。そんな少女は当然の様に戸惑って、混乱した彼女に少年は笑う。

 惚れた理由なんて分からない。顔が好みだったのかも知れないし、声が好みだったのかもしれないし、或いは他に理由があるのかも知れない。


「けどさ。理由なんてどうでも良いだろ! 重要なのは、この今、俺が君を好きだって事。もっと好きになったって事。だから、さ!」


 だが、そんな理由は全てが些事だ。この感情に理屈は要らない。

 胸を突き上げる激しい熱は、例え四大が呪いであっても止められはしないのだ。


 だから、セシリオはもう一度手を伸ばす。何度拒絶されようと、その手を伸ばす事を止めたくない。


「好きな子が泣いてるのに、何も出来ない様な情けない奴にはなりたくないんだ!」


 理由なんてそれだけだ。好きになった女の子を、守りたいと思った男の意地。

 それだけあれば十二分。惚れた女の子を泣いているなら、例えどれ程苦痛に苛まれようと、助ける為に手を伸ばすのだ。


「セシリオ、くん」


「くん付けなんて要らねーよ! くすぐったい」


 信じられない者を見た。そんな困惑で見詰めるキャロに、セシリオは鼻の頭を擦って笑う。


 頭の痛みより、胸の鼓動の方が痛い。身体に溜まった熱よりも、頬に上った熱の方が高い。苦痛に苦しみもがくより、気恥ずかしさに身悶えしそうだ。

 そんな褐色の青少年は、笑顔で羞恥を隠しながらに、青い髪の少女へ問い掛ける。澄んだ水の様に輝く髪を持つ貴種たる少女へ、彼は笑って問い掛けた。


「あとさ。君の名前、教えてくんね?」


「……カロリーネ。親しい人は、キャロって呼びます」


 キャロは圧倒されていた。少年の真っ直ぐな行動に、その瞳に圧倒されていた。

 初めて見るのだ、こんな人は。見た事がないのだ、キャロの人生において。そんな姿は愚かだが、それでも尊いと思えてしまった。


「そか、んじゃさ。キャロ」


 助けを乞うてはいけない相手だ。巻き込んではいけない人だ。尊いと思えばこそ、その想いは強くなる。

 だからこそ拒絶しなくてはと感じている。この言葉は受けてはいけないと思っている。差し伸べられた手を、握り返してはいけないのだと心が叫んでいる。


 なのに――


「必ず助ける! だから俺と、一緒に行こうぜ!」


 キャロは気付けば、その手を握り返していた。

 そんな自分に驚く少女に、少年はにししと笑って彼女を背負う。


 幼い少年少女は彼の方が小さくて、背負う姿は不格好。

 バランスを崩しながらに、それでもセシリオは笑って歩き出すのであった。






 肥えて太った豚の様な男。ガリコイツ・ペーニャは、真っ赤な顔で唾を飛ばす。

 突如現れた異形の魔物による襲撃と言う想定外の事態に騒然としている市長邸宅執務室に、更なる凶報が舞い込んだが為であった。


「あの部屋に、侵入者だと!?」


 手中に収めた貴種たる青。青空を映す澄んだ水の様に、流麗としたその輝き。

 青の重要性を、男は確かに理解している。なればこそ、我欲に満ちた彼は手出しを避けたのだ。


 滾った欲望をぶつけ、嬲り殺してしまいたいと思える容姿。身体付きは未だ貧相だが、雑食な男にとっては十分許容範囲内。

 それでも手を出さずに、恐怖に歪む表情を見て愉しむに控えた。それは万が一にも死んでしまっては困るから。生きていなければ、貴種たる青に意味はないのだ。


「監視の魔道具は如何した! 早く映像を回さんか阿呆共っ!!」


 趣味の一端を見せ付けて、お前もこうなると脅しを掛ける。そうして恐怖に歪んだ表情を、観察する事で無聊を慰めた。

 他の奴隷を使って我欲を治めながらに、掌の上だと言うのに手出しできない状況を我慢した。そんな男は配下の者らへ、怒りを撒き散らす様に怒鳴り散らしていた。


「おのれおのれおのれおのれぇっ! 青の価値も知らんクソガキがぁぁぁぁっ!!」


 監視魔道具の映像が回されて、少年少女の遣り取りを見たガリコイツは吐き捨てる。

 己は欲を抑えているのに、惚れた腫れたとそれだけで火事場に乗じたその悪童。価値も知らぬ癖に手を出すのかと、机に両手を叩き付けた。


 奴隷商の下を巡る中で、あの青を見付けたのは偶然だった。男はそれを、運命だと理解した。

 三代続く企業政治家。その家柄に生まれ繁栄を約束された彼は、幼い頃に祖父より青の意味を聞き知っていたのだから。


 彼の様な一部の者にしか分からない。既に失伝している言い伝え。

 当然それを知らぬ奴隷商はごく普通の高級奴隷と扱っていて、なればこそガリコイツは金に糸目を付けず購入した。


 己が悪行によって進退追い詰められていた彼にとって、その発見は正しく福音だったのだから。


「アレは渡さん。失う訳にはいかん。分かっているだろうなぁっ! お前達も、一蓮托生だとぉぉぉっ!!」


 企業政治家の全てが、清廉潔白と言う訳ではない。だがそれにしても、ガリコイツはやり過ぎた。

 大企業にとっての顔役である政治家、市長が余りに悪評が酷い様では使えない。これまでは、祖父の功績による目溢しを受けていただけなのだ。


 奴隷を買い漁り、犯してから嬲り殺してまた犯す。最低最悪のネクロフィリア。

 そんな男の実態を、外部に噂として漏らした者が居た。それがガリコイツにとって、人生最初の躓きだった。


 井の中にある小さな世界の王様気取りは、躍起になって揉み消しに動いた。

 しかし人の噂に戸は立たない。一度染み付いた悪評は、どうしようと付いて回る。


 市民評価は悪化して、事実故に覆せない。歯噛みを続けた小悪党に、続いて入るはまたも凶報。

 彼を擁立していた企業が、切り捨てに動いたのだ。解雇通知は既に出されて、今の任期が終われば露頭に迷う。それがガリコイツの現状だった。


「青だ! 青だ! 青だ! アレさえ在れば、まだ返り咲ける! 早く! 早く! 早く! あの娘を儂の下へぇぇぇっ!!」


 貴種たる青には、それを覆すだけの要素がある。あの少女を上手く使えば、それだけでガリコイツは甘い汁を吸い続ける事が出来るのだ。

 事実、既に青を収めたガリコイツに対してアクションを起こした企業がある。北部最大の雄であるノルテ・レーヴェ社が、取引を申し出ていた。


 灯台下暗しと言うべきか、ノルテ・レーヴェ社は巨大過ぎるが故に、自社の孫組織が保有する一商品に気付かなかった。求めていた青が膝下にあったと言うのに、彼らはそれに気付かなかった。其処に、ガリコイツは漬け込んだのだ。


 三日後に交わされる取引で書類に判を押せば、それだけで彼の今後は約束される。その日まで無事に少女を確保し続ければ、今の豪遊をそれこそ一生続ける事が出来る。


 故にこそ、他の何にも変えられない。表で暴れている怪物が市民を殺し尽したとしても、あの青さえ手中にあればガリコイツは無事に済むのだから。


「ですが! あの小僧を止めようにも人が居ません。今も庭園で暴れている怪物の存在がっ!?」


「くそっ! つくづく、儂を苛立たせおってぇぇぇっ!!」


 この今になっても、彼に付き従う者らは善人などではない。恩義や人望がある訳ではないのだ。ならば付き従うにも理由がある。

 彼らも私腹を肥やして来た。齎される旨み故に乗っかって、降りるタイミングを逃した者らだ。なればこそ、起死回生の賭けにも乗らねばならぬのである。


 一蓮托生の彼らも必死だ。或いは溜め込んだ資金や財宝がある男よりも、崖っぷちに居ると言えるだろう。

 故にこそ常ならば業務をサボってばかりいる者らも、関係各所への連絡を急いでいる。如何にか戦力を要請出来ないかと、自社やギルドへの呼びかけだって続けていた。


 それでも、状況が改善しない。する筈がない。襲い来る魔物は、この世界で最強なのだ。悪なる竜は止められない。悪竜王には抗えない。

 簡単に集められる戦力など、真夏の氷よりも早くに溶かされてしまう。仮にギルド最上位のAランクが集まろうと、時間稼ぎすら覚束ないであろう。


 そんな怪物に人手を削られて、動かせる実働員がもういない。より優先しなければならない少女を、追える者がもういなかったのだ。

 状況は詰んでいる。肥えて太った男の目から見て、余りに事態は都合が悪い。それでも如何にかしなくては、己の栄光が詰んでしまう。


 ならばどうする。どうすれば良い。必死に思考を回したガリコイツは、ふとその事実を思い出していた。


「……ノルテ・レーヴェから、前金代わりに受け取っていた兵器があったな」


 西方大陸にある大企業の中でも、ノルテ・レーヴェ社は比較的若い企業だ。そんな彼らが北部最大の雄となった要因は、大きく分けて三つある。


 一つは今の社長。代表取締役であるディエゴ・イブン・アブド・レーヴェの手腕とカリスマ。

 ガリコイツは一度しか会った事がないが、それだけでも分かる程に一目瞭然。才覚と自信に溢れた麒麟児であった。


 二つは灰被りの猟犬と言う武力。西で間違いなく最高位だと断言できる武勇を持ち、嘗ての人魔大戦において勇名を馳せた傭兵の存在。

 第二次人魔大戦。アリス・キテラの聖都襲撃に際し、三大魔獣の一つであるジズを退けたのは灰被りの猟犬だ。そんな猟犬が手を貸す組織が、雄飛しない筈もない。


 そして三つ。ノルテ・レーヴェ社の第三の売りが、同業他社を圧倒する程の技術力。

 魔導研究と言う分野において、彼らは他社の先を行く。その研究成果は兵器の分野にも、確かな形で結実していた。


「ですが、アレはまだ運用試験が」


「構わん。それで青が傷付こうと、向こうの責に出来る。最も重要な事は、青を逃がさず確保しておくことだ!」


 魔道具に映し出されるは、無数の檻に収められた兵器の姿。それはイヌ科の動物を思わせる、だが余りに歪な怪異。

 一部が肥大化し筋や外皮が蠢いている。頭部に埋め込まれた機械部品が禍々しく輝くは、体躯の所々に別種の動物の肉体部位を継ぎ接ぎしている混成獣(キメラ)


 生命として破綻していると、一見して分かる獣の群れ。これぞ人工魔獣。疑似的な生命を与えられた生体兵器。機械制御された魔導兵器の一つである。


「クソガキが。儂を、南部最大都市の頂点を、怒らせた事。貴様の命で贖って貰おう」


 それらを檻より解き放ち、ガリコイツ・ペーニャは暗く嗤う。

 褐色の少年が凄惨な死体に変わる未来を思い、彼は僅かにその溜飲を下げるのであった。





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