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Dragon Travel Story  作者: SIOYAKI
第一幕 竜と猫のお話
10/257

その7

 真っ暗な空を見上げる。

 雲一つない澄んだ大気に混じって、星々が小さく輝いている。

 空に浮かぶ月は二つ。美しくも儚い輝きで、優しく二人を包んでいた。


 瓦礫の上に腰かけて、二人はただぼんやりとしている。

 何をするでもなく、ぼんやりと月夜の空を見上げている。


 ひゅうと冷たい夜風が吹いて、刻まれた傷口に寒さがしみる。

 身体に刻まれた傷も、心に刻まれた傷も、どちらも冷たく感じたから――二人は背中合わせに身体を寄せ合って、その月明りを見上げていた。


「ありがとにゃ」


 互いの熱を感じる中、ふと呟く様に少女が口にする。

 そんな消えそうな声音に小首を傾げて、疑問符を浮かべる蒼眼の竜。

 何も分かっていなさそうなヒビキの姿に、ミュシャはくすりと微笑んだ。


「ミュシャを助けてくれた事」

「ん。友達だから」


 どこか震える様な声音に、返されるのはそんな言葉。

 特に意識をする事もなく、自分の意志のままに口にされた言葉。


 友達を助ける事は当たり前。

 そんな思考をする竜に、ミュシャは何だか少し泣きたくなった。


「クロエ様を殺さなかった事」

「ん」


 そんな泣きそうな心を抑えて、続く感謝を口にする。

 小さく頷くヒビキの脳裏に、大地の精霊王が残した言葉が浮かんでいた。


――妾を、殺さぬか。


 拳を振り抜いた一撃で倒れた彼女に、追撃を掛ける事はなかった。

 ミュシャがその拳を止めたから、ヒビキはそれ以上は動かなかったのだ


 崩れ落ちたクロエを前に、泣かせた分はこれで十分。

 友達を泣かせた事に対する始末は、これで十分だと理解していた。


 そんな二人の姿を見上げて、自嘲する様にクロエは呟く。

 不変の概念を単純な力技で破られた以上、既に勝機がない事に彼女は気付いていた。


――今更、だな。既に四大の結界は崩れた。何れ、地獄はこの世に顕現するであろう。それが明日か、数年後か、或いは数十年先かは分からんがな。


 精霊王が欠けなかったが故に、その封印は今直ぐに解かれる事はない。

 だが基点の一つとなっていた王墓は失われたが故に、魔王の復活は既に避けられない事となっている。


 クロエは全霊を賭して、それを少しでも引き延ばす心算だ。

 その為にも、此処で最早勝てない竜に挑む意味はなくなっていたのだ。


――その時、貴様はどう動く。


 それでも、そんな風に問い掛けたのは、彼に対し思う所があるから。

 唯の怪物の様で、許されない化外でありながら、それでも違う何かがある様に思えた怪物。


――知らないよ、そんな事。来るなら倒すし、そうでないならどうでも良い。


 悪なる竜は、そんな精霊王の問い掛けにそっけなく返す。

 彼は何時か訪れる破局に対し、そんな結論しか持ってはいなかった。


 魔王なんて知らない。絶望なんてどうでも良い。思考をする意味すら感じない。


 彼の思考はそれだけで、その言葉は余りにも――


――……我儘だな、貴様は。自由と言うよりも、それは無責任な在り方だろう。


 そう我儘な言葉だ。

 我しか知らぬ、我が知る者しか知らぬ。それ以外などどうでも良い。


 そんな在り様は、決して善性の物とは言えぬであろう。

 破滅を齎す元凶の一つである事を思えば、この竜は間違いなく悪なる竜だ。


――だが。


 その蒼き瞳を見上げる。その蒼銀は、人の祈りと同色の輝き。

 他者を傷付けるしか出来ない筈の魔物の王に、誰かを想うなど出来ない悪なる竜に、あり得ぬ輝きを倒れたままに見つけ出す。


 その光は、あの日信じた希望に似ていて――


――いや、妾は敗北者だ。ならば勝者に、これ以上掛ける言葉もあるまい。


 されど既に敗残者。

 クロエは多くを語る事もなく、そのまま大地に溶ける様に消えていった。




 そうして残された二人は今、こうして王墓の跡地に居る。

 何をするでもなく、何処へ行くでもなく、揃って夜空を見上げていた。


「友達って言ってくれたこと、嬉しかったにゃ」


 ミュシャが感謝を口にする。

 嬉しかったと、その本心を口にする。


「本当に、本当に、嬉しかったにゃ」


 その言葉は、確かに彼女の本心だった。

 嬉しかった。本当に、本当に嬉しかった。


 其処に偽りなどはなく、その想いは紛れもなく真実であり――だけど、その言葉は寒さに震えている様に感じたから。


「……なら」

「にゃ?」

「ミュシャは何で、泣きそうなの?」

「っ」


 ヒビキの問い掛けに、ミュシャは息を飲んだ。


「……言えないにゃ」


 絞り出す様な声は、夜風に吹かれる寒さ以上に震えている。

 恐々と口に出した言葉は、何かに遮られる様に意味のない音となって霧散していた。


「言いたくても、言えないんだにゃ」


 言えない。口に出す事が出来ない。

 それは心の問題ではなく、どこまでも救いがない物理的な問題。


 呪われた彼女は、己に課せられたそれを誰かに語る事が出来ないのだ。


「……ゴメン、にゃ」


 これまでにも、彼女に深く関わって来る者は居た。


 差別される亜人種であっても、美しい少女だ。

 下心ありに、或いは純粋な善意で、彼女に関わって来る者はいない訳ではなかった。


 けど、もう誰も傍に居ない。


「……ミュシャ、一杯騙してたにゃ」


 真実を語らぬ少女に、業を煮やした者が居た。

 追い詰められて尚何も語らぬ彼女に、失望したまま離れて行った者が居た。


 そうして最後まで残った人が居ても、あの不死者に殺された。


「……色々、色々、嘘吐いたにゃ」


 思い出すだけで、胸を突く感情。

 だが、どんな感情を抱こうとも、救いのない現実は揺るがない。


 ミュシャは呪われて、其処から抜け出す事が出来ずにいる。

 辛うじて見つけ出した希望は幻想で、行く場所なんて最初から何処にも存在しなかった。




 彼女に与えられた役割は、儀式に必要な特別な素材を集める事。

 日の光の下に出られないあの怪物に変わり、外でしか見つからない魔獣の素材を集める事。


 その為に、ミュシャは生かされた。

 若くて優れた身体能力を持っていたから、彼女だけが呪われたまま生かされた。


 集めてくれば、解放される。

 必要な素材さえ揃えれば、部族皆が救われる。


 そんな甘い言葉を信じて、戯けた守銭奴を気取って動いていた。

 己は常に監視されていたから、熱心に活動している様に見せていた。


 だけど知っている。もう気付いていた。

 既に腐乱臭を漂わせている村の仲間達は、一人の例外もなく死んでいる事なんて。


「……馬鹿、だよね」


 だから、絶対なる力を求めた。死者すらも救える力を求めたのだ。

 ヒビキと言う強力で無知な怪物に漬け込んで、王墓の底にあるソレを手に入れようと動いたのだ。


「ミュシャは、何か失敗ばっかりにゃ」


 でも、それすらなかった。

 そんな希望なんて、最初から何処にもなかったのだ。


「にゃにをやってるんだろうにゃ~。……本当に」


 色んな人を利用した。

 何時しかそれに対して、思う感情も擦れていた。


 友達だって言ってくれる人も利用した。

 ヒビキが友達だって言ってくれる迄、利用する事に後ろめたさも感じていなかった。


 そんなに変わるくらいに馬鹿やって、それでもこの現実は変わらない。

 もう自分じゃどうにもならなくて、助けてって言いたいのに、それすら口に出す事が出来ない。


「にゃはははは」


 だから、もうどうして良いか分からなくて――どうしようもなく寒かった。




 そんな寒がる少女に、少年も何をすれば良いか分からない。

 君に何が出来るのか、何も語ってくれないから、何をすれば良いのか分からない。


 だから――


「~~~♪」

「……歌」


 歌を歌った。

 想いを込めて、心を込めて、その歌を口にしたのだ。


「~~~♪」

「綺麗な、声だにゃ」


 それは真摯な想いの籠った歌。

 とても美しい声音で歌われる、寒さを拭う温もりに満ちた歌。


「――うん。皆これだけは褒めてくれたから、自慢なんだ。歌を歌うの」


 蒼銀の瞳で空を見上げる竜が、歌い終えて口にする。

 それは人であった頃、運動も勉強も得意でなかった彼が、唯一誰かに誇れた物。


 鈴の音の様に声は澄んでいて、音程は文句なしに素晴らしい。

 一つ一つの技巧は未だ少し拙いが、それでも想いが籠っている。


 とてもとても、綺麗な歌だった。


 怪物と成り果てた今でも、それでも失くさなかった。

 そんなヒビキが誇れる少ない物の一つが、この美しい歌声だった。


「僕は、ミュシャの事情を知らない」


 口に出来ない言葉を、知る事は出来ない。

 思考を読んだり、想いを伝えあったり、そんな力はないから彼女の理由は分からない。


「君が泣いている理由。君が言葉に出来ない理由。僕に何が出来るのか」


 泣いているなら、その涙を拭いたいと思う。

 言葉に出せないなら、言葉でなくても分かる様になりたいと思う。


 その為に、己は何が出来るのか。


「知らない。知らない。何も知らない」


 何が出来るのか、分からない。

 今この瞬間にも微睡みの中へと戻るかもしれない怪物に、一体何が出来ると言うのか。


「だけど」


 それでも、今抱いた想いは――


「何かがしたいって、そう思うんだ」


 ただ、それ一つ。

 想いを言葉にするのは苦手だから、想いを歌にして届けたのだ。


「だから、僕に何が出来るかな?」


 その問い掛けが心を揺らして、少女は小さく一筋の涙を零した。




 夜空の下で、白い息を吐く。

 肌寒さは未だ感じているが、胸の中まではもう寒くない。


「……ねぇ、ヒビキ」

「?」


 不安はある。決して拭えない不安はある。


 彼は来てくれるだろうか。

 彼が来てくれたとして、あのアンデットキングに勝てるのだろうか。


「理由を話せなくても」


 ヒビキが強い事は知っている。

 あの死人よりも、強いのだと分かっている。


 それでもアレは悪辣なのだ。その神算鬼謀は図り切れないのだ。

 真実を知らなければ罠に掛けられる。一度嵌れば、きっと抜け出せない罠に掛けられる。


 だけど自分は、決してそれを伝える事が出来ない。


「事情を教えられなくても」


 今、この瞬間だって、アレは自分を監視している。

 今、この言葉だって、アレが望むままに喋らされているだけなのかも知れない。


 それすら自分には、もう分からなくなっている。


「本当は何を考えているのか、分からないままでも――」


 自分で自分が信じられない。

 このまま、最低な裏切りを演じてしまうかも知れない。


 だと、しても――


「ミュシャを守ってくれますか?」


 寒空の下、胸に宿った熱があったから――ミュシャは、そんな風に問い掛けていた。




「うん」


 そして、そんな少女の切なる願いに、返る言葉はあっさりと。


「守るよ。君を」


 揺るがない。揺らがない。

 少年の在り様は変わらずに、悪なる竜は我儘に生きている。


「約束する。絶対に、守るから」


 そんな悪なる竜の我儘な在り様が、少女の心を救っていた。




 背中合わせに触れ合ったまま、少女は溢れ出す想いを堪える。

 震える声と弾む鼓動。溢れ出す物を誤魔化す様に、笑う声音で言葉を紡ぐ。


「にゃ、にゃはは。にゃんか、恥ずかしいにゃね」

「……そう?」


 照れくさそうな素振りは、全てが演技と言う訳ではなく。

 だからこそいつも通りな竜の姿に、彼女は感謝と呆れを抱いて語る。


「何と言うか、ヒビキはヒビキだにゃ~。もうちょっとくらい、恥ずかしがって欲しいって思うにゃよ」

「……なんか、ごめんね」


 しょんぼりとした感情が伝わる声に、なんだか胸が熱くなる。

 そんな感情を心地よく感じながら、ミュシャは空を見上げて口にした。


「ねぇ」

「なに?」


 それは、一つの願い事。

 小さな小さな、一つのお願い。


「もう少し、君の歌を聞いていたいにゃ」


 返る態度は頷きで、そうしてヒビキは歌い出す。

 夜空に溶けていくような澄んだ声は、何処までも綺麗な音をしていた。


「~~~♪」


 温かい歌。美しい歌。楽しい歌。


「~~~♪」


 静かな歌。悲しい歌。激しい歌。


「~~~♪」


 夜明けが訪れるその時まで、色々な歌を聞いて共に過ごした。




 そして、運命の日は訪れる。

 少女の運命が変わる。その朝が訪れた。







 暗闇の中、カタカタと音が鳴り響く。

 揺れる音は怖気を誘う不協和音。甲高い音は、耳障りな悪意に満ちている。


「カカッ」


 カタカタ。カタカタ。

 暗闇の底で鳴り響く音は止まる事はなく、寧ろ真逆に大きくなっていく。


「カカカ、カカカカカカッ」


 暗いローブの下にある骨が、音を立ててぶつかり合っている。

 打ち付けるそれが奏でるのは、堪え切れない嘲りを乗せた不協和音。


 虚ろな洞に響くのは、血肉が腐り落ちた老人の嗤い声。


「カーカカカカカカカカカッ!!」


 常人が居れば、鼻を抑えて蹲るであろう饐えた臭い。

 血肉が腐り、糞尿を塗り固めた様な異臭が満ちる暗闇の中で、その元凶は嗤っていた。


「来るか。来るか。来るかのぅ。我が傀儡よ」


 暗いローブは何処までも黒い。

 だがその色は純色ではなく、汚物を混ぜたかの様な濁った色。


 その法衣の下には、血肉がない。

 毛も皮も内臓もありはせず、あるのは骨の塊のみだ。


「その悪竜ならば、儂を倒せると踏んだか」


 故にそれは死者である。

 動く屍。肉さえもなくしたそれは、最早人ではない怪異であった。


「嗚呼、愛らしいのう。思わず踏み躙りたくなる程に愚かな愛らしさよ」


 アンデットキング。ノーライフキング。

 そう称される人間の魔法使いが成り果てる怪物。


 それこそが、この暗闇の底に蠢いていた。


「さあ、来ると良い。歓迎の準備は出来ておる」


 悪なる竜は、確かに強大だ。

 大地の精霊王さえも超える怪異を前に、老いて腐った死者では勝る道理がない。


 そう。万全の状態の竜が相手ならば――


「お主の愛した全てを持って、その希望を踏み躙るとしようかのう」


 だが、今の彼は精霊王との戦いで傷を負っている。

 その瘴気で出来た肉体を浄化する力を受けて、今では殆どの力を使えないであろう。


 そして、こちらには幾つもの札がある。

 故に今ならば、アレを倒す事が出来るのだ。


 そうすれば、己は魔王の力を手に入れる。

 悪竜の王を材料とすれば、己の悲願は遂に叶うであろう。


 その時こそ――


「そうすれば、儂の願いは叶う」


 この満願。その悲願。この切なる祈り。

 百年を超える夢想の祈りは、遂に現実を塗り替えるであろう。


「漸く、此処まで来たのだ」


 その成就を前にして、老人は感慨を抱く。

 漸くの終わりを前にして、腐り果てた老人は大きく息を吐いた。


 人として生きた百年間。

 そしてあの日、人の身体を保てなくなり、されど見届ける為に不死者となった二十年前。


 その百二十年間と言う長き努力の結実。

 その果てに、もう間もなく到達するのだ。


「二十年。時とすれば短くとも、この老いぼれには長き時間よ」


 あの日、キッカケがあった。

 あの日、変わろうと思わせるキッカケがあった。


 だが老人の妄執は変わらず、否、悪化した。

 人を止め、化外と成り果て、それでも尚為さねばならぬと思う程に。


「嗚呼、本当に長かった。死した器を保つのが、これ程に難しいとはのう」


 あの日、輝きを見た。

 あの日、人の祈りを背負った一人の子供をその目にした。


 彼と心を交わし、そして老人は知ったのだ。

 その美しさを。人の醜さに絶望していた、草臥れた老人は知ったのだ。


「だが、それも終わる。今日、この日に」


 そう。だからこそ、その答えに至った。

 あの尊き勇者に救われ、あの蒼銀の輝きを見て、希望を信じたからこそ――


「人間と言う種は、全て滅び去るのだから」


 人と言う種は、滅びねばならない。

 あの美しさを今尚汚す化外とは、紛れもなく人間と言う種であったのだ。


 勇者を失くした世界で、今尚争う人を見た。

 勇者が守った筈の世界が、醜く穢れていく姿を見た。

 悪なる魔王を生み出したのが、人の醜さであると知ってしまった。


 故にこそ、あの美しさを失くさぬ為には、人間を滅ぼさねばならないと結論付けたのだ。


「ク、クカカッ! クカカカカカカッ!」


 暗闇の中で、妄執に狂った死者は嗤っている。

 崩壊の訪れを、全ての終焉を、その果ての救いを願って――


「カーカカカカカカッ!!」


 老いて狂った死者は一人、屍の中で嗤い続けていた。







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