序幕
頭上のステンドグラスから零れる光。
まるで万華鏡の如く、移り変わる光が場を照らし出す。
虹に映し出されるのは、無数の客席。
その前にあるのは、緞帳の下がった檜舞台だ。
「ようこそ、おいでくださいました。皆様方」
そんな舞台の上に立ち、女は優雅に礼をする。
「私はカッサンドラ。英雄譚を謡う詩人の如くに、物語を語る者」
虹に浮かび上がった女は、宛ら影絵の如く。
或いは水面に映った月の如くに、その存在が曖昧だった。
美しいと言う事は分かれども、その細部までは認識する事が叶わない。
だがそれで良い。カッサンドラはかくあるを良しとしている。
物語の演者ではなく、舞台の一切を取り仕切る監督者でもない。そんな女は影絵の黒子で十分なのだ。
「これより語りますは、皆様方が生きる現世の写し世。その半歩隣に、或いは存在するやもしれない幻想の世界」
障子の向こう側。
硝子の如き薄い膜の向こうには、あらゆる可能性が存在する。
或いは、もしも、そんな形容で評される先にあるは幻想の園。
奇跡の力に満ち溢れ、翼持つ蜥蜴が空を飛ぶ。
巨大な大樹は光り輝き、水面に浮かぶ月は二つ。
そんな剣と魔法の不思議な世界。
「ですが、幻想の世は美しいだけではございません。幼子の夢物語ではなく、確かな現実なればこそ、其処に悲劇は存在する」
だが剣と魔法の世界は空想ではない。
真実なる姿を持つならば、其処には必ず悲劇が生まれる。
人が生きる世界である以上、人はその愚かしさから逃れられないのだ。
「そう。星の数ほども多いそれは、人と言う種では逃れられぬ業でしょう」
悲劇は星の数程に、無秩序も虚偽も、怠惰も其処にあり、悪しき思考が拭えぬ限り、絶望の悲鳴は木霊する。
「その世界を渡り歩くは一匹の竜。私が語るは、私が愛する竜の物語」
カッサンドラは愛おしそうに口にする。自信を持って吹聴する。
彼女が立つ劇場は、彼女の愛する竜の輝きを伝える為だけの場所。
故にここで語られるのは、竜の物語だけである。
「その竜は英雄ではない。寧ろ真逆。悪たる竜として、討たれる側に立つ暴威」
等身大の主人公ではない。
活躍が約束された英雄ではない。
圧倒的な力を振るい暴威を為すは、討たれるべきである悪しき竜。
「ですが、約束いたしましょう。その竜は優しき光を知っている。故に、その青き輝きが曇らぬ限り、悪しき竜は確かに人を救うでしょう」
されど、悪が人を救ってはならないと言う理由はない。
悪しきと定められた竜は、善を駆逐し、悪を滅ぼし、我がままに生きる。
それを良しと称賛するか、それとも悪しと罵るか、それは受け取る者次第であると言えるだろう。
「その救いは、素晴らしい物語を紡ぐ。私はそう確信しております」
それでもカッサンドラにとって、その物語は素晴らしいのだ。
その輝きは美しいのだと、影絵の女は感じている。
故に高らかに、彼女はその輝きを喧伝するのだ。
「此度の物語は、竜と少女の物語。理不尽に嘆く少女に、果たして竜は如何なる救いを見せるのか」
さあ、物語の開幕は間近。今こそ舞台を幕開けよう。
「どうか暫しお付き合い下さいませ」
優雅な一礼と共に、カッサンドラは静かに微笑む。
開幕を告げるブザー音が虹の劇場に響き渡り、ゆっくりと緞帳は幕を開けた。