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星追い人  作者: 海山 遊歩
ローグとガレン- Rogue & Gallen -
5/5

1:5/5雨はまだ止まない

 瞬間、ビギッと鈍い音がガレンの足下から聞こえた。その音を聞き、顔を見合わせた集落の民に一瞥を向けてからガレンに駆け上がるよう告げた。


「僕の荷物は?」

「大丈夫、部屋から回収して上にあるよ」

「よくやった。褒めてあげよう」

「報酬は干し肉二つね」

「約束はできないなあ」

「労働の対価くらい寄越せ!」


 ガレンが最後に通路側の壁を蹴り上げた瞬間、崖が鈍い音と悲鳴を上げながら崩れた。崖の上にあった巨大な像のみならず風化しつつあった神殿や家をも巻き込み、地響きを轟かせながら崖先までの数十メートルの地面、全てが一分足らずで割れ砕け、穴へと落ちていった。周囲のその様子を唖然と見ていた少女は、崖の上まで辿り着いたガレンとローグに視線を向ける。


「生きたいって言ったでしょ?」


 ぼさぼさになったローグの前髪が、風に揺れた。


「上は遺跡か…月明かりも淡いし、星がよく見える」


 ローグを熱心に見上げ続けるリアーに彼は視線を向けた。その時初めて、自分の前髪が目を隠せていないことに気づいた。少し慌てて前髪を手で梳くけれど、見られてしまったのは仕方がないと肩を竦めた。そうしてから、リアーは俯いてぼろぼろと決壊したように涙を溢れ落とした。


「どうしたの?」


 そう声を掛けると、ビクンッと体を揺らす。


「どう、して」「崖が、崩れること…知ってたの?」

「僕が、崖が崩れることを知ってたと思う?」


 こくん、と控えめに頷いたリアーを見て、ローグは驚いたように目を開いた。ガレンと顔を合わせ、頬を掻く。小さく震える少女の手をローグは優しく掬うように拾った。リアーの手は驚くほど冷たくなっていて、彼女の顔も血の気が引いたように青くなっていた。そしてもう片方の手で、彼女の頬を撫でた。その目の涙は、まだ当分引きそうになかった。青白い顔とは不釣り合いなほどにぷっくりと赤く腫れてしまっていた涙袋を、優しく指でなぞる。


「君はとても優しい子なんだね…泣かないで」


 ローグは地面に膝をついて、リアーの顔を見上げた。


「僕は、向こうの林から平原を通ってこの集落に辿り着いたんだ。その時、首が痛くなるくらいの大きな像が、穴ぼこ集落の上にあることを知った。しかもその穴ぼこ集落はとても広い。あの像がどれくらい前からあるのかはわからないけど、長い間耐えることができるわけはなかった。実際、壁にも亀裂が入っていたし上からは砂が落ちてきたから。それだけ」

「どうして、助けなかったの?どうして、みんなを…助けてあげられなかったの?」


 涙で潤んだ目が更に歪む。傷の付いたローグの手を握りながら、リアーはそう言った。


「僕は、優しくないから。自分を殺そうとした人間たちを助けたくはない。それに、その後その人たちがどうやって生きていくのか、考えられる?」


 首を横に振ったリアーの頭を、再び優しく撫でる。痛いほど手を握られているけれど、ローグは顔色一つ変えず、諭すように話し続ける。


「君はとても優しい子だ。旅をせず、一つの場所で生きていく時に必要なものをちゃんと持っている。途中まで僕と一緒においで。優しい国で君が住めるようにお願いしてみるから」

「……どうして、わたしを助けてくれたの?」


 その質問に、ローグは小さく笑う。


「君だけが、僕のことを心配してくれたから」




 ふさふさとしたガレンの尻尾にくるまって、静かな寝息を立てるリアーに手を握られながら、ローグは大きな欠伸をした。


「ねえ、ローグ。オレ今回のことでわかんないこといっぱいあるんだけど、訊いてもいい?」

「いいよ、僕に答えられることなら」


 二人は柔らかいガレンの尻尾に巻かれ、手と手が触れ合うほどの温かさに体を委ねる。


「ローグはいつから生け贄にされるかもって思ってたの?」

「そこから説明すんの?」


 呆れるように深い息を吐き、口を開いた。


「怪しいなって思ったのは、あの爺さんが嬉しそうに近付いて来た時だよ。畑の食べ物が萎びて集落の食料にも困って仕方がないはずなのに、あんなに嬉しそうに近付いて来たんだ。不審がらない方がおかしい」

「そういうことなの?」

「そういうこと。確信したのは、旅人が穴に落ちている壁画を見た時からだな。大雑把にしか描かれていなかったけど、あの服装を見れば集落の人間じゃないことくらいわかる」

「そんなじっくり絵なんて見てなかったからなあ」

「別に見なくてもいいんじゃないか。どうせ死なないんだから」

「滅多なことじゃ、ね。オレだって死ぬ時は死ぬよ、生きてるんだもん」


 体を曲げて腕を敷き、顔を乗せて楽な体勢をとるガレンを見ながら、ローグは彼の体毛に頭を埋める。腰を下ろした体勢では寝づらいのか、リアーはガレンの尻尾をベッド代わりにして、ローグの膝に頭を乗せた。彼の手を握りしめたまま、安らかな寝息を立てる。リアーの頭をゆっくりと撫でながら、彼女の睫が微かに動く様を静かに見つめていた。そして、彼女の目に優しく手を置く。


「ローグ」

「何?」

「あの時、わざと飛び降りたんだよね」

「そうだな。怪我したくなかったから」

「それってさ、怪我をせずに皆殺しにするため?」


 抑揚なくそう訊いたガレンに、ローグもまた同じように答えた。


「そうだよ」

「やっぱり。素直にオレが来るの待てば、余裕で蹴散らせたし。ローグってなんだかんだ言いながら結構酷いとこあるよね」

「助かりたい一心だけじゃないけどね。そうなるように仕向けたのは否定しないよ」

「リアーに言った時みたいに、私怨とか大人げないこと言う?」

「まさか。元々この集落へ来るような旅人なんてたかが知れてる。でも、壁画を見てみるとわかるだけでも四十二人の旅人が死んでるんだ。他の通路を調べると、もっと出てくるはずだよ。こんな辺境に足を運んだ人間が、こんなにも理不尽な生け贄として殺されてるなんて、許せなくてさ」

「でも、ローグはそれと同じくらいの人間を殺したんだよね」

「まあな。どんな理由があろうと許されはしないだろ。特にこの子には」


 視線をリアーに向けたローグは静かに目を閉じる。変わらない表情の裏を読むことはできないと、ガレンはローグを見遣った。


「この穴の底に、どれだけの骨が転がっているんだろうな」

「そもそも、あの穴の底に何があるの?生け贄を捧げるだけで雨が降るなんて」

「さあ。試しに行ってみるのもありじゃないか…得体の知れない渦巻く何かがお前を引きずり込むかもしれないけど」

「……やめた。ローグが言うと本当にそうなるから」


 その言葉に失笑したローグは、濡れた手で髪を掻き上げた。星明かりの下に晒された青みを帯びた黒い目には、淡い黄金色の環が連なる異質な模様が浮かび上がっていた。その目を細め、そして静かに閉じて囁くように呟いた。


「…痛いよ」


 小さく呟いたその声を小さな耳は拾いながらも、応えることはなかった。


「穴の底には、寂しがり屋がいるだけだよ。きっとね」


 次の朝、体の隅々に何かが纏わり付くような不快感を覚えたローグとガレンは、ほぼ同じ頃に目を覚ました。目を開けるとそこは霧が漂う真っ白な海で、風が手を振った程度でも流れが視認できるほどだった。どちらともなく深く息を吸い込み、大きく吐いた。その時、ガレンが何かを思い出したように、間抜けな声をこぼした。


「あのさ、ローグ」

「何?」

「ちょっとこの子持ってて。起こさないようにね」

「無論」


 そう返した後、立ち上がったガレンは穴のある方へ跳んで行き、霧がその後ろ姿を追うように渦巻き、消えた。少し離れた場所で石や岩が崩れる音と、それに驚いたガレンの声が飛び込んでくる。兎のか細い呼吸のように寝息を立てるリアーを、ガレンに言われるままに大人しく彼女を抱きかかえたローグは、彼の帰りを待っていた。そしてガレンは程なくして姿を現したが、表情は小動物だった頃に比べて薄い。ローグは彼に尋ねた。何をしに行ったのかと。


「祭壇の上にあった、あの大きな絵。あれ、樟石で描かれたやつじゃないかと思って、見てきたんだ」

「ああ。あの、息を吹きかけると何かが起こるっていう」

「そう。湿気を帯びた空気に触れると、その人間が描いた絵の姿が見えるんだ」

「どういうこと?」

「なんて言えばいいんだろ。本当の、真実の姿…とでも言えばいいのかな」

「意味がわからない」

「見れば……わかるよ」


 ローグは、まだ寝息を立てているリアーを抱きかかえたままガレンの案内の元、いくつもの屍の上にできあがった岩の山へ向かった。器用に岩と岩を跳び越えながら、目的の場所へと次第に近付いて行った。

 夜明けが近付いているということもあり、ローグの右手側からは(まばゆ)い光が差し込んできた。きらきらと白い靄に乱反射する中、霧の隙間を縫い果てた先の崖に映る真っ赤な絵を、ローグは目にした。

 それはこちらを見ていた。霧によって変化をもたらされる以前の、聖母のような微笑みを湛え落ちていく巫女の姿はそこにはない。天に伸ばされた手は引き攣り裂けたそこからは血が滲み出て、膨らんだ赤い衣は、生々しい真紅の絵の具を荒くぶち撒けたようにべっとりとした色が広がっていた。自然と視線が下へ落ちていく先には、目や口を張り裂けんばかりに開いた惨たらしい姿がそこに描かれていた。頬は青黒く色付き醜く腫れ上がり、真っ白な肌に浮かぶ赤味は厭に気味が悪かった。耳を塞ぎたくなる、悲痛な断末魔にも似た声が聞こえてくる。幻聴だとわかっているのに、壁に映し出された彼女から目を離すことは叶わない。胃から込み上がってくる不快感と、胸を潰すような孤独感に、ローグは口を噤んだ。彼女は、常闇のように果てのない黒が今も蠢いている穴へ、たったひとりで落ちたのだろうか。

 リアーはゆっくりと頭を上げ、瞼を開けた。横に顔を向ければ深い紺色の髪が目に入る。彼女は、ああ、旅人のお兄さんだ。と理解したけれど、ローグが前を向いたまま微動だにしないことを不思議に思い、同じ方向へ視線を移そうと顔を動かした時。ローグの手が、昨夜のように彼女の目を覆った。その手はぴったりとリアーの顔にくっついたまま離れそうになく、その手を退かそうと自身の手を重ねたがそこで彼女は初めて気付く。ローグの手が何かに怯えるように、恐れるように震えていることが。


「君は、見てはいけないよ。僕の言うことを聞いて」


 淡々と話すその声もどことなく震えていて、リアーは大人しくその言葉に従って顔を元の位置に戻した。ローグは彼女の従順さを褒めた後、息を吸った。それは、起き抜けの深呼吸とは比べものにならないものだった。


「ガレン、行こう」

「うん。あれはどうするの?」

「放っておこう。たくさんの犠牲を得た水神様が、たくさん雨を降らせるだろうから。いずれ岩肌も削るよ」

「…わかった。おはよう、寝覚めはどう?」


 ガレンは目を覚ましたリアーに声を掛け、リアーはそれに頷くことで返事をする。ローグはリアーをガレンの背中に乗せ、足下のリュックとバッグを手に自らも跨った。


「行こう、霧が晴れる前に」


 最後に彼女が見た故郷の姿は、白く、ひたすらに赤く、目が(くら)むほどの黒さが広がっていた。目を逸らすように、青年に守られる形で少女は白と緑斑の背中にしがみついた。

 雨は止まない。









1章 ローグとガレン- Rogue & Gallen -  END

一章完結。ネタはあるけどまだ書くには至っていないので二章が世間に出るのは数年後になるかもしれないね。

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