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 9 兄、妹と訓練に励む/???

 

 ミシュリーヌと雪だるまをつくった日から10日が過ぎた。

 あの雪をもたらした寒気は長く居座らなかったようで、訓練場の地面を覆っていた雪は2日程立つと、日陰にある僅かなものを残して消えた。

 その間、俺は屋根がかかった所でロイドの指南の元に素振りと足捌きと型稽古を繰り返していた。

 一日怠れば取り戻すのに三日はかかるというのはロイドの言だが、前世でも同じような言葉があった。

 どこの世界も、何かを習得するのは難しいのは同じなのだろう。

 

 さて、地面も乾いた5日前、ミシュリーヌがついに訓練場デビューを果たした。

 例のピンク色の運動用の服に身を包み、エミを伴ってやってきたミシュリーヌはやる気に満ち溢れていて思わずほろりとしたものだ。

 なお、

「似合っているぞミシュリーヌ」

 と言ったら何故か複雑な表情で睨まれた。

 どうやら機嫌を損ねたようだが、一体どうしてなのだろう……。


 それはともかくとして、俺は早速走ろうと意気込むミシュリーヌを抑え、準備運動をさせた。

「いいか、走る前はこうして体の関節をほぐすんだ。いきなり走り出しては足首をくじいたりすじを痛めたりしてしまうからな」

 屈伸・伸脚・足首回しなどなどのストレッチをミシュリーヌにさせていたところ、ロイドが興味深気に尋ねてきた。

「ほほう、マルセル様、そのような運動、どこで習われたのです?」

 しまった、と思った。

 この世界では、体系化されたストレッチというものはまだ存在していないらしい。

 存在はしていないが、ロイドは経験的にその有用性を見抜き、どこから学んだのか興味を持ったのだろう。

「ああ、これはあれだ。読み書きの時間に読んだ上位古代語の本にそのようなことが書いてあった」

「そうでしたか。私もこれからはやってみることにします」

 深くは突っ込まれなかった。

 ありがとう古代の人。


「お兄様! もうよろしいでしょう?」

「おお、そうだな。では始めよう。いきなり飛ばすと辛くなるから、初めはゆっくり行くぞ」

 そうして二人走り始める。

 速さはごくごく落として、運動を始めた初日くらいに調整する。

 ぽっちゃりだった俺でも10周は越えたのだからそれくらいは行けるだろうと思ったのだが、


「はぁっ、ひぃっ、はぁっ」

 

3周走った辺りで、ミシュリーヌの息遣いが荒くなってきた。

「本格的に走るのは初めてなのだから無理はするなよ」

 先導していた俺は並走し、様子を伺う。

「まっ、まだ、始めた、ばかりでっ、すわ!」

 明らかに大丈夫じゃない様子でまだ大丈夫と主張するミシュリーヌをエミの元に連れていき、オランジェを食べさせておく。


「な、なんでですの……、お兄様はあんなにたくさん走れていたのに」

 そういえば、ここしばらく俺の訓練の様子をミシュリーヌが見に来ることがあった。

 最近は30周を一定のペースで走りきれるようになっていたので、ミシュリーヌの中ではそれくらいが普通というイメージになってしまったのだろう。

 確かに、前世の記憶を取り戻す前の俺はミシュリーヌよりも明らかに鈍臭かった。

 俺にできるなら自分も、と思っても不思議はない。


「慣れと年齢の問題だろう。俺は3ヶ月以上走っているし、ミシュリーヌよりも2歳上で体格もいいからその分体力もある。続ければ、お前ももっと走れるようになるさ」

 そう言い、走りを再開しようとすると、

「お兄様は、最初の日は、何周走りましたの?」

 そう聞かれた。

 瞳に挑む意思を感じ、俺は嬉しくなる。


「13周。ただし休み休みだった。息が落ち着いたら1周ずつ走ってみればいい。別に競争ではないんだ、少しずつの積み重ねだよ」

 そうして俺は走り出す。

 ややあって、ミシュリーヌが再び立ち上がった。

 最初より速度を落として1周し、休む。また1周して、休む。

 俺はその間に30周を完走し素振りに移った。

 それから足捌きに入ろうかというとき、ロイドが俺を止める。

「マルセル様、お嬢様を迎えてあげてください」

 見れば、ミシュリーヌが起点に戻って来つつあった。

 自分の訓練をしながら見守って数えていたが、ああ、そうか。


「おっと、大丈夫か?」

 俺が居ることを確認し、ゴールと同時に俺に倒れ込むようにもたれるミシュリーヌ。

「じゅう、よんっしゅう、しましたわっ!」

 何かを成し遂げた、いい顔をしていた。


「頑張ったな」

 そのまま抱きかかえると、俺は屋根のかかった所に連れていく。

「ブランシュが見ていてくれたおかげですわ」

 いいつつ、ミシュリーヌは火照った頬をブランシュに寄せる。

「なるほど、ありがとうなブランシュ」

 俺も、妹の恩人の肩を叩く。

 正確には肩らしき辺り、だが。

 そう、ブランシュというのは俺とミシュリーヌで作った雪だるまに冠された名前なのだ。

 周りの雪は解けたが、日陰に置いたのが幸いしたのかブランシュはまだ解けずに残っていた。


 というのが5日前の出来事だ。

 あの後、運動後のお風呂にいたく感動したこともあり、ミシュリーヌは運動に付き合うようになった。

 運動用の服も、ピンクの他に薄紫や水色と、バリエーションがあることが判明。

 それはいいのだが……。


「いくら日陰とはいえ、あんなに解けないものか……」


 ブランシェは、流石に縮みはしたものの、原型は保ってミシュリーヌを見守っていた。

 しかも、その表面は名前の通り白く綺麗なままだ。

 前世の雪って、時間が立つとざらざら汚れてきた記憶があるのだが。

 ミシュリーヌは無邪気に喜んでいるが、俺には不思議に思えてしょうがない。

 寒気で凍りついたわけでもないのに何故だろう。

 この訓練場に来るロイやカナ、エミ、ロイドも別段気にはしていないようなので、もしかするとこの世界ではありふれた現象なのかもしれない。

 となると水の性質が違うのだろうか。

 勉強の時間になったら、ミス・マリーに聞いてみよう。

 


「雪人の解け方……、ですか。気温や風向きで様々だと思いますよ」

 ミス・マリーの回答は極めて常識的なものだった。

「そう言った例が他にも無いか、市街に出たら聞いてみますね」

 ミス・マリーは、いつも通り笑顔だった。


 

 その夜。

 俺はどうも寝付けずに、明かりを消した窓から庭を眺めていた。

 ふと、視界のすみに何かがちらつく。

 小さな、光?

 炎とは違う明かりだった。

 何だろう? 

 懐中電灯、であるはずはない。

 しかし、明かりを発生させる魔道具は俺の部屋にあるように大型で、携帯は不可能だ。

 光はややあって見えなくなった。

 好奇心が疼く。

 消えたのではなく、見えなくなったのだ。

 あっちは、東の訓練場。

 俺は無作法を承知で、寝巻きに上着を羽織るとこっそりと部屋を抜け出した。

 

 いつもの戸をくぐり屋敷から出る。

 その途端、一気に寒さが襲いかかる。

 屋敷の内部は温度を保つ魔道具により適温が保たれているため、いっそう身にしみる。

 挫けずに、俺は東の訓練場へ進む。

 見慣れた屋敷の中だが、夜はまた違った雰囲気だ。

 胸が何だか高鳴る。

 ああ、星が綺麗だ。

 そうしていつも見慣れた屋根がかかっている所に着いて――




 俺はいつものように目を覚ました。

 身支度を終えた辺りでロイがやってきて、朝食の準備が整ったことを告げる。

 食堂室に降り、ミシュリーヌと歓談をしながら白パンとハム・卵にサラダ、牛乳といった品々を平らげる。

 ふむ、もう少し増やしてもらってもいいかもしれない。

 そういえばミシュリーヌも、さりげなくパンが1つ増えている。

 今日は昨日より2周多く走ってみせますわ、と宣言する我が妹。

 後ろで控えていた侍女のエミが控えめに微笑む。

 いい光景だ。

 

 

 しばし食休みをしてから訓練場に行くと、先に来ていたミシュリーヌがしょんぼりとしていた。

 どうしたのかと聞いてみると、屋根がかかっているところを見て、言う。


「ブランシュが……」


 ブランシュは、その体の殆どが解けていた。

 3段あった本体はかろうじて2段に見える程度になり、かぶっていた鍋は落ち、目も片方外れていた。


「寂しいが、仕方ないな。雪人はそのうち溶けてしまうものだ」



 昨夜は早くに寝てしまい気付かなかったが、夜のうちに横殴りの風雨でも来たのだろうか。

 別に訓練場の地面がぬかるんではいないから、それはないか。



 ミシュリーヌと一緒に作った雪だるまだけに、自然の摂理とはいえ寂しいものがある。


 昨日まではもっとしっかりしていたのだが、


 まるで――





 《この先を考えてはいけない》





 何故だか、急に寒気を感じた。


 風邪だろうか?

 

 俺は思わず自分の肩を抱いた。



 その後、気を取り直した俺たちは訓練を始めた。

 やってきたロイドは解けゆくブランシェに気づき寂しいですなと一言。

 ミシュリーヌは予告通り2周多く走り切った。


 

 午後、勉強が一段落したところでミス・マリーにブランシュが解けた話をした。

 街でも、場所や時期によって長く残ったり、かと思えば突然解けるのはよくある話とのことだった。



 本の館。

 今日は三日に一度の読み書きの日だ。

 ヴォル爺はいつも通り、俺とミシュリーヌに書き取りの紙を渡し、終わったら読む本を指示すると、ワインを片手に本を読み始めた。


 いつも通りの、あまりにもいつも通りの光景。

 

「……なあヴォル爺」


 俺は書き取りのきりがいい所で声をかける。


「どうしましたなマルセル様?」


 ヴォル爺はいつも通り、何かを隠してそうな笑みで応える。


「いや、何でもない」


「ははは、今日のマルセル様はいつもと少し様子が違いますな」


 笑われてしまった。


 たしかにそうかもしれない。


 何だって、ヴォル爺に、昨日どこかで会わなかったかなんて聞こうと考えたのだろう。


 ヴォル爺と前回会ったのは、三日前の読み書きの日に決まっているのに。


「もうすぐ王都へ行くのですから、この前のように風邪などひかぬようお気を付けなされよ」


「そうですわよお兄様、今度は是非お兄様にもエドワーズ様と会って欲しいですわ」


 ミシュリーヌが書き取りの手を止めて話に入ってくる。


 おお、そうだな。


 エドワーズ王子といい出会いをするためにも、体調管理を万全にしなければ。


 この何とも言葉にし難い違和感も、一晩眠れば治っているだろう。



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