5 兄、師匠にしごかれる
日間ランキング2位というのを見て変な声が出ました。ありがとうございます!
勉強を終えた俺は自室で休んでいた。
ミス・マリーは噂に違わぬ優秀な人物だった。
あんなに博識で教えるのも上手な人が家庭教師として付いていたのにも関わらず明後日の方向に突き進んでしまった原作での俺たち兄妹って一体……。
『何を言うかではなく誰が言うかだ』などという言葉もあるが、更に進んで『誰が言うかではなく誰が聞くかだ』と言った所か。馬の耳に念仏という諺はまさしくその通りである。
とにかくミス・マリーは算術以外にも明るいようで、歴史や地理、政治や法につながっていくような内容の入口についても噛み砕いて教えてくれた。
算術は前世と共通なので演技をするのに骨が折れたが、こちら独自の人文科学・社会科学的な内容は興味深く聞き入ってしまった。
まあ初日で気合が入っているということでいいだろう。
明日も頑張って3日めで少しだらけ、1週間ほどで元に戻るかと思いきや持ち直す、というような流れで行こう。
空腹を覚えた丁度その時、ノックの音が響く。
「マルセル様、夕食の用意ができました」
「ああ、今行く」
ロイが呼びに来て、俺は食堂室へと向かった。
食堂室にはミシュリーヌが既に来ており席に座っていた。
釣り目気味なのはいつものことだが、どことなく表情が柔らかい。お付きの侍女の表情も僅かだが明るく、何やらいい雰囲気を感じた。善きかな善きかな。
「お兄様、お昼前にお庭にいらしたそうだけど、一体何をしてらしたの?」
席に着くとミシュリーヌが不思議そうに聞いてくる。
「ああ実は――、おっとでは問題を出そう。東の庭は体を鍛えるための場所だ、ではそこにいた俺は何をしていたと思う?」
ミス・マリーに感化され、ミシュリーヌに問題を出してみる。
「う~ん……、さっぱり分かりませんわ、降参です」
おいおい、大丈夫かうちの妹。
「体を鍛えていたに決まっているだろう!」
「ええっ!?」
驚愕の表情で口元を覆うミシュリーヌ。
「お兄様が運動をするなんて、とても思いつきませんでしたわ」
大丈夫じゃないのは妹の中の兄像だった……。
「……まあ、昨日までの俺はそうだったな。だが今日からは違う、心身共に優れた王兄となるべく生まれ変わったのだ! というわけだからミシュリーヌ、お前も明日から一緒に走ろう」
「ええー、嫌ですわそんなの、めんどうだし疲れるし。それに走ると汗をかくじゃありませんか」
とんでもないと首をふる我が妹。
いかん、これでは民衆にとっ捕まるルートに入ったら逃げ切れない。
何かいい手はないかと考えていると、父上と母上が食堂室に入ってきた。
父上――アルダートン公爵、ロドリグ・アルダートン。
原作ゲームだと名前は出てくるが登場はしない。
外見は、金髪に茶色の瞳。顔の造形は悪くはない。多少中年太りの気配が漂ってはいるものの、原作の俺と比べたら十分常識の範囲内だ。
表情も、いかにも悪役ですといったものではなく、俺とミシュリーヌに向ける視線は優しい。
席についた父上の口は、俺に穏やかな口調で話しかけた。
「しばらくぶりに家族で囲む夕食だな。昨晩は無能の御者のせいで着くのが遅れ、マルセルには寂しい夕食をとらせたな。ああ、その屑は昨日のうちに解雇して町から放り出しておいたから安心しなさい」
満面の笑みで酷いことをあっさりと言う。
「――いえ父上、俺ももう10歳です。独りでの夕食を寂しがるような子どもではありません」
だから御者への罰をご再考、と言おうとしたが、止めた。
「そうか、お前も大きくなったのだなぁ。それが分かったのなら、あのような無能を雇っておいた意味もあったというものか」
満足そうに笑う父上。
「ねえあなた、無能な御者の話など止めて、マルセルに王都の話を聞かせてあげましょう。今回は残念だったけれど、またすぐ訪れる機会があるでしょうから」
母上、アルダートン公爵夫人、ジスレーヌ・アルダートンが何事もなかったかのように話題を変える。
ちなみに、今回の王都行きの前日、俺は軽い風邪をひいて寝込んでしまい同行できなかったのだ。
母上は長い薄茶色の髪に赤い瞳。
自分の親ながら美しいとは思う。しかし父上と同じく、家族に向ける視線は普通だが、身分の低いものにはどこまでも非情な女性だ。
分かってはいたが、この2人を変えるのは非常に困難だろう。
生き方そのものに、身分が下の存在を認めないという思想が刻まれているように思える。
……やはり、当初の予定通り自分とミシュリーヌを変えるしかあるまい。
「おや、マルセルの料理の量が少ない上に野菜もあるではないか」
父上はパンパンと手を叩くと、後ろに控えていたハウス・スチュワードのイアンがすっと歩み寄る。
「料理長を解雇して町からたたき出せ」
「かしこまりました」
即断即決にも程がある。
「お待ちください父上、これは俺の望んだことなのです。どうも食事の好みが変わりまして、また新しい者に伝えるのも面倒くさいので、今のままにしていただくようお願いします」
俺はあえて、王兄たるもの~という言での説得を控えた。
「ふむ、マルセルが望んだのか。ならばまあ良かろう。ああ、王都の話だったな。今回は王宮でミシュリーヌとエドワーズ王子の対面をするために行ったのだが、他にも公爵家の方々の邸宅に招かれて――」
父上は俺の願いをあっさりと聞き入れると、話に戻った。
この使用人の扱いの軽さよ。
……ミス・マリーは問題ないだろうけど、うっかり侍女が町からたたき出されないように気にしてやらないとな。
こうして、一見温かい家族の団欒の時間は過ぎていった。
翌日の午前中、俺は一人で東の庭を走っていた。
ミシュリーヌの部屋を訪れて誘ったのだが、やはり断られた。
準備万端で訪れた俺の姿を見て妹曰く、運動用の服があまりに優雅さに欠ける、だそうだ。
……一瞬公爵家長男のお小遣いを投じて総レースでフリっフリでリボンまみれな運動着を仕立ててやろうかと思ったが、そうして出来たモノは最早運動着としての機能を喪失しているであろうことに気づき、却下する。
確かにこの運動用の服は、男子ならまだしも公爵家の娘が着るのに適してはいないが、どうにかその気にさせられないものか……。
などと考えているうちに昨日よりも多い15周を走りきり、オランジェをつまみながら休憩していると意中の人物が現れた。
「久しぶりだな、ロイド」
「……ご無沙汰しております、マルセル様」
180cmをゆうに越える長身と、引き締まった体躯、鋭い眼光。
頬と顎にうっすらとはしる向こう傷。
そして四十路を過ぎたからこそ漂う熟達者の風格。
戦士のお手本のようなこの男がロイド、俺の剣術指南役である。
うむ、怖い。
主に表情が怖い。
それはそうだよな、稽古が面倒だから来るなと言っておいて放り出し、いきなり明日からまた来い、だもの。
流石に敵陣の真っただ中で俺に手を出したりはしないだろう、歴戦の戦士の経験的に。
だがこのピリピリとした敵意オーラ、辛い。
ええい、このまま縮こまっていてもらちがあかない、突撃だ。
「俺のわがままで来るなと言っておきながらいきなり呼びつけた無礼をまずは詫びる。そしてまた、俺に剣を教えてくれ。俺はライヒアルト殿のようになるのだ」
俺はぺこりと頭を下げ、今回呼びつけた理由を話した。
ここに来たということは断られはしないだろうけど、渋られるだろうな。
「承知つかまつった。それでは早速始めましょう」
快諾である。
おいおい、ずいぶんとチョロいぞ歴戦の戦士。
あれか、澄んだ目をしている、とかか。
「その前に、私からもお詫びを。マルセル様がこの鍛錬場を駆けている様子、陰から覗いておりました。ご容赦ください」
あまりにあっさりと了承されて戸惑う俺に、ぺこりと頭を下げるロイド。
「なっ、貴様っ! 無様な所を見おって!」
丸豚モードで憤慨して見せる俺に、ロイドは小さく笑う。
「従者殿に呼ばれた時は正直気が進みませんでしたが、先ほどのお姿を見て考えが変わりました。ここまでだと思ったところからもう1つ踏ん張るその姿勢がおありならば、今一度私の剣をさずけましょう」
流石は達人だった。見るところを見ている。
「ふっ、期待しているぞ」
俺は鷹揚と頷いた。
「それでは、まずはここを10周いたしましょう」
「じゅ、10周だと! ロイド! さっき自分でも言っていただろう! 俺はここまでだというところから更に走ったのだ。それをもう10周なんて無茶だ! 剣を教えろ剣を!」
「果物を食べて休んだのならば、あと10周は行けます。それに、まだまだ剣を使う段階ではありません、さあ走って」
有無を言わさず追い立てられ、俺は走りだした。
案の定5周目で力尽きるも、ロイドは俺を時にはなだめすかし、時に厳しい事を言い、10周完走させた。
「流石は王兄となられるマルセル様、見事走りきりましたな」
「と、当然だろう、これ、くらい」
俺は荒い息を吐きながら水分補給にオランジェを食べる。
しばらくして息が整ったところで、俺は立ち上がった。
「よし、では剣の修行を……」
「もう10周しましょう」
梃子でも方針を変えないという、強い意思を感じる笑顔でロイドは宣言した。
……歴戦の戦士改め鬼軍曹と呼ぼう。
のろのろと鍛錬場を走り始めながら、俺はそう心の中で決めた。
感想をたくさん頂けてとても嬉しいのですが、本来小説内で表現したいことや明かしたいことをついつい返信で説明したい衝動に駆られるので、もう少し話が進むまで返信は控えさせて頂きます。ご了承ください。