22 兄、友の心証を守らんとす
「《お褒めに預り光栄です》」
俺は取り敢えず適応力を褒められた事について返事をしておく。
猪武者というのは間違いなくガスパールの事だ。
そして楽しそうというのは、婚約者として、ということだろう。
悩みどころである。
自分としては、原作ゲームにおけるガスパールとパトリシア王女のカップルは好きだったので、可能な限り応援するつもりだ。
はじめはお互いを家の立場で決められた相手としか見ていなかった2人が、徐々にお互いの個としての在り方を理解していき本当の恋仲になった時は末永く爆発しろと思ったものだ。
だが、今はゲームではなく現実だ。
俺の個人的な思いで、2人の行く末に干渉することは許されるのだろうか……。
ガスパールにその気があり、友人として応援するというのは常識の範疇に含まれるだろう。
しかしながら、今の2人はどういう関係なのだろう?
婚約をする前なのだろうか。それとも、既にしたあとなのだろうか。
後者で、そこから乗り換えようとしているのならば倫理観及びガスパールと友人である事を理由に断ることは出来る。
しかし、一国の王女がそんな浅はかな言動をするだろうか。
想像でしかないが、恐らくパトリシア王女は今、婚約者を選別している段階にあるのだろう。
ガスパールを猪武者と評した事から、全く知らないということはあるまい。
何度か会って、その人となりを掴むくらいは進んでいるのだろう。
ちなみにこの国の文化として、王侯貴族の婚約に関しては女性側から申し込むのが一般的だ。
勿論、男の側から女性の家の方にお願いというか根回しというか圧力を掛ける事も普通にあるが、体裁としては女性側からということになっている。
男側の方はそれを受けて家として検討し、返事をするという進行だ。
なお、言うまでもないが我が家の場合、エドワーズ王子に熱を上げたミシュリーヌと、王家とのつながりが欲しい父上の思惑が噛み合い、完全にこちらから強くお願いしている。
我が家のように女性本人の希望が反映される場合もあるが、王族の場合はどうなのだろう。
ランベルト侯爵家は王国随一ともうたわれる武門の家であり、王家としても確固たるつながりが欲しい家柄である。歴史を紐解けばこれまでも数代に一度の割合で王家の姫が輿入れしており、時期的にもそろそろというタイミングではある。
他にも王女はいるが、第一王女や第二王女ではいかに重要な家とはいえ侯爵家への嫁としては大仰に過ぎる。
そこで、第三王女であるパトリシア王女に白羽の矢が立ったのであろうが、確かその下にも第四王女がいる。
どこまで婚約の話が進められているのかは分からないが、ご破算に出来る可能性は無いわけではない可能性が高い。
「《マルセル様の方は、もう将来を決めた人はいらっしゃるのかしら?》」
砕けた会話を望んだパトリシア王女が、敢えて敬語表現を使用して聞いてきた。
「《父の方にいくつか話は来ているようですが、具体的に誰というのは聞いておりません》」
「《まあ、これまでの噂を聞けば、そうよね》」
にっこりと笑うパトリシア王女。
以前父上が俺にも話があるけど選別しているような事を言っていたけど、あれはまあ間違いなく嘘だろう。
我が事ながら、貴族の情報ネットワークはかなりのものなので暫くはそういう話は来ないと思っていた。
「《宴の時に、大広間であなたがエドワーズと何やら言い合っているのを聞いていてね、それで興味がわいたのよ。なかなか面白そうな奴がいるなって。その上、その正体があのマルセル・アルダートンだと言うじゃない》」
あの時か。
周りがあまり見えていなかったけれど、聞かれていたとは。
まあ結構白熱していたからそうかもしれない。
というか、王族にまで「あの」として知られてるのね俺……。
「《それでこうして来てみればやっぱり面白い。これならあいつよりも――》」
「《ところで、先程言っていた薄っぺらい猪武者とは誰のことです?》」
決定的な事を言われる前に、俺はどうにか口を挟んだ。
俺の問いかけに、パトリアシア王女は形のよい眉をひそめた。
感情、でちゃってますよ王女様。
クセなのだろうか、長い銀髪を指にくるんと巻いては離し巻いては離しという動作を始めた。
言いたかった事を遮られたからなのか、あいつの事を聞かれたからなのか。
「《あまり面白くない話題なのよねそれ……》」
視線を外し、髪の毛くるくるを続ける王女。
ちょっと怒ったような顔を見せ、すぐに笑顔になり口元を覆って笑う。
一瞬露になった表情が、再び演技で覆われた。
なかなか切り替えがはやいですな。
さて、どうするべきか。
エドワーズ王子はこの話題には加わらず、俺を心配そうに見ている。
まるで地雷原を歩いている人を見守るかのような表情だ。
ミシュリーヌは事情がよく分かっていないようだが、下手に口出しをしてはいけないという雰囲気は感じ取ったらしい。
おとなしくお菓子をつまんでいる。
ふむ、ミシュリーヌのお友達との情報交換では、ガスパールとパトリシア王女の婚約話が進んでいるというのは出ていないのか。
俺はガスパールのことを思い浮かべる。
あの勝負より前のあいつは、思い悩んで荒れていた。
そんな状況では、たとえ王女様といえども、会って楽しく振舞うということは出来なかっただろう。
紹介の栄誉にあずかっても、ムスッとした表情を変えられなかったであろうガスパールを俺は簡単に想像できた。
自分の事に、正しくは騎士としての事にしか興味を持っていなかったガスパールは、パトリシア王女から見れば自分に何の興味も持たない無礼な男に写った事だろう。
パトリシア王女は、本質としては堅苦しいのを嫌い、砕けた態度や在り方を好む。
しかしそれを表に出していい時と出してはいけない時をきちんと見極めるだけの分別をお持ちだ。
なおかつ、自身の立場と課せられた役割も十分に理解している。
それ故、婚約者候補と出会ったときは、王女としての立場をもって振る舞い、それに見合った扱いを望んだのだろう。
それに対して、そんな余裕は無いガスパールが取ったであろう態度は、王家を蔑ろにしていると受け取られてしまったに違いない。まあ、ある意味では自分の騎士としての力を求める余り王女様に気を配れなかったのだからその通りではあるのだが、それでガスパールを責めるのは酷というものではなかろうか。
父を目指して修行に励みながらもそれが正しいのか揺らいでいた少年に、他の事を考える余裕はあるまい。
それならば――、
「《それでは、私の方から1つ面白い話をしましょう。私の友人にいい奴がいましてね。ガスパール・ランベルトというのですが、パトリシア王女はご存知かな?》」
エドワーズ王子が、地雷を踏み抜いた人を見た表情になった。
「《……知っているわ。それなりに、ね。何よ、耳のはやさを自慢するつもり?》」
俺が、2人の婚約話が進んでいることを掴んでいると思われたのだろうか。
パトリシア王女の表情は、ただの笑顔になった。
これまではお付きの侍女達への対策で実際の感情とは別の表情で語らいが進んでいるかのように見せていたが、今は貼り付いたような笑みを作るのみとなった。ただ、髪の毛をいじるのは止まらず、むしろ回転数が上がっている。もしかしたら、本人も気づいていないのかもしれない。
「《いいえ、私の友人にブルーノ・べステルというのが居るのですが、彼ほどの耳は持っていません。単なる予想です》」
俺は紅茶を一口飲む。
温度が下がってきているので飲みやすくて嬉しい。
「《私も初めてあいつと出会った時に思いましたのでね、猪武者と。ですが、今は違う》」
「《――と、言うと?》」
「《あいつは、ガスパール・ランベルトは一つの壁を越えたのです。想いと現実の違いに悩み、もがきながらもやっと自分の騎士としての道を見つけた。なので友として、パトリシア王女殿下の中のガスパールを薄っぺらい猪武者のままにしておくわけにはいかない》」
俺はパトリシア王女の目を正面から見つめた。
そう、これが俺の取るべき、否、取りたい行動だった。
ガスパールとパトリシア王女の互いの気持ちも分からないのに、2人をくっつけようと動くのはおこがましい。
それこそ、自然の成り行きに任せるべきだろう。
だが、俺はガスパールの友なのだ。
友として、あいつがそんなちっぽけな男だと思われたままにしておくのは我慢がならない。
パトリシア王女の中にあるガスパールの像を変える為に、俺は今のあいつのことを伝えよう。
「《友、ね。あなたと彼に接点は無かったと思ったけど?》」
やはりブルーノの所の情報収集能力は特別らしい。
「《つい数日前に偶然出会ってひと勝負しましてね。そこで、彼が壁を越える所を目の当たりにしました》」
俺は自信有りげに微笑む。
なお、俺の方はさっきから表情をそのまんま出している。
しゃべっている内容が分からないんだから別にいいんじゃないかと思うのだけれど。
よし、ここから俺とガスパールの感動の対決についてのエピソードを話して一気に行くぞ。
「《茶会の席で何度か会わされたけど、いつも不機嫌そうな顔で、早く終わらないかと言うような奴よ。今日だって、私の所に挨拶に来ないし》」
不満げな感情が大いに伝わってくる。
おいおいガスパールっていうかランベルト家、そこは行かせなきゃ駄目だろう。
大体、あいつにパトリシア王女を婚約者にもらう方向で話が進んでる事って伝わってるんだろうか?
いくらガスパールでも、そういう立場だと知っていたらもっと気を遣うと思うんだけどなぁ。
「《……それはいけませんね》」
これに関してはフォローが思いつかないというか、どういう事情があったにせよ立場的に我が友側が悪いので肯定するしかなかった。
「《えー、ご挨拶にいらっしゃらなかったんですの!? そういうお立場なのに!》
これに盛大に反応したのは我が妹ミシュリーヌ。
パトリシア王女もちょっとびっくりしている。
「《そうなのよ! 酷いと思わない?》」
「《全くですわ! せっかくお兄様にいいお友達が出来たと喜んでいましたのに、そんな女心の分からない御方だったなんて!》」
「《……いやほら、何かの手違いでガスパール本人はそういう話が進んでるって知らされてない可能性もあるんじゃない?》」
居た堪れなくなって、一応言ってみる。
無駄だとは思うけど。
「《仮にそうでも、あれだけ何度も茶会で紹介されてるのに気づかないとか有り得る!?》」
「《お兄様! 今日の宴で面識のある王女様にご挨拶に行かないとか、おかしいですわ!!》」
2人はくわっと勢い良くこっちに捲し立てる。
おーい王女様ー!
完全に演技が飛んでますよー!
侍女の皆様は何事もないかのように控えてらっしゃる。
まあアレだよね、王家に仕える侍女だもの。仮に主人がちょっとおかしな態度を見せても気づかないように振舞う教育は受けてるよね。
ミシュリーヌとパトリシア王女が何やら話し込んでいる。
2人の親密度がどんどん上がっていくのが分かる。
主にガスパールへのヘイトを燃料にしているのは火を見るより明らか。
「《ああっ、お可哀想なお姉さま!》」
「《分かってくれるミシュリーヌ!?》」
一気に親しくなりすぎだろう!
エドワーズ王子は困惑しつつも、まあ二人が仲良くなっていいか的なオーラを出している。
君はいいだろうよ君は!
いかん、せっかくガスパールの株を上げようとしたのにこのままでは大暴落は必至。
どうにかせねば。
だがどうやって!
ええい、誰か援軍はおらんのか!
ブルーノならきっと何らかの秘密情報とかを駆使してどうにかしてくれそうなのに!
突然の友のイメージの危機に焦る俺。
そんな中、客間の扉が叩かれた。
「失礼致します。マルセル様にお見舞いのお客様です」
扉の外に控えた王城の従者が来訪者を告げる。
「ブルーノ・ベステル様――」
援軍来たれり!
よっし、ここから逆転――
「とガスパール・ランベルト様です」
だああああああああああああああああああ!?
盆と葬式がネギを背負って歩いて来やがったあ!!
そうだよね、分かってた。
ブルーノだけで俺の見舞いには来ないよね。
ガスパールも一緒だよね。
俺達友達だもんな!
ミシュリーヌ・パトリシア王女・エドワーズ王子、3人の視線が集まる。
2人は俺の見舞いに来た訳なので、すなわちホストは俺。
ここで追い返すわけにはいかないので、選択肢など存在しない。
「席の用意をするので、少し待つように伝えてくれ」
客室の侍女に伝え、テーブルが整えられていくのを目に写しながら、俺は2人が来たらどうするべきかを考え続けるのだった。