21 兄、狙われる
パトリシア王女はテーブルにつくと、お先に頂戴しますわと言ってお菓子を手にとった。
焼き菓子を口にし、いいお味ですわねと微笑む。
王城の客間なのでどちらが主でどちらが客か判断が微妙なところだった為、先に動いて頂いたのは有難かった。
おかげで順番に頭を悩ませることもなく、俺とミシュリーヌはまずは第一関門クリアといった気持ちで一息つく。
以降、エドワーズ王子が主人役をつとめ、まずはお菓子とお茶を楽しんだ。
流石に王城の客間に用意されるだけのことはあり、どちらも絶品だ。
お菓子の方はただ砂糖で甘いだけでなく、バターの風味も十分に感じられる物だった。前世の記憶にある洋菓子と比べても遜色の無いレベルである。
文明のレベル的に一般流通はまだ無理だと思うのだが、王侯貴族向けの希少品としてならば作れるということなのだろうか。
紅茶も、果実のような香りのする、渋みが少なくまろやかな味わいの良い品だ。前世であったダージリンの2番摘みの物はマスカットのような香りがするとの事だったので、これも似たような手入れや製法でつくられたのだろう。
と、エドワーズ王子がミシュリーヌと俺の方に視線を向けて、軽く合図をする。
さて、いよいよ御紹介頂けるようだ。
「姉上、紹介致します。僕の婚約者のミシュリーヌ・アルダートン公爵令嬢と、その兄君のマルセル・アルダートン公爵令息です」
「パトリシア王女殿下、お初にお目にかかります。ミシュリーヌ・アルダートンと申します」
多少ぎこちない感じはあるものの、ミシュリーヌは席から立つと挨拶をしてペコリと礼をした。
「あら、どうぞお掛けになって。可愛い将来の妹が出来て嬉しいわ、ミシュリーヌ嬢」
パトリシア王女は優雅に微笑んだ。
おお、いい感じである。
ミシュリーヌは照れて頬を赤く染めている。
1歳しか違わない相手に可愛いと言われて照れるのもどうかと思うが、このパトリシア王女、エドワーズ王子も王子らしい王子だが彼女も気品のある王女らしい王女なので、親愛の言葉を掛けて頂いて嬉しくなるのも分かるというものだ。
しかし――、俺は知っている。
この王女様の本当の表情を。
だがまあ、しばらくは見る機会も無いだろう。
ここまでのやり取りからそう判断し、俺は続いて席を立ち、パトリシア王女に向かう。
「パトリシア王女殿下、お初にお目にかかり光栄です。ミシュリーヌ・アルダートンの兄のマルセル・アルダートンと申します」
「あらあら、どうぞお掛けになってください。将来の妹の兄君ですもの、私にとっても兄のようなものですわ。それから――」
パトリシア王女は俺にも優雅に笑いかけ――
「《いい加減堅苦しいのは止めて、普通に話しましょ。良いわね? あーもう宴の会場からこっち肩が凝って仕方ないわー》」
んんっ?
初めは幻聴かと思った。
が、間違いなくその言葉の発生源は目の前でにこやかに座っているパトリシア王女である。
お付きの侍女達が居なければデスクワークに疲れたおっさんよろしく肩をぐるぐる回しそうな情感を込めて、上位古代語で話している。
「アルダートン公爵家は古代語への見識が豊かだと聞いておりますから、しばしお付き合いくださいな」
周囲の侍女や従者への説明がてらなのか、パトリシア王女はそう語りかける。
ええ、確かに上位古代語は日課レベルで親しんでおります。
おりますが、このような使い方は想定しておりません……。
ミシュリーヌは唐突な事態に唖然とし、エドワーズ王子は何事も無かったかのように笑みを浮かべているが、その瞳には諦観が漂っている。
「《ぽかんとしてないで、とっとと座りなさいよー。侍女達が不審に思うじゃない。ほーら座った座った》」
「……それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」
俺は取り敢えず席に戻った。
「《姉さん、普通は突然そんな事を言われても対応できないよ》」
「《何やら面白そうと評判のマルセル・アルダートンなら、これくらいは受け止めると思ったんだけどなー、見込み違いかしらね。だとしたらガッカリよガッカリ! どうなのそこんとこ!?》」
すげえ、二人とも表情や口調は雅やかなままでこんな事喋ってる。
「《あの、いまいち状況が飲み込めていないのですが――》」
「《あんたねー、困ったということを困った顔で言う奴がどこにいるのよ。わざわざ上位古代語で会話してる意味がないでしょ》」
何か心配ごとを聞いたというていの反応を見せながら、パトリシア王女は無茶な事を言ってくる。
……何でいきなり本性を現してるんだこの王女殿下は!
パトリシア第三王女。
原作ゲームにおけるガスパールの婚約者。
俺様気質が強いガスパールに対し、王女の誇りを持ち凛とした態度で接する為、衝突が絶えないという設定であった。
ガスパール視点ではいちいち王族としてと小うるさく、パトリシア王女視点では力を笠に着る慮外者。
なのでお互い、家の都合による婚約という程度の意識しかない。ガスパール攻略ルートにおけるパトリシア王女は、あくまでも王族の体面を守る為に主人公に立ち塞がるが、上手く進めると立場だけではない、心からの想いに胸を打たれ身を引くという流れになる。
このルートでは王女殿下感は損なわれないのだが、問題は仲人ルートだ。
仲人ルートでは、ガズパールが主人公と惹かれ合うようになるきっかけである、実はガスパールは動物好き、という事実をパトリシア王女も知ることとなる。そこから、それまでお互いの見せていなかった姿を知っていくことになり、話が進んでいく。
その中で、実はパトリシア王女の王女らしい振る舞いというのは外面で、中身は結構砕けた態度で色々と大雑把という事実が明らかになるのだ。
そこからの、それまで完全にオレオレ主義だったガスパールが、親しい友達だけの場では王族らしさの欠片もないパトリシア王女を心配し、色々と世話を焼くようになる展開は見ていてほのぼのしたものだった。
あー、そういえばそのルートでエドワーズ王子が、子どもの時から大雑把モードの姉の相手をして苦労したと語っていたような気がする。
「《……エドワーズ様、何がどうなっているんですの?》」
困惑しつつもこの場のルールを飲み込んだのか、ミシュリーヌは笑顔でエドワーズ王子に率直な疑問をぶつけた。
見事なり我が妹。
「《驚かせてごめん。姉さんは何というか……、普段は猫を被っているというかたまに自分を開放したくなるというか、そんな所があってね。周りに上位古代語を理解できる人が居ない時は、よく僕にこうやって砕けた話し方をするんだ》」
「《猫を被っているとは失礼ね! 王族としての義務を果たす為に役割を立派に演じているのよ! そしてその役割が無い時はできるだけ気楽にいきたいのよ!》」
う~む、何度見ても感心する。
外見は完全に優雅にお茶を楽しみながらゆったりと話しているのに、言葉に込められた感情がびしばしと心に響いてくる。
だが、上位古代語を習得していない侍女達には、王侯貴族が平民には理解できない言語を自在に操り、格調高い会話をしているようにしか感じ取れないのだろう。
王女という立場上、基本的に常に誰かが周囲に居る。
侍女や護衛等、仕える者達はあくまでも王女殿下として接する。
そんな中、誰かと砕けた会話を楽しみたいと思った結果が、このような手段だったのだろう。
「《事情は飲み込めましたが、流石に敬語は使わせて頂いてよろしいでしょうか?》」
俺もどうにか表情を作って会話に参加してみる。
「《だーかーらー、そういうのが堅苦しくて嫌だからこうしてんのよ! 全っ然事情飲み込んでないじゃないの!》」
そんな無茶な……。
だがまあ、郷に入りては郷に従えというしな。
「《……あとで不敬罪とか言い出さないだろうな?》」
「《んふふー、上等上等、そうこなくっちゃ》」
渋々ながら飾らない喋り方をすると、パトリシア王女はにんまりと笑ったような感情を乗せてつぶやいた。
実際の表情は楚々とした笑みである。
「《ええっ、お兄様! よろしいんですの?》」
「《こうなっては仕方ないだろう》」
覚悟を決めてタメ口になった俺に驚くミシュリーヌだが、まあ大丈夫でしょ。
「《そうそう、ミシュリーヌちゃんも普通に喋りなさいよねー》」
「《ちゃん……。――私、これが普通なのですけど……》」
パトリシア王女に言われ、ミシュリーヌは戸惑いの感情を乗せて返す。
「《えーそれほんと? 王女様じゃないんだから――って私がそれを言うなって話よね、あっはははははははは!》」
うわぁー、リアクション取りづらいなー、この王女殿下。
「《おいおい王女様、俺の妹をおかしな道に誘うのは止めてくれよな》」
「《何だかんだ言って適応できてますねマルセル兄》」
褒めてくれる未来の義弟。
そういえば――。
「《……エドワーズ王子殿下にはこの場においてどのように接すればよろしいでしょうか?》」
「《……姉さん程極端じゃなくていいけど、もう少し親しげにしてください。ああ、僕の微妙な丁寧口調も、楽だからやっているのでお気になさらず》」
パトリシア王女によるぶっちゃけトークのおかげか、エドワーズ王子に対する自分の好感度が上がったのを感じた。
「《じゃあ改めてよろしくな、エドワーズ王子》」
「《こちらこそ、マルセル兄》」
この時ばかりは、俺とエドワーズ王子の現実の表情と口調は、上位古代語に乗せた感情と同一の物だった。
「《ふ~ん、本当にあっさり適応するのね》」
そんな俺とエドワーズ王子のやり取りを見ていたパトリシア王女は面白そうな感情を乗せて言う。
「《薄っぺらい猪武者より、ずっと楽しそうじゃない》」
パトリシア王女の瞳が、俺の瞳を真っ直ぐに捉える。
猪武者というのが誰だかは言うまでもない。
そうかー、俺の方が楽しそうかー、そいつは光栄ですな――、
……っええええええええええええええええええ!?
その言葉に込められた意図を察し、俺は内心で叫びを上げた。