2 兄、己の道を定める
2話目です。ブックマークしてくださった方、ありがとうございます。励みになります。
「しかし、丸豚か……」
ゲームにおける自分の立ち位置を思い出し、俺はため息をつく。
妹を悪役令嬢にさせないために頑張りたいのだが、それよりも先に片付けなければならない問題があった。
実は俺もゲームに出ていたのだ。
……ミシュリーヌの馬鹿でキモい兄として。
ゲーム内の自分は妹と同じく公爵家の権威を己のものと勘違いした典型的なアホ貴族の坊っちゃんで、主人公やライバル令嬢を無理やり自分のものにしようとしたり実家が格下の攻略対象に嫌がらせをしたりと、とにかく最悪であった。
アルダートン家があっさり没落するのは妹だけでなくこいつにも原因があったわけだ。
その上容姿が残念。
贅沢三昧でろくに運動もしていないという設定なので醜く肥え太り、名前のマルセル・アルダートンから
「マルダートン」
「マルトン」
「丸豚」
と呼ばれ作中の人物には嫌われプレイヤーには馬鹿にされていた。
こんな奴が兄貴風を吹かせて説教しても聞く訳がない。
実際ゲームでも、ミシュリーヌはマルセルを忌み嫌っていたし。
まずは自分をどうにかしなければ……。
「けどまあ、これも今からならどうにか修正がききそうだな」
部屋の姿見に自分を映し、ほっと一息。
確かにややポッチャリ系ではあるが、まだ10歳なのだ。これから縦に伸びるだろうから、偏らない食事と適度な運動をしていけば体型は問題あるまい。
そして嬉しいことに、顔立ちも悪くはなかった。
両親と妹が造形的には良いのだから、遺伝的にはおかしなことではない。
ゲームでのキモいキャラという印象は、体型と言動に起因していたようだ。
ふむ、とりあえずああならなければ、外見で損をすることはない。
現在のところ、妹から外見のことで嫌われた記憶はまだないので、大丈夫だろう。
いや、どこどこの令嬢のお兄様はかっこいいのに、とかぼやかれたことがあるかも……。
くっ、頑張ろう!
続いては性格だ。
正直、これは結構まずい。
駄目両親の影響を思いっきり受けており、使用人に対する態度が最悪だった。
……親のせいにばかりしていたけど、ミシュリーヌの性格がああなったのは兄の影響もあるなこれ。
幸い殺人や消えない傷をつけるまではいかないものの、侍女や従者に無茶な命令を出してできない時は容赦なく打擲していた。
10歳のガキとはいえ鞭で打ち据えるものだからたちが悪い。
前世の常識と感覚を思い出した今となっては、自分がしたことながら最悪である。
今すぐ従者や侍女に詫びを入れねばならないところだが、今までの糞餓鬼っぷりを振り返るにいきなり改心しましたと言っても違和感しかない。
高熱や重傷を負ったことがきっかけで前世を思い出したのならば、そのせいで人格に変化がとの主張もできるのだが、妹の婚約話じゃあな……。
「ん、まてよ……。たしかここに」
俺はあるものの存在を思い出し、部屋の本棚を探した。
1冊の本を取り出すと、部屋の光の魔道具に明かりを灯す。
ぱらぱらとめくってしばらく読み進み、目当ての内容を見つけてほっと安堵のため息がもれる。
「よし、これで行こう」
俺は今後の方針を決めるとベッドに入って明かりを消し、眠りについた。
軽やかなノックの音で、俺は目を覚ました。
「マルセル様、おはようございます。お目覚めの時刻です」
起床を促す呼び掛け。
そうか、毎朝こうやっていたのか。
今までの俺の場合、直接揺り起こされるまで起きなかったから気づいていなかった。
「ああ、入ってくれ」
扉の向こうで驚愕したような気配が起きる。
まあそれも無理はあるまい。普段絶対に起きていない主人が起きていた上に、普通の態度で入室を促したのだから。
「失礼いたします」
入ってきたのは従者のロイだった。背後には部屋掃除担当の侍女のカナも控えている。
ロイは流石に平静を装っているが、カナについては驚きの表情を隠せていない。まあ、ロイは18歳なのに対してカナはまだ15歳だ。経験の差というものだろう。
「おはようロイ、それにカナ」
ベッドから降りた俺は二人に朝の挨拶をする。
ロイの表情にも驚きが浮かび、カナに至っては手にしていた掃除道具を取り落とした。
……挨拶しただけでこれか。
いや、昨日までの我が身を振り返れば当然だが。
っと、これはチャンス。
「耳障りな音を立てるなこのくっ、いや、ちがうちがう、落ち着け。……カナ、道具を落とさないように気をつけるのだよ? お父様やお母様の前だと叱られてしまうからね」
道具を落としたカナをいつものように屑呼ばわりして叱責しようとし、それを無理やり抑えましたというていで俺はやんわりと話しかける。
「も、申し訳ありませんっ!」
カナは慌てて頭を下げると、落とした道具を拾う。
「いや、いいんだよ。それよりも二人とも、思い返せば今まで、ずいぶんと酷い仕打ちをしてしまった。すまなかった。他のみんなにも機会をみて謝るけど、二人からも伝えておいてくれ」
突然の俺の謝罪に今度こそロイは全面に驚きと疑念の表情を出し、カナは再び道具を取り落とした。
「うるさいと言っているだろうこの無能――ま、まったく、カナはあわてんぼうだな、あははー」
「ご、ごめんなさいごめんなさい!」
混乱も手伝ってか、カナは素の言い方に戻って涙目で謝りながら床に這い蹲るという何とも惨憺たる有様になっていた。
これ、以前の俺なら間違いなく鞭で10回は打ってたんだろうな……。
「マルセル様が我々に詫びることなど何もございません。ですが、お望みでしたらお言葉を他の使用人たちにも伝えます。……ところで、無礼を承知でお尋ねしたいのですが、何か変わったことがございましたか?」
驚きから立ち直ったロイが聞いてくる。
俺に対して質問をするというのは彼にしてみればかなりのリスクのはずだが、突然の変貌の理由が全くわからない方が危険と判断したのだろう。
さらに言えば、今の状態の俺ならば答えてくれるという読みもあるようだ。なかなか有能だな。
「うむ、我が妹、ミシュリーヌがエドワーズ王子と婚約したのは知っているか?」
「はい、誠に喜ばしい限りです」
「となれば、ゆくゆくは俺は王子の義兄になるわけだ。となると王の兄だ。王の兄と言えばこの方だろう!」
俺は枕元に置いておいた一冊の本を手に取るとドヤ顔を意識して二人に突きつけた。
「これは、『王兄ライヒアルト伝』でございますか?」
「そうだ! 王の兄といえばライヒアルト殿。俺は今日より、彼の人を目指すのだ!」
高らかに宣言する俺に、ロイは事情を飲み込み、カナは相変わらず混乱していた。残念な子だなぁ……。
『王兄ライヒアルト伝』これはこの国の偉人伝記の一つだ。
800年ほど前、第一王子ながらも側室の母から生まれたため王太子になれなかったライヒアルトという王子がいた。
彼は自身の境遇に不満を言うことなく、弟の王太子を献身的に支えて様々な国難を共に乗り越えたと伝えられている。
想像だけれど、正室側室があるため王位継承でもめることが多いこの国の性質上、王になれない王子はかくあるべしという訓戒を込めた話なのだろう。
王侯貴族の子女の必読書レベルで読まされるため王の兄といえばこの人という共通認識はあった。
子ども向けの伝記だというのもあるが、ライヒアルト王子は明らかに盛っていると思われる内容が多い。
曰く、誰にでも分け隔てなく慈悲深い。
曰く、常に鍛錬を怠らず、剣術と魔術を極めていた。
曰く、学問にも熱心で知らぬものはない。
……露骨すぎる。
ここまで盛られると実際は暗殺されて怨霊になって王家に祟りをなしたので、鎮魂のためにこんな話を作って王侯貴族の必読書に制定したんじゃないかと疑うレベルである。
ともかく、王の兄といえば完璧超人というイメージがある。
単純な俺は義兄と実兄の違いを気にせずそれを目指すことにした、という設定で前世の記憶を得たことによる変化を隠蔽しようと考えたわけだ。
ちなみに、エドワーズ王子は第三王子なので別に王になるのが確定ではない。
まあ、世の中は自分の都合のいいように動くと信じきっていた今までの俺なので、その辺はスルーされるだろう。
ロイは俺がライヒアルトを目指し始めたということと、その為に今までの行いを変えようとしている事を理解し、それを他の者にも伝えると言った。
おそらく、坊ちゃまが気まぐれを起こしたけど、自分たちの利になりそうだから持ち上げておけ的な形で情報を回してくれるだろう。
こちらとしても動きやすくていい。
さて、初めのうちは無理してる感を出して、徐々に本物になっていかないとな。
調整は大変そうだが、頑張ろう。