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19 兄、驚く

「――様! お兄様っ! 大丈夫ですの!?」


 ミシュリーヌの声が頭に響く。

 止めてくれ、頭が痛いんだ。

 俺はぎゅっと目をつむり、そのおかげで更なる頭痛に襲われた。


「……頭が痛い」

 言葉に出すことで、気持ちを吐き出そうと試みる。


「マルセル様、こちらをお飲みください」

 イウンの声。


 そっと俺の手に冷たい何かが渡される。

 恐らくイウンの手が、俺の手の甲を包むように当てがわれ、そのまま手を口元に動かされる。


「んっ」


 唇に当たる、よく冷えた水。

 俺はゆっくりとそれを飲む。

 それまで頭に重く伸し掛っていたものが消えていくように、すっと楽になった。

 

「俺は――、どうしたんだっけ?」


 記憶の混濁を認識する。

 えーと、ミシュリーヌと一緒にエドワーズ王子の所に挨拶に行って、ミシュリーヌにつれない様子の王子相手に何だかヒートアップして途中で……。

 駄目だ、思い出せない。


 ただ先程まで我が身に起きていた現象については心当たりがある。

 飲酒による頭痛だ。


 泣いていたミシュリーヌの目を冷やすための氷を取ろうと飲み干したオランジェのジュース。

 あれが恐らく酒だったのだろう。

 あの時はさして気に留めなかったけれど、苦味があったのは覚えている。

 何たる失態か。


 それにしても、先程飲んだ水。

 前世の二日酔い体験では、水を飲んだくらいでここまで劇的に症状は緩和されなかったと思うのだが。

 何か二日酔いの特効薬のような効果のある水なのだろうか。

 とりあえず、この世界においてもアルコールは頭痛を引き起こす性質を持っているということが判明した。


「良かった、目が覚めたかマルセル」

「お酒を飲んで倒れたと聞いて、肝が潰れるかと思いましたわ」


 父上と母上も居るらしく、安堵の声が聞こえた。


「――ここは?」


 俺はようやく目を開けると、あの広い大広間ではなく、見知らぬ部屋に居る事を把握した。

 どうやら天蓋付きの寝台に横になっていたらしい。


 右側にはミシュリーヌと隣に――。その後ろに両親。

 左側には何やら高価そうな硝子瓶を抱えたイウン。

 前の方には見知らぬ大人達が居るが、王城の医師か薬士だろうか。



「王城の客間ですわ。お兄様、急に倒れてしまって……、本当に心配しましたのよ」

 

 ミシュリーヌは深紅の瞳を潤ませてそう言った。

 ふと、その瞳をじっと見つめる。

 

「……普通だな」

 自分でも分からないのだが、何故だかそのような感想を抱き、口にする。


「何がですの?」

 きょとんとするミシュリーヌ。

 それはそうだよなぁ。

 我が妹は平素と変わらない。


「いや、何でもない。心配をさせてすまなかったな。ずっと付いていてくれたのか?」

 寝台から窓の外を見やれば、ガラスの向こうの空は青からうっすらとオレンジ色に変わりつつある。

 数時間ほど眠ってしまっていたようだ。

 子どもだからというのもあるが、ちょっと効きすぎではなかろうか。

 もしかしたら俺は、アルコールに弱い体質なのかもしれない。

 前世ではそれなりに嗜む方だったので、そうだとしたら少し寂しいかも。

 などと考えていると、


「はい、エドワーズ様も一緒に」

 はにかみながら、ミシュリーヌは隣を見て言った。

 そこにはエドワーズ王子が居て、ミシュリーヌと手をつないでいた。


 うん、まあいいんだけどね。

 望み通りであるが一抹の寂しさを感じるのは、俺の中の兄心なのか父性なのか。


「マルセル兄、突然倒れた時は驚きましたが、無事に目覚めて何よりでした」

 

 ……何故だろう、音としては倒れる前までと同じく「けい」だけど「貴兄」から「兄」に変わったのが直感で解った。

 望み通りだわー。俺って王兄ライヒアルト様目指してるからなー。まことに望み通りだわー。はっはっは……。

 

「これは、エドワーズ王子殿下にご心痛を与えてしまいましたのは私の不徳の致すところ。このマルセル、猛省しきりであります」


 俺は深々と頭を垂れる。


 うつむいているのだが、エドワーズ王子がちょっと固まったのが伝わってきた。

 ふふん、これくらいの嫌がらせは甘んじて受け入れるがいい、未来の義弟様め。



「マルセル・アルダートン様。私は今回の催しの給仕長を務めましたディル・ベーヌと申します。私の管理不行届きのせいでマルセル様を大変な目に遭わせてしまい、お詫びのしようもございません」


 見慣れない大人も居るなと思ったら、宴の責任者だった。

 深々と頭を下げている。

 まあ、宴の開場で出された飲食物が原因な以上、立場上責任を問われてしまうよな。


 振り返ってみればあのグラスを取ったとき、泣いていたミシュリーヌを人目から隠そうとコソコソした動きになっていたので、テーブルの給仕係の死角からかすめ取る形になっていたかもしれない。

    

「……私が何を言ったところで、立場上貴方が責任を問われてしまうであろうことは誠に申し訳なく思う。だが、こちらの勝手な都合で給仕係に断りなく飲み物を取ってしまった私にこそ非があるという事実は、然るべき時と場所において証言するつもりである。顔を上げて欲しい。こちらの方こそ、すまなかった」


 俺が頭を下げると、給仕長は元より周囲にも驚きが広がった。


「……有り難きお言葉を賜りましたこと、何とお礼を申したらよいか」


 顔を上げさせた給仕長がまた深々と頭を下げる。

 正直勘弁していただきたい。

 というかこの人、クビになってしまうのだろうか。

 原因である身としては非常に胸が痛むのだが……。


「この通り、私の体調には問題ない。なので是非とも貴方を不問に処して頂けられるよう取り計らって頂くため、行動したいと思うのだが――」


「そのお気持ちを頂いただけで十分でございます」

 思い切りが良すぎる。

 一度の失敗でそこまで思いつめないでください本当に!



「――エドワーズ王子殿下」

 少々抵抗があるが、俺はエドワーズ王子を頼ることにする。


「マルセル兄、もう少し砕けた呼び方をして頂けると嬉しいのだが……、何です?」


「不敬を承知でお願いしたいのだが、殿下からこの件をよしなに取り計らって頂けるように進言して頂くわけにはいかないだろうか」


 誰に、とは言わない。

 そんな事を直接言わないだけの、臣下の息子としての分別はあるのだ。

 まあ直接言わないだけで十分無茶をやらかしている自覚はあるのだけれど。

 父上も母上も驚いた顔をしているし。


「――マルセル兄、大変心苦しいのですが、それはできない」


 ……まあ、そうだろうな。

 たかだか給仕長の進退に介入する国王など居ない。

 そんな事を進言するというのは、いくら心優しい王子様でも難しいだろう。

 ならば、次善の策だ。


「父上、こちらのベーヌ殿を、我が家で雇うわけには参りませんでしょうか? この度の一件は全て私に責任があります。立場上責任を取らされるのは仕方ないとするのなら、原因たるこの私も責任を果たすべきです」

 俺は父上の方を真っ直ぐに見て言った。


「――父親である私としては、お前とミシュリーヌの望む事は全て叶えたいと考えている」


 父上は微笑んだ。

 王族貴族以外は人にあらずな思考なので駄目元で聞いてみたが、マジか!


「では、あのテーブルの給仕係の者もお願いします。このままでは、彼の者も王城を追われるでしょうから――」

 と、勢い込んで喋る俺を父上が遮る。


「マルセル、先程の言葉には続きがある」


 やっぱりか!

 アレだろうなー、ただし貴族に限る!とかだろうなー。



「私はお前とミシュリーヌの望みは全て叶えるつもりだ。だが――、それは陛下の御心に背かぬ限り、との但し書きが付く。私はお前達の父である前にアルダートン公爵――王国に仕える臣であるが故に」


 重々しく、父上は宣言する。

 俺とミシュリーヌの事をそこまで思ってくれているというのは嬉しいし、公爵として芯の通った所を見られたのも喜ばしいことだ。

 ていうか、疑ってごめんなさいお父様……。


 感動する展開ではあるが、今の言葉は即ち、国王陛下が直々に給仕長及び給仕係の再雇用を禁じたという意味だ。

 

 公爵の息子とはいえ、子どもが勝手に酒を飲んでひっくり返っただけでそこまで大事になるとは……。

 



「なるほど、王兄ライヒアルト公を目指すというだけのことはあるな」


 落ち着いた声が響く。

 どっしりとしていて、聞く者を安心させるような、そんなおおらかな声。

 

 一体いつの間にそこにいたのか。


 いや、最初から居た。


 ただ、あまりに自然に、柔らかな雰囲気でそこにおられたので気が付けなかった。

 慌ててベッドから降りようとする俺を、優しい声がそっと押し留める。



「――そのままでよい。余は病み上がりの子どもに膝をつかせるほど無慈悲な王ではないのでな」



 宴の大広間で挨拶をした時よりも服装が簡素になってはいたが、それでも全身から発せられるこの威厳。

 無慈悲どころか、慈悲深さにあふれた穏やかな顔付き。


「楽にするがいい、未来のライヒアルト公よ」


 国王陛下は、悪戯を成功させた子どものような表情で笑った。












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