18 兄、妹を餌付けする/???
王族の方々の所へ近づいていくと、挨拶待ちの貴族達で壁ができていた。
国王陛下や王妃殿下、王子王女殿下と挨拶している貴族を中心に、扇形の弧の様に人垣が形成されており、子どもの背丈ではその壁の向こうにどなたがいらっしゃるのかは判然としない。
しないのだが、我が妹はとある一点に向けて迷いなく歩を進める。
恋する乙女の能力という奴であろうか。
そうして、ある人垣に到着して横から回り込むと、そこには確かにエドワーズ王子が居た。
流石だ、恋する乙女の感知性能。
しかしたどり着きはしたものの、第三王子でまだ幼いとはいえ既に評判のエドワーズ様だ、挨拶待ちの貴族が多い。
イウンがいないので詳しくは分からないが、並んでいる方々の衣装と紋章を見ればいずれも公爵家であることが分かる。
というか、回り込んだもののこっちが最後尾で合っているのだろうか?
見れば他の公爵家の面々は令嬢か子息あるいはその両方と、その父親もしくは両親という構成だ。
大人が居ればその辺りのルールも分かるのだろうが、俺ではよく分からない。
一応先客の反応を見ながらどっちに並ぶかを判断するが、やはり父上に来てもらうべきだった。
「――ミシュリーヌ?」
俺が人垣の端で思案しているのを尻目に、ミシュリーヌは王子の方へ近づいていく。
あ、これはまずい流れだ。
原作で、ミシュリーヌはエドワーズが誰と――例え同格の公爵令嬢であろうと――話をしていてもそこに当然のように割って入るというエピソードがあった。
現在の状況を鑑みるに、挨拶の為に他の貴族達はきちんと並んでおり、その家格は同格であり、むしろ他の面々は公爵その人である父親が同伴しているため礼儀作法上はあちらが圧倒的に上である。
何せ俺もミシュリーヌも公爵家令息令嬢でしかないのだ。
言ってみれば親の立場がなければ無位無官である。
そんな中、婚約者であるという事だけを武器に最優先権を主張して他の貴族の挨拶を邪魔して割り込むのは大変に外聞が悪い。
というか、むしろ婚約者だからこそそれではいけないだろう。
俺はミシュリーヌに追いつくと、後ろから肩を抱いて少々強引に物理的な軌道修正を行なった。
「お兄様!? 突然何をなさるんです! 放してくださいませ!」
くうっ、やはり興奮状態にあるらしいミシュリーヌ、声を潜めて抗議するという配慮はできなかった。
エドワーズ王子がどんな反応を示したかは今挨拶をしている貴族の影になって見えないが、距離的に声は確実に聞こえてしまったはずだ。
並んでいる貴族を横目で見れば、明らかにこちらを注視している。
俺はとりあえずエドワーズ王子待ちの人垣の裏側に戻り、更に距離をとってからようやくミシュリーヌの拘束を解いた。
と言っても急に走り出しては困るので手はつないだままである。
「お兄様!! 一体なんなんで――むぐっ!?」
また抗議の大声を出し始めたミシュリーヌの口に、俺は近くのテーブルにあった小ぶりなケーキを放り込む。
「…………………………!」
口をもぐもぐさせながらこちらを見るミシュリーヌは物凄い怒気を滾らせながらこっちを睨んでいた。
だがしかし、咀嚼しながら喋らないというマナーは感情の衝動を抑制するレベルで身についている為静かになった。
「いいかミシュリーヌ、確かにお前はエドワーズ王子殿下の婚約者という立場だ」
「そうですわ! だから――もぐっ!?」
次弾は既に装填済み。
俺は第二のケーキを再び抗議の声をあげようとしたミシュリーヌの口に入れる。
「ふむぅ~~~~~~~!!」
悔しげにケーキを食べるミシュリーヌ。
何だろう、前世で見たハムスター的なものがあって思わず微笑ましくなる――といかんいかん。ほのぼのしている場合ではない。
「まず、大きな声を出さずに俺の話を聞くと約束してくれ。でなければ俺は、お前がまん丸に膨らむまでケーキを詰め込まなければならない」
第三のケーキを手にして俺がそう持ちかけると、ミシュリーヌはしゅんとしてケーキを飲み込み、黙った。
「約束を受け入れてくれて嬉しいぞ」
俺は微笑みながら、ケーキを自分の口に入れる。
しっとりとした食感と広がる甘さ。
流石に新年を祝う宴に出されるだけの事はあると思わせる味だ。
「落ち着いてくれた今なら分かってくれると思うので聞くぞ。お前がエドワーズ王子殿下の立場だったとして、きちんと順番を守っている人達を押し退けて婚約者が現れたらどう感じる?」
客観的に、事実を告げる。
「……それは」
冷静になってくれたミシュリーヌは俯いて黙るが、やがておずおずと口を開いた。
「はしたないと、思いますわ……」
俺はほっと安心して微笑んだ。
「それを自分で気づけたのならば、俺からはもう何も言わないよ。きちんと並んで、エドワーズ様にご挨拶をしよう」
そう言ってつないだミシュリーヌの手を引くも、我が妹は動かない。
見れば、ミシュリーヌはぽろぽろと涙を零していた。
間違った事をしたつもりはない。
これからのミシュリーヌとエドワーズ王子の事を考えれば、これは善い事のはずだ。
だがそれでも、妹を泣かせてしまった己の不甲斐なさが哀しかった。
ミシュリーヌをあまり目立たなそうな、背丈の高いテーブルの影に連れていく。
それから俺は近くの別のテーブルに乗っていたオランジェのジュースを一息で飲み干した。少し苦味を感じたが、文句を言っている暇はない。
グラスに入っていた氷をハンカチに包んでミシュリーヌに渡し、そっと当てるように注意をして目を冷やさせた。
目蓋の腫れに対する効果の程は不明だが、気持ちを落ち着かせることはできると思いたい。
「……不安なの」
いつもとは違う口調。
「……私は婚約者になれて嬉しいけど、エドワーズ様はどうなんだろうって」
絞り出すような声。
「でもどうしたらいいか分からなくて。エドワーズ様に他の誰かが近づくのが嫌でっ。そんな事をしても、好きになってくれないって分かっていても……」
「……あまり強く押さえると、かえって目が赤くなる」
逃げるように、そんな助言をする。
口惜しいが、こればっかりは下手な慰めは逆効果にしかならないだろう。
「紅い……、瞳……」
地雷を踏み抜いた気分だ。
こうなったら覚悟を決めよう。
「ミシュリーヌ」
俺は目を押さえているミシュリーヌの手をどけた。
涙はもう止まったようだが、深紅の瞳が潤んで揺れている。
「いい事を教えよう。男は女の涙に弱いものだ。あと、普段強気で傍若無人な娘が落ち込んでいると、気になってしまうのだ」
全身全霊を込めたドヤ顔で俺は言う。
「……傍若無人は言い過ぎですわ」
ややあって、ミシュリーヌはクスリと笑って言った。
「じゃあ行くか。今の自然なお前なら、大丈夫な気がする。根拠はないが」
「こういう時はいい情報だけ伝えるべきですわよ、お兄様」
そうして俺とミシュリーヌは、再びエドワーズ王子のもとへ向かった。
エドワーズ王子待ちの列に戻ると、顔ぶれが変わっていた。
雰囲気から、侯爵家の順番になったように思える。
新たに並んだ侯爵家の家族の後ろについた所、俺達の身分を向こうも察したようで、暫し既に並んでいる大人達が何事か視線を交わした後に、本来次の順番に居たヒゲの侯爵閣下が、場所を譲ってくれた。
ここは好意に甘えさせてもらうとしよう。
そうして少し待っていると、エドワーズ王子と話をしていた貴族と令嬢が離れる。
さあ、いよいよだ。
俺たちが進み出るとエドワーズ王子はまず万人用の笑顔を見せた後、戸惑ったような表情で俺を見た。
……やはり、ミシュリーヌは見ないのか。
いい度胸だこの野郎。
俺は王子のこの態度に怒りを覚えたようだ。
体の奥が熱い。
「お初に御意を得まして光栄に存じます。ロドリグ・アルダートンが一子にしてミシュリーヌ・アルダートンの兄のマルセル・アルダートンと申します」
俺は国王陛下の挨拶の時にも取った片膝を付いての礼をする。
「こちらこそ、会えて嬉しく思います、マルセル貴兄。今日は新年を祝う宴の席ですから、堅苦しいのはここまでにしましょう」
目下の者への敬称でもあるとはいえ、何の抵抗もなく俺を兄と呼ぶか。
いや、むしろ敬称以外の意味は持たせていない、ということだろうか。
おかしいな、考えがまとまらない。
こんな事は珍しい。
相変わらず体の奥が熱く、ふわふわとする。
今世では初めてだが、前世では何度かこれに似た感覚になったことがあった気がする。
何だったろう?
「エドワーズ様、ご機嫌麗しゅう存じます」
「やあミシュリーヌ嬢、会えて嬉しいよ」
エドワーズ王子は優しく微笑んで言う。
それだけ見れば、原作ゲームの完璧な王子様そのものに見える。
だが、そうじゃあないだろう?
先程ミシュリーヌが大声を上げた事に。
そして今目の前にいるミシュリーヌが泣いていたであろうことに。
気付かなかったとは言わせない。
「エドワーズ王子、人間の最も魅力的な所とは、どこだとお考えになりますか?」
不意の質問に、王子は笑顔はそのままに、警戒の気配を発する。
「まず貴兄の考えを聞きたい。そのように問うてくるからには、答えを持っているのだろう?」
「そうです、まさにその通り。ならば私の答えを述べさせて頂きましょう」
無礼講だと向こうから言ってくれたのだ。
構うことはない。
「それは変われる、ということです。己の在り方を省みて改めることが出来るということ。そのこそが、人間を人間たらしめている!」
「成程、確かに貴兄の言う通りでしょう。変わるというのは大切なことだ」
王子は頷いて見せる。
「ご理解頂けて嬉しいです。だが、それだけでは足りないのです。変わるだけでは半分だ」
「……と、言うと?」
興味深げな顔をする王子。俺はニヤリと笑う。
「変化を認め、受け入れるということ。それがなければ、変わった甲斐がないというもの! 己を省み己を変え、他者の変容を認め受け入れる。その二つが揃ってこそ、在りうべき人の姿と言えましょう。どちらかだけでは、所詮半人前に過ぎないのです!」
「――っ!」
王子の表情から余裕が消える。
こちらの真意をしっかりと理解してくれたようで嬉しい。
そうでなくては、未来の義理の弟様?
「……そうですね。自分が変わるだけでなく他者の変化を受け入れる、大切なことだ」
言外に半人前呼ばわりされたにも関わらずこの落ち着き。やはり噂に違わぬ人物か。
「しかしながら、変化とはそのように容易いものでしょうか? 上辺だけを取り繕うものの何と多い事か! よしんば変わったとしても、元の木阿弥になる者は山のように居る。一体何をもって、確かに変わったと言えるのです?」
立て板に水で反論をしてくる王子。
「確かに、殿下のおっしゃる通りです。人は善い方に変わることもあれば悪い方に変わってしまうこともある。であるならば、いや、であるからこそ、他者を善導し、時には見守ることが度量というものではないでしょうか。少なくとも私は、その努力を怠るつもりは微塵もありません!」
「――――くっ!!」
エドワーズ王子にも、ミシュリーヌが最後に会った時そのままのミシュリーヌでない事は分かっているはずだ。
優れた人物なのだから。
だからこそ、俺の言いたいことは伝わる。
器を示せ、と。
「お兄様、もうお止めください」
ミシュリーヌが俺と王子の間に割って入った。
「お兄様のお心遣い、本当に嬉しく思います。けれど私もいけないのです。今までエドワーズ様の前でしでかしたことを思えば、信じて頂けなくて当然です!」
「ミシュリーヌ……」
「ミシュリーヌ嬢……」
エドワーズ王子は唖然としている。
「お兄様が変わって、私も変わることができた。だから、これは私がお願いしなければいけないことなのですわ」
強い意思を瞳に宿し、王子の方を見つめる我が妹。
いいぞ、頑張れ。
「……エドワーズ様、今まで自分のことしか考えられず、心を痛めさせてしまったこと、深くお詫び致しますわ」
「ミシュリーヌ嬢、君は……」
「時間はまだかかるかもしれません、ですが私は、必ずエドワーズ様に相応しい淑女になってみせます。ですから――」
ミシュリーヌの深紅の瞳が、エドワーズ王子の顔を見つめる。
真後ろからなのに、はっきりと認識できた。
《――――》
何だ?
「ですから――」
《――――――――》
なにか 厭な 気配が――
「 《私の瞳を、ちゃんと見てくださいませ》 」
その言葉は、無垢なる願いのはずだった。
少女の、他愛もないおねだりのはずだった。
事実、その願いそのものは神聖なるものだ。
だがこの空気の重さはなんだというのだ?
泥濘に包まれたような息苦しさは、しかし俺にしか認識できていないようで。
エドワーズ王子は、とびきりの笑顔でミシュリーヌを見つめている。
恐らく、しっかりと視線を合わせている。
ミシュリーヌは王子の変化に感激し、しっかりと抱き合っている。
ああ、めでたしめでたし、だ。
だが、おかしい。
人はこんなにも簡単に、変わってしまえるのだろうか。
これは、こんなものは普通ではない。
まるで――《 》
そこまで考えて、俺の意識は暗転した。
『ああ、思い出したこの感覚は』
『そう、ジュースだと思って飲んだアレは、アルコールが含まれていたのだ』
『だからこの違和感は、それが原因なのだ』
『起きたときに頭痛と共に俺は思うはずだ』
『くだらない心配などせずに、ミシュリーヌにお祝いの言葉を贈ろう、と』