17 兄、王子と出会う
談笑が弾んできた頃、いつの間に現れたのか楽隊が音楽を奏でていた。
はじめは気づかないほどさり気ない音だったのが徐々に聞こえるようになり、その楽曲に促されるかのように、会場の面々は自分の本来の場所に移動を始めた。
「おっと、そろそろ王族の皆様の御登場だね」
「そのようだ。オレ達も一度戻るとしよう」
子爵家のエンリオは外側へ、伯爵家のニコラスはそのまま横の方へ戻るのでそこで別れ、俺とガスパール、ブルーノは連れ立って内側へと移動を始めた。
「そういえば、マルセルってエドワーズ様とはもうご挨拶したの? 妹のミシュリーヌ嬢が婚約されたそうだけど」
「いや、婚約の時に俺は運悪く風邪を引いていて、王都には行けなくてな。今日が初の対面になる」
本当のところ、丸豚だった時に会わずに済んだのは、むしろ幸運なのだが。
「そうなんだ。じゃあお会いしたら、後で感想を聞かせてよ」
意味ありげなことを言ってくるブルーノ。
「……エドワーズ様に何かあるのか? 王族としての自覚を持った、しっかりしたお方だと聞いているが」
ミシュリーヌと視線を合わせなかったという件もあるので、俺は少々不安になって尋ねる。
「オレの方でも、良く出来た御仁だという話しか聞いていないが、ベステル侯爵家の情報網ではどうなのだ?」
ガスパールが興味深げに尋ねる。
「おや、ウチの耳が早いという事を掴んでいる時点で、ガスパールの所も中々だね」
質問には答えずにこりと微笑むブルーノ。
何か、将来の片鱗を見た気がする。
そうか、貴族ネットワークが凄いのではなくて、ブルーノの所が特別なのか。
「まあ、友達になった誼みで教えるけど、ベステル家の情報網ではなく僕の――パンタグリュエル辺境伯家の情報網だね」
出た。後の家名。
この時点でもう決まっていたのだろうか?
「すまない、情報関係には疎いんだが、そのパンタグルっ……、グ、リュ、エル辺境伯家というのはブルーノとどういうつながりがあるんだ?」
未来知識がある事を誤魔化すつもりではなく、普通に噛んだ。
なんと言いづらい家名か!
「あはは、初めてだと言いにくいよね。パンタグリュエル辺境伯家は僕の母の実家でね。僕の物心着く前に跡継ぎだった伯父上が子どもが出来る前に亡くなって、そこから色々といざこざが起きて後継者不在だったんだよ。そこで僕に白羽の矢が立てられたとそういうわけ。12歳になったら正式に養子に出される予定なんだよ」
そういう事情だったのか。
というか、後継にからむいざこざってあまり口外してはいけない情報なのではないだろうか……。
それだけ信頼されているということだろう。多分。
「侯爵への陞爵を敢えて辞退した《万川を渇する者》の後継とは、末恐ろしいな」
「《赤獅子》が何を言うのさ。お祖父様曰く、唯一の辺境伯という肩書きの方が目立つ、だってさ。ただの変わった趣味の家だよ」
2人は何やら格調高い遣り取りをしている。
……我が家には何か二つ名は無いのだろうか。
うん、あっても多分悪口の類いだろうから、深く追求しないようにしよう。
「ああそう、エドワーズ王子については、ウチの情報網を使っても普通と同じ評判なんだ。だから、逆に何だか引っかかってね。まあ本当にそのまんまだからという可能性もあるけど、マルセルの感想も合わせて考えたいんだ。――じゃあ僕の家はこっちの方だからここで。また後で会おう」
「つくられた情報の可能性もある、ということか。おっと、オレも反対側だから、ここで一度お別れだな。ところで二人とも、動物は好きか?」
別れ際、ガスパールが不思議な事を聞いてくる。
「ああ、どちらかと言えば好きな方だ」
かつてはむしろ嫌いだったのだが、前世を思い出して以降は好きになってきている。
機会があったら、また犬やら猫やらを撫でたいところだ。
「僕も好きだよ。馬なんかは綺麗だし頭もいいし」
「良かった、それではまた後で」
何が良かったのかは分からないが、ガスパールは満足げに頷くと自分の家の集まりがある方に去っていった。
それからブルーノとも別れ、イウンと2人元居た所に戻ってくると、両親がおり、ちょうどミシュリーヌも帰ってきたところだった。
「友達とはたくさん話せたか?」
機嫌の良さそうなミシュリーヌに聞いてみる。
「ええ、文通もいいですけれど、やはり直接お話する方が良いですわね。持つべきものは友達――」
そこまで言って、急に黙るミシュリーヌ。
「どうした?」
「あ、いえ……。何でもないですわ」
沈痛な面持ちで視線を逸らす我が妹。
……あ、そういうことか。
「……あー、俺の方は先日友達になったガスパールと話してきたぞ。あとベステル侯爵家のブルーノと、彼の幼馴染でラヴァン伯爵家のニコラスと、ペンズ子爵家のエンリオとも新たに友達になった」
「まあっ! お兄様にお友達が!」
そんな全力で驚かなくてもいいのではなかろうか。
どうやら先程のミシュリーヌは、友人の居ない俺の前で友達の話をするのをはばかったようだ。
お兄ちゃん、ありがたいお心遣いに涙が出そうだよ。
「お父様、お母様! お兄様についに御友人が出来たそうですわよ!」
うきうきと報告するミシュリーヌ。
いや、この距離なんだから聞こえてるだろというつっこみも野暮か。
事実を言葉にして確認することで、より強固に認識するという性質が人間にはあるそうだ。
ミシュリーヌにとって、俺に友達が出来たということは、しっかりと心に刻んでおきたい慶事ということなのだろう。
嬉しいことじゃないか。
「ランベルト侯爵家とベステル侯爵家の子息か。うむ、どちらも名家だな」
「これからもいいお付き合いができると良いわね」
両親は満足げだが、ニコラスとエンリオについては見事なまでにスルーである。
まあ、侯爵家も下扱いしてこじれてしまうよりは、名家と認識して交友を進めてくれたので善しとしなければならないか。
そんな事を考えている間に、俺達が入ってきたのとは違う、特別に設えられた大きな扉に魔道具の光が集まる。
今はまだ昼のはずだが、窓の外は薄暗くなり、それに伴って会場のシャンデリアの光も落ち、自然と会場前方の照らされた場所に注目が集まる。
そして楽隊が新しい曲を奏で始めると同時に扉が開け放たれ、王族の御方々がお入りになられた。
まず国王陛下と王妃殿下。
続いて第二王妃殿下。第三王妃殿下。
最後に王子殿下・王女殿下。
国王陛下は勿論、最年少の第四王女殿下に至るまで王族の威厳というものを感じさせる見事な立ち居振る舞いだった。
衣装も、あからさまに豪華絢爛というのではなく、落ち着いた中にも華やかさを感じさせるものが選ばれている。
そうして国王陛下の新年を祝う挨拶が始まったのだが、俺の目は唯一人に――エドワーズ王子その人に向けられていた。
プラチナブロンドの髪に深い青の瞳。
まだ8歳ながら、その表情には高い知性を感じさせるものがあった。
今はまだ可愛らしいとも言われそうだが、数年後には間違いなく多くの女性の目を奪う事になるであろう。
ふと、エドワーズ王子が俺と視線を合わせた。
偶然かとも思ったが、確かにこちらを見ている。
もしもこの薄暗い所から向けられた視線に気づいたのだとしたら、気配を察知する鋭さまで持ち合わせている事になる。
俺の居る位置は公爵家の場所なので会場全体としては前側ではあるのだが、公爵家内では中程なので、王族の方々との間にはそれなりに人がいる。
そんな状態でなお気づけるとは、流石にハイスペックだ。
しかしどうしたものか。
このまま視線を合せ続けるのもあらぬ誤解を招きそうで怖いのだが、変な逸らし方をするのも失礼だし。
うむ、こういう時は持つべきものである所の友人の技を借りるとしよう。
俺は静かに視線を下に落とすと、ゆっくりとその場に片膝をつき、視線を上げた。
間にいる人との位置関係的に、見えなくなりはしない事は計算済みである。
再び、俺とエドワーズ王子の視線が合う。
俺の親愛の情の表明を受けてか、エドワーズ王子は小さく微笑んだ。
俺はそこから更に一礼をすると、視線を国王陛下の方に戻して立ち上がった。
横目でちらりと視線を流すと、エドワーズ王子は俺をしばし見た後、他の方向に視線を移したのが分かった。
どうやら自然な形で視線を外すことが出来たようだ。
「……お兄様、国王陛下のご挨拶中にどうしたんですの?」
俺の行動を見ていたミシュリーヌが小声で尋ねてくる。
これで、エドワーズ王子と視線が合ってなどと正直に話したら、ミシュリーヌが大声を出してしまう可能性があるな。
「いや、大したことじゃない。気にしないでくれ」
俺もまたごくごく小さな声で適当に誤魔化しておく。
「もう、エドワーズ様に変だと思われないようにしてくださいませ」
「すまんすまん、もう大丈夫だ」
などというやり取りをしている間に国王陛下のご挨拶が終わった。
正直あんまり聞いていなかったのだが、新年のお祝いと神への感謝を捧げ、今日は大いに交流を楽しんで欲しいという内容だったはずだ。
さて、国王陛下の挨拶にて新年を祝う宴は正式に開始となった。
楽隊も楽しげな曲を奏で始める。
それは即ちここで貴族の、社交と言う名の静かな戦いの始まりも意味する。
まずは公爵家筆頭である大公家が国王陛下と王妃殿下に挨拶に動く。
その近くでは次席にある家が順番を伺い、同格の家々ではさり気なくどっちが先かを窺い合う。
かと思えば公爵家同士の挨拶も発生し、その順番待ちもと、何とも面倒くさい光景が繰り広げられる。
第二王妃殿下や第三王妃殿下にも挨拶の貴族が集まり、王子殿下王女殿下達の所もたちまち人が周囲に集まり始めた。
「さあお兄様、エドワーズ様のところへ行きますわよ!」
そして現れたのは恋する乙女ミシュリーヌ。
俺の手を取ると、エドワーズ王子の居るであろう辺りを目指してぐいぐいと引っ張りだした。
思わず父上の方を見ると、特に気にしていない様子で、
「ああ、行っておいで。マルセルもいい機会だからご挨拶してきなさい」
とあっさり許可をだした。
いかに婚約者とはいえ、子どもだけでいきなり王子殿下の所に突撃をかけていいのだろうか。
色々と段階をすっ飛ばしているような気がしなくもないが、ここでミシュリーヌを止めるのは不可能だろう。
それならば、俺がああだこうだ悩んでも事態は進行してしまう。
父上の許可も出ている以上、俺がお目付け役となってミシュリーヌが暴走しないか見張るのが最善だ。
「分かったミシュリーヌ。俺も一緒に行くから、とりあえず手を引っ張らないでくれ」
興奮状態のミシュリーヌを落ち着かせて手を離させると、俺は隣に並んでエドワーズ王子の所へ向かった。