13 兄、好敵手を啄する
俺が違和感を持ったのは、ガスパールが一撃を打った後の動きだった。
初めは慎重な攻め口なのかとも思ったが、何度か繰り返すうちにこれは次にどうしていいか分からない者の動作であるという所に思い至った。
一撃一撃は鋭く、素振りを真面目に取り組んできたものだと分かる。
それだけに、その後の動きがいかにもお粗末なのが不思議だったが、素振りから先の訓練を受けていないのならばさもありなんといったとこだ。
「妹の話では、昨年から剣の修行を始めたとのことだったが……」
俺は狼狽してぽつりと言う。
「……始めたさっ! 訓練場の、掃除と、武具磨きをなっ!」
俺の方をキッと睨むと、ガスパールは絞り出す様に言う。
「去年の秋から1年間は、来る日も来る日も掃除と武具の手入れと、騎士達の休憩の準備だった。今年の秋になってようやく木剣を持つことを許されたけど、できるのは素振りだけ。走る訓練も、決められた距離しか走れない」
俺は前世における、伝統芸能の弟子を思い出した。
確か入門したてのころはその芸とは何の関係もない事を延々とやらされるということだった。
そうして10年20年をかけて一人前に育て上げられるという。
武門の侯爵家。
赤獅子のランベルト。
まさか嫡男に、いや嫡男だからこそ、そのような古風な修練を積ませるのだろう。
「初めは、剣の修行ができると聞いて嬉しかった。父上のような騎士になるのが、俺の目標だから。
でも、実際は掃除や武具の手入れなんていう雑用ばっかりで……」
親父さんに憧れていたのならば、尚更理想と現実の格差が痛かったことだろう。
我が家の場合、別に武門の家柄ではないし、父上も公爵としての義務程度にしか剣技は身に付けていない。
俺に関しても、立派な騎士になって欲しいなどと期待していない。
なので完全にロイドに任せっきりで、そのロイドも出し惜しみせずにどんどん実技を教えてくれる。
教育方針の違いという奴だ。
俺の方は普通に公爵家として最低限の技量を求められ、俺個人が実戦的なものを身につけるのを望んだからロイドが応えてくれている。
いや、かつてロイドに暇を出しても諌めなかった父上のことだ、最低限の技量すら求めていないのかもしれない。
ロイドは優秀だから俺に合わせて段階的な訓練をしてくれてはいるが、あくまでもロイド個人の良識によって教育されている。
それに対してガスパールの方は、歴代のランベルト侯爵家に連綿と受け継がれてきた、言わば一族としての教育方針の元に騎士として鍛えられているはずだ。
今は俺の方が剣技としては上だが、それはあくまでも今だけの話。
ランベルト流の育成方法が積み重ねられていけば、俺はあっさりと負けるだろう。
言わば、与えられた同じ量の砂で、俺は山をつくり、ガスパールは土台をつくっているようなものだ。
一時を見れば俺の方が高いが、将来を見ればどちらが高くなるかなど明らかである。
「言われたとおりにやってきたけど、これで本当に剣の腕が上がるのか、立派な騎士になれるのかずっと不安だった」
暗い表情で語るガスパール。
その気持ちは理解できる。
というか、よく1年間やりきったものだ。
以前の丸豚時代の俺ならば、多分初日で投げ出す。正確には、初日の半分で投げ出していたはずだ。
まあそれは極端な例だとしても、流石は武門の侯爵家を継ぐ者。
きっとそれまでの育ちで積み重ねられたものもあるのだろう。
「それでも、父上を信じて、自分がやっていることには意味があると信じてやったきた。でも……」
俺に、3年前は歯牙にもかけない小物だった奴に走りで敗れ、剣でも苦杯を舐めさせられた。
それは、足元が崩れるような心境だっただろう。
それで「うそつき」という言葉が出たのだ。
だけどガスパール。
お前の親父さんは嘘つきじゃないぞ。
お前が大きな山をつくれるように、しっかり土台を固めてくれているんだ。
今俺の方が少し高い位置にいることなんて気にするな。
お前は王道を歩いているんだから。
心からそう思った。
だが、言葉にすることは出来ない。してはいけない。
この事は、ガスパール自身で気づかなければいけないことだからだ。
「お前に、よりにもよってあのマルセル・アルダートンに敗れた……。同世代でも、優秀と名高い者達にならば納得できるのに」
俺の駄目っぷりは結構貴族社会で広まっているらしい。
どこから漏れたのだろう。
3年前によっぽどやらかしたんだろうか……。
もしくは、父上や俺によって放逐された元使用人や男爵・騎士が他所でその非道を喧伝したのだろうか。
どっちも有りうるなぁ。
しかし、確かにそれならばショックだろう。
不安を飲み込んで耐えに耐えた訓練の成果が、あのマルセル・アルダートンにすら劣る、なんて。
助言をしたくなる気持ちをぐっと抑える。
他人様の家の教育方針に口をはさむのはお互い良くない。
しかも武門の侯爵家の伝統的な育成法なのだ。他人が横槍を入れるべきではない。
しかし、3年前は正義感溢れる少年だったガスパールが、今はどうだ。
歩む道を信じきれず、尖って、見ず知らずの同世代にいきなり勝負を仕掛けるような性格に変貌してしまっている。
これでいいのだろうか。
侯爵家の為というよりも、本人の為に。
今日の敗北で、ガスパールの歪みは確実に加速する、そんな気がした。
「……もうオレは、剣は持たない」
「なっ!? ガスパール様っ!」
「止めるなシド! オレには才能がないんだ。この1年と数箇月の訓練で何も得られていない!」
成果が得られないのは確かに辛い。
俺自身、少しずつ走れる距離が増えていったり走りきる速度が上がったり、できる足捌きや型が増えたりという数的変化を観測できなければ、続けるのは難しかったのは容易に想像できる。
自分の成長を観測できない修行。
それは本当に辛く、だからこそやり遂げた先に大きな世界が開けるものだろう。
ガスパールはその扉に手をかけつつあるが、それに気づかぬまま背を向けようとしている。
「そんな事はありません! 侯爵様も騎士の皆も、ガスパール様に期待しております!」
「もういいんだっ!」
かぶりを振るガスパールと、必死に宥めようとするシド。
どうする。
これは確実に、原作ゲームでは無かったエピソードだ。
丸豚だった俺は、王都に来ても広場になど行かないだろうし、よしんば行ったとしても走らないので勝負にならない。
原作におけるガスパールは、この停滞期間を自力で乗り越え、自信溢れる俺様系へと成長を遂げたはずだ。
このままでは、ガスパールの今後に大きな影響が出る。
原作通りには俺がいるので行かないし、させるつもりもないのだが、俺の干渉によって他人に悪影響を与えるのは可能な限り――そう、ミシュリーヌと俺の生存に関わらない限りにおいては避けたいところだ。
今手を出せば、ガスパールは自分で停滞を克服する機会を失う。
手を出さなければ、予測出来ない悪影響を及ぼす可能性がある。
どうすればいいっ。
俺は歯を食いしばり、考える。
己の力で殻を破り、次の段階へ至って欲しい。
それは嘘偽りのない想いだ。
莫迦が付くほど真っ正直なこいつを、俺は気に入ってしまったようだから。
だが同時に、今手を差し伸べなくていいのかという迷いもある。
ここで見守る事が、果たしてガスパールの為になるのか。
言い争うランベルト主従を前に俺は悩みに悩み――
「すまんガスパール! 俺にはどうしたらいいか分からん!」
己の不甲斐なさを謝った。
「……何故お前がオレに謝罪などする! 情けをかけたつもりか? それとも憐れみか!?」
激昂するガスパール。
「違うっ!!」
それを上回る怒声を俺は放った。
「俺ではお前を導くことができない。その事が悔しいんだ!」
ガスパールはぽかんとした表情になる。
「ガスパール、お前は凄い。何の意味があるのか分からないような修行を文句も言わずに1年間やり抜くなんて、並大抵の奴じゃあできない。俺には絶対に無理だ。そんなお前だから、きっとそのうち気づいたはずだ。それを、俺が邪魔してしまった!」
俺は一気呵成にまくし立てる。
こうなったら呆れられようが変な目で見られようが構わん。
「お前がやってきた修行そのものに、きっと大した意味はない。いや、ないと言ってしまうのは早計かもしれないか……。ああとにかく、その大した意味の無い事を文句も言わずにやり抜いたことにこそ、意味があるはずだ。それをやって初めて見える何かがあるんだと思う。だから、お前のやってきたことは無駄なんかじゃない! ――だけど」
俺はもどかしさに胸を焼かれながら、言い募る。
「それを俺が言ってしまってはいけなかったんだ。すまない、俺はお前が自分で気づく機会を奪ってしまった」
ああ、結局ぶちまけてしまった。
俺がヴォル爺との問答で得たものの見方。
これは、自力で発見してこそ血肉となる性質のもの。
その機会を駄目にした俺の、罪は重い。
「きっとお前はこれから、たくさんの隠された意味に気づくはずだ。けれど、最初の気づきに手を貸してしまった以上、お前はその後の気づきを本当に自分のものとは思えないかもしれない。それが、何より申し訳ない」
気が付けば俺は泣いていた。
他人の可能性を奪ってしまった後悔と、それがガスパールという大いなる可能性を秘めた男だったという事実に。
原作の登場人物だからではない。
俺は実際に競い合い心を晒した目の前のこいつを認め、だからこそ己の無様が辛かった。
「《文王馬車を曳く》か……」
ガスパールは下位古代語の故事を引いた。
「そうだ。いや、そもそもの始まりから意味を暴露してしまっているのだ。始めから自力で馬車をひかせなかったようなものだ……」
俺は意気消沈する。
この故事は前世の世界にもあったもので、周の文王が太公望に馬車を曳くように言われるというものだ。
言われたとおり自力で馬車を曳いた文王だが、200歩ほどで止まってしまう。
そこから、部下が手を貸して600歩ほど曳いて止まった時、太公望がその意味を語る。
200年――つまり自力で曳いた200歩分は周王朝が自力で成り立つが、残りの600年は他人の手を借りての存続となる。そのような占いだったのだ。
「……こんな風には考えられないか、始めからそれが国の命数を決めると知ってていれば、千歩でも二千歩でも馬車を曳けると」
ガスパールは、静かな口調でそう言った。
俺は顔を上げる。
そこには、毒気を抜かれたかのような表情のガスパールが俺を見ていた。
「意地の悪い世界のことだ、その場合、国の命数を決めるという前提を覆しかねない」
「ははっ、それは反則だな」
ガスパールは自然な笑顔を見せた。
「何でお前は、そんなにオレの事で必死になっているんだ?」
難しい質問をぽんとしてこられた。
まあ最もだよな。
昨日会ったばかりだし、3年前のは俺としては無かったことにしたいレベルの過去だし。
「何でって……、何でだろうなぁ?」
理由はいろいろあるはずなのだが、いざ面と向かって尋ねられるとはっきりと言葉にできない。
「くっ、ははははっ! 何だよそれは! 変な奴だな……」
ガスパールは大笑いする。
目尻が少しだけ光っていた。
「ええー、まあ確かに、変かもしれないな、ははは」
俺も自然に笑いがこみ上げ、暫くの間2人で笑っていた。
それから、どちらからというでもなく袋竹刀を手に、型稽古を始めた。
それは不思議な感覚だった。
俺がいつもロイドと稽古する時とは逆で仕太刀役になり、隙をつくる。
そうするとガスパールは、型なんか知らないはずなのに、そこに剣を振ってきた。
俺はそれを定められた動きで回避し、ガスパールの頭に打ちかかり、寸前で止める。
自分でも驚くほど、当たる寸前で止める事ができた。
ガスパールは、俺が止めることを露ほども疑わず、泰然不動としていた。
そんな風に、俺達は稽古を続けた。時には打太刀と仕太刀をどちらから言うともなく交代し、違和感なく続ける。
奇妙な、だけど決して嫌ではない感覚。
それから、お互いに引き時を悟り、正対する。
「最後に、一本勝負をしたい」
「望むところだ」
それをどちらが言い、どちらが応えたかの記憶は判然としない。
けれど俺とガスパールは構え、互いに呼吸を合わせて勝負の開始を感知する。
先ほどとは違う、一進一退の攻防。
ほらな、やっぱりお前は凄いだろう。
本当の終わりを、肌と心で感じる。
今この時までは、俺の方に分があった。
先に届くことを確信して打ちかかり――
「はぁっ!」
「せいっ!」
俺達の剣は、全くの同時に互いの頭を打った。
「いい勝負だった――」
心底満足げに、ガスパールは微笑む。
「俺はこの引き分けを誇りに思う。そして、明日以降の敗北を」
俺も満足して笑った。
全く、俺の心配は杞憂に過ぎなかったようだ。
こいつは、他人に教えられたから身に出来ないような狭量な奴ではなかった。
「なら俺は、自分に勝った男はマルセル・アルダートンだけだったと言える騎士になる」
あまりの過大評価に止めてくれと言いそうになったが、踏みとどまる。
それは誓い。
こいつが、今後誰にも負けないという誓いなのだ。
それを誰が否定できようか。
「ああ、楽しみにしているぞ」
そうして俺達は別れを告げ、広場を挟んで反対方向へと歩いていった。
そうして、俺の新たなる始まりの年は終わりを告げたのだった。
ミシュリーヌ可愛い・ミシュリーヌ心配の感想をたくさん頂き、ありがとうございました。
ガスパールも好意的に受け止められたようで嬉しいです。