表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/36

11 兄、己の過去に懊悩す

「ロイ」

「心得ました」


 名前を呼ばれただけで俺の意図を読んだロイは、こちらに迫ってくるランベルト家の従者の背後に回り、とり押さえる。


「離せ! 何をする!」


「離せばこいつに飛びつく気だろう? そんな事をして体調が更に悪化したらどうする。頭が冷えるまでそこで黙って見ているのだな」

 俺はわめく従者をロイに任せて放置し、ガスパールを石畳の歩道から芝生の丘部分へゆっくりと運び、自分の上着を敷いて横たわらせた。


 この冬にこんなに大汗をかくとは、普段の距離やペースをこえて無理をしたのだろう。

 大分負けず嫌いな性格のようだ。


 俺は持ってきた荷物の中から液体の入った瓶を取り出す。

 水に塩と砂糖、何種類かの果汁を混ぜた、スポーツドリンクのような飲み物だ。


「大丈夫か? ゆっくりでいい、少しずつ飲め」

 

「うっ……、訓練、中に、水は、飲まねえっ!」


 昭和かよ!

 盛大に突っ込みを入れたくなるが、どうにか耐える。


「これはただの水ではないぞ。お前も侯爵家の息子ならば王兄ライヒアルト伝くらい読んだことがあるだろう。長い距離を走り疲労したライヒアルト様が乾きを癒したオランジェの汁が入った、由緒正しき飲料だ。ありがたく飲め!」


 実のところ、確かに発汗時に水だけを飲むとかえって体に悪いというのは事実である。

 運動して発汗すると、水分と共に塩分などのイオンが失われる。そこに水だけを補給してしまうと更に体液が薄まり、バランスが大きく崩れてしまうのだ。

 というのは前世の世界における人体構造に起因するのだが、俺は身をもって、今世も同じであることを実証していた。

 あれは訓練を始めた秋の初め、残暑がぶり返してきた日にペース配分を間違えた俺は軽い脱水症状に陥った。

 そこで前世の知識でなんちゃって経口補水液を作らせて飲んだところ症状は改善。

 体の作りは前世と今世で同じであるということを身をもって体験することができた。

 それ以降、運動をする時はつねにこの飲料を作らせるようにしたが、実に快調に訓練に励むことができた。


 そんなわけで、確信をもってガスパールに飲ませる。


「うっ……」


「ガスパール様におかしなものを……」

「アルダートン公爵家の厨房が用意したものにケチを付ける気ならば、それ相応の覚悟が必要ですよ」


 ロイが淡々と告げる。

 これには向こうの従者も黙りこくった。


「これは……」 

 ぽつりと言い、瓶を自分で持って飲み始めるガスパール。 

 思ったより素直だ。

 

 急に飲みすぎても体に悪いので適当な所で止め、タオルを濡らして渡す。なお、濡らすのに使ったのは持ってきた普通の水だ。


「…………」

 無言で、顔と首の汗を拭う。


「ロイ」

「はっ」

 意を汲み、ロイは速やかに拘束を解く。


 が、あっちの従者はおろおろとするばかりだ。


「主人にタオルを渡さなくていいのか?」

 指摘すると、慌てて荷物を取りに走った。


 う~ん、やはりロイはかなり優秀な従者らしい。


「もう大丈夫なようだが、もう少し飲んでおいたほうがいいぞ」

 俺は再び瓶を渡そうとする。


「……これ以上は無用」

 ぶっきらぼうに言うと、渡したタオルを押し戻してくる。



「ガスパール様、お待たせ致しました!」


 ゆっくりと体を起こしたガスパールは、従者が持ってきたタオルで顔を拭いた。


「シド、剣をもてい!」

「はっ!」


 唐突な命令だが、シドと呼ばれた従者は俊敏に動き、布を解いて木剣を渡す。


「走りでは不覚を取ったが、剣ではそうはいかねぇ。構えろ!」 

 従者に渡されたタオルを放り投げ、ガスパールはこちらに木剣を向けて言い放つ。


「断る」

 俺はゆったりとした動作でかごからオランジェを取り出しながら、あっさりと拒絶した。


「なんだと――っ!?」

 ひょいと、ガスパールの顔めがけてオランジェを放る。


「この程度の動きに対応できない程疲労した相手と戦って勝っても、誉にならないからな」


 どうにか奴がオランジェを受け止めた時、俺は奴の木剣を押さえ、胸元に飛び込んでいた。


「――くっ」

 

「それは土産にやろう。アルダートン公爵家御用達の商人から仕入れたオランジェだから、美味いぞ」


 ふう、なんとか上手くいった。

 ロイド直伝のフェイント術がいい具合に決まったので、俺はちょっと格好をつけて言った。


 これは中だるみ演出の為、丸豚モードで「何か格好いい技を教えろ」と我侭を言ったところ、ロイドが見せた技である。


 三歩程離れたところに居たロイドがオランジェを投げて寄越し、受け取った時には目の前に居た。

 まるで瞬間移動のようで、初めてやられた時にはいっそ感動すら覚えた。

 なので必死で練習をし、一応格好がつく程度には修得したのだ。

 投擲で注意を逸らすと同時に一気に距離を詰める、足捌き技の一つである。


「アルダートン公爵家……だと? 養子を迎えたとは聞いていないぞ?」


 いきなり妙な事を言い出すガスパール。


「少なくとも、俺のきょうだいは妹のミシュリーヌだけだが?」


「アルダートン公爵家のミシュリーヌ嬢の兄だと? まさか、お前があのマルセル・アルダートンだというのか!?」


 どうしてそんなに遠回りに言うのか。

 というかどのマルセル・アルダートンだ。


「俺は今も昔も変わらずミシュリーヌの兄でマルセルだぞ」


 唖然とした表情のガスパール。

 

 ……あ、もしかして、俺達って初対面じゃないのか?


 ふと、広場中央の樹を見やる。


 浮き出た根 赤髪の侯爵家の息子 泣いている子供たち 


「――ああっ!」


 我ながら間抜けな声が出た。


 そうだ、俺とガスパールって3年前にもここで会ってる。

 確かここに来た俺が何を思ったか樹の浮き根に登って、この樹は俺の物だと宣言。

 他の登ろうとする子供(全員年下)を上から蹴り落とすという行為に及んだのだった。

 そこに現れたのがガスパール。

 俺を引きずり下ろすと、蹴り落とした他の子供に謝らせようとしたのだ。

 当時の俺は既にずいぶんと残念だったので、父上に言いつけるぞとお決まりの文句を言って逃走したのだった。


 うん、どう贔屓目に見ても最悪な第一印象である。


「……あー、すまん。色々思い出した。3年前は悪かったな」


 俺は過去の己の所業を苦々しく思いながら、ガスパールに頭を下げた。

 直接の被害者の子達もこの辺りの貴族の子だろうし、城のパーティーで会ったら詫びを入れなければ。


 ガスパールは限界まで目を見開いてこちらを見ていた。


 気持ちは分かる。


 それにしても、こいつもこいつで変わったのではないだろうか。

 勝手に勝負を始めて勝利宣言するし。

 それで倒れたのを介抱されても礼も言わないし。

 おまけに木剣とはいえ剣を向けるし。


 いや、言い訳ですごめんなさい。



「…………………………ぞ」


 何事かをガスパールが言った。

 のだが声が小さくて聞き取れない。


「ん? 何だ?」


「……さっきの飲み物、不味くはなかったぞ」


 彼なりの礼なのだろう。

 そして、謝罪の受け入れ。


「それは良かった」

 俺はにっこりと笑った。

 

「明日またこの時間にここへ来い、万全の状態でオレと勝負だ! 行くぞシド!」

「はっ!」

 

 ガスパールは再戦宣言を勝手にすると、返事は聞かないとばかりに走り出した。

 もう走れるようになるとは、大した回復力だ。



「あまり覚えていないのだが、ロイは3年前に俺が王都に来た時は同行していたか?」


「いいえ、その時は別の者が行きました」


「公都の屋敷に勤めている者か? 連絡は取れるか?」


「……かつて勤めていた者で、連絡は難しいかと」


 ロイの表情で、察する。

 父上の不興を買って追い出されたのだろう。


 3年前の記憶というのは案外あやふやなので、自分が何をやらかしたかを知っておきたかったのだが、やむを得まい。


 とりあえずその後、俺は日課の素振りと足捌き・型で汗を流した。

 運動でもしない限り結構寒いせいか、他に人は来なかった。

 


 別邸に帰って風呂に入り、昼食を食べて食休みをしつつ、俺は明日の事を考える。


「勝負かー。どうしたものか」


「何の勝負ですの?」

 

 同じ部屋でくつろいでいたミシュリーヌが独り言を聞きつけて寄ってきた。


「ああ、広場で訓練をしていたらランベルト侯爵家の長男と会ってな。明日剣の勝負を挑まれた」


「ランベルト侯爵家の長男というと、ガスパール様ですわね?」


「知っているのか?」


「ええ、手紙のやりとりをしているお友達との話題にも、格好いい同世代としてよく上がりますもの。

 赤獅子の異名を持つランベルト家の男子らしく、昨年から剣の修行も始められたとか。

 お兄様が訓練を始めたのはこの秋からですから、無理はしない方がいいと思いますわ……」


 憐憫の眼差しを向けてくるミシュリーヌ。


 お兄ちゃんはなー、そんな御令嬢ネットワークでも評判の奴に走りで勝って、フェイント技で一本取ったんだぞ!

 相手の疲労につけ込んだ感が凄いけど!


「何とか、痛くないやり方で勝負出来ませんの?」


「こちらとしてはそうしたいのだが、相手が納得しない――、あ」


 言って、俺はふと思い当たるものがあった。


 うん、いいかもしれない。

 問題は素材だが、似たようなものは作れるはずだ。


「ありがとうミシュリーヌ、どうにかなるかもしれない」


「ひゃっ!?」


 俺はミシュリーヌを抱擁するとロイを呼び、別邸でよく使う木工細工職人と革職人についての情報を集め始めた。


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ